はてなキーワード: 土地とは
増田でも
とか上記4つくらいのレベルであればよく見るので案外フツーなのかもな
1億円以上の資産を持つご家庭は約130万世帯もあるってあったからな
50人に1人はそのくらいの資産があるらしいぜ
私の祖母が亡くなったのは、この春の事だ。
世間は県外移動の自粛を求めており、不要不急の外出を控えるように、と声高に叫ばれてる、そんな頃だった。
彼女は90歳を超えた大往生であり、こればかりは致し方ない、というやつだ。
自宅の布団で昼寝をしたまま二度と起きて来なかった彼女は、穏やかな顔だった、らしい。
東京という土地で住む私は、喪主たる伯父から直々に電話を貰い『申し訳ないが、葬式への出席を遠慮して欲しい』と言われたのが、理由だ。
正直、悔しかった。私は祖母が好きで、最後のお別れをきちんとしたかった。
けれど同時に、伯父が意地悪で言っている訳では無いとも、分かって居た。
田舎の葬式だ。そして祖母の年齢になると、弔問客も、親戚も、高齢者層が増える。
そこに、東京から帰って来た孫が、まかり間違ってウィルスを持ち込みでもすれば。
伯父の苦渋に満ちた声に、私は泣きながら『分かりました』と返事をし、折れるしかなかった。
現地に居る兄が時折寄越すラインの画面を見つめながら、部屋で孤独に過ごす時間は酷く悲しかった。
あれから3か月。
私は、骨になった祖母にすら、まだ会えていない。
致し方ないと思う。
親戚の家だけではない。その近所にも沢山の高齢者が住み、そうして小さな村社会で生きている。
毎日都心で100人とかニュースが出て、そんな私が田舎に帰って発生原になったら、と考える皆の意見は良く分かる。
それでも、祖母の葬式にも出られず、位牌を拝む事も出来ず、骨壺を見て泣くことも許されず、今日まで生きて来た。
私は未だ田舎に帰る事も出来ず、大事な人に手を合わせる事すら許されないのに、観光客は私の田舎に土足でやってくる。
旅行のキャンセル料が勿体ないから、政府が後押ししてくれているから、という理由を盾に取り、ほいほいと流入する。
『観光業はもういっぱいいっぱいなんです。死に体なんです。このキャンペーンが無いと路頭に迷うんです』というが、私の好きだった店で、もう何件も閉店をした所がある。
正直、苦しさであえいでいるのは観光業だけじゃないだろう。
死なば諸共、なんて意見が正しいとは絶対に言わない。誰かが痛い思いをしたなら、他に痛い思いをする人が出て来ない様、手当てをするのは当然だという理由も分かる。
けれど、どうしてあのお店達は助けて貰えなかったのに、観光業だけ助けて貰えるんだ、って思うと、尚憎い。
多分これは『自分は禁止されていたのに、どうしてあの子は良いって言うの!?』っていう悔しさも、加味されているのだろうけれど。
知っている。これは全部八つ当たりであって、別に誰も悪くない。
それでも、不要不急でない、少なくとも帰る理由が過分にしてある私は田舎に足を踏み入れられないのに、観光客は知らん顔でやって来る。
観光客はその土地に住んでいる人間に責任を負わなくて良い。だから彼らが発生原因になっても、別に私の親類縁者は何も困らない。
けれど、そこの出身地であるという私は、発生原因になると責任を負わなくてはならない。私の親類縁者に迷惑が掛かると言われ、それを承服するしかない。
それでも、私はGoToキャンペーンなんて奴が大嫌いで、一刻も早く取りやめて欲しいと願っている。
そうやって歯を食いしばっている人間からすれば、観光客、なんて不要不急の人間のせいで、私の田舎にクラスターが発生する事だけは、止めて欲しいからだ。
そこで発生したコロナで、また私の身内で、知人で、人死にが出たら、と想像するだけで堪らなく苦しくなる。
少なくとも、そういう所にしか、今の私の怒りの拳は、下ろす先が無いのだ。
一日も早く、コロナが収束して、あるいは特効薬が出て、私は祖母に挨拶をしたい。
私は、田舎に帰りたい。
旅行代理店のお陰で新幹線とか飛行機とか経営が安定してる側面あるけど、嫌いだな。
朝起きて、鏡を見て、死にたいと思う。
生まれてこなければよかったと思う。
こんな醜い容姿に生まれてこなければこんな思いはせずに済んだ。
人は見た目じゃないなんて嘘だよ。
見た目がよければ生きやすいに決まっている。
味方はいなかった。
教師もいじめている側の肩を持った。あいつはそんなことするやつじゃないと思うけどな。一生その言葉を忘れることはない。
どうしてわたしの味方になってくれなかった?わたしが醜いから?醜いやつの言うことに信憑性はない?妬んでありもしない話をでっち上げたと思った?
毎朝鏡を見て、死にたいと思った。
生まれてこなければよかったと思った。
何度席替えをしても、必ず机を離された。
昼休み中、ずっと、トイレの個室で過ごした。教室に戻ろうとしたら、ドアを内側から押さえられて入れなかった。
みんな笑っていた。机を離した人たちも。わたしを汚い、という人たちも。それを聞いて一緒に笑っている人たちも。みんな同じ顔をしていた。
毎日マスクをするようになった。マスクがないと外に出られなくなった。卒業式もマスクをしたまま出席した。マスクをしていない写真は殆ど残っていないと思う。
高校生の間は、まあ陰でいろいろ言われていたかもしれないけれど、容姿を理由にいじめられなかったから生きやすかった。マスクを外した。外すことができた。
3年間だけは、中学生の頃ほど、そして今ほど卑屈ではない人間でいられた。
この地獄は一生続くわけじゃないんだと思えた。終わったのかもしれないなんて思った。
逃れられたのはその3年間だけだった。
浪人することになって、予備校に通い始めた。また、はじまった。結局、どこに行っても、いつまで経っても、わたしは一生逃れられない。この顔が原因なんだから、普通に生きてたら顔なんて変わらないんだから、当たり前のことなのに、どうして気づかなかったんだろう。
今でも他人の笑い声が怖い。他人の視線が怖い。電車に乗っていて、若い人たちが向かいに座って、笑っていると、わたしのことを笑ってるんじゃないかと思って消えていなくなりたいと思う。
もうそろそろ卒業の時期だけれど、大学生になって、一人も友達はできなかった。卒業できるか分からないけれど、卒業式には行かない。高い金払って、ブスが袴を着て、写真に残すことに何の意味があるんだろう?
