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はてなキーワード: 貨幣とは

2014-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20140128193343

日本がこのままなら、ハイパーインフレになって貯金なんて吹き飛ぶだろ。

35年以内にハイパーインフレにならない根拠は、フラット35の全期間固定金利銀行が建ててる利率が軒並み2%前後から

少なくとも銀行屋は35年じゃ年率2%で儲けが出るって読んでるから、ソイツらよりオレの頭が良いとは考えてない。

(正確には、銀行屋が機関投資家に買わせる債券をそれぐらいにしときゃ買ってもらえると読んでる、だが)

もし本気でハイパーインフレになると思ってんなら、即住宅ローンで3,4千万銀行から引っ張ったモン勝ち。

なんで将来において貨幣価値が同じだって思うんだ?

思ってねぇから物価スライド式の年金破綻しないように祈ってんじゃねえか。

ハイパーインフレが起きなくても2%ずつのインフレで20年 30年は結構インフレしてるぞ。

最初ぶっちゃけとくと、年収300万でインフレ心配してもしょうがねえよ。そもそも資産がねぇ。

で、年金破綻したり受給開始が延びたときの対策を、「長く働く」にしてるのは、アクシデントへのキホン対策が「働くこと」だからだよ。

消費者物価指数から見て、この20物価はあがってねぇ。

ただ、日銀インフレターゲットが口だけじゃなくてマジで今後30年近く2%を続けるんだったら、それに合わせて給料うごかねぇってこたねぇよ。

それに昭和の中頃までは、普通金利でも3%とかついてたぜ?インフレってのはフツーにしててもそこそこ対応できんだよ。

大抵の場合給料はすぐに上がったり下がったりしねえけど、その分娯楽費の毎月4万円が増えたり減ったりするだけだよ。あそこが余力。

支出の25%ちょいが娯楽費ってのは、そういう意味だよ。

という「別に対策イラねぇし、外したら趣味にかける金が減るだけ」ってのを前提として、

大抵のインフレ対策の資産防衛ってのは株だの土地だのになるんだが、触れてねえのは資産って呼べるほどのもんじゃねぇからだ。

物価連動国債もあるから基本はソレ買っときゃイイんだが(日本インフレ2%っていうときは、消費者物価指数の前年度比で言うから一緒な)

ありゃ、みずほファンドぐらいしかねぇし、個人が何時までも買えるかわからんから細かく言ってねぇ。

個人のできるインフレ対策は、「多少見込みがハズレても対応できるように余力を残した設計にしとく」だけだよ。

物価が2倍で給料そのままなら、そりゃ年収300万円維持とは呼ばねぇよ。

2014-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20140128185940

日本がこのままなら、ハイパーインフレになって貯金なんて吹き飛ぶだろ。

なんで将来において貨幣価値が同じだって思うんだ?

ハイパーインフレが起きなくても2%ずつのインフレで20年 30年は結構インフレしてるぞ。

2014-01-07

愛宕神社賽銭Edyで払えるようになったそうだが

愛宕神社賽銭Edyで払えるようになったそうだ(「ついに楽天Edyで払えるおさい銭箱が登場 → ちゃんと御利益はあるのか神社に聞いてみた」(ねとらぼ))が、それで「ご利益があるの?」とかいう疑問自体が出てくるのがおかしい。そもそも賽銭趣旨効果を理解していないのでしょう。

いまのひとたちは、何もわからないままにやっているのでしょうか。いや、どうせ昔からほとんどの人が、意味不明なままやっていたのでしょうね。

賽銭だとかの趣旨はまず、御礼であり挨拶でしょう。みなさんは、例えば年賀状御歳暮に御利益を求めるのでしょうか?

利益を求めて初詣をするだとか賽銭を払うだとかいうのは、大変に即物的で、罰当たりなことだなあと、私は思っています

それと、賽銭効果ですが、それは、氏子・崇敬者の基金としての機能です。例えば災害が起こった時のための基金です。

また、江戸時代だとかには、寺社に消費者金融機能があって、消費者金融なんていうのはぶっちゃけ返済困難な人が借りるわけですが、寺社に資産が多くしか寄付金でまかなわれている部分が大きければ、消費者金融でも成り立ちうるものではあります。もちろん、いまの時代は、寺社は金融機関をやってはいませんが。ただ、いくらかの寺社は公益活動はしていますね。

そもそも賽銭貨幣で支払われる時点で、簡易化したものです。ですが、貨幣のほうが、払う方も受ける方も、正直に言って、便利ですから(笑)。その観点で言えば、やはりもっと進んで、電子マネーだろうがクレジットカード決済だろうが、そういうのでも便利ではあります(ただ、トラブル不安はありますがね)。Edyどころかクレジット賽銭を払えるようになる可能性もあります、本来は所有権留保の担保機能が求められてきた信販ですが、いまや食品だろうがサービスだろうがクレジット決済対応が進んでいるくらいですから。数千円の初穂料だとか、ときに数万円以上になることもありうる祈願だとか、現金のみっていうのはむしろ不便じゃないのかって話にもなるでしょうし。

それよりも本当に憂うべきは、いまのひとたちは賽銭だとか布施だとかの意味がわかっていないことでしょう。そのように私は考えています

2013-12-28

http://blog.knak.jp/2013/12/post-1345.html

http://blog.knak.jp/2013/12/post-1345.html

まず、根本的に勘違いしているのが、金融政策で増やすのは「流通するお金は89兆円」ではないと言うこと。これは日々の現金決済に使われる日銀券そのもので、景気が良くなっても急に増えるわけではない。企業同士のやりとりが全て現金決済だなんてあり得ないでしょう?お金の量としては日銀券のような実物貨幣だけでなく、銀行預金のような信用貨幣も合わせて考えなければならないし、金融政策で増やそうとするのはこちら。なお、銀行預金日銀当座預金も含むがそれだけではない。そして、市中で動くお金の量を表したのがマネーストックで、マネタリーベースではなくこちらを見なければならない。そしてマネーストックM3統計開始以来最大の伸びをするようになっている。これは経済活動が活発化され銀行融資が増えているため。もう少しちゃんと勉強してから発言して下さい。

