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はてなキーワード: 貨幣とは

2015-02-28

昭和カフェ

昨日はオフだったので、

姫路地区で密かに人気を呼んでいる「昭和カフェ」に行った。

昭和カフェ」とはその名の通り、昭和愛する人たちのための喫茶店である

今のところ入店可能なのは昭和生まれ人間だけなので、

それほど流行ってはいない。若者たちの溜まり場にはなっていないからだ。

だが結構美味しいナポリタンスパゲッティが食べられるので、

私を含む昭和ファンのお気に入り場所となっている。


ここでは「昭和」の空気を徹底的に再現されることが求められる。

入店するにあたってはロッカーに、

平成になってからまれものは預けなければならない。

iPhone は論外として、ガラケーポケベルさえも使わせては貰えない。


使う紙幣夏目漱石福沢諭吉は使えない。

まり平成になってから刷られた紙幣や生まれ貨幣は使えないわけだ。

どうしても「昭和」の空気に浸りたい人たちはここで困ることになる。

一時期はそういった紙幣貨幣を法外な値段で取り引きするダフ屋

問題になったので、現在では店内で昭和時代紙幣貨幣を模した

チケットと一旦両替して使うという、やや面倒臭いシステムを採っている。

本当なら店長昭和時代の本物の紙幣貨幣を使って貰いたいのだけれど

盗んでいく不届き者が居るのだ。だからまあ、これはこれで仕方がない。


だがこれで終わりではない。昭和生まれのものしか使えないということは、

まり(数少ない例外を伴うが) CD ではなく

レコードしか流して貰えないし、

本も昭和時代に刷られた本しか持ち込めないということになる。

昨今の書籍消費税込みのものばかりだから

そういう本もロッカーに預けなければならない。

から近所の図書館ではそういった昭和生まれの本ばかり

貸し出されるし、古本屋も軒並み繁盛している。


私はそのあたりには抜かりがないので昭和時代貨幣紙幣を貯め込んでいる。

だって父親の蔵書を選んで、店内で古びた

大江健三郎小説などを読んでいる。

テーブルはもちろんインベーダーゲームプレイ出来る台が用意されている。

この店内で最近流行っているのはルービック・キューブだ。

私は興味がないのだけれど。


YMO戸川純の流れる店内で私は昨日も村上龍

限りなく透明に近いブルー』を読んで来た。

充実した一日だったと言えるだろう。

2015-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20150201165214

「払える金あるなら~」については俺は何らかの形の資産課税派ね。ただテクニカルな部分について良く知らないので、単純な制度でうまくいかないんだという話があるなら傾聴する。

で、ここでの話題は、「A社が2億提示しました、B社が3億提示しました、どっちに行きますか」って話じゃないんだよ。もうある程度資産やら技能があって、しんどい思いしなくても人生の残り暮らしていけるような人に、もう一度命削るような場所に来てくださいって説得するための話でさ。(うーん、この点ではやっぱりイチローの例はまずかったかな。)

まあ、貨幣による報酬しか提示できない、っていうのが限界なのかもね。「自分会社」ならそれが育つこと自体報酬なんで金はそんなにいらんて人もいるだろうし。

2015-01-24

評価経済社会 

自著でこれからは「貨幣経済社会から評価経済社会へとパラダイムシフトが起きる!」

と主張していた岡田斗司夫評価というモノサシで地に落ちると社会的に無価値になるということを身をもって実践したすごい人。

評価経済社会 とは・・・

”「評価」を仲介として、モノ、サービスお金、が交換される社会相互レビュー社会

既存貨幣経済社会では「貨幣」を仲介にして「モノ」「サービス」が交換される社会だった。お金不要になるわけではなく「お金」が「評価」に従属するようになる。日本先進国の中でも社会が均一化されているほうなので、世界でも最も早く評価経済社会への移行が進む可能性があるという。”

Hatena Keywordより

岡田 斗司夫著作「評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている」などで主張した理論

2014-11-14

物々交換儀礼お金基本的お話

人類学って言うのはどうしても「実例」の丹念な積み重ねになるので、その「解釈」つまり読み解き方には差が出る。

で、「物々交換なんか無かったんや」てなエントリー話題さらって、それに対する反論に引っかかるところがあったんでソレについて。

「暮れの元気のご挨拶」と「スーパーでの買い物」

人類学宿命とも言える所に、「やっぱ珍しいところから入るだろJK問題というのがある。

日本人って、デート神社縁日金魚すくい彼女浴衣を着てくるのが普通なんだろ?」とイギリス人から言われたらどう応える?

まあ、厳密に言えば間違いとはいえないがそれはほぼファンタジーだぞ、という説明は難しい。

例えば、物々交換はあったと言う例でスターを集めているコメントに以下のものがある。

いやいやいやいや。ヤップ島の例だけを根拠学説全否定するのはどう考えてもおかしいでしょ。トロブリアンド諸島のクラとか、ポトラッチ(蕩尽)とかどう説明するの。人類学の成果を無視しすぎ。

トロブリアンド諸島のクラ』とは、ザックリ言えばパプア・ニューギニアの島々で行われている儀礼的な交易を言う。

Kula ringなんかでググると出てくるから省略するが、これはgift economies、つまり贈与経済とされる。

というかだ、仮にも人類学という単語を発するからには、近代人類学の父と呼ばれるブロニスワフ・マリノフスキを避けては通れないし、

彼がその名声を確立したクラをめぐる『西太平洋の遠洋航海者』を読んではいなくても概要ぐらいは触れたことがあるだろう。

単なる装身具にすぎない腕輪や首飾りを交換するためだけに危険海洋交易を行う理由が、経済的な財物の交換ではなく、政治的権威とその維持を含めた儀礼的な制度であるという主張だ。

