はてなキーワード: 価値判断とは
これね。
本当に毎度毎度アニマルライツやヴィーガンの話題になると同じ稚拙な反論をする人たちが次から次へと湧いてくる。
何度説明してもどこ吹く風で延々と無知の再生産がなされてる状況、いい加減どうにかならんもんかね。
という事で、ブコメにある典型的な無知や勘違いに基づく反論たちをピックアップして解説していきます。
もうさ、これに関してはヴィーガンに関するブコメ・ブログ・Twitter等様々な所で説明されてるので
知らないなら少しは自分で調べろよと。相手の意見を理解してから反論するなんてのは最低限のマナーでしょうよ。
とは言え、せっかくなので説明するとそもそもアニマルライツ運動やヴィーガンは「命を大切にしろ」なんて主張していないです。
大体「命」って何?定義できないでしょう。そんなあやふやな運動や主義ではないんですよ。(仮に一部にそういう人がいたとして決して主流ではない)
じゃあ彼らが主張しているのは何か?それはあらゆる動物における「苦痛の回避」です。
なので、必然的に対象は痛みを感じる動物、基本的には大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られてくる訳です。(対象の範囲についてはいくつか議論あり)
更にこの「苦痛の回避」の元になってるのは、皆さん大好きトロッコ問題でお馴染みの「功利主義」という考え方で
最大多数の最大幸福とは何か?→それは苦痛の最小化ではないか?→苦痛を感じるのは人間だけではないのでは?という発想から。
まあ、この辺については掘り下げると大分話が逸れるので、興味のある人はそれぞれで調べてくみて下さい。
とういうか「植物も~」系の反論する人って実際自分が植物の権利を主張してるわけじゃないよね?
植物に権利があると思うなら「動物も植物も共に食べるな」と主張すればいいだけだし
そんな主張する人がいない以上それは屁理屈以下の空論に過ぎず、その虎を屏風からだしてみろってな話ですよ。
- 本当に何を言ってるかわからない。その守りたいとかいう動物も他の動物しょっちゅうこれよりこれのが美味しいって種を選んで食ってるんですが…。そっちは尊い生命活動…?誰が一体ジャッジできんの…?お前…???
- 草食動物を捕食しているライオンの前で主張してほしいですね。もちろん無防備で。
- 肉食動物が他の動物を殺して食べるのは良いの? 良いならなぜ人間だけだめなの? それとも殺生全てを禁ずるの?それなら地上全ての肉食動物を束縛して代用肉与えるの? 神の代理人を気取るのは傲慢だと思うんだが。
- 人権と人権の衝突に偽装してるけど、これはあくまで人間と動物の権利の衝突。その意味でVeganの人権は侵害されてない。またアニマルライツが認められるなら、別のアニマルからもアニマルライツを守らなくてはならない
- 野生の肉食動物の前で御高説垂れとけ。
これもよくある反論なんだけど、そもそも「どうすべきか」という価値判断ってのは人間の行為への言及でしょ。
野生動物の行為に人間の価値判断を押し付けようったって不可能だよね?言葉が通じないんだから。
「人間がどう行為すべきか」の話だからこそ「人間が動物に回避可能な苦痛を与えるべきではない」と言ってるんですよ。
それに野生動物が捕食するから人間もしていいって理屈なら人間が人間を捕食しても構わない事になるけどそんなはずないよね?
ここまで説明すると次に出てくるのが「動物と植物の間に線引するなんて恣意的だ」という反論。
これも「だからなに」としか返せません。人間が人間社会にある倫理的線引をするならそれはどうやったって恣意的になるでしょ。
あなたは猫を食べますか?野菜とクジラは食べるけど猫は食べないってのは恣意的ですか?
