はてなキーワード: 交流とは
もう2年も経ってんだから、てごしとこやまが他の人も交えて一緒にゴルフ行きました〜ってだからなんなん?って話だし、てごしもこやまも自分で名前だした訳じゃなく一緒に行った人が2人の名前を出したので、2人にやめろって言うのはなんか違くないですか〜……?って思った
・2人が仲良くしてんのが嫌→嫌と思うのは自由だと思う
・2人が仲良くするの嫌だからやめろ→嫌と思うかはそれぞれなのでそんなことを強要しないでくれ
・てごしがインスタで匂わせてんのが嫌→顔出せない人、昔からの戦友、くらいの書き方なら仕事一緒にしてた裏方のスタッフとか可能性は全然広いので、脳内お花畑と言われたらそれまでかもしれんが匂わせとは私は思わなかった というかてごしが「匂わせ」とかまで意識できるほどずる賢いと思えない単純なので 感じ方はそれぞれ
・ファンの気持ち考えろ→嫌じゃなかったファンもいるのでその発言は主語がデカすぎ 「私の気持ち考えろ」か「嫌な気持ちになるファンも居ること考えろ」が正
・ますだの気持ち考えろ→あなたはますだじゃない ますだの気持ちはますだしか分からないしますだが処理することなので勝手にますだの母親になるな
・ショック、知りたくなかった→そう思うのは自由 これ書いてるのもそうだけど騒いでごめん
一緒にゴルフ行くのが完全に良い事とは思わないけど、誰が誰と交流するかは個人の自由だしそれを見て誰が何を思うかも個人の自由
でも誰が誰と一緒にいるかを周りが決める権利はないんじゃないのと思う
嫌と思うのは悪いことじゃないので、嫌な気持ちになって自分が心狭い人に思えるからって(今回の件のゴルフ行っただけという)悪いことした訳じゃない人に嫌な気持ちになった責任を求めて批判する人をみると違和感すごい
名前出した人も名前出さない方がいいかなんて外野にはわかんないだろうからあんまり責めないでほしい
あとすぐにますだのことを勝手に可哀想がってますだの気持ちを断言して母親ぶるな
てかもうあれから2年も経ってんの信じられん
増田が書いた内容は『お外に出るとか人と話すが主目的になってる』になってるよ
精神科デイケアとは?
精神科デイケアとは、分かりやすくいうと「精神障害のある方が安定した日常生活や社会復帰を目的とした通所型リハビリテーション」のことです。精神科デイケアでは、精神疾患の再発防止や生活リズム改善、対人関係スキル向上などを目的に、人との交流や各種プログラムへの参加など通じて、リハビリテーションを行っていきます
お外に出る・人と話すが問題無いと医師に判断されている、自己認識出来ているなら、
デイケアじゃなくて就労移行訓練とかすると思う。就労移行訓練の中でもソーシャルスキル(対人スキル)の向上がどうたらってやるぞ
これも良い悪いについては言及しないがこういうことやるみたいね
こないだフロマさんが営業きてたので思い出した、棲み分け方法は悩むなぁとおもった話。
自分は今A×BメインでB×AやA×B×Aもがつがつ読むし
同ジャンルで最大CPなC×DもD×CもC×D×Cも供給楽しむし(たまにAB関連より多すぎてうんざりするけど)、
ネタが降りたらA×B+C×Dの同時成立にひきよせて書きたい人間。
最初のツイ垢は(ABCDのいるαジャンルとは違う)ジャンルβ、γで最初につくった。今はβ、γに公式供給がほぼない(グッズも過去画像使いまわし+全体絵1枚程度)ので休止寸前の日常垢化している。
その後αにハマったときになんとなく2垢目をつくった。交流もつぶやきもA×Bメイン。だが頻度高くごたまぜRTするのでフォロー時RTミュート推奨と注意書きしてある。鍵垢ではないのでフォロー数は少な目だがリスインして無言で読んで下さってる方もいそう。
なおツイ複垢について
ツイは2015ごろは複垢禁止だったが、現在は青なんとか識みたいに攻撃的行為(なりすましや炎上)目的でなければ複垢は認められているhttps://help.twitter.com/ja/safety-and-security/report-abusive-behavior 「ツイッターが別アカウントの作成を妨げない理由」参照
p支部は一アカウントしかつかっておらず、αβγごちゃまぜでなげこんでいたが、さすがにエロありで逆カプをまぜるとどちらにしろ辛い人が多いとおもって最近、D×C(ポロッとできた)だけ垢わけした。
P支部の複垢についてはhttps://policies.pixiv.net/ の11条参照。必要性とはまさにこの逆カプがあたる
こういったときにどうピクシブとツイを相互作用させたらいいかがわからない。うーんうーん。
・そもそもC×D>>>>D×Cというくらい大量の投稿量の差がある場合、「どっちでもいい人(どっちのエロでも読める人や、エロ自体が苦手だがD+Cが読みたい人)」はたいていは投稿量の多い方を使う傾向がある(自称にしろ、検索にしろ)。