次に、輸出の数量もそれなりに伸びています日銀が公表している実質輸出が月次でデータが取れる、品質変化も考慮したもっとも信頼できる輸出数量の統計ですが、昨年11月に93.1だったのが、今年の11月には98.2まで伸びています。実質輸出の伸びとしては高い方です。これでも7月以降に円安が一旦止まり一時円高化していた影響を含んでおり、円安が続いていた時の影響がピークであった6月には既に99.0をつけるなど輸出数量は今年前半に急伸していたのです。輸出数量は伸びていない、なんていうのは真っ赤な嘘です。

http://www.stat-search.boj.or.jp/ssi/mtshtml/m.html

物価についても、日銀目標はコアであってコアコアは参考系列。また、98.0が2%伸びても99.96であり、98.8まで来たということは既に道4割は進んでいるということです。ほとんど変わっていないなどと評価するべきものではありません。

2013-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20131226162022

から貨幣は持ってないよりは持ってた方が自由じゃん。

今の世の中では。

http://anond.hatelabo.jp/20131226155821

横だけど、単に「自由かどうか」なら、カネがないよりあるほうが自由だろ、そりゃ。

選択肢は間違いなく増えるんだから

それに、「貨幣が大きな力を持ってない世界」という資本主義以外の別の可能性にも言及されている。

富が人生の基軸価値であるとか、そういう話をしてるわけじゃあるめえ。

http://anond.hatelabo.jp/20131226142800

ヤクザとかアウトローに憧れてます派なのでは?

信用は無いけどカネがあって自由っぽく見える奴が好きなんだろ。知らんけど。

ヤクザが自由に生きていけるはずがないとオレは思うけどな。

 

関係ないけど ドストエフスキーが書いたその言葉

貧富の格差への皮肉として書いた言葉から

貨幣鋳造された不自由である」の方が本音に近いと思う

2013-12-24

貨幣価格形成の一例

貨幣価格形成の一例

・そもそも貨幣価値は0円である

このことを念頭に置こう。

・1万円と米を交換されているとする。

取引の上では1万円が米が交換されたように見える。

でも、それは本当だろうか?

1万円+(何か)が米で交換されたのではないかと考えるのは考えすぎだろうか。

(何か)は麻薬かもしれないし、人身かもしれない。取引上は1万円と米が交換

されている合法な行為に見える。

通常の物々交換場合、米5kgをきゅうり一本と交換するのは実態と合わない行為だと誰もがピンとくる。

それで貨幣だ。この通貨価格がついている時点で実態と合わない。1ドルでも100ドル

でも実態と合わない中の千ドル越え、果たして、米に千ドルを支払った人は本当に

米だけと交換したのだろうか。

まぁ、あくまで一例ということで

http://anond.hatelabo.jp/20131224205300

2013-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20131211152152

確かに 他の国と同一品質なら円安誘導すれば売れるようになるが、品質が落ち続けている日本製品や、陳腐化し続けている日本製品海外工場生産している実質OEM日本製品に どこまで円安の効果があるか?といわれると限定的だろ。

確かに、品質が落ちたら売れないね

ただ、円安誘導が、短期的に日本国価値をもたらすというジャッジは正しいと思う。

生産がだぶついているから、

企業主体で外に売って、企業貨幣を掴ませたい、と。

蛇足だけど、

ドバイとかだと、

日本流通したという事実のみで、

日本から出してる中古ママチャリが売れてるらしいよ。

WBSで言うてた(笑

http://anond.hatelabo.jp/20131211141405

下がるんじゃない?

つか、今まで貨幣価値が上がりすぎてた(デフレから、下げよう(インフレにしよう)としてるんでしょ?日銀も。

ちょうどいいじゃん。

http://anond.hatelabo.jp/20131211141405

下がるよ。財政赤字貨幣発行増やしたら円安になるよね。

でも今は円高がきつくて苦しいわけだから、ほどほどに円安になってくれる分にはいいわけだ。

通貨競争なんて言葉もあるくらいで、貨幣価値が下がることは状況によっては悪いことではない。

http://anond.hatelabo.jp/20131211140435

生活保護ニート救済、

生産者への給付が、

消費促進として重要なんだ。

これって続けてると、貨幣価値が下がったりしないの?

2013-12-02

特定秘密保護法案12条2項1号における「テロリズム」の定義の読み方

結論

政治上その他の主義主張に基づき、

国家若しくは他人にこれを強要し、

又は

社会不安若しくは恐怖を与える

目的

人を殺傷し、

又は

重要な施設その他の物を破壊する

ための活動をいう。

まり

  1. 主義主張
  2. 目的
  3. 行為

という要件を以て定めており,

の4類型が,同条における「テロリズム」に該たります

理由

まずは条文。

特定秘密保護法4党修正案の全文:朝日新聞デジタル強調引用者)】

第五章 適性評価

行政機関の長による適性評価の実施

第十二条

1項 略

2項 適性評価は、適性評価の対象となる者(以下「評価対象者」という。)について、次に掲げる事項についての調査を行い、その結果に基づき実施するものとする。

一 特定有害活動(公になっていない情報のうちその漏えいが我が国の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを取得するための活動、核兵器、軍用の化学製剤若しくは細菌製剤若しくはこれらの散布のための装置若しくはこれらを運搬することができるロケット若しくは無人航空機又はこれらの開発、製造、使用若しくは貯蔵のために用いられるおそれが特に大きいと認められる物を輸出し、又は輸入するための活動その他の活動であって、外国利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民安全を著しく害し、又は害するおそれのあるものをいう。別表第三号において同じ。)及びテロリズム政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。同表第四号において同じ。)との関係に関する事項(評価対象者の家族配偶者婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。以下この号において同じ。)、父母、子及び兄弟姉妹並びにこれらの者以外の配偶者の父母及び子をいう。以下この号において同じ。)及び同居人家族を除く。)の氏名、生年月日、国籍過去に有していた国籍を含む。)及び住所を含む。)

二〜七号 略

3,4項 略

問題となる部分は以下(強調引用者)。

政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。

条文の書き方として,同じレイヤーには「又は」は複数置かれません。「A or B or C」は「A,B,又はC」と書きます。したがって,少なくとも「強要」「殺傷」「破壊」が同列ではないことは文言上明らかです。

ただ,それを踏まえても,上記の「テロリズム」の定義は,「基づき」や「目的で」の範囲がぱっと見分かりにくいために複数の読み方があるようにも見えます

しかしながら,丁寧に読めば条文上に冒頭の構造が現れています

すなわち,ブロックが最も明確な社会不安若しくは恐怖を与える目的という部分は「○○に○○する目的」という書きぶりになっていて,これは直前の国家若しくは他人にこれを強要と同じ形式になっているから,両者の間(=最初)の「又は」は「強要し,又は与える目的で」と読める。

