はてなキーワード: 幹部とは
みんなが夜寝る前に自分だけのオリジナルアニメをOPから再生して1話くらい再生して寝るアレの一種だけど
ざっくりあらすじを言うと
宇宙はこの宇宙1つだけじゃなくて有限だけど無数の宇宙が存在する。
そのすべての宇宙を内包した世界(オムにバース)がこれまた有限だけど無限に近い時の果てにすべてが崩壊することが分かった。
主人公は全ての宇宙崩壊を救うために多世界を移動して特殊な波動係数を観測していくことで
主人公グループの本拠地はオムニバース崩壊の未来を一番最初に解析した宇宙で
そこにはバックアップメンバーたちが主人公のサポートをしている。
ここから武器の転送や主人公の肉体を転移させたりアップグレードしている。
主人公は元科学者で人間なんだけど肉体は半機械半生命体のサイボーグ化している。
永久機関で作る電力・熱量か摂取した有機物(ATPに使えるならグルコース以外でも可能)と酸素で活動可能だが蓄積している内部電力には限りがある。
ラッシュを出すことができるが無酸素運動をしているのと同じで電力補充まで肉体が疲労する。
肉体の構成は人工筋肉と硬度の低いガラス状の結晶構造体でできていてある程度の物理エネルギーに耐えられるが破損個所の修復には電力を必要とする。
超科学の産物で万全の状態なら知能と肉体は人類の常識を超えている。
なんだけど、転送先の宇宙の物理法則や転送速度によっていつも最低限の能力しか与えられずに送り込まれる。
いくら崩壊までに無限の時間があるからといっても無限に近い宇宙をまわりきるから転送に時間をかけられない。
旅先で苦戦したりトラブルに見舞われたり、現地で武器や知識を吸収する必要がある。
一見冷たく見えるが口数や感情の起伏ができないだけで、根はやさしい。
感情がないのかと揶揄されると若干怒りを交えた口調で反論する。
でも目的の邪魔になる人間には容赦しないから警察官も場合によっては撃ち殺す。
フルアップデートされた際に敵はなく、全身から炎のような粒子の残像が立ち上るバースト状態になる。
この時初めて主人公の知力・体力・破壊力のみならず全人格が開放され軽くヤンキーの入った言動と人格になる。
元々は粗暴な人間だったようだ。
敵は、逆にオムニバースそのものを終わらせるために主人公たちを追跡・妨害する集団。
この戦いは永遠に続くか終焉を迎えるかの終わりなき戦いとなっていく。
敵集団は特殊波動係数がどこにあるのか探知する能力はないから主人公の現在地を追跡してくる。
で、連載初期からの懸念だったんだけど多世界を渡り歩くってことは基本一期一会なわけ。
せっかく人気キャラができても世界移動すると関係性が切れてしまうのよね。
別れを儚く見せることで感動を得られるところもあるから一長一短。
もちろん多世界に同じ登場人物をスター形式で出してもいいんだけど、
少年ジャンプで連載させたいが今のジャンプ読者に硬派SFについていけるのかどうか疑問。
なので何かを動かしたり助けたり、下手したら1万年くらい同じ宇宙に滞在しないといけない。
時には普通の人間と同じように住居に住み、働き、現地の人間と関係を持つ必要も出てくる。
あるときは政治家、あるときはパン屋、あるときは家庭教師…様々な主人公を描けるのが良いところ。
戦闘シーンでは4ページみっちりと戦ってもらう!
格闘戦や銃撃戦、剣を使った攻防やカーチェイス。
男の子が見たいシーンを盛りだくさん。
スカした異世界モノ主人公みたいにチート使って勝つことは絶対に許さん。
状況に応じて戦闘に必要なアップグレードを行うけど裏目に出たり、役に立たなかったり、絶体絶命になってもらう!