そんな傾向のなかD×Cにいる人はC×Dを目に入れると痛い人である。摩耗に耐える分、高い割合で神作者であったりもする。
なのでC×Dを書くときだけは分けようかなとおもった。
・そもそもそれやるならB×Aをかいて垢わけしてD×Cもやれというのが本筋だと思うのだが
B×Aはなんとなく読んでもすんなりこない。自分で書ければすんなりくるのかもしれないが、解釈違い。
もしかすると自分は出来のいいA+Bのエロにおわせ(エロ部分は朝チュンで受け攻めは謎)が一番読みたい・書きたいようだ。
でも両タグつける勇気がないんだよなぁ…わからなくしても他作品をたどってA×BやB×Aがあるとそっちと同じものだと解釈されてしまうらしいし。
もう考え疲れたからいったん寝る…てかジャンル分けCP分けって必要あるのか…うちの本がなんでも読みたいやつだけついてこいって言える筆力があればいいのか…なんだろうな…
アニメとかでなんかベテラン風のキャラに接近するとかで、主人公格の青年とか少年とか少女とか、そのくらいの人物が
なけなしの金を使って安いけど相手のことを思いやっておごるシーンとかあるじゃん
でその流れで、年梅キャラが笑うのが気色悪い。
その手のやつって、まあそうやってキャラ同士の交流で仲良くなることを描いているシーンなんだよね。
ムッスリしてたりとか、気難しい風の年配キャラが、可愛げのある年下キャラに奢られて、「あー、オイラはこんな年下に気を使わせてしまっていたんだな〜。わるいなー」みたいな感情を含めた苦笑いだったりするんだけどさ。
キャラによってそのへんの動きって機微が違ってくるはずなんだけど、どれもこれも半をしたふうに同じ動きと同じ笑いしかし無いんだよなぁ。
お前誠実キャラで動いてきてたのに、なんで若年者のなけなしの金で買った缶コーヒーを笑うんだよってなる。
普通、若年者相手に気を使わせてしまったらもっと、申し訳ないとかの感情のほうが先に立つし、その心遣いを汲み取って微笑んでありがとうくらい言うものじゃないのか。
いやキャラによるんだけどさ、この手のシーンに出てくる年配キャラなんて、気むずかしいやつとか、神経質だったり誠実性の高いキャラなことが多いわけじゃん。
そういうキャラが、若年キャラに奢られて、笑うって動き。やっぱりしっくりこねーんだよな。
普通に微笑んでありがとうで良くないか。なん、あっはっはっは。とか笑うんだよ。笑い事チャウで。お前が年配者のくせしてコミュ障炸裂して仏頂面引っさげてるから若年キャラが身銭切っておごっとるんやぞ!
っていう、腹立ちが全面に出て、ほのぼの交流を描いてるつもりなんだろうけど、はなしがはいってこないんだよな。
あれなんなん。シナリオ作ってるほうはなんも考えてないだけなんだろうけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220504222630
ほんまこれ
それ以外はなんかよくわからないこと言ってるな
ブクマカはいちおうフリーランスで生活できている人がいるはずなのだけどフリーランスって言うほど上からイケるか?
勉強会・交流会に参加して法人でなくフリーランスってだけでスッと相手の心が離れたの感じたって経験とか無いのやろか?
つかワイがパートナー選んだりする時だって、よほど予算が厳しいとか、よほどハイスキルな人じゃないと、
そしてエージェント仲介して働くとかだと実質的に労働者の権利・補償が削られまくった派遣と変わらんやんって話なんやが???
権利・補償が削られまくっても似合うくらいの年商あげられたらそれでも良いけれど、
600万とか会社員で頑張ったらいけそうな年収が年商の人も多いんじゃないかなぁ・・・
あと個人事業主や小規模な会社相手ならフリーランスでも直接相手にしてもらえるけど、それはそれはしんどかったけどなぁ・・・
サラリーマン社長やサラリーマン担当者と違って、経営の失敗が自己破産に繋がりかねないのでコストにめちゃくちゃシビア
副業で、ホームページ作ってあげたり、キャッシュレス対応してあげたり、情シスがいない会社の相談事に乗る解決するみたいなことしてあげてたけど、
まぁフツーに投げたよね、本業頑張るか英語を頑張った方が良いってなった(なお頑張ってない)
ひとりでやればまぁそこそこのお金にはなるものの、小規模企業のオーナーの相手がとにかくメンタル削られる
彼・彼女らをイイ感じであしらってくれる営業担当が必要だけどそうするともう利益なんてゼロよね
なのでフリーランスでやっていけてる人尊敬するけど、どう言う立ち位置だと上からもしくは対等な目線になれるんやろか?
アーティスト業の人とかなの?それとも士業とか?