同様に「○○を○○する」でまとめると人を殺傷重要な施設その他の物を破壊する並置されていることが分かります

実際,森担当相はそのように答弁をしています

第185回国会 国家安全保障に関する特別委員会 第14号(平成25年11月15日(金曜日))

近藤(昭)委員

 (前略)さて、懸念があることがありますので、一つお聞きをしたいと思います。これは法案に関連することであります

 法案の第十二条の二項一号にありますテロリズム定義についてというところなんですが、法案では、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。同表第四号において同じ。」とあるわけであります

 この文章どおりに解釈をすれば、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は」となっており、「又は」で接続をされていて、かつではないわけでありますね。そうすると、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」する行為テロリズムということに読めてしまうわけでありますが、その解釈はいかがでありましょうか。

○森国務大臣

 全く同じ質問をこの委員会でも以前受けまして、御答弁申し上げましたけれども、この条文の「目的で」というところの前と後が、かつでつながっております

 つまり、条文の書き方でいうと、まず、目的がこういうものである目的が二つ挙げてありまして、それが「又は」でつながっております。そのような目的を持った上で、今度、行為態様として、人を殺傷するか、または破壊活動というふうになっておりますので、目的が該当しただけでこの条文の構成要件を全て満たすわけではございませんで、このような目的を持ち、また、ここに書いてあるような行為態様殺傷、または重要な施設その他のもの破壊する行為をした場合が該当するということになります

近藤(昭)委員

 大臣ありがとうございます

 ただ、それならばなぜ、わかりやすいといいましょうか、今まさしく、そして殺傷したという、かつという言葉を使わないのかということを思うわけでありますいかがでありましょうか。

○森国務大臣

 これは刑法法規の定め方でございますが、まず目的が書いてあって、その後に行為態様が書いてございますので、例えばそれぞれの行為態様がかつで結ばれている場合には、かつと書くこともありますでしょうけれども、目的行為でございますので、これは別々の構成要件ということで、「目的で人を殺傷し、」といったときに、目的でまたは人を殺傷しとは読みませんので、ここはあえて、かつを入れないということでございます

近藤(昭)委員

 大臣がそのようにおっしゃって、それがこうした法律の書き方だと。しかし、随分とこれは法曹界の方からも懸念が出ているということであります。律の書き方だと。しかし、随分とこれは法曹界の方からも懸念が出ているということであります

内田樹氏の言説について

石破発言について (内田樹の研究室)

担当相は国会答弁でこの条文の解釈について、最初の「又は」は「かつ」という意味であり、「政治上」から殺傷し」までを一つ続きで読むという珍妙な答弁を行った。

しかし、この条文の日本語は、誰が読んでも、「強要」と「殺傷」と「破壊」という三つの行為が「テロリズム」に認定されているという以外に解釈のしようがない。

内田氏の言説は,森大臣の答弁内容について誤解し,かつ,条文解釈を誤ったものです。

まず,森大臣最初の「又は」は「かつ」という意味などとは言っていません。おそらくは森大臣この条文の「目的で」というところの前と後が、かつでつながっておりますという答弁を捉えたものだろうと思いますが,これは「又は」について説明したものではありません。

冒頭の結論を前提とすれば,12条2項1号は

  1. 主義主張
  2. 目的
  3. 行為

という3要件から成り立っており,目的行為のみでは「テロリズム」には該当しない。従って,「目的」を有し,かつ,「行為」を行った場合でなければ「テロリズムには該当しない。

あとは条文上の書き方の問題で,目的要件と行為要件の間には「かつ」を入れないのが通例です。(というか,別種の要件であればいちいち「かつ」は入れない。)

例:通貨偽造罪(刑法148条1項)

行使の目的で、通用する貨幣紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。

次に,つの行為が「テロリズム」に認定されているという以外に解釈のしようがないとする部分ですが,既に述べたように,行為類型は「人の殺傷」と「物の破壊」の2つです。

ちなみに,条文から動詞を抜き出すと,「強要し」と「殺傷し」と「破壊する」の他に「与える」という行為(by内田氏)存在します。この「与える」は「与える目的で」と書いてあり一見明白に目的規定なので,読み飛ばしちゃったのだろうと思います(私も最初内田氏と同様の誤読をしたし)。

 

実際のところ,条文構造上最も大きい区切りである目的」と「行為」の間に読点(「、」)が無いのは,現在立法慣習上は不思議ではないのですが,とても分かりにくい慣習だと思います

一昔前の法律には条文のタイトルも無かったように,立法技術も月進年歩の発展を見せているところですので,こういった「要件単位での区切りの明確化」を発展させて欲しいところです。

2013-12-01

公共事業での景気対策が厳しい理由

まとめ



これまで経済政策論争として多くを占めたリフレ・反リフレの間の論争が結論が出る前に現実の方がリフレで固まり少なくとも数年は続けられそうになってしまったため下火になり論争の中心が財政政策公共事業の方へと移ってくるようになった。そこでポイントとなる点を備忘のためにまとめる。

景気対策としての公共事業を否定しても全ての公共事業を否定することにはならない。また公共事業価値を認めたからといって景気対策としても有効であると認めることにはならないし矛盾しているわけでもない。

公共事業に限らず金融政策しろ何にしろコストがかかる。ここでいう公共事業コストとは公共事業によって引き起こされるマイナスの出来事に公共事業をやったために出来なくなってしまった機会損失を加えたもの。国の債務を家庭の債務と同様に考えるのは永続性を無視した誤解であるが、かといって国の債務国民資産であるので拡大しても何ら問題ないというのもまた国民の異質性・多様性世代など)を無視した誤解である過去に積み上げた債務高齢者に逃げ切られないうちに一部返してもらおうというのが原因となって消費税増税ゼロ金利が続くなか急いで決められたといった財政自由度の低下も異質性があるがゆえの公共事業コストの一つである

どのような社会的効用関数を想定するかは人それぞれで当然だが最終的には効用に結び付けて考える必要がある。いいかえればGDPではなく消費こそが重要であり失業の削減なども消費が増えるからこそ大切。また、今期の消費だけでなく将来の消費も重要になってくる。

以上の3点が考えるための大前提

この3つめの考え方にたった上で公共事業を考えるときに外せないのが小野善康先生論文(Yoshiyasu Ono, Fallacy of the Multiplier Effect: Correcting the Income Analysis, ISER Disscussion Paper, 2006. リンク

http://www.iser.osaka-u.ac.jp/library/dp/2006/DP0673.pdf)となる。(これはいわゆる小野理論として有名な貨幣限界効用に正の下限があるというものとは別。)その中身は論文小島寛之先生の解説(http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200707/200707241130.html)などによるとして、簡潔に言葉を借りると