日本には動物愛護法ってのがあり、野菜のように生きたまま茹でたり切り刻むような事を動物にしたら逮捕されるんだけど
それは恣意的だから不当な権利侵害ですか?だったら動物と植物を同等に扱えるよう主張・実践してくださいよ。陰ながら応援しますので。
- 馬鹿だなあ。権利が衝突する以上、片方を優先させる理屈こそが問題なのに、一言も触れていない。そして他人の食欲を邪魔するんだから相当なものが必要。せいぜい、アリを無益に踏まないために引きこもってるべき。
- 他者への畜産物利用禁止強要までいくと、潔癖をこじらせて他人に押し付けようとしているようにしか見えないのだけど。「いつ自明なものでなくなるかわからない」なら、むしろ的外れじゃなく必要な反論だろう。
- 自明ではない新しい権利を獲得しようとする活動はあり得るが「そんな権利になり得ない主張のために自分の権利が侵されるのは認められない」の反対活動も当然許される。的外れとは言えないのでは。
- 権利運動するなって話じゃないし、反デモを起こすのもただの権利運動でしょ。だからどっちが正しいという話じゃない。
する権利とされない権利、侵す権利と守る権利、これらが衝突した時に後者を優先してきたのが我々の文化の進歩だったでしょ?という話。
例えば「Aが他者を侵す権利」があったとして「Bが他者に侵されない権利」があったら「Aが他者を侵す権利」が肯定された所でAはBを侵せないですよね?
で、ここで問題にされてるのは「Bが他者に侵されない権利」についてなので、「Aが他者を侵す権利」は反論にもなってなければトレードオフの関係でもないんです。
ここに関して「B本人がそれを望んだのか?ヴィーガンは第三者じゃないか」という反論があるけど
だったら子供の権利については子供が集まって主張しなければ獲得出来なかったのかと、動物には自主的に主張する術がないからこそ擁護するべきであって
子供の権利獲得を大人が主張したっていいわけですよ。権利は当事者以外が主張できないなんて勘違いは一瞬で更新してください。
あと、「動物はおかずだデモ」に関して言えば、動物の権利を主張してる人たちの前でわざわざ肉を焼いて食べるなんてのは
愛猫家の前でわざわざ「猫を食べる権利を行使」したりヌーハラが苦手な外国人の耳元で蕎麦をすすったりするようなもので
これらは権利の主張ではなく相手に不快感を与える事自体が目的となった加害行為で、ほとんど暴力だよね。
仮に2つの権利がぶつかり合い拮抗したものであったとしても、こんな明確な悪意・嫌がらせが肯定される事はないでしょう。
まあアニマルライツ(動物の権利)とアニマルウェルフェア(動物福祉)、ヴィーガンとベジタリアン、そこには実際様々な主張のレイヤーがありますよ。
なのでそれぞれに反論するには、具体的に相手がどんな主張をしているか文脈含めまず知らなければならないし、それはとても大変なこと。
でも、理解できない以前に知る気もないって言うんなら一丁噛みしてくるのはやめようよと、議論のノイズにしかならないんだから。
「生まれた時からそういう環境だったからそれが正しい」という動物的な気持ちもわからなくはない。
けどせっかく人間なんだから一定の折り合いをつけるために建設的な議論をしたってバチは当たらないでしょう。
それにはまず知ること、知ってるよって方はどうもご苦労さまでした。
押し付けんなって話じゃないの? 知らんけど
権利の衝突ではないという部分読んでいただけましたか?Aの権利自体を直接否定してるなら押し付けだけど、AとB両者の権利を肯定してるだけなので押し付けではないです。
トラバにも書きましたがAの権利はBがいないと成立しないがBの権利はAがいなくても成立する事からAとBは入れ替え可能の概念ではなく
どちらかと言えばAこそが権利侵害的だという話です。自然権など他の生得的な権利もそうだったでしょう。
ちなみにヴィーガンがその主義に基づいた生活をする事と、社会に対しアニマルライツ運動をする事の是非はまったく別なので。
よく分からんけど苦痛が回避されれば屠殺でもオッケーって主張なの? ネットの論争ってなんでもそうだけど人によって「ここが論点」つって挙げてくるものそれぞれ違って反応に困るんだよな
