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2021-03-08

シンエヴァの内容が視聴者へのメッセージなんだと感じた連中に物申し

事前に言っとくがシン・エヴァンゲリオンネタバレ全開です。

ネタバレが嫌な人はそもそも増田なんて見てんじゃねぇ。

 

シン・エヴァラスト大人シンジ真希マリさんと仲良く結ばれて幸せになる訳じゃないですか。

で、シンジ庵野監督マリ安野モヨコ(嫁)ってのはもうこれでもかってなくらい定説となった訳なので、

これは庵野監督からの「お前らもさっさと結婚して真人間になれ」みたいなメッセージとして捉えてる連中がわんさかいる訳よ。

 

いやちげーだろ!!!!!!!!!

 

あんなの単に「私は愛する人を見つけて幸せになりました、以上!」程度のものなんだよ。

14年越しの盛大なノロケしかないんだよ。

お前の事なんて眼中にないんだよ。

 

そもそもシン・エヴァンゲリオンは「大人になる」が一つの大きなテーマだ。

Qの頃からアスカシンジの事をしつこく「ガキシンジ」と呼んでいたあの流れと地続きなんだよ。

映画の中で色んなものに触れて影響されて、最終的には親父のやらかした事に自分が「ケジメを付ける」って言い張る程度に成長してみせた。

スパロボですらなかなか見ない覚醒っぷりだぞ。

この覚醒マリがどんだけ関与した?

ゼロと言っていい。

マリ最後に登場したのは、シンジゲンドウと色んな意味で決着を付け、自己犠牲世界を救おうとした所を母親に救われた後だ(多分。記憶曖昧)。

まりマリ(=嫁)の登場は成長の副産物にすぎないんだよ。

マリシンジを救ったんじゃなく、救われたシンジを迎えに来ただけ。まぁそれだけでも極めて重要だと思うけど。

 

まぁ何が言いたいのかと言うと、「結婚して真人間になれ」ではなく「真人間(成人)になった結果結婚した」的な流れという事だ。

なので大事なのは新劇場版エヴァンゲリオン提示する『子供から大人への成長』とは何か?」を考察してく事なんじゃないか

多分ゲンドウに関しては「大人になりきれなかったままユイ出会いシンジという子供ができてしまった」って事なんだろう。

って事は「セックスして子供を作る」イコール大人になるという訳じゃないと、作品のものが物凄い勢いで訴えてる訳だ。

じゃあ大人になるって何なんだろうな?それはみんなで全力で考察してくれ。

 

庵野ノロケに目を眩ませられて本質が見えてない人たちにちょっと苛立ってしまったので書き殴った。上記考察異論は認めるというかむしろ歓迎する。

シンエヴァは、リア充非リア充を分断するATフィールドかも知れない

乱文雑文感想文。

作品ネタバレも含みます(流れ弾注意)

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

レバニラ

わかり手さんの予想がだいたい当たっていてすごかった。

庵野秀明はもうエヴァンゲリオンを創れない|小山晃弘|note

https://note.com/wakari_te/n/n1792bd55c379

やはり日ごろからメンヘラ人間観察しているので詳しいのだろうか。むしろわかり手氏にエヴァ作ってみてほしい。

監督はTV~旧劇場版非リア充マインドで作ったが、新劇場版リア充マインドで作った。オーディエンスは何を見せられているのだろう。監督の心情を、人生を見せられているのかな。一言でいえば旧劇場版から新劇場版にかけて非モテモテになれました。というサクセスストーリーだった。某キャラと某キャラが子づくりしてその子供が出てくる所もリア充感を加速させる。グッズ販売にぬり絵とか自由帳といった子供向けアイテムがあるのもそれに油を注ぐ(親子でエヴァを見に来る人がおるんやろか?)

そもそも破の時点でシンジくんが成長してしまってウジウジしておらず男らしくて置いてかれてしまった感してたがその路線の延長だった。「そうだよな!非リア充だよな!」つって拗らせたやつらが共感してファンを集めたTV~旧劇場版だったが。新劇場版では作品がわりとリア充になったのでリア充になれないオーディエンスは置いていかたことになる。

これはつまりぼっちコミュ障非リア充芸でガチ恋営業してファンを集めた地下アイドルVTuberが、急に恋人できて結婚して引退してファンを捨て去り置いけぼりにするような構図と重なって見える。そう、声優の「ご報告」でCDを割るやつと同じで。表では恋人いませーんムーブしておきながら水面下でちゃっかり人生を進捗させていてある日突然手のひら返しするのだ。アイドルVTuber声優監督もみんな置いていくんだ。結婚したのか俺以外のヤツと・・・

今後の後世に語り継がれるエヴァンゲリオン像は、非リア充こじらせ系と、リア充系に二極化して語られていくだろう。

昔のインターネット非リア充のすくつだったが、いまはもうリア充占拠されてしまい、いつまでもリア充になれずに拗れている者の居場所は狭まるばかりなのか・・・

これ、少しのネタバレ説明したうえで「こういったような(ろくろ回す)イメージエヴァを信じて期待していた人は、こういうネタバレがあるんで、ショック受けるので見ないことを推奨する」という熱気溢れる記事を書く人が現れるだろうね。予言キャラ愛が強すぎる人とか、二次創作するうえでのイメージ崩したくない人向けとか。

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前半、ポカポカムードが長く続いて(どうすんだこれ..)ってなった。でもなぁ。庵野監督のことだから上げて落とすの繰り返しだしなぁ虚淵みたいに。そんでまぁまぁ期待を裏切らない感ある展開であったが、なんだかあっさりとスルーされた感があり、というかそこでシンジくんが急に大人になったターニングポイントでもあるのだがもうちょっと拗れてほしかった。

途中、ここ笑うとこ?真剣なとこ??って気持ちの緩急が激しく揺さぶられてどうしたらいいのか良くわからなかった。あと戦闘シーンでBGMが急に劇画チックな特撮みたいになるのも庵野監督ぽかった。親子喧嘩シーンまるっきりウルトラマンやね。良い。

