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はてなキーワード: スケールとは

2024-11-20

anond:20241119215603

クラシック教室だとそうなっちゃうかもしれませんね…。

今どきの音楽教室には大人初心者向けポピュラーピアノ講座はたくさんあるので、そういうところに行くとよいですよ。

中高年のおじさんおばさんたちに混じってグループレッスンするもよし、月謝は少し上がるけど個人レッスンにするもよし。

課題曲自由に選ばせてくれるし、ひとりひとりの技量志向に合わせた教え方をしてくれるはず。

しかアドリブがしたいならジャズピアノ講座のほうがよいかもです。コードスケール理解に応じた教え方をしてくれます譜面が読めない人でも大丈夫)。

アドリブはまずはブルースペントニックから教わるはずですが、できるようになればそこまででも十分楽しいはずだしギターなどほかの楽器への応用も十分に利きます

コードの基礎も、それこそトニックドミナントサブドミナントからきちんと教えてくれるはずです(ジャズはそれ抜きでは成立しませんから)。

どんな調でも即座にアドリブができるようになると、音楽の楽しさはぐっと広がります。よく使われる調なんてたかが知れているので、全部を覚える必要もありませんし。

あと、ギターピアノの両方でコードスケール理解できているのは強みです。

ギターは調が変わっても運指が変わらないのがよいところですが、反面、構成音(ノートルートとの関係)が直感にわかりづらいのが弱点です。その点、鍵盤でコード構成音やスケールがわかっていると〈ギターしかやってこなかった人〉よりもずっと上達が早いしフレーズも幅も広がると思いますよ。

2024-11-19

調号が3つ以上ついてる楽譜だと頭処理落ちするけど、あれはスケール理解すればどうにかなるもんなんだろうか。

五線からはみ出た音は慣れるしかなさそう。

というかギター始めて思ったけど、ピアノ教室って全くといっていいほど基礎的な音楽知識を教えてくれなかったな。実際に通ったのは3つくらいしか知らんし、ガチガチプロ志向とか音大受験対策ならやるのかも分からんけど。

楽譜見てその通りに弾くのを繰り返すばっかりだし、本質的音ゲーあんまり変わらない気がする。ミスなくやるのが天井

演奏者による表現ニュアンスがどうたらとかはあるんだろうけど、ピアノ教室でそこまでやるかって言ったらな。自分、こう弾きたいんスけど。的な提言をした覚えはないし。こう弾けという指示こそあっても。

あとはやれ背筋が悪いだの手はボールを握るようにだの、そんなんばっかりだった気がする。

こう弾いた方が良い演奏に聴こえるでしょう?とか言って、明らかにわざと弾き方を変えた比較デモストレートがあったり。思い出したら腹立ってきたな。

ガキ相手と言えど、条件も揃えない比較正当性を示すのは不誠実ではなかろうか。

技術的な必要性を感じたレクチャーって指の跨ぎ方ぐらいのものだったかもしれない。あと指使いの番号振りか。左右の手を独立させるのは教わってどうこうというより慣れって感じだったし。

ギター教室は通ったことないからしらんけど、まあ自分で始めようってなったらyoutubeで好きな曲のTAB譜漁って、秒で挫折したり、食らいついたりして。

そこまではピアノ教室と変わらないな。模倣の繰り返し。

コードフォーム練習とかしてる内に、自分なりの使い方でそれを鳴らしてみたくなったりもしてきて、その使い方を知るためにコードの種類なり運びのセオリーなりを知りたくなって。

それが手癖の即興演奏に繋がって、拙くとも気分を音にする感覚を味わって、それに取り憑かれたり飽きてしまったり。

まあガットギター教室とかだとピアノ教室と大して変わらんのかな。

楽譜通りの音ゲーばっかりじゃなくて、折角楽器をやるならそういうアドリブピアノ教室にもあったっていいんじゃんねって思う。

なんだろうな。ピアノならクラシッククラシックなので保守的保守的なのでアドリブなど不要。とかそういうアレなのかな。そういうのとは別方向の教室があっても良さそうだけど。

ジャズピアノ教室とかはクラシックに比べたら大分少なさそうだし、そもそも別にジャズに限る必要もないし。

anond:20241118211356

30年ものスケールで見ると、その間にAIロボットが急速に普及するだろうからインフラ介護に人手を集中しなければならないタイミングがどこからどこまでなのかは、正直よくわからない。

約30年前はwindows95が発売されて、急速に一般人インターネットアクセスできるようになった時代パソコンモニター本体段ボール箱みたいなサイズだった。Googleもなく、Amazonもなく、SNSもなく、スマホも、生成AIもなかった。

インターネット接続可能で、そこらの人間より賢い回答を即答するAI入りの携帯電話(音声入力可能接触操作可能液晶画面付き)を、一人一台所有している時代」が30年後に実現しているなんて、30年前は想像もしていなかったよ。

