はてなキーワード: 書道とは
連中の言い分によると個々人によって美的感覚は異なるから一番を決めることには適さないという判断らしいぜ
まあ気持ちはわかる
が、個々人の美的感覚が異なるとしたところで、「最低限超えるべきライン」というものがあるだろう、というのが私の考えだ
引き合いに出されているフィギュアスケートにしたって、技術を超えた先の芸術を問われている
これはプロのオーケストラなんかもそう。楽譜追っかけるので精一杯、ピッチも揃えられない楽団に美はない。書道、料理などもそう
そういう意味で、美醜というものは常に大衆の価値観のゆらぎを認めつつもそれを総合することで浮き彫りになるラインというものがあるものだ
一番を決めるのが嫌だと言うならエントリーして多重投票を認め、順位非公表の下一定の票数を獲得した人に全員平等に表彰すればいいのである
ここに掲載している国際信州学院大学の評判・偏差値・制服・部活などの情報は国際信州学院大学の公式サイト、口コミサイト等の情報をもとにまとめています。
「評判や偏差値のいい大学に入りたい。」「あの部活ができる大学に入りたい。」「あの大学の可愛い子と付き合いたい。」など。
大学選びで困っている人の助けになり、自分にあった大学をしっかり選んでいただけるのではないかと思っております!
今回は長野県にある大学の一つ、国際信州学院大学について紹介します!
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└フランス法学科
書道部 フラダンス部 民謡研究部 水槽学部 信州りんご研究会 りんご栽培同好会 相撲部 乗馬サークル 餃子研究会 写真部 釣り部 ボルドーワイン愛飲会 和式便器根絶サークル 伝統菓子研究会 カバディ同好会 テコンドー同好会 ソフトテニス同好会 キンボール同好会 フランスパン愛好会 LoveLive!研究会 スマホアプリ愛好会 コンピューター同好会
鉄道研究会 硬式野球部 混声合唱団 テロメアコサックヨシムラディアボロスコポオ同好会 ジャニヲタサークル インカレサークルCARP サッカーサークル 国信ねこ部 国際信州学院大学山吹千紘研究会 超自然研究会 DONKS国信大学自治連合 剣道愛好会 東方サークル
国際信州学院大学は学校の規模の割にサークルが多いと思います。
ただの理学部ですが、普通に日本語と英語とフランス語が話せます。
当学にも寮があり、日本人と留学生が共同生活をおくっています。
学食は、料理長が上高地帝国ホテルのシェフをした方とのことで、安くて美味しくて、ボリユーム満点です。私も朝7時半の朝食から始まり、21時までやっている夕食まで、1日3食を食べています。
大学生協では、図書やCD,DVDなどが定価の2割引きで買えますが、図書館に行けば、だいたいそろっていますから、趣味の本など以外は買ったことありません。
フランス語を学んで世界へ羽ばたきたい!という夢を叶えてくれる環境がとても備わっています。
その他にも色々な学部があるので公式サイトを参照にして見てみてください。
いかがでしたでしょうか。
今回は国際信州学院大学の評判や偏差値などについてご紹介しました。
たくさんある大学から自分にあった大学を探すのは非常に難しいですよね。いろいろな大学の評判や偏差値などを調べ、比較して、本当に自分が行きたいと思う大学を見つけましょう!
みんな千字文って知ってる?
簡単に言うと、一文字ずつ違う漢字を千文字書く書道のことだ。昔は漢字の勉強にも使われてたらしい。
普通は短期間で集中して仕上げるものらしいけど、あいにく自分は時間が取れなかったため1日5~10文字ずつ書いてた
はじめた理由は割愛するが、千字文とか、最初はただでさえ飽き性なのに続くと思わなかった
今でこそわかるが、続いた理由は明白で、
「成果が目に見えてわかるから」
これに尽きる
たとえば勉強とかだと、一体自分にどのくらいの知識が身についているのかがわかりにくいため挫折しやすいが(模試やテストに辿り着く前に挫折するタイプなので)、
千字文は自分がどのくらい書いたのかが簡単にわかるため続けやすいのだと思う
百文字とか書いただけで達成感あるし、こんなに書いたならここでやめるのはもったいないよなあという気持ちが芽生えるたのだ
こんな感じで、すべての物事の成果が目に見えてわかるといいのになあ
そしたら続けられそうだ
自動車学校なら免許を取れば卒業(正確には逆だけど)で、それがゴールでいいよね。
子ども向けの、書道教室やそろばん教室、スポーツチームなんかは、学校卒業を以ってゴールとしてよいだろう。
でも、大人向けのカルチャースクールあるでしょ。例えば、料理教室とかフラワーアレンジメント教室とか。
そういうのって、いつまで続けるものなの?