苦痛は屠殺だけに伴うものではないので強制給餌や狭いケージなど飼育環境の改善を社会に求めている場合がほとんどかと。
ネットに限らず例えば「保守主義者」と議論しようとしても個人によって経済・外交・安全保障などイシューごと考えは様々ですよね。
なので○○主義者個人と議論する事は可能ですが○○主義そのものについて論じようとするなら、その主義すべてを網羅する知識が必要なので研究者レベルでないと不可能でしょう。
えっじゃあ苦痛を与えなければ肉食っていいって主張なのって読めるんだけどこれ。ペットや子供への菜食強制問題とかも華麗にスルーしてるね
功利主義で扱う「苦痛」は単純な痛覚だけではなく五感・感情を含めたものです。植物にも感情がある!とか水にも感情がある!系の人はちょっとわかりません。
ペットや子供への栄養ネグレクトについてはヴィーガンだけに存在する問題ではないですよね。
植物に関してはこういうのがあります。>食べられると野菜も痛みを感じる?米国でヴィーガン論争を巻き起こした日本人研究者の大発見
「多くの人に伝えたい。だから論理的には飛躍しているかもしれませんが、「痛い」といったキャッチーな言葉を使って説明しました。」と研究者本人が言ってる通り
俺も絵を描くオタクだけど、
お前みたいなやつって男のオタクにもいるけど、
本当に理解できない
まず俺は自分の絵が一番好きだし。
俺より上手い人が沢山居るのは事実として認めてるけど俺が一番好きなのは俺の絵。
そう言える程度には俺は自分の欲望のヴィジョンが明確だし、それを形に出来る画力が(まだ全然不完全とはいえ)ある。
実際絵をネットに上げたら「おっ」「あんたの絵好き」的なこと言われないことはないからね。
要するに揺らがない自信家なんだよ。
でも俺は俺の絵が一番好き。
あんたはそうじゃないわけでしょ?
それがうざい。
俺は自分より上手い絵を見て、それが自分の好きなテイストなら、好きだなあと思うし、取り入れていくだけ。
単純に「好き」って言われリャうれしいけど、世間一般の鑑定眼なんか全然信じてないから。
人の絵で凄いいい絵なのにRT数少ないとか普通にあるし。
話題の素材つかったり言及しやすい形にしたりすればRTなんか伸びるし。
俺は自分が好きな漫画嫌いな漫画を根拠付けて完全に説明出来る。
それが出来ずにぼんやりとしてる奴はみんなが褒めてれば褒めるし叩いてれば叩く。
みんなが褒めてる場で批判的なコメント見ると「荒らしだ!」って怒るし、叩きの場で褒めてるの見たらそれも怒る。
俺はあいつらが遅ればせながら言ってるようなツッコミは初期に言い終えてたからね。
その時はみんな褒める流れだったから俺はしょっちゅう荒らしだと言われた。
そいつらがずいぶん遅くなってあの漫画が微妙だと気付いて、あと周りがみんな叩いてるからって理由で叩くようになってる。
頭が悪いからぼんやりとその場のなりゆき感情と周りの反応で生きてる。
RTの数に心が動いて、自分の考えや価値判断の芯が無いわけだ。
しょーもな。
https://anond.hatelabo.jp/20190426001052
皆が非表示にしてるidの不人気投票よりも、そっちに興味がある。
さっき自分の非表示を整理してたんだけど、けっこう好き放題に非表示してたのに気づいたんだけど、一つだけ共通点があった。
だいたい口汚くののしるパティーンのid、煽り系のid、一部不明なんだけど、全部「ブログやってない」idだった。
ワンピースアイコンとか、安定の当選率を誇る睡運瞑菜の奴とか、あのクソみたいな書きっぷりのあいつら非表示にしてなかったのはなんでなんだ、って自分でも不思議だったけど
連中ブログ持ってるんですね。
直接にブコメと繋がるわけじゃないんだけど、罵詈雑言まき散らした後の補足、みたいな感じで使ってることがなくもない。
ココが「非表示にするまでもないかな」という判断に至った理由ではないかと自己分析してみる。
ブコメで言いっぱなしのクズは、どんだけ正論でも過去には非表示に入れてるようだし、評判の悪いblueboyの人を入れてないのもそういう理由か、と腑に落ちる。
いずれも言ってることの正否はともかく、ブコメで吐きっぱなしじゃないように見受けられるから非表示にするほど嫌悪していないのだと気付く。
