はてなキーワード: 錐体とは
右側頭骨骨折
急性硬膜外血腫
外傷性くも膜下出血
脳ヘルニア
錐体骨骨折
まだ全治不明
震えながらメモりました。 https://t.co/TGzHxSAaCi— amy0926 (@amy09262) February 20, 2020
元増田です。
少しでも色んな方々の目に入ってもらえると嬉しいなと思っていたが、
なかなかリアルでは話題にもならないけど、けっこう関心が高いなぁと思った次第です。
また、温かい言葉をかけていただき、ありがとうございます。
ここでは日記の補足・疑念に対する回答をつらつらと書いていこうと思います。
違う。
ただ、日記を見返してみると感動の押し売り、嘘っぽいというのも頷ける。
日記を書いた動機としては、文字として今この気持ちを残しておきたかったということ。
「メガネ買ったー。おおー青空が綺麗だ。」くらいの内容だと、何となく味気ないし、
折角の機会だから体験談みたいな感じで分かりやすく書いてみようかなぁ……、そんな軽い感じである。
色が鮮やかに見えるという感動を分かってもらえる例を考えてみたが、
例えば、ゲームボーイカラーがゲームボーイアドバンスになったときの画面の鮮明さ、なんかが近いと思う。
ただ、リアルとの違いとして、今までこういう色だと思っていたけれど実はもっとこういう色だったみたいな、
新しい発見が加わることで、より一層の感動を体験するのかなぁと思う。
ではないと思う。
一応、レンズを買う前と後で色を並び替えるパネルD-15テスト(http://www.color-blindness.com/color-arrangement-test/)をやって、
色覚異常のP型、D型、T型を判別し、レンズ決定後、再度同じテストをやってうまく並べられることを確認するというプロセスを踏んだ。
ああいうテストは通常どう頑張っても勘に頼るしかなかったが、レンズ越しで色を見ると何故か完璧に並べられたのが、自分でも不思議である。
なので、「識別困難だった色が識別できるようになった」という効果は確認できた。
が、ここ(http://takeganka.exblog.jp/16552848/)でも指摘されているとおり、単にテストに合格出来るようになっただけで、正常な色覚は得られてはいない(と思う)。
このレンズを使えばどんな人でも、健常者と同じ景色を見ることができるかというと、それはぜんぜん違う。
まず、レンズは色の補正をかけるので、本来はちゃんと見えている色まで補正がかかってしまう。
例えば、自分の買ったレンズ越しで見ると白は若干ピンクっぽい色として見える。
あとは全体的に光量が少ない気がするし、レンズの反射も気になる。
レンズは雪山でかけるようなゴーグルくらいにキラキラ光るので、人目に付くのもネックの1つである。
ここぞというときのワンポイントでかける使い方では、せっかく買ったのにもったいないと思う。
自分はメガネユーザなので、メガネにマグネット式でサングラスを掛けられるフレームを新調し、サングラス部分を特殊レンズに差し替えてもらったが、
メガネをかける習慣がない人だと、煩わしくて、そのうち使わなくなってしまうのではないかと思う。
まれなケースだが、色覚異常のタイプ(S-錐体の異常あるいは重度の異常)によっては、そもそも適したレンズがない。
やはり、最後は値段(7万円)に尽きると思う。
この仕組みでこの値段が限界値なら、別の仕組みで実現される日を心待ちにしている。
https://anond.hatelabo.jp/20180112100435
色を受け取る錐体細胞は本来3種だが、これを2種以下しか持たないのが色覚異常。色覚の「低下」ではないのだ。特定の領域に限り、全く無いのだ。レンズで補正してどうにかなるものではない。
「色覚異常は錐体が全く無い」と言うのは厳密には誤りで、ケースバイケース。大きく3つのパターンが有る。
1.一部の錐体細胞の感度が低い。