老人向けのパソコン教室とかなら、毎回忘れちゃうから、半永久的に学び続けられるのだろうが、
主婦やビジネスマン向けの料理教室なんて、ある程度通えば一通り作れるようになるでしょ。
先生を追い越すのは無理にしても、そう毎回毎回教わるようなこともなくなるんじゃないだろうか。
その頃には先生と仲良くなっているだろうから「辞めます」なんて言いにくいよな。
いっそ引っ越しでもあれば、いい機会なんだけどさ。
名前の漢字の部首として『令』が入るんだが、その『人』の中が『、』の下に『マ』と書くのは間違っていて、『-』の下に『ア』と書くのが正しいので、二重線を引いてそのように直すよう言われた。
そこで、おそらく役所では国語の教科書や書道で習う漢字ではなく、明朝体の活字やPCで表示されるフォントの方が正しい漢字だ、との判断があるんだろうなと推測し、
「じゃあ渡辺さんとかの『辺』のしんにょうも、学校で習った書き方じゃなくて『之』みたいに書かないと書類出せないの?」と聞くと、それは「?」って顔をされた。
特に言い争いをする気もなかったので役所の言う通り書き直したが、なんだか釈然としない。
どういうルールがあるんだろ。
…○○さんも政治から外交、安全保障まで幅広い分野にわたって、切れ味鋭い評論活動を進めておられますが、その基礎となっているのは源氏物語をはじめとした古典から現代文学まで、日本人の核となる精神文化に対する深い洞察である、そう確信しています。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」。以前、対談の折に新保先生から教えていただいた松尾芭蕉の言葉です。
「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」というのはどう考えても「保守の精神」とやらを追い求めることじゃねえよ。
そもそもこの言葉の意味は、古人がかつて求めた跡(保守)を求めるな、古人が求めた理由や背景を理解して古人が今生きていたらどう判断するだろうかを考えろ(時代に合わせて変化せよ)ってことだよ。形を真似るな心を真似ろってことだ。ちなみに、この言葉は芭蕉自身が引用として使っていて、おおもとを言ったのは空海だよ。「書亦古意ニ擬スルヲ以テ善シト為シ、古跡ニ似ルヲ以テ巧ト為サズ(性霊集)」。書道というのは、古跡(昔の大家の書)に「似る」のをもって「巧み」とは言わない、古意(昔の大家が考えたこと)に「擬する」(大家の気持ちになったつもりになる)のを「善」とする、という意味だ。それを「風雅」にも通じるね、ってやったのが芭蕉の趣旨だ。芸術の創作における風雅なんて、前の人のやったことをただ真似してもただの猿真似だからな。
書と風雅は同じではないが、この点では通じるところもあるかもしれない。芭蕉が言ったのはその程度のことだ。決して世の中の永遠の真理について述べたわけではないし、そもそも「政治」なんて全く畑違いのところにこの言葉が適用できるのかどうかも分からない。なのに何が「示唆に富む」だ。古典を自分の都合のいいように解釈したり正直意味が分かってない人間が使う決まり文句だ。古典引用して僕ちゃん格好いい、って思ったか? 残念、馬鹿を晒しただけだ。だいたい、直前の別の人を褒めた文章で
わが国の悠久の歴史や伝統、文化に裏打ちされた価値観は、世の中がいかに変転しようとも揺らぐことはありません。そうした中で伝統的な価値観に立脚し、真の日本人の精神を復活させる
この発言のどこに「古人の求めたるところを求め」る姿勢があるんだよ。ひたすら「古人の跡」万歳万歳じゃねーか! その時点でこの記事上げてる「メディア」のレベルが知れるわ。
「日本人の核となる精神文化」を欠片も知らず理解もせず、こんな人間に得意げに「教えていただきました!」みたいに褒められるとかホント罰ゲームとしか言いようがねえ。その点は受賞者に同情する。まあ自業自得だけどな。それから、我が国の宰相におかれては、こんな阿呆丸出しの文章を平気で得意げに掲載する程度の自称「マスメディア」に担ぎ上げられて舞い上がっておられて本当に可哀想だ。その程度の人間しか応援もしてくれず周りにもいてくれない、その程度の人間としての能力しか持ち合わせておられないことに同情を禁じ得ない。心ある人には完全に見限られているってことだな。親父はもう少し賢かったのだから、母親がダメだったんだろう。まあ勉強から逃げ回っているとこういう人間になるといういい見本だからせいぜい恥を晒してくれれば少しは世間への教育にいいかもしれない。
※たくさんコメントありがとうございます。教えてもらったのを追記します。順位まで書いたコメントの人ごめんね。
※読書、ギター、DTM、絵を描く、読書、語学、映画はもうしているため除外。
では、紹介!
