はてなキーワード: 交通費とは
もう正直、自宅用やら家族への土産やらを経費で落とそうとするのはいいんだよ
ただ辻褄合わせだけはちゃんとしてくれって言ってんだよ
毎月毎月毎月毎月確認だけで時間取らせんな返信翌日にしかできないなら
全部自分で訂正して送りなおしてくれ何往復もさせんなってそれも毎月毎回言ってるんだがな…
なんで得意先(新橋)→出向先(品川)で実費出してんのにその日から翌日にかけて得意先最寄りでホテル泊まってんだよ…
翌日早朝から得意先(新橋)に出向くためつって翌日一番に別の得意先(横浜)行ってんじゃねぇかよ…
だったら出向先最寄りに泊まるだろ…
日にち自体間違ってましたつって全部別日にしたら別日に使用してたタクシー代と辻褄合わなくなって
それだったら「日にち自体間違ってました」が間違ってるんだがだからそれはじゃあどうするんだつってんだが?と
ホテルの領収書とタクシーの領収書は日付入ってんだよそんな事20年社会人してても覚えられないもんか?
その動かない事実まず並べてその間を埋めていけばいいだけだろ
交通費も定期券外しか経費で処理できないってそれも毎月毎回言ってるよな…
被らせんなって毎月毎月毎月毎月口酸っぱく言ってるよな…
あわよくばこちらが見逃したりしてどうにか経費精算で水増ししてやろうというのが一番にあるからそういう辻褄合わない事になんだよ
毎日その日の行動と使用金額その日のうちに報告しないと経費として認めないようになるぞそのままだと…
やるならちゃんとやれって言ってるだけなんだよ矛盾させるなって
もういい歳なんだからちゃんとしてくれよこっちだって一々苛々したくないんだよ
たまにしか会わないんだから険悪にならずに穏やかに仕事したいんだよ
こっちが穏やかに指摘してるあいだにちゃんと辻褄合わせてくれるだけでいいんだよ永遠とグダグダするから
こっちもキツイ言い方しないといけなくなるんだよ突っぱねないといけなくなるんだよ
24歳女、大卒未婚、関東在住、年収140万円ほど。手取りは月8万円くらい。金融資産なんてもちろんない。交通費も経費おりないので、自腹。
○家賃について
セフレ関係のような、よく分からない曖昧な関係の男性とシェアハウスをして、月2万くらいで暮らしている。1人暮らし用の広さなので、もちろん狭いけど贅沢は言えない。
基本的に自炊。近くに商店街があって、夕方安売りになった惣菜+米を炊くだけという日も多々ある。1日1000円以内になるくらい。飲み会は奢ってもらえる飲み会しか基本的にいけない。
朝ごはんにおにぎりかパンを1個買ったりする時にコンビニは使うけど、普通にご飯食べようとするとコスパ悪いからいかない。スーパーの弁当も、3割引き以上じゃないと買わない。
どうしても必要な時だけユニクロ、またはZOZOでセールしている服をブランド関わらず値段と見た目だけ考慮して適当に買う。基本的に服は買わない
年収上がるまで、今の家に住まわせてもらってるので何も文句言えないし、他の人とも付き合えないと思っている。そもそもデートする金もない。
○車について
もちろん無い
○貯蓄について
貯蓄は無理。奨学金の返済と税金やらなんやらで、生活費をギリギリ保つのが精一杯。どうしても生活費費足りない時は、家賃を翌月にまわしてもらったり、ちょこちょこ消費者金融から借りてる。
○旅行について
Youtubeでおのださんの機内食や、海外ホテルレビュー動画みたりして現実逃避するのが楽しい。現実は、国内日帰り旅行さえも痛手すぎるので無理。
年収140万円でも、ぱっと見みすぼらしくならない程度に暮らすことは可能。
https://anond.hatelabo.jp/20200530164357
元増田を参考に書いてみました。前職の年収は倍以上あったのですが、生活レベルは元々低かったのでなんとか暮らしていけてます。早く一人暮らしがしたい。
特定とかしないでね。
つい最近、後期の授業が原則オンラインになることが通達された。
家からギリ通えなくないけど……な場所に学校があるから、交通費がかからないし朝起きる時間も遅くて済むし「楽でいいや」って率直に思った(クズでごめんなさい)。図書館を使えないのはちょっと困るけど、色んなリスクをおかしてまで友達に会いたいとも思わないし。
それで、その後お知らせとか見てスケジュールの整理とかしてたら、そういう通知が来るところに「後期中の実習は行う」って書いてあったのよ。
えっ、やばくない?って正直思った。
だって実習先は小中学校よ??自分らより免疫が無さそうな子供のところに、よくわからん学生が行くのよ?万が一何か移したらやばいどころの騒ぎじゃなくない??
