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はてなキーワード: 価値判断とは

2019-12-05

anond:20191205090602

どう説明すればいいかな。社会的勢力選挙区の人を新宿御苑に優先的に招くことについて、そして関連する予算を増やすことについて、法に明文で禁止されてるやっちゃいけないことではない。でも明文で禁止されてるわけでないのなら何をやってもいいわけではないよね。

瓜田に履物を納れず李下に冠を正さず、ってのがあって、疑惑を招きかねないことはしない行動原則道義だと思ってて、でも今回は瓜田に履物を納れちまってる可能性が高いわけで。

価値判断として、道義的にどうよ、という言葉を使ったんだけど、わかりにくかったらごめんね。

2019-11-16

リアルタイム動画 vs 非リアルタイム動画

ネット流行った時

やっぱテレビのようなリアルタイム性は要らないんだって思うようになった

でもその後ニコ生TwitchやYoutubeLiveなんかがどんどん流行っていって混乱した

じゃあテレビ若い層で衰退した理由ってなんだよって

おかげでリアルタイム動画価値判断にだいぶズレが出た

 

んで最近は「結局スマホで見れるかどうかが第一」説に落ち着いてる

双方向性とか、チャンネルの多さとか、素人が多いとか、配信環境とか、そういうのもあるけどね

2019-11-14

[] #80-8「人は簡単に変われる」

≪ 前
…………

俺はまず、クラスメートに某セミナーのことを話した。

「……といった感じで弟の奴、これくらいの大きさの本を1000円で買わされてやんの。返品しようと次のセミナーに出向いたら、言い包められる始末」

語ったことは全て事実だし、誇張はしていない。

それを提起したことについて、俺の価値判断が含まれているのは否定しないが。

「なんだと! そんな自由気ままに生きたがる人間ばかりになったら、この社会崩壊するぞ!」

「えー、確かに上等じゃないかもだけど、そこまで目くじら立てることっすか?」

「へえ、子供にそんな本を買わせるのか。ブログネタに使わせてもらおうっと」

だが、俺がどう考えているかなんて、この際どうでもいい。

問題にならないことを問題にして、それを解答して喜ぶのは出題者だけだろう。

だが出題さえしておけば、後は各々で勝手に悩んで勝手に答えてくれる。

そうなった時点でしめたものだ。


そんな具合に、俺は周りの知り合いに話していった。

時には雑談の一部に紛れ込ませ、時には何気なく呟くように。

「言ってることは、とにかく“自分の好きなように、楽に生きよう”って感じでさ。しがらみとかガン無視だよ」

それを聞いた人は、また別の人に話すという連鎖が発生し、見知らぬ人たちにも伝播していく。

こうなったら、たちまち波紋は広がり、それが収まらない環境ができあがる。

数日後には、町中で毎日、どこかの誰かが某セミナーの是非について語っている状態になった。

「んー、そういうのに子供まで巻き込むのはどうなんでしょうね」

「だが成人してたらOKかっつうと、それはそれでどうかと思うぞ」

しかし、違法というわけでもないですからなあ」

これが俺の狙いだった。

一言説明するならば、「物議を醸し出させる」ってこと。

その流れまでコントロールすることはできないが、それは正直どちらでもいい。

…………

それから数週間後、結果は如実に現れた。

最近、あの自己改革セミナーやってるとこ見ないね。受講者も見かけなくなったし」

「そりゃあ、最近あん調子”だったからな。この状況でやり続けるのはツラいだろう」

物議を醸したことで、あのセミナーをやっていた男や、その受講者の肩身は狭くなっていった。

実際の是非はともかく、その窮屈さに耐えられなくなれば萎縮していく。

風の便りで、あのセミナーは主戦場を変えて色々やっているらしいが、この町に来ることは二度とないだろうな。

「なんか追いやられたみたいで可哀想だな。別に悪いことしているわけでもないのに」

「いいかいかを決めるのはお前じゃない」

「じゃあ、誰が決めるんだよ」

「そんなの俺の方が知りたい」

もし知っていれば、こんな謀略に頼らなくて済んだ。

というより、身内が巻き込まれてなければ今回の件は無視していたに違いない。

あれの何がダメだったかなんて、俺だって本当のところは良く分かってないんだから

「そういえば弟よ、あの本はどうするんだ? 返品は難しそうだが、持っておくのか? 捨てるのか?」

「捨てちゃダメだよ。中古ショップで売らなきゃ。100円もしないと思うけど、ハムカツの足しにはなる」

この頃には、弟の言動もすっかり元通りになっていた。

弟はスポンジの如く吸水性は高いが、すぐに乾くタイプなんだ。

有り体に言えば「飽きた」ってことさ。

いずれこうなるんだったら、かかずらう必要はなかったかもしれない。

結果として、俺も「考えすぎていた」ってことなんだろう。

「じゃあ、その本を売った帰りに、あそこのハムカツを食うか」

「え、奢ってくれるの?」

「そんなわけないだろ。むしろこっちが奢って欲しいくらいだ」

「なんでだよ」

これが、この話の顛末だ。

結局、人は簡単に変われない、変わるわけにはいかない。

だが、もし変わるのが簡単だったのなら、それは元に戻るのも簡単だってことだ。

(#80-おわり)

