はてなキーワード: 橋本龍太郎とは
それは、「政府が無駄が多い、非効率だ」というケインズ主義批判に遡る。
だいぶ昔はご存知江戸幕府のようないい王様による治世が良いという考えだった。
それに対して、自由に活動するのが良いという自由主義が生まれて置き換わった。
自由主義の元だと1920年台の恐慌とその後の不況に対処できなかった。
また、政府は競争主義も働かない非効率なものなので、無駄なものが多いと言われていた。あと、ケインズ主義の累進課税は金持ちは嫌っていた。
なので、1970年台のオイルショックを元にケインズ主義批判が起き、新自由主義への転換が起きた。
自民は中曽根、橋本龍太郎、小泉純一郎あたりが新自由主義で突き進んでいた。だが、民主党も新自由主義で、政府の無駄をなくそう、ということで、同じだった。
ただ、もう民主党になる頃には政府の無駄というものもなくなってた。特定財源というのも批判されていた。これは特定用途に特別に税金をとっての事だったが、
けども、フラット税制かはやめない。法人税、累進所得税を下げたい。ということで消費税を上げた。
ケインズ主義者は小泉の郵政選挙あたりで放逐された。2大政党が共に新自由主義で固まってる状況だった。
なお、法人税については、法人税下げの時に企業の資金過不足統計で一気に資金余剰側に触れてるので、いかに貯めこみに回ったのかがわかる。
ああ、中韓云々行ってるやつは、むしろ大事な方向から目をそらさせた結果悪だと思ってる。
結果的に見れば橋本龍太郎、小泉の新自由主義路線は大失敗だったもの。
だが、「今俺らが苦しいのは中韓のせいだ」という問題をそらさせるナチスと同じやり方。
経済をどうするか。ひいては、金の量の対策も大事だとして、金の回転をどうやって上げるかが深刻な問題で、そこをどうするかで与野党競っているぐらいが望ましい。
累進課税も、金溜め込ませる金持ちから金を取るという上でいい政策だとは思うよ。金滞らせるのが悪いから、使ったら減税をセットにするのは良い。
日本人のやる気?ギャロップの調査で139位中132位で何言ってるの。で、これは累進課税減税、法人税減税をしまくった上での状況だよ?
中央省庁再編、金融国会、行政改革、財政構造改革、経済構造改革、金融システム改革、社会保障構造改革・・・。
生まれ | 大雑把な世代 | 世代の近い総理大臣 | 1945年 (終戦) | 1954年 (高度成長開始) | 1973年 (安定成長開始) | 1986年 (バブル開始) | 1991年 (バブル崩壊) | 2018年 (現在) |
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1925年 | 戦中派(20年代生まれ) 徴兵経験あり | 竹下登(1924) 宇野宗佑(1922) 村山富市(1924) | 20歳 | 29歳 | 48歳 | 61歳 | 66歳 | 93歳 |
1935年 | 昭和一桁世代(1927-1934年生まれ) 焼け跡世代(1935-45年生まれ) 徴兵経験なし | 海部俊樹(1931) 細川護熙(1938) 羽田孜(1935) 橋本龍太郎(1937) 小渕恵三(1937) 森喜朗(1937) 福田康夫(1936) | 10歳 | 19歳 | 38歳 | 51歳 | 56歳 | 83歳 |
1945年 | 全共闘世代(40年代生まれ) 団塊世代(40年代後半生まれ) | 小泉純一郎(1942) 麻生太郎(1940) 鳩山由紀夫(1947) 菅直人(1946) (小沢一郎・1942) (谷垣禎一・1945) | 9歳 | 28歳 | 41歳 | 46歳 | 73歳 | |
1955年 | しらけ世代(50年代生まれ) ポスト団塊(50年代前半生まれ) | 安倍晋三(1954) 野田佳彦(1957) (小池百合子・1952) (岡田克也・1953) (石破茂・1957) (岸田文雄・1957) | 18歳 | 31歳 | 36歳 | 63歳 | ||
