はてなキーワード: 法改正とは
じゃあ日本が名指しで批判されて10年、法案成立に向けて本格的に動き出した以降に絞っても3年。
有識者様が、国連と国内に対して日本の親権制度が諸外国に比べても十分に人権に配慮されて、適切な運用がされているから法改正は不要か、必要であっても限定的なものにとどまるって説得しなかったのはなんなんだよ。
日本の親権議論に問題があるのであれば、その問題点を広く国民に周知して、正式な署名として認定される街頭署名を集めて自分達の意見を伝える努力をせず、法案成立間際になってから効力の薄いChange.orgでの署名活動をするんだよ。
時間が十分あったにも関わらず、よりよい着地点を探る努力をせずに、結論が出た後で極論を振り回して全部ひっくり返そうとし、それが通らなければ政権打倒だって扇動してれば、それなりの評価しかされないってことをいい加減学べよ。
気持ちは分かるのが、親に問題がある場合には単独親権も認められるとのことなので、頑張って欲しい。
※今回の増田のケースだと、「法定養育費」は助けになるだろうか。つーか、養育費の支払い拒んでるやつが親権欲しいっつって与えるもんなんだろうか。だとするとガバガバだが。
https://www.asahi.com/articles/ASS3846YTS32UTIL00B.html
全部は読んでないけど変更箇所とその趣旨。
https://www.moj.go.jp/content/001386798.pdf
以下は余談。
1
単独親権のメリットがあった(ヤバイ親から子を連れて逃げられる)一方でデメリットがあった(ヤバイ親が子を連れて逃げ得することがある)ことが今回の法改正の流れで、
国内におけるこのメリットとデメリットの天秤は、欧州と比べて同じ構造なの?という部分がいまいち分からなくてモヤってる。
何となく、欧州は本邦に比べて穏便な離婚が多くて共同親権が妥当だけど、本邦はヤバイ奴からどうにか逃げるための離婚が多くて単独親権が妥当とか、割とそんなんじゃないの?という気がしている。根拠はないが。
2
あとこれ、しれっと過去の離婚に遡ってるけどいいのか。「離婚」というイベントに対する法案じゃなくて、「親権保持」という状態に対する法案だから遡及効にならないってことなんだろうか。
3
家裁が死ぬ、というのはその通りで、家裁が死なないために調査をガバガバにする可能性は容易に想像され(彼らだって人間だ)、ガバの調査で「問題あり」とはやりづらいだろうことを考えると、不幸な人は結構出るんじゃなかろうか。
全員ではないけど、観光ビザで入国して、不法就労したり家族を呼び寄せたりしている人を移民と呼ぶべきではない。
難民申請も強制送還を避ける便法として使われているだけなので、難民と呼ぶのも不適当。
日本の外国人受入制度は、欧米の移民政策の失敗を踏まえて制度設計されている。
大まかにいうと、ブルーカラー系労働者とホワイトカラー系労働者で違う。
ブルーカラー系の場合は、転職も大変だし、日本で働ける期間も上限が決まっている。
上限なしでとどまりたい場合、そうとう高度な試験に合格しなければならない。
一方、ホワイトカラー系の方はわりと緩やかで、人によっては永住権も取りやすい。
今後はブルカラー系労働者の比率が増えるけど、不正申請やごまかしが多いので、国側の仕事は増える。
また、ウクライナなど、難民条約上の難民には当たらない(出身国の迫害を受けていない)場合でも、在留を認める法改正があった。
認定されれば難民に準じて日本語教育などの支援が受けれるし、どこで働いてもいい。
以前から危惧されていた事だが、ついに反AIが著作権の非親告罪化など、いままで先人たちが命懸けで守ってきた表現の自由を破壊しようと動き始めた。
生成AIに反対する人たちが、著作権の非親告罪化とか非実在児童ポルノの規制とかを躊躇いなく主張するのを見て、過去の赤松健や山田太郎はじめ表現の自由のために戦ってきた人たちの努力は何だったのかと、ちょっと考えてしまう。デリケートな話題であるという前提がもう共有されてないように見える。
反AIは底抜けのバカだからAIが非親告罪化すれば楽園になると思っているんだろうが、AI利用した疑惑だけで無実の手描き絵師を何人も血祭りにあげて袋叩きにしてきた反AI達の行動を見れば、「気に入らない」というだけで非親告罪化した日には、AIを使っていようがいまいが「なんかAIっぽいと自分が思ったからお前はAI罪な、はい有罪」と手描きだろうがリンチの対象にされるディストピアになるのは火を見るよりも明らかだ。それは反AIが今までやってきたことが証明している。