卒業アルバムの個人写真も撮りにいかなかった。卒業アルバムは小学校から高校のぶんまで、ぜんぶ、自分の顔を塗り潰した。実家に帰省する度、飾られている七五三の写真や昔の自分の写真を努めて視界に入れないようにしていた。燃やしてしまいたかった。
サークルもすぐに幽霊部員になった。誰も醜い容姿の卑屈な人間と友達にはなりたくない。わたしだってわたしみたいな人間と友達になりたくないと思う。
時間が経てば治るよと言ってくれた人もいたけど、12か13の頃から汚い顔は、22になっても汚いままだ。夏になったら23になるけど、23になっても24になってもきっと汚いままだ。
いろんな治療を受けたし、いいと言われる基礎化粧品を片っ端から試したけど、鏡を見ると依然汚い顔が写っている。
こんなことなら子供のうちに死んでおけばよかった。自分が醜いことを知る前に死んでおけばよかった。小さいうちはブスだろうがなんだろうが生きてるだけで可愛がられてそれなりに自己肯定感を保てる。そのまま死ねばよかった。
経済的に厳しいから家賃と学費以外は無理と言われて、貸与型の奨学金を申し込んだことを後から知らされた。学費と家賃の足しにするために申し込んだから、とわたしの元には振り込まれない。
奨学金返済するのが大変だったら結婚して旦那に返済して貰え、と父親に言われた。
びっくりした。結婚できると思ってるのか。
醜い、卑屈で、自己肯定感の低い人間が、誰かと一緒になれると本気で思ってるんだろうか。
そもそも、この家庭で育って、家族や家庭というものに憧れると思ってるのがすごいよ。しあわせな家庭のかたちというものが分からない。
望まれるかたちに生まれることが出来なかった。治らなかった。なれなかった。世間様のしあわせに当てはまる未来は一生こない。いつか、なんてものは永遠にこない。ちゃんと分かっている。
自己肯定感が極端に低い。他のだれかのことを思える心の広さもない。誰かに優しくされても穿った見方しかできない。
本当に性格が悪い。
経済的に厳しいのも、ひとりなのも、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、自分のせいだ。
お金に余裕がないと言っていたけれど、帰省したとき、100万以上かけて壁の塗装をするんだと言っていた。どの色がいいと思う?なんて聞かれた。お金に余裕がないんじゃなくて、わたしにお金をかけたくないだけだ。ショックだった。金銭的に負担をかけられないから、と終電逃すまで残業するようなバイトに耐え忍んで、土地柄客層が悪くて当たり散らされるのにも耐えてニコニコ接客して、全部アホだと思った。奨学金という借金を背負ったのも、大学に進学したのも間違いだったと思った。
240万の借金。240万あったら、わたしはこの顔から逃れられたのに。
わたしが醜くなければ違った?かわいい娘だったら、自己肯定感を保てるように育ててくれた?
もしそうしてくれなかったとしても、醜くなければもっと稼ぐ方法はいくらでもあった。世の中顔だから。容姿が優れている子がそうして稼いでるのをたくさん見てきたし今も見ている。
鏡を見る度死にたいと思う。生まれてこなければよかったと思う。
わたしがわたしじゃなければ、望まれるかたちに生まれていたら、今頃こうなってはいなかった。
まともな人間関係を築けていたはずだった。
大学生になったら楽しいってみんな言うから期待していた、間違ってた。みんなはまともだからわたしは当てはまらないってちょっと考えたら分かったはずなのに。
生まれてこなければよかったと思う。
はやく沈みたいと思う。もう終わりたいと思う。続けたところで同じことの繰り返し、もういい。どこまで遡れば変わるかなってときどき思うけど、どこからやり直しても結局こうなるんだから生まれてこなければよかったと思う。ぜんぶ今更だ。手遅れだ。
もうなにもかも嫌だ、
一生惨めな負け犬だって分かってんのにどうしてまだ続けなきゃならない?
