はてなキーワード: ショッピングセンターとは
7万だよー、地方の人じゃ住めない狭さだと思うけど。
あと、元増田が書いてる場所、ショッピングセンターとホームセンター以外徒歩5分だけど、めったに行かない。便利の基準が全然違うと思う
ショッピングセンターとホームセンターはたまに地方のでっかいやつ行くと面白いね
地方の事務所を畳んで都会に新しく作るってので引っ越してきた。
もうすぐ半年がすぎるけど帰りたくて仕方ない。
田舎はなんにも無いというけれど、私にとってはここの方が何も無い。
県内でも比較的大きめですごく安いショッピングセンター+ホームセンターが徒歩で行けた。
図書館も徒歩で行けた。今じゃバスに乗って駅まで出ないと無い…。
子供の遊び場だって無料が殆どだったのに、ここじゃ大人料金+駐車場代まで取られる始末。
駐車するスペースがあるだけマシとか、ほんと貧しい土地だよ。
ブックオフもトイザらスもTSUTAYAもGEOも全て徒歩で行けたし、もちろんでかい駐車場(無料)があって車で行けた。
今じゃどこへ行くにも渋滞と仲良しで疲れるし、駐車スペースを探すのも一苦労だから外出したくなくなった。
公共交通機関に至っては人間の乗り物と思えない。毎日毎日ギュウギュウ詰めに詰められて、、ストレスじゃないの?
都会で心身すり減らして財布にも心にも余裕が無い親に育てられる方が低レベル教育よりよっぽど悪影響だと思う。
もちろん金があって都会に住むのが一番だろうけどさ、そんなん全体の何%だよ。
はてなは東京大好きっ子ばかりだけど、人口比率で言ったら東京に住む人なんてわずか一握りで、
その他大勢の田舎に住んでいる人達に支えられて生活してるんだろうに。
はー糞だよ糞。お前らのやってる仕事ぜーんぶ糞。
パチンコにも劣るソシャゲだのクライアントに振り回されて全く使えない糞システムだの
マーケ()とか当てずっぽうの博打以外のなにものでも無い糞広告だの会社の崩壊を招く糞コンサルだの
寝ずに作っては壊し作っては壊しで自分の身さえ滅ぼして
じゃぶじゃぶお金をつまんねーガジェットやらガチャやらにぶっこんで。
まじでガチャに金ぶっこんでるやつみるとキチガイだなって思う。世の中みんなキチガイだ。
話がそれた。
とにかく帰りたいんだ。狭い世界で終わりたい。
世の中の事なんて知りたくない。
都会にとって私の魅力が無いように、私にとって都会に魅力は無いのだ。
田舎のときも対して無かったけど、今みたいに何も無いままただ金だけがむしり取られていくような感覚は無かった。
あー帰りたい。
帰ってももうどうにもならないは分かってるんだ。
5日程シンガポール に滞在し、帰国して落ち着いたので振り返りの為に記録を残します。
幸いなことに現地に駐在している人や、シンガポール 人(シンガポーリアンと現地では言う)の人とも交流することができ、今まで正直興味無かった国ですが歴史や文化も含めて知る機会を得ることができました。
かつてポルトガル、その後はイギリス、一時期は日本の占領統治下に長くあったシンガポール は独立を勝ち取るも国土も資源もないその中で、社会的なシステムの力だけで今日の繁栄を手にしました。駐在の長い人やシンガポーリアンの人達が口々に「シンガポール はいいとこ取りの国だ。」と言うことを道路や街づくり、法律の設計や商売のスタンスからも感じることができました。
地元民などがメインで食事をするホーカー(路上の食堂)には政府からの補助金が入り、かなり安い料金で食事をすることができる反面、観光客向けのレストランや各種施設には非常に高い料金を設定し一国の中で二制度を作り出しているのはキューバの国家運営と似ており、社会主義的なシステムを感じました。
他にもシンガポーリアンの教育に関しても本当に優秀な人には日本ではあり得ない投資をし、優秀な人材を徹底的に育成しそこからあぶれた人にもシンガポール内に視点を持つ企業には一定数のシンガポーリアンの採用を義務付けたり、タクシーの運転手はシンガポーリアンだけで独占し、他国の人はなれないような仕組みを作って自国民の雇用と生活を保護する仕組みは中国でも一般的に行われています。道路等に関しては左側通行で日本と似たような仕組みなのですが、多くの車にドライブレコーダーが取り付けられ加えて街中にも多数の監視カメラでしっかりと統制された運用がなされています。
昼間の混雑を解消する為に都市の中心部を昼間のみ有料道路にし、混雑の緩和を金銭的なシステムで計ってるあたりは本当に賢いと感じました。
しかも上記の事情からタクシー運転手の社会的地位も他国より高く、乗車拒否は当たり前にしてくるそうです。自分も一回、タクシーの運転手が目的地を間違えて連れていかれ、引き返した分の料金も請求してきたので言い争いしましたが、平気で開き直ってきますしプライドの高さを感じました。(当初の半額に値切りました)