あと、いくら自分の体調に自信があっても移される可能性だってあるよね??嫌だな……そんなの…………
って奴、アウトドアな趣味でサーフィンや山登りが好きで、月に1回はキャンプでもするのかな?もちろんフットサルはマスト
自分は湘南に住んでる。実家が湘南。子供部屋おじさん予備軍。今はテレワークだから基本在宅。出勤とかマジ面倒
湘南は住むには良いぞ。物価だって高くも安くも無い。車あれば買い物の選択肢も多い。本来ならこの季節は『都民と神奈川県民と埼玉県民は消えろ!』ってくらい混むけど、今年は静かで暮らしやすい
交通の便だって良い。電車で都内にも出やすい。横浜や町田にも出れる。最悪でも本厚木
まぁ、数ヶ月に一度都内に出るくらいなら良いんですけどね。ほんとインドアには暮らしにくい場所。オタクにはこの距離は辛い
全部通販で済ませるなら良いよ。交通費考えたら安く住むし。でも、マジで家から出なくなる
結局都内に行って買い物したり、食事したり、買い物したいんだよ。百貨店で買い物したい。有名なラーメン屋行きたい。品揃えの良いショップで買い物したい。美味しいカフェ行きたい
金があるなら毎週片道1000円で行けば良い。でも、気軽に地下鉄乗って乗り換えて帰る距離じゃない。なんというか東京駅出て気合い入れて帰る感じ
ほんと地元とその周辺20kmくらいと通販で済ませれて、東京とかは「都会はええなぁ~」って指加える事が出来る人は湘南でも江ノ島でも住めばいい。間違ってもいつもは湘南で楽に住んで、たまに都内出て遊ぶとか考えている人はやめておけ。その『たまに』の頻度が絶対増えて、そして東京までの距離が憎らしくなる。立川に住む友人すら恨めしく思うようになるぞ
あと、ガチのオタクはマジで止めておけ。Amazon届けば問題ないとか妄想。やっぱ人間は近所にゲーセンとアニメショップと模型屋が無いと駄目な生き物だから
オンライン診察を勧められた。
「アプリ利用料金が数百円かかるだけ!あとは診察代金!」と言われていた。
ごり押しされて、仕方なしにやることにした。
本当に大丈夫なのか、このアプリは。情報漏洩とかされそうで怖すぎる。
担当者は開始時刻に数分遅れてきた。
その場にいたらもらえたであろう資料はもらえない。
たった30分で診察料金1000円行った。
たぶんこれは基本料金なのだろう。
気に入らないのがここからだ。
500円だったか?忘れたけれど
何故診察料金に加えて、お前らの機材代金なんて払わないといけないんだよ。
機材代金っていうけど、「スマホ」だけだろ。画質悪い。
「薬貰いたいんだけど」と言ったら、「再度診察を受けてくれ」と言われた。
意味わかんね。
それまで趣味らしいものはなく生きてたが、たまたまテレビで見て、いつのまにか関連番組を全てチェックし、ネットで情報収集することにはじまり、Twitterのそれ用アカウントを作ってからは、オフ会を兼ねてイベントにも参戦するようになった。
といっても、東京までは飛行機を使うような地方の実家暮らし。親にバレたくはないし、体力に自身もない性分なので、年に1~2回である。
同じ趣味で知りあったのは、20代前半の男が多く、大学生もしくは社会人1~2年目が多かった。
さて、本題はここからだ。
一緒になってはしゃぐのは楽しかった。
でもどこか、線を引いていた自分がいる。
仕事のことを考えて日曜の夜は遅くまで起きて話をすることも避けた。