また、『ポトラッチ(蕩尽)』も同様だ。これも「贈り物」が語源とされる北米インディアン伝統的な贈与経済だと言われている。

ザックリ説明すれば、その構成グループの中でイベントがあると、一番持っているヤツが振る舞うという、風習だ。

簡単に例えよう。

日本には古来物々交換なんぞ無かったと言われて「おいおい、お中元お歳暮無視する気かよ」と返しているのと同じだ。

普段のお買い物の話に対して、儀礼的な相互贈与で反論するのは、控えめに言っても筋が悪い。

古代物々交換の話

というかだ、人類学チョコっとでもかじったことがある人間なら、クラ、ポトラッチとくればピンとくる。

フランス文化人類学であるマルセル・モースの代表作とも言える「贈与論」だ。

文化人類学では「お返しを期待する贈り物」を「互酬」と言い、リターンを期待しない「真の贈り物」とは区別して語られる。

で、この互酬のうち、遅延して交換するものは、基本的儀礼的だったり政治的だったりする。

そして、即時の交換(その場で交換する)ものを、Barterつまり物々交換と呼ぶ。

で、この物々交換お金起源として(比較的悪しざまに)主張したのが、アダム・スミス国富論(The Wealth of Nations)だ。

ただ、さっきまでの話で判る通り、文化人類学者は常々「いや、物々交換って基本的には部外者とのやりとりに使ってただけで、村人同士では儀礼的なものだよ」と言ってきた。

じゃあ、お金ってどこから来たの?

言葉が通じる同じ仲間同士で、物々交換が行われていたという強固な証拠は無い。というか見つけづらい。

が、沈黙交易(Silent Trade)と呼ばれる、言葉の通じない(場合によっては通じても姿を見せない)相手との物々交換が行われていた記録はある。

信用も無く関係性も希薄なので、その場で交換する必要があって、社会的義務政治的権威とは切り離される。

この場合、お互いに価値が有るものとして砂金や塩を用いることはあった。

古代エジプトにおいても、鋳造貨幣は対国家のような対外取引でしか用いられなかった事からも、貨幣は信用と切り離されて当初存在した。

それがそのうちに、「金銀を持ち歩くの危ないから、金庫に入れておいて引き出せる札だけやりとりしようぜ」となった。

これが紙幣発生の一形態だ。(他の発生形態もあるので、調べてみると面白いよ)

ここで、巡り巡って、原始的な村人の相互扶助形態に戻る。

まり、「この札を持っていけば金に交換される」という信用がトレードの基礎になっているのは、

「オレが今日は魚をやったけど、こんど家の建て直し手伝ってくれよな」という顔なじみの村民にある信用と、本質的には同じだ。

その村でその信用を裏切る行動を取れば、適切に制裁されるという「村秩序に対する信用」が、村人間の普段のお買い物の基礎になっている。

お金の話と、評価価値経済

譲渡することのできる信用がマネーだと言っているが、人類学はそれに反論はできない。

実例の積み重ねと、演繹から論述は、方向性が違うからだ。

文化人類学者が積み重ねてきたことは、単純な物々交換とクラ交易とは違うという反論だ。

あるグループ内で通用する単位が、他のグループにおいても通用するとされた時に、マネーが産まれると言われれば、

そういう定義もあるかも知れないな、と思うだけだ。

極端なことを言えば、「1シナモン」という単位を作って、はてな流通させても良いわけだ。

ある人が「これ釣りか解説欲しいんですけど」→「これは釣り記事です」と解説するのが10シナモン

ある人が「これほんとかなあ」→「これは科学的にこうオカシイ」と解説するのが5シナモンだとしても良い。

これが、スポンジボブとお姑サンの間で行われている間は、単なる貸し借りの単位しか無い。

「今回は私が解説したので、3シナモン相殺ですね」とかできるわけだ。

それが「5シナモンくれたら、Microsoft戦略について語るよ」とか

10シナモンで家を建てます」とか他人が入ってくると、

これはもう、評価価値経済になる。

そして、そうならないだろうと素朴に想像できることが、お金本質になる。

シナモンという評価価値無限に生まれるが、それを適切に流通させるには、信用が必要になる。

この「信用」とは何か、「1シナモン」で記事を依頼したり、記事を書いたりする為に何が必要か考えると、お金とは何かという答えになる。

ニクソン・ショック以降、(正確にはニクソンよりちょっと後だけど)通貨金本位制でなくなった時点からお金とは信用とそれを担保する何かによって支えられている。

まとめ

沈黙交易代表される「信用出来ない相手との物々交換」は行われていたし、証拠も記録もある。

ある集団内での資産(獣や魚や穀物)を再分配する機能が、巨大化するにつれて歪んだ記録もある。

しかし、クラ交易ポトラッチは、単純な物々交換と異なる「互酬」つまり、信用や政治的権威を背景にした贈与文化であるとされている。

それどころか、文化人類学者であったモースは、経済的な取引は社会的価値交換の一部に過ぎなかったとすら言っているのだ。

まり、大昔に物々交換は無かったのだ!と言われた時に、物々交換はあった!として例示する対象として、全く相応しくない。

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なお蛇足ながら、集団内の物々交換煩雑から媒介物としてタバコが用いられた近代の記録なら、あるよ。

(The Economic Organisation of a P.O.W. Campでググると良いよ。超面白いよ)

2014-10-09

公共事業での景気対策が厳しい理由

まとめ



これまで経済政策論争として多くを占めたリフレ・反リフレの間の論争が結論が出る前に現実の方がリフレで固まり少なくとも数年は続けられそうになってしまったため下火になり論争の中心が財政政策公共事業の方へと移ってくるようになった。そこでポイントとなる点を備忘のためにまとめる。

景気対策としての公共事業否定しても全ての公共事業否定することにはならない。また公共事業価値を認めたからといって景気対策としても有効であると認めることにはならないし矛盾しているわけでもない。

公共事業に限らず金融政策しろ何にしろコストがかかる。ここでいう公共事業コストとは公共事業によって引き起こされるマイナス出来事公共事業をやったために出来なくなってしまった機会損失を加えたもの。国の債務を家庭の債務と同様に考えるのは永続性を無視した誤解であるが、かといって国の債務国民資産であるので拡大しても何ら問題ないというのもまた国民の異質性・多様性世代など)を無視した誤解である過去に積み上げた債務高齢者に逃げ切られないうちに一部返してもらおうというのが原因となって消費税増税ゼロ金利が続くなか急いで決められたといった財政自由度の低下も異質性があるがゆえの公共事業コストの一つである

どのような社会的効用関数を想定するかは人それぞれで当然だが最終的には効用に結び付けて考える必要がある。いいかえればGDPではなく消費こそが重要であり失業の削減なども消費が増えるからこそ大切。また、今期の消費だけでなく将来の消費も重要になってくる。