日本の占領統治下にあったこともあり、日本人に対して悪印象があるかビクビクしていたのですが、滞在中は特にそういった体験もせずに現在5万人日本人が滞在するシンガポールにおいて日本人はいい隣人の地位を獲得できているようです。ただこれは同時に特別扱い等ではなく、大きなお金を落としてくれるお得意様という意味です。
滞在中に知り合ったシンガポールの銀行にて投資を担当している人は英語はもちろんアラビア語も中国語も話して日々の仕事をしているとのことで、スキルを持った人にとってはシンガポールは日本よりも税金の優遇も大きく過ごしやすい街であることを伺いました。
特に魅力的に感じたのがシンガポーリアン自体は華僑(中華系)とマレーシア系の人が多いのですが多くの外国人労働者が各地域でコミニティを形成しており、リトルチャイナやリトルインディア、アラブストリートやタイ系のショッピングセンターなどが近い距離に混在しており、多国籍な文化を短い時間で比較的安全に体験することができるところが非常にエキサイティングでした。
今回は1人での滞在だったのですが、今後子どもが大きくなった際には是非連れてきて色々な文化と触れる機会を持てればと思いました。
お土産としてはアラブストリートで買った香水瓶や、現地の旅行会社にお勤めの方に教えてもらったお菓子類がほとんど外れなくいい感じでした。機会があればぜひ使ってみてください。
https://gotrip.jp/2018/08/96312/
https://singaporetabi.com/bengawansolo/
パイナップルタルトとプロウンロール美味しかったです。台湾のパイナップルケーキよりも酸味があって、僕はこちらの方が好きでした。
<チャイルドライン>宮城の電話相談、児童虐待の53%が「性的」 17年度「これほど高いのは衝撃」 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
https://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201901/20190107_13006.html
『性的虐待の被害者は主に小学生から高校生の女子で、特に中学生が多かった。加害者の多くは実父とみられる。被害者の大半が「誰にも話していない」と訴えるといい、相談できずに独りで悩むケースが多いことをうかがわせる。』ニュース本文より
ここに電話してきた子供たちの苦しみや勇気を思うと、胸が締め付けられて仕方がない。どれだけ一人でつらい思いをしてきたのだろう。電話をかけることだってきっとものすごく悩んだだろう。相談しようと決意できただけですごいことだ。
性的虐待はきっと私達が思っている以上に身近に起きている。そして誰にも知られることがないまま、被害者は苦しみながら、なんとか大人になって自分の負った傷から目をそらして生きる。
だって、どうして言うことができるだろう。実の父親から「女」として見られ、性的に搾取されているだなんてことを、他人に話せるわけがない。
セックスに対する知識だってあるかどうかわからない年齢で、自分がどんな被害にあっているのかもよくわからなくて、けれど怖くて、不安で、相手は父親で。
どんなに仲が良くても友達になんて話せるわけがない。母親に話すことだって不可能に近い。
まず子供の言うことだとまともに取り合ってもらえず、信じてもらえないかもしれない。信じてもらえたとして、「お前から誘ったんだろう」と責められるかもしれない。ヘタを打てば、家庭という小さいコミュニティの中で自分の居場所も安全もますます確保できなくなるのだ。親が絶対的な存在で、家から出たら生きていくこともできない子供にそんなリスクは冒せない。
私は13歳のとき父親からラブホテルに誘われたことがある。ショッピングセンターの駐車場で、母の買い物が終わるのを車中で待っていたときだった。
広い駐車場でぼーっと外を眺めていて、窓から見える様々なネオンの看板について父と他愛もない話をしていた。その中の一つにちょっと変わった読み方をする看板があった。それがラブホテルの名前だった。
当時の私はセックスに関する知識もほとんどなく、その建物がどういう目的の建物なのかもよく分かっていなかった。ただポツリと目についたので、「あれなんて読むのかな、ホテル××?」と何も考えずに名前を読み上げてしまった。それを聞いた父は、ニヤリと笑って「行ってみる?」と言った。なんともいえない嫌な感じ、そして父のあのニヤリとした笑顔の気味悪さに何か言ってはいけないことを言ってしまった気がして、すぐに黙った。父もなんとなくその場を濁して終わった。