2.一部の錐体細胞の波長感度がズレている。
「3つの細胞が脳に刺激を送る度合い」によって、脳内で色が表現される。
「一部の細胞の感度が低い」場合は「他の細胞の感度を弱める」ことによって、脳に送られる刺激の度合いを健常者と同じにすれば、理論的には健常者と同じ色が見える。もちろん、感度のレベルが低くなるため「明るさ」は暗くなるが。
CNN.co.jp : 青と黒? 白と金? ドレスの色論争に専門家も注目 - (1/2)
どうして同じドレスが青と黒に見えたり、白と金に見えたりするのか。ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるウィリス眼科病院のジュリア・ホーラー博士は「食べ物の好き嫌いと同じような、個人差の問題」と指摘する。
私たちは目の奥の網膜にある錐体(すいたい)という神経細胞で色を感じている。錐体細胞はスペクトル感度の違う3種類があり、その反応の微妙な割合によって見える色が決まる。「99%のケースではだれにも同じ色が見える。しかしこのドレスは、ちょうど混乱が起きやすい配合になっているようだ」と、同博士は話す。
ただ、同じ記事の後半で、
ネブラスカ大学医療センターのウォレス・ソアソン教授によると、私たちの脳は常時、対象に当たった光の色を推測し、それを取り除くという作業を続けている。こうした無意識の過程に、微妙な個人差があると考えられる。
と色の恒常性説も挙げられている。
Physics の青色ダイオードの中村・赤崎・天野の受賞や私戦予備陰謀疑いのほうがさわがしいかもしれませんが,ノーベル生理学・医学賞に関して.
John O' Keefe, May-Britt Moser, Edvard Moser の三名が 2014 年のノーベル生理学・医学賞を受賞した.受賞理由は脳の位置定位系を構成する細胞の発見に対してである.“for their discoveries of cells that constitute a positioning system in the brain”. 視覚や聴覚,触覚で得た物理的な環境のあるいは自己の位置に関する情報は脳内でどのように処理されているだろうか.力学的に考えると,質点と空間座標と時間の成分がありそうなものである.マウス生体での神経科学的な実験で,位置特異的に神経の活動(活動電位の頻度)が上昇する細胞が海馬でみつかった.最近の in vivo の実験で place cell の特性や grid cell の特性,視覚系・運動系との place cell 回路の連絡等がさらに解明され始めている.少し古い神経生理学に関連する著名な科学者では,James Gibson や David Marr が有名かもしれない.聴覚系での位相差からの音源位置推定,視覚系での網膜および外側膝状体 LGN,一次視覚野,高次視覚野の回路等感覚の認知の神経科学はよく調べられてきたが,受賞対象の位置定位系は脳内の感覚と運動を統合する上で重要な具体的な情報表現と情報処理にせまった分野になっている.
ごくごく戯画化した,脳の作動機構は,神経細胞は他の細胞と同様に細胞膜をもちその内外のイオン組成をポンプとチャネルとよばれる細胞膜にタンパク質で糖を燃焼してえたエネルギーを元に維持する.神経細胞が同士が突起を多数のばし接触点を多数つくりそこで,膜のイオンを電位差をより正にする化学分子を放出したり,より負にする化学分子を放出したりする.電位差が十分小さくなると多くの神経細胞では電位依存的なナトリウムイオンチャネルが活発に作動し突起を一次元的に減衰せずに伝わっていく活動電位をおこす.多くの神経系での通信と計算の実体は,この化学伝達と電気伝導の組合せで,静的な記憶は細胞の結合(シナプス synapses)が構成する回路に,シナプスの化学伝達特性や回路水準の論理演算やより高度な情報処理の結果であると作業仮説がたっており,具体的な情報処理の神経回路の機構を解明することは重要である.