テーマひとつに「犠牲」があるのかもしれない。色んなもの犠牲になっているし、自らを犠牲にして誰かになにか託す者もいれば、家族犠牲になった恨みもある。非リア充にはできない、リア充の肝が据わった男らしい覚悟明日世界が滅ぶとしてもすいかの種を植える。覚悟と達観と1日1日を大切に暮らす話。そのへんはシンゴジラから地震台風とか災害イメージなのかな仮設住宅が立ち並ぶところなんかまさに。無人在来線爆弾のようなものも登場する。

虛淵をイメージしているのだろうか、セリフに「円環」って何度か出てくるのまどかマギカ意識している?オマージュ?2回目を見てあらためて終盤のシンジ君のセリフよく聴いたらまるっきりまどかだった。シンジくんはアルティメットまどか。いや逆なのかな、旧劇をオマージュしたまどマギ、それををオマージュした新劇、っていうこと?そのへんの関係よくわかんないや。

xxxもyyyも大人になったのは、つまりエヴァ呪縛が解けたという意味だ。"人間"の"大人"になったということだ。非リア充のガキが、リア充大人になった話だ。たとえ金太郎飴みたいにそっくり量産型であっても、自我を持ち、成長できるのだという希望の話。就活大学生ファッション髪型なんかがしばしば"量産型"と揶揄されることへのオマージュエールかも知れない。

見ながら思ってたけどゲンドウくん喋りすぎじゃない?説明しすぎ感はあるなー。Qの反動のAなのかな。それ以外にも答え合わせ、ネタバレ、種明かしがたくさんあり、スッキリはしたけど謎が減りすぎてミステリアスさや考察二次創作余地やが減った気もする。そんな考察なんてしてないでエヴァ呪縛ダブルミーニングから解かれておまえらリア充になれ。やめやめ。解散。おしまーいみたいなメッセージなのだろうか。そんな印象も覚えた。

=====

(↓以下は自分の語彙力が不足していて、なぜダメなのかがうまく明文化できていない。より語彙力の高い人がうまいこと説明してくれるのを期待)

毎度恒例の精神世界電車ゲンドウが下車した以降の早足に一人ずつ問題解決していくパートは、なんだか雑な感じを受けてしまう。 駆け足に答え合わせ、辻褄合わせされたような...

全体の映像を通して言えるのは、ミックスが未熟な音楽を聞いているような印象を受けてしまう。シーンによって映像解像度の差が気になるというか、質感の統一感が低い箇所があるというかうまくいえない。あのリアル綾波フェイスがとくに浮いている印象がしてしまうんですが・・、斗和キセキの1000万円かけて作った生首みたいでシュールなんだ。

すごくエヴァらしい!と感動するシーンもたくさんあるんだよ、例えば前半の村でアスカシンジカロリーメイト(2400kcal)を無理やり食わせるシーンのカメラワークがすごい。フレーミング、ロール、レンズズームグリグリ動かしているような映像的にすごいし、構図もエヴァらしいと思った。

ピンク髪の人、北上だっけ?全体的にあの人のセリフ空気を悪くしてズレた感じにしてしまっているのが残念だった。でも親の仇でキレるシーンは良かった。けど、納得して脱力しての引き下がる理由とか心情の変化が良くわからんかった。

あれだ、昔の人間なら電子メールビジネス文章を書くが、ナウなヤング仕事の連絡すらLINEだったりするのでチャラくて薄くて軽い文章しか書けない、そういうTPO違いの文章のような嫌悪感なのかも知れない。最近では仕事会議や講演なんかもライブ映像配信なので、YouTubeのノリで「わくおつ~」とか新人コメントちゃうやつだ。もう俺も老害だと思うとつらい。

それ以外にも、なんだか薄ら寒いメタをちょくちょく差し込んで来るのでその度に調子が狂うというか、音ゲータイミング外してうまく演奏されなかった小節みたいな印象を受けてしまうま🦓。

先述のとおりシーン毎に気持ちの切り替えが追い付かないというか、いま笑うところ?シリアスなところ?という空気読みに苦労してしまう。これってアニメ艦これでもそうだったよね・・・

わからん睡眠不足状態で見てしまったので脳が働いてない可能性はある。

から見なおしたり、誰かの解釈を参考にしたりすると、また違った見え方もする。

あと、ゲンドウがにゃるらさんの提唱する理想郷twitter2のコンセプトみたいな話を早口気味でするのおもしろかった。差別貧富の差イジメもなんたらもかんたらもない世界みたいな。

にゃるら絵日記10話「Twitter2(だれも社会政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS)」|にゃるら|note

https://note.com/nyalra2/n/n0643876e3b49



にゃるらさんありがとう

シンエヴァ見てきた(ネタバレあり)

シン・エヴァンゲリオン見てきた。

Twitter会社チャットもお通夜ムードというか絶対に触れるなって雰囲気で、この見た後の誰かと語り合いたい気持ちをどこで発散すれば???