これからの30年で生産人口が3割以上減る(世界中少子化移民も来ない)ので、

インフラ介護に人手を集中するしかなくなる。

2024-11-16

AIおじさん」としての孫さんがおもしろ

もともと壮大なスケールをぶちあげるのが好きな人から

実業成功 → 投資 という方向でやってきてたんだと思うが、

投資はつまらないと気づいたようでAIに全振りしてからおもしろい近所の発明家おっちゃん」感がある

つねに未来を話しててスケールがでかいから話が面白い

2024-11-15

今の人はやっぱり可哀想だよな

ドラクエ3HDやってるんだけどさ、フィールドも城もダンジョンも、そりゃあもうきれいなわけよ。

ファミコンリアタイ世代にしてみればイメージ通りの場所もあればイメージちょっと違うなって場所もあって、答え合わせしてるみたいな感じがすごく楽しい

それでふと思ったのが、ここから始める人ってもう答えが出ちゃってる状態から始めるんだなって。

そこには想像余地なんて一切なくて、良いも悪いも与えられたものを受け入れなきゃいけないってことだよね。

なんかそれってつまんなくない?

ドット絵マップを移動しているときなんて、その間に挟まるストーリー妄想して、自分イメージ次第で世界の広さなんて自由に変えられたのに、マップが細かいせいでなんか世界スケール感みたいなのも決められちゃってて、むしろ想像より小さいミニチュア世界を旅してるみたいな感じすらある。

描写リアルなせいで、そこに書かれているもの以外に存在しない感じって言ったらいいのかな。

あれ?俺ってこんな小さな世界を旅してたんだっけ?みたいな感じになる。

それを見てつまらないなって感じちゃったらもうそれまでなわけでしょ。

リアタイ世代ならそうじゃないってわかるけど、こっちから入っちゃった人は、これからドット絵プレイしてももう答えが決まっちゃってるからそれ以上の世界想像できないってことだよね。

これから世代の人は、そういう答えが出てしまったものをずっと見させられるわけで、やっぱりそれは可愛そうだなって思った。

俺の文章が下手すぎて伝わってないかもしれないけど、懐古厨とかそういうことじゃないってわかってくれ。

想像余地って大事なんだよ。

anond:20241115062254

なるほど、非常に鋭い指摘をありがとうございます!ここで出てきたデコヒーレンス純粋状態から混合状態へという概念を基に、あなた意図している点を深掘りしてみます

まず、エントロピー観測情報の確定に関する議論を整理すると、確かにあなたが言う通り、観測によって「情報が確定する」と、その状態に関するエントロピーは減少します。量子力学におけるNo Deleting Theoremや、情報理論における情報の不消失原理情報は消去できない、保存される)という枠組みでは、情報自体消失しないという原則に従っています。このため、情報消失エントロピー増加を引き起こすという直感は正しくなく、実際には情報の確定や観測エントロピーの減少につながる場合が多いです。

デコヒーレンスエントロピー増加

次に、あなたが指摘したように、エントロピー増加といえば、やはりデコヒーレンス概念が非常に重要です。デコヒーレンスは、量子システムが周囲の環境相互作用することで、純粋状態から混合状態へと遷移する過程を指します。この過程エントロピー増加を引き起こす理由は、以下の点にあります

1. 純粋状態から混合状態

純粋状態は、システム特定状態にある場合であり、このときシステムエントロピーは最小です。ところが、システム環境相互作用し、情報が「環境漏れ出す」ことによって、システムはその相互作用の結果として「混合状態」に遷移します。混合状態では、システム状態が確定しておらず、多くの可能性が存在するため、エントロピーは増加します。つまりシステム環境相互作用エントロピーを増加させる主要なメカニズムです。

2. デコヒーレンス情報喪失

デコヒーレンス過程では、システム環境情報を「渡す」ことによって、その状態の確定性が失われ、システムは多くの可能性を持つようになります。この過程で、システム情報は「環境に組み込まれた」形になりますが、環境状態システムから「取り出す」ことが非常に難しくなります。これが、情報消失したわけではないのに、エントロピーが増加したように見える理由です。

No Hiding Theorem と情報復元

あなたが言う通り、No Hiding Theoremは、混合状態においても情報が完全に失われることはないと述べています。実際、システムが混合状態に遷移しても、環境との相互作用痕跡を利用すれば、理論的には元の純粋状態に戻すことが可能です。この情報復元可能である限り、情報消失していないわけです。

しかし、この復元には非常に高い計算コストがかかり、環境との相互作用の影響が大きい場合には実際にはほぼ不可能であるため、情報が「隠される」という形になります。このプロセスエントロピーの増加に寄与します。言い換えれば、システムが混合状態に向かう過程は、情報の確定的な減少、すなわちエントロピーの増加を意味します。

