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はてなキーワード: 抗がん剤とは

2023-07-14

寿命をあげたかった

バイト先で教えていた高校生女の子交通事故で亡くなった。

俺を挟んで一緒に教えていた同い年の高校生男の子と付き合っており、部活恋愛学校生活勉強と何事にも一生懸命でいつもニコニコしている良い子だった。

悲しくないと言ったら嘘だが、いくら教え子とは言えアルバイトだし他人だしでそんなに大きなショックは受けなかった。

ただ、人生は本当に何が起きるかわからないなと思った。

俺の兄は小学生骨肉腫と肝転移の手術、中学生で肺転移の手術と抗がん剤を行った。母も父も祖父母も俺も口には出さないが「兄は高校卒業まで生きられない」と思っていた。

兄は抗がん剤が終わり肺炎で生死を彷徨った後に退院通信高校卒業大学卒業し今では営業職に就いている。30代を無事に迎え、上司取引先の人と毎晩飲み歩き、休日は両親や俺に悪態をつきながらFPSをしている。

一方で俺も、おそらく彼氏学校先生や両親も「これから先の明るい人生」を信じて疑わなかった女の子は一瞬で亡くなった。

人生は何が起こるかわからいから、生きている今日明日を後悔しないように生きたいものだ。

俺は大学卒業後に大学院でドロップアウトアラサーで未だにアルバイトしている。

今日を後悔せずに生きたいと思っても、どうすればそんな生き方が出来るのかわからないので結局バイトして、親の飯を食い、兄とゲームをする。

俺の寿命をなくなった彼女にあげたかったな。

2023-07-06

anond:20230706000504

うちの母親、俺が高校生の時(母親40代)の時に子宮の癌見つかって、子宮リンパ肝臓切除して、抗がん剤やった

さらに俺が社会人なりたての頃に骨盤転移放射線抗がん剤

今70代でテニスして旅行行って楽しそうにしてるし、似たような人は山ほどいるぞ

anond:20230705235822

具体的な死期は分からんけど、肝転移や脳転移したら100%死ぬだろ。

たまにポジティブ気取って「癌でもこんなに元気!」みたいに言ってるブロガーツイッター闘病垢も数ヶ月後に家族からの亡くなった報告。

抗がん剤拷問受けるくらいなら、やりたいことやってから首縛った方がまし。

医師は「90%クローン病、9%潰瘍性大腸炎、その他として胃腸炎治癒による狭窄、限りなく0に近いが大腸がん」とか言ってたけど、大腸がん可能性が0じゃないってだけで生きてる気力なくなる。

2023-07-05

本当に虚しい人生だった

20代の男。

繰り返す腹痛、下痢便秘、倦怠感で病院受診し色々と検査をした結果、大腸が少し狭窄していることがわかり、クローン病潰瘍性大腸炎可能性は限りなく低いが大腸がんなどの病名を挙げられ、内視鏡をする予定だった。

クローン病潰瘍性大腸炎だったら一生の付き合い、大腸がんなら抗がん剤で苦しめられて死…

先週が検査予定だった。

もしクローン病潰瘍性大腸炎大腸がんだった場合病気に苦しめられるより、やりたいことをやってから潔く自分でケジメをつけると決めていた。

しかし、不運なタイミングで癖になっている痔瘻が再発。そっちの治療が先として内視鏡は出来なくなった。

先週から今日まで毎日通院し、詰めたガーゼを引き抜く拷問を受け、内視鏡はまだまだ当分先だ。

心の中では「もし大腸がんでも初期だったら生きられるかも…」と淡い期待を抱いていたが、自覚症状が出た上に検査先延ばしではこの間に肝転移や脳転移を引き起こすと思うので抗がん剤拷問死は避けられない。クローン病潰瘍性大腸炎なら仮に生きられたとしても一生苦しみ。

そもそも今やってる毎日ガーゼ交換と排膿自体拷問うんこするだけで肛門近くのガーゼが押し出され、押し出されたガーゼうんこが引きずって激痛。医師相談したら「でも、排便するしかいからねえ…」だと。できるか。