乗数効果は、国民所得を増やすという意味での景気対策には全く効果を持たず、また、その実質的効果政府が投じた金額ではなく、作られた公共物の価値依存する」

ということになる。つまりよく言われる穴を掘って埋めるようなもの場合GDPは増えるが所得や消費を直接には増やさない。GDPが増えるのは政府支出はその支出分と同じだけの付加価値を生んでいると仮定する以外に付加価値の算出が困難というGDPという統計作成上の制約による仮定の産物に過ぎない。無駄が増えるのも経済にとって有用というのは誤りである

このことが示すのはGDPが増えているからというだけでは公共事業には効果があったとは言えないということである公共事業効果があったというには、直接的に価値のあるもの生産が増えたか所得効果が働き消費を増やしていた必要があり、さらにそれらが公共事業コストを上回っていないと望ましいとは言えない。

ここまでを踏まえた上で公共事業効果がないという考え方、あるいは効果があるとしても小さくコストを上回れないという考え方について見る。財政政策効果がないとする理由としてよく挙げられるのは



の3点である。各々には次の留意点がある。

公共事業規模以外の影響を制御して考える必要がある。ただし公共事業の減少幅からすれば公共事業雇用に主導的な影響を与えていたというのは難しい。

これは産業政策が平均的にはうまくいっていないのと同じ問題である。とりわけ景気対策として公共事業の総額が先に決まり事業の精査の時間が限られる場合にはより一層困難が高まる

現在の状況においてマンデル・フレミング効果公共事業の拡大に効果あるかないかの点であまり関係がない。

マンデル・フレミングモデルに基いても日本海外の双方でゼロ金利が見られる状況では公共事業金利を変化させ得ないので為替や純輸出は変化しない。ただ、これはいつまでも関係がないわけではなくさらゼロ金利の壁があるために公共事業拡張と緊縮ではマンデル・フレミング効果の発動は変わってくる。どこまでいっても金利が下がり得ないので緊縮をしても外需増加によるキャンセルアウトが得られない一方で拡張はある程度を越えると金利上昇予想にともなう円高で外需減少を招く。ただこの場合もマンデル・フレミングモデルを一部変更し公共事業の拡大・緊縮にかかわらず中央銀行政策金利一定にたもつというようにより現代的な仮定を導入するとゼロ金利を抜けてもいわゆるマンデル・フレミング効果は働かない。

土木建設業での人手不足や着工の先延ばし及び未消化工事残高の増加や公共事業入札の不調、あるいはその結果としての人件費や入札予定価格の引き上げの報道が相次いていることからすれば公共事業親和性の高い業種で現実供給制約が起きていると言える。

公共事業の規模や事業数が変わらなくても入札価格が上がっていけば上述のようにGDPは上昇するが雇用社会厚生は直接には高まらない。マクロ経済への効果は単価の上昇にともない所得効果が働くことに依存する。しか過去給付金政策や租税変化の結果からすると所得効果はかなり小さい。(たとえば堀雅博, シェー=チャンタイ, 村田啓子, 清水谷諭, 90年代経済政策と消費行動の研究1-地域振興券の消費刺激効果, ESRI Discussion Paper Series No.12. http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis012/e_dis012.html、あるいは渡辺努, 藪友良, 伊藤新, 制度情報を用いた財政乗数の計測, Working Paper Series No.28, Research Center for Price Dynamics, Institute of Economic Research, Hitotsubashi University, 2008. http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/16306。)株価地価の大幅上昇といった大規模なものでないと所得効果意味のある効果量となりにくい。

供給制約に面している時には公共事業コストが上がる。それによって民間の他の事業が行えなくというコストが大きくなるため。

供給制約に面していない業種に対する公共事業を増やせば供給制約問題はなくなるが産業政策と同種の困難さが高まる

財政拡張機能しない理由が供給制約によるものとき消費税引き上げのような財政緊縮は機能してしまう可能性がある。

供給制約は長期的には解消され得る。専門化・技能化している土木建設に即座に従事するのは難しくても時間があれば技能を習得してから就業することも可能となる。問題は技能習得に掛かる時間景気循環時間の大小および技能習得が無駄にならず将来性があることの保証をどのように行うか。

最近建設業従業者数は興味深い。GDPの上では公共投資が大きな寄与を続ける一方で建設業従業者数は前年比マイナスが続いてきた。しか最近はそのマイナスがかなり縮小してきており技能習得などが進んでいるのかも知れない。

2013-11-17

田舎貨幣価値に換算できない豊かさを楽しむところ

ちょっとした畑や納屋があったりすると田舎楽しい

TOKIOのダッシュ村みたいなことが好きで、楽しめるスペースがあるとお金に換算できない価値生まれる。

・余分に作物ができる→人にあげる→お礼に何かもらう

・干したり、漬けたりする→余分を人にあげる→お礼に何かもらう

ような感じ。

燃料を使う農機具が増えると貨幣経済に片足を突っ込むので楽しさが半減する点は注意。

(都会発のコンテンツを楽しむのも貨幣経済に深入りする感じでしょうかね)

地方でも県庁所在地アパートとか便利ところだとそんなスペースはないので、暮らしぶりが東京の密集地と変わらなくなる。

田舎新興住宅地もそんなスペースは用意されていないことが多いので、都会の豊かさ的なものを求めると田舎メリットがなくなる。


田舎で家を建てるとき中古住宅を買うとき賃貸を探すときは、日当たりのよい畑スペースと保管に使える納屋を重視で。

田舎も都会もどこもかしこも誰かの所有地だ。

買うにしても、借りるにしてもお金がいる。賃貸を借りれば、大家さんがその建物の持ち主で、ローンで買えば、銀行大家だ。

価格の倍率は違ってもその人たちがその利益生活していることを考えるとそんなに変わらないのかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20131117002012

2013-11-12

期待インフレ率が高まれば強制的に引き締めが起きるって論理がまったく分からん

https://twitter.com/makotosaito_v3/status/278295239465254914

専門家として)社会必要インフレ目標ゼロ金利離陸後に導入すべき。ゼロ金利時導入では、期待インフレ名目金利の上昇で滞留日銀券を日銀が回収せざるをえず、大規模売りオペか準預高利付与で資金捻出(厳しい引き締め政策)する必要が生じるから

https://twitter.com/makotosaito0724/status/400035025648775168

金融調節で政策金利を誘導する状況と、貨幣市場の需給均衡で市場金利が決まる状況は、経済理論ではかなり前から厳密に区別されている。日本金融論の教科書がその区別無頓着だっただけ。ナンチャラ論争も無頓着の表れ。『金融技術の考え方・使い方』『NLAS マクロ経済学』では区別している。