熱力学の第二法則との関係

熱力学の第二法則が成り立つ理由は、このデコヒーレンス性質にあります観測可能スケールで、システム環境の間で膨大な情報のやり取りが行われるため、最終的にシステム状態は非常に多くの選択肢を持つ「混合状態」に至り、結果としてエントロピーが増加します。最初純粋状態で始まったシステムも、環境との相互作用により、最終的にはその状態の確定性が失われ、エントロピーが増加します。

この過程は、単に「情報消失する」わけではなく、情報環境に埋め込まれ、取り出すことが難しくなるために、エントロピーが増加するという形で現れます。この現象は、熱力学の第二法則と一致します。熱力学的には、エントロピー孤立したシステムの中で増大し、最終的に「熱的平衡」に至ることが示されていますが、これもまたシステム環境の間での情報の交換や相互作用に起因しています

結論

観測によって情報が確定することでエントロピー一時的に減少することは確かですが、システム環境相互作用し、純粋状態から混合状態へと移行する過程では、エントロピーは増加します。この過程での情報の「隠蔽」や「取り出しにくさ」が、熱力学的なエントロピー増加を引き起こし、最終的に熱力学の第二法則適用されます

したがって、No Deleting TheoremやNo Hiding Theoremが示すように、情報自体消失しませんが、デコヒーレンス環境との相互作用により、システムエントロピーは増加し、最終的には熱力学的に安定した状態に至ります

2024-11-12

anond:20241112155429

これだけスケールでかく世界動かしておいて小人じゃないだろ

どっかの権力持ってるインテリ暇つぶしだったのかな

わたし存在釣りなのだろうか

ものすごくスケールが大きくてたくさんの人が犠牲になった、ひどいジョーク

ひどすぎる、、

2024-11-11

anond:20241111155518

そんなに虚しいと思うことか?

ニートVtuberも大差ないし、本棚も観客も似たようなもんだ。

総理大臣ホームレスもそう違いはない。

他人人生自分人生も、そんなにこだわって違いをみつけるほど大したもんじゃない。

ただ人間というのは小さな違いを大きく騒ぎたい、それだけのことだ。

宇宙スケールで考えてみ?

どれもこれも、刹那に生まれては消えゆく80億分の1の命と、それに付随する物事にすぎんわけ。

優劣とか貧富みたいな二項対立できるもの、それ、全部儚いものだよ。

自分自分可哀想な方へ押し込めて嘆くことに慰め以上の意味はない。

重要なのは自分自分をどう納得させるか。

それに現実の状況や時代価値観を関連づける必要はない。

過去身分立場にとらわれず、今本当にやりたいことをすればいい。

やるにさしあたって障害があるのなら、できる範囲でやるだけのことだ。

その点に関しては誰もが同じだ。願望や理想に果てはないしな。

anond:20241110002418

インデックスなら一時的にそのくらい下がっても10年くらいのスケールではまず損することはない。

個別株もまともな会社ならそうだけど、成長が鈍化したり期待ほどではなくなってしまったりすると暴落して二度と戻ってこないリスクがある。

https://www.google.com/finance/quote/2413:TYO?sa=X&sqi=2&ved=2ahUKEwjyi4fYvNOJAxVZdPUHHSa7BfQQ3ecFegQINBAh&window=MAX