反AIが著作権の非親告罪化を求める署名をして、まともな人間から「非親告罪化しても表現規制の足掛かりになるだけだ」とツッコまれた反AIは、このような反応をとった。
「私の補足もちゃんと文章内に載せていただいていますので大変助かります
ありがとうございます🙏✨非親告罪の件に関しては修正するつもりですが
海外情勢に関しても当時とはかなり変化しており文章の全てを見て微修正などしたいと思います」
(https://twitter.com/canchanandme/status/1777351414978855125)
署名させた上で内容を書き換えるなんて非親告罪化の如何に依らず手続きとしてまともでは無いし、そういう手続きを踏んだ時点で情報としてゴミですよ。内容を後から改竄してるんですから。
署名としての価値を維持したいなら文言を変更すべきではないし、内容を変更するなら署名を一からやり直すべき。
法改正の必要性(現行法の不完全性)を論理的に訴え賛同者を募る行為であれば、自身の立場など関係なく当然に支持するが、その場の思いつきで規制を煽動し署名を集めた後から諸々の修正・改変を加える不逞に、何の作用を期待できるというのか。
主張の内容は後で決めるのでとりあえずサインして、はあまりにもおかしな話。
「金額欄は後で埋めるからとりあえずこの借用書にサインしてくれや」みたいな話。
最近遊んだキャラクターの絵だろうがSNSで流れてきた絵だろうが最近見た映画だろうが、
いちいち自分の創作に使っていいか権利元にちゃんと許可とってから制作することになるけど、
本当にそれでいい?
著作権に関しては「出力した結果」で判断して、プロセスに関しては
「人間の学習とAIの学習は同じとして扱われる」ということを理解したうえで読み進めてほしい。
反AIは著作権について勉強してないし何も考えていないからAIの学習を禁止して人間の学習が制限されることを理解していないんだよね。
そもそも公開されたものを学習するのに許可は必要ないから「無断学習」という言葉自体がおかしいというのは一旦置いておいて、
無断学習が禁止されれば、人間も同じように影響を受けて無断学習できなくなる。
するとどうなるか、
絵師さんは見たもの影響を受けたものすべてに許可が必要になる。
「馬鹿じゃないのか」と思うだろう。
だからいちいち上で起こるようなことについて心配しなくていいし、
人間は映画や漫画から学習した影響をもとに創作に活用したりできる。
これって自由な創作文化に必要不可欠な土壌だとおもうんだよね。
上の方でもすでに書いたけど、
絵師さんが著作権侵害して制作した二次創作同人誌やskebイラストやfanboxコンテンツ、
版元やゲーム開発元にちゃんと利益還元することになるけど、それでいい?
絵師さんたち、著作権侵害した権利者に利益還元する気、ないでしょ。
「いや私は還元する気あるけど?」という人がいるかもしれないけど、
どうせ適当に自分で還元する比率とか決めるつもりで軽く言ってるでしょ。
でも反AIの言いなりになってると、
二次創作で得た金銭は20%を一次創作者に還元するよう法律で定める、
みたいなことが起こるけど、大丈夫?
20%じゃなくて5%かもしれないし、30%とか50%かもしれないけど、
「規制する」ってこういう事だよ。
絵師さんたちって、自分が権利者の著作物を無断学習・無断利用してるって理解してないけど、
pixivに置いてある絵とかも、そこからfanboxとかに導線があったら金銭が絡んでくるわけで、
いわゆる「ファンアート」として著作者に無断で制作してる著作権侵害二次創作絵だって
客寄せのための広告扱いで権利者に払うお金をいちいち計算しなくちゃいけなくなったりするかもしれないけど、
それでも大丈夫?
反AIに同調してる絵師さんさ、そこまで考えずに賛同してるでしょ。
でも反AIが言ってるのって、こういう事だよ。
まず、現在の著作権法では、「手描きだろうとAIだろうと作成した人間が責任を負う」っていう前提がある。
bingとかその他の画像生成サービスで「マリオを生成しろって言ったらマリオが出てきました!ピカチュウも出てきました!AIは著作権侵害!」
って騒いでるのを見かけるけど、
それって著作権侵害してるのはAIじゃなくて「それを生成した反AIの人」だからね?
