私は大学を辞めるか辞めないかを、決断を引きずり続けて逃げ続け、ゲームをし続ける日々を送っていた1年前、私は友人の自殺の報せを聞いた。
私は昔から外向的な人間という訳ではなく、交流も盛んではなかったが生まれた時から過ごしてきた仲の良い親友2人が居た。
ほぼ家族のような、兄弟のようなそんな奴らで家族付き合いも頻繁にしていた。
私たちが共に大きくなり、歳を重ねる度に会う回数は減ってしまったが私たちの関係が揺らいでるわけではなかったように思えていた。
当時、実際私もほぼ引きこもりニート大学生で学校に行きたくなく、家から出られなくって掃除洗濯なんかも出来なくなるぐらい精神的にどん底に居続けてはいたものの、帰省した時に彼も同じような状況で、あってくれないかと彼の親から頼まれた時は二つ返事で彼の家に行き、遊んで帰ったりしていた。
それで問題ないのかと思っていたのだ。
兆候というものはどこにだってある、私が洗濯を出来なくなって洗っていない服を着ないと外に出れなくなったように。
言い訳ではあるが私は自分のことしか見えていなかった、だから何にも気づくことが出来なかった、私が寝食を何度も共にした彼の異変に。
そして私は気づくことが出来ないからゲームをしていた、報せを受けた時も、受けたあとも。
そして今もゲームをしている。
おかしくなっていた、ゲームをしないと精神を保てなくなっていた、何度私自身も自殺しようとしたことか、それでも彼の両親やもう1人の親友や自分の親兄弟の顔が見えて立ち止まる。
勇気を持ち合わせていなければ、度胸もないでも辛くて、辛くてゲームをして頭の中を埋めた。
なにかほかのことを考えていないと悲しさを実感してしまう気がしていた。
私には悲しむ権利などない、今もずっとそう考えている。
私は彼が悩んでいる間ゲームをしていた、彼が命の選択をしていた時もゲームをしていた。
私は本当に憎い、自分が憎い、ゲームを呑気にやっていた私が、それでもゲームをしていないと自分は自殺をするだろう。
だから彼を見殺しにしてしまったゲームをやって私を殺さないでいる。
いつ私はゲームを辞められるのだろうか、私が死んだ後だろうか。