はてなキーワード: 考察とは
わからんでもないけど、俺の個人的なこだわりとして自分でクリエートをしてない奴の評論に価値を感じないというだけ(それが評論として優れていたとしても)。
わからんでもないような気もするけどやっぱりよくわかんないな…。
何かをやるとき、これをやることで自分はどういう価値を感じるか、ということをなんとなく決めてからやると思うんだよね。
それが見込みと違って納得できなかったらやめるだけかなあ。
俺自身は考察みたいなのは好きだけど、単に楽しみでやったり見たりしてるだけで、人格を掛けてやるみたいな発想をしたこと自体が無いからピンとはこないんだよなあ。
アニメに関わらず(上手い下手の問題ではなく)自分でクリエイトをしないキュレーターや評論家みたいな人たちも理解しがたいし、楽しくてやる分にはいいけどそれをアイデンティティの拠り所にするのはどうなんと思う。
エヴァのネタバレ·考察をポストやら、ツイートやらした者、ブクマした者は、今後一切!一切!!緊急事態宣言中の他人の行動に!!文句を言うな!!!成人式を中断しなかったことにもな!!!
緊急事態宣言下に、人が外出をすることを助長するようなことを(ネタバレばっかだから早く見に行かなきゃという心理の促進)、公共のインターネット上に公開する。最低です。大人のすることではない。
これから当該ポスト記載者のID、ブコメやリツイートしたもののIDは確保します。全て確保し、それらのIDが今後吐く緊急事態宣言下における他人の行動に対する文句について、全て監視する。言おうものなら、君はむしろ共犯者側だろうということを指摘します。再認識していただきます。
そこんとこがよくわかんないんだよなあ。
資本主義社会で「他人の養分」になってない活動なんてほとんどない気がするけど…。
庵野が「俺はお前たちの味方だぜ」みたいな雰囲気を出してやってた(あるいは少なくともオタクはそういうつもりで付き合ってた)ということか。
それならわからんでもないな。純粋な消費のみの趣味というのはその辺が苦しいのはあるよな。消費からなんらかクリエーションに繋げれば別にいいと思うけど。
でもそれで「消費型の遊びは全部ダメだ!真人間になり正しい人生をやらなければ!うおお!」となるのはオタクっぽい極端な思考だなって気がする。
問題ないよ
そもそもメカや組織で大事を成すという描写がすぐれている(ウケている)のであって
SF要素なんてぶっちゃけオマケみたいなモンだから。最初からな
ただ今まではフレイバーでも考察ごっこができる程度のことはしてきたけど
破ーQーシン でそれすらブン投げた
なるほど…。
でもそれを言ったら人間のあらゆる活動は不毛じゃんとしか思えないなあ。
別に恋人とアイス食って美味いねとか言ってるのとエヴァの考察で色々想像力を働かせて楽しむのとで、不毛さに差があるとは思わんけどね。
「考察」してたオタクたちは「恋人とアイス食ってる方が優れている」という主観的価値観を持っていて、それを薄々自覚しながら「考察」をやってたということなのか。
まぁ2,30代ならマジで考察してたとしてもまぁこれ遊びだからなって切り替えできそうだけど、4,5,60代で青春を捧げるくらいマジな人がいたらと考えると、かなり胸が痛くなる。
庵野の口から新劇場版のタイトルにあった(Not)←コレについて情報がほしい。
ホントは語ってほしいがあいつにそんなものは求めていない。ヒントでいいからくれ。
ネット上のいろいろな考察は、あたりまえだが考察の範疇を出ない。
例えば(Not)有り無しが交互に上映されているなどの考察がある。
というか多々見かける。自分もそうなのかなぁなんて思っている。
だからQの予告がへんちくりんだったのか!と納得できなくもない。
「考察をするならば大人でない」または「大人なら考察しない」という命題を真だと思える根拠がよくわからんな
もしかして、考察って楽しいからやってるんじゃなくてそれによって何らか「救われる」とマジで思ってやってた人たちがいるってことなのか?