具体的にいうと仮面ライダークウガくらい毎回ボロボロになってもらう。
けどメンタルだけは絶対に最後まで折れないというのが主人公のブレないアイデンティティなので読者は安心して読める。
敵キャラに自分の元いた宇宙で死んだ恋人と同じ魂を持つ女幹部がいる。
敵でも味方でもない強さのみを求めた求道者がいて敵の宗教とはまた違ったクソめんどくさい宗教理由で襲ってきたリ共闘したりする。
こいつはサーボーグで骸骨顔なのにラーメンが大好物で武器は超伸びる剣とマント(ポンチョに近い)のみ。
結末は「これからも俺たちの戦いは続く!」でもいいし、
神と相対するシーンを描けるくらい実力があれば描いてもいいし、
この作品のいいところは長期連載になっても読者が昔の話を知らなくてもついていけるところだよね。
ワンピースとか仲間作りまくってそれぞれの過去と掘り下げとかしなきゃいけないもん。
でも俺の漫画は別の宇宙に入ったところで他の世界との関係性は切れるから
魔法ファンタジーものにしたければ魔法の世界に転移させればいいし、なんでもあり。
問題は俺にこれを描けるだけの才能がないってことだ。
追記:
現地で学び成長する分には転送速度に左右されない。
特に習って欲しいのは格闘術。
痴漢被害に遭ったことのあるひと、遭うことを恐れるひとなら男女問わず乗れる、というのなら理解する。結果として乗り込むひとの大半が女性になったとしても、それは差別ではないと思う。
ちょっと前まで貧困者だったひとでも、安定して高収入を得られるようになったら貧困層専用住宅の入居資格を失う。逆にちょっと前まで裕福な暮らしをしていたひとも、文無しになったら入居権を得る。だからそれは差別ではない。
「○○病に罹患した患者」を相手にして特別な措置を執ることは、その特別な措置が「○○病」の治療にとって必要なことだと証明されており、その措置が○○病の患者のみに対して行われるなら、差別ではない。
でも、「女性専用車両」は違う。男性でも痴漢の被害に遭うひとは(女性と比べて圧倒的少数であるにせよ)存在し、ごくごく稀ではあるが女性の性犯罪者も存在する以上、「女性のみに対してアクセスの許可を与える車両」は、それらと同列に扱うことは難しいと思う。
現状、都市部で電車通勤・通学をする女性のかなりの割合が被害に遭っていて、その加害者がかなり高い確率で男性なのは事実だけど、それは「男性を排除する」正当な理由たりえるか? というと違うような。
それが差別化差別じゃないかは難しいから分からないけど、そういう風に考えたら男性側からしても不快感がやや減るってことは無い?
私は不快だから女性専用車両に反対してるわけじゃない。個人的には、あれだけ痴漢が多発していたら女性専用車両みたいなのは必要だよな、そこが唯一のシェルターっていうひともいるんだろうな、気の毒だな、って思う。怖がる女性はどんどん乗ればいいとも感じる。女性専用車両に不快感は特に感じない。私はあまり端っこの車両使わないというのもあるし。
「差別だけど今はこれしかやり方がないんです」って言われたら納得する。でも「差別じゃない」は納得できない。
だってこれが差別じゃないってことになったら、「○○人は犯罪率が高いからうちの近所に引っ越してこないでほしい」が通ってしまう。「ゲイは部屋を汚すことが多いから男性2人でのラブホテルご利用はお断り」も通ってしまう。「女性は結婚や出産を機に退社する可能性があるので幹部候補にはしません」という理屈に正当性があることになってしまう。
もちろん、それらの例と違って、ここで排除されている男性は女性より社会的権力を持っている。だから一緒にはできない、というのはその通りかもしれない。でも、形式としてはおんなじだ。生得的な条件によって定義されるある集団に好ましくない者がいるから、その集団の成員をまとめて排除してよい、という理屈はおなじだ。それは差別的発想だ。それに基づいて公共の空間への出入りを制限しようとするのは差別だ。