インフレ期待が上昇すればタンス預金をしてたら勿体無いのでタンから日銀券が掘り起こされて、一部は消費に回され、一部は銀行に行くってのは分かる。

消費に回った分はその支払を受けたお店が、インフレ期待が高くなればお金のままでは持っていたくないのでやはり使うか銀行に持っていくだろうというのも分かる。

そして、消費者やお店から日銀券を持ってこられた銀行インフレ期待が高くなった状態では目減りする日銀券のままで持っていたくないので、最終的には国債投資しようとするだろう。

しかし、市場にある国債の量は銀行国債を欲しくなったからといって増えたりはしないので(他の銀行だって日銀券よりは国債を持っていたいのは同じ)、

銀行日銀券を日銀に返す代わりに、日銀の保有する市場に出ていない国債を貰おうとする、ここまでは分かる。

ここからが二重に分からない。

一つ目は、仮に日銀が、銀行から持ち込まれた日銀券と日銀が持っている国債とを交換したとして、確かに売りオペが起きていることになるがこれは引き締め効果を持つのか?という点。

銀行タンス預金から蘇って持ち込まれた日銀券を国債と交換しているが、これによってどこかの企業にしていた融資を回収にまわったり、あるいは予定していた融資を減らしたりする必要はない。

まり経済活動に直接的なネガティブな影響は起きていない。

また、銀行による国債への需要増に応じた分だけ日銀国債市場供給するに留まるので、国債価格低下(金利上昇)ともならない(なる必然性がない)。

インフレ期待の上昇にともなう国債価格低下(金利上昇)は起きるだろう。垂直な市場への国債供給曲線に対して需要曲線が左シフトする。それはタンス預金やそれの日銀による回収とは関係なく起きることである。)

まり金利を通じたネガティブな影響も必然ではない。

上記の話は、日本銀行バランスシートが縮小することを嫌って準備預金の付与金利を引き上げて対処した場合も基本的に同じである銀行融資を減らしたりすることはない。

二つ目は、そもそも日銀は、銀行から持ち込まれた日銀券と日銀が持っている国債とを交換する義務があるのか?という点。

日銀銀行から国債を売ってくれと言われた場合に、果たしてそれに応じる義務はあるだろうか。無期限の負債であるというのが、日銀券の大きな特徴なはずだ。

確かに市場価格は大切だ。日銀市場価格乖離した高い値段で国債を購入することには問題がある。利益供与行為だ。しかし、日銀市場価格を提示されたからといってそれで国債を売らなければならない義務はないはずだ。

日銀銀行券を引き受けてくれないとなれば(日銀券と国債の交換に応じてくれないとすれば)、銀行インフレ期待が高くなった状態では目減りする現金を持っていたくないので、何らかの形で使うしかなくなる。

そして、それを受け取った人も同じくそほとんどを使うしかなくなり、そしてまたそれを・・・と続くことになる。いわゆるホットポテト効果である

最終的には経済活動が活発となってそれによりGDPが増え、取引需要が増えて必要とされる日銀券の量が増え、タンス預金から蘇ってきた日銀券が普通に需要されるところまで経済規模が拡大することになる。

このようなケースでは、厳しい引き締め政策となるどころか、タンス預金存在は非常に景気刺激的なものとなる。

確かに、この二つ目のケースは危険をはらむ。タンス預金から蘇ってきた日銀券が普通に人々や企業に持たれるほど取引需要が増えるまでGDPが上昇する前に、供給力が限界になるパターンが考えられるからだ。

この場合インフレが昂進するだろう。しかし、これは経済が活況過ぎるということなので引き締め策が求められることになること自体には何ら問題はない。

問題があるとすれば、インフレ期待の上昇にともなう国債価格低下が大きくて、売りオペを十分にするだけの見合いがないという点になるだろうが、

これは滞留日銀券を日銀が回収するための大規模売りオペが厳しい引き締め政策になってしまうという議論とは明らかに異なる。引き締めが出来ないという問題だからだ。

しかも、滞留日銀券にともなうその問題を抑えるだけなら、銀行融資抑制したりしない日銀券と国債の交換という一つ目のパターンを重視するだけでいい。

うーん、期待インフレ率が高まれば滞留日銀券の日銀還流強制的に引き締めが起きるから、利下げでその影響を相殺できないゼロ金利時には期待インフレ率を高めるな、って論理はまったく分からん

2013-11-09

中二病合理的ごっこが何故見苦しいか

合理的思考で慣習や習慣を洗いなおすというのは

批判されるようなことではない。

よくよく考えて「いただきます」が不要という結論が出たなら思考した価値がある。


けれども元増田のは思考ごっこであって、まるっきり掘り下げが足りない。


一体誰に向かって言ってるの?

食事を作ってくれた人への感謝の気持ちならわかる。

だったら作ってくれた人のほうを向いて「ありがとう」っていうのが正しいよね。俺はそうしてる。

例えばその「作ってくれた人」とは誰なのか。

経済の話が好きなようなので、仮に家庭内ではなくすき屋での話だとする。

目の前に運ばれた一杯の牛丼

仕込みをした人と調理した人と盛り付けをした人と配膳した人が別だ。

更にはメニューを開発した人や食材を仕入れた人や食材を運んだ人、お百姓さん…までが背後にいる。全員宗教と無関係実在する。

元増田感謝を捧げたいのはどの人だろうか。

全員だろうか?中の数人だけだろうか。

除外・選別の理由は何だろうか?

きちんと考えつくしているように見えない。


また、なぜ感謝を捧げるべきなのだろうか?

対価を支払って購入した牛丼の筈。

合理的に考えると、誰はばからずにふんぞり返ってかき込んでもよいのではないか

そうではなく、サービスを受ける時は貨幣的対価を支払う以外に感謝の気持ちが必要なのだろうか?

それは何故?


しろ、食事を作ってくれた人への直接的な感謝を優先しない、不躾なやつだと思う。

仮に感謝必要なのだとして、

なぜ直接的な感謝あいまい表現だ…)が優先されるべきなのだろうか?

牛丼が目の前に置かれるまでのサービスの長い流れの中で

末端にだけ優先的に感謝をするべき理由は?