鏡を見る度死にたいと思う。
こんな、こんなふうに、劣等感抱えて、誰に対しても何に対しても妬んで嫉んで、こんな生き方したくなかった。
醜い容姿に生まれた人間は劣等感抱えて生きてくしかないんだよ。一生。ずうっと。ずっとだよ。どんな顔に産まれるかなんて選べないし金かけない限りどうにもならないのに。
わたしが生まれてくる前にわたしの容姿を提示されてたらわたしは生まれてくることを選ばなかった。
毎朝、毎晩、死にたいと思う。すべてが妬ましいと思う。はやく死んでくれと思う。
何もかも自分のせいならはやく死んだらいいのだと思う。
鏡を見る度死にたいと思う。
こんなことならと思う。
わたしは一生、親を許せないと思う。
母親は綺麗な顔をしている。彫りが深くて、幅広の二重で、鼻も団子鼻じゃなくて小さくて高くて、唇も薄くて、肌も汚くない。
小学生の頃からお母さん綺麗だねって言われる度に、言葉の裏にお母さん「は」綺麗なのに、ってのが透けてて嫌だった。
言葉の裏を邪推してしまう自分の卑屈さが嫌だった。ほんとはそんな意味で言ったんじゃなかったとしてもそうとしか聞こえなかった。
母親があんな男と結婚して子供を産んだりしなければ今のわたしの苦しみはなかった。
10年前、肌が汚くなり始めたころ、あの男のクレーターだらけの汚い肌を見て、ああなりたくないと思った。歳を重ねる度にどんどん似ていく。死にたい。あの男に似ていると思う度に吐きそうになる。望んでもいない50%の遺伝子はこうして醜い形で現れた。
親を憎むのはお門違いと言われても、親不孝と言われても何と言われても許せない。
彼氏はいないの?〇〇ちゃん結婚したんだって、悪気なく言っているんだろうけど、なんでそんなこと言うんだって思う。娘がどんな気持ちで生きてきて、生きていて、それを聞いているか分かんないんだろうね。憎い。生まれてこなければよかったと何度も、何度も何度も思って生きてきた人間の気持ちは綺麗な顔のアンタには分からない。一生分からないよ。
もう十分だ、いつかは永遠にこない、
なにもかも嫌、ぜんぶ羨ましくて妬ましくていや
ブスは出生前に間引かれる世の中になればいいと思う。第二第三のわたしが生まれなければいいなと思う。こんな思いをしなくて済むならそのほうがいいに決まってる。
これは一種の備忘録であり、すでに忘れかけている出来事についてまとめたものである。
ほかの人々もこのような生き方をしてきたのかを知りたいが、わたしの周りの人間にはとても恐ろしくて聞くことができない。
そのため、このように匿名で、画面の向こう側のあなたに向けて発信する。
具体的に言うと小学校4年生までの思い出が一切ない。
4年生までは海が近くにある田舎に住んでいた。学校は、なぜか山の上にあったので、頂上まで続く階段を毎日登り続けていた記憶はある。
わたしが覚えていないことは、わたしにまつわる人間関係であったり、日常でわたしがどのように過ごしていたのかだ。どんな友達がいて、わたしはどんな性格で、学校ではどのような役割を担っていたのか。また、自宅では家族とどのような会話をして、なにを考えて生きていたのか全く思い出せない。
小学校5年生以降はどうなのかと考える。
わたしは5年生になるときに県内の比較的都会な街に引っ越してきた。
もちろん小学校も転校したため、また一から人間関係を築きあげなければならなかった。
わたしは転校初日、とても緊張していたことを今でも思い出せる。緊張のしすぎて腹痛になり、登壇した際に倒れたのだ。今のところ、これまでの人生で、あの瞬間ほど緊張したことはないだろう。おそらく、それ以来、よほどのことがない限り緊張もしなければ、度胸もついた気がする。
職場でも「あなたはいつも冷静で度胸がありますね」と上司に評された。
それはわたしが常に俯瞰的に見ていて、全てを他人事だと思っているからなのだが、その話は置いておく。
話は長くなったが、端的に言ってしまえば小学校5年生以降の記憶は保たれている。
今になって考えてみれば、わたしは転校先の初日で大恥をかいた。
しかも全校生徒の前で。
当時はここまでの考えには至っていないが、失うものが既に無いわたしは陽気なドジキャラで通していた。クラス内では明るくムードメーカーとして振る舞うが、肝心なときにミスをして級友たちの笑いを誘う。
このキャラ設定は楽だった。
今でもこれで通用している。
話は変わってしまうが、あなたは両親に言われたことがあるだろうか。
「お前は人間じゃない。お前は複雑だ」
おそらくは10代にまだ入っていない頃だと思われる。
わたしはよく嘘を多用している。
聞いたことのある話でも初めて聞くようなフリ。覚えているのに忘れたフリ。知っているのに無知なフリ。無垢なフリ。
出来ることでも出来ないフリ。
目の前の人物がAを好きと言えばわたしもAを好きだと言う。Bが嫌いだと言えばそれに控えめに同意する。別の人物がBを好きだと言えば控えめに同意する。
矛盾がないように嘘を重ねていくと、他者から見るわたしが形成されていく。
そもそもわたしはAにもBにも興味がない。だから好きでも嫌いでもどちらでもいい。わたしの好き嫌いはあなたが決めてもらっても構わない。その方が楽だ。
だいたいはこれに通ずる。出来ないフリをすることは友人たちから好感が良い。好きなものや嫌いなものが同じだと共感性が得られやすい。
わたしはどこにいても聞き上手だと言われるが、上手なのではなく、聞かないとわたしが形成されないからである。
相手より優れないフリが人間関係を長続きさせるのだと小学生の頃に気づけてよかったと思う。
しかしまだ嘘をつくことや出来ないフリをすることに慣れていない時期に、知らないフリをしていたことが母親に気付かれてしまった。
なぜ知らないフリをするのか問われるも、なにひとつ答えられなかったことを覚えている。どのように説明すればいいのか言葉が見つからなかったからだ。
だが、わたしはこれを特殊なことだとは思っていない。人間誰しもが、わたしと同じことをやっているではないか。
わたしはただ、みんなと同じことをやっているだけだ。辛うじてそう母親に伝えた。