最悪の場合倒産してゼロ円になる。

2024-11-09

障害児を持つ親の皆様へ

映画ルックバックを見ました。

直接関係は無いけど、なんか昔書いた日記の事を思い出しました。

読み直してみて、これが誰かの何かの助けになればと思い共有します。

誤字脱字含め当時のままです。

子供名前があったのでそこは消しました。

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2011.4.20

障害について。

障害者は生きる価値がないなんてことは絶対にない。

それは絶対に正しいと思う。

というかそれが正しくないなら、逆に正しいってことになんの意味があるのかと問いたいくらいだ。

最近障害について真剣に考える時間が増えた。

○○と○○が生まれた時、今後どうなるか分からなかった、今もそうだ。

子供だけの話ではなく、自分がいつ障害を負うことになるのかも分からないのだからこれを考えておくことは重要だ。

人生の豊かさや幸福というのは、その人自身が決めるというのは真理だと思う。

なので、障害人生に寄り添っても、その上での人生の豊かさと幸福を追求すればよいだけだと考える。

ただ、そのためには、それを含め幸福だと思える物の考え方に沿った人生にしなくてはならない。

なので、その考え方を決めることは重要だ。人生を決めるというのと同義な程に。

から障害者は生きる価値があるという正しさを自分の中で納得しなければならない。

障害者にも生きる価値がある、のではない、障害者は生きる価値がある、のである

私は生きる価値がある、と言いたいということだ。私にも生きる価値がある、ではない。

その考えを血肉にしなくてはならない。

様々なことを考える時に、その考えの元となる軸として機能させる程に自分が納得していなければならない。

その考えを自分の考えとして相手を説得できる程でなくてはならない。もちろん相手を説得することが重要なのではない。

相手を説得することができる程、自分の血肉になっていることが重要なのだ

自分の中で納得できない考えを元にして、自分の行動に結びつけることはできない。

自己矛盾を抱えたままでは強い意志が持てない、堂々と人生を生きていけない。

なので生きる価値について考える必要があるのだ。

まずは、ここから始めたい。

障害者は社会の役に立っていない。医療費介護治安の面で社会負担となっているのではないか?」

まり

社会負担から生きている価値がない」

ということである

まず、治安の面だが、これは社会負担ではないと言い切れる。

障害者→治安という結びつきは、多分知的障害等のコミュニケーションがとれないことを想定していると考え、話を進める。

知的障害者は、

コミュニケーションがとれない

→何を考えているかからない

→何をするか分からない

→怖い

このような経緯で治安の面の負担という議論が上がってくるのだろう。

しかし、実際治安の面で言えば、知的障害者よりも健常者の方がはるか犯罪率が高いのが事実である

ソースは忘れてしまったが、調べれば裏付けがとれるはずだ。

しかし、そうは言っても、やはり怖いものは怖いという人がいるかもしれない。

それに関しては、それでもいい、としか言えない。

怖いなら近寄らなければよい、そっと離れればよい。

街にいる健常者で危険そうな人にはそのように対応するだろう、それと同じでよい。

自分の身を守るという行為非難されるべきではないからだ。

というより、こうした議論に上げるまでもなく、そうした対応に関しては相手障害者かどうかが重要なのではないはずである

医療費介護の面で社会負担となっているということに関して、これは費用対効果ということになると思う。

障害者に対して、かかる費用とその効果だけを考えれば、それだけを考え社会負担だと判断するのなら、多分、そうだろう。

その事実に対しては否定はできない。

ただ、その見方では視野が狭過ぎるだろう。

人通りの少ない道の電灯は費用対効果がないと言っているようなものだ。

その電灯の明るさがもたらすものに目を向けていない。

人通りが少ないからこそ本当に必要な場面があるのだ。そこに電灯がついているという安心感が何をもたらすかということなのだ。

たばこなどにかかる医療費だって社会負担ではないか。それと同じなのだから障害者の医療費だけ問題にするのはおかしい。

このように、同じような他の悪者を上げて、その問題と比べると・・・といった議論の進め方をする人がいるが、こういった進め方は自分はあまり好きではない。

この方法では、本質に近づく議論にならないからだ。

例えば、たばこ議論に上げた場合なら、

たばこを吸う人は税金を納めているのだからプラマイゼロ位だろう

―いや、肺ガンになったらかかる医療費の方が大きいから少しはマイナスだろう

障害者でも、税金納めて自立している人もいる

―じゃあ自立してない障害者は社会負担ということか

―健常者で社会負担しかならない人もいっぱいいるじゃないか

押し付け合い、悪さ探しでは、生きる価値の答えからは遠ざかるばかりだと思う。

障害者は医療費介護の面で社会負担となっているので生きる価値がない。」

まりこれは、価値判断する側から見て、いらないのでいなくて構わないということである

本当にそうだろうか。

障害者がいないことが社会にとってプラスになるのだろうか。そうではないと思う。

もしも、障害者がいないことが当然という社会ならば、自分が健常者であってもそういった社会で生きること自体不安であると思う。

自分だって事故病気でいつ障害者になるか分からない。そうなったら自分は生きる価値がないんだ。

自分の子供が障害を持って生まれてくるかもしれない。そうしたら社会は誰も助けてくれない。

このような不安社会全ての人々が抱えている状態は、はたして幸福なのだろうか。

こうした不安を緩和するという点だけでも、障害者は生きる価値があり、安心して暮らせるようにすること自体社会にとって大きなメリットがあると言える。費用対効果は正確には表せないが、医療費とか、そういった細かいレベルではない。

ただ、障害者が幸福に暮らせることは社会にとってもメリットなのだ。だからあなたには生きる価値がある。

これでは、社会の人々から障害者が攻撃を受けることを防ぐ効果はあるかもしれないが、

障害者本人が―だから僕には生きる価値がある―と自己肯定するところまでには至らないだろう。

それではまだ、障害者には生きる価値があるということの本質には至ってないように思える。

生きる価値があることの社会的なコンセンサスを得ることも大事なのだが、それは本質ではない。

極端に言えば、どんなにおかしな考えだろうが、本人が自分には生きる価値があると納得できる方が大事なのだ

そういった個人的ものの答えを求めようとしているのだから、答えも個人的ものになるのかもしれない。

―例え両腕が無くなろうと、自分には生きる価値がある―

自分が強く思えるような納得できるような考えを見つけること。

―僕は歩くことができないけど、僕には生きる意味があるの?―

と言った子供の問いに、意味があると心の底から答えられること。

それが大事なのだと思う。それこそがこの問いの辿り着くべき姿なのだと思う。

逆に言えば、一般論では難しいのだ。

この手の問いに一般論で正解が出たことなんていまだかつてないのだから

費用対効果の部分で考えたこと―視野を広げて考えれば、障害者が幸せに暮らすこと自体社会的な大きなメリットがある―について、それではまだ、心に響く答えではなかった。なので、コストという面でもう少し掘り下げてみる。