まぁ普通に考えて冗談だったのだろう。それ以上のことは何も起きていない。けれど一年程経ってその施設の意味を知ったときの私は、激しく悩んだ。
どういうつもりで言ったのか、冗談だったのか、もしあの時私がよく知らないまま「うん」と言っていたらどうなっていたのか……何より父親から「そういう目で見られているかもしれない」という疑いを抱いてからは毎日家で顔を合わせることも恐怖になった。
直接身体を触られたり、関係を持ったりしたわけではない。だから世の中にはもっと深刻な事態で苦しんでいる子がいることは十分に承知している。
けれど大人になって振り返った今、やっぱり自分が父親から言われたことは「おかしい」と思う。
なので、もし過去の私と似たような体験をしていて「これはおかしいのだろうか…」と人知れず悩んでいる子がいたら、それはおかしいのだと、助けを求めていいのだと伝えたい。
父が激しく女にだらしがなく、結婚直後から無節操に繰り返していた浮気が発覚したのは中3の終わり頃だった。母はすぐに父と別居し、私は高校生になった。(余談だが中学卒業が近付いたとき、父は私に冗談で「制服は目線を入れた顔写真をつければネットオークションで高く売れるぞw」と言ってきた)
何年離れて暮らしても、あの時の言葉は心の中にシミのように残ってしまっている。
あれはただの冗談で、自分の自意識過剰なのではないかと悩んだこともあった。
けれどあれから倍以上年をとった今の私には言える。そもそも10代の子供が、そんなことで一人きりで悩んで苦しんでいること自体がおかしいのだ。タイムマシンがあれば即座に行ってアンタは悪くないと言ってやりたい。
またこれは詳細を知りたくない話だが、別居に際し父の持ち物から「盗撮マニュアル」的な物が一式見つかったと小耳に挟んだことがある(父は無線で盗聴する趣味があったのでなんら意外なことでもなかった)。
悪い小遣い稼ぎをしていたらしいという噂もあったので、考えたくないことだが、もしかしたら自分やきょうだいの裸が父の手によって売られていた可能性もある。もしそうだとしても、それをこの世から消すことは不可能だろう。
本人が全く気付かない内に被害者になっているところがこの怖さだと思うので、児童ポルノの単純所持をしている人がもしいれば、それを持っているだけでどこかの知らない子供が傷ついて苦しむことになると分かって欲しい。
私が話せることはこれだけです。もっとセンセーショナルな話を期待していた方にはすみません。
けれど私の「たったこれしきのこと」であっても、私はこの話を今まで誰にもできませんでした。恥ずかしくて、怖くて、誰にも言えませんでした。ここまで読んでくれてありがとうございました。
父は未だに私の中の「相手が骨になっても絶対に会いたくない人ランキング」のトップランカーです。
(※2019-01-09追記)
まさしくそう言われることが怖くて、これまで誰にも話すことができませんでした。
信用して打ち明けた相手にこう返されるかもしれないと思うと、10代のとき他人に話すことはとてもできませんでした。
もしこういう会話が親子間・親戚間での「よくある冗談」だとしても、その影で傷ついて悩んでいる子供がいる可能性についてはもっと知られて欲しいと思います。
そして私の体験が児童虐待・性的虐待かどうかについては、私には判断できませんのでこの場では語りません。
ただ宮城のホットラインの内訳は氷山の一角で、かつての私のような悩みを抱えている子供、もっと深刻な事態にいる子供は今も一人で苦しんでいると思います。
実家は関東だけど、平均年齢が県内2位という有数の過疎地にあり、死にゆく町なので長男だけど県内の別の場所に家を買った。
ここも都会ではないものの、子育て世帯が非常に多く、平均年齢は県内有数の低さ。ただ、独身一人暮らしはほとんどいないので、将来的には今のニュータウンみたいになるんだろうなとは思う。それでも自治体として破綻しそうな実家の状況よりずっとマシだ。
グーグルマップで徒歩17分と出る駅の反対側の神社に家族でお散歩がてら初詣に行って、帰りに駅前のイオンに寄ってサイゼリアでお昼ご飯を食べて、福袋を買って帰ってきた。
初売り目当ての買い物客が来るようなイオンではないので人はまばら。
大学は都内だったけれど、都内に住んでいることを何も生かせなかった。いろいろあって恋人がいた期間は数ヶ月だけだったからオシャレなデートスポットなんて行ったことないし、ファッションにも興味はなくオタク趣味もなかった。音楽サークルにいて演奏するのは好きだったし練習も熱心な方だったけれどあまり上達しなかったし、他人のライブに行くのはあまり好きではなかった。
専門資格を得る学部で、その仕事がやりたい人ばかりなのが当たり前なんだけど、実は自分は仕方がなく入ったので周りとうまくいかない部分があった。
