これは一種の備忘録であり、すでに忘れかけている出来事についてまとめたものである。
ほかの人々もこのような生き方をしてきたのかを知りたいが、わたしの周りの人間にはとても恐ろしくて聞くことができない。
そのため、このように匿名で、画面の向こう側のあなたに向けて発信する。
具体的に言うと小学校4年生までの思い出が一切ない。
4年生までは海が近くにある田舎に住んでいた。学校は、なぜか山の上にあったので、頂上まで続く階段を毎日登り続けていた記憶はある。
わたしが覚えていないことは、わたしにまつわる人間関係であったり、日常でわたしがどのように過ごしていたのかだ。どんな友達がいて、わたしはどんな性格で、学校ではどのような役割を担っていたのか。また、自宅では家族とどのような会話をして、なにを考えて生きていたのか全く思い出せない。
小学校5年生以降はどうなのかと考える。
わたしは5年生になるときに県内の比較的都会な街に引っ越してきた。
もちろん小学校も転校したため、また一から人間関係を築きあげなければならなかった。
わたしは転校初日、とても緊張していたことを今でも思い出せる。緊張のしすぎて腹痛になり、登壇した際に倒れたのだ。今のところ、これまでの人生で、あの瞬間ほど緊張したことはないだろう。おそらく、それ以来、よほどのことがない限り緊張もしなければ、度胸もついた気がする。
職場でも「あなたはいつも冷静で度胸がありますね」と上司に評された。
それはわたしが常に俯瞰的に見ていて、全てを他人事だと思っているからなのだが、その話は置いておく。
話は長くなったが、端的に言ってしまえば小学校5年生以降の記憶は保たれている。
今になって考えてみれば、わたしは転校先の初日で大恥をかいた。
しかも全校生徒の前で。
当時はここまでの考えには至っていないが、失うものが既に無いわたしは陽気なドジキャラで通していた。クラス内では明るくムードメーカーとして振る舞うが、肝心なときにミスをして級友たちの笑いを誘う。
このキャラ設定は楽だった。
今でもこれで通用している。
話は変わってしまうが、あなたは両親に言われたことがあるだろうか。
「お前は人間じゃない。お前は複雑だ」
おそらくは10代にまだ入っていない頃だと思われる。
わたしはよく嘘を多用している。
聞いたことのある話でも初めて聞くようなフリ。覚えているのに忘れたフリ。知っているのに無知なフリ。無垢なフリ。
出来ることでも出来ないフリ。
目の前の人物がAを好きと言えばわたしもAを好きだと言う。Bが嫌いだと言えばそれに控えめに同意する。別の人物がBを好きだと言えば控えめに同意する。
矛盾がないように嘘を重ねていくと、他者から見るわたしが形成されていく。
そもそもわたしはAにもBにも興味がない。だから好きでも嫌いでもどちらでもいい。わたしの好き嫌いはあなたが決めてもらっても構わない。その方が楽だ。
だいたいはこれに通ずる。出来ないフリをすることは友人たちから好感が良い。好きなものや嫌いなものが同じだと共感性が得られやすい。
わたしはどこにいても聞き上手だと言われるが、上手なのではなく、聞かないとわたしが形成されないからである。
相手より優れないフリが人間関係を長続きさせるのだと小学生の頃に気づけてよかったと思う。
しかしまだ嘘をつくことや出来ないフリをすることに慣れていない時期に、知らないフリをしていたことが母親に気付かれてしまった。
なぜ知らないフリをするのか問われるも、なにひとつ答えられなかったことを覚えている。どのように説明すればいいのか言葉が見つからなかったからだ。
だが、わたしはこれを特殊なことだとは思っていない。人間誰しもが、わたしと同じことをやっているではないか。
わたしはただ、みんなと同じことをやっているだけだ。辛うじてそう母親に伝えた。
そのあと、母親はこのことを父親に伝え、両親は揃って先ほどの言葉をわたしに述べた。
わたしのなにが母親を悲しませてしまったのだろうか。母親は泣いていたが、わたしはそれをじっと見ているだけだった。気味が悪いと言われ、さらに出て行けと言われたから、雨が降るなか外に出た。
母親は昔からみんなが好きだった。みんなと同じようにしなさい。みんなと一緒になりなさい。わたしはただ母親の言いつけを守っていただけであったが、どうやらわたしは母親の期待に応えることが出来なかったようだ。
それ以降、母親はわたしを捻くれているとか我が強すぎるとかの内面に対する評価をよくするようになった。わたしは言われている意味が理解できず、たびたび母親を悲しませてしまった。
わたしには2つ下の弟がいた。母親は彼を普通に育ってくれてよかったとよく褒めていた。
母親に褒められる、そんな弟がわたしは誇らしかった。弟がいれば、わたしはいなくても大丈夫だと思った。弟よりも出来ないフリをしていてよかったと心の底から思った。