全てのケースに対応できる現行著作権に関するAIの規制はただでさえ複雑で難しいのに、
こんな無能がいて戦えるわけないだろ。
「本当に何が起こるか」という事が分かってない。
こいつらは、表現規制の先兵だ。
二次創作も、表現の自由も、創作文化も、なにもかも破壊しつくした後で、反AIはこう言うだろう。
「こんな事になるなんて思いもしなかった」
反AI陣営からは「法規制」という言葉が多用されているが、実際にどのような法にしたいのか具体的な問答は中々見かけない。
大前提としてメジャーな生成AIは海外企業発であり、日本の法改正でそれらの開発や展開を阻害するのは困難だろうし、
抜本的には、金盾のようなインターネット検閲機能を本邦にも導入して、(無断学習している)生成AIサービスの使用や閲覧を国家主導で封じるのが現実的案だったりしないだろうか?
海保の例のように、無断学習した画像生成AIイラストを使うだけで罪らしいので、このくらい徹底的にやらないと反AI陣営も納得しない気がする。
まぁどう考えても悪影響の方が強いんですが。
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
ワイズ先生(@YS_GPCR)が、性交同意年齢の16歳以上引き上げについて合理的な根拠がないと主張されている。
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1770800526998819269
こういうふうに、説明つかないでしょ?
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771143471996551171
??
「14歳は性教育が足りないため、成人は14歳と性交すべきではない、という理屈は、年齢差5歳以下なら犯罪とならないことと辻褄が合わない」
に対して
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771402538862150118
「権力勾配」って、学校の先生と生徒とか上司とかの関係を言っていると思うんですけど、権力を利用して手籠めにしたのか、同意のある関係なのかは、個別に判断すればいいわけで、一律で禁止する合理性がない
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771404710995779643
これは「砂山の詭弁」の変形ですね。今回の性交同意年齢の議論は、グラデーションがありボーダーラインを便宜的に決めるしか無いものの一種です。だから、14歳を主張する人に「13や15はいけないのか?」と詰問することはできる。
個人的には性交同意年齢引き上げには合理性があると思うが、改めてその理由を問われると即答できない。そこで、政府答弁による公式の制度趣旨を調べたので、メモとして共有しておこう。
強制わいせつ罪、強制性交等罪は、性的自由、性的自己決定権を保護法益としております。性的行為に関する自由な意思決定の前提となる能力がそもそもない場合には、暴行等の意思決定に影響を及ぼすような状況がなかったとしても保護法益が侵害されると考えられるところ、その能力がないと言える年齢として、現在は十三歳未満、すなわちおおむね小学生の年齢層の者は行為の性的意味を認識する能力が一律に欠けるということから、現行法では十三歳未満がいわゆる性交同意年齢とされていると考えられます。
もっとも、性的行為に関して有効に自由な意思決定をするための能力の中身といたしましては、行為の性的意味を認識する能力だけではなく、行為の相手方との関係において、行為が自分に及ぼす影響について自律的に考えて理解したり、その結果に基づいて相手方に対処する能力が必要であると考えられます。
そして、十三歳以上十六歳未満の者はおおむね中学生の年齢層でありまして、性的な意味を理解する能力が一律に欠けているというわけではないことから、一律に相手方や状況を問わず性的行為に関する自由な意思決定の前提となる能力に欠けるとまでは言えない一方で、先ほど申し上げた後者の能力は十分に備わっておらず、対等な関係の下でなければ性的行為について有効に自由な意思決定をする前提となる能力に欠けると考えられるところでございます。
そして、相手方が年長である場合には、一般に、その年齢差が大きくなるほど、両者の間の社会経験や知識の差異などによりまして、その年齢差自体から対等な関係にあるとは言えなくなると考えられるところ、この性交同意年齢の問題は、性的行為をしたこと自体で直ちに性犯罪が成立するとするものとする規定でありますことから、刑罰の謙抑性の観点から、双方の年齢が要件を満たすだけで例外なくおよそ対等な関係はあり得ず、有効に自由な意思決定をする前提となる能力に欠けると言えるものであるものとすることが必要であると考えられます。
本法律案におきましては、そのような観点から、心理学的、精神医学的見地も踏まえまして、いわゆる性交同意年齢を十六歳未満とした上で、十三歳以上十六歳未満の者に対する性的行為について処罰対象となる得る者を、その者が生まれた日より五年以上前の日に生まれた者としているところでございます。