1965年 | バブル世代(60年代後半生まれ) 新人類(60年代生まれ) オタク第一世代(60年代生まれ) | (前原誠司・1962) (河野太郎・1963) (枝野幸男・1964) (蓮舫・1967) | 8歳 | 21歳 | 26歳 | 53歳 | ||
1975年 | 氷河期世代(1970-83年生まれ) 団塊ジュニア(70年代前半生まれ) | 11歳 | 16歳 | 43歳 | ||||
1985年 | 氷河期世代とゆとり世代のちょうど隙間 | (小泉進次郎・1981) | 1歳 | 6歳 | 33歳 | |||
1995年 | ゆとり世代(1987-2003年生まれ) さとり世代(90年代生まれ) デジタルネイティブ | 23歳 |
下半分が寂しかったので民進党代表や次期首相候補と言われるような人も括弧書きで追加。
就職氷河期に関する補足→https://anond.hatelabo.jp/20180417161628
1985年をゆとり世代としていたのを修正→https://anond.hatelabo.jp/20180417163706
民主政権下で公文書の改竄事件があったという記録を引っ張り出してきて、アノニマスポストやら保守速報といったいつもの連中が「ブーメランwwwwww」と囃し立てている。
これらの悪質まとめサイトの言うことを真に受けるのは馬鹿のすることだが、公文書の改竄問題があったのは事実だ。
とはいえ、「同じ公文書改竄なんだから同じ対応をすればいい」なんて雑な考え方で良いわけがない。
といった点に検討を加えようと思う。もっとも、門外漢の私には知り得ない部分も多いので、想像が入り込んでしまうのはご容赦願いたい。
なお、現状、私は財務局の改竄はあったものだと思っている(厚生局の改竄は厚生省が認めているため確定している)ので、その前提に立って話をすすめる。
どうやら今日には政権側の調査結果が出てくるようなので、私のこのコタツ検証記事が妄言だったと確定するような、改竄がなかったことの確実な証拠を持ってきて欲しいものである。
さて、近畿財務局の改竄問題は連日騒がれているのでともかく、東北厚生局の改竄問題はネットの海を探してもなかなか出てこない。大半が右派系悪質ブログの記事に埋められている。
A: https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2901L_Z20C10A6CR0000/
が見つかった。
上の日経の記事は2007年に行われ、2010年に発覚した改竄、
下の毎日の記事は2010年に行われた改竄問題が取り上げられている。
つまり、東北厚生局は2007年と2010年に二回改竄をやらかしており、そのうちの一回が民主政権下だったということだ。
さて、この2つの改竄問題だが、どちらも「福島県郡山市の医療専門学校」に関するものだ。調べればすぐにどこか分かることだが、まあ学校名はこの際関係ないので触れないでおこう。
ちなみに、どちらも初報を飛ばしたのが毎日新聞のようだが、記事が残っていない。当時の記事が残っている日経が神に見えるぞファッキン毎日。
と思ったらこんな記事も見つけた。おそらく毎日新聞の当時の記事のコピーであろう。……まあ、コピペされた記事が改竄されてない保証はないが。
C: http://jcs2b5lboa.jugem.jp/?eid=57
Cの記事がこの中では一番古いもので、2010年6月15日付だ。これを受けて、厚労省が事実を認めた記事がAで、日付は2010年6月29日となっている。
Bの記事は2010年10月24日のもの。初報は20日だったようだが、残っていない。これを事件2とする。
以前(2004年ごろ?)から、問題の医療専門学校で授業時間の不足が学生や教員から指摘されていた。
再三の指摘を受けて、東北厚生局が2006年11月に調査を実施。
卒業生の男性が2007年6月に開示請求を行う。同年8月に開示。