となったので熱が冷めないうちにうだうだ書いてみる。

以下ネタバレで、絶対初見劇場で見た方が良いと思うので、見てないひとはここでもどった方がいい。

なんか、やっと大人になれた気がした。


シンジくんたちと同じぐらいの年齢でエヴァ出会って、追いかけ続けて、Qで衝撃を受け、そこから8年放置。長かったよ流石に。

だって自分結婚して子供まれちゃったもん。

シンジくんたちチルドレンに感情移入していたのに、ミサトさんのくだりが一番刺さったもん。ふしぎ。


もうさ、最初に第三村???ってなって、あ、これトトロじゃんってなって。

でもたぶん庵野のことだから鬱展開くるっしょとなったら8年寝かせただけあってささっと次のシーンにいって感動したし。

アスカケンケンくっついてるし、トウジとヒカリ大人対応も、子供との生活も刺さる刺さる。



アヤナミレイがパシャっとなった時にもっかい鬱展開かと思ったら違ったし。シンジ君8年でおっきくなったね・・・


で、南極いくじゃないですか。

なんかナディアみを感じるなと思ったらナディアなの。もうね庵野天才

ボタンポチひとつとってもエレクトラしなの。UKERUNE。


ここら辺からめちゃ熱い展開からの怪しげな雰囲気を感じ取って、良く調教されたエヴァファンとしては身構えるわけですよ。

アスカの目からアンチLシステム生えてきた時なんか「あっ」って感じですよ。これ以上アスカが可哀そうな目に合うのはやめてちょんまげ

宇宙以降の精神世界なんてもう、TV版の終盤や旧劇ラストフラッシュバックしていつ庵野暴走するかとハラハラしてましたよ。



でもね、8年越しのエヴァエンターテイメントとして高い完成度になっていた。

たとえ説明的だと言われても、ゲンドウやアスカ、他のキャラクターの想いやこれからをしっかりと描いたのは涙が出るほどうれしかったし。

ゲンドウがあっさり下車して、男前シンジ君が戻ってきたときなんかもう親目線で見てました。感情めちゃくちゃだな自分


シンジ君じゃない・・・彼は・・・シンジさんだ・・・!!!!!!!!


って感じ。

ネオンジェネシス下りちょっと意味わかんなかったというかまさかTV版にループさせる気か庵野ォ!と一瞬日和ました。すみません

でも、これまでのエヴァのシーン、タイトル諸々全て映して、緒方恵美最後セリフが「さよならすべてのエヴァンゲリオン」ってのはとてもすっきりしました。


そして最後のシーンはもう考察班にまかせますが、自分は「大人になってエヴァ卒業しような!な!」と受け止めました。


やっぱりエヴァって自分の中でとても大切な作品だし、濃淡はあるもの人生の中でこれほど熱くはまった作品ってなかったと思うのですよ。

考察も語りあうときも、リアル人生でいろいろあった中でもやっぱりずっと追ってきてたし。

すっと追ってこれたのはやっぱり不完全燃焼なところがあったからだし、庵野ォ!シンゴジラ作ってる場合じゃねーだろ!名作だけど!!!!となったりしながらも、やっぱりエヴァを待ち望んでいたんだなと。


最終作もいくつもの考察ポイントがあって、昔取った杵柄を振り回そう(?)としているいにしえのオタクたちが腕まくりして待っていると思うので、その考察を眺めながら今夜は余韻に浸りたいと思います

ありがとうエヴァンゲリオン、最高の作品でした。

で、マリって結局誰だったんだ・・・鳥頭

あとやっぱ「アスカが好きだったんだ」はグサッときた。そう、昔はアスカが好きだったんだよ・・・

ーーー

追記

戦友で旧友なオタクと話していて大事なことを思いだした。

親となった立場としてゲンドウがシンジを抱きしめて「そこにいたのかユイ」と気づいたのは鳥肌だった。

そう、模造品を作ってもユイには辿り着けなったのに、一度は捨てたユイの血を分けたシンジにはユイが宿っていることを感じたというのがすごい。

エヴァ初号機にはユイの魂がある、ユイゲンドウを重ねた初号機と13号機が槍を突き刺すシーンにもつながる秀逸な場面だった。

ホーム画面を晒ししまうことに関して

例のウマ娘実況してたVにルナルナが写ってて~に関しては、

オタクが騒いでるということにしたいという炎上演出によるものだという分析がなされていた。

その分析では、Vtuberホーム画面を晒した際に、「これはやばい」みたいな発言が見られたのは、

ホーム画面を晒すことそのものについて言われていたのではないか考察されていた。

しかし、その考察に対しては、

ホーム画面なんて晒しても別にいいものからホーム画面晒しにたいしてやばいと言うのだって理解できない」

と、それはそれである種の気持ち悪さ?を感じているとも取れるコメントがなされていた。


ここで疑問なのだが、「ホーム画面を晒すこと」を忌避するのは、どの程度認められているのだろうか?

もちろん自分Vtuber界隈の暗黙の了解的なのを知る人間ではないし、その兼ね合いとかはよくわからないが……。

Vtuber配信は、「業務」「仕事」として行っているはずのものである

この場合プライベートで利用しているアプリを含むホーム画面は、プライベートに属するものとして、

仕事上の活動の中では晒さないほうがいい、というのは一つの考えとして有り得そうなのだが、実際界隈?での捉え方はどうなのだろうか。

自分スマホ画面に関しては晒すような機会がないので事情が違うが、オンライン会議PCの画面共有が必要な際、

デスクトップ無用相手に見せたり、その他のプライベートに属する部分は見せないようにする場合が多いし、

相手もそうすることが多い。だからプライベートに属する端末の各種情報ミスで晒されてしまえば、

「これはやばい」みたいな反応があることはある程度は自然なのかと思っていた。

プライベートならまだしも、業務特定相手以外に見せてはいけない情報などのある場合もあるだろう。


しかし、今回の件を見ると、ホーム画面晒し程度でなにか言う方がおかしい、という方向の反応も多少は見られる。

最近若い層だと、ネット本名とかを晒すことに抵抗がないと言うし、デスクトップその他を公開することへの抵抗も、

もはや「ネット老人」ゆえの気持ち悪いものだと扱われているのだろうか?