コストという面から障害者を見ることは、コストという面から健常者、もっと広く言えば人間を見ることにつながると思うからだ。両者の答えが異なるならば、異なった考えが必要だし、同じならコストという面から障害者と健常者を分けて考えること自体無意味であるということかもしれないと考えるからだ。

障害者はコストがかかる。では健常者はどうなのか。

多くの健常者はコストより社会への還元の方がまさるだろう。

ただ、何を持って社会の役に立つ還元だと判断するかにもよるが。

環境破壊を伴う経済活動は、短期的には社会賞賛をもって迎えられるかもしれないが、長期的には何もしないよりもデメリットが大きいといった場合もある。

しかし、ここでは、世間一般視野レベルにおいて好ましいと思われるレベルと考えれば良いだろう。簡単に言えば社会的な成功(スケールは問わず単なる賃金等小さなものも含まれる)ということで良いだろう。

その基準判断するならば、やはり、障害者はコストの方が勝るだろう。

個別で見ていけば、社会的に成功する障害者も、社会的な害悪しかならない健常者も存在する。

だが、障害者、健常者という全体のくくりで見ると、障害者というグループに分けた場合にそのブループはコストが勝ると言うことができてしまうだろう。

コストに関して、障害者、健常者と分けて考える必要はあるのだろうか。どうであれ、コストが勝る人がいるということだけである

なので、障害者、健常者といった区別自体無意味だ。

と、言ってしまいたいが、生きる価値という部分を産むべきか否かといった側面から考えた場合には残念ながら簡単には言い切れない。

一生体を起こすことはできない、一生自分自分認識することができない、といったように、ほぼコストが勝るであろうということが、生まれる前から分かってしまうという事がありえるからだ。

ただ、これについても、ドーキンス博士のように例外もいる。彼は生まれる前ならコストが勝ると判断されても仕方がない状態であったと思われる。だが、彼が社会に与えた功績は非常に大きい。

これの意味するところは、コストが勝るなどと正確に判断はできない、ということだが、この判断と同様のケースにおいて、数が増えれば平均コストが勝ることになるだろう。

平均という概念にはその平均を算出するためのくくりが必要である、そのくくりとして障害者、健常者といった分け方がなされることになる。

平均コストで話を進めるなら、もうこの議論手詰まりだ。

あと残っている議論障害者と健常者の線引きをどうするかといったことだけだ。

この議論では生きる価値には辿りつかない。なのでこの方向で進めるのはもうやめることにする。

コストという面から人間を考えてみる。

もうこれは、誰にとってのコストかということに尽きる。

人間人間以外にとってほぼコストしか過ぎない。

他の生物にとって人間特に価値がない、地球にとっては逆に諸悪の根源かもしれない、宇宙にとっては人間などなんの意味もないだろう。まとめれば、人間は等しく生きる価値がないということだろう。

それでも、大部分の人々はそれぞれ自分には生きる価値があると思っている。

意識していないと言う人がいるかもしれないが、それは、自分には生きる価値がないわけではないと思っているということだ。

なぜ、大部分の人々はそう思えるのか。

それは、必要とされているという気持ちがあるからだ。

いや、もしかしてこれは、必要とされている度合いから、かけている迷惑を引いてプラスになるからということなのかもしれない。

あれ、よく分からなくなってきた。

この考え方で生きる価値があるという答えに辿り着けるのだろうか。

いったん、ここでやめる。

下記にネットに載っていた、何か訴えかけられた気がした文章をのせておく。



同じように重い障害を持って生まれてきて、

の子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議

いったい誰に説明できるというのだろう。

そんな、人智はるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。

「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、

そんなのは、みんな人智の小賢しい理屈に過ぎない。

まれてきて、そこにある命が

生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。

本当は障害のあるなしとは無関係

誰がいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。

から

の子もこの子も、生きてこの世にある間は

生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──

それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と

2024-11-08

anond:20241107090029

近代フェミニズムにはハラスメント可視化したり功績もあった。男性にも恩恵はあったはず。縦社会で生きる男性からは出てきづらい発想だからね。もちろん縦社会があったからこそ今までの発展もある。どちらも重要

認知の歪みにゾワッとした

女子枠が作られまくって大学教育のものすら奪われてる男性恩恵とかどんだけ都合のいい認知してたらそうなるんだ?