どの論点も全く掘り進められていない。

自分の狭い視野と貧しい知識でパッと気付ける部分だけを疑い、論理的な発展は全く無い。

ということは、頭の良し悪しもあるにせよ、根本的にはまじめさが足りない。


更に、実はこの程度の話は全て過去検討されていることも知らない。

同じ論点が先人達によって元増田の幼稚なポエムでは足元にも及ばないほど掘り尽くされているのを知らない。

これも結局、本気で考えよう答えに辿り付こうという真剣さの欠如の表れ。


では元増田合理的思考のフリの目的はなんなのかというと、

要するに「特別な存在である自分という妄想に浸ること。


ありふれた見苦しい中二病表現として

こういう「合理的思考」もどきが選ばれるせいで

合理的思考」自体のイメージまで毀損されるのが大変迷惑だ。


怠け者の馬鹿が「特別な存在である自分」になりたいなら暴走族が一番迷惑が少ない。

なぜ「珍走団」などと言っていじめて廃れさせてしまったのか。勿体無かった。

http://anond.hatelabo.jp/20131109090508

http://anond.hatelabo.jp/20131109090508

その人の一部を削り取って食卓に上っているのだったらその人にむかって「ありがとう」と言うのでいいと思いますよ。でも実際食べるのはだれかが収穫してきた別の命なわけでしょ?

ありがとう言う気があるのは充分いいことなので言うなら食卓に上がるまでに関わった全員訪問してから食べないとね。

いただきますというのは、そのありがとうとは別物で

「頂に登ります。」というヒエラルキー下位のもの自分の足元に得て

吸収し土台と成して上に立ちますという宣言で

自分の一部とすることで死や犠牲自分の一部と扱い無駄にはしないという宣言です。

食べるために殺し奪いはするけれども、それは自分自身であり自分自身の為でもあるという自然と一体になる、また自然の一部で一体であることを意味していて

単体の動物とか植物と個人との関連性にある信仰とは別物です。

摂食される動物植物が死んでその役割を果たす意味を唱えるとともに自分委託された共生環境における相互利益と全体の豊穣を祈るものです。


現代風に言うと、

今日もご飯が食べられるのは日本国政府貨幣管理外交を行い法整備によって食料の安全供給を一律のものに安定させその政策化でさまざまな産業が食料供給を行いその供給された食料を取得することができる努力をされた方々が自分のために調理してくださり今まさに食べる事ができます。今より関係者食材名前を順不同で申し上げます。Aさん、Bさん、・・・

というのをまとめて「いただきます」と宣言して、では何の頂にあるのか、魚、野菜、それらの産地、農家、その自治体、法整備、知事政府自然、それらによって供給をされている一部を金銭などによって獲得したその小さな積み重ねの頂に登りますよ、という儀式なのです。

金銭は労働力という自分の一部を支払いその交換として得た食事であり食事は自分労働であり労働自分自身であるという循環する自然への信仰です。

あなたいただきますをしたその食事は、供給の流れ全てと自分自身へのありがとうが同梱されています

いただきますをした食事は、全部きれいに食べないと「自分の交換条件に適さない交換をすることになる」という独特の風土も持ち合わせます

汚く食べる事が礼儀とか、一部を残して祈りとするという文化とは異なるところでもありますね。


でも、テーブルの上のあなたのそのシチューに作ってくれた彼女さんの血や髪の毛が入っているのだったら、顔みながらありがとうでいいと思いますよ。





あと関係ない話を付け足してしまますが、おあがりなさい、召し上がれ、というのはまさにその上段に上りなさいという進言を返答としたものです。

また食べ終わった後の「馳走になった」はその四方八方の命を得たということで「それらの地と繋がりました(いろんな意味でいろんなものが駆け巡りました)」食べました、得ましたということです。

いまの訳では取得関係者への労いであるようですが、それであればまず最初に掛けるべき言葉なので、招かれる段階で「馳走になる」というのも習慣による変化ではないかと思います


仏教起源という話もあるようですが文化吸収は柔軟に広がりを持つ教義によくある形で、外国語に「いただきます」が無いところから宗教の関連性についてはお察しください。


ただ、今ある「お粗末様」の由縁はわかりません。

2013-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20131108150129

残念ながら、ソシャゲをギャンブルとして楽しんでる奴はいないよ。

これも逆だというか、「ギャンブル」の定義が狭すぎて足元すくわれそうな。

えすぱーすると「ギャンブル」を「お金儲けを目的とした卑しい何か」と定義している気がする。

思うにギャンブル本質ガチャ確率誤認と多幸感にあるのであって、「貨幣を賭ける」に対する報酬として「貨幣」を戻すのは便宜的なシステムに過ぎないっつーか。

おれも元増田同意。『ファスト・アンド・スロー』で散々言われたように、おれらのお脳の快感報酬系はどうもおかしい。

統計」「期待値」という概念をどうしても我がものとできないように作られてしまっている。

未来予測に対する快感という報酬のレートが異常に高く積まられているような気が。

2013-10-21

日本に欠如しているのは「生産性概念」ではない 「生産力」と「需要」の概念

■前提■

界隈で喧しく「生産性概念欠如」が取り沙汰されている。曰く、日本企業社会には生産性という概念が欠如しており、これが経済の停滞や労働搾取をもたらしている、

というものだ。多くは企業者の立場からのもので、日本企業文化的制度的な生産性軽視を論じている。そうした「文化的背景」や「企業の人事制度」という点は今後も

議論されるべきであろう。、、、だがこのエントリーで論じたいのは、他エントリーで多くなされている下記のような主張が「本当だろうか?」というものだ。すなわち

  >生産性を向上させれば、同一のアウトプットに対しより少ないインプットで済む

  >従って、生産性の向上は「アウトプット量の拡大…よりよい商品提供」か、「インプット量の減少…余暇の拡大」を生む

  >かくして、生産性の向上により、社会の富や厚生の拡大がなされるのだ!

という主張である。一見正しいように思えるし、うん、実際の所間違いではない。

だが筆者は、多くの論で曖昧に付されている点があると考える。それが何かといえば、「インプット労働力時間だけど、アウトプットお金なの?それともモノなの?」

という点だ。生産性の問題を経済の問題として考えるのであれば、そして個々の企業ではなく将来に渡る社会全体の変化を取り扱うのであれば、それが「名目」なのか「実質」

なのかという点を明確にしなければならない。そして実際、この点を明確することでより有益な論点が摘出できる。

そこでひとつ、明確に「生産性」と区別して論じられるべき概念を提案しようと思う。「生産力」だ。

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■「生産性」と「生産力」の違い■

本論では下記のように用語の定義を行いたい。

  ・「生産性」:一単位労働力投下に対し、アウトプットとして得られる「金額」の増加分

  ・「生産力」:一単位労働力投下に対し、アウトプットとして得られる「モノの量」や「モノの質」の増加分

簡易な例を提示しよう。

皆さんが田んぼを耕して農業生産を行うとする。一定面積の土地に対し、100の労働を投下し、100kgのコメ生産し、それを100万円で売っている。いまここで新たな技術

開発され、80の労働100kgのコメ生産できるようになった。するとどうなるだろうか?