自分としては、それでもなお、生理ルナルナへの知識のなさ故に女性攻撃してしまうことに比べれば、

かなりマシなものではないかと思いたいのだが、実際世間一般認識がどうなのかはよくわからない。

それこそ「感覚アップデート」が自分にはできていないということなのだろうか。

序破Qどんな内容だったか忘れた

もはやエヴァ自体過去のものだし

そんな続きが気になるようなもんでもないし

熱心に考察してたわけでもないし

そんな熱量高められる方が不思議だわ

2021-03-07

[]考察考察厨に関する考察

 自分の好きな作品を深く考察する、というのは本来知的な行いであるはずだが、どうにもイメージよろしくない。特にウェブ上で公開されているような考察は、ほとんどが行き過ぎたこじつけで、作者もそんなこと絶対考えていないだろとしか言いようがなく、その独りよがりっぷりが気持ち悪くさえある。俗に考察厨と呼ばれる彼らだが、何故あのような状態に陥るのだろうか。そもそも考察は見ていて明らかに良し悪しを感じるが、これはどのような基準によるものなのだろうか。考察厨について考察するというメタなことをやってみた。

 まず初めに分かっておかなければならないのは、考察解釈)は自由であるということだ。考察ができるという時点で、それは作中で明示的に語られていない事柄があるということで、それをどう解釈するかは読者に委ねられている。しか自由からと言って好きにしてもいいのかと言えばそうでもない。何故なら考察者は作品に隠された作者の意図というひとつの正解を目指しているからだ。つまり考察とは答えの無い問題ではなく、答え合わせの無い問題なのだ。これこそが考察において誤解してはならないポイントであり、最も難しい所でもある。考察者は答え合わせの無い環境で、自分評価自力客観的評価してやらなければならないのだ。

 さて、考察厨の考察で最もありがちなのは、何が何を暗示しているだの、象徴しているだのといった情報を思いつくままに書いてそれで終わってしまっているパターンだろう。作品は無数の要素から構成されており、暗示的な意味など実のところ、いくらでも抜き取ることができる。考えついた人にとってはもっともらしく思えるし、考察者に対して肯定的人間なら「すごい! そんな意味があったなんて!」と言ってくれるかもしれないが、傍から見るとふって湧いたように唐突ものとなってしまう。これは要するに作者が意図して秘めた要素でない要素を解釈してしまっている状態である。難しいのはこの種の解釈は正解ではなかったとしても間違っていると云う根拠も示せないところだ。多くの人が感覚的におかしいことは分かっても、それを説明することは難しく、結果的客観性のない考察が横行してしまうことになる。

 では、正しく、そして作者の意図に沿う考察とはどのように行うべきなのだろうか。指針となるのはずばり、作品テーマ文脈コンテキスト)、あるいはストーリー構成といった作品に対するマクロ視点である。何らかの意図を込めてデザインされた作品は、論理の展開にも似た一定の流れを踏んでいるものだ。最も分かりやすいのは作品結論、あるいは一言で言い表した場合テーマなどで、これは大抵の作品においてクライマックスエンディング、あるいはタイトルなどの中で分かりやす提示される。この結論が分かれば大まかなコンテキストを逆算することができ、それに沿う形で抜け落ちた部分を考察していけばいいのである。逆に言えばコンテキストの中で役割を持たない暗示については無視していい。正しいかどうかの判断ができないし、作品作りの過程で偶然そうなっただけの可能性さえあるからだ。

 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』はタイトル作品テーマとなっている分かりやすい例だ。作中で主人公は、「ライ麦畑で遊んでいた子供が崖から落ちそうになった時キャッチして助ける、そういう人になりたい」と語ってる(手元に無いので不正確かも)。当初は抽象的な話として語られているが、物語として考えるなら、この話は主人公が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』になった所で終わるのが一番自然だろう。そこで『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の具体的な意味が示されており、当然その対になる『崖から落ちそうになっている子供』も存在しているはずだ。ここまでは読めば明らかなことで、考察というより読解のレベルだろう。(とはいえ、このことさえ分かっていない人もいる。念のために言っておくと、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は中二病の人ではなく、中二病の人を『助ける人』こそが主題だ)

 ここで定番の『赤いハンチング帽に関する考察』を見てみよう。この考察では、帽子を受け渡すシーンが『キャッチャー』と『子供』の役割の交代を示している、とされている。成程、たしか主人公は『キャッチャー』になれただろうが、作品を通して『崖から落ちそうになっていた』のは寧ろ主人公の方だ。相手が一緒に『崖から落ちそうになった』結果、主人公は踏み止まった。『キャッチする』と同時に『キャッチされた』とする解釈は、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』がつまりどういう人なのかということをより具体的にしてくれている。作者がその解釈の手助けとして『帽子』という象徴を仕込んだ、とするのは非常に合理的で腑に落ちる話だ。コンテキストに沿った上でコンテキストを補強している、まさに美しい暗示の好例と言えるだろう。

 このように考察コンテキスト相互に補強し合う。ゆえにコンテキスト意識することが考察の最大の指針であり、評価基準となるのだ。

 最後に実際上の話として、考察文の取捨選択について触れておこう。考察というは時に長大で、全て読むというのは結構な苦労を伴う。一目で考察の良し悪しを判定できる手段が欲しい、という気持ち共感できる人も多いだろう。実のところ、このコラムを書いたのは、これを自分の中で纏めておきたかったがためだ。まず経験的な話として、悪い考察文というのは得てして読みづらい。その理由は実はここまでの話で明らかになっている。考察者が全体のコンテキスト意識していない場合、部分部分の考察が全体の中でどういう役割を持つか分からない。つまり情報としてバラバラで一連した意味が分からなくなってしまうのだ。一貫した流れの無い文章は読みづらい。これは正しい考察工程と一致しているかどうかと同義、つまりは『読みにくい考察≒間違った考察であると思っても構わないわけだ。厳しく判別するなら、最初考察者が全体のコンテキストを明示しているかどうか、というのはひとつ基準になるだろう。全体像を共有する、あるいは用語統一しておき、その上で個々の解釈を全体の各所に当てはめていく、というのは良い考察なら自然帰結としてそうなるだろう(考察者が単に情報伝達に慣れていないだけの可能性は残るが)。逆に不味いのは部分の考察からスタートしているもので、これなら先に結論部分を読むのが良さそうだ。結論部分でも全体像に触れていない考察であれば読む価値は間違いなく無い。