一瞬可哀想なような気がしたけど
これ逆でも十中八九避けられてるよな
男子生徒が「同じものにはまってるから」って見ず知らずの別のクラスの異性に接近しようとしたらまずアウトでしょ
のかわりに
「キモい」「ありえないw」って言われるぐらいでしょ
それはしんどかったねって思うけど
もし女子だけの話だと思ってるならそれは違うでしょ
むしろ雌より雄の方が「9割方が対象外であり要らない」って言われる性
女は恋愛対象でなければ有象無象、くだらないから友人にもなれないみたいな考え方を無意識にしている人
これだって表裏であって
同じ程度にスマートでない異性とは友達になろうとも思わんて女性いくらでもいるでしょ
(したとしてもそれを社会の概念の側から利用とか打算的とか理解される)
実際に対異性の局面ではそういう価値観や行動基準を内面化して生きてる女性はごまんといて
そういう女性と接した男性にとっては「女性はそういうもん」というのは彼の経験上の事実であって
私には私を恋愛対象としてしか見てない人よりずっとずっとそういう人の方が大事だし信頼できる
こちらをごく普通に人間扱いしてくれる男性のことが、少なくとも私は大好きだ
だからブコメとかでよく「信頼とか抜かして傲慢w」「ぬいぐるみペニス案件」とか揶揄されたりするけど
あんたの話は信用して、あんたにはフェアな関係の良い異性の友人がいることを肯定しても、
だって元増田は「騙されて利用されてたくそが」と思ってるんだから
あなたがあなたの交友関係を肯定して大事にするのは結構だけど、
明らかにあなたのそれとは異なる他人の交友を擁護して肯定しようとするのは何で?
あなたの異性の友人はあなたに「騙されたくそが」と思わないでしょ?
元増田はそう思ってるんだよ
(そして「思い返してみれば自分は呼び出されるたび喜んでついていってたけど自分から誘った時は来ない」みたいな非対称性の証言もある)
すべてにあてはまらない、どころか今問題にしてる当該元増田と女友達は明らかに当てはまらないやん!
男性の側では女性を恋愛対象として見たり性的対象として見ることが今の社会の中ではとても自然で、
当然相手(女性)にとっても価値あることだろう、と思いがちだから翻って女性から自分がそう判断されないことが
価値なしと思われたりバカにされたりしていることと同義だろうととても自然に思ってがっかりしてしまうかもしれないが、
そうじゃなくて、自分の用事には盾代わりに呼び出して、相手に誘われたときは来ないんだってば
こんなん同性同士でも友達でも何でもねーだろ!
お前は本当に元増田の話を読んでるのか?
何に引っ掛かってるのかわかる?
「自分は違う」って話までなら素直に読めるんだけども、
そこから敷衍して明かに打算的搾取的な女性の例まで擁護しようとしていくところで理解不能になるの
もちろん打算的な女性も恋愛至上主義の女性もその他色んな女性がいるだろうけれど、そんなそれぞれ違う沢山の女性の中に
それは全くその通りだけど、元増田の話はそういう話じゃねーじゃん
友人としてすら合理化できない搾取的な付き合いをされてる男性がいて、
何でそんなことされてるのかと言ったら自分に脈があるのかという期待をしていて(なぜならよく誘ってくれるから)、
でもナンパ避けという概念を知って「自分が誘われてた理由がわかった」「気付いてみれば思い当たる節がたくさんあるぞくそが!」って言ってる
n=1の私の場合の話として「こういう側面もある」ということをなんとなく頭の片隅に留めてもらえたらと思う
現実には関係の薄い左翼と中国を結びつけてレッテルを貼っている時点で「嫌いなもの同士をくっつけている」ということは容易に推察できるが。
ええ・・・
B「うそでえ。令和の出典にケチ付けてる左翼がいるとすれば、伝統ではなく中国崇拝と日本ヘイトやろ」
だぞ。
そしたら
で
俺「Bの発言のどの部分に中国ヘイトが?オウム返しすればいいというものではない」
C「現実には関係の薄い左翼と中国を結びつけてレッテルを貼っている時点で「嫌いなもの同士をくっつけている」ということは容易に推察できるが。」
これもさあ。
中国が嫌いなんてBのどこに書いてある?