繰り返すけど、だから女性専用車両なんて廃止しろ、とは微塵も思ってない。これは差別だよね、と言ってるだけ。でもこの程度のことに差別じゃないって猛反発が飛んでくるのは本当に不可解。
そこを共有できないなら、これは差別です、という原理原則論を繰り返すしかなくなるし、これを差別だと周知しようという団体が出てくることも当然だと思う(当然、啓蒙も目的のひとつである以上、利用者に向けて示威行動をすることも正当な抗議行動の範疇ということになる。ストで電車が止まって利用者に迷惑かけるのと同じ)。
30代の中核社員が辞めることになったので求人サイトに想定年収400(未経験)〜600(経験者)で管理者クラスの人が来たらいいなぁと募集かけた。
応募してきた人はほとんど業界未経験者。管理者クラスになれそうな人は1人だけ。あと応募者の現在年収が見れるんだけど、20代後半から30代前半の人はだいたい男性は250万〜300万、女性は200万〜250万が中央値。自己申告制なので精度は不明。
半数が派遣社員で、そういう人は150〜200万って人もざら。もちろんフルタイム従事。首都圏でさえこれ。
上記のイケてる1名だけは今は800万貰ってるけど激務過ぎるから年収下げてでも定時に帰れる職に就きたいってことだった。
SESで無能なSEが売り買いされてるって話は確かに問題だけど、アホみたいに安い待遇で働かせてる人を拾い上げて、社員にはよその会社でただ椅子に座ってるだけ。(もちろんやる気があるなら自分で勉強なりお客さんと会話するなりしてのし上がれる環境も用意できてる。だから1人辞めた)。それで会社には50万以上の売り上げが立つ、従業員には年収400万あげられる。もうウィンウィンでしょ。
てかどんだけサービス業とか派遣で稼いでる会社はアコギなんだよ。もっと給料上げてやれよ。
※一応補足しておくと、400万の年収があげられるのはもっと売り上げ立ててるプロフェッショナル幹部がいるからってのを付け加えておく。この人辞めたらうちの会社は廃業かな。残念ながら今の従業員の給与体系では年600万で頭打ちにしてるから
経営とか●●企画とか事業推進とか課題解決とかに携わる人が転職だったりキャリアアップを考えるときに直面する問題。
今、検討しているポジションの特徴を整理すると以下のような感じ。
年収:大
退社時間:21時~22時
退社時間:19時ごろ
通勤時間:45分
コンサルファームは成果を出せば昇格するので、ひとつ昇格すれば+100万とか。
ふたつくらい昇格したら年収1,000万も。
事業企画の方は、大手グループの子会社で、福利厚生はバッチリ。残業も少ない。
しかし、どんな給与テーブルになっていて、どうなったらどう昇給するかは不明。
もしかしらポストが埋まっていて、空かない限り昇給しないかも。
要はバリバリ働いてジャンジャン稼ぐか、ワークライフバランスを整えて働くか。
かなり難しい選択。
しかし、あと30年位働くことを考えると、果たしてどうなのか。
成果を出したら給与は増えるのか。
などなど、考えればキリがない。。。
きちんと成果が出せるのか。
一生勤められるのか。
正直、一生勤められるイメージはない。
そうなると、数年後にもう一回転職をすることになる可能性は大きい。
ただ、数年しっかり勤めて成果を出せれば、その先の選択肢はあると思う。
直近のワークライフバランスは望むべくもないが・・・
非常に難しい判断。
今、世の中を動かしている60代70代の企業幹部や政治家が動かないと変わらないだろうと、思う。
なにか、マスコミ報道などで、大々的に取り上げられない限り、変わらないだろうと、思う。週刊誌やワイドショーは、何をやっているのだろうか?