結局はその仕事をしているんだけど、まぁ好きではないが耐えられないほど苦痛でもないので、多くの人はこんなもんだろと思って働いている。
きっとこの町は若者には物足りないだろう。東京駅までも1時間くらいかかるし、飲食店はチェーン店ばかり。車がないと郊外のショッピングセンターに行くには不便。
でも、俺には心地良い。
漁村のような実家とは違い、映画も見られるしファミレスもある。
しあわせってなんだろう。
幸せなんて主観的なものでしかないから、先程の問の答えや定義は人によりけりっていうところなのだろうけど。
24歳。
周りには家庭を持っている人もいれば、学生として研究に勤しむ人もいる。働いている人も多くいるし、働き方だって様々。職種も様々。
わたしが生まれ育ったのは、とある地方都市のベッドタウン。小さなショッピングセンターはあるものの、特にそれ以外は何も無い。家がある住宅街を抜けると、田んぼと山に囲まれた田舎の景色が広がっている。
子育てをするにはとても良い環境だったと思うし、実際、たくさんの子育て世代がこの住宅街に夢のマイホームを建てて移り住んでいた。
突然だが、人生とは選択の連続である、という言葉がある。(byシェイクスピア)
当たり前のことではあるが、成長とともに選択肢は増える。
特にわたしたちのようや田舎で育った者にとっては、なおさらそうだろう。私立の小学校、中学校だなんて周りになかったし、車がないと駅にもたどり着けないような地域なので、ほとんど全員が地元の幼稚園、小学校、中学校、と、同じルートを辿る(もちろん受験をしてみたり、別のルートを歩む人は少なからずいたが)。
わたしにとっての初めての大きな分岐点は高校受験であったと思う。
田舎にちょっぴりコンプレックスを抱いていたわたしは、都市部に位置するという理由だけで、この辺で1番の進学校に進んだ。
わたしは決して頭の回転がいい訳では無いが、昔から記憶力がとてもよかった。
おかげで普段は全く勉強をしない不真面目な学生だったわたしだが、テスト前の詰め込みだけでそこそこ学年でも上の方の成績を維持しており、高校受験もなんなくクリア出来た。
地方の進学校特有の、地元の国立大学(A大学とする)を神聖視し、それはそれは宗教のように、「目指せ!A大学!」と朝から晩まで勉強に励む生徒達。
わたしは多数派から外れることがとても怖かった。いつも一緒に行動していた友人達はみなA大学を志望しており、わたしも当たり前のように、なんの疑問も感じずにA大学を志望し、死ぬほど勉強した。
特に将来やりたいこともなく、母親から、「今の時代は女でも資格を持っていないと」と言われたので、特に何も考えず資格が取れる専門的な学部を受験した。
死ぬほど勉強した甲斐あって、ストレートで合格し、進学をすることができた。
周りの大人たち、親戚たちからは、優秀ね、親孝行ね、などといつも褒められたし、親もとてもわたしの進学を喜んでくれていた。
大学では、それなりにキャンパスライフを楽しむことができたので、専門的な学部だったため、他の学部のように授業をサボってみたり、全休作ってみたり、そんなことは一切出来なかったし、なにより実習が死ぬほどきつかった。
大学生にもなると、仲の良かった同級生たちは皆SNSをやっていた。
この頃から自分の選択が正しかったのか、自分に問いかけることが増えてきた気がする。
関東の私大に進学した友人はいつもオシャレなカフェをインスタグラムにあげていたし、同じ大学に通いながらも全休をたくさん作って遊び呆けてる友人、地元の高校で勉強はあまりせずに恋愛を満喫して専門学校に進学し彼氏とラブラブな友人、夜の仕事をしながら華やかな世界で生きる友人、
所詮全てSNSでしか知ることは出来なかったので、切り取られたほんの1部だったのだろうが、やっぱり隣の芝生って青い。
みんなそれぞれ、たくさんの選択肢を選んできた結果として、様々な人生を歩んでいた。
大学を卒業した後、わたしは今、地元で公務員として働いている。
安定した職もあるし、高給取りではないけれど、実家暮らしのため、そこそこ自由に使えるお金もあり、趣味も満喫している。友人もいる。誰もが注目するほどの美人ではないけれど、絶望するほどのブスでもない。
過去の自分に会うことが出来て、未来から何かを伝えるという漫画みたいな経験ができるのであれば、もっといろんな選択肢があるってことに気づかせてあげたい。
子どもが欲しい。わたしも早く家庭を築きたい。もっとワクワクするような仕事がしたい。素敵な彼氏とラブラブしたい。
華やかな世界に生きたい。都会に出たい。
しかし、わたしにはこの安定したレールから脱線する勇気がない。
もっと勉強しなくて良い学校に通って毎日遊んでバイトして過ごした方が楽しかったかな?自分探しの旅に出てみてもよかったかな?たくさん男の人と遊んでたら、いい人見つけてもう結婚できてたかな?