「労働とは尊く、神聖な行いだ」とか言ってくれる宗教があればよかったよな。
労働のために休暇を取る。労働を促進させるために趣味に勤しんだり、友人や恋人と交流する。労働を持続させ拡大するために、子を作り増やす。
そういう宗教を国教にしてくれれば、日本人もさぞ勤勉な国民になっただろうに。
一日8時間以上の労働が、尊い時間になり、もう少し苦痛も和らいだかもしれん。
お涙頂戴のハートフルなファミリードラマで「労働ばかりで家族をないがしろにするのは許せん」という風潮も生まれないし、
「仕事と私どっちが大事なのか?」と問う恋人もいなくなるので、安心して労働に励める。
幼い頃にそんな風に洗脳されていればよかった。
今回、初めてスパコミに出た。
好きなキャラへの愛をこれでもかと詰めて作った本で、そこそこの数を手に取ってもらえて、嬉しかった。はずだった。
その人はバドエンはもちろん死ネタ、グロ、スカ、割と何でもアリな人で、そういうのが好きと普段から豪語してた。でもジャンル内でも割と大手で、交流上手な人で、フォロワー数も多い。
私とは真逆の人だった。
もちろん他人の趣味を批判するつもりは一切無い。でもその人の描く本や話の傾向は私にはどうしても受け入れがたいものだし、大手だし人気な人だからと、しばらく見ていた時期もあったけど、結局その人の日常ツイも肌に合わなさすぎた。本当に苦手なんだと分かって、だから黙ってミュートしてた。
これが前提。
あなたの本買いました!サンプル見たときから楽しみにしてました、とっても好きです、買えて嬉しいです!みたいなリプだった。ミュートしててもリプって通知くるし見られるんだな…と思った。
でもすごく嫌だったし、正直ショックだった。
私にとって本当に苦手な死ネタとかグロを愛する人が、私が真剣に描いた本を楽しめるのか。そんなことあるはず無いって思ってしまう。私があの本に込めた思いを、きっと本当の意味では分かってもらえないと思う。
買えて嬉しいですとリプをくれたその人はとても善良で、一切悪気はないと思う。自分の趣味と少しくらいズレてても気にしない、色んな本を楽しめる性格なんだろうし、きっとその方が幸せだと思う。
私は小心者なので、リプを無視なんて出来なかった。びっくりしました、手にとってくれてありがとうございます!と当たり障りのないリプを返した。フォローされたことについては触れずにおいた。私みたいな弱小がフォローしてもらったこと、普通なら喜ぶところなんだと思う。
でも本音を言うと、まったく嬉しくない。あの人のことブロックしたい。
せっかく買ってもらった本だけど、あの人の手元に自分の本があるのがすごく嫌だ。その人には私の本を触って欲しくないとまで思う。手元にあるなら燃やして欲しい。払い戻しなら喜んで受けるから、私の本を手放して欲しい。
私の推しキャラを殺して痛めつけて喜ぶ人に、私の本を渡したくない。そんな人に向けて描いた本じゃない。
二次創作で肌に合わないものに触れたとき、not for meで離れろ、という格言めいたものがあると思う。私の場合、not for youだった。
あなたのための本じゃない。
事前にブロックしておかなかった私もきっと悪かった。
ブロック、相手の存在を否定するみたいで苦手だからしてなかったんだけど、ブロックもひとつの優しさなんだと今なら思う。会話なしに、あなたのことは苦手なんですと事前に伝えられるから。
あなたも私も趣味は違うけど、それぞれ関わらず楽しんでいればそれで良いよねと思ってミュートでとどめていた私が失敗したんだと思う。
タイミングの良いことに、ツイッターでサークル機能が実装されたと聞いた。
あの人にフォローされた瞬間から、自分の好きにツイート出来なくなってたから、ありがたいなと思った。サークル機能なら自分が好きだと思う人にだけ自分のツイートを公開できる。
私のツイート、あの人には見て欲しくない。not for youだ。
頒布する相手を選べたらよかった。でもそんなことは無理だ。イベントだって通販だって、相手が誰かなんて分からない。
でも、本を頒布するってそういうことだ。自分の手元を離れたらもう自分のものじゃなくなるんだなって思った。
今回の本、好きな人たちに渡せたのはよかったなと思う。普段から交流してた、趣味が合うなと思ってた人にも渡せた。嬉しいなと思った。
でももしかしたら、その人だって義理で喜んでる姿を見せてくれてるだけかもしれない。だって私だって、あの苦手な人からのリプに「有難うございます」だなんて思ってもないことを書いた。他人が本当に何を考えてるかなんて分からないもんね。
イベント以降、こうやって悶々と考えて、何だか気が滅入ってしまった。
もしかしたら、あの人は私の本を心から楽しんで読むんだろうか。本の読み方は自由だし、その人が楽しめるならそれはとても良いことだと思う、一般的に。
だからそれを嫌がってる私の方が道理が通らないのは分かってる。おかしいよね。だって本は手に入れた瞬間からその人のものだもんね。著作権的な話じゃなくて、所有権の話。捨てようが燃やそうが、大事にしようがその人の自由だし、対価を受け取って本を渡した以上、私には何も言えることなんてないし。
もし、ものすごく楽しんだよって感想をもらったら、私のこの感覚も変わるのかな?私の描きたかったこと伝えたかったことを、その人が寸分違わず受け取ってくれてしまったら、私どう思うんだろう。伝えたいことが伝わるのはきっと嬉しいと思うけど、やっぱり、あなたに楽しんで欲しい訳じゃなかったって思うのかな。よく分からない。とはいえ、感想なんて来ないと思うけど。