2019-11-07

[] #80-1「人は簡単に変われる」

人はそう簡単に変われないとはいうけれど、弟から言わせれば楽勝らしい。

事の発端は数週間前、俺たち兄弟課題のために最寄の図書館へ行ったんだ。

今日資料集めをそこだけで済ませるってのもどうかと思うが、あながちバカにできるものでもない。

偏狭な馬面教師を満足させるのに、こういう場所にある本は都合が良いのさ。

兄貴課題って何?」

「『社会科学における価値判断と、その真理妥当性』だ。著者は忘れたが、そんなことを言及している本があったはず」

「うげえ、テーマを聞いただけで吐きそう」

「慣れれば吐かないさ。或いは吐くこと自体に慣れる。船酔いと一緒でな」

「そこまでして乗りかかった船にいたくねーよ」

だが、そこで降りてしまえば、後で確実にコウカイするだろう。

あのシマウマ教師の補修をやり続けたら食道がんになる。

少なくとも壊血病は避けられない。

「ところで、お前の船はどうなんだ。まさかテーマすら決めてないのか?」

「見くびるなよ。テーマは『この国が抱える借金を誰が払うべきか?』だ」

「ほう、如何にも大人が喜びそうなテーマだな。だが、お前的には“吐きそうな話”じゃないのか、それ」

「胸焼け止まりから大丈夫

しかし弟は学校も学年も違うので、教師偏狭でもないし馬面でもない。

課題をこなすことに大したプレッシャーがなかった。

「弟よ、お前さっきから“ま”の段落ばかり探しているが、パソコンで調べたりしないのか?」

必要ないよ。こういう本は『マンガで分かる~』で統一されてるんだから

「……まあ、お前の課題だ。好きにするがいいさ」

弟は結局、目ぼしい本がなかったようだ。

或いは見つけたものの読む気力が失せたのか。

トイレに行く」と図書室を出て行き、しばらく戻ってこなかった。

…………

弟が戻ってきたのは、それから1時間ほど経ってからだ。

俺の資料集めも丁度ひと段落ついたところだった。

「本、借りたんだ」

外国の本だから読み解くのに時間がかかりそうでな。翻訳問題なのか、随分とクドい書き方をしてあるんだ」

「なんでもいいから、用が済んだなら早く帰ろうよ。あそこの肉屋ハムカツ食ってからね」

「その意見には賛成だが、自分の分は自分で買えよ?」

ケチケチすんなよ。いま金欠なんだよ、俺」

「お前の小遣い事情なんざ知らん」

急かす弟に促され、俺はゆるりと帰り支度をはじめる。

バイトしてるんだしさ、ハムカツ位おごってくれてもいいじゃんか」

「お前にハムカツをおごるためにバイトしてるわけじゃ……ん?」

ふと弟の手元にある小さな本が目に留まった。

つの間に借りたんだろうか。

「お前は、その本を借りるのか?」

「えーと……これは買ったんだ」

「なんだそりゃ」


俺たちが利用した図書館ビルに備え付けられた一角であり、他にも様々な施設存在した。

間借りできる部屋もいくつかあり、そこで何らかのカルチャースクールだとかセミナーがよく開かれている。

まり弟は本探しに飽きて、トイレに行くと言いながら辺りを散策していたんだ。

で、やっていたセミナーに体よく引き込まれ挙句講師の自著まで買わされた、と。

いくらしたんだ、それ」

「……1000円」

ハムカツを腹いっぱい、レモンソーダと一緒に味わえただろうな」

本のカバーは無地で飾りっ気がなく、淡白フォントで『誰でも出来る自己改革』と書かれていた。

安っぽい自己啓発にありがちなタイトルだ。

紙質は粗悪ではないようだが、安価メモ帳よりはマシってレベルである

こんなもの買わされる弟も情けないが、ガキ相手に売りつける方も大概だ。

「あ、でも近いうちにまたセミナーやるらしくて。その時に返してくれるらしいんだ」

「ふーん……ん?」

弟がそう言った時、俺はそのセミナーの言い知れない違和感を覚えた。

だが俺は自分課題で手一杯だったのもあり、そのことを深く考えなかったんだ。

あの状況で、弟におごるのが癪だったってのも勿論ある。

「じゃあ、それまでハムカツなしの人生を送るんだな」

「えー!?

から何の気なしにそう答えてしまったんだ。

いま思えば、ハムカツ代を半分くらい出してやるべきだった。

次 ≫

2019-10-26

anond:20191026210803

○第5章『妊娠中絶:「妊娠中絶反対派」の見解

(『本書の概要』で述べるとおり専門的すぎるため省略)

○第6章『人口絶滅

●『人口過剰』

●『人口に関する道徳理論に潜む問題解決する』

・『パーフィット人口問題

p.176 人格影響説…非同一性問題非人格的総計説、非人格的平均説…新たな理論Xを求める。

・『反出生主義が理論Xに適合する理由

p.181 人格影響説は…出生は確実に悪いため解決できる。

p.181 非人格的総計説は…とにかく人間を増やすべきだという「いとわしい結論」と、まだ存在しない人間対象とする誤った前提を否定できる。ただし、人口サイズに対するガイドラインはなくなる。非人格的平均説は…人間の出生に条件を付ける「単純な追加の問題」を否定できる。…非人格説は幸福の最大の総量/平均値ではなく、不幸の最小の総量/平均値を目指すべきだ。よって、理想的人口ゼロだ。