ここ3日は痛みを避けるため、うんこを無理やり我慢してる。痩せなのでまるでアフリカ飢餓で苦しむように腹だけパンパンで1日中吐き気

仕事にも打ち込めず、何のために生まれて何のために生きてるのかわからなくなった。

明日、もう病院には行かない。やり残していることがいくつかあるため、それらを3日くらいでパパッとやってから人生にケジメつける。

本当に虚しい人生だった。

2023-06-20

選択肢が1つ消えた。

一昨年悪性腫瘍が見つかって、人生初めての手術を受けた。

手術は寝たまま運ばれて手術室へ行くと思ったら、普通に歩いて手術室に行った。

手術室は設備も新しく、手術台は温かくてふわふわしていた。

手術は3時間と聞いていたけど、6時間半掛かった。

胸を縦に切って腫瘍を取ると聞いていたけど、L字の様に縦にも横にもメスが入っていた。

から聞いたら、思って以上に大きくて浸食悪性腫瘍が見つかって、人生初めての手術を受けた。

手術は寝たまま運ばれて手術室へ行くと思ったら、普通に歩いて手術室に行った。

手術室は設備も新しく、手術台は温かくてふわふわしていた。

手術は3時間と聞いていたけど、6時間半掛かった。

胸を縦に切って腫瘍を取ると聞いていたけど、L字の様に縦にも横にもメスが入っていた。

から聞いたら、思って以上に大きくて、心膜横隔膜の一部も切除したらしい。

術後は独特の痛みで夜も寝れない日が続いた。

咳やクシャミをすると傷口が開いて中身が出るのではと思った。

費用は限度額適用認定証を取得していたので満額の185万より少なく、2週間分の個室と食事、病衣台で40万弱だった。

公的保険もありがたかったし、自分で掛けていた保険給付金も一時金、手術、入院給付金で支払った以上に入って来た。

住宅ローンも払って半年ほどで支払い免除になった。

今年経過観察の検査で再発。

自分は再手術だろうと思ったら、癒着や再発の場所が大動脈等の近くで手術が出来ないと言われた。

抗がん剤か、放射線治療と手術という選択肢が1つ消えた。

これからどっちを選択するかそれぞれの治療についてネットや本で調べてみる。

子どものまだ幼稚園子どもが好きな妻は最低2人は欲しかったと結婚前に話してた。

こんな状態で妻は2人目は諦めたみたいだ。

選択肢が1つ消えただけで、絶望するにはまだ早いけど、悪い事ばかり考えてしまう日もある。

現実世界で妻にも親にも言えないから、ここを使わせて欲しい。

書いて少しスッキリした。

2023-06-08

高額医療費制度があるから負の宝くじなんて必要ねえ!👈これっていくら持ってたらオッケーなん?

貯金300万ぐらいになった時点でこの理論でイキってがん保険やめちゃったんだけど、いざアラフォーになったら怖くなってきちゃった……。

たとえばガン保険とか「ナンカ=スゴクテ=ホケン=モ=キク=クスリ」でワンチャンある状況になったりしそうじゃん。

予後平均+1年が今なら◯000万円!ガン保険入ってたら半額です!!!みたいになったとき「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!買うぜ~~~~~」って出来なくなるの怖いんだよね。

まあそこまで高いのは流石にガン保険効かなそうなんだけどさ。

でもダラダラ治療して残り5年生存可能となったときに「金は保険下りから仕事辞めるか……」って出来るのと「もうちょい働かないと抗がん剤が……でも働くストレスでガンが進みそう……でも働かないとガン治療費用ストレスになって早く死にそう……」みたいなルート分岐が起こるわけじゃん。

傷害保険マジで貯金300万あったら切れると思うし、むしろ100万ぐらいでも切ってええやろと思う。

でもがんに関しては5000万ぐらい貯めてからじゃないと切らんほうがええんとちゃうかなと……余命確定後はニートすりゃええだけやんで終わらずがん治療という未知の費用が掛かってくるのが怖すぎるんだよな。

しかも数年で急激に進歩する可能性もある!

後悔しないために生きてるわけじゃないからこそ将来的に余計な後悔を招きそうなポイントには蓋をしておきたいというか……その蓋が多少暴利でも砂漠の水や山のお汁粉を買うようなものだと割り切るしかないというか……。

あーマジでストレスが貯まるわ。

つうかマジで商売が上手いっつうか、暴利を貪っても許されるレベル需要があるよマジで

AKBおじさんがじゃがりこに1000円の値を付けても買うやつがいるようにするのが最強って言ってた言葉のとおりだ。

いやマジで海洋保険ガン保険金融業界における「生まれるべくして生まれ生き残るべくして受け継がれてきた運命の子供」みたいな所あるよ……存在のもの邪悪であり大正義すぎんだわ……

2023-06-06

50代独り身おじさんの自分語り

大学卒業就職に失敗。アルバイトから物流会社に勤務するも辛すぎて数ヶ月で退職しそこから10年以上引きこもり

母が職場で倒れたことをきっかけに介護施設就職し、数年経って介護福祉士となった。それからしばらくして転職現在も勤務する私立病院事務職に就いた。この時41歳。

そこで知り合ったのが妻。

同い年でバツイチ看護師自分も向こうも職場で同僚との人付き合いが殆どなかったが、何故か挨拶する様になって会話するようになって付き合い始めた。女性交際したことは40年以上生きてて一度もなかったが、その歳だったからか初デートでも初セックスでも一切緊張しなかった。

約2年交際してから結婚。お互い歳で向こうは既に子宮全摘してるってこともあり子なし夫婦。最初は母と3人で住んでいたが間もなく亡くなったため以後は二人きりの生活になった。ご飯食べて、仕事行って、ご飯食べて、各々本読んだりテレビ観たりして、2日か3日おきくらいにセックスして、休みの日には道の駅に行くか近所を散歩するような生活をしていた。

結婚して一年半で妻の病気骨盤に再発。医師から抗がん剤放射線で進行を抑えられるレベルって言われたけど、結局そこから1年持たずに妻は亡くなった。

それから50歳の誕生日を一人で迎え今に至る。

結局自分は独りで死ぬことになったし当然後始末とかで誰かに迷惑をかけてしまう。傍から見たら孤独で不幸な人生に見えるだろうけど「自分人生は不幸だったか?」って言われたらそうは思えないんだよね。30半ばで社会人になってから妻が亡くなるまでの10年とちょっとの間に一生分の生きがいのような物を味わった気がする。テレビの前に置いてある等々力渓谷で妻と母と3人で撮った写真とかを見てたまに寂しくなるときあるけど「孤独」な気持ちにはならない。