少なくとも、同人誌の頒布は私には向いてなかった。もう頒布はしないと思う。今後も好きなものを描くけど、でも頒布に付随する色んなことに対する認識が私はとても甘かったなと思う。
同人誌、一度作ると次から次へと出したくなるよ!って友達に言われたけど、全然そんなことなかったし、たくさん手にとってもらえたら最高!だなんて、全くならなかった。頒布数が多くなったそのぶん、自分の作品が知らない人の手元で知らない扱いを受けるんだなって実感して、怖さと生理的な嫌悪感が先に立つ。
でも初めて同人誌を作ったのはとても良い経験だった。本自体は、私にとっては最高のものだったし、自分で描いておきながら笑ってしまうけど、何度読んでもすごく好きだし。解釈が合いすぎて笑ってしまう。その本に込められた愛も、自分が一番分かってるから勝手に感動しちゃうし。
だから今後も自分で描いて、自分のためだけに印刷するのは続けようと思う。
でも頒布は、もういいや。
特にまずかったとは思わないし、論調や展開次第ではいいことだったと思う
事後諸葛亮的に「会社代表のアカウントでやるべきじゃなかった」「いっそ自社製品のPRにつなげるとかにすればよかった」とかはなくはないが
そこまでまずかったとは思わない
まあ「問題ない」という結論ありきの感想に見えなくもないがこれも事後諸葛亮かな
「問題ない」の結論の中でもう少し顧客に目を向けた話にはできた気がする
追えてないけど多分この時点で顧客から「漫画や広告に嫌な部分があるよ」的な話は聞いていたっぽいので、そういう客の心情に対する分析があると良かったかも
・スペースを開催する
開催自体はまずかったとは思わない
内容はとてもまずかったと思う
言葉の綾かもしれないけど顧客が言ってほしくないことをいってしまったこと
・謝罪する
顧客のリアクションに対してコメントを出したこと自体は良かった
もうちょっと早いか、もうちょっと具体的だったら良かったと思う
変なセクハラリプが増える前に手を打ててればなあ
あとここまでの流れが確実にブランドにとって悪いから、リプ制限したほうが良かったんじゃないかな
・警告する
警告してくれた事自体は良かった
もうちょっと早いか、もうちょっと具体的だったら良かったと思う
代表の言葉を待ってる人たち、ヒートアップしすぎて自分の読みたいようにしか解釈できない人の割合が高くなっているように見える
鍵垢になった顧客が増えたのも「ほら実際のユーザーがいなくなっちゃったでしょ」「ほら実際のユーザーは文句とか言ってないでしょ」みたいな空中戦を生んでいるように見える
メッセージ自体は誰に向けて何に対して、みたいなのがいまいちはっきりしなくて誰にも正解がわからない
面白がってる人はますます面白がり、不安がってる人はますます不安になる
同上
今後きのこるには、
・離れた顧客が戻ったり対応を見かけてこのブランドを選ぼうと思う客が増えたりする
・危ない感じの外野がいなくなる
あたりが必要になるだろうか
でも今のところ本人やブランドにとって悪い選択肢を複数回選んでしまってるようにしか思えん
ブランドコンセプトは良いと思うし本人にも悪意は全然ないと思う、当然顧客も全然悪くない
どうずればいいのかね
「プリキュア」「ワンピース」など、東映アニメーション4作品の通常放送再開が発表 「お待たせをして申し訳ございません」
https://animeanime.jp/article/2022/04/06/68680.html
約十年前、曇りだったあの日。新卒で入った会社で人材営業をする日々に疲弊していた頃、新宿駅構内で、あるエンタメ企業の求人ポスターを見かけた。
アニメを作る仕事をしたことはなかったが、興味を感じて応募したところ、あれよあれよという間に内定をいただいた。役員面接はパスだった。
それからの私は、『アニメを作る仕事』に邁進する日々を過ごすことになる。長い時間だった。毎日が修業だった。
数年前、無理がたたって病院送りになった。心も体も限界だったのだ。大したレベルではないが後遺症も残った。退院後も結局、心身の調子は回復しなかった。
それで、退職を申し出て、東京から遠く離れた田舎に帰った(のんのんびよりの聖地が近くにある)。今はお堅い仕事に就いている。
十分な時間が過ぎた。そろそろ、当時を振り返ってもよいのではないか。あの日々への整理を付けられるはずだ。今から、エンタメ企業のアニメ部門で○年の時を過ごした男の話をする。
この記事で述べたいのは、シンプルに2点(5/4 以前はシンプリーでした。ブクマでご指摘いただきありがとうございます)。エンターテイメント業界で働いて面白かったことと、つまらなかったことだ。直情的に言うと、『心と体の奥底から感動できたこと』と、『エンタメ業界のほの暗いところ(要するに、こいつらマジでクソだなと思ったこと)』だ。どちらもけっこうな数がある。
それでは、さっそく説明していく。
子どもの頃はアニメが好きだった。一番ハマったのは、『魔法陣グルグル』だった気がする。衛星放送では『白鯨伝説』やCLAMP作品を見ていた。
だが、小学校生活の終わり頃から学習塾に通うようになり、夕方以降にやっているアニメを見れなくなった。中学で勉強漬けの日々を過ごしていた私は、いつの間にやらアニメのことを一切忘れてしまった。
いや、違う。大学の時は、深夜にやっているアニメをたまに見ていた。「コードギアス」「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-」「蟲師」「夏目友人帳」あたりは確実に見ていた。