そのあと、母親はこのことを父親に伝え、両親は揃って先ほどの言葉をわたしに述べた。
わたしのなにが母親を悲しませてしまったのだろうか。母親は泣いていたが、わたしはそれをじっと見ているだけだった。気味が悪いと言われ、さらに出て行けと言われたから、雨が降るなか外に出た。
母親は昔からみんなが好きだった。みんなと同じようにしなさい。みんなと一緒になりなさい。わたしはただ母親の言いつけを守っていただけであったが、どうやらわたしは母親の期待に応えることが出来なかったようだ。
それ以降、母親はわたしを捻くれているとか我が強すぎるとかの内面に対する評価をよくするようになった。わたしは言われている意味が理解できず、たびたび母親を悲しませてしまった。
わたしには2つ下の弟がいた。母親は彼を普通に育ってくれてよかったとよく褒めていた。
母親に褒められる、そんな弟がわたしは誇らしかった。弟がいれば、わたしはいなくても大丈夫だと思った。弟よりも出来ないフリをしていてよかったと心の底から思った。
話が結構逸れてしまったが、わたしの家族の話などどうでもよくて、本筋はなぜ小学校4年生までの記憶がないのだろうか。
とりあえず昔のわたしは一つの結論を出すことでわたしを納得させていた。
わたしは、わたし自身にも他者にも興味関心がなかった。それは今でも変わらないことであるが、ある程度の着地点は見つけている。
転校してからは陽気なドジキャラを演じることで、なにを言えば友人たちは喜ぶのか、なにが出来なければ友人たちは喜ぶのか。また、どのように反応すれば心を揺さぶることができるのかを理解するために人間をよく観察した。
最初は演じていたことであるが、10年以上も続けていくと、もはや呼吸のように行える。今ではわたしを形成する人格のひとつだ。
流石に母親に人間でないと言われてからは、わたしのこの生きた方を悩んだこともあった。
しかし、これは所謂、気遣いと呼ばれるものだから、人間誰しもが行なっていることであるため特殊なことではないと納得した。
前向きになれた。
登場人物たちを画面の向こう側であったり、文字の向こう側から俯瞰的に観察することができる物語が好きだ。しかも登場人物たちの内面を描いてくれるから勉強にもなる。
わたしはこの世界が物語の世界のうちのひとつだとたびたび考えている。
こちらの世界にも物語があるならば、逆説的にその物語の向こう側にも物語があるわけで、それはお互いに鑑賞しあっているのだと考えている。
画面の向こう側であったり、文字の向こう側の世界に存在する物語はきっと、わたしが存在する世界の物語が紡がれている。
きっと自我が形成されていなかった頃のわたしは、その物語の登場人物にすらなれなかった。
紡がれなかった物語の描写が無いように、わたしの記憶もわたしが生きた記録もない。
それは仕方がないことだろう。
だから、わたしが陽気なドジキャラと言うキャラクター設定を獲得することで物語の登場人物のうちのひとつになれたのだと考える。
どうりで記憶もあるはずだと思う。
そんな考え方をするとさらに生きることが楽に思えた。
演じているわたし、他の人間から言葉を借りるわたし、本当は空っぽなわたし。
その本質が明るみに出る恐怖に耐えきれなかった。
でも人間は誰であれ嘘をつく。
演じることだってある。
それとわたしは変わらないはずだ。
だが、そのことを家人や友人、職場の人間に聞くことはできない。確認することもできない。
なぜならわたしがわたしとして生きることができなくなってしまうからだ。
あの時のように人間じゃないと言われて、気味悪がられてしまったら、誰もわたしを知らない土地で人間関係を一から構築しなくてはならない。
それは正直めんどくさい。
だから匿名を名乗って、ここまで読んでくれたあなたに問いたい。
みんなになりきれているか?
【追記】
わたしが予想していたよりもはやく反応を示していただいて感謝しています。
こういった匿名の場を借りてみたのも、ここ数年、自分の考えを発信する場が以前よりも増えてきており、そこに投稿する人々も多くなってきていると気付いたからです。さまざまな文章をとても興味深く拝見させてもらいました。
そういえば、自己紹介的な部分がなく簡素な文になってしまったのではないかと考えに至り簡単ながらまとめさせてもらいました。
20代前半までは人間のなり損ないか病気なのだと思って過ごしていたが、これも個性なのでは?と思い始めてきているところ。
10代前半時代に祖母からとある医療職についてほしいと言われ、現在はその職種で病院に従事している。入れ替わりが激しい部署のため、その部署内では経験豊富な立場になってしまっている。現在は新人教育と比較的重要な業務を任されるようになってしまった。
(現在、上司から職場内の人間関係や職場のシステムについて相談されており、人間のなり損ないのような自分が、アドバイスしてよいものか悩んでいる。そのため、匿名の立場を借りてこのような文章を発信させてもらった。)
現在、わたしとふたり暮らし。明るくてとても優しいがとても寂しがり屋のため、単身赴任の父親が帰ってくるまではひとりにさせられない。
わたしが母親の理想とする子供像が掴めてきたので、関係は良好だと思われる。
弟
弟とはこれまで喧嘩などは一度も行ったことはない。わたしが母親に咎められた時は必ずフォローをいれてくれていた。母親曰く、わたしを尊敬してくれているようだ。
私がそれを考えているというと、いったい、ひとはなにを考えるだろうか。
「コロナ禍のいま、なんて不謹慎な!他人に迷惑をかけるトンデモ増田じゃないか!」と直感した人がいるかもしれない。読者いなかったらいないだろうが。
「迷ったり、考えたりする必要なんてない!ニュース見てないのか?
連日増加し続ける感染者数、怖くてたまらないのに、近くに来るなんて言いませんように!」と恐れるだろうか?悲しむだろうか?
あるいは、「この非常事態に自分さえよければ、他人に迷惑をかけてもいいと思っている非常識な増田」という印象を受けるだろうか。
「考え直してください!実はすでに無症状の感染者でひとにうつすかもしれないんですよ!
