はてなキーワード: 後期高齢者とは
何やったのか当時の反応を含め記憶が曖昧なので内閣支持率を元にトピックスを書きだした。
前月と比較して7%以上内閣支持率の増減があったときのみ書き出した。
5%増減だと時事を調べるのが面倒で無理だった為。
2022年8月、2023年11月にも書いて、今回は首相も変わったのでここ1年分を追記。
しかし、1ヶ月で7%も支持率が増減したイベントは何もなかった。
トピックス以外の雰囲気を掴む為、次のようなものも合わせて記す。(適当に作った)
内閣支持率の出典
妻の実家が妻の両親+弟の三人住まいだけど、先のことを何も考えてなさ過ぎて怖い。
実家は田舎、農村ではなく別荘地で、周りに畑もなく、しかも買い物には車を何十分も走らせて山を下りる必要があるような所。
でも、3人ともとにかく面倒な話を嫌って、
「そんな話はまだ早い」(父親)
「なんとかなるでしょ」(弟)
「お父さんが『うん』って言わないと」(母親)
と全然話ができない。
家を売る、引越しする、介護施設のアタリを付けておく、財産分与(少なくとも財産目録を共有する)、何かしらやっておかないと怖いと思うんだけど、何も動いていない。
いま両親のどちらかがボケるなり、コケて骨折するなりすれば途端に生活が破綻するのが目に見えてる気がするが、気のせいだろうか。
妻の実家とは疎遠になっていて、何年もお互いに行き来していない状態。
妻は電話はするから絶縁しているわけではないけど、だからと言って「介護のためにこっちに来てくれ」と言われても、片道6時間超をホイホイとは手伝いに行けないし、妻も療養中だったりする。
「考えておかないと大変だから動いておいた方が良いよ」
「準備も無しに頼られても困るし無理」
とは妻がそれぞれに伝えているので、何かあっても手伝う義理は無いと思ってるけど、とはいえ困って泣きつかれれば完全シャットアウトとも行かないだろうし、悩ましい。
多分今どき日本中どこにでもある話だと思うけど、どうしたらいいんすかね。
年齢 | 氏名 | 政党 | 当選回数 | 選挙区 |
---|---|---|---|---|
84 | 麻生 太郎 | 自由民主 | 14回 | 福岡8区 |
83 | 衛藤 征士郎 | 自由民主 | 13回 | 大分2区 |
82 | 小沢 一郎 | 立憲民主 | 18回 | 岩手3区 |
80 | 額賀 福志郎 | 自由民主 | 13回 | 茨城2区 |
80 | 平井 明美 | 共産 | 0回 | 埼玉8区 |
80 | 石塚 節子 | 共産 | 0回 | 埼玉10区 |
79 | 平沢 勝栄 | 無所属(自民) | 9回 | 東京17区 |
79 | 森山 裕 | 自由民主 | 7回 | 鹿児島4区 |
79 | 村山 正美 | 共産 | 0回 | 福岡5区 |
78 | 松崎 省三 | 共産 | 0回 | 愛知16区 |
78 | 高田 良信 | 共産 | 0回 | 兵庫9区 |
77 | 八木 哲也 | 自由民主 | 4回 | 愛知11区 |
77 | 間宮 美知子 | 共産 | 0回 | 茨城6区 |
77 | 柏崎 末人 | 共産 | 0回 | 千葉13区 |
77 | 円 より子 | 国民民主 | 0回 | 東京17区 |
77 | 石本 憲一 | 共産 | 0回 | 愛媛1区 |
77 | 新村 初代 | 共産 | 0回 | 宮崎3区 |
※76・75はたくさんいたから力尽きたんで77歳以上だけ表にしたやで
そうやって老人に金がかかってま~すみたいな恣意的な医療費の区切りはよくあるんだけど、日本の医療制度って皆保険になったのは1961年で、63年になる。今の80歳でも今までずっと保険料を負担してきた世代。
公平性から考えると、ずっと支払って支えてきたのに、高齢者になっていよいよ自分が払ってきた金の分、保険や社会保障を利用しようとしたら、いきなり年齢で区切られて金かかりすぎとか理不尽にも程があると思うんだ。
この増田ではないが、中には後期高齢者の中で考えると終末期医療は4割!とか言い出す馬鹿までいるけど、何を考えているのやら。
https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く
おしんの物語の根底を流れているのが、「恩」であり「仁義」であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語のハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。
おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしんは1901年、昭和天皇と同年に生まれた設定である。
そしておしんが生きた少女の時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治の回想シーンに時代を一気に2世代くらい遡るときのタイムトリップ感が半端ない。
1983年、おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的に大手スーパーへの並木の土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店の隠居の大旦那・並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである。
それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。
おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年、17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである。
おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどい。しかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語の類型のひとつで、一宿一飯の義理・人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人・やくざなどが主人公である。股旅物の元祖・長谷川伸は、その後の日本の小説や戯曲、そして映画やテレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である。明治が遠く過ぎさり、大衆が大正デモクラシーの自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である。
2000年代になると、日本の映画やドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマは陳腐なものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理・人情の世界観でつくられた恐らく最後のドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸の系譜なのである。
おしんは回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことなき股旅物である。しかし、おしんの物語の面白いところは、浪花節が陳腐化し、古臭いものになってしまった現代(1980年代)と交差している点である。
並木浩太とおしんの最初の出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋・加賀屋へ奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売のイロハから茶道・裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときくにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしんの人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命にうんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動の活動家・浩太と出会った。酒田に訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初の出会いである。おしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシーの時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動を先進的だと中身もわからず憧れていたのである。農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動にロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしんも小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋へ奉公へ行く決心をしたのである。いかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである。
ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京へ家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心は最初からおしんが好きだったのである。
おしんは加代の家出の理由を加賀屋に伝えることが忍びなく、おしんは加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしんを女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さらに実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働で健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠・長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。
一方、加代は、浩太の心がおしんにしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。
こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしんは東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結いの師匠・たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質な職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。
しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京で流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである。
大衆は身分から解放され、より自由な髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業や身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかはおしんに独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんがたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚の挨拶にたかを訪れたときの言葉である。その時、5人いたたかの弟子はついにたった一人だけになっていた。