人材営業の会社で働くようになってからは、金曜日の深夜に自宅に帰った時、疲れ切った頭でテレビを点けて「こんなアニメあったっけ」と、ボンヤリした気分で視聴することがあった。
私はたぶん、アニメが好きだったんだろう。なぜ見なくなったのかと言えば、十分楽しめるだけの精神的余裕がなかったからだ。ならばいっそ、見ない方がいい。中途半端に楽しむのは嫌だ。中学生になった時も、そんな動機でアニメを一切見なくなったのだ。きっと。
そんな私が、アニメーション作品などを作る会社(以下「弊社」という。)に入社した後は、これまたどっぷりと『世界』に浸かることになった。入社から退職まで人事異動はなく、ずっとアニメ製作部門だった。
最初の頃は、アニメ雑誌のインタビュー記事に出るようなプロデューサーその他の足もとで働いた。雑用はもちろんのこと、小さい企画を考案したり、経理その他の事務や、各関係者とのスケジュール調整などを担っていた。ホワイトカラーに毛が生えたような業務内容だ。
ところで、人生で一番最初に携わったアニメは、某少女コミックでそこそこ人気を博した作品だった。タイトルは言わないが、雰囲気は『隣の怪物くん』に似ている。私が入社する半年前から企画が始まっており、当初の担当者から引継ぎを受けた。携わったといっても、スタッフロールに名前が載るわけでもない端役としてだが。実際、大したことはしなかった。やはりホワイトカラーの枠内に納まる仕事だ。
しかし、これは実際に私の世界を拡げてくれた。方々の兵が集まる企画会議に、必要とあらば関係各所を訪問して説得交渉にあたり、お金の雲行きが怪しくなればどうにかやり繰りをする(ダメなら追加出資か企画削減)。ごく稀に、スタジオ等の収録現場では声優の本気と、半面その悲哀を目の当たりにし(ここらへんは後述)、成功した作品の打ち上げ会では、自分達が作った数字を眺めて溜飲を下げる。
長い月日が経って、エンタメ業界に慣れてきた頃だと、新作の立ち上げに、利害関係者間の調整(交渉)に、プロジェクト全体の損益見通しの皮算用に、イベントの企画運営に、ホームページの管理に……とにかく、アニメを見ない日はなかった。
面白かったのは、いろんな業界の人に会えることだ。クリエイターには当然会えるし、経営者にも会えるし、事務屋とも話をするし、現場労働で身を焦がす人も間近で観られる。特に印象に残っているのは、漫画家と声優だ。アニメーターとは、あまり交流の機会がなかった……。
とあるアニメの原作者が一番印象に残っている。つまりは作品の神だ。例の人と呼ばせていただく。
例の人は、ほかの漫画家とは一線を画していた。私がいっぱしに携わったと公言できるアニメは計20本近くになるのだが、その半数は漫画原作である。私達は、最低でも一度は彼ら彼女ら(作品の神)の姿を拝むことになる。機会は少ないが。
原作とシナリオを変える時には事前に伺いを立てるし(ex.某鬼狩りアニメの敵役の台詞である「禍福は糾える縄の如しだろ~」は改変が検討されたらしい。彼が難しい言葉を知っている境遇ではないため)、重要な放送回だと制作現場に来てもらうし、打ち上げその他のパーティーがあれば楽しんでもらえるように最大限配慮する。
自作がアニメ化されるレベルの漫画家や小説家というのは、揃いも揃って個性派だ。めちゃくちゃに大騒ぎをする人もいれば、ひたすら黙って沈思黙考の人もいれば、なんかもう色々とはっちゃける人もいれば、欲望丸出しで悪い意味で子どもみたいな人もいれば、一般企業でも通用しそうな思考や行動の持ち主もいる。
例の人は、漫画家として優れているだけでなく、人格も見識も申し分なかった。落ち着いた性格で、人柄がよくて、教養もあった。話のやり取りすべてが学びに繋がり、励みになった。初めて会った時の吾峠呼世晴さんは、とにかく、これまで出会った数多の創造者の中で抜きん出ていた。
普通、ラスボスの人格の根底を太平洋戦争末期の日本の政治指導者(所謂ファシスト)に置くなど、誰が考えつくだろうか。私は、鬼舞辻無惨の例の粛清の場面を読んだ時、丸山真男の「現代政治の思想と行動」が真っ先に頭に浮かんだ。あの時、脳に痺れを感じたのを覚えている。
この類の書物を読んで、無惨様のキャラクターを作ったのは間違いないのだ。自らを善とするためであれば、どんな言辞をも取り入れ、どんな諫言も亡きものにする。
例として、あの粛清の時に魘夢が助かったのは、「無惨様を肯定したから」だ。「下弦の鬼を解体する」というトップが決めた戦略方針が、たったの一言で撤回された――常なる無謬性がファシズムの基本である。
あの時、「無惨様のキャラ付けは旧日本軍を意識したのですか」と聞いておけばよかった。残りの人生で聞くことができる機会は二度とない。無念だ。
しかも彼等はみな、何物か見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐しさにわななきながら目をつぶって突き進んだのである。彼等は戦争を欲したかといえば然りであり、彼等は戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りということになる。戦争を欲したにも拘らず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにも拘らず戦争の道を敢て選んだのが事の実相であった。政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。