なんで突然こんなこと書きたくなったのかわからないけど、明日も一日頑張るか。

2023-05-15

anond:20230515165430

「ナバナバパラダイス 犬童医院繁盛記 」 TONO著 という漫画があって、

この本自体そこそこ怖い医療者と自称患者たちの話なんだけど(そもそも掲載誌が怖い系やつ)

ありえ無くもないギリギリをせめてるただのフィクションなわけよ。ブラックジョークといわれればまあそうかなっていう。

でもこの後書きエッセイ漫画の中に作者の妹がサイコパス産婦人科医に医療事故をうけた話がでてきてこれもいたそうでこちらのほうが怖くて心にのこった。

医療事故から保護されてまくってるのはなぜかというと医師会自民党必死献金するからだよね、

自民党後ろ盾?のあった統一教会マジでダメだったよね

あと抗がん剤つかわず手術優先だったガン医療

ものもうしてた近藤医師のはなしとか、

薬害エイズ白十字とか

ほんと日本医療は安くてクオリティ高いとか自画自賛してる場合じゃないんだとおもうんよね

2023-04-25

大腸がんになった男の一人語り

経歴

27歳。国立経営学部卒業新卒食品メーカー就職

大腸がんに気がついたきっか

3ヶ月前のある日、職場エレベーターに乗っている最中ひどい貧血立ちくらみ吐き気に襲われた。昼休みだったためしばらくオフィス椅子で休んでいると20分ほどして回復した。

その日の帰りに、2ヶ月前にも一度仕事帰りに貧血立ちくらみ吐き気に襲われたことに気がついた。

色々ネットで調べていたところ、大腸がんの症状が自分に当てはまった。

自分の症状

・二週間に一度のペースで下痢気味になることがある。特に週末。

体重減少。社会人になって、一人暮らしを始めて食事がお粗末になったことがきっかけだと勝手に思い込んでいた。

お腹のはり。

・頻繁なゲップや屁。

そして先述の貧血立ちくらみである。血便はないが全ての患者に現れるわけではないそうだ。

年齢、血の繋がった家族や親戚にガン罹患者がいないことなから最初は信じられなかったが、大腸ガンについて色々調べていると日本を含む世界中で二十代や三十代の大腸ガンが脅威的なほど急増していることを知った。

対応

すぐに病院受診することも考えた。

しかし、もし進行していたらと考えたらいけなくなってしまった。病院のベッドに縛り付けられ、腹を切り開かれ、その後効くのかどうかもわからない抗がん剤抗がん剤毒物と呼んで使用禁止を呼びかける医師がいることも知った)を投与されボロボロになって死ぬ担当医は高級キャバクラで俺が死んだことを電話で聞かされ「あーそう。死んだか。はいはい。忙しいから後でね」と電話を切って再び女の子口説き始めるんだろう。

仮に進行していなかったとしても、退院後一生再発の恐怖に怯えながら生きることになる。

また病院のベッドで弱っている俺を女手一つで育ててくれた母に見せたくない。

そう考えた結果、「もうあと一瞬で死ぬ」という所まで放置することに決めた。これから段々症状の悪化や痛みに苦しむのかもしれないが、俺が耐えれば良いだけだ。

「倒れたと思ったら、すぐに死んだ」

その方が母の心の傷も悲しみも少ないかもしれない。

これからのこと

大腸ガンが発覚するまでは「これから先も毎日仕事して、彼女ができて、結婚して、子供が産まれて、あっという間に年取るんだろうなあ」なんて考えていた。しか現実は違った。俺は年を取る間もなく死ぬ

日常も将来も一気に崩壊した。とりあえずその時が来るまでは周りを心配させないように元気よく明るく生きていこうと思う。

2023-04-07

家業を継ぐということ

66歳の父、自分28歳。

実家建設業をやってて俺が生まれときにはその社長をやっていたらしい、今もやっている。

父は自宅自分中学高校ときは成績が少しでも悪いと食事のあと酒を飲んで言いたいことを言ってこちらの話を聞かない、というのが世の中の大人たちの当たり前だと思ってたし、自分自身もそうなるもんだと思っていた。

高校3年のときに塾に行かせてもらい、そこで友人や先生などと家庭の話をし、自分実家は金はあるがその他は何もないことに気付かされたとき自分実家幸せな家庭ではなかったと理解した。

しかしたら塾に行けること、友人がいること、お金があること、が世間から見たら幸せなのかもしれないが自分主観では幸せとは程遠く、家に帰れば酔った父が罵詈雑言暴力などは当たり前だった。今思えばDVに近いのかもしれない、他の家庭を知る機会がないからわからないが。

そして6年前に大学卒業させてもらう直前に、今まで上から目線しかしたことのない父が「会社を継いでくれ」と頼んできた。

人生でそんな姿を見るのは初めてで、俺が大学に行かせてもらった4年間でもしかしたら変わったのかもしれない、もしかしたら仕事と家庭は全く違うのではないか、と心がゆらぎ実家に戻ってくることにした。