・『契約主義

●『段階的絶滅

・『人口減少がQOLを低下させる場合

p.191 高齢化。とくに一部が「最後の人類」となることはQOLを大幅に低下させる。

・『人口ゼロまで減らす』

p.194 現存の人々のQOLを良くするために新たに生命を作ってもよいか。また、その条件は。

p.195 総計的人格影響説、平均的人格影響説…不幸から見た場合、平均説は明らかに誤り(QOLが悪い人生が60億あるより、120億ある方が悪い)。総計説なら部分的に許される。

p.198 平均説・総計説とも功利主義に対するのと同じ批判を受けうる。→権利義務論:厳格な説ならすべての子作りは許されない。厳格でない説なら部分的に許される。

●『絶滅

p.202 小惑星の衝突といった外的な脅威、持続不可能な消費、環境破壊、疫病、核兵器生物兵器

・『絶滅への二つの手段

p.203 皆殺しか、段階的絶滅か。

・『絶滅に関する三つの問題

p.204 ①皆殺し②「最後の人類」への害悪人間がいないという状態…①は明らかに悪い。②は最後世代の方が、最後から2番目の世代より、未来への願望・欲望が絶たれるという点で害悪が大きい。ただし、これは絶滅が早いほどにいいという議論矛盾しない。③道徳主体理性的思考者がいなくなり、多様性もなくなる。それらの受益者はいないし、「永遠の相のもとで」価値があるか不明だ。

○第7章『結論

●『反直観であるという反論反論する』

p.210 「道徳台帳」という功利主義理論を退けるピーター・シンガー。「失望主義(反失望主義」を退けるニルス・ホルタッグ。

p.211 そもそも直観的だというのは判断材料として有力ではない。…この結論(反出生主義)が反直観的という理由否定し、背理法的に非対称性を退ける。…快楽の不在は悪で、苦痛の不在は「悪くはない」と見做すことはできない。さらに、支配的な直観は①他人害悪を与えることを子作りに限って度外視している、②出産奨励する直観心理学的に歪められている、という問題がある。

p.214 背理法的に非対称性を論じることができると見做せば、我々より悪い人生を送る人々に、我々の直観を同様に反直観的と非難されることになる。

●『楽観主義者への応答』

p.215 楽観/悲観主義には事実価値判断の2つについてがある。無論、反出生主義はどちらも悲観主義だ。

p.216 反出生主義の楽観主義転回=避けられない絶滅を良いことだと考える。他の人々にとっては悲観主義的だ。

p.217 楽観主義者は悲観主義を苛立たしく思い、非難する。出生は「覆水盆に返らず」で、自分を憐れまず、いか自分が恵まれいるか考え、人生をフル活用し、喜びを感じ、前向きに考えなければならない…①人を元気付けるというだけでは正当とは言えない。②自己を憐れむことなく自らの存在を悔やむことはできる。何より、反出生主義はまだ生まれてこない子供のためのもの利他的だ。盆からこぼれてもいなければ、こぼれる必要もない。③自分人生に満足すべきだという意味を読みとって「いか自分が恵まれいるか考える」ことは、自分に都合のいいように解釈することを必然的に伴い、そうしろという命令には全く説得力がない。反出生主義は苦痛拡散をせず、なおかつ自分人生をより悪くなくすことができる。④楽観主義苦痛に対する妥当否定ではなく、ただの無関心でしかない。明るい方向がつねに正しいというのは、ただの無根拠イデオロギーだ。自己欺瞞を回避できれば、集中して取り組まなければならないのは、おおむね希望より逆境だ。彼らは幸せかもしれないが、だからといって正しいわけではない。

●『死と自殺

p.220 存在してしまうということはつねに害悪だという見解は、死が存在しつづけるより良いということや、自殺がつねに望ましいということを意味しない。存在するもの存在しつづけることに様々な利害関心を持ちえて、人生を続けるに値しないほどの害悪は、それらの利害関心を無効化するほどでなければならない。

p.221 実際、存在することの害悪の大きな1つは死ぬこと(不死ではないこと)だ。

p.221 エピキュリアン:死は死ぬものにとって悪くない。死が来た時点でその主体存在せず、よって死は経験できない。…①すべての条件が同じなら、長い人生は短い人生よりいい。②死んだ人間の願いは尊重すべきだ(もし死は害悪でないのなら、死後生じることで害悪ないことはない)。何より、③殺人はその犠牲者を害するという直観に反する。

p.222 ①存在することが害悪だと考えるひとさえ、同意くその人を殺すのはその人を不当に扱っていると考える。②予防原則:エピキュリアンの見解が間違っていた場合、深刻な害悪がもたらされるが、反出生主義が間違っていても、害悪がもたらされることはない。

p.223 生前非存在と死後の非存在非対称的だ。人に歴史個人歴史から構成される。

p.223 「生前の」人物から奪うというのは…害されるのが「生前の」人物なら過去への因果関係が生じているという議論…死が害する瞬間は「つねに」または「永遠に」だ(例:「最後から2番目の大統領」は「つねに」、「永遠に」そうだ)。…デイヴィッド・スーツ「それは「純粋関係的な」点において惨めであるということで、彼が害されているということは言えない」。

p.225 ともあれ、反出生主義はエピキュリアンを意味しない。エピキュリアン:死は害でも益でもない。→エピキュリアンの見解を退けるとすれば①死はつねに害悪である。②つねに利益である。③害悪である場合利益である場合もある。…①②は明らかに間違い。反出生主義は③で、QOL評価と、それが存在しつづけるのをやめるべきとき基準は、自己決定の原理によるべきだ。しかし、一般的見解より合理的自殺に寛容なことは確かだ。実際、西洋文化ほとんどを含む多くの文化合理的自殺への大きな偏見がある。

p.228 一旦、誰かが存在してしまい、その人への愛着形成されると、自殺苦痛を引き起こす。せいぜい子供のいない人生苦痛比較することで和らげるだけだ。さらに、周辺の人への害が増えることがあり得る。