1 キャンプ
2 ビリヤード
3 ドラム
4 マラソン
5 小説を書く
6 ブログ
7 筋トレ
8 マジック
9 料理
13 作詞
14 ピアノ
15 動物ぽんぽん
16 一人旅
18 ボルダリング
19 カメラ
21 海外ドラマ
22 釣り
25 数学
26 俳句
27 プログラミング
29 落語
30 動物園巡り
32 アクアテラリウム
34 音ゲー
35 書道
36 お酒
37 登山
38 囲碁
39 バイオリン
40 ボードゲーム
41 1人カラオケ
42 バッティングセンター
43 トレイルランニング
44 ジャグリング
45 切り絵
46 温泉巡り
47 アマチュア無線
48 コーヒー
49 UFOキャッチャー
50 サイクリング
51 ルービックキューブ
52 美術館巡り
53 バルーンアート
54 スラックライン
55 博物館巡り
56カクテル
58 漬物
59 ワイン
60 ラテアート
61 デコパージュ
62 スキューバダイビング
63 モンハン
64 ゴルフ
65 スポーツ観戦
66 人間観察
67 ネトゲ
68 卓球
69 ジオラマ
70 水泳
71 梅酒作り
72 サバゲー
73 オカリナ
74 Ingress
75 ヌンチャク
76 スキー
77 ハーモニカ
78 クイズ
79 折り紙
80 自作PC
81 シュノーケリング
82 ダーツ
83 ダンス
84 歴史
85 格ゲー
87 鉄道
88 ヌンチャク
89 ドローン
90 ミリタリー
91 スノボー
93 お香
94 フルート
95 盆栽
96 レザークラフト
97 バスクラリネット
98 バードウォッチング
99 パントマイム
100スケボ
130 ファービー
132 パン作り
134ミニ四駆
135 クリケット
136 乗馬
137 アラビア書道
138 ジェルネイル
139 フィンランド語
140 アイドル追っかけ
141 ツーリング
142 プラモデル
143 ジグソーパズル
144 タワー巡り
145 ムックリ
146 利きヨーグルト
147 ボーリング
148 ペーパークラフト
149 カリグラフィー
150 ステンドグラス
151 水引
152 写経
153 離島巡り
154 趣味を考えること
155 昆虫
パンティー集め
冬が終わったら暖かい春ですね。新しいことを始めましょう。一緒に。
※新しいの教えてくれたらプラスするかもしれません。
他の時間は読まないです。
2. 「ごめん」という代わりに「バカヤロー」と言ってみる。
謝る必要がないのに、毎回謝ってしまい、謝りすぎてしまうという問題を抱えていました。今でもそうです。そうなってしまうと、何をするのも謝ってしまい、受け身になってしまいます。自信がなくなって他の人から受ける評価も下がってしまいます。だって、すべてのことに謝っているんですから。
なので、意識的に「ごめん」の代わりに「バカヤロー」というようにしてみたんです。
3. タグを置くのではなく、片づける。
鍋から直接食べるのはそろそろやめましょう。
5. 2分で済むのであれば、やめてしまう。
2分もかかるのなら諦める。
一貫性をもたせるのは、認知行動療法(CBT-I)でもとても大事とされています。
確実に人生が変わる。
8. 丸々1年間、小銭はすべてレジで出す。
そして起きたときには忘れる。
増田。
13. できるだけ長く眠る。次の日も続ける。そしてその次の日も。
できれば二度と起きない。
14. 家を出る前に毎朝布団にもう一度入る。
そして二度寝をする
15. 何かをやめるのではなく、新たに買う。
そして部屋がジャンクであふれる。
野菜350gも。
今回は少年ジャンプ+
ああ、終わった。
本作のテーマを大まかに語るなら、“役割”や“虚構”みたいな話になると思う。
当初期待されていたような、悲しき宿命を背負ったヒーローの活劇ものでは決してない。
むしろそういったものを虚構とし、その偶像に翻弄され、各々の役割に苦悩しつつも時に順応し、時に戦い生きようとする者たちの群像劇みたいな感じ。
話は二転三転しつつも、実はこのテーマ自体はちゃんと一貫していたりする。
最後のサンとルナの邂逅だって、二人は本来のサンとルナではないわけだからね。