だが何も変わってなかった。変わってないどころか、自宅で酔ったときにしてくる対応がほぼ同じで、ただ怒鳴られる時間が増えただけだった。

66歳の人間がたった4年間で変わるわけがない。そう実感させられた。

社会に出て6年、この間に祖母認知症悪化自分の母が面倒を見ている。父の親であり、言い方は悪いが母には全く関係がないのにだ。

そして自分仕事があるという言い訳をし、会社に出勤したことにして遊び歩いている。祖母の面倒は母に仕事を辞めさせて丸投げである

その状態で、父がガンを発症した。膵臓がんだった。

転移やその他にも転移したが、抗がん剤や手術がすべてうまく行き、また会社に復帰することになった。あのとき死んでいてくれれば、と今は切に思う。

そして今現在、ガンがまた転移して体調を崩し一人で歩けなくなりかけていて、今はその治療のための病院へ向かう道中でこれを書いている。

会社をどうするのか、今後どうする予定なのかを聞いたところ、お前には継がせる気はない。とのことだった。

はいったい今まで何をしに地元に、実家に帰って家業を継ぐための準備をしていたのか。

自分には兄が二人いる。兄たちは自分より優秀なので、きっと俺ではない二人が継いでくれることを父は信じていて、俺は予備でしかなかったのだろう。

田舎家業を継ごうと思っている人間は、気をつけたほうがいい。

2023-03-13

母さんがガンで死んだ(追記

から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟からなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。

ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。

医者から一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。

「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」

とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。

「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。

翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子

溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。

その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療検討しようということに。

母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。

程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。

実家家族帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。

副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。

「癌の専門医先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。

その道の専門医先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。

それでも、「やっぱり経験値が高い専門医先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。

細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」

とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。

あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。

ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。

改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。

これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してから状態改善しなかった。

母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。

この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。

妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャタイミングだった。

死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー東京結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。

12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。

ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。

足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。

そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。

母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。

急遽、仕事休み実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。

少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。

妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。

「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。

その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。

泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。

訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。

そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。

最後看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。

看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取り役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。

一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。

翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。

覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。

おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分祖父自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。

納棺ときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子ども写真を納めた。

短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで

葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。

夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。

翌日も葬儀火葬バタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。

母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。

それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。

その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。

母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。

当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。

そういえば、ウィッグ友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。

ウィッグ販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。

思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。

癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。

母さん、ありがとう。母さんの子どもで良かったよ。

追記

たくさんの方に、暖かな言葉いただき、恐縮しておりますありがとうございました。

私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。

野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。

母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転ドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています

経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族介護+訪問看護体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかたこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。

なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード年金手帳マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係ほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います

長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。

2023-02-13

anond:20230212221209

俺の場合配偶者じゃなくて親だったが、その経験から

ガンになったら手に取るガイドを読もう

まずは、何はなくとも「ガンになったら手に取るガイド」を呼んでください。

できたらネットで細切れに情報を探す前にここから

https://ganjoho.jp/public/qa_links/book/public/hikkei02.html

ネットでも読めるし印刷書籍も出てる。

ステージについて

ガンのステージは「おそらく」と言っていると言うことはまだ確定診断は出てないんだよね?