anond:20210307155928

そんなに考察してあげるような話では無くて、共産党シンパ弁護士ありがちなムーブかな?と。そういう思考が体に染みついているんだろう。

シン・エヴァ観に行く前の気持ちを書いておきたい

シン・エヴァンゲリオン劇場版、公開初日に観に行くのですが、その前に今の気持ちを書いておきたいと思いました。

そして明日3/8、これを見返したとき、どう思ってるのかも楽しみです。

まず、下記のシロクマさんのブログに書いてあることが、あまりにも自分の心情に近いので紹介します。

---

■解呪と供養のためにシン・エヴァンゲリオンを観に行く

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/.../20210306/1615017226

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そうなんです。

アニメからの26年にわたるファン自分も、いったいどんな気持ち最後エヴァを観に行っていいのかよくわかないのです。

心の準備ができておらず、戸惑いがあるのです。観たくないけど観たい、でも観なければならない。

幾度と公開延期を繰り返すたび、残念さと同時に安心感があったのです。これでまだエヴァが終わらない。まだリアルタイムに語れる子供の頃のままでいいんだ、くらいの。

登場人物葛城ミサトいつまでもお姉さんでいて欲しいというファンがいたんですが、その気持ちわからんでもないのです。

中の人物よりはるかに年上になってしまった自分たちを直視したくないのです。

からQでミサトさんがまた年上になって、またお姉さんでいてくれたことに、甘えのような嬉しさがあったのです。

それが、急に、3/8ですよ。えっもう?てなりましたよ。この26年間の想いに急激にピリオドを打たれる感じ。

番宣で「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」言われて、ああ、伝える側も、完全に終わらせに来てるな、ってのがわかりました。

Qでアスカが言ってた「エヴァ呪い」とは僕ら中年ファンのことです。

この作品に向かい合ってるときはいつまでも大人になれず、10代のノリで語ってしまうのです。

しかし気が付けば、監督も、役者も、僕らも年を取ったのです。

役者さんたちもこれ以上ひっぱれば満足な演技もできなくなるかもしれない。監督ファンも先に進めない。

からここで終わらせないといけないのです。

終わらなかった例がガンダムです。正確には新作もたくさんできてますが、アムロシャアの戦いは産業になってしまった。

もう、何が終わりだったのかもよく分かりません。

自分では逆シャアですが、ユニコーンでまさにシャアの亡霊を引きずり出してしまった。そうして旧ファンは喜んだし売れた。

エヴァは、何か寂しいけど綺麗に終わってほしい気がします。

3/8月曜に終われば、この紹介したブログに書いてある通り、エヴァ離れできなかった自分が供養されるような、穏やかな気持ちになれるような…そんなことを期待しています

から庵野監督、どうか旧劇のようなわけのわからないラストはやめてください(笑)もう引きずりたくない。

もうネット考察を書いてファン同士でバトルしあうような熱量はないんですよ…。

さて、僕は明日、何を想っているのか。楽しみです。

無事に解放と供養されているといいな…。

ようやくクソサイト記事駆逐される

はたらく魔王さま!」のアニメ2期の製作が決定した。

1期をリアルタイムで見て面白かったアニメの一つで、2期が来るのは本当に楽しみである

あと、嬉しいことに「『はたらく魔王さま!』の2期の可能性は?考察してみた! → わかりませんでした!」系のクソサイト記事がこれで無意味になる。

ブログをやっている身でありPV数が気になるが、そのようなクソ記事PV数を稼ぎたいとは思わない。

まだまだ検索すると上位に残ってしまっているが、少しずつ消えていく様子を見るのが楽しみである

2021-03-06

Twitterでもここでもなんか書きたい言いたいことがあっても考察したり文章推敲したりするのがすごく面倒というか苦手になってきてる。小説書くとかじゃないのに順序立てて物事説明したり自分の考えを文章化するのがすこく難しい。今この文章もすごい頑張って脳みそ使って打ってる。やばいかな。とにかく毎日疲れてはいるけど精神障害発達障害?まだ30代だけど認知症かな?

消すなよ

ウマ娘単体の現象だけみて考えるというのは青◯才さんのラノベ語り並みに薄っぺらい考えだと思う。彼はそれが芸風なのでしょうがないが、普通の人は青〇才さんのように薄っぺら考察をさも通ぶってどや顔で垂れ流す恥ずかしい人間にならないように気を付けるべきではないか

[]2021年3月5日金曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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201381333796.634.5
2116019507121.939.5
22145973467.143
2310812715117.749
1日285327702397.142

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2021-03-05

anond:20210304185755

読解力ない奴がネット考察に振り回されてるだけやん

つまんねえのはおまえだよ

anond:20210305112158

コスプレイヤーに限った話じゃないが、オタクの中で表現側に回ってるのってかなり少数派なのが現実やぞ

オタクは高レベルクリエイティブ集団!って思い込んでる連中の幻想論を鵜呑みにして真面目な考察するのはかなり危ういと思うで

anond:20210305091737

趣旨はわかった。でもフェミがどうとかは関係ない、は嘘。


宇崎ちゃんポスターラブライブポスター、ラブタイツ…昨今はいわゆる萌え絵系でいろいろな騒動が起きている。

(中略)

この人たちの今までのツイートを見てみると、オタク観が何となくわかった。

「"オタク"は作品を深く考察・論評し、社会的意義や社会に与える影響を論じるべきだというのに、お前らはただエロければよい萌えればよいという極めて低俗人間だ!お前らはオタクじゃない!」


って言ったよね?

宇崎ちゃんポスターラブライブポスターアツギタイツ、あれらで起きた批判と、「エロ絵ばかり見て萌えればよいというひとはオタクじゃない」と主張する人を結びつけて話したよね?