そういったテーマや作者の伝えたいであろうことを踏まえたうえで、私が本作を面白かったと思っているかというと……うーん。
展開は行き当たりばったりのように感じるけれども、連載当初の作者のインタビューから解釈する限り、大まかなプロットは決まっていたっぽいんだよね。
それであの始末なのだとすると、構成力不足か読者との意識のズレがあるのかなあと思う。
私もよく感想書いていたから、少なくともある程度は本作を評価していたのは間違いないんだけれども、喉に小骨が刺さっているような気分だ。
主人公が部活に誘われて、最初のうちは渋るものの最終的に入部する、まあ紋切り型。
とはいっても紋切り型が悪いわけではなくて、大事なのはその型に何を入れるかだからね。
その点で「書道」などといった選ばれにくい題材をチョイスしたのは妥当な判断だと思う。
難点は主人公の苦悩が陳腐で、思春期特有の漠然とした虚無感の延長線上でしかない点かな。
だから身内の死という要素を付け足して、その動機の希薄性を緩和しているわけだけれども、そのせいでかえって主人公の苦悩が身内の死のせいなのか若者の陳腐な万能感からなのか有耶無耶になっている。
そもそも芸術的な話って、一般人から見て「何がどうすごいのか」についてアカデミックな解答がないと共感しにくい。
その状態で、肝心の「なぜ書道なのか」について観念的なことばかり並べられても、結果として雰囲気だけで描いているという印象から抜け出せない。
まあ一番悪いのは謳い文句書いた人だよね。
「衝撃作」とか謳っておいてこれといったインパクトがないんだから肩透かし食らう。
キャラクターの描き方が上手いなあって印象。
主役はタイトルにもなっているノリなんだけれども、言動の突飛さと激しいスケート(?)シーンを同時進行で見せることによって、「変人だけどすごい」という説得力が増す。
コメディやギャグ漫画でも、絵の説得力って大事だなあと改めて実感した。
まあノリの造形はあんまり好みではないけれども、見せたいものが伝わっている時点でデザインとしては成功だと思う。
それぞれが「友愛か、恋愛か」みたいなことで悩んでいるんだけれども、これが三者三様であることを改めて見せてくれたなあっていう。
他の主要人物が一応の答えを出して立ち回ろうとしているのに対し、二葉の場合はそこら辺が漠然としている状態。
YESにしろNOにしろ相応の立ち回りをするべきなのに、二葉の消極的な性格もあいまって上手くできない。
それが前半の、二葉の将来に対する煮え切らなさと本質的な部分では重なっているわけだね。
学生たちが進路について考え始める時期に設定したのは、話がゴチャつくか空気設定になる可能性もあったけれども、なんか上手いこと繋げていくなあ。
まあ、タイトルからしてアンドロイドの人格に焦点を当てた作品であることは明らかだから、話は最初からスッと入っていく。
SF要素や哲学的な話は希薄で、矛盾はしていないように見えるけれども陳腐だとは感じる。
そもそも主題は「過去に辛い経験のある二人が、共に前向きに生きることを決意する」といった話だろうから、まあ作りはこれでも良いと思う。
期待していたものとは違うけれども、ストーリーと紡がれるドラマ自体は割と嫌いじゃないよ。
週刊ジャンプで連載されてたのに、コミックス発売記念の漫画をジャンプ+でやるのかっていう印象はあるけれども、まあ本誌でもジャンプ+の宣伝はよくするから細かいこと気にしたって仕方ないか。
この手の転移モノの話で未来に飛びたがるってのが逆に珍しい気がする。
現代だと、むしろ旧文明な異世界とかのほうがポピュラーなイメージがあるし、磯兵衛が過去に飛んで原住民相手に知識をひけらかしてドヤ顔するほうが“らしい”気もしたから。
でも、ここで「未来のほうが楽ができる」っていう発想は確かに“らしい”。
それに転移ものとしては最低限のツボは抑えていて、ジェネレーションギャップ(?)や、順応しようとする描写、肝心なところは大体「母上」というチートで解決っていうのも(笑)
とはいえ新鮮味は薄く、周りの登場人物が明らかに子孫で実質同一人物なので、現代を舞台にしつつも空気感はいつも通りだね(まあ、本作はもとから現代の話がちょくちょく入り込むことが多かったけれども)。