社会不適合者じゃなかったとしても、ゲンドウがあんなにエヴァの設定面の話を怒涛のようにした後に、シンジに一言「お父さんは何がしたいの?」と言われて負けたシーンを見た後にもまだ考察続けられるのが凄いなと思って。
エヴァには反社会的な客が多いはずがまさかあんな真人間になれって内容になるとはね。
25年で大人になれたファンは受け入れられたけど、ゲンドウメンタリティのファンはゲンドウ共々シンジに粉砕されて終わるという。
庵野が昔から「オタクども、彼女作れ!現実見ろ!アニメ趣味やめろ!」ってメッセージを発信してるのは分かるよ
でも旧劇の時の庵野は30代の鬱病男性でこれからアニメ監督として軌道に乗れるか未知数で
当時のファンは庵野の煽りに元気に言い返したり夜通し考察したりヒロイン論争する体力のある若者だったけど
シン・エヴァの庵野は60歳、理解ある嫁ちゃん持ちで鬱抜けして新劇とシン・ゴジラは大ヒットでウルトラマンっていうでかい仕事も内定してる
シンジくんくらいの歳の子どもがいる人もいればコロナ禍で貧困にあえいでたりもはや周囲も何も弄れなくなるほど独身こじらせてたりする奴もいるわけで
その状況で昔と同じノリでオタク結婚しろって言われてももう同じようにプロレスできないわけよ
分かってやってるのかね
設定の考察とかはありません
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第3村あたりでは鬱状態のシンジとトウジや委員長、ケンスケとの対比から、いい加減子供のままじゃなく大人になれっていう喝入れのメッセージかと思ったね
もういい年だろ、そろそろエヴァから離れて自分の人生を歩めみたいな
カーク船長(役の)「自分の人生を持て。あれはただのテレビ番組だ」
のような
違った
これはそのままでも受入れてくれる
誰かが見てくれている
守ってくれていることを伝えたいのだ
世話焼きおばちゃん達がしきりにアヤナミを気にかけていて分かりやすいが、人と繫がり助け、助けられる、関わり合っている
決して押し付けがましくないよう、でも分かりやすく人と関わっていくことが人生だと発露したかったんじゃないか
みたいなメッセージを受け取ってしまった人がいたことは他人事ながら悲しいというか悔しいというか無念である
「あー、君は分からなかったんだ。」
というネガなマウントではなく、本当に惜しいというかこの人間っていいよね感を。
分かれとは言わない、でもいいと思ってる人も、実際にいい人も君の周りにいる、出てくるんだと伝わってほしい。
描かれたままを素直に受け止めてほしかった
シンジは切り捨てられたように見えて、皆から気をかけられ、陰日向なく意識を向けられている。
でも意識を向けられているのはスクリーンを見ている自分も同じで
1人ずつ大小、山谷、深浅あれど1人でやれてきた奴はいなくて必ず人と関わってきた
そんなやつ誰もいなかった!
という声を、25年前の自分はあげていた
そこで死んでればそのとおりだったかもしれないが
死ぬでもなく生きてしまヘば誰かに支えられてきたことにバカでも気づく
庵野も大変な思いをして、のりこえてテレなく作品にすることができたんじゃないかと勝手に思う
ずっとエヴァを追ってきた人へも
本作に色々言いたいことはあるけどそれとは別に
「庵野は結婚して幸せになったからアニオタに説教し始めた!」っていうのを既定路線にしようとしている論評が目に付き始めた
なんか流石にアホだと思うわ
庵野はずーっと同じことを言っている
5年も前だよ
その旧劇のオチが「アニメばっか見てても仕方ないから現実見ろ」だったじゃん
キレるならそこで終わりにしとけよ
旧劇とシンで一貫して「アニメばっか見てても仕方ないから現実見ろ」としか言ってないんだよ
虚構度を上げて優しい話を作ってやった
それだけやん
お前らがマトモに人生送れなかったから庵野を逆恨みして「結婚して幸せだから俺らを捨てたんや!」というストーリー作ってるけど
お前らは庵野への逆恨みで真面目なオタクとしての考察能力すらも投げ捨てるのか
つまんねえなあ
エヴァというコンテンツをカップリングでしか見てない人がこんなにたくさんいることに心底ガッカリした。
どのキャラがどのキャラとくっついただけで許せないシンエヴァは糞!と言い放ってるオタクばっかり。
カップリング厨という楽しみ方を否定しないけどその要素だけを追うのはめっちゃ気持ち悪いと思ってたけど、シンエヴァで決定的に気持ち悪いなと思った。
エヴァの戦闘描写についての批判が多いけど、制作側からのメッセージにとれてしまう。
カップリング厨と考察厨を潰しにかかってきたのは明白だから、女と謎っぽい部分さえ抑えてれば他はどうせ見てないんでしょ?というメッセージだと思った。