今の段階では冷静になって。

正直、最初は悪い方、悪い方で考えるけど、ステージを重たい側で考えても仕方が無い。切って病理解剖しないとステージは判明しない。

経済面について

増田とはいえ、全部書くことも難しいと思うから、まずは病院ソーシャルワーカー相談するのが良いと思う。拠点病院なら必ずいる。

例えば、旦那さんが加盟している健保で使える制度がないかどうかを確認してみて。企業健保組合とかだとかなり手厚い保険があったりするようだよ。

仕事について

そんなに急ぐ必要はないと思うが、以前、多少でもエンジニアなど専門的な職業に就いていた経験があるなら、ハローワークではなく、転職エージェントを使ってみて。

同じ業界、同じ業種、同じ仕事を探す方が良いと思う。もちろん業界によるんだけども。

やっちゃいけないのは「時間が無いから何でもよいので働こう」ってやること。とにかく無茶苦茶落ちまくるので精神的に消耗するし、ろくに内定も出ない。

妥協する方向は、同じ業界、同じ業種、同じ仕事だけど、とりあえず派遣社員、とりあえず給与減、とかそう言う方向で妥協すること。

直腸ガンについて

俺の親父も直腸ガンだったんだが、あるときから非常に良く利く抗がん剤療法が使われるようになって、かなり生存率が上がっている。

だけど、それは副作用との戦いになるけれど、体調のコンディションはしっかり支えてあげてほしい。

ムダ毛が嫌いすぎて生えてこなくなる薬あったらのんじゃうとおもったけどアレだ抗がん剤

「全身の毛がぬけるんですか!?陰毛!?やったーまん珈琲ライター!」

とか口走って入院させられないように気を付けよう

2023-01-11

高齢者の根治もしない癌を1回何十万もする抗がん剤を月に何回も使って余命を1、2年伸ばしたところで何の意味があるんだろうな。

しかほとんど健康保険から金が出てるし。

75歳以上の癌治療は自費でもいい気がする。

2022-11-04

治療開始

なんとなく仕事が手につかない様なそんな感じ、自分抗がん剤やるわけじゃないのにな。

後、仕組み知らないしあれだけど、匿名だけあって前記事見ろとか言っても見れないんだね。

心配してLINEしたけど、なんか普通な感じ、なんて言うか普通に親父抗がん剤の点滴してるぜ!って呑気に実況してた。

なんなんだこれは、元気かよ……。

ポツっと送られてきた「自覚症状なんもないのになんで抗がん剤副作用と戦わなきゃなんだろ」が割とグサッときた。

なんでなんだろうな。

2022-11-03

んで、昨日入院だった

今更だけど、一人称コロコロ変わるのは直感で使ってるから

リアルでは普通なので、そこはもう目を瞑ってくれ。

普段起きれない時間に起きれたのなんなんだよ、クソ笑ったわ。

行きは親父が運転してた。

がんセンターに行ったけど、親父若すぎじゃねえ?なんで親父が末期なんだよ意味わかんねえよ。

受付してる時にビビったのはこの間母親実家に行かなきゃ見たいな話してたのは聞いたけど、それが入院連帯保証人とは思わなかったわ。

叔父もガンやってるんだよね、切れないがんとは言ったらしいから多分察してんだろうな。

とんでもねえくらいの癌家系からわたしガン保険入ってる。母親がまだなのが不謹慎だが謎。

そんなこんなで手続き済ませたら入院準備。

午後から先生説明からそれまで一緒に居られるもんかと思ったら説明まで会えませんだってよ。

おいおいおい、3時間くらいだろ?最後に飯くらいいいだろ?良くねえのか。

とりあえず母親引っ張って神頼みでもしに行こうって誘ったけどそんな柄じゃないからってのと、雨降ってたんでやめて飯食って母親がん保険見直して終わり。

病院に戻ったら時間ギリギリだったけど、主治医もっと遅れてきてた。おいこら、時間を守れ。

親父が居たから少し話してたら看護師に怒られてしまった。

俺の声、よく通るからな……。

通らない他の患者とかは話したりしてんのにね。

わたしのせいなのか、担当看護師がきついのか……。

んで、説明聞いたけど、転移が数えらんないくらいしてて頭真っ白。

完治は難しいとかさ、余命宣告まではなかったけど、まあ免疫療法なかった頃は余命1年らしくて笑っちゃった。

あと100年生きろ。

それでも、話を聞こうとか、この状態なのに仕事復帰したいって望む父親に1番いい方法診断書書いてくれとかは言えた。

わたしがやれることはやった。

あとは、知り合いの医療従事者が、状況が分かったら教えろって言ってたから伝えたら、退院後の説明された。はえーよばかwwwwwwwwwwありがとな。

明日から抗がん剤免疫療法が始まるらしい。

辛いのは親父だから俺が弱音吐いてる場合じゃねえけど、こんな身近な人間がこうなったのは辛い。

絶対評価のしんどさなわたしは何も言えないけど、幸い相対評価でしんどさを分かってくれる友人が沢山いる。

昨日も母親を1人にしたのは申し訳ないが、友人宅に泊まらせて貰って弱音グダグダ言える場所借りれたし。

しばらく家出先にさせてくれるらしい。実家暮らしなのにありがとな……。

明日親父から連絡来て何かかわりがあったらまた更新するかもしれねえ。

弱る父親を見たくねえな……

2022-08-17

多毛剛毛あるある言いたい

髪多毛剛毛あるある言う。

しょうがないので質量を減らすべくショートカットにすると広がる

しょうがないので梳くと広がる

・結局レイヤーは長く伸ばしてからしか無理

・頭が重い。濡れるとずっしり

ハゲと同じくらい悩んでるが気にしてもらえない

・多毛くせ毛芸能人検索して勇気をもらう

美容師申し訳がないくらい人より時間かかってる

美容師がいじってくる

美容師ドライヤー二本使いになる

美容師ドライヤー二人がかりになる

・乾かすの大変でしょーってドライヤーで汗だくの美容師が言ってくる

申し訳ない

美容師に多毛剛毛あるあるを求められる

美容師は多毛剛毛あるあるを求めていなくてもサービス精神で言ってしま

別に言いたくない

カット後の床を見るのが恐怖。美容師「見てくださいこれ!(興奮)」つらい

美容室行きたくない

・結局貞子ヘアが一番落ち着く

乾燥やす

・トリートメント多分人よりめっちゃ使う

美容室のトリートメント通常の人より多めにつけてください頼みます追加料金払います

サラサラになるが売り文句ヘアケア商品全部だめ