この業界で働いていて、「この感じ、苦手だな」「マジでクソだな」と感じたことは当然ある。字数の関係もあるが、何点かに分けて述べていく。声優の悲哀とか、人間の嫉妬やねたみの話になる。
TVアニメ「CUE!」 [Amazon prime video]
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PNVWC8S
まだ新人だった頃、先輩(兼上司)に連れられて現場を見ることがあった。現場というのは、アニメ制作会社とか、編集スタジオとか、音声の収録現場などだ。
そのためだけに現場に行くのではなく、何かの機会のついでに現場作業の見学を申し出るのだ。それで、不思議に思って聞いたことがある。
「(私達は)技術的なことはわからないのに、どうして現場に行くんですか?」
と。それに対して、彼はこう言っていたはずだ。
「確かに分からない。仮に、目の前で手抜きをされたとしても見抜けないだろう。でも、企画側である俺達が現場に行くことで、『あなたの仕事を見ている』というメッセージを伝えることができる。俺達はこの作品に熱をもっていて、いいコンテンツを作れる未来を目指してる。そういう想いを行動で伝えるんだ」
みたいな回答だった。
これは今の私が大事にしていることでもある。要は、発注側が受注側の実仕事をどこまで見るべきかという話だ。今現在の私は、受注側の失敗が社会的に許されない類の仕事をしている。転職後に大きな失敗をしでかさなかったのは、あの先輩のお陰だ。
さて。私が二十代後半の頃だ。例の先輩と一緒に、声優がいる収録現場に初めて音連れたのは。スタジオに入ってしばらく進むと、小ホールみたいな広い空間(座椅子が並んでいる待合スペース。十数人はいた。ほぼ声優+マネージャー)に出た。その奥に、マイクが並んでいる部屋が映った。木目調で温もりを感じる、しっとりとした空間なのだが、当時の私に予想できるはずもなく。カラオケみたいだなー、とテキトーに想念していた。
私と先輩が小ホールに入るなり、セミフォーマルな恰好の何人かが寄ってきて、隣にいる先輩に挨拶していた。私も混ぜてもらい、名刺を交換した。
雑談が終わって斜め後ろを振り向くと、女の子と淑女が1人ずつ、あとは男の子が1人、まごつくように並んで私を見ていた――人生で初めて見た声優だった。後で知ったが、攻めのある挨拶活動で知られる声優事務所だった。
ひとりずつ私達の前に出てきて、「~~と申します。(簡単な自己紹介)よろしくお願いいたします!」と、ハキハキした声でアピールをやってのけた。そのうちの淑女は、私の着ていた衣服(お気に入りのやつ)と指輪を褒めるとともに、香水をつけていることを見抜いた(やるな……と感じた)。男の子は謎の一発ギャグを仕掛けてきたのを覚えている。
※かなり昔のことだが、内容は一応伏せる。当日記では、声優個人の名前を出すことはない。
私も「よろしくお願いします」と返したものの、微妙な気分になった。たとえ私がどれだけ昇進しようと、彼女たちのキャスティングに関わる可能性は皆無だからだ。まったくゼロではないが……。
例えば、アナウンサーになりたい女子大生は、いろんなイベントにコンパニオンとして参加することで武者修行をするわけだろう。それらのイベントでは、今後関わり合いになる人だろうと、これっきりの人だろうと、あの子達は全力で挨拶活動をしていた。熱意は感じるのだが、やはり私には引っかかるものがある。
こんなことを思っている時点で、私はそういう職業には縁がないのかもしれない。今、私は『効率』という観点で物を考えた。あの声優の子が私に挨拶をしても報われる可能性はないのに、と考えた。夢中になっている人間は効率のことは考えない。やれることをすべてやる。それだけだ。
何かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験をしたことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。
はてしない物語(1982) 上田 真而子 (翻訳), 佐藤 真理子 (翻訳), Michael Ende (原著) P.17
あの子達は本気だった。報われようが報われまいが、声優として活躍すると決めたからには、生き残るために何でもやる。上でURLを貼ったアマゾンのレビューにもあるが、声優は堅気の仕事ではない。勝った負けたで全部決まる。精一杯頑張っても生き残れる保証はない。選ばれた者だけが生き残る――余談だが、あの時の淑女と男の子は今でも活躍している。女の子はだめだった。
さて。淑女と男の子は、実力があるうえに、礼儀正しく、サービス精神も豊富だった。それが生き残った理由だ。しかし、声優全般が行う営業活動には後ろ暗いものも当然ある。5ちゃんねるとかで、たまにアニメ業界の出身者がスレッドを立てて降臨することがあるだろう。
それで、やり取りの中で、誰かが「枕営業ってあるの?」と質問をする。スレ主は「そんなのないよ」「聞いたことない」と応えるのが定番だ。
これは、私個人の日記だ。この際だからはっきり言う。枕営業をしている声優はいるし、やらさせている声優もいる。重要なフォローをさせてもらうが、芸能界の表舞台――ひとつの契約で何百万もの金が動く――に比べれば圧倒的に数は少ない。声優関係のギャラというのは、例えば女性タレントが出るCM撮影や、青年誌のグラビアや、全国各所での公演活動と比べても相当に廉価だ。1回の収録につき数万円以内で呼べてしまう。表舞台に比べると利権は少ない。