カップリング厨のオタクには乳を揺らして尻を描いてれば満足するんでしょ?と煽り、考察厨には徹底的に猿でもわかるように画面で表現せずに、キャラクターにセリフで1から10まで説明させる。
あとは無駄にオタクを喜ばせすぎないというのも意識しているのかと。旧劇場版のようなクオリティの高いアニメーションを作ってしまうと、卒業させたいエヴァオタク達はあそこの作画は良かった〜と今後も語り続けてしまうから。
旧劇場版の薄いやり直しだという意見もここに通じるかもしれない。
何年も経過している旧劇場版を未だに祭り上げているオタクに対する嫌がらせのように思った。
いつまでも昔のアニメを絶賛してないで、現実に向かいなさい!と言われているような。
オタクはクソだった!と言うのは得意だけど、どこがどのようにクソだったのか言語化できる人が少ないのでもう本気でエヴァを卒業して欲しかったんだなと読み取った。
あと、いわゆる旧劇場版のような「えぐい」描写をしてしまうと今後も何十年もあのシンエヴァの「えぐい」描写はよかったよね〜と悦に浸るオタクを生み出してしまうから。
そしてここまで突き放してもらってもなお、「批判派の俺らは少数派なんだよなぁ〜」と言ってしまうオタクがいる。
取り残されてしまっている。
大勢の人はエヴァを思い出にできたのに、選ばれしオタクだと自分を評価しているオタクはここでも救われることができなかった。
安野モヨコが現実に向かうエネルギーを与えられる作品を作れるのに、僕庵野はそれができなかったと言っていた。現実世界からの避難所にしてしまったとも。ようやく25年のエヴァを終わらせたのにいまだにエヴァの世界に避難してしまうオタクがいると知ったら監督はもはや呆れるんじゃないか。
ここまで懸命に自分が生み出した化け物オタクを全員救うことはできなかったけどたくさんの人を卒業させてくれる作品でよかったね。
始める奴等が押し並べて俺と反りが合わなそうな連中ばかりだから。
実際観れば面白く感じるんだろうな、とは内心思うのだ。
(実際筋金入りのゴジラファンだからシンゴジは仕方なく見たが、
なかなかどうして素晴らしい出来で劇場に5回も足を運んだ。)
たた、どうもファン層を観てると「あの一員に加わりたくないな…」
この話をすると「創作に対する接し方が間違ってる」
かなり痛烈な批判を頂戴することもしばしばなんだけど、
それで余計に意固地になって観てやるもんか、ってなるんよな。
これって駄目なことなんだろうかね。
増田だからどこにも書けないオチもないお気持ちが読める。それを好きじゃないというのは自由だけれどそれを好きな人もいる。
ブログ文化が廃れてしまったから、じっくりした考察を捻出する場所も無いんだよなあ。それも好きなのだが。
そもそもインターネットの文章が、飲みネタには重すぎるが寄稿するには浅い未成熟の何かが奔流している場所だった。探し方見つけ方は変わりけるが、自分の探しているものを見つけなければただのゴミ箱なのは変わらないでしょ。
いやー、まずは自分がどう思ったかを書き記したいでしょ。その気持ち自体は存在はする。
きれいに終わったらしいので、だからこそ考察よりもまずは積もり積もった思いと今回の印象について熱いうちに書き記してあとから作品と照らし合わせて色々考えたいじゃん。そういうものを書くのに SNS は適していないし、増田はめっちゃ適しているし、まあ仕方がないんじゃないかな。
というか今日一日追跡してて分かったけど、思いのほか事実よりも「自分がどう思ったか」をメインとして記事書いてる奴ばっかで考察とかの記事的な価値ゼロやなって思ったりした。
作中の事実を並べて新事実を浮かび上がらせるような遊びをしてる人が少ない。今回のエヴァだってそれなりに情報強度はあるはずなのに。
エヴァという作品は今やファミレス5大チェーンとコラボして、映画版を金曜ロードショーで繰り返し放送して、ランチパックのパッケージになってユニバにアトラクションができるような大衆向けエンタメ作品なの。
で、旧劇場版やテレビ版なんて見たことないやつもうじゃうじゃいるコンテンツなわけ。
お前らが選民意識丸出しでデュフデュフ言いながら見てオタク同士で考察()したりエヴァがわかる俺私カッケーと玄人ぶりながらも家でエロい同人誌で楽しめる作品じゃなくなったの。
旧劇と同じくらいかそれより尖った作品を新劇場版のエヴァでやったらキモいオタクを喜ばせちゃうわけ。選民意識刺激しちゃうからね。
庵野はそういうオタクにずーーっと拒否感丸出しどころか旧劇場版でしっかり拒絶したのにまさか気付いてないの?
人間は変わるもんなの。クリエイターとして作るものも変わるのわかる?
旧劇の焼き直しとか劣化版とか抜かしてるやつは、旧劇の実写パートをもう一回見て風立ちぬ見て監督不行届のコミックス隅々まで読んでガイナックスに関してのインタビューも読んでエヴァのコラボ検索しなよ。