・傷みにくい気がする。強い

ディープダメージリートメントが一番しっくりくる。重さ重視

・洗うの大変、蒸れやすい、結果頭皮トラブルが起きやす

・夏まじしんどい。人間に夏毛がないのが不思議

シリコンゴムがはち切れる

・ヘアゴム駄目になりやす

youtubeのヘアアレンジ全部だめ

ストパーカラー剤などでダメージを与えて髪を柔くする方法をとる。バージン毛で頑張ってる人はさっさと染めろ

・縮毛矯正めっちゃ

・縮毛矯正すると剛毛が増す

・縮毛矯正でヘアアレンジすると飛び出した毛が針金のように凶器になる

ケープスーパーハードタイプ基本

・でもすぐ意味がない気がする。ワックス意味ない

・巻いても巻き切れない。パーマも落ちやす

・重めのどろっどろのヘアオイルやヘアバームを愛用している

タオルドライ時間が長い

ドライヤー暑すぎる

・髪 早く乾く方法 検索 を永遠に続けてきた

ショートカットだと毛が針金のようになっている気がする

・猫毛にあこがれる。それを猫毛に言うと怒られる

シャンプー泡立てるの大変だしまず指が頭皮に届かないし

ハゲになれたらどれだけ楽だろうかと夢見る

・親も剛毛、親戚も剛毛、抗がん剤でもわりと全ハゲにならない

・なんか指に毛が刺さってる時がある

流行りのヘアクリップは壊れる

・太いヘアゴムは味方

・いわゆるひっつめ髪でボリューム普通になる

・結局貞子で結んでるのが一番マシ

・でも貞子はほどよく顔が見えるくらいの毛量

・貞子にあこがれる

2022-08-05

anond:20220805195226

仏教キリスト教イスラム教もあわせて30分くらいしか生涯で勉強してなさそうで草

■お前も無神論者にならないか?【ガチ勧誘

俺はホンマモン無神論者なんだが。お前も無神論者にならないか

無神論者になろう杏寿郎。

言っとくがそのへんの自称無神論者と違って俺はホンモノだぞ。

科学説明できない現象はすべて信じていない。物理的に観測できない現象は信じない。

俺は神を信じていないし、神だけでなく幽霊精霊も信じていないし、言霊オーラ運命あの世地獄も何もかも信じていない。

から俺は誰にもバレないことが確定しているなら祖父の墓に小便をひっかけることも躊躇わない(なかなか確定しないので、やったことはない)

俺は神社には行かないし、友達付き合いで行ったとしても手を合わせながら「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」みたいな不謹慎なことを考えてる。

家族づきあい仏壇に手を合わせるときも「そそそそそそそ尊師~」って脳内で歌ってる。

俺はガチ無神論者なんだわ。

お前も無神論者にならないか

お前もそろそろわかってきだろ?世の中の宗教ってのは全部、全て、例外なく、本質的統一教会オウム真理教と同じなんだよ。

そりゃ悪質さでオウム統一教会に勝てる宗教はなかなか無いかもしれんが、程度が違うだけでどの宗教もやってることは同じなんだよ。

ちょっと考えてみてほしいんだが、オウム統一教会みたいな悪質カルト規制するとして、どこに線を引くんだ?

家庭崩壊するまで献金させる団体規制すべきなのか?じゃあ崩壊一歩手前までなら良いのか?崩壊しないように加減して徴収すればいいのか?信者1万人のうち1人だけ加減を間違えて崩壊してしまったらその団体規制すべきなのか?10人だったら?100人だったら?信者が完全に自分意思献金した結果として家庭が崩壊したらどうだ?本人の意思だったら規制されるべきなのか?本人の意思かどうかはどうやって決めるんだ?崩壊するかどうかに関わらず献金自体規制すべきなのか?大体の宗教喜捨を良い行いと捉えているが?信者との金のやり取りなしで成り立っている宗教団体はおそらく存在しないが?新興の宗教はすべて規制すべきなのか?伝統があったらいいのか?オウムみたいにテロを起こしたらダメなのか?じゃあイスラム規制するべきなのか?キリスト教規制したほうがいいのか?テロじゃないにしても統一教会みたいにひっそりと国を蝕むのはいいのか?蝕まない程度で国政に代表者を送るのは?国会議員干渉せずに社会運動をするのは?社会運動なら良いとして、なんで国会干渉するのはダメ社会運動はいいんだ?壺を売ったらダメなのか?じゃあおみくじはいいのか?神社がお祓いをするのはいいのか?お祓いは1回いくらまでだったらセーフなんだ?1万か?10万か?信者が不幸になるなら規制すべきなのか?イスラム教徒はそうでない人から見たら不幸に見えることもあるが規制するべきなのか?ヘッドギアを付けるのはダメか?なら滝行ならいいのか?断食は?

な、難しいだろ?

どこからNGでどこからOKというラインを決めるのは、無理じゃないかもしれないが、どうしても「どこかに線を引かなきゃいけないから無理やり決めて思い切って引いた感」が出るだろ?合理的ラインを決めるのは難しいよな?

なんで難しいか教えてやろうか?

あらゆる宗教本質的に同じだからだよ。

あらゆる宗教本質的に同じことをやっていて、あらゆる宗教本質的に悪質なんだけど、その中でも特別に悪質度が高いのが統一教会オウム真理教だったってだけなんだよ。

この世には悪質度が1しか無い近所のお寺から悪質度100のオウム統一教会までが存在していて、1から100の間のどこにラインを引けばいいか規制する側の好みの問題なんだよ。10規制したがる奴もいれば90まで許す奴もいる。

あらゆる宗教は地続きになってるんだよ。

俺は別に近所の寺まで規制するべきだとは思わないし、仮に統一教会であっても宗教弾圧絶対にするべきではないと思ってるが、それと同時に俺は絶対宗教を信じないし神を信じないし霊や地獄のような超越的な存在を信じない。

なんで宗教本質的に悪質なのかわかるか?

神や霊や地獄オーラのような本当は存在しないもの存在していると主張しているからだよ。

要するに嘘をついてるんだわ。

嘘をついてるから何をやっても悪質性がつきまとうわけ。

例えば、飲むとガンが治るとされる麻原尊師血液10万で売るのは悪質な霊感商法だけど、飲むとガンが治る抗がん剤10万で売るのは善行だろ?

前者と後者の差は、嘘をついてるかついていないかしかないんだよ。

献金霊感商法はいくら金を積んでも効果が無いか問題なのであって、仮に本当に金額に見合った効果があるならなんの問題もないだろ?