以上の3点が考えるための大前提

この3つめの考え方にたった上で公共事業を考えるときに外せないのが小野善康先生論文(Yoshiyasu Ono, Fallacy of the Multiplier Effect: Correcting the Income Analysis, ISER Disscussion Paper, 2006. リンク

http://www.iser.osaka-u.ac.jp/library/dp/2006/DP0673.pdf)となる。(これはいわゆる小野理論として有名な貨幣限界効用に正の下限があるというものとは別。)その中身は論文小島寛之先生の解説(http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200707/200707241130.html)などによるとして、簡潔に言葉を借りると

乗数効果は、国民所得を増やすという意味での景気対策には全く効果を持たず、また、その実質的効果政府が投じた金額ではなく、作られた公共物の価値依存する」

ということになる。つまりよく言われる穴を掘って埋めるようなもの場合GDPは増えるが所得や消費を直接には増やさない。GDPが増えるのは政府支出はその支出分と同じだけの付加価値を生んでいると仮定する以外に付加価値の算出が困難というGDPという統計作成上の制約による仮定の産物に過ぎない。無駄が増えるのも経済にとって有用というのは誤りである

このことが示すのはGDPが増えているからというだけでは公共事業には効果があったとは言えないということである公共事業効果があったというには、直接的に価値のあるもの生産が増えたか所得効果が働き消費を増やしていた必要があり、さらにそれらが公共事業コストを上回っていないと望ましいとは言えない。

ここまでを踏まえた上で公共事業効果がないという考え方、あるいは効果があるとしても小さくコストを上回れないという考え方について見る。財政政策効果がないとする理由としてよく挙げられるのは



の3点である。各々には次の留意点がある。

公共事業規模以外の影響を制御して考える必要がある。ただし公共事業の減少幅からすれば公共事業雇用に主導的な影響を与えていたというのは難しい。

これは産業政策が平均的にはうまくいっていないのと同じ問題である。とりわけ景気対策として公共事業の総額が先に決まり事業の精査の時間が限られる場合にはより一層困難が高まる

現在の状況においてマンデル・フレミング効果公共事業の拡大に効果あるかないかの点であまり関係がない。

マンデル・フレミングモデルに基いても日本海外の双方でゼロ金利が見られる状況では公共事業金利を変化させ得ないので為替や純輸出は変化しない。ただ、これはいつまでも関係がないわけではなくさらゼロ金利の壁があるために公共事業拡張と緊縮ではマンデル・フレミング効果の発動は変わってくる。どこまでいっても金利が下がり得ないので緊縮をしても外需増加によるキャンセルアウトが得られない一方で拡張はある程度を越えると金利上昇予想にともなう円高で外需減少を招く。ただこの場合もマンデル・フレミングモデルを一部変更し公共事業の拡大・緊縮にかかわらず中央銀行政策金利一定にたもつというようにより現代的な仮定を導入するとゼロ金利を抜けてもいわゆるマンデル・フレミング効果は働かない。

土木建設業での人手不足や着工の先延ばし及び未消化工事残高の増加や公共事業入札の不調、あるいはその結果としての人件費や入札予定価格の引き上げの報道が相次いていることからすれば公共事業親和性の高い業種で現実供給制約が起きていると言える。

公共事業の規模や事業数が変わらなくても入札価格が上がっていけば上述のようにGDPは上昇するが雇用社会厚生は直接には高まらない。マクロ経済への効果は単価の上昇にともない所得効果が働くことに依存する。しか過去給付金政策租税変化の結果からすると所得効果はかなり小さい。(たとえば堀雅博, シェー=チャンタイ, 村田啓子, 清水谷諭, 90年代経済政策と消費行動の研究1-地域振興券の消費刺激効果, ESRI Discussion Paper Series No.12. http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis012/e_dis012.html、あるいは渡辺努, 藪友良, 伊藤新, 制度情報を用いた財政乗数の計測, Working Paper Series No.28, Research Center for Price Dynamics, Institute of Economic Research, Hitotsubashi University, 2008. http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/16306。)株価地価の大幅上昇といった大規模なものでないと所得効果意味のある効果量となりにくい。

供給制約に面している時には公共事業コストが上がる。それによって民間の他の事業が行えなくというコストが大きくなるため。

供給制約に面していない業種に対する公共事業を増やせば供給制約問題はなくなるが産業政策と同種の困難さが高まる

財政拡張機能しない理由供給制約によるものとき消費税引き上げのような財政緊縮は機能してしまう可能性がある。

供給制約は長期的には解消され得る。専門化・技能化している土木建設に即座に従事するのは難しくても時間があれば技能習得してから就業することも可能となる。問題技能習得に掛かる時間景気循環時間の大小および技能習得無駄にならず将来性があることの保証をどのように行うか。

最近建設業従業者数は興味深い。GDPの上では公共投資が大きな寄与を続ける一方で建設業従業者数は前年比マイナスが続いてきた。しか最近はそのマイナスがかなり縮小してきており技能習得などが進んでいるのかも知れない。

2014-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20140920001643

別にいまお前の持ってる日本貨幣が今月いっぱいしか使えなくなります、と言われても決まりの中で動いてる以上、それに従う以外には無い。

2014-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20140911192457

アメリカ市民戦争とか、たどれば解るけど貨幣社会においては「無給」の奴隷よりは「消費者」も兼ねる賃金労働者の方が都合がいいんだよ。経済の発展とそれのおこぼれに預かる支配者にとってはね。

生産した物を取引する先もそうだけど、文化的産物奴隷階層からは(皆無でないけど)生まれにくいしね。

発展が何を指すかにもよるけど、まあ社会は上手くできているんだよ。

バリバリ差別主義が上手くいかないのは、現代社会からなんだね。

2014-08-29

信じるとはどういう行為なんだろう

会ったこともないお方をどうして信じられるのだろう 」という記事を書いた増田はてブトラックバックに寄せられた意見をみて、そもそも自分の疑問に根本的な誤りがあり、もう一度別の視点から考え直す必要があるのだということがわかったので再度記事を書いてみる。

そもそも信じるということは自明ではないものを真だとみなしてみる行為なのだはてブでは数名の方がAmazon商品を注文することや通貨価値を信じる例を挙げられていたが、生活をおくる上で直接出会ったことのない人との取引や自明ではない価値を信用するという行為必要不可欠な行為である。つまり、信じるという行為は生存する上で誰もが行っている行為ということができる。