田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんはたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代におしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である。
一方、田倉商店は開店休業状態に陥るほど経営が悪化していたが、おしんが髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たかに相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店の再生が進んで、おしんの洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災がおしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである。工場を火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀でゆっくり休みたか。おしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄の佐賀編がスタートすることになった。
さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしんは佐賀地獄からの脱出を心ひそかに誓い、東京の師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのである。たかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしんを絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。
こうしておしんの流転の人生が始まる。屋台出店から始まり、故郷の山形、酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重の伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである。佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである。
【キーワード:浩太の恩】
浩太の実家は貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢の実家、網元のひさの家であった。浩太は、流浪の人生を送るおしんを見かねて、伊勢で網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋、子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄、酒田の飯屋をやってきたおしん。めし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。
伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしんと魚屋をやる決意をしてくれ、おしんの人生は好転し始めていた。
一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代の苗字も変えなかった。
一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈な拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。
田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望は兄弟のように母おしんの魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望は商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。
屈折10年、陶芸の師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんがセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。
さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ(1983年の場面)に戻りたい。
仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである。初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。
ドラマの構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしんが戦後~現代にいたる高度経済成長でおしん自身が義理人情を忘れてしまったことに気が付く、というメタで重層的な構成である。おしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢で戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパーを事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしんは問題の17号店開店当日、失踪する。この世話物と時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である。