●『宗教的見解

p.229 旧約聖書でヨブは生れてきたことを悔い、エレミヤはさら堕胎してくれなかったことを恨んでいる。タルムードヒレ主義とシャマイ主義の論争で、人類は作られない方が良かったという後者に軍配を上げている。

●『人間嫌いと人間好き』

p.231 反出生主義は人間好きによるものだ。しかし、人類自分から絶滅せず、多数の苦痛が生まれつづけるだろう。これこそ、人間嫌いが反出生主義に達しない理由だ。…人々は反出生主義も子作りをやめることも受けいれないだろう。それが人間好きに由来するとは考えにくい。それは人間に対する悪意ではなくとも、存在してしまうことへの害悪への、自己欺瞞的な無関心によって行われている。

デヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』要約

本稿の著作権著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。

○第1章『序論』

p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。

●『誰がそんなに幸運なのか?』

p.12 「生はあまりにも酷い。生まれしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人格言

 「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間だってほとんど生じない」(フロイトジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしか非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的ゲームでも冗談でもない」

p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源責任。=デレク・パーフィット起源説」

●『反出生主義と出生を促進する偏見

p.16 反出生主義の偏見子供嫌い、子供を持つことによる自由財産制限

p.17 出生の偏見子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから子供もつ動機利己的でしかありえない。②(1)子供もつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖衝動原始的ものである

p.19 全体主義者の政治団体軍事的理由生殖奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家移民より生殖により人口構成されている方が正当化される。

●『本書の概要

●『読者への指針』

○第2章『存在してしまうことが害悪である理由

●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』

p.27 「非同一性問題」「未来個人パラドックス」…(ex)遺伝性の障碍

・『生きる価値のある人生と生きる価値のない人生

p.29 非存在存在比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。

 …誰かが死んだ方がマシだと考えるとき自分状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。

p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態比較するのではなく、まったく別の事態比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現多義性が原因だ。

・『始めるに値する人生と続けるに値する人生

p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。

p.34 道徳的問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。

●『何故存在してしまうことは常に害悪であるのか』

・『快楽苦痛非対称性

p.40 非存在苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。

p.42 人々を幸福にする積極的義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的義務があると考える人ほとんどいない。

p.44 非対称性思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人場所無人島・火星)」(…非対称的判断)で実証できる。

p.46 積極的功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理要請だと言える。しかし、②を倫理要請だとすると、個人価値幸福価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。

・『存在することと決して存在しないことを比較する』

p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分意味がない。

p.54 楽観主義者快楽苦痛費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽苦痛割合苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人」はつねに相対的に前者が勝る。

・『別の非対称性

p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人人格無視している。…そもそも、出生が利益もつことはない。

p.63 出生された人物権利生殖侵害するということは、その権利請負人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論生殖特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。

p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。

・『生まれたことを悔いないことに逆らって』

p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまたことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。

p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人存在が良い/悪いということは、存在してしまたことが幸福/不幸ということと同じではない。

○第3章『存在してしまうことがどれほど悪いのか』

●『人生の良さと悪さの差が人生の質にはならない理由

p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。

●『何故人生の質の自己判断は信頼できないのか』

p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較幸福自己判断は、実際は相対的指標による。

●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由

・『快楽説』

p.81 人間人生の大部分をマイナス精神状態で過ごす…空腹、渇き便意尿意疲労ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学効果無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー頭痛挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱孤独無力感喪失感、その他、被害感情全般

・『欲求充足説』

p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも欲求が満たされないことも多い。現状維持欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。

p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート人間永遠幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズロー人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。

p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程のものが良いという議論…は明らかに不条理だ。

・『客観的リスト説』

p.92客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生無意味だが、その視点人類視点は大差ない。

p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。

・『三つの見解についてのまとめ』

p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。

●『苦痛世界

〇第4章『子供を持つこと:反出生的見解

●『子作り』

・『子作りの義務はない』

p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。

・『子どもを作ってはいけないという義務はあるのか?』

p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。

p.107 他者の関心…両親、部族民族国家しかし、こうした他者利益を適えることは、それによる当人利益を適えることと表裏一体だ。

p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利制限されるべきだ。

●『子どもを作る自由

・『子どもを作る権利とされているもの理解する』

p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。

・『子どもを作る権利自律性に根拠付ける』

p.114 法的権利道徳的義務対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利妥当ではない。

・『子どもを作る権利無益さに根拠付ける』

p.115 政府子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解

・『子どもを作る権利意見の相違があるということに根拠付ける』

p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理必要条件:ある行為害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為害悪議論余地があるだけでは許されないものもある。

・『子どもを生む権利妥当意見の相違に根拠付ける』

p.118 危害原理例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制アパルトヘイトは明らかに妥当ではない。

p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論比較して十分に検討されるまでは、妥当判断のできる理性的な人々によって、意見妥当に違えることができるかは結論付けられない。

p.121 少なくともリベラル社会において子供を作る法的権利撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。