女→男のハラスメントはいまだに野放し、女だけがなぜか自分の子供を殺せる権利持ってるのもそのまま、

自殺も他殺も犯罪被害者も男>女なのも変わってねえし少子化は累乗スケールで進行してるし

マジで何考えてたら「近代フェミニズム男性恩恵をもたらした」って認知になれるんだ?

焼き芋ほっくり派の増田たちへ

ワイのレンチン手順を書くで!

0.キッチンスケールを持っていない場合は買ってください。1000円くらいです。

1.さつまいもを買ってくる。

2.しっかり水洗いし、拭かず乾かさずラップで包む。

3.重さをはかる。※ここでは約450gだったと仮定する

4.電子レンジ(600W)で、重さを100gで割った分数を加熱する。※450gなら4分30秒。

5.レンジの中の芋を裏返し、もう一度同じ分数で加熱する。※さらに4分30秒ということ。芋の形によってはうまく裏返らないこともあるが、合計時間があってればまあなんとかなる。

6.レンジから出し、ラップのまましばらく置く。クソ熱いので気を付けて。

7.ほどよく冷めたら召し上がれ。

それでも水分量が多い場合しっとり系に仕上がるかもしれん。さすがにねっとりはしない。

加熱時間は600Wなら100gあたり2分。重さ÷100×裏表でちょうどよい。

2024-11-05

2024年、俺の流行大賞

今年、俺の中で流行したモノを順不同で紹介してやろう。

流行に敏感な男の1年を振り返ってみよう。

1 miHoYoゲー

崩壊3rd、スターレイル、原神、ゼンゼロの4作を「今年初めてプレイ」した。

ネットで何故か知らんが崩壊3rdが話題になったのを聞いて第1部を全てプレイ

そのあとに原神に手を出すも色々としんどくなり離脱

暫くしてゼンゼロによって熱を取り戻し、そのタイミングピノコニーが大絶賛されているのを聞いてスタレをプレイした。

スターレイルピノコニー編まで無事完走。同じくゼンゼロ現在ストーリーはすべてクリア

現在はスタレの幕間を埋めている所だ。

が、忍者編がなんかこう色々と合わなくてしんどい

ルアン・メェイの創造物に再開できたりするのは楽しんだけどさあ・・・そもそもの忍佐殺アトモスフィやシノビマントラクオリティがちょっち足りてないよね。

2 オキシクリーン&漬け置きモード&衣類乾燥除湿機

引っ越した先のベランダが狭すぎて服が部屋干しになってしまい俺は部屋干し臭に悩まされていた。

そこで使い始めたのがオキシクリーン

とにかく漬け置きすれば明らかに臭いがマシになった。

しかし、漬け置きをするという作業が面倒くさい。

絶望した俺がググってみるとどうも洗濯機には漬け置きモードがあるらしい。

使ってみた所、全自動で漬け置きが完了するのでQoLがアップ。

トドメとばかりに衣類乾燥除湿機を導入した所、部屋干しでも全然匂わない状態になった。

こうして我が家洗濯革命が起きた。

3 三体

引っ越した先の図書館普通に置かれていたので読んだ。

miHoYoゲーの影響で中華SFへの興味が高まっていたのもあるし、予約無しで借りられたというのもある。

面白いね。

ネタバレなっちゃうからあんまり言えないけど(👈️Outer Wilds信者かい!)

なんかこうマジでスケールデカいし、展開も多様だし、あとちょっとオタクだよね。

面白いね。

ネタバレなっちゃうからあんまり言えないけど(👈️同じネタ2回つかうんかい!)