これを元々の疑問にあてはめてみれば、会ったことのない存在を信じるということは何の不思議もない。むしろ、会ったことがない=自明存在ではないから、そこでは信じるという行為につながるということになる。

するとここから新たな疑問が湧いてくる。自明ではないものを真だとみなすことが信じるということなのだとして、あるものを信じてあるものを信じないという区分けはいかにして行われるのか、人は何を判断基準として信じるという行為を為すのかという疑問にいたる。

これに対する答えはいくつか考えられる。

ひとつは、そもそもそれを信じるということがその人の生活を支える基盤となっているかどうかであるキリスト教の家庭に生まれて子供の頃からイエスキリストだと信じることが当たり前だと考えているキリスト教徒がこれにあてはまる。地動説といった科学学説にしても、それを真とする社会に生きているがために、検証したことはないけれども真だとみなしている。

もうひとつは、それを真だと考えた場合自分にとって都合が良いか悪いかということである。ある貨幣価値を信じるということは、その貨幣流通する市場に参加する資格を得るために必要なので、人は自分利益のために貨幣を信用する。この貨幣のケースがここに分類されるだろう。

最後に、これは判断基準とは異なるかもしれないけれど、それを信じる以外に自分が人として生きる選択肢が残されていない場合が考えられる。合理主義者が死の間際に死後の世界を信じる場合自分の基盤であるかとうことや損得の問題を越えて、もはやそれを真とするしか自分を保つ方法存在しないのである

このように様々な判断基準を挙げてみたが、ここで新たに疑問が湧き上がってくる。

神を信じるということ、キリスト教徒にとってはイエスキリストと信じることと、日常世界で何か信仰と関わりのないものを信じるということは同じなのだろうか。上に上げた判断基準のどれもが、キリスト教信仰を成り立たせる基準になりうるのか。さらにいえば、既に信じるための環境が用意されている中で、主体的に選ぶこともなく信じるということは、本当に神を信じるということ、イエスキリストだと信じるということになるのか。

こう色々考えてはみたものの、自分の考えのどこに誤りがあるか、ポイントとすべきところがあるのかてんで分からないので、このあたりで増田に載せてみることにする。

2014-07-27

義務教育コスト可視化せよ

以前ちきりん女史が、

成人病予備軍に、成人病治療に投入される社会的コスト(=税金)を可視化して提示したら、

 予備軍が健康留意するようになった」と言うネタを投入してた。

「全ての社会サービスについて、投入税額を可視化したら、受益者側も節制するようになるのでは?」とちきりんは提案。

自分ちきりんの「社会サービス受益者に、投入税額を可視化提示する」のには賛成だが、

そうなると一番問題なのは保育所利用者に、投入税額を可視化表示」だろうな。

保育所利用者は、自らが支払う保育所利用料の数倍の税金が投入されてることを知らない

自分は「自分小学生の子供の、毎月の税金投入額(=本来なら授業料になるべき金額)」を知りたい、という風変わりな保護者

気になったので、義務教育に投入される税金を調べてみた。

小学生で年間約85万円、中学生で年間100万円」らしい。

仮に授業日数を250日と仮定すると、「1回あたりの授業料」は、小学校で3,400円、中学校で4,000円にもなる。

果たして、この金額を意識する保護者、そして児童生徒はどれくらいいるのだろうか?

小学生に対して、「この授業は、君たちの月額お小遣いの10倍ものお金が、毎日税金から投入されています」と、絶対に教育すべきだと思う

一般的に「人口高齢化は望ましくない、どんどん子供を増やすべきだ」と議論される。

しかしそういう論者は、

義務教育に年間1人当たり100万円、義務教育課程で900万円がコストとして嵩む」ことを織り込んで議論しているのだろうか?

因みに「日本全国平均で、小学生は3,400円/日、義務教育に嵩む」という話であり、

間違いなく市町村格差がある。

山中の分校で、生徒一人先生一人」なんて場合、間違いなく10,000円/日を超えている。

義務教育コスト可視化したら、間違いなく「増田リスト自治体(消滅自治体)の教育コスト」は

大都市自治体教育コスト」の倍以上になるだろう。

しかし、そういう不都合な真実の公表をためらうべきじゃない。

思考実験

義務教育保護者に「教育バウチャー、年間100万円分」を手渡して、公立私立国立なんでも選択できるようにすれば、どうなるだろう?

トヨタ的思考パターン、「カイゼン的思考パターン」なら、

一人当たり義務教育コストを、平成23年85万円⇒24年83万円⇒25年81万円⇒26年79万円と「カイゼン」していく、と思うのだが。

逆に言えば、投入金額を年間85万円でフィックスしているのなら、教育効果は対前年比1%づつ、20年で20%は改善していないとオカシイ

ところが、実態は、年によって「ゆとり教育」として一気に改悪したりしている。

義務教育バウチャー以上に、未就学児育児バウチャー制度の方が効果的かも。

未就学児を抱えた家庭に、一律月20万円を配布。その代わり保育園への税金投入を停止。

保育園に預けたい人は、月額20万円程度に値上がった保育料を負担しながら、保育園に入れる

明治33年の小学校令までは、義務教育でも(尋常小学校でも)授業料取ってたんだな。

思考実験

平成現代において、

教育義務だ、でも公立小学校通学に授業料年間85万円払え」

保護者に請求したら、就学率はどうなるだろうか?