●『障碍とロングフライフ(望まずに生まれた命)』

p.123 障碍…障碍は社会構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。

p.132 ロングフライフ訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当意見の相違。②QOL評価個人的なものだ(とくに現在のロングフライフ訴訟代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOL評価個人に独特なものではない。の2点の課題がある。

●『生殖補助と人工生殖

・『生殖倫理と性倫理

p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的容認されるという多くの反論がある見解オーラル・アナルセックスレイプ不倫不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖見解」として完全に退ける。

・『誕生悲劇婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。

●『将来生まれてくる人間を単なる手段として考えること』

p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族部族民族種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人手段として扱ってはならないというカンティアン命題によりいっそう当てはまる。

○第5章『妊娠中絶:「 Permalink | 記事への反応(1) | 21:07

2019-10-18

anond:20191018195430

うーん、困ったなあ

まだ伝わらないか

増田にとっては絶対に受け入れらない絵なんだな、というのは伝わってくるしそれは尊重すべきことって思ってるよ

結局増田さんの言ったことって

公共の場では世間スタンダード基準に全員合わせるべき」ってことでしょ?

それに従えば萌え絵公共の場から消えるはずだと信じている、と

ただ、この「世間スタンダード基準」というのが曲者でさ

これを「私の価値観」とか「オタクの好み」に差し替えると、何バカなこと言ってるの?って思うのわかると思うんだ


そして増田さんは多様性は認める、と言いながらも、絵の価値判断の線引きに関して、あるかどうかもわからない「スタンダード」があると信じてて、それが自分価値観と一致しているって信じているわけだよね?

そこにもし仮に誰もが納得できる「スタンダード」が存在するなら、こんなに論争にならないんだよ

スタンダードなんて幻想なんだよ

あるのは雑多な価値観の集合だけ

から、「スタンダード」を声高に主張するほど、それを「お気持ち」と呼ぶ人が出てくる仕組みなんだ

だってそれは雑多な価値観の中の1つでしかいか

どうでしょう、伝わりますかね?

2019-09-29

anond:20190929190132

共感脳って

共感できるか否かが価値判断に大きく影響する」

ってことでしょ

共感やすい優しい人なんてイメージあるけど

実際は野蛮な人間だと思うわ

2019-09-03

陽キャは悪質

陽キャ陰キャジャッジする側だ。

例えば、近所同士で陽キャ陰キャが顔を合わせたとき挨拶したとする。

陽キャ他人に嫌われた経験がないから、自分からキハキと笑顔挨拶する。

陰キャは大体第一印象で好印象を持たれず、他人に嫌われる人生だったから、自分から挨拶することはなく、挨拶されたか挨拶し返す程度。顔も真顔だし普通挨拶。嫌われないように、至って普通対応する。

この時、陽キャは家に帰ってから陰キャジャッジが始める。〇〇さんと挨拶したけど、なんかハキハキしない人だったとか、暗い感じの人だったとか。

でも、陰キャ挨拶をやり過ごすのに精一杯で陽キャのことはどうでもいい。

仮に陰キャがハキハキと笑顔挨拶しても、陽キャ欠点を見つけて減点方式ジャッジしかしない。

陽キャ第一印象しか人をジャッジせず、自分価値判断勝手他人貶めるので、本当に悪質だ。

2019-08-15

Midas先生あいちトリエンナーレ表現不自由展」を語る

どうもMidasファンです。

面白かったのでブクマをまとめました。

https://b.hatena.ne.jp/Midas/

芸術政治化」ではなく「政治芸術化」こそが問題



 もう少し左翼好意的に言っておくとこの件(「消すぐらいならやるな」と憤慨してるひとがいるように)「政治政治ちゃんとやれよ(天皇制を打倒したいなら『表現の自由w』とか言ってないで現実で打倒しろ」につきる。めざすべきはあくまでも現実世界での天皇制廃止ないしは社会改革であって展覧会で「これがボクたちの考えた芸術です」は単に『表現w』の世界へ逃げこんでるだけ(「現実では何も変えれない」敗北宣言にこれも等しい。

 このへんの不純さ、不誠実さが(右翼のみならず)いわゆるノンポリのひとたちの嫌悪感を誘ってるのは疑いないので。結局「歴史上の人物から問題ないですよね」がいまだに大失言だと気づいてないのはそういうとこ。「これは表現の自由だ」が『政治』になりうるためには当然ながらそんな2代まえなんかの肖像いくら燃やしてもアクチュアリティのかけらもないわけで(「歴史上」は「ノーカン」でしかないので)いまの天皇を燃やすべき。ところが令和の陛下が犯した悪行といえば柏原芳恵ラブレター書いたのと嫁の生理があがってオトコみたいなツラになったくらいしかないのであってその責任を問おうにもポイントがみつからない(お人柄もいいらしいし。

 「2代まえのひとだから(歴史上の人物なので」と『表現の自由』だけを切り分けようとするほど政治的には効力を失ってしまうというジレンマがある。「いいかな?」とか言ってる場合ではないのである。かんたんにいうと今回の件が決定的にダメなのは(ちまたで言われてるような)「芸術政治化(本来ニュートラルであるべき美術世界稚拙プロパガンダ芸術をもちこんだ」からではなく逆「政治美術化した」から