それでも、そういうことはある。パターンは簡単に分けて2つ。いっぱしの声優になりたい、もしくは声優であり続けたい者が、キャスティング権がありそうな人に近づいて配役を得ようとする。
スタジオでの雑談や、小さい贈り物や、二人きりでの食事くらいで留めておけばいいものを、一線を超えてしまう場合もある。私が30才を過ぎた頃、例の収録現場で、声優に「よかったらご飯行きましょう」などと声をかけられたことがある(最終的な内訳:男性が2人、女性が5人)。
その際、はっきりと「ごめんね。私にキャスティング権はないんだ」と答えた場合、彼ら彼女らを傷つけてしまう可能性が高い。いや、はっきりいって『侮辱』である。なので断り方が難しかった。「帰って社内会議があるので」みたいな返答をしていた。
これはまだいい。声優個人or事務所の意思の問題だ。「あの役がほしい」とどうしても思っていて、そのためなら何でもやるという覚悟と責任さえあれば、枕営業は罪ではないと私個人は感じる。「この業界は堅気じゃない」とはそういうことだ。
(追記)正直に言うと、私の妻が声優だった頃に食事に行ったことがある。私から誘ったので上の内訳には入れていない。
以上、「この感じ、苦手だな」と思ったことを述べた。以下に語るのは「マジでクソだな」と思ったことになる。すなわち、個人が望んでいる保証のない枕営業のことだ。アニメ業界に限ったことではなく、エンタメ業界には先日話題になった映画監督のような『畜生』が何人もいる。結果を出している人間の一部がやりたい放題やっているのだ。
まだエンタメ業界にいた頃、そんな人間に捕まったと思われる(主に女性)声優の話を聞くたびに胸が痛くなった。このような話題が、どうして私などの塵芥の耳に届いているのか……? そう考えると、さらに心が抉られる思いがした。
おそらくは、やった本人または関係者が面白がって吹聴している。私のところまで噂が届くということは、そういうことだ。いろんな声優の姿が脳裏をよぎった。「あの子は大丈夫だろうか」といらぬ心配をしてしまうほど、当時の私には『噂』がグッサリと刺さった。
さて。エンタメ業界に恩があるのも事実だ。下種な話題はこれくらいに留めておこう。気が付けば字数がない。前後に分けることにする。
【後編】
少し前になるけど増田で弱者男性論が賑わいを見せた奇跡的なシーンがあった
あの頃、恋愛経験者の増田やブクマカの一部が各々の恋愛指南を挙げていた ありがたや
それらを要約すると以下の2点に集約される
”まず女友達を作りなさい”
女性慣れしていない非モテ男性でも、女友達との交流を通じて対女性の免疫と経験値を積み、高望みをしなければきっと彼女が出来る気がするじゃないか
……ん?
でもちょっと待って
そもそも、その女友達とはどこでどうやって作ることができるのだろうか
簡単に女友達から始めよというけれど、そもそも女友達をみんなはどこでどうやって作っているのだろうか
少し考えると、彼女はマッチングアプリとか街コンみたいにオープンに開かれたアクセス手段が周知されているけれど、
翻って女友達となると、どこへどうやってアクセスしたらいいのか全然わからないぞ
お互い結婚の意思があるため、少しずつお互いの両親と会っていこうということで、手探りながら交流を開始した。
彼氏は東京のお上品な街で生まれ、医療従事者の父と音楽家の母から生まれたとてもお育ちのいい人である。
反対に私はどうか。
父は半グレ(ほぼグレ)、母は水商売しか経験のないホステス。今だにバブルを忘れられない派手な見た目でずっと足立区にいる。
親族では私が大学進学そして卒業、さらには大手に正社員として採用されたことがビッグニュースになるくらい低学歴な一族だった。
というか、平成なのに同世代の親族ほとんどが小卒ってどういうことなんだよ。
ろくにグレることもできずに、中途半端に暴走族やヤンキーやってその世界で大成することもない人たちばかり。
東京リベンジャーズやクローズZEROの世界線のがよっぽどマシだ。あの世界のモブにすらなれないのに、繁殖力だけはあるしょうもない人間を量産している一族である。
と、自分の一族からは色々な迷惑を被っていたし、世間様にも色々ご迷惑をおかけしていたので、出来れば縁を切りたいと思っていた。
ひょんなことから出会って交際して、まあ結婚するかわからないし、なんて交際を続けていたらいよいよその話が出てしまった。
そして彼氏の実家に行って、圧倒的な育ちの違いを感じた。全てが違う。何もかもが。私が知ってる「家」とは一切合切違った。
平和なドラマのセットみたいだった。揃えられた家具、アンティークの食器、皮張りのソファ、犬ですらうちの従兄弟の誰より聡明な顔つきをしていた。
終わった。こんな小綺麗な世界で生きてる彼氏に私の実家や親族を見せたらなんて思うだろう。
小指がなかったり、和彫が完成してたり、博打酒女、文化のかけらもない会話、ああ今考えるだけでお腹が痛くなる。
彼氏にはあらかた、「私の家は君が見たことないような終わった一族です。」というのは伝えてある。
彼的には問題ないよ、僕が好きで一緒になりたいのは増田ちゃんだし、いろんなお家があるのも普通のことだよ。と言ってくれてる。
大丈夫だろうか。
夏頃に私の両親と顔合わせをする予定です。
それまでにはなんとかその品のない状態を何とかしてくれ、頼むからと昨日電話したら「あいよー」なんて言ってたけどなんもわかってねえなこれ。
胃が痛い。彼は多分このまま結婚をするだろうし、彼の両親もお育ちが良すぎる故に、「増田ちゃんが息子のこと大事にしてくれてるならいいのよ」なスタンス。