そうでなくても、それに旅行先でウイルスにかかったら、まわりにまき散らすことになるんですよ!あなた自身、発症したらとても苦しむかもしれないのに!」
「落ち着いたら、行けばいいのに、なにも今じゃなくっても……。」
「こういう人のせいで、身内になにかあったらと思うだけで悲しくなる。」
「感染防止は家にいることが最善なのに、自己中心的考え方の増田がいて、そんなやつのためにおびえるのは悲しい、涙がでる」
「バカだから、いっそコロナ肺炎にかかって死ねばいい」だろうか?
だれかの頭の中にいる私は、「菌をばら撒く不届き者」だろうか。
私はいわゆるサラリーマンだ。幸運にも、ずっと仕事を続けられている。
リモートワークはできないとの判断があったため、コロナ肺炎が問題となり、自粛要請、緊急事態宣言が発令され、
Stay Homeと声高に斉唱されたときも、そして今も、Covid-19の話が出る前と変わらず出勤し、通勤で公共交通機関を使用する。
休業要請の対象ではないので、会社が止まることもなかったためだ。ありがたいやら……。
マイカー通勤はしていない。駐車スペースがなく、許可されていない。
1月から4月は、ご存知の通り、マスクが出回っておらず、高額なものを購入したり、
会社がどこかからかき集めて配ってくれたこともあったが、今はいくらか容易に入手できる。
おかげさまで、通勤時はマスクをしている。会社でも、マスク着用は義務付けられている。
つり革、手すりを触ったら顔やマスクに触れない。外でマスクを外さない。
それでも気になるので、自前の消毒液を買って、トイレや、不特定多数の人々がどうしても触れてしまう箇所などに触れたら、自分の手指を消毒している。
出社したら、まず入口で検温を受ける。微熱でも発熱しているのものは帰される。
オフィスは20名弱がいる。デスクはクリアボードで仕切りがされている。会議はweb会議、出張は要相談だが、基本ない。
昼休みは時間をずらしてとる。11時から13時はそれでも混みあうので、最近は15時ごろに行く。
帰りは買い物をして帰るが、必要なものがあるときだけ、それだけ買って帰る。店内を物色して回ることはしない。
それが平日。
平日にやらなかった家事だとか、電子書籍を読んだり、動画配信サービスを使用し映画鑑賞したり、友人とWeb通話もした。
外出といえば、近所のスーパーまで行って帰るだけだ。車にも乗らない。
実際の行動をつらつらと書いてみたが、誰とて似たようなものじゃないだろうか?
手に入るなら、フェイスシールドもつけられるならつけたいくらいだ。
家から出なくて済む人からすればすでに「コロナ肺炎感染被疑者」だろうか?
駅にいるのが、
大きな旅行カバンを携えた私なら、マスクをしていても、「感染しているかも、なんでいるんだろう?」と考えるのだろうか。
小さなカバンだけを持っている私なら、「マスク(感染対策)をしているし、そこまで危険じゃない、いてもいい」と考えるだろうか。
平日、通勤している私は思う、
「この人はどこから来た人かなんてわからない。昨日何をした人かなんてわかりはしない。」
外にいる人々に対して、貴賤上下をつけられるだろうか。
もしそれが可能だとしたら「感染対策をしているか、いていないか」がわかるときだけだと思う。
マスク警察を、支持するわけではない。マスクはとても息苦しいので、時には外したり、水分を取るべきだ。
私は手に入れているが、まだ手に入れづらい人も多くいるだろう。人々の理由は様々だ。
それを悪と指摘する向こう見ずさは見上げたものだが、怖ろしい、わたしが持っていたら移すかもしれないし、と感じるときは離れることで十分だろう。
私は実際、マスクをしていない人を発見したら、可能な限り、距離をとるようにしている。
それと、すべての人に家の中にいてくれと、願いたくなる気持ちはわかる。
私も叶うなら、リモートワークをしたい。家にいたい。
でも叶わない。生活費を得るために、仕事は辞められない。今しばらく在宅勤務になることはないだろう。
出勤、知らない人々とすれ違う、雨ならいつもより混みあう車内、密度が上がり、暑くなってマスクを外す人々。
毎日、毎日、これを見て、なぜ、県またぎの移動をする人や、旅行者や、外出する人々がやり玉にあがっているのだろうか、と思う。
私が、疑問に思うのは「県またぎ」「旅行」「外出」ではない。しないほうがいいのは、明白なのだ。
わかりきっている。でももう私は外にいるのだ。連日、休日以外はずっと。だから、疑問はそこじゃない。
私がどんなに感染防止に気を遣っても、あなたの住む町の駅で、マスクをしないで大声で喚き散らす人よりも、リスクの高い人間だろうか。
逆に、私の住む町にいる人で、私と同じ時間帯にいる人は、私を低感染リスクとするのだろうか?
受け入れる土地のものは、客人を選べないのだからたまったものではないだろう。
だからだれも来ないでほしい、Go To キャンペーンなんてふざけている、と。
休日に、家でできることはたくさんある。コロナ禍を機に、友人とweb通話をしながらゲームをすることも覚えた。あれは楽しかった。
ここではないどこかに、たまには行きたい。正直、もう息苦しくてたまらない。
この半年にも及ぶ自粛生活で、ずっと疑問を抱え、自宅にいられる人をうらやんで、
時にはどこぞのだれとも知らぬ人のそばに立って出勤し、趣味の旅は断念してきた。
「今じゃなくてもいい」全くその通りだ。今は行かないほうがいいな、やっぱり感染は怖いし、感染防止には家にいなくちゃな、と。
そして通勤して、だ。
「家にいたくても、仕事でそうもできない」と感じている。
「この人が旅行者じゃない、なんて誰も証明してくれない。もし旅行者なら?ずるい、うらやましい」と感じている。
旅行はできないけど外に出たくて、出張を申し出た、というニュアンスのなにかを見た。テレビニュースのインタビューかもしれない。ひたすらにうらやましい。
うらやましさも通り越して、恨めしい。
「今じゃなくて、コロナ肺炎が収束してから行けばいい」というのはいつだ?