効果がないもの効果があると主張したり、存在しないもの存在すると主張していたりするから問題になるんだよ。

統一協会否定するためには、神や霊のような超越的存在や、オーラ波動神通力のような超越的な現象の全てを例外なく否定しないといけないんだよ。

おみくじを買うことと、仏壇でご先祖様に近況を報告することと、墓にしょんべんをかけないことと、占いを信じることは、全て統一教会問題と地続きなんだよ。

悪質度が0.1しか無いおみくじだって1000枚買って10万払えば悪質度100の統一教会10献金したのと実質変わらないんだよ。程度が違うだけで悪質なのは変わらないんだよ。

からお前がダブスタ抜きで悪質カルト否定したいなら俺のような完全無神論者になるしかないんだわ。

俺は大学実験物理学寄りの研究をやっていたことがあって、極めて微弱で繊細な物理現象観測できる巨大な装置をいろいろ使ったこともあったけど、神や霊や神通力なんてのは物理的に観測できないし再現もできないんだわ。

神がいる、いない、みたいな青臭い議論を今更したくはないけど、どう考えたって神なんて居ないし超越的な現象なんて存在しないんですよ。

それでも超越的存在現象を信じたいなら東海道新幹線火災事件ウィキペディア読んでみろよ。

新幹線内で焼身自殺した男の巻き添えで女性が死んでしまった事件な。

「巻き添えとなったとみられる乗客横浜市青葉区在住の52歳女性が、1号車後方のデッキで倒れ死亡しているのが発見された。司法解剖の結果、女性の死因は気道熱傷による窒息死と判明した[7]。女性は、伊勢神宮へこれまでの平穏無事のお礼参りに向かっている最中だった」

かわいそすぎるだろ。

なんで尊師マーチを心のなかで歌いながらお伊勢参りした俺みたいなカスが元気ピンピンで、この女性のような人がこんなに酷い死に方をするんだよ。

教えはどうなってんだ教えは。

一応言っておくけど、俺は無神論者でありながらも宗教弾圧絶対にされるべきではないと思っているし、市民を守るためのカルト規制も慎重にするべきだと思ってるんだよ。信仰を大切にしている人に心無い言葉をかけるようなこともあってはならない。

思想はどのようなものであれ絶対弾圧してはいけないし、思想の一形態である信仰弾圧してはいけない。

でも、公権力宗教弾圧してはいけないのと、俺やお前が無神論を貫くのは、両立するだろ?

賢いお前なら神や霊を信じることのばかばかしさを理解してくれるはずだ。

お前もわかってきただろ?伊勢神宮も、近所の寺も、家の仏壇も、土産屋のパワーストーンも、おみくじも、天皇の御稜威も、占いも、全部統一教会オウム真理教と同じなんだよ。神なんて居ないし、その他の超越的な存在も居ない。超越的なパワーも存在しない。この世界物質とその運動で出来ている。

やはりお前は無神論者になれ杏寿郎

2022-08-04

父になにをプレゼントすれば良いか

末期癌で抗がん剤治療をしても年は越せないと言われていた

副作用が辛すぎて抗がん剤は諦めることにしたらしい

余命はよくわからないけどあと2か月あるのかな・・・

コロナのせいで帰ってくるなと言われていてせめてプレゼントを贈りたい

父はもう1日寝たきりの状態電話で話すこともできない

なにを贈れば良いだろう

2022-07-16

母親が死にそう

末期がんで抗がん剤効かなくなってきた

さすがにつらい

2022-07-13

anond:20220712225602

同じ女性生理理解しあえないのは当たり前だと思うんだわ

というか、女性同士なら理解し合えるはずというのがおかしいと思うんだわ

同じ病気、例えばがんや難病患者でも症状や治療内容、治療経過、保険かけてたか、支えてくれる人はいたか等々で全く見えてるもの感じるものが違って話にならないので患者会みたいなの避けること割とあるんだよね。

自分抗がん剤副作用めちゃくちゃしんどかったけど全然しんどくなかった人の「俺はしんどくなかった」話でうるせえ殺すぞって気持ちになったし。

どうしても当事者だと自分のケースと比較ちゃうもんなんだよ。色んなタイプがあると知ってはいても自分のケースを基準に考えちゃうからさ。

から当事者でない人のほうがいろんなケースがあることを理解やすいと思う。

2022-06-16

フリーライドなのはどっちなのか

転職して今の会社に入り、数年で結婚して産休とって育休とって少し前に復帰した。

私が今の会社に入って3ヶ月くらい後に同じく中途で入ったAさんがいる。

Aさんは年齢も一つしか違わないし部署は違うが入社時期も近いし業務上関わることもままあってそれなりに仲良くしていた。

私が復帰したときに久しぶりで大変でしょう、とお菓子差し入れてくれた。

スーパーで売ってるようなお菓子ではなくきれいな包みのもので、その日復帰する私のために用意してくれたのだろうというのが分かり、Aさんの気遣いに嬉しくなったしAさんはそういう気が利く人だった。

私の休業中にDXだと社長が張り切ったようで色々システムなど変わっていたりしたものの、わかりやす作業手順が用意されていたりして勘を取り戻しながら仕事には慣れていった。

復帰後もAさんとはお昼が一緒になったときには子どもの話や旦那愚痴を聞いてもらったりしていた。まぁ我が子可愛いけど疲れれば愚痴は出る。よそは知らんがうちの旦那は割と主体的家事もやる方だと思うけど。