でも辛い。内心では絶対呆れられるだろうし、当日私はたくさん恥をかくと思う。
両親のことは愛してる。でも、恥をかきたくない。
私は大学を辞めるか辞めないかを、決断を引きずり続けて逃げ続け、ゲームをし続ける日々を送っていた1年前、私は友人の自殺の報せを聞いた。
私は昔から外向的な人間という訳ではなく、交流も盛んではなかったが生まれた時から過ごしてきた仲の良い親友2人が居た。
ほぼ家族のような、兄弟のようなそんな奴らで家族付き合いも頻繁にしていた。
私たちが共に大きくなり、歳を重ねる度に会う回数は減ってしまったが私たちの関係が揺らいでるわけではなかったように思えていた。
当時、実際私もほぼ引きこもりニート大学生で学校に行きたくなく、家から出られなくって掃除洗濯なんかも出来なくなるぐらい精神的にどん底に居続けてはいたものの、帰省した時に彼も同じような状況で、あってくれないかと彼の親から頼まれた時は二つ返事で彼の家に行き、遊んで帰ったりしていた。
それで問題ないのかと思っていたのだ。
兆候というものはどこにだってある、私が洗濯を出来なくなって洗っていない服を着ないと外に出れなくなったように。
言い訳ではあるが私は自分のことしか見えていなかった、だから何にも気づくことが出来なかった、私が寝食を何度も共にした彼の異変に。
そして私は気づくことが出来ないからゲームをしていた、報せを受けた時も、受けたあとも。
そして今もゲームをしている。
おかしくなっていた、ゲームをしないと精神を保てなくなっていた、何度私自身も自殺しようとしたことか、それでも彼の両親やもう1人の親友や自分の親兄弟の顔が見えて立ち止まる。
勇気を持ち合わせていなければ、度胸もないでも辛くて、辛くてゲームをして頭の中を埋めた。
なにかほかのことを考えていないと悲しさを実感してしまう気がしていた。
私には悲しむ権利などない、今もずっとそう考えている。
私は彼が悩んでいる間ゲームをしていた、彼が命の選択をしていた時もゲームをしていた。
私は本当に憎い、自分が憎い、ゲームを呑気にやっていた私が、それでもゲームをしていないと自分は自殺をするだろう。
だから彼を見殺しにしてしまったゲームをやって私を殺さないでいる。
いつ私はゲームを辞められるのだろうか、私が死んだ後だろうか。
今日はなんか突然トラックボールのマウスが欲しくなって一日中トラックボールについて調べてた。
そしたらトラックボールについて語ってるVtuberを見つけた。トラックボールのマウスには長い歴史があっていろいろな形へと派生していったという。
トラックボールについて3時間くらい語れるVtuberというのはなかなかに趣味が広いなぁとか思いつつ、普段どんな配信をしているのか気になってチャンネルページに飛んでみた。
そしたらどの配信の内容もトラックボールについて語るものばかり。たまにゲーム実況やVRコンテンツを挟むくらいで、言うなれば「トラックボール系Vtuber」だ。トラックボール一本て。そんなニッチすぎるのある???
そう思って本人のtwitterを見に行ったら同じようなトラックボール好きと細々と交流してる。
ただ、自作キーボードはケース、キースイッチ、キーキャップの無限の組み合わせを楽しむ文化だと思っているけど、トラックボールのマウスにはその余地が無い感じがする。
既製品しか無いものをどう楽しむのだろうかと思ったら、トラックボールの潤滑性の向上や、マウスのクリックボタンのスイッチの交換とかをしている。
トラックボール界隈は自作キーボード界隈よりも市場が小さいようで、全ての新商品が追えそうな感じもよさそうだ。
ポンポン新作が出るわけもないので、どこかのメーカーからトラックボールマウスが発売するとなれば、それが界隈の共通の話題となる。
海外の有志が開発したトラックボールの操作性がめちゃめちゃ良いとかで大盛り上がりしていて、いや海外にもトラックボール好き居んのかよとか思ったり。
自作キーボードでもそうだけど、愛好家はいるけど規模が小さい界隈の製品って半分個人みたいなメーカーが作ってる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1879085
なんで今更5年以上前の動画の話題で盛り上がってるんだろう…と思って見てみた
https://www.youtube.com/watch?v=WsMU4OFnSeQ
男女逆にしたらどうかっていうと……どうだろうね?
ぽっちゃりした根暗な女子がスタイルの良いサーファー女子と出会い、サーフィンを教えられながら上達し
って、百合として萌える女性は普通に多そうな気がするしフェミニストからは特に叩かれないんじゃない?
もっとも取り方次第ではサーフィンをする水着姿を性的に消費しているという批判も出るかもしれないが、
どちらかというとそのちょっと前に話題になったブレンディのCMとの関係で
露出度の差でしかエロさを判断出来ない表現の自由戦士から「こっちは駄目なのにあっちはいいのか!」と槍玉に挙げられそうな気がする
https://www.j-cast.com/2015/10/02246862.html?p=all
この手のフェミ叩き話題では本当に思うんだけど、そんなにこの動画が気に入らないならばその怒りは宮崎県日向市に対して直接抗議しなよ
フェミニストの抗議は乳牛CMならブレンディ、宇崎ちゃんの献血ポスターなら日本献血協会、戸定梨香の交通安全PR動画なら松戸市に月曜日のたわわなら日経新聞にそれぞれ向けられてたでしょ