一部黒塗りの資料が開示されたため、男性は2010年4月に再度の開示請求。いつ頃開示されたのかは定かでないが、おそらくニュースになる直前だろう。改めて開示された文章に、2007年の開示請求時にはなかった文章が存在するのが発覚した。
つまり、黒塗りではなく文章が消されていたものが、再度の請求では存在したため、2007年の公開文書に改竄があったことが発覚したという事件だ。
問題の医療専門学校を解雇され、不当解雇だと裁判を起こしている教員が2010年7月8日に東北厚生局へ資料請求
30日の決定期間延長後開示されず、教員が東北厚生局へ問い合わせを行う
東北厚生局からは「記載に間違いが見つかったので学校に訂正を求めている」と回答がある
2010年10月22日に東北厚生局から「先に開示した行政文書の一部に誤りがあった。改めて開示すべき文書を郵送する」との伝言があった。
「記載に間違いが見つかったので学校に訂正を求めている」って、「今改変してます」って言っちゃったのか……
そりゃバレるよ。バレない方がおかしいよ。
それはともあれ、事件1と事件2だが、共に同じ医療専門学校に関する資料であり、また改変箇所も授業時間の水増しなど共通する点が非常に多い。
つまりここから当然のごとく導かれる結論として、東北厚生局と問題の医療専門学校はズブズブの癒着関係であったと言えよう。
2007年の事件1と、2010年の事件2は地続きの事件なのである。
事件1は民主政権下で発覚したとは言え、改竄が行われたのは2007年8月。2007年9月に自民党総裁選が行われていて、福田康夫が新しく自民党総裁、総理大臣となった。改竄が行われたのはそれよりも前なので、その当時の総理大臣は、安倍晋三である。あれ?
改竄が行われた資料の調査が行われたのは2006年11月なので、その当時の総理大臣は……やっぱり安倍晋三である。
まあ、東北厚生局が安倍晋三の一声で動くって訳でも無いだろうし、安倍晋三が東北地方の学校と癒着しているなんて証拠もないので、この件に関してはなんとも言えないだろう。
とは言え、東北厚生局と問題の医療専門学校が癒着関係にあったことに関しては、橋本龍太郎の自社さ連立政権以来10年以上政権与党であった自民党に重大な責任があると言えよう。問題の医療専門学校を運営する学校法人の設立が1998年なので、癒着関係がそれより前から存在したこともない。
民主政権下で起きた行政による事件である以上、当時の民主党に責任がないとは言えない。
とは言え、民主政権に関しては、
1. そもそも東北厚生局と問題の医療専門学校の癒着が、自民党政権時代に培われた物であった
2. 民主政権が発足してから1年しか経っていない時点での出来事であった
という点を勘案すると、自民党時代の負の遺産を負わされた事件であったように見える。
民主党に落ち度があるとすれば、2010年6月の事件を受けて東北厚生局をきちんと内部調査し、不正を厳しく罰すべきだったということだろう。
この点に関しては擁護のしようがない。当時の民主党は手ぬるかった。政権担当能力に欠けていた。
しかしながら、上記の検証から、当時の東北厚生局の問題には、民主党政権の者が関わっている可能性は低く、それこそ官僚の独断、暴走であった可能性が高い。
森友学園の問題が報じられたのが2017年2月。1年と少し前だ。1年以上もやっているのかこれ……。
問題とされた点に関しては、いまさら振り返るのも面倒であるが、国有地の売却価格が評価額の14%であった、といった報道がなされた。
それ以来、「国会空転」「モリカケしかできない」などと揶揄されながら野党は政権批判を続け、途中で解散総選挙があったりなんだかんだで、今に至る。
政権の対応は徹頭徹尾「指摘には当たらない」「そのようなものは存在しない」といった話であったが、無いとされていた資料が途中から出てきたりもした。