  ・「生産力」は、100kg / 100労働 だったのが 100kg / 80労働 となった。1労働に対する生産「量」でいうと、1.25倍となったわけだ。

  ・「生産性」は、100万 / 100労働 だったのが 100万 / 80労働 となった。これも「生産力」と同じ、1.25倍となっている。

かくして我々は 「いままでと同じ量働き、1.25倍の所得を得る」か「いままでと同じ所得で、80%働き、20%を余暇に充てる」という選択肢を選ることになる。

、、、だがここには重要大前提存在する。生産力と生産性がおなじ動きをするのは、「コメ価格が変わらない場合に限る」のだ。


■「生産力」の向上は「生産性」を向上させるか?■

ではモノの価格を決定するのは何であろうか?

もし「生産力」の拡大が個々の企業のみで起こったのであれば、その企業が他社に比べて競争優位を持つにとどまる。つまりその企業が「今より低い価格でも戦える」ように

なるだけで、価格はその企業戦略によるだろう。だが検討するべきは、こうした「生産力」向上が社会全体で実現した場合、つまり我々の望む「日本社会生産性拡大」が

実現しようとした場合だ。

社会全体でみた商品の価格決定は、極めて単純に「需要量と供給量のバランス」によって決まる。つまり「足りなければ高く」「過剰なら安く」だ。そして、、、賢明な読者の

方ならお気付きの通り、「生産力」の向上は「供給量」の増加をもたらし、その供給量に「需要量」が追いつかないのであれば、、、価格は下落し、「生産性」は向上しない。

労働に対する貨幣的評価が変わらなければ、給料名目賃金)は、上がらない。

もちろん、価格が下がれば需要が増える場合もある。つまり「欲しいけど価格が高くて買えなかった」製品生産力が向上した場合価格の下落が需要の上昇を呼び、全体として

収益が拡大、生産性の向上をもたらす。これは成長産業モデルであり、企業間の厳しい競争市場の拡大が循環している場合生産力=生産性の拡大は至上命題となるだろう。

しかし、「需要」がそれほど増えない産業は?

例えば例に挙げた「コメ」。食べ物という商品は、いくら価格が安くなっても食べる量がそんなに増えるわけではない(かと言って不足すると大問題)。コメしろ野菜しろ

需要量に対して供給量が10%上回っただけで、価格20~30%下落したりする商品だ。つまり農業の「生産力」向上は「生産性」を減少させる。(蛇足となるが、TPPの議論

などで「農業生産性を上げれば万事上手くいく」と言っている論者には、量と価格関係を厳密に区別できていない方が多い)

さらに、「需要」が拡大しない産業における「生産力」拡大は、単純に失業者を増やす。なぜかといえば100の固定需要に対し、それを満たす供給量の生産必要労働力が減る

からだ。生産力が向上しているから、より多い生産不要なら、「働く人が過剰になる」。こうした「特定産業における過剰人口」は、本来であれば成長産業に仕向けられる。

成長産業はその需要が満たされるまで労働力を吸収し、その需要が満たされるよう生産力の向上を図る。つまりよく言う「生産性の低い産業から生産性の高い産業労働人口

移行」するのだ。、、、だがいま見てきたとおり、「生産性の低い産業」とは単に「需要が満たされており」「且つ生産力向上を図り」「過剰人口が発生した」産業も含まれる。

必ずしも努力や工夫の足りない・低レベル産業ではないということを留意するべきだろう。


需要のない環境下での「生産力向上」■

さて、今までのところを整理しよう。

  1.「生産力」の拡大が「生産性」の拡大をもたらすのは、価格が変わらない場合

  2.「需要」が頭打ち環境下では、「生産力」拡大は「生産性」の縮小をもたらす

  3. 社会全体で需要=成長産業がない場合、「生産力」拡大は失業をもたらす

多くの方がお気づきと思うが、今の日本は完全にデフレ経済需要不足だ。そうした環境下での「生産力」向上がなにをもたらしたのかは想像に難くない。産業の多くが内需に頼る

この国で、デフレ経済を15年ほども続ければ、企業内での「生産力」向上への意欲が毀損されているのは驚くに値しない。むしろ、厳しい雇用規制により失業者が街に溢れかえる

ような状況が避けられていると考えるべきであろう。(もっとも、雇用規制が新たな成長産業誕生を阻害しているという論者もいるわけで、循環的な問題を紐解くのは一筋縄では

いかないということか。紐を解くのに縄では足らぬとは皮肉なことだ)

また、アウトプットの量が給与に評価されないというのもご納得いただけるのではないだろうか。これは必ずしも労働者だけの問題ではなく、企業自体が「生産力」向上=「生産性

縮小というジレンマを抱えているのであり、作ったもの貨幣として実現しないという社会全体の問題を内包していると見るべきだろう。

、、、そして、こうした「モノやサービス実体生産」が「貨幣としての生産」に結びつかないという問題は、一国の経済おいてより根本的な問題として取り扱われる領域でもある。



社会的生産性とはなんだろう?■

エントリーを書くきっかけとなった記事から一部引用しよう。

  生産性概念が欠如しているのは企業だけではない

  http://sencha77.blog.fc2.com/blog-entry-338.html

   >消費者が新たな消費者子供を産み育てられるような社会にならない限り、生産性の高い社会はいえないし、

   >そういう社会で在り続ける限り、企業生産性も低いまま、改善されることはないでしょう。


さて、筆者もこの国の根本的問題は少子化にあると考えているし、少子化に限らずいかに「人間の活動」を活発にするかが社会幸福に直結すると考えている考えている。しか

これまでの議論を踏まえると、ひとつの疑問が生ずる。

子育て生産性ってなんだ?」

上で「生産性」を金額による評価基準と定義した。しか子育てはカネを生むだろうか?残念ながらノーだ。いやノーであるどころか、、、子育てはカネを生み出さずむしろ消費する。