義務教育保護者に「年間85万円支払え」と要求したならば、保護者の側も

もっと小学校合理的経営しろ」と逆要求するだろう。

「小規模校は統廃合しろ運動会は廃止しろ」等々。

「だから授業料を85万円⇒80万円⇒75万円にしろ」、と。

教育バウチャー制度小学校経営を「合理化」する効果があると思う。

自分高校日本史先生が授業で

 「江戸時代農民コメ経済ではあったが貨幣経済じゃなかった。

 明治になり、尋常小学校授業料という「貨幣で支払わなきゃならないもの」が

 押し付けられたせいで、農村は無理やり貨幣経済化を強いられた」

 と経済史の解説して、目ウロコだった

2014-07-21

コミケット一般参加するときに試してQOL上がったこと

タイトル釣りです。

さてみなさん、そろそろ夏のサークルチェックを始める頃ですね。

コミケ一般参加を続けているうちに、だんだん対策を取って色々試すのが楽しくなってきたので、その辺を書きます

自分について

参加者も色々なのでまず自己紹介自分は常に一般参加のみ、開場前の始発ぐらいに行って入る感じです。最近は可能な限り全日参加、1日目3日目の比較的混みあう島中メインで、2日目は開幕で企業に並んだりする。壁をずっと巡ってる感じではなく、優先順位と条件判断で色んな所を見に行くというスタイルで楽しんでいます。あと、コミケに始発から付き合ってくる知り合いとか居ません。辛いです。これはそんな過酷環境PDCAサイクル回した結果のアウトプットだッ

シザーバッグに小銭を入れる

コミケは列の待機時間との戦いと言えます。列の待機時間とはつまり、列の長さとレジ数と処理時間であり、さら搬入数を加味して重み付けを行い状況に応じて最適なルートを選択するのがコミケ醍醐味と思うのですが、これは3つめの要素の処理時間を上げるため考えた手段です。

シザーバッグ・チョークバック・腰袋というのはベルトの通し穴とかに吊るす小袋で、かばん屋とかアウトドアショップにあったりします。キャラクターグッズでもあったりする。で、それに100円と500円と二つ折りの1,000円を入れ、腰の前にぶら下げて使うのです。これで会計速度が驚くほど早くなる。毎回鞄からサイフ出したりするのと比べたら雲泥の差ですぜ。

しかしこういう工夫はあんまり見ないんですが皆さんどうしてるんだろうか。壁とか企業から問題にならないのか……もっと流行ってくれ!みんなの!ために!!!!!!

あと小銭は当然崩してきているものとして扱いましたが、個人的な感覚ではオンリーイベントは100円単位の決済が多いのに対し、コミケは500円単位の決済が多いです。特にサークルは前述の処理時間を気にしている所が多く、500円単位だと扱う貨幣が少ないので相当採用されています。なので、周る所とかを見越して小銭を調節すればよいかと思います

つーか東京オリンピックのころにはみんなID決済とかになってると良いですね

書きたかった事は書いたので、後は適当

本を入れるのは手提げ(トート)が良い

しまうのに時間がかからなくて良いです。耐久度があるなら紙袋もいいのかも。自分過去頒布された布の袋を使ってます。やはり先人の知恵は大事だと思うのでした。

かなり歩くので靴はしっかりした物を

自分は山歩き用のウォーキングシューズに落ち着きました。あのハイテクスニーカーには意味があったのだ……やはり先人の知恵は大事だと思うのでした。

椅子はあったほうがいい

最初椅子なしで参加してましたが、やっぱり椅子はあったほうが楽に感じます。歳ですかね。自分はコレ。

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あらお安いのね♪軽いし取り扱いもしやすいので普通に持ち歩けます

首掛けの扇風機はうるさい

便利かと思って導入したけど、うるさい。しかもすごく効果があるかというとまぁ、それなりという感じで。普通に扇いだほうがはええんじゃねぇの。まぁでも便利なのでお好きに。

帽子とか

普通熱中症対策大事

冬はマスクハクキンカイロが良い

マスクはほんといいですね。前回は結構温かったのであんまり効果なかったですが。

あとハクキンカイロ!これが本当に良い。普通カイロは動かないとすぐ冷たくなりますぼっち参加は動かないので入場待ちでは冷たく、開場後に熱くなるという使えない感じになります。その点ハクキンカイロってすげぇよな、最初からたっぷりだもん。ちょっと扱いが面倒ですが、確実にあったか源となるので使わない手がないです。

冬の期間中はあまり暖房を使わない

冬のぼっち参加は便所との戦いといっても過言ではありません。おむつを着けるという最終手段もありますが……いやネタだろあれ。そこまでしなくても取れる対策として、暖房を使わず寒い部屋で過ごすというのがあります。こうする事で血管を収縮させ、結果待機列に近い状態に持ち込んでお手洗いを遠くするという作戦自分はそこから水分を取らず脱水症状に近い状態に持ち込んだけど、さすがにちょっとやり過ぎたと思ってる。

スマホカタログアプリ入れる

UIも好みにあってて便利なアプリがあったんですが、なんかバージョン上がって微妙に……アプリ開発の失敗例みたいなの直に見せつけられ色々と微妙な気分にさせられました。Webカタログへの以降もあるしで目下いろいろ試してる感じ。

これから試したいこと


タブレットカタログアプリ入れる

タブレットカタログアプリ入れて使ってる人も結構ますね。若干かさばりそうですが検討してみようかなと。

ベルトとかにつけるフック

トートは便利なんですが、手がふさがってしまうのが難点なんですよね。肘にかけても取り回しがめんどくさい。ということで、サバゲ系やらアウトドア系で色々探して、ベルトにつけられる懸架器具を調達し、次の夏で試してみることにしました。買い物中はトートはそこに引っ掛ける感じ。本当はチェストリグを用意して吊るすのを考えたんだけど、さすがに不審人物すぎるのでやめておいた。

空冷服

夏は結構いいんじゃないかという気がしてますがどうなんでしょうか。うるさそうな気がするのと、そこまでピーキーな仕上がりだとさすがに不審人物すぎるのでたぶんやらないですが……。

ノック式のマジックペン

追記です。島中巡ってると、突発的に列形成をする事がよくあります。そんな時、即席で最後尾札を作ったりしますが、そういう時にマジックペンあると何かと便利かと思って携行した方が良いかと思ったんですよね。スタッフさんの補助に。あと完売時のお品書きとか。

最近もうコミケで本を買うのが楽しいのかコミケに行くのが楽しいのか、コミケで色々試したり状況判断で動くのか楽しいのかわからなくなってきました

では皆様も良い夏を。

2014-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20140718165139

ちなみに共同体の維持には基本的に向いてないんだよ、男尊女卑は。むしろ破壊する。

じゃあなんで一時的にこいつが有効だったかと言うと、まさに共同体破壊するためにあったんだよ。

人類に向いた自然母系共同体破壊することで、国家と言う不自然効率的な新しいシステム人類に受け入れさせた。

基本的国家っていうのは、自然共同体無視して、文字で書かれた法律によってプログラムされるシステムによって成立する。

そのためにはいったん徹底的に、自然共同体破壊する必要があったわけ。

で、もう原始的母系共同体は潰れきって、法律システム根付き、先祖がえりする心配もなくなってくると、今度はその破壊のための無理をするのが、非効率になる。

おまけに、もともと増えすぎた人類効率的に支えるべく革命を起こして生まれた、国家単位社会というのも、人類さらに増えすぎたせいで限界になって、貨幣グローバルに繋がる社会へと更に革命を起こして生まれ変わった。