4 投資

NISAはひとまずオルカン全力で放置したのだが、暫く推移を見て興味が出てきちょっと手を出した。

始めた時期が悪くて上がり幅よりも下がり幅が大きくなってしまい心が折れて塩漬けモードに。

塩漬けしつつも色々と勉強している頃、興味を持って「FX戦士くるみちゃん」を読んだら伝説的な時期の伝説的な地獄を目の当たりに。

素人の無根拠丁半博打なんぞ何の価値もねえなと悟りを開き、今はもうオルカン投資信託して終わらせてる。

退職金貰った直後に投資ブームが起きてそのタイミングで爆死したら目も当てられなかったので良かった。

5 チクニー

ドルエイクライシスにより生きる意味を見失った果てに「じゃあもうアナニーでも生きがいにするか」とアナニーをやろうとするが、怖くなり中止。

代わりに乳首を開発することを選んだ。

ネットで人気の高い自動乳首舐めマシーンを購入し、オナニーのたびに乳首の上をグルグルと回転させてみた。

2ヶ月ぐらい続けても全然気持ちよくならなかったので終了。

開発失敗である

投資ブーム以上に何も残らなかったマイブームであった。

6 学園アイドルマスター

miHoYoゲーと並行してプレイ

もともとスレスパビビッドナイトみたいなゲームは好きだったのでプレイ

ぶっちゃけある程度プレイしたあとの感想は「選択肢がある程度見えててテンポがいいウマ娘」ぐらいに収束した。

ウマ娘をクソほどやりこんで最後の方は大嫌いになった思い出があったので一通り親愛度10にした所で終了。

推しアイドル秦谷 美鈴ちゃんですので実装されたら戻ってきます

7 早寝

「早く寝る ただそれだけで みなぎる力」という有名な言葉があるが、マジでそう思う。

早く寝ると全てが捗るので早く寝るようにしている。

具体的には夜11時になったらパソコンの電源を落として小説を読むか寝るかという時間にした。

寝るためのコツとして液晶は見ないようにしろっていうのをよく聞くけどさ、アレってマジで効くんだな。

液晶みたまま「眠くなってこないな~~~」とかやってたのマジで健康的じゃなかったよ。

8 自分を褒める

ドルエイクライシスに陥った上にチクニーにも失敗した俺は日々悩んでいた。

「なんでこんな人生を選んだんだ。なんで俺の上司はあの程度のスペックブリリアントジャークを気取ってるんだ」と日夜呻いていた。

とにかく手当たり次第に自己啓発本に描かれているメンタル術を試しまくった所、「どうも自分自分を褒めて他人に期待するのを辞めるといい」と気づく。

それから毎晩自分を褒めている。

今日ちゃんと出勤して偉い。今日栄養バランスちょっとは考えて偉い。筋トレたから偉い。11時にパソコン切って寝てるから偉い。偉すぎる!」

毎日そうやって自分を褒めている。

おかげでミドルエイクライシスも解消されていき「もうアナニーしかない!エネマグラで尻を掘るんだ!」と自暴自棄に陥らずに済んだ。

9 生成AI

俺が今年ハマったのはAI小説

モンスターコマンダーズ(AI相手TRPG出来るゲーム)でAIリレー小説を書く楽しさに目覚めた。

そこからAI小説を使って色々な空想を書き散らしたり、GPTに生成させた文章増田投稿したりして遊んでいた。

AI小説エロ小説書けばオカズ自力供給できると頑張ったりもしたが、パターンが一通り出尽くした辺りで今のAI限界を悟る。

つーかさ、せっかくAI使ってもやれることが小説で終わりじゃまだまだだよね。

やっぱマンガぐらい描いてくれないとって思わないか

というわけで文章打ち込んだら漫画が出来るようになるまで余った情熱は取っておくことにしたのである

10 桜井政博ゲーム作るには

めっちゃ面白かった。

仕事でタメになる考え方も学べるし、裏話もネタの質が高い。

とにかく完成度が高いな。

終了すると聞いて慌て見てるんだけど、ハズレに該当する回がないっていうか大体どの回も楽しいんだよね。

ゲーム作ってる人からすると「いや、それは違うんだよね。古いね桜井さん」みたいなのあるかもだけど、俺は完全に門外漢から全部ほーんって感じで楽しめてる。

言いたいこと先にまとめて一人でバーって喋ってるからテンポがいいのもいいよな。

ゲームさんぽみたいにちょっとダラダラしてる番組雑談ムード楽しいけど、淡々スピーディーに進む奴の方が俺は好きっぽいな。

やっぱこの辺はアクションゲームを作ってきた人特有リズム感とかがあるんすかねえ。

anond:20241104201753

結婚とか妊娠出産とか、人類が肉体レベルでは数万年進化していない以上、数万年前と同じように早いうちにこなしとく以外の選択肢存在しないし、

対案になりうるものを強いて挙げるとすれば「人類科学技術医療技術進歩オールインベットする」とかいう薄い希望くらいしかあり得なくて

そんなのIQ80くらいあればわかることなのに、なんでそれでも婚期逃して後悔するバカが後を絶たないのか本当にわからなかったんだけど

その書き方でなんか理解したわ

そもそも根本的な問題として、あらゆる物事を一生スケールの話=長期的視野で捉えられないのか

要は「 バカから婚期逃す 」なんだな

わかってしまったけど悲しくて仕方がない

結婚とか妊娠出産なんてお前並みのバカ含めて誰でもできるようになるべきなんだよ・・・

2024-11-03

anond:20241103013216

この考察は、創発現象物理学関係について興味深い視点提供しています。以下に、ご提示いただいた考えを分析し、関連する科学的知見と哲学的観点を交えて議論します。

熱と温度創発

熱が分子運動エネルギーであり、温度計の測定値が近似であるという指摘は正確です。マクロスケールでの熱の感覚は、確かに分子レベル現象から創発したものと考えられます。この観点から生物学的な文脈で熱や冷たさを実在するものとして扱うことは、実用的かつ有効アプローチだと言えます