別にフェミニストはオタク攻撃してるわけじゃないよって話をしてるんだよ。そこをわかってないから、あれらの批判オタク攻撃勘違いする。


エロ絵に萌えオタクがいてもいいし、マニアック知識を追究するオタクがいてもいいし、世情と結びつけて批評してみるオタクがいてもいい。確かに「真のオタク」なるものが大多数というか、オタク代表的な像だったこから比べたら変わってきたかもしれないけど、別にエロ絵に萌えてるばかりのオタクのことを、お前らはオタクじゃないなんて言ってない。


いや、ひょっとしたらそういうふうにオタク像が90年代から変わってないひとたちもいるのかもしれないし、エロ絵に萌えてるだけのやつらはオタクじゃないという主張をどこで見たのかもしれないが、

宇崎ちゃんポスターラブライブポスターアツギタイツ広告批判オタク像の変化を結びつけるのはおかしい。全然違う話だ。


そこを結びつけて論じた上に、追記個人主義はどこいったんだーと言っているが、そこを結びつけるとポスター広告エロ絵を批判することは個人の楽しみ方の自由個人主義を奪っていると勘違いしているように見える。


一般的オタク像が変わってきているなかで、それぞれの楽しみ方を批判するようなのはおかしい、という主張は理解できる。しかし、そこをポスター広告批判と結びつけると、ポスター広告エロ絵を使うのを批判するフェミニストたちは、個人の楽しみ方の自由を奪っているというふうに取れるのでナンセンス

趣旨理解できるけど、その話をしたいなら論の導入に宇崎ちゃんポスターラブライブポスターアツギ広告の話をするのがおかしいねって話をしてる。

「もしかしたら俺はヤンキーなのかもしれない」の続き

https://anond.hatelabo.jp/20210305071103

これの追記として書いておく。


「ただエロ目線しか見れないのはオタクではなくヤンキーではないか」ということをメインで言ったが、ついでに、


作品考察評論社会への影響などを考えるようでなければオタクにあらず!」というが、あなた左翼の掲げる多様性というか、個人主義というか、それはどこ行った?

自由に楽しむということは許されないのか?これはこれで排外的では?というのが気になっている。


また、ものすごく失礼なことを承知でいうし、理解が乏しいかもしれないし、関係いかもしれないし、いろいろ申し訳ないのだが、コスプレについても気になっている。

基本的にはアニメキャラになりきることが目的のもの。おそらく社会への影響だとかそういうことは関係がないはず。

エッチコスプレだ…」というのはまたヤンキーと一緒だが、「アニメキャラになりきってみたい!」「ああいう服を着てみたい!」といった女性欲求も「オタクにあらず!」否定されるものなのか?

anond:20210305092631

そういう考察野郎を当時バカにして、今「動物的」な振る舞いをすればやはりバカにする

それらが同一人物かどうかはわかりませんが、結局単にオタクバカにしたいだけで、理屈なんて後付けでしょうがって思うわけですよ

anond:20210305075959

勘違いさせたらすまないが、今回言いたかったのは、

https://anond.hatelabo.jp/20210305082054

横だけど、エヴァを世情と結び付けて考察してたようなオタクが(はてな左翼的オタクが言うところの)「真のオタク」でそういう事を嫌って萌えキャラエロ目線で見る事しかしないオタクヤンキーである、って話じゃ?

この一言に集約される。

フェミがどうとか、ラブタイツは問題なかったとか、今回の増田では関係がない。

政治と結びつけて考察するのが敬遠されるっていうのも笑うわ。エヴァ考察なんて90年代の世情と結びつけて考察されたブログ記事死ぬほどあったでしょ。いったい何見てきたの?

後だしで悪いが、1990年代まれで、高校生になるころにはもうそんな時代じゃなかったんだ。ただ単に子供のようにアニメを楽しむような感じだったんだ。

あと、フジ嫌韓デモもあったせいで、なんとなく「左右関わらず、政治にのめりこむのってヤバいな」っていう意識個人的にもあった。

世代にはそういう意識があったのかなと思っている。


もつ最近やっと気づいたんだ。彼らが言う「オタク」ってこういうものなんだって

「君は涼宮ハルヒキャラで誰が好きなの?」のコピペも、オタクやばい言動や笑いを示したものだけじゃなくて、オタクガチ考察とかをするもんだったんだって。ただのコピペだけどさ。


「なぜ90年代ブログ記事も知らないんだ!お前はなぜ古典に学ばないんだ!」っていうならそれはそれで済まない。


中学の時にハルヒ流行ったし、同じ中学美術女子がこぞってはまってたが、あれはなんでだろう。オタクのくせしてハルヒを見てないのでわからないが・・・

anond:20210305071103

フェミニストたちは"オタク"を攻撃してるんじゃなくて、公共の場ポスターとして、もしくは広告として使われていることに怒ってるんだよ。オタクのことは誰も攻撃してないので萌え絵もそのまま好きでいたらいい。


オタクとして萌え絵を見ている間に感覚が狂ったのか知らないけど、公共の場にやたら胸が強調されている宇崎ちゃんポスターが使われているのも、股のシワが描いてある(現実にはありえない)スカートを履いてるポスターが使われているのも普通に気持ち悪いよ。

アツギタイツに至っては顧客女性なのに、なんで女性を客体化した広告使ってるんだって話だし。タイツ履いてる女性エロいなーっつって鑑賞する広告じゃん、顧客性的搾取する広告なんだから批判されるの当たり前だよね。


エロを強調した絵が嫌なんじゃないの。宇崎ちゃんラブライブアツギの一つ一つの絵も別に全然嫌いじゃない。

ただ、それを公共の場広告として使ってるのが嫌だって言ってんの。宇崎ちゃんラブライブアツギpixivに上がってりゃなーんの問題もないよ。ツイッター個人があげててもなんも問題ない。

この絵を広告として使うのはどうかと思うってだけの簡単な話なのに、オタク攻撃された!表現規制だ!って思うの自他境界線ゆるゆるすぎるから考え直したほうがいい。別にその絵を好きなオタクのことは誰も攻撃してないので。


公共の場オタク非オタも老若男女が見る前で、胸が強調されてたり股のシワがあったり、そういうエロ記号表現がある絵をどうしても掲げたいって思うわけ?自分のことヤンキーかも〜とか言う前に広告として絶対に胸が強調されてる絵を使いたいって感覚おかしいって気づいたら?