「増田は子供じゃないんだから、駄々こねるなよ、みんな同じ状況で、みんな苦しいんだから我慢しろ」という人はきっといるだろう。
私もそれまで元気で、お金を貯めて、と考えることもある。
でも私が死んでも誰も「旅行に行かなかった」ことに責任は取ってくれない。
私は絶対に恨んで出るだろう。呪えるなら呪いたい。死ぬ前からそう思っているのだから、死んだら確実に化けて出てやろう、と思う。
疲弊していくことをだれも救ってはくれない。
別の様々な方法を試したが、それでも癒されない苛立ちや、苦しさがある。すり減っていく。
自分のために、誰かのために、と我慢し続けている。美談だろうか。私はそうは思わない。
もちろん「私が誰かから感染」したり「私が誰かを感染させる」ことも、
100%完璧な防止策をうつことはできない。そうして誰かを巻き込めば、私はきっと後悔するだろう。
私は今も悩んでいる。
私を悩ませるのは、後悔したくない気持ちと、苦しみから解放されたい気持ちから来るんだろうな。
人に「行っておいで」と言われたいけれど、言ってもらえない、その理由がわかるけど、
だけどもう我慢も限界で、精神が摩耗しているから増田に書き付けた。
同じようにどうしても行きたいけど、迷っている人がいたら、一人じゃないと、安心できるように思うが、
この時世では、どうだろうか。やはり、少数派だろうか。
インドアだから外に出られなくても大丈夫、な感覚や、嗜好だったらいいのに。
私が答えを出せるよう、私に祈りをささげて終わる。
何度かここで書いている事だが、理解しない男があまりに多すぎるので、はっきりと書こうと思う。
女は自分の為に生まれてきた。これはすなわち、女は自分の為だけに生きろと言っている。
それなのに最近は、男があまりに主張しており、己に絶対服従という意識が薄れている。
聖母マリアは女だ。すなわち女は誰よりも高尚であるという運命だ。
横柄な態度をとる男、権利を主張するお前らは正しくは人間ではない。家畜同然だ。
男が強制する全ての事柄、それが女はの生まれてきた義務ではない。
それらは全て社会の害になる事だ。掃除洗濯料理など家事をこなす。それが男の役割だ。
または便所掃除や、ぶん殴られることを喜びとするサンドバッグとなれ。
お前らは自分は死んでもいい存在なのだと理解し、惨めに哀れな存在となれ。
一切逆らうな。お前らに教えてやる。
そしてガンジーの事を思い出す者など今や誰も居ない。
昨日は夜に母親からメールがあり乳癌の告知を受けた。朝5:23夢から目を覚ます。不思議な夢だった。アメリカに住んでいる友達の家に遊びに行く夢。高校の同級生だった友達。ちょっといいなと思っていた女の子。高2でイギリスに留学してしまって、僕は同じ留学試験に落ちた。
彼女は一人っ子だったはずだけど夢ではお姉さんとその彼氏と同じシェアハウスに住んでいた。同級生の彼氏も同棲してる雰囲気。見知らぬ土地で心細かったけど、朝帰りのお姉さんは部屋に閉じこもってしまって、同級生はどこかへ行ってしまった。
シェアハウスは広くて、共同のリビングがあり、僕がアメリカ留学のときに感じた独特の雰囲気が漂っていた。少し煤けた香りが漂っていて気怠さと緊張感がある。知らない奴がチルアウト。知らない奴でも興味を持ったら声をかける。面白い物を探す貪欲なメンタリティ。オープンマインドと敷居の低いコミュニケーション。
いや、みんなlooserに見られたくないだけかも。それでも僕は彼らが羨ましかった。常に気後れして相手に合わせる事しか出来なかった。会話のプロトコルがわからなかった。
途中、リビングにいた奴から声をかけられて、同級生の彼氏に雰囲気が似てるなとか言われたが、すぐ別の人がそれは言っちゃダメだろとかフォローしてた。同級生への好意を見抜かれていた。他の家に住んでる人もここでダラダラしてるみたいだった。机にケーキが並んでいてみんなが持ってくるみたいだった。ケーキの隣に置いてある珍しい楽器を手に取る。楽器ならわりと出来て注目されるかなとか考えていた。
日本人が他にも数人いて声をかけられる。着ている服がかっこいいけど色がいまいちだなとか。僕は古着だから、みたいな事を言って面倒な話も自分で切り抜けた。
でも見知らぬ土地にいる事で会話を終わらせた自分を不安にさせる。
どうしたいのか分からなくなる。自分はアピールが下手だ。自分のペースを守ることは昔から苦手だった。留学中も何度も感じた緊張感と居心地の悪さ。懐かしさで目が覚める。
目を開けると今自分がどこにいるのか一瞬分からなくなる。脳味噌は留学中のドミトリーを期待していたみたいだった。見えてる景色と現実がリンクしはじめてから、みんな元気かなとか思ったけど全員夢の中の奴らだと気づく。同級生の女の子も10年くらい前にFacebookで繋がってそれっきりかな。
5,000万円弱の買い物。
30坪ほどだが、九州生まれの人間から見ると、土地が高すぎる。なんだこれは。
おそらく来年以降はコロナの影響もあり、中古の戸建ては確実に増えてくると思う。
30代後半だが、この年齢になってくるとこのクラスのローンを組んでもあまりびびっていないことがびっくりである。
鈍感になってるのかもしれない。
ローン返済の年齢が73歳。。死ねないな。
結婚して子供産んでローン組んで家を買うまでのプロセスは33歳くらいに終わらせておくのがベストなんだと思う。
上昇志向があるのはいいことだけど、どこかのタイミングで方向展開すること。これができる人間は数%。
人生って難しいわ。
前に、日本がコロナによる死者が他国と比較して意外と少ないって点に麻生太郎が「民度が違う」って発言して問題視されたじゃん
上から目線だとか何様だとか色々言われて
たぶんその時に文句言ってた人は「日本人の民度」って部分に関して
・清潔
・真面目
・秩序を重んじる
みたいな概念に基づいて考えてて、だから「そんなエラそうなことを言うな」ってなったんだろうなって思った
でも、自分的にコロナに対する「日本人の民度」ってことで考えたら
・コミュニティが異常に閉鎖的
・世間体をひたすら気にする
・同調圧力に弱い
こういう「あまりほめられた事では無い部分」こそ今回のコロナ対応に結構影響したんじゃないかって、親に「絶対帰省するな」って言われた岩手の人の話を見て思うんだよね
まさに岩手なんて「感染したことが知られたら地域にあっという間に広まってもうこの土地では生きていけない」っていう「恐怖」を原動力に「感染しないように」みんながんばってるんでしょ?