左翼に対して批判的なのは間違いないけど中国についての価値判断なんかゼロじゃん。
つまりCは発言に突っ込まれて言いなおしてもなおまるで進歩がない。
「中国ヘイト要素の皆無の相手に中国ヘイトだと云い募る」ということをしているだけ。
しっかりしてくれ。
弟が親を毒親と呼ぶのが嫌だった。
…ーーー「毒親」の定義って、「子どもより自分を優先する親」なのかなぁと思った。
(ここからフェイク入れながら話します。これは私の心の整理です。)
なぜこんなこと真剣に考えたかって、弟が亡くなった親を今さら「毒親」と呼んでいてショックだったからだ。
昔、「毒にしかならない親」って定義を最初聞いた時、もやっとしていた。
(親を毒とか損得価値判断だけで測ってる時点で、その親と変わらないんじゃないかなって。毒子なんじゃないかなって。)
離婚時、私は高1、弟は中1。
離婚当時、親の立場を考えると力になってあげたいが、できなくてもどかしいと感じていた。
しかし弟は違うようだった。中1と若かったし、スポーツをしていたので保護者がいないことで嫌な思いもしたようだった。
そうやって温めてしまったものを、外に出さず、隠してきた優しい弟だった。
だが、それがゆえに、亡くなった後にそれを言い出した。
んなのありかい…って思いつつも、
そう考えるのも「仕方のないこと」なのかもしれないとも思った。
辛い中育ててくれた親に対して、恩義がなさすぎるんじゃないかと。
そこで考えた。
で、
自分なりに出した答えが、
そう定義すると、
合っているなと思った。
(実際、「私が老後一人になったらどうするの出ていくのは認めない」と私には言っていた。)
(だが、そう言いつつも、上京しないと就職できないと相談したら、しっかりと送り出してくれた。なので私の方は「毒親」だとは思っていない。そして親も葛藤していたんだなとその時にふと思った。)
(その点、弟はそういう「自分よりも子供を優先」してもらったと直接感じられた機会がなかったかもしれないので、そこが違いかもしれないと思った。実際は大学も私の4倍お金使ってるし、スポーツの費用も全部出してもらって、塾にも通わせてもらってた。収入は障碍者手当の15万程度の生活の中で。だから実際は…私よりずっと色々注いでもらってたはずなんだが、実感は逆なので不思議なものである。)
…というわけで、
その定義をよく考えなおしてみれば、
私が受けたショックは少し柔らぐかなと思った。
同じように兄弟が親を「毒親」と呼ぶことに、傷ついている人がいたら、
こんな考え方が届いたらいいなと思う。
でも結局は、これは私のための心の整理。
勉強が出来るとか、見た目が良くなる、とか。
しかし、それらは全て相対的な価値なので、どこまでやっても満たされる事がない。
故に、常に劣等感を感じ、完璧主義になり、いつまでも幸せになれない。
それに気づいたのは、子供や妻がモタモタするのを見て、すごくイライラしてしまった時。
自分は、家族に対してすら、外的価値で価値判断をしてしまっていた。
自転車に乗れる、とか、家事を効率的にこなせる、とか、生産性が高いか低いか、でしか
認めていなかった。
そういえば、自分に対しても常にそういう判断をしていた。太っているのは醜い、だから大好きな甘いものは食べずにダイエットしなきゃ、とか
男で30を超えていたら、年収はいくら以上ないとダメだ、もっと仕事頑張らなきゃとか、賢くないといけない、本をもっと読まなきゃ、とか。
そうでなければ、生きる資格はない、などの外的価値での判断を常にしていた。
なので、生きていてもちっとも楽しくなかった。常にもっともっととなり、満たされない。
穴のあいた船で、常に水を掻き出しているような状況で、焦りしか感じてこなかった。
少し成功して、他人からすごいね、とか言われても、壁はどんどん高くなり、評価が下がると
自分の全てを否定された気がして、ものすごく傷ついて、何日も気分が落ち込む。
このままではいくらお金持ちになっても、いくら見た目が良くなっても、ずっと不幸のままだ、と
思ったので、この習慣を変えようと思う。
まずは、家族はもちろん、会社の同僚、自分の周りにいる人々を、外的価値で測るのを意識的に止めるようにした。