かつて自然母系共同体と不自然法律が置き換わったように、誰かが誰かを支配したがる本能は、金という不自然な人工物が作るシステムに置き換わった。より効率的にならないと人口を維持できなくなったから。

男尊女卑人類史の中で、一時的に与えられていた役割を終えたんだよ。

今後は人間を支配しようとする人間は、金への欲望によって弾圧されていくだろう。っていうかすでにされてるわけだ。弾圧者はプロ市民なりなんなりと呼ばれつつ。

そして更に次の社会が来る時にも、母系共同体が戻ってこなかったように、人間による人間の支配も戻ってはこないだろう。

人類が増えて一定ラインを超える度に、本能システムへと置き換わっていく。

2014-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20140529094004

1970年代までは国立大学学費現在貨幣価値で15万円程度だった。それがなんで53万とかになってるのよ。


京都大学新聞社/Kyoto University Press » 〈企画〉大学授業料を考える(2011.03.16)

こうした中で、私立大学国立大学の間の学費格差是正が叫ばれるようになり、また国内大学学者ほとんどを私立大学が受け入れている状況で、国立大学にだけ公共性を認め、経済成長寄与しているように考えることは困難になってきた。

大学教育によって学生個人も利益を得るとし、受益者負担額として授業料徴収するべきであるとした。最終的に、当時の文部大臣は1972年4月に1万2000円から3万6000円に値上げされたのを皮切りに、国立大学授業料の値上げを実施した。

70年代後半になると、オイルショック経済の低迷による国の財政の逼迫も影響したであろう。

そんな中で受益者負担論は次第に強調されるようになり、さらに80年代になると、コストに見合った対価を払うべきだとする対価主義も理由として挙げられるようになった。


予算を削りたい政府 + 「国立大ばっかりずるい!」 の結果みたいだね。

つの時代国民同士で足を引っ張り合うなぁ。

今はさら大学運営費交付金が毎年削減されているので更に厳しい。

日本の高等教育の行方 ――削減される国立大学予算

大学はティーチングアシスタントリサーチアシスタントなんかを利用してなんとか学生負担を減らそうと努力しているけどなにしろお金がない。

東大大学院だけでも無料化しようとずいぶん頑張っていたけどどうなったかな?

http://anond.hatelabo.jp/20140529031537

大学生の親です。どうにか子供奨学金借金を背負わせずに行けそうなんですが、負担感はハンパでない。

http://nenji-toukei.com/n/kiji/10037/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%8E%88%E6%A5%AD%E6%96%99

ここら辺を見ると面白いのですが、1970年代までは国立大学学費現在貨幣価値で15万円程度だった。それがなんで53万とかになってるのよ。

http://nenji-toukei.com/n/kiji/10022/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B9%B4%E5%8F%8E

こっちを見るとサラリーマン年収は97年をピークに下がってきてる。収入が上がらず、むしろ下がっているのに、大学学費は上がり続け、進学率も上がっている。奨学金借金が重くなっているのも必然だと思う。

どこかに搾取されてないか?

2014-05-08

やりたいゲームが一杯ある。

読みたい小説ラノベが一杯ある。

観たいアニメ映画が一杯ある。

自分の残りの人生で、どれだけ楽しむ事ができるだろう。

これらを享受するための貨幣は稼いでいる。

他人との交流ほとんどない。

この幸せに疑問を抱く自分も居る。

2014-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20140423205615

日銀は、日銀にある市中銀行名義の預金の額を増やすだけで国債を買い取れるが

そんなことをあまりにいっぱいやってしまっては貨幣価値が下落してしまう。

特に日銀物価などの目標を達成するために自分国債の購入額を決定するのではなく、

日銀が買わないと国債の借り換えや利払いのためのお金政府が用意できなくなってしま

押し付けられ、日銀自分で買う量を決定できなくなると思われると、貨幣価値の下落が

一気に進んでしまう。そうなると止めようのないインフレ国債を買う量を自分で決められない

ため、自分でどれだけ貨幣を作るか決められないから)が起きて、企業設備投資計画を

立てることが困難になって設備投資を控えたりするので、経済活動が停滞してしまう。

これが「政府債務が山積しすぎて日本経済崩壊!」の1パターン

これを恐れて日銀側が、政府から国債押し付けられるのを拒否し、政府も高インフレよりは

デフォルトの方がまだマシだと思えば、日本国債はデフォルトする。しかし、国債デフォルト

すれば疑心暗鬼が拡がって、あるいはもっと直接的に国債を大量保有する金融機関破綻し、

融資などが萎縮してしまって経済活動が停滞してしまう。

これも「政府債務が山積しすぎて日本経済崩壊!」の1パターン

2014-04-07

ナウシカあらすじ02

トルメキアの交戦相手である土鬼諸侯国の一氏族、マニ族の浮き砲台(飛行戦艦)に拿捕されてしまう。大量の女子どもを乗せて、軍艦と言うよりも避難船のようなこの船でナウシカは、マニ族の長である僧正からクシャナの軍(当然辺境諸族軍もろとも)壊滅させるための作戦が発動されていること、

のみならずクシャナ軍の動向についての情報はトルメキア王家内部から漏洩されたものである(つまりクシャナの部下達の危惧は当たっていたのである)事を知らされる。さらにアスベルは作戦の背後に、エフタルへの土鬼の植民地計画を看破する。部族国家連合である土鬼を束ねる神聖皇帝は、トルメキアの進行により国土を奪われた敗残部族に、強引に背水の陣を引かせて敵中深くへ突入させているのである