あとオタクフェミニスト普通に両立する。何で両立しないと思ってるんだか。

それと、政治と結びつけて考察するのが敬遠されるっていうのも笑うわ。エヴァ考察なんて90年代の世情と結びつけて考察されたブログ記事死ぬほどあったでしょ。いったい何見てきたの?

しかしたら俺はヤンキーなのかもしれない

男性で、左翼で、オタクっていう人が萌え絵に難色を示している。


この人たちの今までのツイートを見てみると、オタク観が何となくわかった。


「"オタク"は作品を深く考察・論評し、社会的意義や社会に与える影響を論じるべきだというのに、お前らはただエロければよい萌えればよいという極めて低俗人間だ!お前らはオタクじゃない!」


こんな感じだ。


https://anond.hatelabo.jp/20191122203342

ここの増田にも書いてあるように、実際にそういうことをした人もいるようだ。


https://note.com/iovis_takahasius/n/n5d806216d51c

まさにこれがオタクの例。

俺も大学ではサークルに入っていて、別にアニメサークルというわけではないが

情報系の学部の生徒がたくさん入るサークルだったのでオタクはたくさんいた。

多分そのサークルで「鬼滅は自助・共助を…」と言い出したら友達はなくすかな…

自己責任論っぽくてイヤ」でギリギリ何とか踏みとどまれるか。

あ、有名なもの批判してるから敬遠されるとかい理由でなく、

「そういう政治にもってくタイプの人なのね」と判断されて敬遠される。


(これは左右関わらずネット過激政治を語る人たちのせいなんだろうけど、

俺が上で上げたような作品を論評するオタクがだいたいこんな感じの人なんだよなぁ…)


それで、左翼オタク否定しているような"オタク"というのは、考えてみればヤンキーに近いんじゃないかと思ってる。

昔のドラマアニメとかで、女子更衣室を覗くのはどちらかというとヤンキーイメージが多い。

ごくせん」でも不良が当時あまり流通していなかったノートパソコンを使ってエロ画像ダウンロードしていた。

だいたいオタク系のキャラはそういう行為はしていない。


ヤンキーに近いというよりかはヤンキー的な目で女を見ているといえるか。

とにかくエロいのが見たい。エッチしたい。蹂躙したい。こういうヤンキー目線

宇崎ちゃんポスター擁護してる人全員がこう思っているとはいわないし、全員レ○プ願望あるとも言わない。

ただ、萌えればいいというのはヤンキーに近いのかなという感じ。



ちょっとしたおまけだが、オタクフェミニストは両立しないという意見をちらほら見るが、別のオタクとなら成立するのではないか

別のオタクというのは、先ほど挙げたような作品を論評して、左翼思想の元に社会問題点を指摘するオタク。彼らに言わせれば真のオタクか。


例えば、なろう系の作品で女騎士が敵国の捕虜になり悪徳大臣の下で「超ミニスカ絶対領域胸の谷間大あらわ」の破廉恥メイド服を着させられて奉仕させられるというシチュの時は、

中世ヨーロッパ時代はこのように女性人権が云々…」「今こういう作品日本で受け入れられること自体日本人権意識の云々…」


こんな感じに日本問題点として女性人権とか性的消費という話に持ってくなら、十分オタクフェミニストは両立できるよね。

2021-03-04

anond:20210304185755

勝手に期待しすぎたんだよ

考察見まくって期待しまくってるエヴァファンみたいなもんだな

言語とは精神病発言の主たる要因である

私が毎日使っている言語は、一種記号である

五感で得た情報を司り、言語という枠を使って漠然としたイメージ表現する一種記号である

言語は想起のための指標である。それは経験知識の曳き手であって、イメージリアリティではない。

 書くことは、他者とのコミュニケーション可能であることを前提に、ラベル付けされた一連の記号を用いて、他者に対して主張や理性を主張する方法の一つである

 口頭での主張は、私たちが獲得した仮説推論の致命的な能力と、類似点を見つける病気悪用して、メディアミーム感染させる一種ツールである

インターネットを通じて他人イメージを乗っ取ることを意図して書かれている。この思索は、言語というナンセンス方法を使っているので破綻している。

       自由幸福は、自分の手に負えないもの無視することで得られる。


 これは古代ギリシャ哲学者エピクテテスの発言です。これは権威的な重み付けのための引用であり、特に意味はありません。

松井秀喜がこのストイック哲学者と似たようなことを言っていたので、歴史的にも理解できる考え方だと思いました。

言語の美点は、話し手意図した通りに「もっともらしい」もの人間に刷り込むことができることである。ある公理を真理として刷り込み、恐怖や扇動によってその絶対性を刷り込む行為は、様々な組織の中で日常的に見られる。

 そもそも言語誕生は、人間による宗教の獲得と不可分である人間はある時点で、言語を通じて空想力、理性、類似性を見出す能力を獲得し、自分ではどうしようもないことを生活の中に内在化させてきた。

それは例えば、お金権威などの暴力一種であったり、感情という人間状態一種であったりする。

すぐには永続させることのできない現象が、言語という記号を使って他者と共有されるようになったのである

それだけでなく、活版印刷インターネット技術革新によって、言語は時空を超えて広く、長く保存されるようになりました。

それと引き換えに、宗教絶対性を広めることで、言語習得デメリットである上記のような制御不能事象を打ち消そうとする試みがなされたのである

上記記述には何の根拠も示せないので、適当な本やネット上の類似情報相互参照して、ご自身結論否定判断にお任せすることにします。

エピステーム

 精神病についての深い考察は、ミシェル・フーコーの著書をお読みください。エピステームという重要概念提唱されています

エピステーメとは、ギリシャ語で「知識」を意味する言葉をもとにフーコー造語した言葉である簡単に言えば、私たち認識形成される知識の枠組みを指す。私たちの知覚は、私たち経験から直接、媒介されずに得られるものではありません。私たち経験はすべて、私たちが持っているある認知的枠組みに適用されたとき知識となるのです。

 そもそも精神病」という名前を使うのはよくありません。何と言っていいのかわからない。ラ・ラ・ラ・ラ・ラ。なんだっけ?