話が結構逸れてしまったが、わたしの家族の話などどうでもよくて、本筋はなぜ小学校4年生までの記憶がないのだろうか。
とりあえず昔のわたしは一つの結論を出すことでわたしを納得させていた。
わたしは、わたし自身にも他者にも興味関心がなかった。それは今でも変わらないことであるが、ある程度の着地点は見つけている。
転校してからは陽気なドジキャラを演じることで、なにを言えば友人たちは喜ぶのか、なにが出来なければ友人たちは喜ぶのか。また、どのように反応すれば心を揺さぶることができるのかを理解するために人間をよく観察した。
最初は演じていたことであるが、10年以上も続けていくと、もはや呼吸のように行える。今ではわたしを形成する人格のひとつだ。
流石に母親に人間でないと言われてからは、わたしのこの生きた方を悩んだこともあった。
しかし、これは所謂、気遣いと呼ばれるものだから、人間誰しもが行なっていることであるため特殊なことではないと納得した。
前向きになれた。
登場人物たちを画面の向こう側であったり、文字の向こう側から俯瞰的に観察することができる物語が好きだ。しかも登場人物たちの内面を描いてくれるから勉強にもなる。
わたしはこの世界が物語の世界のうちのひとつだとたびたび考えている。
こちらの世界にも物語があるならば、逆説的にその物語の向こう側にも物語があるわけで、それはお互いに鑑賞しあっているのだと考えている。
画面の向こう側であったり、文字の向こう側の世界に存在する物語はきっと、わたしが存在する世界の物語が紡がれている。
きっと自我が形成されていなかった頃のわたしは、その物語の登場人物にすらなれなかった。
紡がれなかった物語の描写が無いように、わたしの記憶もわたしが生きた記録もない。
それは仕方がないことだろう。
だから、わたしが陽気なドジキャラと言うキャラクター設定を獲得することで物語の登場人物のうちのひとつになれたのだと考える。
どうりで記憶もあるはずだと思う。
そんな考え方をするとさらに生きることが楽に思えた。
演じているわたし、他の人間から言葉を借りるわたし、本当は空っぽなわたし。
その本質が明るみに出る恐怖に耐えきれなかった。
でも人間は誰であれ嘘をつく。
演じることだってある。
それとわたしは変わらないはずだ。
だが、そのことを家人や友人、職場の人間に聞くことはできない。確認することもできない。
なぜならわたしがわたしとして生きることができなくなってしまうからだ。
あの時のように人間じゃないと言われて、気味悪がられてしまったら、誰もわたしを知らない土地で人間関係を一から構築しなくてはならない。
それは正直めんどくさい。
だから匿名を名乗って、ここまで読んでくれたあなたに問いたい。
みんなになりきれているか?
【追記】
わたしが予想していたよりもはやく反応を示していただいて感謝しています。
こういった匿名の場を借りてみたのも、ここ数年、自分の考えを発信する場が以前よりも増えてきており、そこに投稿する人々も多くなってきていると気付いたからです。さまざまな文章をとても興味深く拝見させてもらいました。
そういえば、自己紹介的な部分がなく簡素な文になってしまったのではないかと考えに至り簡単ながらまとめさせてもらいました。
20代前半までは人間のなり損ないか病気なのだと思って過ごしていたが、これも個性なのでは?と思い始めてきているところ。
10代前半時代に祖母からとある医療職についてほしいと言われ、現在はその職種で病院に従事している。入れ替わりが激しい部署のため、その部署内では経験豊富な立場になってしまっている。現在は新人教育と比較的重要な業務を任されるようになってしまった。
(現在、上司から職場内の人間関係や職場のシステムについて相談されており、人間のなり損ないのような自分が、アドバイスしてよいものか悩んでいる。そのため、匿名の立場を借りてこのような文章を発信させてもらった。)
現在、わたしとふたり暮らし。明るくてとても優しいがとても寂しがり屋のため、単身赴任の父親が帰ってくるまではひとりにさせられない。
わたしが母親の理想とする子供像が掴めてきたので、関係は良好だと思われる。
弟
弟とはこれまで喧嘩などは一度も行ったことはない。わたしが母親に咎められた時は必ずフォローをいれてくれていた。母親曰く、わたしを尊敬してくれているようだ。
⚡⚡🐉💩
難しい話だね…でも自我が無いから記憶が無いって話は何となく分かるよ 時間が経つと「あの時どう思ったか」という感情は徐々に薄れていくから 「多分こういう事を思ったんだろう」...
ぶりっ子は嫌いですね
ちょっとだけコンビニ人間思い出した あれの主人公より増田の方がずっと社会に違和感無く溶け込めてるんだろうけど
増田自身も結論は出ていないようだが、これはどのような種類の弱者なのだろう? 属性次第ではリベラルとして保護することもやぶさかではない。