最後に磯兵衛はちょっとした成果を出すけれども、いわゆる枯れた技術の水平思考になっているのはちょっと感心した。
近年の異世界転生・転移もののマンガ読んでいる私からすると、現代の文明を旧文明の世界で活かすパターンが多かったから、その逆パターンもポピュラーになってもいいよねと思った。
子供を主人公にして過激なことやらせるってのは、まあ鉄板といえば鉄板。
主人公であるギコの序盤のアクションはケレン味が強く、まああんまりマジになって見るべきものじゃないことはすぐに伝わる。
ギコの人格を成熟させるのではなく、あくまで年齢相応に設定したのは良かったと思う。
アクションとのギャップでメリハリが出るし、分かりやすい未熟さはキャラクターとしては魅力にもなりうる。
反面、プロットは前時代的な勧善懲悪ものにしかなっていないのは残念。
結果としてはギコの一方的な勝利で終わるので、バトルシーンは総じて面白みが薄い。
例えるなら、小学生向けの漫画誌で描いていた作家がちょっと過激な描写に挑戦してみたものの、その頃のクセが抜けていない作風っていう感じ。
ボクシングを題材にはしてあるものの、スポーツものというよりは青春ものって感じ。
ほとんどモノローグ調で語られる主人公のセリフと、反して明朗快活なヒロイン。
だが本質的には同じ苦悩を抱えており、互いが想いを分かち合おうとすることでトラウマを払拭するという構成は良いと思う。
気になるのは、主人公の設定がボクシングシーンと噛み合っていないというか、分かりにくいところかな。
今までは防衛本能で殴っていたけど、共有できる仲間がいることを自覚したので冷静になれた、みたいな感じに解釈したけれども。
部活モノとして表面的に見るならば、今回感想書いた『I WILL ROCK YOU』と似ているんだけれども、テーマによって印象は大分変わるね。
29歳まで10年付き合った人がいた。
最後の4年は、相手が激務過ぎてEDになってセックスレスだった。
何も言い出せなかった。
毎日横で寝るだけで、「おっぱい触る?」と言わない限り胸も触られなかった。キスもしなかった。
相手もEDな時点でそうなんだろうけど、私だって少しずつ自尊心を削られた。
これだけ付き合ったんだから、他に好きな人がいたって熱病みたいなものだし
本当は、その人とうまくやれるならそうしたかった。
私のためにプライドを少しだけ脇に置いて、
すぐには難しいけど病院に行くよ、って自分から言ってほしかった。
でも言ってくれなかった。
忙しいからしょうがないと思ってほしい、というようなことを言われた。
寂しいと思った。
それで、別れて、その足で好きな人に会いに行った。
そしたら振られた。
手を繋いだし、頭を撫でられたし、よく二人でごはん食べてたのに振られた。
理由は分からないけど、特定の誰かと濃い付き合いをするのが怖い人だったんじゃないかと今は思う。
本当に好きで一人で盛り上がってしまっていたので
ダメージが大変大きかった。
深夜に目が覚めると、涙が出てきた。
でも、ここでモタモタしてたら年齢的に危険と思って
友達に紹介したりしてもらったり、合コン行ったりマッチングアプリ使ったりして色々がんばった。
そのうち楽しいと思えない自分を責めるようになって、精神的によくないなと思って
そういう場に行くのをやめた。
ジタバタするのをやめれば、逆にいい縁があるのではという期待もあった。
でも、もう選んだり選ばれたりで嫌な思いしたくないし、
次に誰かに関係を持つことを拒否されたら死ぬんじゃないかって本気で思うから
なんかもう、どこにも行きたくない。
お見合いパーティーもpairsも使いたくない。
毎日死ぬほど寂しくて、本当にこれからどう生きて行けばいいんだろうな…って毎日思ってる。
20代で、誰ともうまく行かなかった人が
30代で誰かとうまく行くことなんてあるのかなって
周りがちゃんと彼氏がいたり結婚したりしてるのを見ると、自分の不甲斐なさに落ち込む。
走ったり、写経(書道好きなので、瞑想としていいかなって)やったりしても
文章にしたら何か見つかるかな、と思って書いた。
家族とか友達とか、身近な人が亡くなると、鬱っぽくなる人がよくある。
じゃあ、お葬式に関わることの多いお坊さんって、鬱っぽくなったりしないのだろうか?