この選択肢を選んできた自分の人生以外の人生を歩むことは出来ないので、どの選択肢を選ぶのが正解だったかなんて今更わからないけれど。
今日もわたしはいつも通り、実家のリビングでゴロゴロしながら、ツムツムのハートが回復するのを待ちながら、この記事を書いた。
何が言いたいかさっぱりわからなくなったが、自分の言いたいことをつらつらと書いてみた。共感してくれる人も、贅沢なやつだと反論的な考えを持つ人もいるだろうが、暇を持て余した1人の24歳女の戯言としてさらっと流してくれたらうれしい。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
原作でも、休みや連休の繁忙期には手伝ってる。関家は今でこそ東京ぐらしだが夫妻共に花の湯温泉出身(小3から同じクラスだった)のため、もともと春の屋出身だったおっこ母はもとより、それをみていたおっこ父もそれなりに忙しい時期の忙しさは把握していた模様。
おっこも小さいときから旅館に連れられて遊びにきているから、エツコさん康さんとは映画の「蜘蛛が落ちてくるところ」が初対面ではない。ただし旅館の食事は「新メニューの試作」くらいでしか食べさせてもらえなかった(それでもとても美味しかった)模様。
A)東名高速のぼり車線内会話 咲子(主人公の母)「おかあさまにごあいさつできなかったわね」運転中の父「観光シーズンで忙しいからしかたないよ」
そのうえで「遅くなると帰りが渋滞となる」とのおっこの言葉から、神楽を見ていたのは連休最終日のような、休みがひと区切りつく日のことだったことがわかる。おっこ父母はおそらく手伝いはせいぜい最終日朝までだったのだろう。その日チェックアウトする客関連の手伝いまではしないで、最後に神楽を見ていた。帰りに挨拶しようと春の屋に寄ったら、レイトチェックアウトのお客さんがいて、特に言葉での挨拶はしないで帰ってきた、といったところか。
原作でも客が少ないとき(1巻につき1回くらいはある)とか、ピークを越えたあたりでおっこも開放されてるので、翌晩の予約が少ないなどで急ぎの用事が発生しない場合は手伝わずとも旅館仕事は回っている模様。
原作ではエツコさんにはリカコさんという大学生の娘がいて、おっこのプライベートと繁忙期が重なったとき(クリスマスとか、秋の連休でのTAIWAN旅行とか)にはバイトしてもらえるので、実はおっこは春の屋旅館の若おかみと言われつつ"おみそ"状態だったりする。風呂掃除などの仕事も夏休み終わり段階の時期で皆から"荒い"(あとから来た居候の男子小学生の方が仕事が丁寧と褒められている)と言われていて、あまり戦力として期待されていない。ここを踏まえないと「児童労働がー」みたいな話になる。
この話にはあんまり関係ないが、エツコさん康さんはどちらも住み込みではない。深夜仕事が発生したときに泊まれる部屋は用意してあるが、基本的には夜は家に帰っている。家が近所にあるかは不明。エツコさんは車で国道沿いのショッピングセンターにひとっ走りして、おもてなし用の食器を買ってくるくらいには車に乗り慣れてる。
さらに余談だが、春の屋旅館でも秋好旅館でもないリアル温泉旅館の御曹司が先輩にいて、格安で泊めてもらったことがあったのだが、旅館仕事で一番人手がかかるのは「布団の上げ下ろし」だったそうだ。これを省けると(もちろん他のいろいろも省いているのだと思うが)、1泊ウン万円の宿が数千円でも赤字にならないとのこと。以上の話を踏まえると、おっこはマスコット要員としての要素を除くとおそらく布団の上げ下ろし要員として期待されてる。
保育園年少の息子がいるんだけど、クラスのお友達が一週間家族でキャンプ行ったり、ディズニーに泊まりで行ったり、八丈島行ったり、すごいいろんな経験してて、キャンプや公園やハイキングに連れて行っていないのが申し訳ない。
どうにかしてアンデルセン公園とかにつれていこうと誘うんだけど、父親が「公園は嫌」「家族全員でいたい」「ショッピングセンター行こう」「ホームセンターでも動物は見えるよ、楽しいよ」って言ってきて、行けない。
当の息子はポケモンガオーレという1回100円のゲームが出来ればどこでもいいらしい……
突然だが結婚ができない。
私は女である。
30歳は数年前に通りすぎた。
姉と弟には配偶者がいて、どちらも子どもをもうけている。(おめでとう)
だけど私は結婚ができない。
婚活を二回ほどやってみた。
彼氏もできなかった。
最初は自分でも「理想が高いんだろうか」「そんなつもりはないけどイケメンが良いとか思ってるんだろうか」などと考えていた。
でも違っていた。
私は、誰かに(特に恋愛的あるいは性的な意味で)「好意を寄せられること」が苦手なのである。
でも、その「格好いいなぁ」と思っている相手が、いま目の前に現れて「結婚してください!」と言いだしたらどうだろう。
無理無理無理。
ごめんなさい。
そして二度と「格好いいなぁ」などとは思わない。
「きみが夢の中にも出てきてね」
「妻とは離婚したんだ」
離婚の時期は不明なので、私と出会う前に終わっていたことを願いたい。
なんで車に乗ってたかって?