大きな企業で女性管理職が、増えてCMや広報の決裁権を持つようになったら、世の中も変わるんだろうか。
ゴディバのチョコの新聞広告よろしく、日本経済新聞に意見広告を載せるぐらいでないと、世の中変わらないのではないかと、思ってしまった。。
これまで、御堂筋事件という言葉は目に入っていて調べてなかった。
恐怖な話だ。作り話であって欲しいような展開。
https://anond.hatelabo.jp/20180214155553が文字数制限?に引っかかってしまったのか途中で切れたので続きです。
「003: アメリカ政府より強力」~「005:ジェダイのマインドトリック」の前まで
続きはhttps://anond.hatelabo.jp/20180214161344
巨大テクノロジーに屈服してしまったのは連邦政府だけではない。アマゾンの第二本部への入札の一貫として、州とシカゴ市の役人はアマゾンに13億ドルの給与税を免除し、そのお金をアマゾンが適切と考えるやり方で使えるようにすることを提案した。すばらしい。シカゴは徴税権をアマゾンに渡してしまい、シアトルの企業がシカゴの住民に最適な方法でお金を使用してくれることを期待しているわけだ。
政府の服従はそれからひどくなるばかりだ。もしあなたがアイスキャンディーを作って子どもたちに売ろうと思えば、高額な食品医薬品局のテストを無数に受け、また原料・カロリー・糖分を表示した完璧なラベルをつけなければならない。しかし、インスタグラムのユーザー同意書にどんな注意書きが書いてあるだろう。我々はソーシャルメディアのプラットフォームがティーンエイジャーの抑うつ状況を悪化させていることを示す大量の研究の存在を知っている。自分自身に問いかけてみよう。もしアイスクリームが子どもたちを自殺させやすくしているとしたら、我々はドレイヤーズのCEOがシリコンバレーのディナーで大統領の隣に座るのを肩をすくめるだけで見過ごすだろうか。
こうしたソーシャルメディアのプロダクトがタバコと同様の中毒媒介システムであることを信じない人は、7才の子供からiPadを取り上げようとして、自分の殺人計画を告げるような視線で見られるといった経験がないのだろう。この手のプラットフォームの中毒性を信じないなら、どうしてアメリカのティーンエイジャーが一日平均5時間インターネットにつながったスクリーンに張り付いているのか、その理由を自分で考えてみればいい。ソーシャルメディアが与えてくれる様々なご褒美のせいで、我々はまるでスロットマシーンの前にいるように自分の通知をチェックさせられ続ける。子供や十代の少年少女はこうしたプラットフォームがもたらすドーパミンの欲望にとくに影響を受けやすいという研究もある。多くのテクノロジー企業の幹部が自分の子供にはこうしたデバイスを触れさせないと公言しているのも不思議ではない。
以上のような問題は全て正当な懸念だ。しかしこれらの理由のどれ一つとして、あるいはこれら全てを集めたとしても巨大企業の分割を正当化する理由としては足りない。これから述べるのが、私が信じる四大企業を分割すべき理由だ。
ヴァンダービルト大学のロースクールの教授であるガネシュ・シタラマンの主張は、アメリカには中産階級が必要であり、我々の代表民主制が上手く機能するために富がバランスよく分配されるよう、憲法もデザインされているというというものだ。富めるものがあまりにも多くの力を持ってしまえば、寡頭政治につながる。だからアメリカの民主主義という舟を安定させるためには中産階級が舵にならなければならないのだ。