位置定位系の回路を構成する要素の place cell は,脳の大脳の海馬とよばれる短期記憶や長期記憶化に重要な部位にあるアンモン角 (Cornu Ammonis)の錐体(神経)細胞 pyramidal neuronである.特定の場所で活動が上昇することが証明されている.脳内の空間情報処理で他の細胞とともにどのような回路をなしているか調べるには,place cell への入力と出力,place cell 間の直接的な結合をさらに調べることになる.O'Keefe, Moser 以後も熱心に研究されている神経科学の重要な問題である.海馬に出力する嗅内皮質 entorhinal cortex の格子細胞 grid cell(環境のスケールに応じた格子を表現するようなユークリッド空間中の格子のような役割を担う細胞),各所の頭方位細胞 head direction cell,時間細胞 time cell も発見されている.物理学的な情報の表現と計算に必要な神経回路の構成要素がわかりその作動機構がわかってきそうな気がしてくる.21 世紀は,人体生理学のおそらく最大で最後の問題である脳の作動機構の同定にかなりせまってきており,先のことはよくわからないが脳のことは今世紀中にはだいたいのことがわかり,計算機でもっとよい知能が実装できそうな勢いである.
ノーベル賞は「物理学、化学、医学生理学、文学、平和、経済(ただし経済分野はスウェーデン国立銀行賞)」の分野で重要な業績を残した個人に贈られる.Physiology or Medicine の分野ではカロリンスカ研究所が選考にあたる.ノーベル賞は,ダイナマイトの開発生産でノーベルが残した遺産を基金としはじまった.現代では,数学の Fields Medal や計算機の Turing Award とならびたつような権威ある賞として,世界中で科学の営みに参加する人々・興味ある人々が注目する伝統儀式を続けるお祭りになっている.医学生理学の分野では生理学的に重要な機構の解明や臨床応用で人類の医学的な福利向上につながる発見などにおくられる.なかなか毎年趣味がよいとおもわれる.繰り返しであるが,選考委員会が示した,今回の授賞は,脳での空間認識の回路で重要な働きをする place cell 場所細胞の発見が理由である.
匿名ダイアリーにこんな言い訳も不要かと思うのだけれど,ノーベル賞委員会の公式アナウンスメントとFundamental Neuroscience か Principles of Neural Science や関連論文や日本語の教科書・一般書等を読めばよい.高校生物に毛が生えた教養程度の神経科学の知識しかない劣等の学部生ながら,今回受賞の対象になった O’ Keefe と Moser 夫妻の神経系における自己位置の表現の神経回路の重要な細胞というテーマに興味があるので駄文を書いた.
脳科学辞典 場所細胞 http://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%A0%B4%E6%89%80%E7%B4%B0%E8%83%9E
空の色を書いた増田だけど 青が青と認識されるのは 瞳の中に錐体とよばれる細胞に依存している。
人間の目の中には1個から4個の錐体が合って、おおざっぱにいうと大抵の人は3個の錐体を持ってる。
それぞれ 特定の波長の光を受けた時に電気信号を脳に送るようにできてる。
青の場合は 青色の錐体が反応して残りの錐体が反応しなければ(波長が違えば)脳が青い光が来たと判断する。
青と緑の錐体が反応すれば黄色と 青と赤の錐体が反応すれば紫と 赤と緑と青の錐体が全部反応すれば白と 人間は認識する。
人間の目は大雑把に言って、青・緑・赤1・赤2の錐体が合って これが よくいわれる3原色RGBの元になってる。
ただし、人によって同じ青の錐体でも個体差があるので 同じ青が同じ青に見えているわけではないこともわかってる。
また、赤の錐体は2個あるが大抵の人はどちらか1個しか持ってないので、大抵の場合は赤は人によって見え方が大きく違う色でも有る。