教授から「卒論のテーマにした自治体へ、お礼を持って行く必要がある。楽だから先生の車で現地へ行こう」と言われたからだ。
その自治体が田舎で電車の駅から役場まで遠かったからなんの疑問もなくついていった帰りだった。
車を停めてください!と何度も叫んで車を降りた。
気持ち悪くて吐き気がして、最寄りのショッピングセンターでタクシーを呼んでもらって泣きながら帰った。
これがトラウマなのかもしれない。
いずれにせよ、どんなに好きだと思った相手でも、相手の気持ちが自分に向くと途端にサッと熱が冷めるのである。
腕は大丈夫なのに、脛が苦手だ。
あと、妙な男臭さも苦手だ。
(既婚者の車はいつもすごく爽やかなのに、独身者の車は独特の匂いがすると思う)
いやまぁ、そんな感じで、私の性的対象は男性なのに、女性といるほうが落ち着くし、周りの女性が優しい人ばかりだから、一時は「私って女性の方が好きなのかも」と思ったこともある。
もともと私は人と同じ部屋にいるのが苦手で、実家でもなるべく家族のいない部屋で一人になっていることが多かった。
オタクは楽だぞぉ。
推しにお金をつぎ込んでも相手から認識されることはないし(二次元に限る)、三次元相手でも近づきすぎなければ向こうからこちらに向けてアンテナが向くことはないから。
そっと応援して自己満足にひたり、供給される喜びを噛み締めていればいいだけなのだ。
オタクだから結婚できないんじゃ…と思った人は全国のオタク既婚者を見てものを言ってください。
色々書いたけど、とりあえず私は結婚ができない。
最近はそのことによって家族に対する劣等感を抱くようになってきた。
「子どもができて一人前」という価値観で育ってきた私には、唯一それが達成できていない自分が一番駄目なやつだという意識がある。
生き方なんて千差万別、結婚しない人も、結婚したけど子どもがいない人も沢山いるし、他の人がどういう生き方をしていても、それを貶そうという気持ちにはならないのに、なぜか自分だけは「すごくダメだ」という考えになってしまう。
だからだろうか、実家に帰っても居心地が悪く、家族はまったく普通に接してくれているのに、私だけがギクシャクした対応を取ってしまう。
最終的には「これ以上ここにはいられない」と、逃げ出すように実家から一人暮らしの自宅へ戻ってしまうのだ。
数日間くらい我慢して一緒にいればいいのに、どうして家族と一緒にいると、モヤモヤした気持ちになるのだろう。
悪いのは私だという認識はある。だってべつに、「まだ結婚しないの?」と言われたわけでもないのだ。(最近言われなくなった)
あえて波風を立てるようなことをしなくても良かったはずなのに。
そうやって、どうしようもなく居た堪れない気持ちになることが増えてきている。
それが嫌で、親からの連絡を見るのも近頃億劫になってしまった。
家族と一緒にいたいなぁと思うのに、一緒にいるのがしんどい人、私の他にもいますかね。
もしいたら、私たち、もう少し強く優しく生きれるようになれるといいですね。
1993年。外資系のワーナー・マイカル・シネマズの日本第一号・海老名店がオープン。アメリカ式シネコンの嚆矢。
1995年。外資系のAMCシアターズの日本第一号・AMCキャナルシティ13がオープン。
1996年。外資系のユナイテッド・シネマの日本第一号・大津店がオープン。
1997年。国内系の松竹MOVIXの第一号・六甲店がオープン。
1998年。国内系の東急109シネマズの第一号・港北店がオープン。
1999年。外資系のヴァージンシネマズの第一号・トリアス久山店がオープン。
1999年。国内系のシネプレックスの第一号・平塚店がオープン。
2000年。大店法が廃止。大型ショッピングセンターの駆け込み出店。併設のシネコンも急増。
アメリカ本国ではシネコン競争が過熱して2000年前後に映画興行チェーンの倒産が続出。
2001年。外資系のロウズが日本出店を計画するも、本社が倒産して撤回。
2001年。マイカルが経営破綻(2003年にイオン傘下)。2004年までワーナー・マイカル・シネマズの出店が止まる。
この頃から国内系ロードショー館の都市型シネコンへの置き換えが加速。
2003年、ヴァージンシネマズを国内系の東宝が買収。TOHOシネマズに変更。
2004年、ユナイテッド・シネマの親会社が日本撤退。株式を住友商事に売却(2014年にローソン傘下)。
2005年、AMCシアターズが日本撤退。国内事業をユナイテッド・シネマに売却。
2006年、まちづくり3法改正。大型ショッピングセンターの駆け込み出店。併設のシネコンも急増。
2013年。ワーナーが資本撤退。ワーナー・マイカル・シネマズがイオンシネマに変更。
2013年。ユナイテッド・シネマがシネプレックスを吸収合併。
90年代末から2000年代初頭にかけてシネコン建設ラッシュ。
つまりこういうことだろ?