彼らにはもはや辺境諸族の土地を掠め取る以外には生きる道はない。ついにここにきてナウシカにとっての戦争は、単に個人的に忌まわしいものではなく、自らの大事もの故郷を脅かすものに、のみならずそれ自体で愚かしく不正ものとしてたち現れてくる。彼女は風の谷を守らなければ成らない。しかし土鬼の民衆戦争被害者である以上、それは戦争遂行することによってではなく、戦争のものをやめさせることによって成し遂げられなければならないのである

折りよくナウシカ捜索によってガンシップが飛来したため、彼女自分部隊を守るべくメーヴェで浮き砲台を強引に脱出するが、アスベルは一人残ってマニ族の説得を継続する。土鬼の部隊は捕らえた幼虫を囮に王蟲の群をクシャナ宿営地に誘導し、撃滅しようとしていた

ナウシカガンシップを先に宿営地へ向かわせて皆を避難させ、単身囮の幼虫を乗せた土鬼の飛行ガメ(無蓋無翼の小型飛行艇)を追撃する。そして撃墜成功するが、深く傷ついた幼虫とともに強い酸の湖の中の砂州に取り残される。

宿営地を破壊した王蟲の群は湖岸に終結し、強引に湖を渡って幼虫を救おうとする。ナウシカはそれを制止し、生き残ったクシャナコルベットによって幼虫を群に返す。王蟲の群はナウシカを祝福し、「北へオカエリ」言い置いて去る。

他方、マニの僧正王蟲ナウシカの邂逅を察知し、進軍をやめ、少女従者ケチャを伴って、飛行ガメで酸の湖に向かい王蟲によるナウシカの祝福を目撃する。其の姿に彼は伝説救世主「青き衣の者」を見出す。 

クシャナ部隊事実上壊滅し、辺境諸族の軍にも帰国の許可が下りるが、ナウシカはみずから志願して、ただひとり従軍を継続することを決断する。なぜ王蟲は北へ、故郷へ帰れと忠告するのか、南の森が助けを求めているとはどういうことなのか、王蟲の幼虫を土鬼が捕らえると言う常識的には不可能なことができたのは何故なのか、無数の疑問が彼女を捕らえて離さない。

南に土鬼の国がある。そこで彼女はあえて従軍することで土鬼の土地に向かい王蟲忠告意味することを確かめようとする。

ナウシカ危惧しているのは大海嘯の可能性である大海嘯とは「腐海」の海嘯、普段は穏やかに拡大しているだけの「腐海」が王蟲を中心とする怒った蟲の群の暴走によって爆発的に拡大することである。かつて三百年前、エフタルの地では武器商人による王蟲の乱獲によって大海嘯が発生し、そこに栄えていた強大な王国は滅びてしまった。土鬼が進めているらしい「腐海」の生物軍事利用が、再び大海嘯を引き起こすのではないか・・・・・?

ナウシカの命令で風の谷のガンシップ故郷に戻るが、死の床にあった族長ジルはいまの際に、ナウシカのの従者達にガンシップでユパを探し、ともにナウシカを探すように命じる。

他方ユパは「腐海」に渡る方法を探っていたが、とある鉱山町で最近腐海」に住み、一部の蟲を使役する特殊技能を有する被差別賤民王蟲の乱獲によって大海嘯を引き起こし「返るべき国を自ら滅ぼし呪われた武器商人末裔」と伝えられる蟲使いが土鬼の貨幣を持って現れることを聞きつけ、蟲使いの飛行艇で彼らの村へ潜入する。そこで彼が見たものは、蟲を利用した戦術の是非について激論を交わす土鬼神皇帝直属の官僚集団、僧会の僧官たちとマニの僧正の姿、そして培養液の中で育てらる王蟲の幼虫だった。

ユパは僧正ケチャ僧正の従者に身をやつしたアスベルの助けによって培養槽を破壊し、脱出をはかるが、マニの僧正の反逆を疑った僧官たちによって呼び寄せられた土鬼独裁者、二人の皇帝の片割れである皇弟ミラルパによって足止めを食らう。僧正は単身皇帝対峙し、皇帝と僧会の暴政傲慢糾弾し、大海嘯の到来を警告する。

そして神聖皇帝によって禁圧された土着信仰予言する、民衆を救い、青き清浄の地へと導く「青き衣の者」(すなわちナウシカ)の出現を言い残して自殺し、その最後の念力で囲みを破ってユパたちを逃がす。僧正最後テレパシーで立ち会ったナウシカは、皇弟にその存在を察知されるが、やはり僧正最後の力で難を逃れる。(ここまで単行本第二巻)

2014-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20140314143119

貧困層定義は?定義によっては貧困層って絶対なくならないから問題自体おかしいよね。

 

年収500万以下が貧困とするなら、デノミして貨幣価値を10倍にすればいい?違うよね。

年収格差が今の10分の1ならいい?、やっぱりデノミして貨幣価値を10分の1にすればいい?違うよね。

 

貧困定義は?

2014-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20140301101920

不況貨幣的現象ってアホか。

デフレ貨幣的現象で、不況デフレに招かねているのと

不況貨幣的現象だというのは全然違う。

なんという半可通っぷり

安部政権の考え方ってデフレ不況貨幣事象と捉え、金融緩和と円安と三本目の矢でコストプッシュしてデフレ解消ってこと。

対して

共産党はこのデフレ不況を長年の社会保障の切り下げ、増税給与雇用の切り下げで需要が不足していることが原因と捉える。

貨幣的現象だからこそ貨幣的な方法によって需要不足を解決しようとしているわけだ。コストプッシュ/デマンドプルなんて二分法の世界じゃない。「フリードマン財政金融政策効果を否定して貨幣価値の安定だけを求めた」みたいなトンチンカンなことを言う人に通じる無理解

「大規模な金融緩和と円安誘導すれば物価が上がるだけで大半のサラリーマン給料は上がらず、三本目の矢が結局大企業優遇と旧態然たる公共事業大盤振る舞いだから、これまで通り大企業内部留保やすだけで中小零細は大して潤わない」と批判する。実際そうなってると思うよ。

そもそも需要不足=供給力に余りがあるということだから、問題はその余った供給力=失業という形で表れる。だから問題が解決しているか失業がどれくらい減ったかで見なければならないし、給料を語るにしてもそれを考慮しなければならない。サラリーマンみたいなもともと仕事のある人だけ見て給料が上がった下がった言う時点で何にも分かっちゃねーという告白なわけだ。

失業者雇用されればたとえ正社員にしても勤続年数が少ないから給料平均値を引き下げる。一方で失業している時よりは当然ながら所得は増える。つまり消費も総需要も増えるのだ。企業の側から見れば支払う報酬の総量は増えることになり内部留保が増えるだけなんてなっていない。もしかしてその報酬の総額がどういった推移をしているかも確認してねーのか?