経済とそのキーとなる主体である会社の基本的な目的は、中産階級を作り出し維持することであると私は信じている。1941年から2000年にかけてアメリカの中産階級は世界の歴史においてもっとも優れた「善」の担い手だった。アメリカの中産階級は正しい戦争に資金を提供し、戦い、勝利した。高齢者の世話をし、ポリオの治療にお金を出し、人類を月に送り、世界の他の国に対して、自分たちがモデルとなって、消費とイノベーションが社会・経済を改革するエンジンになりうることを示したのだ。
経済の上向きのスパイラルは家庭と企業の間での循環に依存している。家庭が資源と労働を提供し、企業がモノと仕事を提供する。競争は発明と優れた製品(ハッピーアワー、リアビューカメラetc.)を提供するモチベーションとなり、車輪はいつまでも回り続ける。巨大企業はステークホルダーに対して莫大な価値を作り出す。それなのにどうして私たちの目の前で、歴史上初めて、他の国の中産階級が成長しているのに自分たちの国の中産階級が没落するという事態が起きているのだろう。経済が中産階級と中産階級が育む社会の安定を維持するためのものであるならば、我々の経済は失敗してしまっているということだ。
過去30年でアメリカの生産性が大幅に向上したのは間違いない。アメリカの消費者があらゆるレベルで自由主義社会の羨望の的になったことを否定することはできない。しかし生産性の拡大と消費者の地位の向上の結果作り出されたのは、高給の雇用と経済の安定をすばらしい電話と1時間以内に配達されるココナツウォーターと交換してしまうようなディストピアだった。
どうしてこんなことが起こったんだろうか。2000年代になってから、企業と投資家が夢中になったのは人間をテクノロジーで置き換えることによって急速な成長と利益の急拡大を可能にしてくれるような企業だった。こうして作り出された巨額の富が安価に資本を引きつけ、他のセクターは脆弱になった。古い経済に依存する企業と巣立ったばかりのスタートアップには何の希望もなかった。
結果として出来たのは企業にとっても人々にとっても勝者総取りの経済だった。社会はイノベーション経済の側(領主)とそうでない側(農奴)の二つに分かれてしまった。一つの素晴らしいアイデアがウン億のベンチャーキャピタルを集める一方で、普通の人、あるいはただ幸運でなかった人々(私たちのほとんどだ)は退職後の貯金をするためにもっともっと働かなくてはならなくなった。
億万長者になるのが過去に比べて簡単になったり難しくなったというわけではない。痛いほど明らかなのは、過去30年で見えない手が行ってきたのが中産階級を締め上げることだった、という事実だ。30歳の人間がその両親が30才だったころに比べて貧しくなったのは大恐慌以来始めてだ。
何か手を打つべきなのだろうか。こうしたイノベーションのアイコンたちが、経済の調子を保つための一時的な撹乱を行っているだけだとしたらどうしよう。トンネルの向こうではより強い経済と高給が待っているという見込みはないんだろうか。しかしこんなことがありえないという証拠はすでにある。事実、二極化は勢いを増しているように見える。これは我々の社会に対する最大の脅威だ。これが自分たちの住んでいる世界なのだから仕方ないという人も多いだろう。でもその世界も私たち自身が作り出したものではないのだろうか。百万人の百万長者を生み出すことからひとりの一兆長者を生み出すことに、私たちは意図的にアメリカの使命を変えててしまったのだ。アレクサ、これって良いことなのかね?