改竄を行った主犯は誰なのか、また改竄が行われていたとして、森友学園を「特例」扱いしたのは誰なのか、と言った点に関しては今後の調査を待たねばならないが、この件に関して、現時点でも明確に分かる現政権の落ち度は、まさに「指摘には当たらない」で貫き通したことである。
疑惑が発生してから、現政権は調査の協力を拒み続けてきた。朝日新聞が掴めたネタを、真面目に調査して政権が掴めない訳がない。つまり、この一年間「国会空転」させ、「モリカケしか」やらない状態になったのは、正しく現政権の責任であり、重大な問題であると言える。
また、「指摘には当たらない」で矛先を逸し続けた戦略は、選挙結果に大きく影響を与えていると言える。
野党の主張を「言いがかり」とし、無能な野党 vs 有能な政権 を演出してきたが、蓋を開けて見れば言いがかりではなく、しかも政権が調査に協力すればもっと早く決着が付いていたということになる。野党が総辞職を求めるのには、一定の理があると私は思う。
ちょっと見てくれよ
1950年 朝鮮戦争において日本の特別掃海隊が連合国軍(韓国側)の要請で掃海作業に当たり56名が死亡
1965年 日韓基本条約により日本から韓国へ11億ドルの経済援助(日本の朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄し、韓国は対日請求権を放棄することに合意)+日韓請求権協定により8億ドルの経済支援 (参考)当時の韓国の国家予算は3.5億ドル程度
1993年 河野談話(従軍慰安婦問題に関し「お詫びと反省」)
1995年 村山談話(第二次大戦に関し「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」)
1995年 アジア女性基金設立(日本国民の拠出約6億円と政府からの5億円で韓国他5カ国に償い事業+内閣総理大臣のお詫びの手紙)
1997年 アジア通貨危機により日本は韓国へ100億ドルの支援を行う
1998年 日韓共同宣言(2001年韓国議会により破棄を全会一致で決議)
2015年 慰安婦問題日韓合意「日本軍の慰安婦問題を最終かつ不可逆的に解決」日本は韓国へ10億円供出
1948年 大韓民国が建国され初代大統領李承晩は対日戦勝国としての地位を国際社会に要求したが認められず
1948年〜南朝鮮済州島(現韓国)で韓国軍による島民虐殺が行われ多数の難民が日本へ脱出する
1950年 朝鮮戦争(このとき日本の特別掃海隊が連合国軍(韓国側)の要請で掃海作業に当たり56名が死亡)
1950年 北朝鮮に対し敗戦濃厚になったため山口県に亡命政府の設立を日本政府に要求(戦況好転のため立ち消え)
1950年 日本は密入国した犯罪者等の韓国人を強制送還しようとしたが韓国側が拒否
1952年 李承晩ラインを一方的に設定し対馬・竹島の領有権を主張するがアメリカ・イギリス・フランス・中華民国からの抗議を受ける
1952年〜竹島周辺で300隻以上の日本漁船を襲い4,000人近い漁師を韓国に拉致し44人を死亡させた
1953年 日本の漁船が韓国軍により銃撃・拿捕され民間人一人が殺され他の乗組員へも非人道的扱いが行われた(第一大邦丸事件)
1959年 在日朝鮮人の帰還事業阻止のため韓国特務機関による新潟日赤センター爆破未遂事件
1961年 済州島周辺の公海上で韓国警備艇が日本の漁船を不法に銃撃・拿捕する事件が複数発生
1965年 日韓基本条約等により日本から約20億ドル(参考:当時の韓国の国家予算は3.5億ドル程度)を得た+日本の朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全ては放棄したほか日本から約25年に渡る経済面や技術面の支援を受け大きく経済成長した(「漢江の奇跡」と呼ばれるがこれが日本の支援によるものであることは韓国内でほとんど周知されていない)
1973年 韓国の民主政治家で韓国中央情報部KCIAに命を狙われていた金大中(のちの韓国大統領)が日本滞在中に拉致され韓国に連れ去られる