 政治美術化とはいうまでもなくファシズムの最も簡潔な定義なので。政治美術館での鑑賞の対象にするとは現実世界矛盾一見みんなで共有してるようでその実は単に審美的判断をくだすだけ。くり返しいっとくが政治ギャラリーでの鑑賞の対象にして「考えさせられました…」とか言ってるのは現実改革あきらめたしるししかないのである政治展覧会ネタにしてはならないとはそういうこと。



表現不自由」よりも「差別排除時代」の方が問題



 たぶんガイジンさんには今回の「表現の自由」いったいなにを争ってるのか全く理解できてないと思う。ちなみに「表現の自由がー」必死に言ってる連中もこれが極めて日本的な『どこに由来してる』か自覚してない。

 (まさかと思うかもしれないが)この『表現の自由はいわゆる『朝日的な』もの(サヨクん)ではなくルーツ雑誌ぴあ』にある。町山が「はあ…昔の『ぴあ』はよかった…」言ってたのを軽くみてはならない。日本の68年以降の文化史ではそれまで『朝日ジャーナル』を小脇にかかえて歩くのが学生さんヤングのひとたち『かっこいい(政治意識がある』と言われてた。雑誌ぴあ』はまさに『朝日ジャーナル』の次にあたる。朝日ジャーナルにかわってこんどは『ぴあ』をかかえて歩くのがかっこいいヤングの条件(ちなみに朝日ジャーナルのまえは『平凡パンチ』とか)になった。『ぴあ』がかっこよかったのはいわゆる『情報誌』だったから。

 ロードショーから場末ポルノ歌舞伎展覧会にいたるまで情報を『差別』せずフラットに扱った最初の例が雑誌ぴあ』。フラットに扱うとは『価値判断をしない』。ただしこの『価値判断をしない』がくせものであって…「町山さいきんクソサヨクなっちゃってどうしたの…(脳に毒がまわったのかな」ふしぎに思ってるひとも多いが情報コンテクストにおける『価値判断しない』は結局は「愚弄する(冷笑する。もちあげない」なので津田やあずまくんにしてみれば「まさかこんな反発くらうとわ…」なのもまあわかる。あの「歴史上だから、まいっかと思って」もホントだったら慰安婦像つくったひとにむしろ「ふざけんな!」言われてるべき態度。

 慰安婦像つくったひとは(わたしにいわせればデタラメもいいとこだが)マジで日本人よ…はんせいしろ」思って(たぶん)あれつくってるので。津田やあずまくんがやってた「表現の自由」実はそこまでの政治性はない。

 雑誌ぴあ』が今週おこってるいろんなイベントおもしろおかし無差別にとりあげれたその点において表現自由だった(ロマンポルノのとなりにハイソ演劇が並んでてよかったね自由社会で)くらいのニュアンス。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。

 高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに侮辱だ」思うのもまた自然ことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに侮辱だ」思うのもまた自然ことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。

 みんな(とくに憲法がくしゃとか)大いに勘違いしてるけどこれ要するにそういうことなので(どうしてこんなかんたんなことがわからんのだという感じ。なぜそうなるかというとつまるとこ『インダスリー』のもんだい。たとえばこんかいあずまくんいきなり前言ひるがえしたりして「なんなのこのひとは…(このていどのこと最初からわかれよ」思うひともたぶんたくさんいるはずだが別に彼らに一貫したものなどありはしないので、こないだまで河村disってたはずのあずまくんいきなり「津田がわるい」になるの丸山ぎいん「みなさんNHK受信料はらうのは国民のぎむ」からの「NHKぶっこわす!」入りと全くおなじ。

 インダスリー問題とはすなわち文化産業問題であり雑誌ぴあ』の「表現の自由」が成立してたのはみんなが中産階級だと思ってたから。永六輔とか旧NHKこうした平等社会の構築に焦点あわせてたしこの環境産物。こうした文化産業の仕組み(従事してるひとたちも含めまだ巨大なインフラが半ば廃墟と化しながら残ってる)いまどきこれでやってけるはずない(もう残念ながら時代おくれ)と誰もが思ってるのは確かなので。

 若干専門的な話でしめとくと(もうネットにたくさんいる情報産業のひとにとっては常識だろうが)おどかすようですまないがこれからは「情報フラットに」ではなく「差別排除」の時代なので(あれこれいってもムダ。差別排除とはゲートキーパーが誰をはじくか決めてその(誰でもゲットできるはずの)情報へのアクセス権がそのひとの社会的な地位をしめすアレ(要は「ブロックだ!」「不可視にする!」みなさん楽しそうにやってるやつ。

 表現の自由なんかよりそっちのほうがよっぽどだいもんだいじゃないの?wという感じだが世の中よくできたものホント重要なことは展覧会テーマになんかなったりはしないのである(みんなのメシの種になってるから