もちろん、都会の商業的というか、お葬式の時にしか接点が無いような場合にはショックもなにも無いだろうけど、田舎とか、檀家が支えてるようなお寺はどうだろう?
月に一回は檀家の家に行って、月命日のお経を上げ、月に何回か、法話日とか法要日とかでお寺に地域の人を集めたり、場合によっては、書道教室や子供会なんかを開いてる、ある意味理想的なお寺のお坊さんの場合を考えると、実は結構しんどいんじゃないかと思う。
地域に根差した活動をしてるお寺は、その地域の人達のことは知り尽くしてるだろうし、年の近い人達には、きっと仲間感を持ってるお坊さんが多いはず。
でも、地方は間違いなく衰退している訳で、高齢化とかの現実を考えると、ひょっとしたら、立て続けに同年代の檀家を亡くすお坊さんも多いんじゃ無いだろうか?
そうした場合、身近な人が亡くなるショック、自分がお経を上げないといけないプレッシャー、そして収入源も絶たれるという三重苦に悩むことになるわけで、鬱っぽくならずに過ごす方が難しいくらいの感覚になると思うんだけど、どうなんだろう?
坊主丸儲けとか、お坊さんを揶揄する言葉があるけど、現実問題として、人口減少時代には、お坊さんのメンタルケアが必要かも知れない。
中学三年生くらいの時、たまたまネットで原田観峰について調べたらとあるサイトでぼろくそにたたかれていた。
これ、字の良し悪しじゃないやんか。誰の字が絶対的にうまいとかそんなことを考えるより(そもそも字に巧拙あったとして、そうそう序列を決められるとも思えないが)、自分がどうであるかというのを確立したほうがいいと思う。
たぶん誰かが柿沼康二という人をもっともらしく批判してるのを見たら、それだけでその人の字も色あせて見えてしまうようになるから。
日本習字では毎月、お手本と冊子が送られてくる。
お手本は原田観峰、冊子には日本習字の高位段の会員の作品が掲載されていた。
子供ながらに自分はすごく美しい字だと思ったし、きっとすごい人たちなんだろうなぁ~と思っていた。
中学三年生くらいの時、たまたまネットで原田観峰について調べたらとあるサイトでぼろくそにたたかれていた。
内容は「書道の世界に段位を持ち込んで人々の誤解を招いた」というものだった。
私の中で原田観峰のイメージが崩れてしまい、同時に自分が恥ずかしくなった。
もしくはYoutubeの誰かの動画コメントに「下手」「正しくない」「正しい書き方は~」
そもそも、2chは便所の落書きだし、匿名のコメントでは判断の仕様がない。だか私にはこれらの書き込みにはおそらくある程度の説得力があるように思える。
そしてどうやら書道業界では柿沼康二という人物が相当な実力者らしい。
彼は、昭和の三筆の一人である手島右卿に師事し、毎日書道展毎日賞という書道界では栄誉ある賞を20代で受賞。大学生の頃は16時間を臨書に費やしていたという。
私の中で彼は、わかりやすい「書道のすごい人」になり、書家の指標になった。
人間は単純だから、複雑な社会を一つの軸や価値観を通してしか見ることができないという話を聞いたことがある。
なるほど。
例えば漫画を見てみよう。
ある売れている漫画が2chなどで叩かれている光景を目にする。
絵が下手なのに売れているのが理解できない、ストーリーが下手なのに売れているのが理解できない、と。
人間社会は複雑なので、実際には「マーケティング」「絵」「ストーリー」「タイトル」「時代性」「知名度」……そして「好み」非常に多くの事柄がかかわって「売上」という数字をたたき出している。