アウトラインで要約すると、以下となる(なお、「意味認識能力」などは便宜的な表現で専門用語ではないことに留意。3/25一部修正)。
以上のように考えるとワイズ先生の議論に対する違和感は、被影響認識能力と関係対処能力が当事者の年齢差に大きく左右されることを無視している点に根差すことに気付く。直観的に考えても、14歳と15歳のカップルと、14歳と25歳のカップルの違いは何かといえば、年長者と年少者間の年齢による社会経験の差と、その差が年少者側に与える影響の度合いである。
もっとも、改正後刑法の年齢区分が関係対処能力などの獲得と本当に対応していると証明できるかと問われれば、なお議論の余地はある。しかし、その点は単なる科学的な問題にととまらず価値判断の問題でもあり、国会で多数決で決めるという民主主義によって決する他あるまい。
結論を書き忘れていた。
以上より、性交同意年齢を引き上げて性交を一律で禁止することに、少なくとも法が備えるべき合理性はあると自分は考える。もちろん、年齢区分の妥当性について、生物学のように厳密に実証することはできず、この点につき異論はありうるだろう。しかし、理論的、経験的根拠を有する制度趣旨が政府から提示され、国会で一定の議論が交わされた上で多数決で刑法改正をした以上、性交同意年齢引き上げは法としては十分な合理性を持つ。
ワイズ先生は年齢区分の客観的な妥当性について議論を続けそうな雰囲気だが、もともと法律というのは完全に客観的というわけではい。法は価値判断を包含するものであり、最終的には選挙で選ばれた国会議員が多数決するという民主主義によって制定する他ない。逆に、価値判断をほとんど含まない問題については民主主義は不要である。例えば、ある物理現象のメカニズムは何かは、選挙で選ばれたわけでもない物理学者達が数理モデル化と実験を行い、その論文化と討議を通じて合意を形成して決まる。ここには価値判断の対立がなく、ほぼ客観的に議論が決する。法律はそうではないので、多少の客観性の欠如は国会議員の多数決で補う他ない。
少なくとも、以下の「年長女性の嫉妬」という下世話な動機で法改正されたわけではないのは確かだ。
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771403509134758353
これはもともとの論点の「性交同意年齢を引き上げようとするのは結局年長女性の嫉妬」という根拠の一つだけど、権力勾配のある性的関係を一律で禁止しようとするのは、望んで高権力の相手を好きになる人の自由を踏みにじってるわけです。それを「グルーミングされただけ」などで押し切る強引さがおかしい
ttps://marshmallow-qa.com/messages/0ba4dc8f-aeef-493f-b199-88ebcde853fd?utm_medium=twitter&utm_source=answer
「不同意的、強制的な関係を防ぐために、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例が一部あったとしても潰す」とほぼ同旨の政府側答弁が、既になされている。
(中略)
例えばなんですけれども、十五歳で高校に入学しました、それで、シングルの成人の教員と相思相愛、愛し合うんですね、気持ちで愛し合いました、そして、結果、性行為を交わしたとします。それで、高校卒業と同時に婚姻関係となるケースも考えられます。私が高校時代なんかは、同級生が高校卒業したら結婚しちゃったというのは割とあったんですね。
このケースなんですけれども、円満に、穏やかに結婚生活、夫婦生活を行っていたとしても、今現在行っている、営んでいるそういう御家庭があったとしても、当時、お連れ合いのどちらかが、男女限りません、どちらかが十五歳当時でした、そのとき性行為を交わしていましたということが判明すると、その片方のパートナーは、六月以上十年以下の、有罪、拘禁刑の罰則対象となりますね。
(中略)
十五歳の高校生と二十三歳以上の大卒の先生という前提で申しますと、その年齢差は五年以上年長という要件に該当いたしますので、結婚したとしても、それからその結婚生活が円満だったとしても、その行った当時の年齢差ということで判断すべきことでございますので、改正後の刑法第百七十六条第三項又は百七十七条第三項の罪が成立し得るということになります。
例えば無許可の拳銃所持の内、美術的な鑑賞目的の事例が極少数存在するが、その他のほとんどの事例はそうではなく何らかの犯罪行為の準備が疑われるので一律に所持そのものを処罰する、というロジックは十分に合理的である。同様に、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例は極少数存在するが、他のほとんどの例はそうではないので一律に処罰する、というロジックは理に適っているように見える。
なぜワイズ先生批判派は上記のロジックを援用しないのだろうか。また、ワイズ先生はこのロジックならば異論はないのか。何が論争の争点だったのか、よく分からなくなってしまった。