冷涼な土地柄ずるいぞ
>よくネトウヨが勘違いしているが、日本という国は歴史が浅い。
2.みんな天皇を崇拝
5.男女はみな結婚すべき
7.みんな清潔で善良
とかいう特徴があるみたいだけど、以上すべて明治維新以降、下手すりゃ昭和以降の、それも旧武士階級のような一定以上の階層のみの習慣
1.仏教と神道をちゃんぽん信仰(神道の方がエラいという意識はない)
2.帝というのがいるらしいことは知ってるが見る機会はゼロだし拝んでもいない
3.庶民には姓がなく武士階級以上の女性は結婚後も実家の姓を名乗る
4.農家や商家では奥さんも亭主と一緒に働いていた(家業だから)
5.江戸や大坂のような大都市は恒常的に男の人口が女の倍以上だから、一人身で女郎屋通いとかしてるうちに死ぬ方が多数
6.女子は家が貧しければ10代で遊郭に売られ、男子は10代から地元の悪い兄貴分に誘われて夜這いや女郎買いが普通
7.上下水道が不充分な土地では常に道も川も臭くて汚くポイ捨てが普通。貧困が原因の暴力犯罪、少年犯罪もすごく多かった
――そんなんが実態やで
実際に1945年以降と考えても極論ではない気がする
いろいろあるわけやから。
旅行は思い立ったらすぐ、と言うがそれは正しい。なぜなら最低でも1週間はかかる大イベントだからだ。まだ学生ならばやりやすい年齢なので積極的にやった方がいいよ。
まず、最低でも3日前から生活のリズムと食事に気を使う。便は何時に出たか。きちんと歩いたか、少なくとも良いコンディションを目指す。この期間、酒は避ける。専用カバンに常に最低限を詰めておくと楽。下着はその時に一番古いものを持って行き、捨てること。旅行にいけば行くほど人より新しい下着をつけていられる。計画はこの3日間で調べる。最低でもこの程度を調べればいい。覚える、もしくはスマホで。ガイドブックは持たない。
・下着と袋
・口腔ケアグッズ
・カードケース
一泊目は宿の雰囲気や、夕食、垣間見える雰囲気を少し味わう程度に楽しみ、風呂にゆっくり浸かり、早く寝る。その土地の新聞を読むこと。
2日目は、起きてまず水を飲み(常温の方が分かりやすい)散歩をする。傘は宿で借りる。朝食は満腹まで食べ、体調を整え、さっきはあいていなかった店などを見る。駅、空港などは目的地と捉える。さもなくばそのうち新幹線の駅などは全部同じに見えてしまう。
買い食いや昼食は、遠慮なく取る。よく歩き、よく水分を取る。軽くて良い靴を普段から慣らしておく。
宿に帰ったら少し座り、裸足になり足を揉む。その後風呂にゆっくり入って夕食を取る。屋台、景色、繁華街など夜の街が有名なスポットの場合は宿に一度戻り昼寝を挟んでおく。深酒をしても夜食を楽しんでもいい。違う県に拘らないこと、または同じ県に何度行ってもいい、例えば北海道は広く一ヶ月あっても足りない。余計な概念に囚われないよう気をつける。同じ場所になんど行ってもいい、生涯で泊まった宿は数件とか普通にある。好きなところに行ければいい。街、人をよく見る。方言を楽しむ。どこも同じに見える現象に気をつける。若い男性はスーツを着る。短い時間だし、平日変な時間にぶらぶらしていやすい。頭を使わずシンプルなおしゃれしかない等メリット多数。スタスタ歩く。じわりと歩くよりも筋肉が疲れないので、興味が湧いたところではキチンと立ち止まろう。シャチハタの座版スタンプを持ち歩き、なるべく宅配便を利用して手ぶらで歩く。座版は極力何にでも使う。会いたい人、思い出した人が居たら書いておく。聞いたことがない音楽に敏感にあること。アルコールが高いことを嘆かないこと。
少なくとも何処かと違う、と思うにとどめるだけで良い
いるよ!元増田に届け!