今まさに我々は劇的なマーケットの失敗の只中にある。そこでは政府が巨大テクノロジー企業への大衆の熱狂によって黙らされてしまっている。頑丈なマーケットは効率的で強力だが、グランドに定期的に入って旗をあげ、チームを動かすレフェリーなしではフットボールのゲームが成立しないように、枷のない資本主義が私たちにもたらしたのは気候変動、抵当危機、そしてアメリカの医療保険だ。
独占はそれ自体常に違法だったり望ましくないものだったりするというわけではない。単一の企業が投資を行い、安価にサービスを行うのが合理的であるところでは、自然な独占が存在する。しかしこの場合トレードオフとして厳しい規制が伴う。フロリダ電力は1000万人にサービスを提供し、親会社であるネクストエラ・エナジーは時価総額720億ドルだが、その価格とサービスの基準は市民に受託された人々によって規制されている。
対象的に四大企業は厳しい規制なしに独占「的」な権力を維持しおおせている。私が彼らの力を「独占『的』」と表現したのは、アップルだけは例外かもしれないが、彼らがほとんどの経済学者が独占の核心だと考える、顧客向け価格の釣り上げを行ってはいないからだ。
しかし、四大企業は我々が本能的に感じる大きな政府への反感を見事に利用し、競争が――私有財産、賃金労働、自発的な交換、価格システムと同様に――資本主義のエンジンの不可欠なシリンダーであることを忘れさせてしまっている。彼ら四大企業のサイズの巨大さに加えてチェックを受けない権力によって競争市場は抑圧され、経済が本来の目的を果たすことも阻害されてしまっている。つまり、活力ある中産階級を作り出す、という目的だ。
どうしてこんなことが起きるのだろう。1990年代にマイクロソフトがどうやってネットスケープの息の根をとめたかを思い出すのは有用だ。はじまりは何の問題もなかった。ある会社が優れた製品(ウィンドウズ)を作り出して、それがセクター全体へのポータルになった。今であればプラットフォームと呼ばれるだろうものだ。その成長を維持するため、その会社はそのポータルを自社製品(Internet Explorer)の方向に向け、パートナー(Dell)をいじめて競争をシャットアウトした。ネットスケープのブラウザの方がより人気で90%のシェアを得ていたとはいえ、マイクロソフトが意図的にインターネットエクスプローラーを援助しているのでは勝ち目はなかった。
同じ状況は四大企業ではどこでも起こっている。グーグルが上手くマネタイズできるよう、検索結果の最初のページがゆっくりと支配されていくことや、iPhoneの画面上の準標準プロダクト(アップルミュージック等)、強豪相手(Snap)を邪魔し、叩きのめせるよう会社(フェイスブック)の持てる全ての資源を按配すること、他の会社がとても競合できないような要求水準の設定と攻撃的な価格設定(アマゾン)。
もしかしたら消費者にとってもこういった「自然な」独占の方が都合が良いのかもしれない。しかし司法省の考え方は違ったようだ。1998年に、連邦政府はマイクロソフト相手に訴訟を起こし、反競争的な慣行を非難した。裁判を傍聴していた人が報告するところによると、マイクロソフトの幹部はインターネットエクスプローラーをタダで提供することで「ネットスケープの空気の供給を断」ちたかったと証言したのだそうだ。
1999年11月に、ある地方裁判所ではマイクロソフトは反トラスト法に違反しており、会社を二つに分割することを命じるという判決が出た(一つはウィンドウズを売り、もう一つはウィンドウズ用のアプリケーションを売る)。会社分割の命令は高等裁判所で却下されたが、マイクロソフトは会社の独占的な慣行を抑えることで最終的に政府と和解に達した。
和解内容に対して甘すぎるという批判もあったが、司法省があの時マイクロソフトを有望新進企業を芽のうちに潰してしまうという罪状で警告することがなかったら、今のグーグル――今や7700億の市場価値があり、自由市場の信奉者にとっての希望の的だ――が存在しえたかどうか、考えてみる価値はある。反トラスト法がなければ、マイクロソフトはマーケットの独占を利用して、ちょうどウィンドウズによってネットスケープを安楽死させてしまったように、グーグルよりもBingを使わせるよう仕向けていただろう。