こいつ仕事できねーな、とか、資料作るの遅すぎ、とか、あいつは太っててみっともない、とか
40こえてるくせに年収低すぎだろ、とか、そういう相対的な価値で他人を判断するのを止める。
また、相対的な価値観で判断するような人が寄ってきたら、離れるようにする。
生物多様性を問う場合、在来か外来かで価値判断をして人工的な影響力を排除するだけで、あとの自然淘汰は勝手にして、というもの。
「お、これは偶然できた絵の具のヨレとかではないぞ。
いつもこうふうに書く人がここは敢えてこう書いたんだ。
だったら当然こういう意味で書いてるんだな。」
っていうことで同じ絵でも情報がたくさん読み取れる。
そこが楽しい(もちろん正しいとはいわないが、価値判断には影響するらしい)。
画力ある人が生の感情をたたきつけたと知られていることで高額だ。
もちろんゲルニカをどれだけうまく模写しても、あの耳を自ら切り落とした男が
見るだけの観賞のみが絵の価値ではない。
後ろに価値がひろがって文化をなしているのはジャニーズAKBと同じことだ。
(AKBでいうCDの価値はそこに記録された曲よりも同封されている握手券にあるといえばもっとわかりやすかっただろうか)
もっというとたとえば今後、ピカソ・ジャニーズのDNA調査なんかもできるようになっちゃうかもね。
今はできないけどね。
ANEMONE/交響詩篇エウレカセブンハイエボリューション について、いろいろな人がいろいろな価値判断がくだしていると思う。ここではなるべくそういったことをせず、主に筆者が気になった部分のみについて思ったことを書き留めておく、いわば個人的な備忘録である。それらはハイエボ1、もしくはこれまでのシリーズ作品を突き詰めればわかることかもしれないし、ハイエボリューション3への伏線かもしれない。
当然のことながら、ネタバレありきのエントリであるので未見の方は注意してほしい。
ハイエボリューションは3部作であり、それぞれあるキャラクターを中心としたストーリーになっている。普通に考えればANEMONEは当然アネモネがメイン、そしてハイエボ1はレントンがメイン、となるだろう。しかし、ANEMONEにおいて明かされたある真実によってハイエボ1という作品は意味を反転させた。
その真実とは、これまでのエウレカセブンシリーズが、実はレントンを喪って絶望したエウレカの見た夢だったということである。これにより、ハイエボ1はレントンの物語であると同時に、レントンの思い出を反芻するエウレカの心の中の物語でもあったことがわかるのだ(個人的には、ハイエボ1は単体で好きな映画だったため少しショックではあった)。
ここである画像を見てほしい。ネット検索で「ハイエボ」などと調べると出てくるであろう。左から順にエウレカ、アネモネ、レントンの顔が描かれた画像である。これは、ハイエボリューションという企画が発表された最初のキービジュアルだった記憶がある。それはさておき、この画像を見るとわかることがある。そう、「2017公開 ハイエボリューション1」の文字とともにあるのはエウレカの顔なのである。そして、ハイエボリューション2はアネモネの顔、3はレントンの顔のとセットになっている。
以上を考えると、ハイエボ1がエウレカの物語である、ということはあらかじめ決まっていたことなのかもしれない。かもしれない、という言い方になるのは、ハイエボ1を単体の映画として観ると、やはりレントンの物語だからである。
とはいえ、制作過程でいろいろあったという考え方もできる。ハイエボ1はエウレカの物語にするつもりだったが、様々な事情によりレントンの話にせざるを得なかったのかもしれない(余談だが、昨今アニメというコンテンツが、いかに資本に歪な形で介入されているのかということを知らないで物を言う人が多いように思う)。
どちらにせよ、エウレカセブンシリーズにおいて、エウレカとレントンという存在は切っても切り離せないものであり、ハイエボ1はどちらの物語なのかを考えることに意味はないのかもしれない。
アネモネが何回目かのダイブで初めてエウレカに接触し、エウレカが石井賢の死に際を再現したシーンの最後である。エウレカの体に赤い電撃が走り、「金色の闇」に押しつぶされてしまう、というようなことを口走ったはずだ。金色の闇とは何なのか?