2019-08-13

anond:20190813125826

その認識がすでに誤ってる。

非モテ」と認識認定するから相手コミュニケーション対象外に設定するんだぞ。

その価値判断や決めつけはすべて外部の視点によるものであって、本人の責任ではない。

2019-08-01

何が正しいか分かってますみたいな政治ヲタ

気持ち悪くてしょうがない

お前ら頭悪い癖になんでそこらへんの善悪判断は出来ると思ってんだよ

正しい価値判断が出来るやつはそもそも貧乏人になることなんてねーよ

お前らはてなー自分人生間違え続けてきた癖に、政治経済みたいな複雑なこと理解出来てるわけねーだろ

少しは頭使えや

2019-07-29

anond:20190728144801

政治家はみんなクソ、じゃなくて障害者議員にだけ身銭切れだなんだって言ってるだけで投票したとか支持してたなんて嘘っぱちだと分かるね

実際制度が変わるまで仕事しないなんて許されないわけで、結局は身銭切らざるを得ないんだし、自費負担ならほぼ議員報酬は吹っ飛ぶことになるんだよ、まだ貰ってもいないだろうけどな

結局健常者と比べてそれだけのハンデを負ってるのが重度の障害者で、そういう人に対して肥え太るだのなんだのと金(=生産性)を基準にした価値判断がなされないような国にしていきたいと言ってるのがこの人らだろう

ワープアバカにしてたり自己責任だと言ってるブコメも大概だけど、結局はお前も同じ穴の狢なんだよ、似たり寄ったりの価値観で生きてんだよ

2019-07-19

anond:20190719123728

これは、もしも砂漠遭難して死にそうなときペットボトルの水を売ってくれると言ったらいくらで買う?

みたいな質問

適切な価値判断ができない状況での回答を聞いていったいどうしようというのか。

2019-06-30

ブッダが私を価値判断から開放してくれた

どんなものに対しても、「これに意味があるんだろうか」「価値はあるんだろうか」と思考してしまう病に罹っていた。

まず、この社会で生きるということは、そういった価値判断を行いながら生きるということだ。

誰かが作った"良い"とか"悪い"とかい価値の中にすべての物事を、もちろん自分さえも当てはめていくことだ。

そんな社会に嫌気が差していた。

この社会は、そういう価値判断を推奨している。

人間はそうやって見出し価値を求めてきた結果、高度な文明を発展させてきたし、

それを否定するつもりはない。

多くの人はその事を良いことだと捉えているような気がするし、

それが人間の持つ知性の持つ素晴らしさであり、

そんな素晴らしい知性を持つ人間は素晴らしい存在だということを信じて疑わない人たちも多い。

でも、そういう"素晴らしい"とか、"良い"とか"悪い"は、あくま人間独断で決めたもので、

この世界の大半の存在にとっては、何の関係もない狭い世界の話だと薄々気づいていた。

ただ私もそんな価値判断が当然である社会に生まれ、気がつけばそれに染まり、あらゆるもの価値判断を行う癖がついていた。

物を認識した瞬間、"意味"とか"価値"を考えてしま自分がいる事に憂い、苦しんでいた。

何より人々が作り出した価値基準指標に、自分さえも当てはめていかなければいけない事に虚しさを感じていた。

自分価値意味も見出せなかった。

大人になるにつれ、自分社会価値基準にそぐわない事がわかってきた。

自分は素晴らしいとされるような人間の一員になれる気がしなかったし、そもそもなりたくもなかった。

だが、素晴らしくない人間は生きるのが大変だ。

未来を考えれば真っ暗で、憂鬱になった。

から死にたい」と思っていた。(これはもちろん「この社会では死にたい」という生への執着なのだが。)

でも、社会価値観に既に染まっている私は「自殺」は社会迷惑をかける"悪いこと"で、"無意味なこと"だと言われるのを知っていたし、

そもそも死ぬのは怖かったのでできなかった。

そこからとあるきっかけで『スッタニパータ』という、ブッダの死後100年程で作られ始めた仏教経典の中で最も古いと言われている経典を読んで、

実際に価値判断世界から"解脱"し、その方法を人々に示してくれたその人の言葉勇気づけられ、納得させられて、

もう社会価値心理的に振り回されることはないという非常に軽い気持ちになった事を詳しく書こうと思ったんだけど、

疲れたのでやめます

この"疲れたのでやめる"という行為も、以前はできなかったのですが、そこに"善悪"の判断必要ないと知ってできるようになりました。

出生フォビアなのに出生してきてしまった

しかしながら、私は生まれる前から出生フォビアだったわけがない、なぜなら生まれる前はそのような価値判断をする"私"は存在しなかったのだから。ではなぜ、生まれてきたくせにその事実否定するような出生フォビアになってしまったのか?端的に自己矛盾であり欺瞞的な態度ではないのか?

いや、これは反逆なのだ、と。"私"が永遠にまれなかったかもしれない反実仮想的な、"私"の出生とともに永遠に失われてしまった"訪れなかった未来"、"有り得たもう一つの未来"に対する決して満たされることのない郷愁未来に向かって私が渇望するこの夢は、出生によって存在を開始された"私"を通じて願望されるという形式を取る限り、永遠に奪われ続ける。常に未来否定することでしか過去を受け入れることが出来ないこのあり方にあって、私の"出生"は開始された時点から醒めることのない微睡だったのかもしれない。

眠気、倦怠、微睡。引き伸ばされた時間未来への郷愁を繰り返すのっぺりとした灰色の大地だ、未来とは何と気怠いことか!