それなのに一つの項目だけを見て売上を語ることはおろかである。
だが、それでも人は絵のうまさだけで売上を語りたいのだ、2chに書き込みたいのだ。
私が今どういう状況かというと、ちょこっとだけ書家の世界をのぞいてみたい。
漫画家のランキングをつけようにも、何度やっても決まらないだろう。
ただ、一流の漫画家を挙げろと言われれば誰もが納得する名前が挙がることだろう。
だが、私の好奇心がそれを欲している。
ならば下手という指摘はなぜできるのか。
これは断言するが、書道業界を知らない素人にとって書道のすごい人は武田双雲だ。
たとえ武田双雲がプロからみてどれだけ下手で臨書をしなくても、その事実はおそらく変わらないだろう。
柿沼さんはどう思うだろうか。素人に理解されなくてもいいと思うだろうか。少しでも多くの人に本物の書を知ってほしいと思うのだろうか。
このことを悲しむだろうか、残念に思うか。自分がその立場なら残念に思うかもしれない。
でもこの話は書道業界だけの話ではなく、音楽、映画、現代芸術、きっとどの業界にもある。
だから柿沼さんもまた別の業界の素人であってその道のプロから何か思われるかもしれない。
もちろん、彼の情熱を見る限り、芸術分野ならきっと通じ合うものがあると思うが。
私の言いたいことは、素人というのはそういうレベルの人であるということ。
自分の当たり前が通じない、それも毎年何万人もの素人が新しく量産される。
私が長々と何を言いたいというかというと、書道はブラックボックスであるということである。
芸術系の分野ではおそらく、自分の知る限り最もブラックボックスである。
現代芸術では絵のうまさは最も重要な項目ではない。最も重要なのは文脈である、らしい。
その作品がアートの歴史の中でどういう立ち位置にいるのか、どういうコンセプトなのかが重要な位置を占める。
私は書道のことに詳しくはないが、書道の世界の美しさ、素晴らしさ、良さは言葉で説明できないようなものであるのではないかと思う。
もっと言うと王義之の書が最高といわれるが、素人にはわからない。きっと時間をかけて書にふれれば見えてくる世界もあるかもしれないが、素人にその気はない。
私はフォントが好きなので、いろんなフォントをよく眺めている。王義之の書より日本語フォントに美しさを見出す。
もちろん、それはあくまで、私の心の中の世界の話であり、好みである。正しさではない。
書道の正しさでは王義之だろう。それか書道とフォントは全くの別物だから比べることじたい意味がないのかもしれない。
まぁ、書家のいうなんちゃって揮毫も多くの素人が美しいと思うのと同じかもしれない。知識不足で見えない世界のため、下の世界で満足しているだけかもしれない。
話は変わるが、待ちゆく人に好きなフォントを聞くと「MSゴシック」だそう。たぶんデザイナーではありえない。少なくとも自分は好きではない。
美しいとされるフォントは手書きの温かみを再現していたりするので、書道から教えられることは多いかもしれない。
でも私は彼らを馬鹿にしたりはしない。無論、私は一流デザイナーではないし、アーティストではないから柿沼さんと比較はできないが。
つまり素人というのはそういうものである。どの業界もきっと素人にわかってもらえない苦労はある。
だからやさしく教えてあげればいいと思う。
書道界で名をはせている人はなぜ有名なのか?
美しいとされる文字はなぜ美しいとされるのか?
正しさはどこにあるのか?美しさはどこにあるのか?