医療機関勤務。
でも、やっぱりついて行けない人は多い。こういう施策を決める人の周りにはいないかもしれないが。
子供の保険証だってお母さんが管理するんだから、目的に対して1つの証明書であったほうが、管理しやすい。みんな、保険証と、受給者証と母子手帳と、お薬手帳を一つにしてる。
受付の仕事が単純に増えた。それぞれはなんてことない操作なのだが、対面でついていないとできない人が多い。いままでは保険証を預かるだけだったのだが。
だから、メリットの大きい人、レジリエンスの大きい人から「保険証廃止、実質義務化」すべきだった。
私の考える、その対象は「社会保険本人(以下、社保本人)」だ。(+職域国保)
それ以外の、社保家族、国保本人・家族、高齢者は、希望者だけにすればよかった。
社保本人は働いているのだから、手続きも自分でできるし、子供や高齢者もいない。そして、様々なマイナ保険証のメリットを受けやすい層だ。
家庭であれば、大黒柱のお父さんがそれで、フルタイム夫婦ならその双方だ。子供や、引退した祖父母などは除かれる。
そういう人が、まず、マイナ保険証に慣れて、メリットを享受することで、家族や親戚に周知することができる。
こうして、ある程度浸透してから、全面的に保険証を廃止しても良かったのではないか。
不正使用を防ぐことが一つの目的だと聞いたことがあるが、どの保険証種別にどれだけの不正があるのか(ありそうなのか)は聞いたことがない。(不正だからわからないのだと言われればそれまでだが、義務化の後には検証されるのだろうか。)
それでも、後期高齢者のなかでも、マイナカードを使えない老人や、家族が受診させるであろう子供の保険証の不正使用はおそらく割合としては少ないのではないか。
介護の話題がホッテントリに入りまくってて、不安がかき立てられている
ウチの両親は先日後期高齢者デビューを果たし、持病のある親父をお袋が老々介護している
俺も姉も早くに上京して今は家庭を持っており、実家には年に一回帰る程度
年々衰えていく両親を見て、姉と「そろそろ考えなきゃね」みたいな事を毎年言っているが、
はっきり言って俺も姉も親の人間性が好きじゃないので、そのこともあって家を出たわけで、直接介護は絶対にしたくないと思っている
というわけで、ギリギリまで親だけで暮らしてもらって、どっちかが死んだり、
いよいよ生活が厳しくなったら金を出し合って施設に入ってもらうというのがぼんやり考えていることなのだが、
もちろん金もないので安く済ませたいが、いわゆる特養と呼ばれる老人ホームは順番待ちという話も聞く
順番待ちというのは、まだ動けるうちの今から予約しといていいものなのだろうか
親父は腎臓が悪く透析寸前らしいので、たぶん親父が先に死ぬのだが、お袋は一人になったら実家を売って俺か姉の家の近くに越してきたいと考えているらしい
正直言って俺も姉も勘弁してほしいし、俺の嫁も姑と相当折り合いが悪くて(重ねて言うが母親の人間性にも問題がある)、
絶対に同居はしない、近くに来るのも嫌だ、そうなったら別れると泣くほど嫌がられている
とはいえ、もう車の運転もあと数年でできなくなるだろう(正直今でも結構アブナイと思う)し、そうなれば周囲5キロはスーパーもないから現実的に生活は厳しい
なんとか今の地元でスーパーの近くの空き家にでも住んでもらうのがベストなのだが、独居老人に貸してくれる家を探すのも骨が折れそうだ
そもそも親を説得するところから始めないといけないのだが、はっきりいって親を好きじゃないので会話をするのもかなりストレス
というわけで現実から逃避して仕事や自分の家族のことだけを考える生活にもどっていくのがいつものことなのだが、
あー考えたくない考えたくない
お母さんが75歳になった。
ボケもないし、健脚だし、友達と旅行に行ったりしてとても元気だ。
もう後期高齢者でいつ死んでもおかしくないような年齢だとは思っているけれど、90歳くらいになってもしんじゃったら嫌だなと思っている。
お母さんはいつ会ってもお母さんで、私がもう中年だというのにお母さんなのだ。
いつまでも私の心配をして、会えば何かしら子供の頃好きだったお惣菜やお菓子を渡してくれる。
私は小さい頃に、自分が周りの女の子と違ってブスだと気づいて、お母さんに「なんでもっとかわいく産んでくれなかったの?」と言ってしまったことがある。
お母さんはちょっと困った顔をして「あなたは世界で一番かわいいんだよ」って言ってくれた。
この言葉が大人になった今でも、自己肯定感をある程度守ってくれている気がしている。
お母さんにずっと生きていてほしい。
ずっと私のお母さんでいてほしい。
なんでこんなモン出てきたんやろ? 「人口削減計画や!」「人体実験や!」「カネ目的や!」 とかいろんな説見たし、そうかもなとは思うんやけど。
「自殺に見えんで死ねる方法ないかな」って考える日本人がめっちゃ多いのかもしれんと思って。それで出現したんやとしたら怖いよな。
「すぐ死ねんでも寿命縮むだけでええねん。認知症で介護されんのは嫌や」とか「親族の介護しんどいからもっと弱ってくれんかな」「寿命縮んでくれんかな」とかそういう願いを持った人が結構いて、その願いが無意識に実現したなら怖いわ。安楽死や後期高齢者医療の削減言い出す政治家もおらんし。そこに踏み込んで死神みたいに言われんの嫌なんやろな。医療業界の利権もあるし。「こんなん用意しました! 一回騙されたんやからわかりますよね? 打つなら自己責任ですよー。今なら政府のせいで死んだってことにできますよー」みたいなもんやろか。効き目がわからんけど、下手したら殺人幇助やで。こんなん広めて選挙で勝てると思てるならそれこそ怖いわ。
「アメリカの陰謀や!」って怒る人もおるけど、世界中どこでも庶民に優しい政府なんてないしな。「庶民と移民でつぶしあえー」と思てるやろな。資本主義の成れの果てって感じの嫌な時代に来たもんや。まあ死後も世界の様子は観察できるし嘘も見抜けるらしいから、たとえ死んでもこのヤバい時代の結末しかと見届けとくわ。