2005年 反日法を制定し親日派と認定された人物およびその子孫が所有する財産を没収(法の不遡及に反するのではないかという見解がある)
2011年 「外交関係に関するウィーン条約」に違反して韓国日本大使館前に慰安婦像設置
2012年 李明博大統領が竹島に上陸し天皇への謝罪要求を行う
2013年 日韓間による犯罪人引渡し条約を無視して靖国神社に放火した刑事犯の中国人を日本への引き渡さず「政治犯」として中国に送還
2015年 慰安婦問題日韓合意「日本軍の慰安婦問題を最終かつ不可逆的に解決」日本は韓国へ10億円供出
2017年 文在寅大統領が「日韓合意には内容及び手続き面で重大な欠陥があるとして、日韓合意では問題の解決がなされないとする」とする声明を発表
1950年 朝鮮戦争において日本の特別掃海隊が連合国軍(韓国側)の要請で掃海作業に当たり56名が死亡
1965年 日韓基本条約により日本から韓国へ11億ドルの経済援助(日本の朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄し、韓国は対日請求権を放棄することに合意)+日韓請求権協定により8億ドルの経済支援 (参考)当時の韓国の国家予算は3.5億ドル程度
1993年 河野談話(従軍慰安婦問題に関し「お詫びと反省」)
1995年 村山談話(第二次大戦に関し「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」)
1995年 アジア女性基金設立(日本国民の拠出約6億円と政府からの5億円で韓国他5カ国に償い事業+内閣総理大臣のお詫びの手紙)
1997年 アジア通貨危機により日本は韓国へ100億ドルの支援を行う
森友学園や加計学園といった一連の忖度事案を見ていて思ったのは、安倍晋三というのはなんてクリーンな政治家なんだろうということだ。
ふつうこれぐらいの権力を持った総理に口利きを依頼するなら億単位の金が必要だろう。
あの当時の元総理である橋本龍太郎と今の安倍晋三の力の差を考えれば、安倍晋三への口利き依頼は数億レベルと考えていい。
にもかかわらず森友学園でも加計学園でも安倍晋三が多額の金を受け取ったという話は全く出てこない。
森友学園では安倍晋三「が」100万円寄付したという話があり、加計学園では20年近く前に14万円の報酬を受けていたという話があるぐらいだ。
これだけ国民の支持があり、一方野党も死に体で戦前戦後最長の在任期間を噂されている総理なら放っておいても金は集まってくるだろうに、そういう話がない。
意思決定の不明さなど一連の忖度事案には批判すべきところは多いが、少なくとも安倍晋三のクリーンさは賞賛に値するだろうと自分は思う。
集団的自衛権の容認をはじめ、なんだかんだ安倍晋三ってそれなりに政策の実現を図ってきて、
それなりの支持率をもってそれなりに成果を上げてきているんだろうと思うんだよね。
多分、それなりの成果を上げた総理大臣として歴史に残るんだろう。
それが良いのか悪いのかはとりあえず置いといて。
その一方で、安倍晋三って人には、あんまり教養は感じられないし、
文化人のお友達は、百田尚樹とか、そういうレベルしかいなそうだし
ちょっと自分に都合の悪いこと言われると、興奮して元々の早口がさらに早口になって、
何言ってんだか良くわからなくなるし、
あれで、たとえばプーチンとかと差しで対談して、あおられたらボロとかださないのかなあ?
とか心配になるんだけど、
なんというか、器が小さくって見ていられない時があるんだよね。
小学校か幼稚園から慶応か学習院に入れちゃえば、大学まで保障されるだろうに
成蹊に通わせたのは、たぶん、親は東大に入れようと思ってたからなんだろうけれど、
東大はおろか早慶に進むこともなく、そのまま大学まで成蹊に通っちゃったのは、まあ、その程度の成績だったんだろうし、
いわゆる受験勉強ができるってことと、本質的な頭の良さは別なんだろうけれど
直接会ってみるとまた違うのかな?