だいたい円安になれば中小企業にとって輸入品の単価が上がるから困るというのも底の浅い見方であって、円安で需要が増えて販売数量が増えれば利潤は増えるし、実際、今のところ製造業孫請けから工場のある地方スーパーまで息を吹き返しているところも多い。

http://anond.hatelabo.jp/20140301101920

http://anond.hatelabo.jp/20140228214424

経済音痴」「おバカ」って。内容について何も言わないでそういう批判するのはレッテル張りって言うんだよ

「円安を攻撃」って違うんじゃないの。円がどの水準であるべきかってことと、それに対応する対策をどうするかってのは別のことでしょ

そもそも共産党はこの不況貨幣事象と捉えてないから金融緩和・円安誘導したって不況で困ってる個人や中小零細には大して足しにならんって見解のはず。で、その通りに実際なってる。

共産党が言ってるのは

・円高が過ぎると他の方法で吸収できない中小零細にしわ寄せが行くから何か対策しろ

・円安が急激に進むと輸入に頼る品目の物価が上がり、給与の上がらない個人や中小零細にしわ寄せが行くから何か対策しろ

ってことでしょ。もっと言うと

安部政権の考え方ってデフレ不況貨幣事象と捉え、金融緩和と円安と三本目の矢でコストプッシュしてデフレ解消ってこと。

対して

共産党はこのデフレ不況を長年の社会保障の切り下げ、増税給与雇用の切り下げで需要が不足していることが原因と捉える。

から安部政権の考え方を「大規模な金融緩和と円安誘導すれば物価が上がるだけで大半のサラリーマン給料は上がらず、三本目の矢が結局大企業優遇と旧態然たる公共事業大盤振る舞いだから、これまで通り大企業内部留保やすだけで中小零細は大して潤わない」と批判する。実際そうなってると思うよ。

公共事業にしたって、でっかいのを元請けで受注できるゼネコンは儲かるけど下に入る地方の業者は人材・資機材価格の上昇で赤ばっかり出してるし。散々批判されてるけど、国から6割の社会資本整備総合交付金が来ても7割ゼネコンが持っていくんだから結局地方財政から1割分持ちだしで東京を潤してるだけなんだよな。

から対案としては

・円安誘導は緩やかにやったらいいけど、GDPの大半を占める内需喚起のほうが先

・この20年ずっと切り下げてきた行政サービスを元に戻して家計にかかってるコストを減らす

・強いところ、持ってる人への増税と弱い者への減税で財政規律需要喚起を同時に実現

てとこじゃないか。大企業ゼネコンに首根っこ握られてる自民党よりよっぽど合理的な答え出してるとおもうけど。

http://anond.hatelabo.jp/20140301015359

極論でいえば、世界破滅し、田畑が無くなったとしても、お金さえあれば食料が手に入る、というぐらいの前提があるわけです。

極論でもなんでもなくて、そんな前提は存在しないが?

でも、そういう「前提」で社会が、世界が動いている、ということなんです。

そんな社会存在しないが?

からこその信用で、だからこその貨幣価値なんだが?

馬鹿なのか?

2014-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20140221133901

日本円だって金本位制度じゃないから

そもそも現金自体が信用貨幣なんだが?

 

その意味現金いいたいなら、紙幣じゃなくて金(ゴールド)を持ち歩かなきゃいけなくなる。

現金その物が信用で動いているんだから帳面だろうとカードだろうと電子マネーだろうと、何の問題もない。

銀行だって止まるときは止まる。

 

それに、本当に全部の種類の電子マネーが一度に止まるような規模の事件が起きていたら、日本中が大パニック物流なんかぶっ止まってるだろ。

そん時にモノを言うのは金じゃない備蓄物々交換だよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140221134115

しか貨幣取引は枯れた技術からねえ。そりゃ信頼はできるよ。

2014-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20140218133951

わざわざ近代以降と限定してるのに、貨幣を「貯める」「消費する」のメタファーとか言ってるあたりにこの増田の頭の悪さが現れてるな。「流通」とか「交換」じゃねーの普通は。

精液は性欲の貨幣から(ただし近代以降において)

〉・マスターベーションの回数を減らすと、体内に保持される精液の量が増える

〉・体内に保持される精液の量が増えると、性欲が維持・強化される

「精液のストック量を適正に保つことが身体的健康を左右する」という性欲観・精液観自体は、

貝原益軒養生訓(接して漏らさず)に代表されるように昔っからあったけど、こういうふうに

性欲の強度を精液の貯蔵量に直接結びつけた性欲理解が浸透するのは、わりと近代的な現象だよね!

この「オナ禁」を含めて、現代日本男性性欲表象には貨幣経済メタファーが強く入ってきてると思うよ。

実際にはさまざまな多様性を持ちうるであろう男性の性欲が、「射精」という行為に切り詰められる。

んで、性欲の強度が、精液の量という一次的指標に数値化される。

マスターベーションをしない非-性的時間に〈蓄積〉され、性的時間に〈消費〉されたトータルの精液量で、

その性行為のなかで得られた快楽の量が客観的に「計測」できる。

ここでは、精液が貨幣メタファーでとらえられている。

自分性的快楽を〈購入〉するための〈貨幣〉としての精液。

「溜める/溜まる」のは貯蓄行為で、「出す」のは消費行為

「ブッカケ」は集団の蕩尽的消費、ポトラッチ

…というようなことを、昔AV紹介雑誌で「ヌキどころ」を紹介する記事を読んでて思ったんだよね。

こういうふうに、貯蓄→消費過程で〈交換〉する精液貨幣の量によって

性欲と快楽を定量化する男性性欲観は、近代の性欲論が医学的・教育観点から

オナニー禁止(cf.赤川学セクシュアリティ歴史社会学』)を主張してきた語彙の中に、

すでに埋め込まれてたんじゃないかと思ってるんだけどね。

仕事しよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140217211313

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