最後に生活保護があると思うこと。他の制度が優先だから全て使い切る。自治体によって違う内容があるかもしれないから細かいところは調べてみて。もう知ってることならすまない。
父親。今後毎月20万かかると書いてあるけど疑問。個室に入ってる?実は年金かなりもらってるとか他に所得がある?70歳以上で住民税非課税になってない?後期高齢者医療は?高額療養費の対象には?あと、障がい者手帳や特定疾患はない?とにかく医療費はもっと安くなりそう。
70歳以上で住民税非課税なら『限度額適用・標準負担額減額認定証』を役所で発行してもらって病院に出す。保険外を足しても月に10万程度?になるかもしれない。寝たきりで胃瘻で挿管してるなら転院して長くなりそうだけどそれなら施設より病院にいた方が安い。
もし状態が落ち着いて病院から施設にという話が出たら、年金所得が少ないなら金額的には特養一択。特養で個室ユニット型は生活保護にするときに困る(住居の金額が生活保護の基準額を超える)から、多床室で胃瘻対応してくれるところを探して待機者に入る(住民税非課税ならユニット型でも母親の施設より安くなると思う。ちな複数の施設に申込み可)。看護師が対応できるところ探すの大変だけどがんばれ。特養は待機者が多いから一度他の施設で待つという手もある。ぼったくりに注意。金をとるか介護の内容をとるか。
医療保険なら高額療養費、介護なら高額介護サービス費。さらに1年間に世帯でかかった医療と介護の自己負担を合算して少しは戻るかも。
母親。グループホームで月18万なら部屋代5万以上?これから生活保護も考えてることを(生活保護で賄える室料の部屋に移れるように)ホームに話をしておく。母親の年金が少ないなら生活保護のために父親との世帯分離も考える。両親とも本人名義の貯金は使っていく(残高多いと駄目だから)。
生活保護になるまでの間、グループホームで訪問看護とかの医療系サービス使ってると介護保険の自己負担分も医療費控除の対象になる。母親の高額介護サービス費や自治体独自の制度は申請してる?多少でも負担が減るかもしれない。若年性アルツハイマーなら発症から5年位と言われてるけど、少しずつのお金でも年で積もれば大きい。
生活保護申請するときに親族含めて扶助できるか文書でも照会がある。子供たちだけでなく両親の兄弟にも連絡があるかもしれないので今のうちから「大変で…」と話しておくこと。医療費だけ生活保護にしたり、両親のうち一人だけ生活保護とかもある。それまでは両親の貯金使う。家や土地の処分も準備しておく。残るものはなくても親の金を親が自分達のために使うと考える。できるだけ自分の財布から持ち出さない。ときどき行くのは大変だけど遠くてもどうにかなる。ハードモードすぎるけど金は割り切って。元増田もご安全に。
二ートを抱えた家族は、すぐに崩壊はせず、緩やかに壊死していく。
私の実家もその典型的な一例であるため、「ザ・ニート家族」はこのように形成されるということを、
兄と私の半生を交えながら紹介したいと思う。
2人兄弟の末っ子として生まれた私は、兄と年齢が少し離れていたこともあり、両親、祖父母、親戚から可愛がられており、兄は必然的に放置されがちだった。
兄からしてみれば、自分を蔑ろにされている感覚からさぞ私を恨んでいたことだろう。
しかし、家族全体を通して見れば、多少ケンカをする2人兄弟の4人家族という一般的な家庭であった。
定期テスト、塾、受験、進学に関して、成績が悪かった兄を強く叱るようになり、それに兄が反抗し更に勉強をしなくなるという、負のフィードバックループが起こっていた。
また、学業だけでなく、日常生活全般に関しても気に入らないことがあれば怒鳴り散らし、自分が思う「躾け」の型に兄をはめていった。
そんな中、高校卒業を間近に控えた兄は、今まで自分の進路や行動を母に縛られていたため、
当初、大学に進学せずに働こうと考えていた兄だったが、やりたい仕事もなければ行きたい大学もなかった。
結果、ただ親に「今のご時世、大学には進学しておけ」と言われたから進学しただけの、Fラン大学生が誕生した。
高校は自由な校風の進学校に進んだ自分は、真面目に部活と学業に打ち込み、上位の国立大学に進んだ。
決定的な転機が訪れたのはここである。
今まで母は過干渉なぐらい兄につきまとっていたが、
今まで自分の人生に無頓着で、重要な選択さえも母の干渉を受けていた兄は、
「ただ今が楽であればいい」と考えるようになった兄は、
親がうるさく言ってこなくなったのをいいことに、大学卒業を間近に控えても就職活動をせず、ニートの道に進んでいった。
一方、兄への干渉を辞めた母は、幼少期ぶりに自分に接近するようになる。
しかし、今まで自分は母親に悩みも相談したことが無ければ、進路や人生の指針を相談したこともなく、
就職も結婚も確定してからの事後報告であり、「親を喜ばせる」なんてことは一切頭になかった。
そしてこの物語には、父は一切出てこない。
父は仕事人間であり、躾けどころか子どもの相談にも乗ろうとしなかった。
母が兄を怒鳴り散らしていた日々においても、その教育方針に口を挟むことはなく、黒子に徹し続けていた。
今まで教育を母親に任せきりにしてきた父は、無職の兄に対し躾けをする権利も、家庭内での発言権も無くなっており、
そんな威厳の無い父親を、兄と母は敵扱いしていた。
父→普段から育児に加わらず、家庭が崩壊寸前でも何もしようとしない
子(ニート)→小さいころから主体性を奪われているため、一人では何もできない
子(非ニート)→実家から逃亡し、何を言われても他人で押し通す
これら過干渉・不干渉の極端なバランスが、家族の形をいびつにしていく。
このパターンに当てはまる(緩やかな)崩壊家族、日本に結構あるんじゃなかろうか?
兄が30後半に差し掛かり、両親も定年に入り収入が無くなった今、
親が亡くなれば、家や土地を兄が継ぐのかもしれないが、後に残されうるのは主体性を失った兄であり、
そんな兄にいくら財産が付与されようとも解決の道は開けないだろう。