野田佳彦とか、演説とか討論とかみると、それなりに上手だなあと思うし、
小泉は、やはり演説とか世論を味方につける手法とか見事だなあと思ったし
ちと古いところだと、橋本龍太郎あたりは、
なんか女性を引き付けるルックスの良さとかもあったし、喋るとそれなりの重みがあったし、
アメリカの通商代表に「タフネゴシエーター」と呼ばれたこともあるらしいし、
思いつくのは「岸信介の孫」ってことだけで、話の内容以前に、滑舌なんとかならんのか?とか
そんなことばかり気になる人だ。
なんだろう。
結局「神輿は軽いほうがいい」ってことで、なんだかんだ官僚がやりたいようにやれて、
それを阻止するほどの頭も力もないから、それなりにうまく回っているのかな?
先日、『選挙カーがはた迷惑な大声で名前を連呼する理由を知った時のこと』という文章を書いた。
予想外の反響を得て、驚くとともに、うれしくも思う。
そもそも記事を書くきっかけとなったサイバーメガネさんも、さっそく内容をフォローするように
『無党派層はコスパが悪くて当てにならない』というエントリを書いてくださった。
なぜ、反響があったかといえば、おそらく、あの頃の自分と同じように選挙の現場を見たことがなく、
「なぜ、反感を買うだけなのに、選挙カーは騒音をまき散らしているのだろう」と疑問に思っていた人が多かったのだろう。
中には、「ああいうばあさんは、もうすぐいなくなるだろう」という趣旨のコメントもあったが、僕はそうは思わない。
そもそも、あれはまだ橋本龍太郎が総理大臣をやっていた頃の話だ。
つまり、かれこれ20年近く前の話なのだが、その後も状況にさほど大きな変化はなかったことは、いくつかのブコメを見るだけでも分かる。
次の20年で変わるかといえば、そうでもないだろう。なぜそう思うかを、書いていこうと思う。
あの頃、「無党派層」という言葉はすでにメディアに登場していた。
(wikiによれば、大阪府知事に横山ノック、東京都知事に青島幸男が当選するという「珍事」が起きた時に注目され、流行語大賞をとったそうである。
その前に「日本新党ブーム」を経て、細川内閣が誕生したころには、まだメディアではメジャーな言葉ではなかったのか)。
無党派層に心情が近かった当時の僕も、「ああいうばあさんみたいなタイプの人は、いずれいなくなるのだろう」と思っていた。
だが、少なくとも20年程度では、いなくならなかった。
思い起こしてみれば、あの当時から、「応援しているのに、なぜウチのほうに選挙カーがこないのか」と苦情をいうのは、必ずしも年寄とは限らなかったのだ。
その渦中に身を投じてみれば分かるが、選挙というのは一種の「お祭り」である。
であれば、選挙カーという「神輿」は、自分の家の近所に来てくれたほうが楽しかろう。
お祭りというのは、参加する者にとっては楽しかろうが、部外者にとっては迷惑で騒々しいだけだ。ハロウィンを見ればわかる。
最近、高知県では、新住民からの「よさこい祭りの練習の騒音がうるさい」という苦情が増えて、祭りの伝統を守りたい人々は対応に苦慮しているらしい。
祭に参加して騒ぎたい人々と、外側にいて「うるさい」と感じる人とは、どうしても対立する。
それは、祭りのルーツがどうとか、そんなこととは、おそらく関係がない。
僕はあの頃、お祭りに参加して盛り上がるのは年寄りのやることだと思っていた。
だが、実際にはそうでもなかった。
古臭い祭りにはそっぽを向いても、なにか面白そうな新しいお祭りあれば、こぞって参加するという人たちが、世の中には相当程度いるのだ。
既成政党による「ドブ板選挙祭り」にはそっぽを向いている若者が、国会議事堂前でSEALDs祭に参加したって、なんの不思議もない。
お祭りといえば、あの選挙事務所でバイトをしていたとき、幹部がにわかに、ちょっとしたお祭り騒ぎになったことがあった。
