この独裁の岐路というのは、「独裁か非独裁か」という選択肢ではなく、「右の独裁か左の独裁か」というものだ。
両者とも意図的な独裁を求めているわけではない。現状の戦いは経済の自由を強く押し出す右サイドと、それに反発して同じくらい社会的公正を強く押し出す左サイドの戦いであり、互いに問題があるというのが独裁たる所以だ。
右サイドが強く押し出す「経済の自由」の理想は、とにかく自由に経済活動をやらせることで圧倒的な利益を生み、自由にやらせることで高速で社会に循環させることで国を富ませるというものだ。
しかし、少なくとも現在の日本や韓国では万人に与えられるべき経済的自由が経済的勝者によって独占されているが、それも自由な競争下に起こったことであるために放置されて逆に自由というものが行き渡らずに経済進歩や技術進歩が停滞し、格差が拡大しているのが現状だ。
意図的な独裁と言うより、システムエラー、メンテナンス不足で独裁に突っ走っている感じである。
対する左サイドがはこの自由の再分配がうまく行っていない状況を打破すべく社会的公正を訴えている。資本主義であれ社会主義であれ、社会システムが公正でなければ停滞するためだ。
しかし、現在の左派は哲学的アプローチや定義の不足、イデオロギーの曖昧さ、メディアの質の低さなどの様々な複合要因により、「なんらかの正義の名のもとに敵対者の人権を奪う」という勢力が力をつけている。
これは世界的にこの傾向があり、大いに問題があり、対処すべき人物であるとは言え、トランプ氏をあらゆるサービスから締め出すなど、明らかに人権意識に欠ける安易な対処方法を選択しており、非常にヒステリックになっている。
正義感を原動力に活動する集団が権力を得るとほぼ間違いなく独裁者になる。「正義」とは絶対的なものであるため、事情を鑑みず、他者を認めない一方通行な部分があるためだ。
そして大変残念なことに、日本においてこの先の選択肢は今の所この2つの独裁しか無い。
一応現状に合っている選択は左派ではあるが、左派の政治家、活動家、思想家の質が右派に比べて著しく低くて品位に欠ける現状も暗澹たる気持ちになる。
ほんとどうしたらいいんだろうね~。
ヤブの切れ間なんかを道だと勘違いして遭難するのはよくあるパターンだと聞く