一方、ANEMONEに登場する、ASSIDに拘束されているデューイ・ノヴァクの目隠しが取れるシーンがあったと思う。その目は黒い白目(なんとも矛盾した表現である)に金の瞳であった。
そして思い返せば、テレビシリーズにおいてアドロックやダイアンとレントンたちが邂逅するシーンなどは金色を帯びていた。
さらに、ANEMONE終盤でデューイ・ノヴァクが「我々は受肉した!」と叫んだときの目は、金色ではなくコーラリアンの目であった。
以上のことが指し示すことととはなんだろうか?そういえば、アネモネと石井賢の思い出の場所、ススキヶ原は「金色の海」だった。何か関係があるのか?
いろいろ考えてはいるのだが、長くなりそうだし、まだ整理がついていないのでここでは疑問の提起にとどめておく。
話は少し変わって、卵のことを考えたい。
ANEMONEのほぼラストスパートにおいて、空から降ってきた謎の卵を破って、ニルヴァーシュZが出てきた。ところで、ハイエボ1にも同じような卵が出てきたのに気づいただろうか?
サマー・オブ・ラブのシーンである。若きデューイ・ノヴァクがサマー・オブ・ラブの爆心地で奇跡的に生きているわけだが、そのあとに出てくるのは割れた卵のようなものに入ったKLFがある(このKLFはもともとデューイが乗っていたものに見える)。
果たしてこれは何か。
ハイエボ1と共通するものとしては、赤いリボン状のものもある。ハイエボ1では、これまたデューイがシルバーボックスシステムを確認しに行ったとき、急に赤いリボン状の何かに飲み込まれた(これが卵の素?)。ANEMONEでは、エウレカセブンが暴走し怪獣になったところで、ゲオルギウスが赤いリボン状のものに飲み込まれそうになっていた。
赤いリボンと謎の卵。スカブに関連していることはわかるが、それが何を意味するかまでは筆者にはわからない。
ところで、前節においてシルバーボックスという言葉が出てきた。しかしこのシルバーボックス、混乱している人も多いと思う。どうやらハイエボ1のシルバーボックスとANEMONEでエウレカが言うシルバーボックスは、何か共通するところはあるらしいがまったく同じものではないらしいのだ。
ハイエボ1のシルバーボックスは、アドロックの開発したスカブコーラルを倒すための音楽兵器であった。
しかしANEMONEでは、エウレカがシルバーボックスに触れたことにより何か能力を得て、それが暴走してレントンが死んでしまい、エウレカの夢が始まるということになっている。
そしてデューイによるとシルバーボックスの力というのは「神の力」らしい。
さらにデューイはラストスパートでこんなことも言っていた。卵から出てきたをニルヴァーシュZを見て、「依り代をなくした神の力は、自らそれを作りたまう」と(うろ覚えなため正確ではないかもしれないが、おおよそこんな感じだったと思う)。
ということは、である。まず神の力=シルバーボックスの力は、やはり並行世界を行き来する力なのだと思う。そして、エウレカがその力を失ったいま、ニルヴァーシュZがその力を持っているだろうと思われる。
とはいえ、ハイエボ1のシルバーボックスとの関係はまだよくわからないところもある。そもそもハイエボ1のシルバーボックスには謎がある。シルバーボックスは司令クラスターに着弾したが、うまく動作していなかった。そこでスカブとちゃんと繋がっていないのだろうと思われ、デューイとホランドが派遣されたのである。しかしデューイが確かめにいくと、なんと物理的に繋がっていたということがわかるのだ。
正直なところ、よくわからない。アドロックはきっと何かに気づいていたのだとは思うが……。
ANEMONEの最後の最後は、レントンで終わる。しかし、その最後のレントンは一体何者なのか。
アネモネが最初にエウレカセブンにダイブしたとき、石井賢が取り付けた発信機は、ニルヴァーシュのレントン側のコックピットで光を放っていた。つまりレントンが目印かつ、エウレカセブンの中心なのである。
そして、そんなレントンはことごとく死んでしまう。それがエウレカの絶望である。
だが、最後のレントンは死んでなどいない。いったいどこの世界のレントンなのだろう?