総裁とは誰のことなのか、僕はにわかに判じかねたが、それは当時、自民党総裁にして総理大臣でもあった橋本龍太郎のことであった。
事務所の関係者は「総理」でも「首相」でも、ましてや「ハシリュウ」でもなく、「総裁」と呼んでいた。
総裁が応援しに来てくれるということは、つまり、その候補者や選挙区を党本部が重視している証拠なのだが、、
橋本龍太郎という人は日本の歴代総理には珍しく、その端正なルックスで女性人気がきわめて高かった。
慶応大学在学中に第一期東宝ニューフェイスに誘われたこともあるというから、「政治家にしてはイケてる」というレベルではない。
当然、「集客力」も高く、事務所としては、願ってもない応援弁士なのである。
今でいえば、小泉進次郎の人気が、近いものがあるのかもしれない。
当日は、それはもう「お祭り騒ぎ」だった。バイトも支持者も大勢駆り出された。
事務所の幹部は警察官やSPと打ち合わせに余念がなく、事務所の司令塔たる候補者の長女は、誇らしげな顔をしていた。
実際、当時の橋本龍太郎は、「本日、○時に、橋本龍太郎総裁が、応援演説に来られます!!」と呼びかければ、
「エッ、うそ!? マジ? こんなトコにハシモトソーリがくるの? じゃ、ちょっと見ていこうかな」
などと騒ぐほどの人気があった。
「もし、総裁が演説している最中に暴漢が襲いかかって、それをウチの先生が体を張って守って、ケガして運ばれたりしたら、明日の新聞の一面になりますかね?」
「ああ。そうなったら先生は、もう当選確実だな。お前、いっちょやってみるか?」
僕らは、大分親しくなった事務所の下っ端幹部と、そんな軽口をたたいたりした。
定刻になると、ちょうどライブの最前列でファンを押さえるスタッフのように、バイトや運動員が群衆を抑えている前に、黒塗りの車列が到着した。
SPに囲まれながら降り立った橋本龍太郎は、思った以上に背が低かったが、確かに二枚目だった。
「世の中には、選挙になると、消費税率は下げて福祉の水準は上げるなどと、夢のようなことを訴える政党もありますが、
私には、そんな魔法使いのようなお約束をすることはできません」
などと語りかけるイヤミな調子には、好き好きがあっただろうけれど。
当日、街頭には大勢の支持者が動員されていたけれど、それを上回る人々が足を止めた。
それがきっかけで自民党候補者に投票したひともいるのではないだろうか?
だが、なにより、事務所に集う人々は、「総裁が来てくれた」「予想以上に人が集まった」という事実に興奮し、
例のばあさんは、街頭には来ていなかっただろうが、
「自分の支持する先生のために、橋本さんが応援に来てくれた」という事実に喜びを感じ、
ますます「近所の人に、投票してくれるように頼む」という彼女なりの方法で、お祭りを楽しんだことだろう。
「お祭りだなんて、とんでもない。選挙というのは、冷静に過去の実績や提示された政策を比較検討して、適切な候補者に投票すべきだ」
という人もいるだろう。それは、おそらく正論だ。
だが、そういう正論を唱える人たちが、政策とやらにどの程度つうじているのか。
数多ある課題の、すべての軽重を判断して、どれが適切な政策が判断することが、果たして可能なのか。
それに、どんなに「政策」が素晴らしかったとて、口先だけでは何とでもいえる。
政策はもちろんのこと、きちんと有権者に呼びかけ、汗を流している人を選ぶべきではないのか、という話にもなる。
そもそも政策など判断しかねるという大多数の人は、「難しいことは分からないけれど、あの人ならば大丈夫」という人に、判断を託すことになろう。
そして、「あの人=政策を作成、判断し、実行する人」というのは、つまり「権力者」だ。