ヨーロッパの町の中心には必ず教会がある。教会の鐘の聞こえる範囲を教区と言い、キリスト教における統治の最少単位だったからだ。
朝な夕なに聞こえる鐘の音、そして町のどこからでも見える教会の尖塔、それこそがコミュニティの象徴だった。
かつてのキリスト教会は行政機関であり、司法機関であり、軍隊であり、教育機関であり、医療機関であり、福祉機関であった。
そして何よりも思想の中心であった。
人々は己の知的能力を超える判断を迫られた時には、「神の御心に沿うかどうか」と己に問いかければ良かった。あるいは聖書を開き、あるいは聖職者に問うた。
神の御心にさえ沿っていれば、理不尽な要求を突っぱねようが、相手を怒らようが、死後に天国に迎えられるのは自分である。
現代ではどうだろうか。街が発展して行く中で、中心にあるのは行政機関か、高層ビルディングかか、大規模なショッピングセンターか、資本主義社会にふさわしい姿に変容しているだろう。
しかし、欧米人の心の中心にはいまだにキリスト教がそびえ立っている。町中のどこからでも見え、目を背けていても鐘の音で存在を知らせる、教会の尖塔のように。
これは欧米人の全てがキリスト教の教義に従って生きている、と言う意味ではない。生きて行く上でキリスト教という存在と対峙しなければならないのだ。
Christian=キリスト者としてキリスト教の教義に沿って生きるか、他の宗教を信仰するか、無神論あるいは他の思想信条を信仰するか、あるいは無視するか。
おのれの精神的立ち位置を決定することを強いられるのだ。そして彼らは自分の選択した思想に沿って生きて行く。
さて、翻って本邦ではどうだろうか。信仰と教育が分離されて久しい現代の日本では自分はナニナニ教を信仰している、と明言できる人はかなり少数派なのではなかろうか。
むしろ明言できる人はおかしな思想を押し付けてくる人、と言うイメージさえあり、何かしら信仰していたとしても、自分から言いにくい空気すらある。
中には「無神論です」などと知った顔で言う御仁もおられるが、無神論というのはある種の信仰であり、理論武装が必要な類である。
では、そんな曖昧な、信仰を持たないものをなんというか。「無信仰者」である。ちなみにこれはキリスト教圏であれ、イスラム教圏であれ、信仰の篤い社会では最大級の軽蔑を受ける。
さて、そんな「無信仰者」が多数派となった本邦において、己の能力を超えた判断を迫られた時には、何を基準にすればいいのだろうか。
もうおわかりだろう。
「みんなと同じ」
である。とりあえず周りと合わせておけばいい。周り、と言ってもごく狭い範囲、顔見知りのレベルである。
みんながキックバックを受け取っているから自分もキックバックを受け取る。
……
そしてもう一つ。
「怒られたくない」
である。とにかく怒られるのが怖い。否、怒られた時に思想、あるいは倫理といった、精神の背骨がない。だから声の大きなものが押し通ってしまう。
本日、沖縄県知事として尽力された翁長知事が本日永眠されました。67歳でした。
もともと翁長知事は沖縄自民党の幹部中の幹部で、翁長知事の前の知事である仲井間知事の選対本部長として仲井間県政の立役者として活躍した実績もあり、翁長知事の個人的なキャリアとしては、このまま自民党系の那覇市長であった方が安泰だったのかなぁと思います。
しかし、そんな翁長知事が安泰のキャリアを捨てて、不倶戴天の共産党と手を組んで、オール沖縄を地元経済界も巻き込んで作り上げたのは、当時びっくりしました。その結果、難攻不落と言われた自公政権を打ち破ったことは、歴史が一つ動いたような気持ちを抱きました。
県民の期待を背に誕生した翁長知事ですが、在任中はひたすら国との闘いでした。
辺野古の埋め立て基地に関する法廷闘争はもちろん、知事としての権限を法律の範囲内で最大限使い、工事を遅らせるように努力をしました。
そもそも、新基地反対を掲げて、大差で当選したことから、県民の総意としては基地反対が立証されていますので、その声に答えて基地建設工事に抵抗するのは当たり前です。
しかし、本土のマスメディアは冷ややかに受け止めるものもあり、中には翁長知事の政策と何も関係がない「カツラ」疑惑を書き立てるものもありました。沖縄県民が基地反対のデモや運動を炎天下のなかしていても、あれは大陸系のコミンテルンの手先、日当が支給されているといった怪情報が流されていました。あー、やっぱり基地問題は、日本の問題ではなく、結局沖縄の問題という認識が、本土の認識なのか、そんな気もしました。
そんな逆風の中でも翁長知事は、ひたすら先頭に立って、基地反対の運動を繰り広げてきました。
翁長知事が基地反対運動をしたのは、純粋に沖縄県民としての気持ちだけでなく、基地が無い方が経済効果が高いという事実があったからです。実際基地がいなくなってできた空白地には、大型ショッピングセンターといった商業施設が生まれ、基地でもたらされた利益以上に高い利益を生み出すことができました。
このような現実が、沖縄経済会からも支持を集めて、オール沖縄体制が生まれたわけですが、この理想主義としての基地反対、現実主義としての経済振興といった2つの視点を持っていた知事の方向性はやはり間違っていなかったと思います。
話が少し脇にそれますが、今年は長年沖縄問題に関心を抱いてくれた野中広務氏が永眠されました。
野中広務氏も、自民党幹事長も務めた人物ですが、やはり根っこにあるのが、平和主義でした。そんな平和主義のバックにあるのが、1945年の太平洋戦争です。
あの戦争では、沖縄県では20万人の死者を出した残酷なものでした。
しかし、そんな過去を無かったように忘れて、基地問題を沖縄県の問題に矮小化しているのが、現政権です。
翁長知事こそ、保守政治家だったといえます。同様に、日本を代表する保守政治家である野中広務氏が去ったことは、今年は何かしらの意味があるように感じます。
保守という言葉が、現在は排外主義、弱肉強食のような意味にすり替わり、弱気を助け、強気を挫くといった浪花節は無くなってしまいました。
次の知事がどうなるかわかりませんが、翁長知事の死はオール沖縄にとって大きな打撃であることは間違いありません。
とりとめもなく書きましたが、最後に言わせてください。
翁長知事、お疲れさまでした。
沖縄の未来を本気に考えて、病に侵されながらも身を削って頑張って頂きまして、本当にありがとうございました。
公衆便所は汚いか?それなりのショッピングセンターみたいな所にまだ残っている和式で取ればいいんじゃないの?