2019-06-13

anond:20190613162238

彼の言ってることは極限まで突き詰めるなら正しいんだよ

価値判断差別から

ただそこまで心を突き詰めて観察して修行してるのは我々仏教徒だけ

普通の人はそのレベル社会生活してないからそのライン求めあうのは無理があるよね

2019-06-11

anond:20190611042626

こういうのって院とか大学に入る前の時点で価値判断とかメンタルの根っこの方がぶっ壊れてんだよな

2019-06-05

退職後2000万円不足

退職後の生活資金について、約2000万円不足するという具体的な金額まで報道されるようになって多少の騒ぎになっている。

ブコメでも色々な反応が出ているが、勝手に分類してみた。

1 年金崩壊と読み替えた方

これは、そもそも年金が、退職後の所得を全て代替する制度だという勘違いがあると思う。

先進諸国で比べても、退職後の年金等によるカバー率(所得代替率)は、40パーセント以下が普通。全部年金カバーなんて出来ない。ましてや、急速に余命が伸び、高齢化が進んでいるなら仕方が無い。年金運用成果云々でこうなっている訳でもない。

価値判断として、これで良い/安心しろ、と言っている訳ではない。)

https://www.oecd.org/tokyo/newsroom/pensions-reforms-have-slowed-in-oecd-countries-but-need-to-continue-says-oecd-japanese-version.htm

2 投資はいやだ、日本株は嫌だ、

これは好きにしたら良いと思う。が、日本株じゃなくても、リスク資産投資しないと、資産寿命は増えない。

2000万円は、「男性が65歳以上、女性が60歳以上の夫婦では、年金収入に頼った生活設計だと毎月約5万円の赤字が出るとはじいた。」試算に過ぎない。月々の生活レベルによって、もっと低い水準で毎月やりくりする人も沢山居る。

自分現在の預貯金、将来の年金の予想図(ねんきん定期便見てみよう)で、簡単に試算もしてみると良いと思う。それもせずに政府批判しているのであれば、それはおかしい。

3 麻生が言うな

これはそう思う。

2019-06-04

anond:20190604155946

オタク嫌悪は実際激しかっただろ

ソースなし。

ええ…

君はちょっとこの話に参加する基礎知識が無いよね

>迷走に迷走を重ねて一般芸能人路線に行ってやっぱ無理でさ

逆だろ。

一般芸能人路線に行った」ことを「迷走」「オタク嫌い」と捉えたオタクバッシングしたんだろ。

やすげーーー痛々しかったし

結局タレントやりたいのか女優ヤリたいのか歌手なのかもよくわからん状態だったし

現にあっちの世界に定着出来なかったじゃん

事実に対して「迷走」と言ってるのに君のお気持ち価値判断レベルから反論されてもな

いまでも舞台などに出演してるんだから無理ではなかったぞ。

メレンゲもしゃべくりも相当の格じゃないとメインゲストで出れない番組

あの人の一般行きは最初相当太いバックがついてプッシュしてもらえてた

それで結局そんなライン全然保てなかったじゃん

舞台なんてそれこそ普通声優でも当人に芝居の志向あるなら出れるがな

2019-06-01

anond:20190601152515

25くらいの頃にひどく悩んで、比べて価値判断する限り幸せにならないことが分かったので、以降は基本的に比べないことを旨としてる。あと、比べて貶めてくる人間と付き合わない。

2019-05-31

フェミニストによる『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』評が気持ち悪い

Amazon Customer

5つ星のうち2.0

話も絵も良いが、胸糞は色んな意味で悪くなる

2019年5月26日 形式: Kindle版Amazonで購入

かわいい絵で軽い気持ちで買ってみたら非常に重い話の内容だった。

身体差し出して渡り歩いてきた家出少女ヒロイン

今もまだ社会問題としてある神待ち少女が題材に入っていると思われる。

とにかく、その過ごしてきた過程想像すると本当に胸糞悪く、耐え難い。

はいい年してラノベ漫画も読むクソオタク変態野郎だが、最低限、

人しての矜持は持っている。たとえフィクションでも、いい大人であろう

野郎どもが価値判断基準曖昧少女を食い物にしてきた話を気楽になど

読めない。ほんわか、ほっこり?何言ってるんだ?

しかし、一番気に食わないのは、この作品ライトノベルコミカライズ

読者の間口を広げようとしているところだ。そのカテゴリに入れれば

軽くなるとでも言うのか?気楽に楽しめるような作品では決してない。

原作者漫画家の方には申し訳ないが、購入者として正直に書くと、

こうレビューせざるを得ない。

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このレビュアープロフィール

https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AFEEIRAPXHCQQLELLVKZC7XBNVHQ/ref=cm_cr_dp_d_gw_tr?ie=UTF8


ちなみに本作はこの人以外高評価なので殊更悪目立ちしてる。この人のプロフを見ると満点評価殆どない、大抵貶してる。嫌なら読むなフェミってホント気持ち悪いな

2019-05-24

anond:20190524103302

例えば子供ができたりというきっかけで死刑反対から賛成に転じた人がいて、その理由自分に置き換えてみての意見だったという事実が実際にあるのだから

からそれは確率的に言ってウルトラレアでしょ

第三者視点で論じなければならないっていう問題でもないでしょ。

「しなければならない」なんて話はしてない

価値判断の話はしてないって何回言わせるんだ?

現に大多数は第三者視点で論じてるよという事実を指摘してるだけ

立ち返って最初増田あなたが言う他人出来事評価して要不要を論じているのであれば、例えばそれを当事者として考えた場合はどうかという問題提起なのだからそれくらいは許してよ。

ここではウルトラレアケースの前提で詰めるのはただの詭弁になってるよと言ってるだけ

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