司法省のマイクロソフトに対する訴訟が、マーケットに新鮮な酸素を送り込むという点で最も大きな効果を持った例であることは確かだ。株価にして何兆円ものドルを解き放ったのだから。四大企業による力の独占は、酸素不足のマーケットを作り出してしまった。私は何十回も小さな会社によるベンチャーキャピタル向けプレゼンを聞いたことがあるが、そこで説明される内容はどこでも、いつでも同じだ。「四大企業とは直接戦えませんが、四大企業の買収先としては素晴らしい会社になれます」。その細い針の眼を通すことが出来なければ、会社はその幼少期を生き抜くために必要な酸素(資本)を絶たれてしまう。IPOもベンチャーキャピタルの資金提供を受けた企業の数も過去数年で着実に減少している。
かつて「悪の帝国」そのものだったマイクロソフトと違い、グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾンは巧妙なPRを洗練されたロビイング――オプラ・ウィンフリーとコーク兄弟をかけ合わせたようなものだ――と組み合わせて、マイクロソフトに課されたような批判からほとんど逃れおおせている(https://anond.hatelabo.jp/20180214161344に続く)
うちの職場は古いタイプで、契約社員は本社の幹部の好みで決められるため、やたらと美人率が高い。が、いちばん人事権を握っている課長にわりと見る目があるらしく、比較的女に嫌われないタイプの美人や可愛い子ちゃんが入ってくる。
正直同じぐらいの容姿でも頭いい子とそうでない子のギャップは激しいが、あんまり頭良くなくても可愛げがあって「しょうがないなぁ…」と言いたくなる子が多い。所詮契約社員は5年限定なので、どうせ5年しかいないなら可愛い子に入ってほしいという幹部の気持ちも分からなくもない。
ごくまれにそれほど美人でない年輩者が入ってくることもあるが、そういう人は前から人材派遣職員としてずっとうちの職場に貢献してきた人なので、仕事の出来の心配をしなくて良いというパターンが多い。
ただ、昨年入ってきた連中はやたらと女子軍団の結束が固く、わが社の全体的な仕事の流れが分かっていない子が多い割には一丁前に上司や正社員に対する悪口は言うので少々めんどくさい。皆自分が担当している仕事の世界しか見ていないので視野が狭いんだけど、まったくその自覚がなく文句だけ言うのはいい加減にしろと思う。
もはやこういう環境に慣れてしまったので短期雇用の女性に対して容姿で判断することにつべこべ言う気力もないんだけど、とりあえずバブルが崩壊するかしないかぐらいの時期にペーパーテスト重視の採用試験で正社員として入った私はラッキーだと思っている。
こういう人をいわゆるリア充というんだろうけど、特にその予定がほとんど飲み会だったりする人は疲れたりお小遣いが足りなくなったりしないのかと心配になる。自分はあまりアルコールが好きでないこともあり、飲み会なんて週一回もあれば沢山だ。居酒屋系は何となく食べ物の傾向が似ているので、そんなのばっかり食べてると飽きてくる。
あと、仕事とか義理の飲み会がめんどくさいのは当然として、ある程度親しいとか趣味が合う人でもあまり会う頻度が高いと「ここまでしょっちゅう会わなくてもいいんじゃないか」と思うことがある。うちの本社は幹部で年がら年中飲んでいるようだけど、いくらお酒が好きでも毎回同じ顔で集まって飲んでそんなに楽しいかと思ってしまう。特に上の方の立場の人はお金を多く出さないといけないことが多いから、お小遣いが少ないと厳しい状況にならないかと他人事ながら心配になる。
私には30年以上の付き合いになる友人たちがいて、そのうちの一人が地方から出てくると集まって飲むことになっているんだけど、この数カ月から半年に一回程度のペースがちょうどいいんじゃないかという気がしている。若かりし頃、ほぼ毎日を一緒に過ごした連中ではあるけど、やっぱりそれぞれ違う道を歩いているから、たまに会って話を聞くのは面白くても、しょっちゅう会うと疲れるような気がする。
あと、最近歳が歳なのと、朝方が寒いので、飲み会などで家に帰るのが遅くなると翌朝がやたらと辛い。休みで寝ていられればいいけど、仕事に行かないといけないときもあるし、休みでも寝過ごすと自由な時間を無駄遣いしたようで損した気分になる。お誘いが少ないのも寂しいんだけど、多すぎるのもめんどくさいといつも思う。
なるほどね、
年齢にもよると思うけど、
ある程度の年齢なら、
「家族のことを考えると、このまま今の会社に寄り添うのは経済的に不安で」
とか言うのが正攻法かな... と
(呑気に話してるけど、幹部としてやることはないの?)
とか、
そこに対抗するには、
の何れかだよ。