まり生産性」で見ればマイナスだ。実際我々はそう感じているのではないだろうか?子供を産み育てれば、それだけお金必要になるではないか子育てにかかる金額と子供を持つ

ことによる幸福とはどちらが大きいだろうか、と。いや、子育てに限った話ではない。今や恋愛も、結婚も、はたまた地域へのボランティア活動すら、「カネを費やす消費活動」と

化しているのではないか

本質的に我々の社会を豊かにするのは「生産力」のはずだ。モノを作り、サービスを生み出し、それを社会の成員と分かち合うことで世の中が豊かになる。しかしそういった「生産活動」

の中には、「貨幣経済」を基に置くものとそうでないものとがある。「貨幣経済」に基を置く活動、一般に我々が「仕事」と呼ぶものは、すべからく貨幣=金額によって評価され、その

評価によってより効率的生産志向し、新たな生産物を生み出し、社会全体に流通する。一方で「非貨幣経済貨幣によって評価をされない活動、例えば家事や、友人との交歓や、

恋愛から結婚まで、お金にはならないが社会に欠かすべからざる活動が行われている。

貨幣経済」(あるいは市場経済資本主義)は、あくまで「生産力の発揮」をより効率的に行うのに資する存在であって、それ以上でもそれ以下でもない。事実これまで見てきたように、

社会全体として需要がある限り「生産力」向上が図られてきた。、、、では「非貨幣経済」の効率性はどうだろう?結論を言えば上昇した。家事を例に取ればわかりやすいが、すべて

手作業でやっていた時代から炊飯器洗濯機システムキッチンなどなど「生産力」の向上は著しい。しかし、しかしだ、こうした「非貨幣経済」の活動を支える機械設備が増加した

ということは、それの購入や維持により多くのカネがかかるということだ。しかし「非貨幣経済」の生産活動自体はカネを産まない。

まり、「非貨幣経済」においても、「生産力」の拡大は「生産性」の縮小、、、というよりマイナスへの増進を意味する。そして「貨幣経済」においては失業者が生み出されたが、

こちら「非貨幣経済」においては、マイナスとなったカネの補填が絶たれるが最後、単純にその活動自体が萎縮し、消滅する。



成熟した社会於いて

さて、話が随分と大きいところに来てしまった。

上記のような問題を如何に解決するか?については意見がないことはないが、本来の話題から外れるのでここでは省略しよう。ここで主張したいのは、「生産性」を考える上では「カネ」と

「モノ」を厳密に区別するべきということだ。そして「モノ」の生産は必ずしも「カネ」として実現しない。それは「貨幣経済」においては「需要」(…同じく「モノ」単位としても観測

されるべき)との関わりのため。そして「非貨幣経済」においてはもともと「カネ」でその活動を評価していないためだ。従っていか社会を豊かにするかを考えるときは、まず「モノ」的な

生産活動をいかに好く行うかを考えるべきであろう。

個人的には、貨幣経済がなくなることはないだろうし、資本主義限界が来たとも思っていない。しかし、それらはあくまで社会全体の機能の一部として位置づけられるべきものであり、

その一部にすぎないセクターの「カネ」という評価基準をありとあらゆる部面に適応させるのは、おそらく「非貨幣経済」の縮小で見たとおり、我々の生活を徒に貧しくするだけに終わる

だろうと思うのだ。



■終わりに■

なるべく短く、平易にまとめたため、こうした分野を専門に取り扱っている人なら「なんて適当な内容なんだ」と思われること請け合いの論となっている。例えば価格下落は実質賃金の上昇を

もたらすとか、失業者の増加は人件費を引き下げ新たな均衡をもたらすとか、はたまた供給需要を作るから需要不足は社会的に起こりえないとか?

また私個人としても、未だ考えのまとまっていない領域が多くある。「質」の向上は「生産性」に結びつくか?社会的に見て「余暇」と「失業」は何が違う?海外貿易による影響は?貨幣

よらない活動の促進を国や公的機関はどのように実施できる?

はいえ、一般の方々へ思考の枠組みとして「生産性」と「生産力」の区別とその必要性は明快に提示できたと思う。また、単一企業視点にとらわれず、マクロレベルで「生産力」と「需要」を

見なければ、我々が抱く本質的課題には接近できないこともご理解いただけると思う。筆者個人としては、後半の「貨幣経済によらない生産活動」というところをもう少し掘り下げたいが、

私的にまとまっていないこともあり、簡易に付した。当論がネット界隈の皆様方にとって有益であればありがたい限りであるし、私個人としても皆様の様々なご意見・反論を得たいという気持ちに

溢れているということをご提示し、筆を置きたいと思う。

2013-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20131004182346

それは「子供の高額課金」みたいな一面的な報道に囚われ過ぎじゃないか

自分課金はあまりしないとはいえ一時期ゲームをやってたんだけど、

一部には課金する学生もいるけど、ほとんどは無課金~微課金勢だよ。

金を使うのは比較的余裕のある大人で、その収益で無課金勢もゲームを遊べる。

作り手も大企業というより若手ベンチャーみたいな所が多いじゃん。

パチンコみたいに貨幣流出する訳でもないし、これはもう一種の市場主義的な格差調整システムなんじゃないかと思うんだけど。

しかも今は年齢や課金額制限だってある。

2013-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20130927115121

http://www14.plala.or.jp/wanetjp/gennkou_coin/hakkou.html

貨幣鋳造は、毎年というものではなく、ドン 無し 無し ドン みたいなものだと思うが

そもそも、古い貨幣を回収してあらた鋳造しなくても良くなった理由に、カード電子決済は大きく貢献していると思うが?どうだろう

硬貨流通量の推移 グラフ2枚目 

http://kiracchi-serendipity.sblo.jp/article/34274191.html

これを見る限り、電子マネー他が硬貨流通量を減らして、それによって、鋳造必要性が減っているというのは暴論ではないと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20130927112442

貨幣は「保存ができる」という本質的パラダイムシフトがあったから。

現金に対する電子マネーにはどんな本質的シフトがあるんだろうか。

少なくともレジ待ちの時間が少し短くなる、とかいう小さなことでは意味が無い。

http://anond.hatelabo.jp/20130927111619

古の時代貨幣ができた頃もこんな感じだったのかも知れないな。

「は?牛と米を直接交換すりゃいいじゃん。なんでわざわざ金属円盤なんて介さなければならないんだよ。まあ便利なのはわかるけど、カッカして押し付けもんじゃないよ」とか言って。

そういうアホは心配しなくても、後の世代には電子マネーが当たり前の時代になっているよ。

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