女性は赤を2つとも持ってることが比較的あるので、女性が色に強いのはそのへんが理由。
※女性が赤を2つ 男性が赤を1つなのは この錐体の遺伝子細胞がX細胞にあるのでXXの女は最大2こ XY細胞の男性は最大1個しか持てないこともわかってる。
そういう意味では、原色は黄色じゃない赤2つの4原色なんだけどね(w) なんで3原色っていわれてるんだろうね。おかしいよね。 (だから蛍光灯の下で色合せするとずれやすいよね)
http://b.hatena.ne.jp/entry/asada0.tumblr.com/post/11323024757
ゴッホの絵で色覚異常の話が盛り上がっているので、せっかくだから語っておきたい。
色覚異常は、色覚が異常な状態だ。
人間の目には、3つの色覚がある。赤メイン(L錐体)、緑メイン(M錐体)、青メイン(S錐体)だ。
赤メインの色覚が欠けているからといって、赤が見えなくなるわけじゃない。
うっすらとだけど緑側でも見えてるのでフォローできるからだ。
大体日本人男性の4.5%と言われている。22人男がいたら1人は2色覚だ。
ただ、日常生活では滅多なことでは問題にならない。
色の区別がつきにくいとは言っても大体なんとかなる。
結局生まれた時からずっとそうなんだし、世界はそう見えている。
別に困ることはない。
LANケーブルを自作しようとして色の区別がつかなくて困るぐらいだ。
色に詳しい人なら、独特な色相を持っている人、と言い換えても良いかも知れない。
他人にとって自分の「青」と「赤」が入れ替わって見えていたとしても、
例えば海が真っ赤に見える人が居たとしても、区別はできない。
本人には海は赤く見えている。
でも他の人はそれを「青い」と表現するし、本人もその色を「青い」と表現する。
実際にどんな色で見えているかは、他人の頭の中を覗けないからホントのところはわからない。
だから、赤と青が入れ替わっている異常な人がいても、それを識別できない。
そのかわり2色覚の人には問題がある。
さっきさらっとLANケーブルを作る時に問題になるといったが、表現には問題がある。
赤と茶色に区別がつかない人は、赤を表現しようとして茶色を使ったり、茶色を表現しようとして赤を使ったりする。
それも、色が濃く見えるからとか、色が鮮やかに見えるからとか、そういう理由で。
場合によってはクレヨンが余っていたからという理由で使ったりもする。
判り難いだろうか。
こう想像して欲しい。
色の半分は白で、色の半分は黒だ。
だから、絵を書こうとクレヨンを開けると、半分は白で半分は黒にしか見えない。
そして、人物を書いたとしよう。
区別はつかないけど、微妙に黒の中にも種類があるように見えるから、
濃い黒や薄い黒、区別がつかないときは適当に混ぜてそれっぽく絵を描いてみる。
目に写った色をそのまま再現できるわけじゃないから、自分で黒を選んで描く。
赤橙黄をほぼ一切使わずに、緑青藍紫で人物を描いている。時々緑に紫が混ざる絶妙な色合い。
それを絶賛する。素晴らしいと。
でもそれは、偶然の産物だ。
たまたま黒(緑)と濃い黒(紫)を、描いたあなたには区別がつかなかったから使ってしまっただけだ。
ある時それに気がついて、あなたの絵を、カラーの人にも判りやすいように、白黒に直してくれた人がいたとする。
そしてさっき絶賛した人はこういう。
オリジナルのほうが良かった。
白黒では単なる凡庸な絵だ。
あの色合いが素晴らしいのに判っていない。
僕はそれはとても悲しい事だと思う。
そして、あなたには認識できない偶然の産物こそが素晴らしさだと言う。
作品の評価と、作者の才能とは別だというのも理解は出来る。
自分には理解できない偶然が、他人を感動させるのかも知れない。
でもそれは、作者の意図とは離れたところにある。
それだけは覚えておいて欲しい。
僕は、ゴッホの絵は素晴らしいと思う。
変換後の絵が素晴らしいと思う。
それは、ゴッホの描く作品が素晴らしいと同時に、ゴッホ本人の才能によるものだ。
僕はそう信じる。