ヒトだと、高額医療費制度があるので、医療費の負担額が月に20万を超えることはない。所得が低ければ10万くらいだ。お金がなくて医療を受けられないというケースはほとんどない。植物状態でずっと入院でも、食事と寝る所と着るものとがついて、年金でお釣りがくる。親族が100人中99人は延命を望むのは、下賎な話、家計を圧迫しないからというのは大きい。後期高齢者は2割負担、つまり保険適用無しで考えると5倍の医療費がかかってる。高額医療費の上限に届いてる場合、それ以上。窓口で負担してないから忘れているだけ。簡単に言えば、ヒトの終末医療には、延命する手段があれば、年間に100万でも1000万でもかけて当然。じゃあ、動物の医療に年間1000万出せる人がどれだけいるのか。100万だって二の足を踏むと思う。50万だって厳しいと思う。
基本的に獣医は診療科が分業化されてないので、ヒトでいうところの総合診療科しかない。CTを使わない脳外科はないだろうけど、総合診療科がCTを抱えられるか。例えばCTは2000万からだが、2000万の機器を年に何回使うのか。年に3回くらいの頻度だとしたら、撮影の請求が20万としても10年で600万の売上にしかならない。もちろん20万なんて請求はできない。高額な医療機器の導入はできない。
卵が先か鶏が先かだけど、レベルが低いから高額な高度医療がないのか、高額な高度医療がないからレベルが低いままなのか。
そもそも、心臓の手術も脳の手術が概念すらほとんどない。心電図やCTが読めても、予後不良か健康かの2択が9割。治せない病気とほっといても治る病気かを調べるための検査なら、検査の意味がない。
心臓や脳の手術が技術的に絶対にできないのか?と聞かれたら、もちろんヒトの医療は動物実験での結果の積み重ねなので、犬や猫どころかマウスだって成功したから、ヒトでその手術を行ってる。適正がある人に訓練さえすれば、ペットの手術も理論的には出来ないわけではない。が、獣医学部のカリキュラムにはおそらくない。現在の獣医に脳外科や心臓血管外科の授業がどれほどあるか知っている人がいたら、教えてほしい。
じゃあ、医療のレベルが低いから尊敬できない、安楽死を進めるくらい医療倫理のレベルが低いから尊敬できないは乱暴。
獣医のレベルが医師より低いから尊敬できないというのは、ジャングルの奥地の部族の村でトイレットペーパーもないなんて不潔と叫ぶようなもの。紙がなければ紙以外で拭くしかない。文化的に劣ってるとか、精神的に劣ってるとかいってはならないと思う。ドクターコトーの診療所のように、高度医療を身につけたスーパードクターが僻地にきて大活躍、なんてことは夢物語。聴診器一本で診断できることは限られて、仮に診断できてもなにもできない。ドクターコトーならヘリで内地の病院に送れるが、獣医だと送る先の病院がない。
もちろん、手で肛門をふけといわれても、虫を食えといわれても、無理なように、ヒトの医療を知る人にとっては、安楽死が受け入れられないのは当然のこと。生理的に受け入れられないのであれば、離婚もやむなしだと思う。
子どもが欲しかったけど、夫どころか彼氏もできぬまま高齢出産エイジになった
男ならまだここから結婚して子どもを持てるんやろうけど、女だからもう無理ぽ
リーマンの平均程度の年収や料理がうまいなど、子どもがいたらそこそこ意味のあるスキルが切ない
老後が不安で仕方ない
親が亡くなったらどう生きよう なんのために生きよう
子どもがいないって本当にきついと思う
要介護認定とか、手術の手続きとか、老人ホームの入居手続きとか誰もやってくれないけど後期高齢者がやるのは難易度が高すぎる
行政書士による後見人制度はあるけど、あまりちゃんと機能してない
発覚してるだけでもかなりの横領がある 天涯孤独の人だと、そもそも横領の発覚すらしないと思うと、ほとんどの独居老人が後見人に横領されてると思う
親を看取ったら安楽死したい
弊社ってかグループ全体だけど。
グループ全体で会社またいだ会議体の参加者を順次25%女性を入れろっていう。
業界的には女性が少なく、グループとしてもほとんどが同じ業種の会社の集まりだし、違う業種の会社でも管理職層でも、せいぜい経理か人事くらいにしか女性がいない感じ。
会長は本を読んだり話聞いたりすると思いつきと鶴の一声でルールを破壊する人なんだけど、今回も同様。
なんなら今回はお手紙つき。
グループ全体で見ても女性役員は執行役員が片手程度いるくらいだしね…。
でもお手紙に、この事態を招いたのは会長自身といまの役員・管理職層であって、女性が管理職層以上を目指せるよう環境改善をしたり人を育てたりする権限があるのに何もせず、男だけ育てて自分らにとって楽で都合が良くて生ぬるい環境の維持にばかり注力してきたバカばかりなのでクォーター制度せざるを得ない。みたいなこと書いてあった。
何度も「いまの役員層の男がバカなせいでクォーター制度せざるを得ない」と書いてある。
すげーと思ったのは「若手社員で女性社員にずるいとかなんとか言ってるバカがいたら役員や管理職が自ら『自分たちが男社員を育てることしかやろうとしなかったせいでこうせざるを得なくなりまし』、と言って謝罪し、女性社員にも謝罪しろ」とまで書いてある。
「男性社員がいかに非正規社員と女性社員にヨイショされすぎてきたのか、そんなこともわからねえのかとこんこんと説明しろ」みたいなこと別の会議でも話してた。(録画見させられた)
まあ時代的にもそうだし、弊社見てもこんな環境じゃ男でもしんどいし、そうでもしないと無理だよなーって感じなんだけど、反発というかヤレヤレ?みたいな、ここまで会長に言われても「女の子は手塩にかけて大事大事に育てないといけないらしいからさ〜手がかかるww」とか言ってる役員もいて、権限持ってる人間がこれだからダメなんだろうな〜って気持ち。
会長からしたら手がかかってるのあなたのような役員では〜〜だから馬鹿な男の社員のせいでクォーター制度せざるをえない、みたいなこと言われるのでは〜って気持ち。