インゲニヤトー

 1213世紀ヨーロッパでは、労働組合倫理規定により技術開発が停滞していましたが、後のルネサンス期の15世紀には、相次ぐ戦争対応するために様々な技術が開発されました。この時の新技術はインゲニウムと呼ばれていました。その技術を開発したのがインゲニウム・トーである。インゲニウムは、今日エンジニア語源です。レオナルド・ダ・ヴィンチもインジニアトールの一人でした。

 レオナルドの写本の中で最も有名なのは、アトランティコ写本とマドリッド写本である。彼はすべてのもの描写するために、フォトリアリスティックな絵を必要としていました。言語のような一対一の記号ではなく、より具体的なイメージを捉える方法必要だったのだと思います

 ピクトリアルジオメトリという幾何学技法がありますガスパール・モンジュによって確立され、産業革命期にエコール・ポリテクニークで教えられました。ルネサンスの数世紀後には、主に軍事目的であったが、イコノグラフィーが導入された。

2021-03-03

ヒプマイにはまりつつあったのに冷めた話

ヒプアニというネタアニメファンの皆さんゴメンナサイ)からまりハマりつつあったヒプマイというコンテンツですが、調べれば調べるほど熱が冷めてしまいとても寂しい。

女尊男卑という謎設定やその設定の甘さにめまいがしてきた。

ぶっちゃけ男性が考えたよねこの設定。

もしくは男尊女卑さらされた事のない女性

作りこめば作りこむほどコンテンツとして消費できないほどグロくなるから甘い設定にしたのかもしれないけどだったらそんな設定にしなければよかったのにとひたすら思う。

この辺はネット意見を読んで激しく同意する部分。

ていうか女尊男卑なのになんで領土の奪い合いという政治的な部分を『男なんか』に任せてるの?

個人的に一番ここが気になる。

結局男が政治的に主役だからだよね?

これが別区画への渡航権をかけてラップバトルを行うとかの設定だったらまだわかるけど、結局政治的で一番大事なとこは男の争いで成立させてるじゃん。

結局女に政治は無理って言ってるの?

いやさあ、書いときながらアレだけど上記は考えすぎだとは思うよ?

正しいかわかんないけど女の投票?という形で主導権は女にあるようには一応見えてるから

(でもアニメだと精神の殴り合いだったし男同士のファイトで結局決まってるのかも?)

でもそんな大事なこと投票で決める?

領土だよ?

これが男性しかいない区画内での話なら分かるけど現代社会と遜色ない生活区域領土でしょ多分?

いきなり渋谷区民が新宿区民になるようなものだよね?

女の皆さんはいいの?男は女の決定に従うしかないんだとしても女の皆さんはいいの?

色々裏の設定を考えることは出来るけど表面的に考察するならそうなるよね?

バトルのたびに区役所行かないといけないの?

あとバトルもさ、バトルを眺めつつ女性たちが賭け事をしたり男娼を侍らせながらバトルショーを楽しむとかだったら女尊男卑の設定の意味も出てくるけどアイドル化してちやほやしてるだけじゃん。

今はもうその辺の設定消えたくさいけどさ。

ただペットとして可愛がるみたいな、人として認識されていないような空気感も感じるからその辺は女尊男卑な気はするけど、そういう見方をするとキャラクター応援しているつもりが性的に消費する立場になったみたいでちょっと悲しくなる。

そういう意味では元々設定が肌に合っていないのかもしれないからそこは言及しない。

ていうか設定普通にディビジョンバトルだけでよくなかった?

都市間独立運動が加速し、日本という枠組みが崩壊して準独立国家という枠組みが形成されて、準国家間武力行使した争いを避けるために定期的に代理戦争としてラップバトルを開催とかでよかったじゃん。

優勝国家には次回開催までの間、国家間関税一定税率まで引き下げとかでよかったじゃん。

それなら普通に応援できたのに。

まだコンテンツ全部確認したわけじゃないから誤解とかあるかもしんないけどバックグラウンドが甘いコンテンツはなんかのめり込めないので頑張ってほしい。

解釈違いとか勉強不足とかあるかもしれないのでそこは先に謝りますゴメンナサイ。

なんで耳無し芳一はウマ娘じゃなかったんだろう

耳無し芳一がウマ娘だったら全部解決してたという事実存在し震えている。

 

根拠1:馬の耳に念仏

馬の耳に念仏 なので耳にお経を書いても利き目がないな…と和尚が思うのは仕方がない。

まり和尚ミスケアレスミスではなく考察考察を重ねた結果の判断ミスとなり「うっかり和尚め!」なんて思われなくなる。

これでまず和尚が救われる。

根拠2:ウマ娘人間より相当速い

まり平家怨念が迎えに来ても逃げ切れる。怨念といっても所詮人間の霊。人間ときがウマに脚の速さで勝てるわけがないのでこれで芳一が救われる。

根拠3:そもそもウマが琵琶を引いてなんかする時点で話題なので和尚が耳なしマーケティングに手を染めなくても済む

これは「耳無し芳一、和尚マーケティング説」に対して。

ゴールドシップがなにかおかしなこというだけでTwitter話題になるんだから耳なしマーケティングする必要がなくなる。

 

 

以上から、耳無し芳一がウマ娘だったら全部が丸く収まったことがわかる。

でも現実に耳無し芳一の話は残って我々の世代に伝わっているので残念ながら耳無し芳一≠ウマ娘ということがわかってしまう。

残念だ。

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