かつての世の中では、文字通り血で血を洗う抗争をくぐり抜け、数多の屍の上に生き残った者が権力を握ったのだろうが、
そんなことで無闇に人の命が奪われるのはよろしくないということで、選挙というお祭りで権力者を選ぶようになったというのが、つまり民主政治なのだと思う。
「あの、お偉い先生も、私の一票があるから、大きな顔をしていられる」「私の一票のために、頭を下げてくれる」
そのことに喜びを感じられる人が、選挙というお祭りに参加する。
選挙カーを待ちわびる老人(のような人)とは、そういう人たちではないかと思うのだ。
そして、「お祭り」を利用して権力を上りつめようとする人間は、冷めた傍観者たちに参加を促すよりも、
「お祭り気質」な人たちを盛り上げることに注力した方が、効率が良いことを知っている。
時に、「権力者」という個人ではなくて、「戦争法案をつぶす」とか、そういう思想だが理念だか、そんなようなものを「ご神体」にしてお祭りが催されることもあろう。
多分、それがSEALDsだ。
彼らは初期の目的を達することはできなかったが、多分、世の中を意図的に動かそうと思えば、お祭りのような手段を使ってエネルギーを結集することが必要なのだと思う。
そんなこととは関係なしに、僕らから全く見えないどこかで、いつのまにか物事が決まっていく世の中は、多分、今の世より住みにくかろう。
僕はそんな世の中に住みたくないし、世の多くの人が、そう望んでいると思う。
だから僕は、「選挙カーを待ちわびる老人(のような人)」は、そう簡単に消えないと思うのだ。
消えるべきではない、といえるかもしれない。
選挙のやり方は変わっていけば、騒音をまき散らす選挙カーのような方法は使われなくもなるだろう。
選挙ではないけれど、今もネットでは、「炎上」という名のお祭り騒ぎが日夜開催され、それに参加する人もいれば、眉を顰める人もいる。
僕の粗末な頭では具体的に想像できないけれど、仮にネット選挙が今より進化したとしても、
選挙カーの連呼とは違う種類の「騒音」に悩まされ、うっとうしくなる日がくるのだろう。
ところで、僕はハロウィンに仮装して参加したことがない。今後もたぶん、参加することはないだろう。
だが、心の片隅に、あの、屈託なく仮装して楽しんでいる人たちを羨ましく思う気持ちがないかと聞かれると、全くないとは言い切れない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
逆じゃね?
戦後自民党型の政治ってのは典型的な利益誘導型の政治で、インフラとか土地開発によって地方に利益を誘導していたわけだから、むしろ土地を使ってマンパワーを国富に変えるタイプの政治だった。
でもそういうやり方がバブル崩壊以後どう考えても無理になってきて、こういうスタイルは橋本龍太郎が小泉純一郎と戦って破れた時点で、経世会の自民党支配もろとも終わった。
そして小泉純一郎が取った方針が、君の言う「強者に優しい」スタイルの政治、つまり規制緩和と民営化による、強力な市場原理の導入だったと思う。
で、それに反対するのは構わないけど、実際どうやって経済成長を確保しつつ高福祉を実現するの? って疑問に対して、君はあんまり考えてるように思えない。
反グローバリゼーションで保護経済やるの? iPhoneは15万円するけどガラパゴスなら7万円ですよみたいな政治がよい政治なのかな? それっていずれソ連みたいなことになるんじゃないの?
あるいは江戸時代みたいにゼロ成長を前提にして長男以外はごくつぶしみたいなモデルにする? それこそ既得権益バリバリで若者が希望を持てる社会になんて到底ならないと思うけど。国際社会からはそっぽ向かれるだろうし。
いずれにしろ、具体的なモデルを示さず抽象的な対立構造だけで政治を語るのは、学生闘争とかやってた世代で終わりにしてほしいもんだけどな。