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よく、世のフェミニストは
「男女平等にしろ」と言いたいのか、どっちかはっきりしろと叩かれる
が、今日なんとなく
男女で条件が同じ場では平等にするべきだろうと
一方、純然たる内勤デスクワークでの基本給は男女同じであるべきじゃろう
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だが、冬はどうか?
夏はクーラーをつける、冬はストーブをつける、みたいな情況別使い分けだ
あるいは
太りすぎで不健康な人には「もっと食事を制限しろ」と言うようなものだ
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俺は独身だが、休日とかショッピングセンターとかの家族連れ客で
「うむ、こうでなくてはな」などと(偉そうに)思う
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つまり、女の側のダブルスンダートも男の側のダブルスタンダートも
両方認めて良いのではないか
付き合ってないけど、好きだな~と思ってた人がいた
自分が好きだ思っているのに「好きだな~と思ってた」ってどういう事だよ。気持ち悪い。
付き合ってないけど、好意を寄せてる相手が居た。で良いじゃねーか。
ショッピングセンターに入ってる映画館でしか上映してない映画を一緒に見たあと、お昼を食べようとしたr飲食店がどこも混んでいた
「ショッピングセンターに入ってる映画館でしか上映してない映画」どういうことだよ。そんな説明必要か?
ショッピングセンターで映画を一緒に見た後、で良いだろ。
飲食店がどこも混んでいた。近隣には…って近隣もそりゃ混んでるだろ?何故フードコートはすいてんだよ???
私「も」相手「も」 なんで「も」を使いたがるんだよウゼェ。私はうどんにしたら、相手もうどんにした。とかで良いじゃねーか。
麺が太くって、結構長めの時は一本ずつ啜るんだけど、それを笑われた
「結構」って要るか?要らなくね?
「それを」も要らない。
お前よりマシだよ、と心の底から思って冷めた
ポケモンGOをやめた理由が、「悪意のある男にわざとぶつかられる」からである。
彼らは、自分より弱いものをターゲットにしてストレス解消する卑怯者なのだが、そこで自分が卑怯者であることを見つめることもできないらしくて、「相手がマナー違反していたから正してやった」としたがるんだよね。
ポケGOは、駅やショッピングセンターでマナー喚起をしまくったせいで、「ポケモンGOを公共の場でしている=マナー違反=ぶつかって良い」というやつが、めちゃくちゃ多かった。(例えそう邪魔にならない場所でやっていても)
多分同じような人多くて、それで最近都心でポケGOやってるのはおじいさんおばあさんばっかになったんだと思っている。
これ以外でも、
・エスカレーターで歩かない
とか、ルールが決められて喚起されればされるほど、少しでもそれに触れると「わざとぶつかる男」が登場して攻撃される。
本人は正義の味方気取りなんだろうが、ターゲットは女だけである。痴漢とかにもタックルしにいけばいいのにね。
これがあるので、「真に必要なルール以外は、駅や公共機関で啓蒙アナウンスするのやめてほしい」と常々思っているのは私だけでは無いと思うけど、これは我慢するしか無いと思っていたので最近話題になっていてありがたい。
彼らは「正義の行動」をしていると思いながら力の弱いものにタックルかけている方々なので、周囲の人は悪いことなのわからせてほしい。
「今ぶつかりましたよね」って犯人に声をかけるとか、「大丈夫ですか?」って女性に言うとか。
そういうことで、「おまえは加害者だぞ」っていうのが少しでも伝わるといいと思う。