少し前に上司との面談時に育休明けで困っていることはないかと聞かれ、社長張り切りDXのおかげでシステムが変わって狼狽えたものの今のところ大きなトラブルはないし、

他の部分でも慣れればワークフローもわかりやすくなってて便利になりましたよね~なんていう話をしたら

私が休業中にDX的なことに社長が張り切ったが当然ながら導入や実務を社長はやらないのでそのあたりをAさんが整理してパソコンに疎い現場のおじさまたち含めいろんな人が使えるようにしていたらしい。

そこまで大きな会社ではないので割と本社人間は何でも屋になりがちなのだがAさんは社内の軽易なシステム周りから福利厚生や規程の見直し広報誌の見直しも色々していて

どれも端的に言って「色んな人が見やすい、使いやすい」を心がけているのが感じられた。

育休制度も法定通りだったものが私が休業中に法定以上の内容になったのだが、それもAさんの発案で進めてくれていたらしい。

しかもAさんは私が休業中に癌の手術をして抗がん剤治療中も在宅で仕事をし、そこから復帰してまた出社して仕事をしているという状況だった。

知らないところでAさんが大活躍していた。

Aさんは未婚で子どももいない。目鼻立ちも良く細身なきれいな人で入社すぐに他部署パート女性たちからも話しかけられていて美人は社交の輪がすぐ広がるんだな、と改めて感じたものだった。

恋愛彼氏の話もあまりいたことがない。推してるアイドルの話を聞いたりはしていたが推しいるか結婚はいらないというタイプでもなさそうだった。

そのAさんと先日お昼が一緒になったとき、ふと見ると指輪をしていた。ピアスはいつもしていたが指輪は珍しかったのでもしや、と思い「Aさんその指輪彼氏とか?」と聞いたら「彼氏じゃないですよ」と言った後

こっそりと「増田さんにならいいかな、彼女なんです。女の子なんです、パートナーは。」と言われた。「あまり周囲に言ってないので内緒にしてくださいね。」と言われた。


驚いてしまったがそうだったのかと思いつつ、打ち明けてくれる程度にAさんから信頼を得ていたことの嬉しさもあった。

しかしその嬉しさのあとにじわじわと今まで彼女異性愛であるものとして接していたこと、

結婚出産育休取得と彼女が利用することが難しい制度に乗っかりながらその愚痴を言っていたことが途端に恥ずかしくて申し訳なくなってしまった。

謝ったところで彼女本音はどうあれ「気にしてないですよ」しか言えないだろうし、自己満足にすぎないので何も言えない。

思えば産休や育休の制度の拡充をしてくれて、社内報や社内文書フォントユニバーサルデザインフォント統一したり、ハラスメント防止の指針やポスター作成も、

私以上に多様性理解がないであろう現場おっさんたちにも分かるように手順書をつくったり、他にもいろいろ・・・そういう仕事の一つひとつ

彼女マイノリティからこそ見て見ぬふりできなかった部分があったんだろうと思えて、彼女が取り組むまでそうしたもの存在にも気づけなかった自分の図太く無神経な思考に打ちひしがれた。

Aさんは抗がん剤をした後、まだ薬も飲んでいるか生理がないと言っていた。はっきり言えば子どもが産めない体ということだと思う。

正直少し前まで子どもを産んでない人は子持ち(=未来納税者)にフリーライドしていると少し思っていたくらいだ。

育休取りやすくしてくれてるのも、休業から復帰しやすくしてくれてたのも、その他諸々働きやすくしてくれていたのはAさんだった。

気持ちよく会話してお昼ごはん食べれたのもAさんが黙ってニコニコと私の話を聞いてくれていたからだった。

ちなみに私が休業中に私の仕事を回してくれていたのは子どものいない男性上司だった。

私のようなマジョリティのための既存制度と、子どものいない人やマイノリティ我慢努力マジョリティである自分フリーライドしている事実を、社内でAさんの活躍を聞くたびに突きつけられる。

自分はAさんのために何ができるんだろうと考えている。

2022-06-10

anond:20220609205639

インスタで自分しかいない鍵アカウントつくって毎日自撮り投稿して加齢の様子や髪の変化を記録してる。

もとは抗がん剤後の髪の生え具合を記録したくて始めたけどなかなか楽しいなと思って3年くらいやってる。見返すと楽しい

別でアカウントつくって植えたミニトマトの成長記録とかの定点観測もやってる。

2022-05-31

anond:20220531040000

歯科医いまいち予後をしらんやつばっかなんよ

水銀アマルガム→やはり少しずつ血液などで溶け出して有機物と反応するのか、ごく軽度の水俣病みたく体が弱くなるケースがある

チタンインプラント金属アレルギー体質の人がやると血液難病を引き起こすケースがある、一生抗がん剤を飲みダルい副作用に耐えることになる

この二つをするくらいなら樹脂つめもの入れ歯のほうが1000倍まし

しか子供のうちにフッ素コーティングをしていたり大人になっても緑茶多飲したりする人は全然虫歯には」ならない

でも歯は失う、なぜか。歯槽膿漏ストレスも多いからね。

でも歯槽膿漏は突然くる(巌窟王が一晩で総白髪になったという伝説のようなもの)し

虫歯のように日ごろからでも予防はできないので歯科医の検診なんて付加価値がなけりゃいかなくていいとおもってる。

最近、この国の「普通税」が高すぎるんだけど全員生活保護してくれるのかなぁ。

もっとブラック企業どうにかして余暇とかワークシェアとかさせないと、たくさんいる無職層には無茶の上乗せにしかならなくねえか。

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