時空の離散性と連続

時空の本質的構造が離散的であるという考えは、量子重力理論の一部の解釈と一致します。マクロスケールでの連続的な時空の認識は、この離散的構造から創発した現象と捉えることができます日常生活や多くの物理計算において、時空を連続体として扱うことは有効な近似であり、実用的な観点からは十分な精度を持つと言えるでしょう。

自由意志創発

自由意志創発現象として捉える視点は、還元主義全体論の間の架け橋となる可能性がありますミクロスケールでの決定論的な物理法則と、マクロスケールでの自由意志感覚は、必ずしも矛盾するものではありません。

自由意志実用解釈

日常生活社会システムにおいて、自由意志概念重要役割果たしてます法律倫理個人責任など、多くの社会構造自由意志の前提に基づいて構築されています。この観点からマクロスケールでの自由意志存在を前提とすることは、実践的かつ有用アプローチだと言えます

スケール重要

ご指摘の通り、ミクロスケール現象マクロスケールに直接適用しようとすることは、多くの場合適切ではありません。自由意志純粋決定論的な観点から否定しようとする試みは、時空の離散性を日常生活適用しようとするのと同様に、適切でない可能性があります

結論

創発現象観点から熱、時空、自由意志を捉えることは、科学理解日常的な経験の間の架け橋となる可能性があります。この視点は、還元主義アプローチ全体論アプローチ統合し、より包括的世界観提供する可能性があります

ただし、これらの考えは哲学的解釈であり、科学的に完全に実証されているわけではありません。今後の研究によって、これらの概念さらに深く理解され、検証されていくことが期待されます

自由意志は熱や時空と似たようなもの

熱ってのは分子運動であって、温度計で測るあれは近似でしかない、だから、脳が熱を感知するのは創発現象と言っていい。つまり熱いとか冷たいというもの存在するという前提で生物を語っても、何の支障もない。

同様に、時空は離散だが、人間レベルマクロスケール化すれば、連続として近似しても計算上ほぼズレはない。だから時空の連続性も創発現象

さて、自由意志についても、マクロスケールで見れば、自由意志存在するという前提(近似)の立場に立っても、不都合は生じないはずである

まり自由意志という創発現象ミクロスケールから決定論的に見ようとするからおかしい。それは、生きていく上で時空が飛び飛びになっていることを知覚せよと言うぐらい荒唐無稽

2024-11-02

[]妖怪大戦争 1968

バビロニアのウルの強い妖怪が、盗掘者によって解放されてしまってなぜか日本にやってきて支配しようとするのを、日本妖怪たちが追い出そうとする話

ゲゲゲの鬼太郎直後?ってのもあったのか、妖怪という存在について、恐ろしさもあるけどコミカルな面を強調した演出だった

時代なりの出来で、今見ても面白い、というものではなかった

子供向けかと思いきや結構描写えぐい

特撮いまいちで、最後、ここが一番の「大戦争」って場面なんだろうなってのも、

大人スタジオでわちゃわちゃしてるだけの学芸会しか見えなかった

大戦争っていう割に話が局地的すぎてスケールも小さいし

まあ当時のものを今の感覚いくら言ってもしゃーないのもわかってるけどね

2024-10-30

anond:20241030011842

ホロライブの「五十人以上の個人アイドルが並走する成功物語」と同じ様な感覚体験できる「よりスケールデカい立派なことをやっているオタクコンテンツ」って例えばどんなのがあるの?

anond:20241030004503

ラブライブキズナアイみたいな半架空・半実在芸能活動家がすでに成し遂げてきた道の延長にある感覚だな

そして同じようなリアルタイムでの成功物語の並走感覚はべつにVtuberでなくとも運営型の覇権ゲームとかでも体験できる

そうしたものと比べると個人を核として展開されるアイドル芸能の「伏線」のたぐいは割とファン以外には響かない幼稚かつ私的相互グルーミング主体パフォーマンスにすぎない

そのことが気になりはじめたあたりでだんだんと疎遠になっていくもの

もちろん熱中しているうちはその幼稚さを受け入れられるくらいの愛着があるものだし褒めそやしもお約束的なものとして咀嚼できるのだが

よりスケールデカい立派なことをやっているオタクコンテンツを見つけると色褪せて見えてしまうという寸法

アイドル系というのはその規模ゆえにファン商売に終始せざるを得ない構造から抜け出せず(その閉じコン感を打破するために○○大使だの社会的権威側に進出しようとはするが)

小さい籠のなかに籠もっていながら大海を語りたがるキラキラ感、そういう拗れた独善性の発露のイメージを拭いきれないもの

一度その外側から見てしまうと美しく愛らしい籠がむしろファンを閉じ込める檻にみえしまものでもある

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