ANEMONEが公開になる前から分かっていた情報のなかで、最もよくわかってないものの二つが、タイトルにも挙げたように、アイドルとしてのアネモネと謎のフォントである。
アイドル問題のほうは比較的わかる。ハイエボ1の予告のような形ではなかったが、ANEMONEでは実際、アネモネは世界を救うアイドルになっていた。そういえばラストでスーパー6がエウレカセブン内から出てきていたし、もしかするとハイエボ3においてよりアイドル的な、つまり歌って踊れるということをするかもしれない。
だが、ハイエボ1の様々な箇所にアイドルのアネモネが写っていたことの意味はよくわからない。
ハイエボ1の円盤にて見ることができるPV0にて、EUREKA SEVEN HI-EVOLUTIONと思われる文字列が変わったフォントで出てくるカットがあるだろう。このフォントは、ANEMONE中にも出てくる。
筆者が気づいたのは二点しかない。実際もっとあるのかもしれない。
ひとつは、ゲオルギウスの側面。もうひとつは、喫茶店みたいなところにかかっている絵画の中。
果たしてこのフォントが何を意味しているのか、まったくと言っていいほどわからないのである。
結びに、ANEMONEの終わりにも言及しよう。
ANEMONEをエンドロールまで観ても予告がないことにガッカリした人もいるかもしれない。果たして予告はあえて作らなかったのか、様々な事情で作れなかったのかはわからない。しかし、このことによりANEMONEはこれまでのエウレカセブンとはまったく異なったものになったと解釈できる。
これまでのエウレカセブンシリーズとまったく異なるものでありながら、それらを否定しなかったわけにするでもなく、すべてを受け止めて包括していく。
ANEMONEという映画は、そういう強度をもった作品だと思う。
触れられなかったことは多々ある。
たとえば、ミーシャの意味深な「あったことをなかったことにする。編集って最低の行為よね」発言。
ANEMONEラストシーンで現れたゲッコーステイトの面々やチャールズ、レイたちはいったいどこの並行世界からやってきたのか(ANEMONEの舞台は現代だから、ゲッコーステイトの連中の恰好はかなり目立ちそう)。
並行世界をつなぐキューブ(っぽいが)、もしくは結び目のようなもの(ANEMONEに出てきたかはわからないが、ハイエボ1のサマー・オブ・ラブのシーンではキューブが結び目に変化していた)は何を意味するか。
わからないことは多いが、ともかくハイエボ3が待ち遠しい、ということに尽きると思う。
思っていた以上に反応があって驚いた。
それはさておき、ネット上で、これまでのエウレカセブンシリーズがエウレカの見た夢だ、というのではなく、並行世界なだけだという意見を見た。これに関しては、上では特に何も述べなかったが筆者はこう考えている。つまり、少なくともシルバーボックスの力を得たエウレカにとっては、夢を見ること=並行世界を行き来するということである。
そもそもコーラリアンであるエウレカにとって、人間と同じように「夢を見る」ことはできるのかどうか、わからない。ましてやシルバーボックスの力を得たエウレカにとっては。
筆者は何も、これまでのエウレカセブンシリーズがすべて、人間が主人公のアニメでよくあるような「夢オチ」だったのだと言いたいのではない。むしろエウレカの見た夢=並行世界は並行世界として存在しており、ただしエウレカにとっては、レントンが結局死んでしまうからその多くの並行世界を受け入れられなかったため、普通の人間にとっての夢と変わらないものだった、と言いたいのである。シルバーボックスの力とは、マルチプライズだかセブンスウェルだかが起きて(このあたりの用語も、筆者はあまり整理できていない)そういった並行世界への扉を開き、干渉できる力だと思う。
これまでの文章を読めばわかると思うが、筆者は無責任に思いつきをダラダラ述べているだけであり、文章の推敲などいっさいしていない。そのため、これまで述べたことは相互に矛盾していたり、論理がごちゃごちゃしていて結局何を言いたいのかよくわからなかったり、誤字・脱字がおおいにあるだろう。見落としや、勘違いも多々あるだろう。現に、主題歌のPVを見ていたら、「受肉した!」と叫んだときのデューイ・ノヴァクの目は、コーラリアンの目などではまったくなかった。最後にそれを注意しておく。