そもそも沢山の人が訪れる分野ではないかもしれない。ネットで書道の情報を集めるのは(ほかの分野に比べれば)大変だ。
派閥ではなく真に実力で名をのこした書家を知りたくても素人にはわからない。
つまり、ブラックボックスの芸術なので、ネットで書家が叩かれているのが正しいのか正しくないのか、的外れなのか的を射ているのかわからない。
下手といわれても素人目にはすごくうまく見える。
下手なのを説明できないのであれば、うまいのを説明できないのではないだろうか。
私は説明もなくただ、下手だといわれても素人だから納得できない。
追記:
そうか…
悪文ごめんね。思ってることを書き連ねたらこんな文章になってしまった。
冷静になって読み返してみると話が飛びすぎてるし、後半読みづらいのは確かにある。
ごめんね。
でも頭が悪いっていうのはひどいよ。
言いたいことを要約して書くけど、
高校生の頃,私は古典という科目が苦手で,テストの点数も芳しくない学生であった.
それどころか,なぜ今後使うことがないであろう古代日本語を勉強する必要があるのかと不満を持っていたように思う.
その後の人生で,古典を真面目に勉強したこなかったことで,教養のなさを実感し後悔する場面も時折あった.
そもそも古典漢文に限らず,あらゆる教養は重要であり,それ自体に意義を求めるべきではないのかもしれない.
しかし,古典が必修科目である必要があるかといえば,疑問は残る.
必修科目は,歴史や物理・化学などの選択科目と違い,学ぶことを自ら選択することができない科目である.
それは,他の科目を学ぶための基礎として,特に重点的に扱う必要がある科目であるからだと推察される.
数学をないがしろにして,物理や化学に取り組むことはできないであろうし,
英語や現代文をないがしろにして高校修学以後,他の学問を修めることはまず不可能であろう.
古典が,教養という側面ではもちろん,法学や史学などを修める上で,重要な科目であるのは間違いない.
しかしながら,他の必修科目と比べた場合,必要になる場面は限定的と言えるのではないだろうか.
一方,必修科目と比べ,優先度が低く設定されている選択科目の中でも,重要となるものは存在するのではないだろうか.
現代社会で扱う,経済学の基本である需要と供給の概念や,物理で学ぶ基本的な考え方,音楽や美術や書道で学ぶ作品も,同様に教養として重要ではないだろうか.
必修科目と選択科目を分けた一つの背景に,時間の制約からくる優先度決めというのもあるのかもしれない.
正確には冬休み必ずある書き初めの宿題が嫌い。なぜなら母にすっごく怒られるから。
これは本当に当時から今でも原因がわからないんだけど、とにかくめちゃくちゃ怒る。小学校一年生から毎年怒られてきた。
何を言われたかは具体的には覚えてない。多分文字のバランスとか止めハネとかそういうことを注意されてたんだと思うけど、とにかく怒ってる母が怖くて嫌で早く終わってほしいと思ってたし、毎年書き初めの時期が近づいてくるのが恐怖だった。
習字はもともと苦手で、そりゃあ上手ではなかったけど、どうしようもなく下手ってわけでもなかったと思う。ちなみに母は習字の先生とか書道を習っていたとかではない。普通の美容師。
普段からすごく怒られてたわけでもないし(悪いことすれば当然怒られるけど)、今でも仲は良いほうだと思うし、実際母のことは好きだけど、なんであんなに毎年怒ってたのか、怒られていたのか本当にわからない。聞けば答えてくれるかもしれないけど、なんかほじくり返したくなくてなんとなく聞けない。ただふとした時に思い出して、書き初め嫌だったなーと思うだけ。
六年生くらいに、ぽろっと「お母さん怒るから、書き初め嫌だ。」と言ってみたら「もう近くで見ないから、好きに書きな。」と言われて、それからは怒られなくなった。
でもずっと怒られてきてるから習字自体嫌いになってたし、「もう見ない」って言ってたけどやっぱり怒られるんじゃ…と不安だった。親が仕事に行ってる間に2枚だけさっと書いて、マシな方を提出した。中学卒業まで宿題分は毎年2枚しか書かなかった。
おかげで習字は上達せず、筆ペンを上手に扱えない。大人になったら習字なんかやらねーしと思ってたけど、なんだかんだ機会はあるんだなぁと最近思う。