数万のグッズを買えば特典のあるイベントで、交通費だけでもそれなりにかかることを理由に、買わなかった(貯金はあるので本当に買えないわけではない)。
自分は彼らほど若くないのだと思ってた一方で、どこか彼らのような余裕がなかった。
彼らから見て、俺はどう映っていただろう。
”赤字になるというのが判らない”
”健康保険で払われているから支払いが安いだけで医療はやった分だけ支払われているものだと思っていた。やればやるほど赤になるのはどういう仕組みなんだ。”
戻ります。
答えの一つは
「認められる経費と認められない経費がある」ということです。
出張手当50000円交通費10000円宿泊費一泊10000円食費1食1000円までは認める。
それ以上食べるなら自腹を切る。そういう感じ。
一本1000円のペニシリ○は使った分だけ経費が認められます。仕入れが100円で保険償還価格が1000円だと1本使えば900円の収入(3割負担なら患者の窓口支払い分は300円)、3本使えば2700円の収入。(シンプルにするためにはしょっています)
ところが、多くの消耗品(ガーゼ、消毒液、マスク、ガウン、手袋、ゴーグル…)は保険償還されません。
ではまるまるその分赤字なのかと言うとそうではありません。
「肺炎患者一人の診療・看護」に1日当たりいくら払う」と決まっていると思って下さい。(出張手当50000円に相当)
その中でやりくりしてガーゼ消毒PPEを購入しているわけです。(出張の時の化粧品代とかストッキング代とか…)
ところが、前述の政治による病院の収入抑制策によって、そこそこトントン(以上)の収支になるように調整設定されていたのですが、そこにやってきたのが新型コロナであり、ゲームを変えてしまいます。
ニートは「仕事は探している」と言う。言うだけなら誰にでもできるのだ。ニートはぼくたちが後ろにいると異様に気にするのだが、それはやましいこと、つまり働きもせずゲームをしているからに他ならない。勝手に断定しているのではなく、実際に常にゲームの画面が開いていて、ぼくたちはそれを見て見ないふりをする。「仕事なんて探してないでしょ」とは誰もツッコまないのだ。
一刻も早くニートに出て行ってほしいぼくは、職歴のほぼないアラフォーが職を得るにはどうしたらいいのか調べた。
ビッグイシューという雑誌を知っているだろうか。ざっくり言うとホームレスの方が社会復帰のために売っている雑誌である。ぼくはそういうものがあることを伝えたが、ニートは一向に出ていかない。
すぐに仕事をするのが無理ならと、寮付きの職業訓練校があると聞いてそれも提案したが、やはりニートは出ていかない。
働かずに(しかも親でもない人間に養ってもらって)食う飯はよほどうまいらしい。ぼくならみじめで、保険金を精一杯かけて死のうと思うけどな。それは嫌だから就活するけど。恥ずかしいという感情は知性の高い生き物にしか備わっていないらしいから、ニートは……つまりそういうことなんだろう。
何もしない親が親なら、働かずにいることを是としてうちに置いておく祖母も祖母だ。ぼくがニートに文句を言うとかばうし、それこそぼくが就職活動をしていたときに、交通費を貸してくれはしたが、ニートにおけるタバコ代のような、ぼくの自由に使えるお金(というと語弊があるような気もするが、ニュアンスとして遊ぶお金とかそういうものを想像してほしい)は出してくれなかった。
そんな仕打ちをしておきながら「あなたのことは好き」だなんてふざけたことをぬかす。DV夫が、散々暴力を振るった後に優しくして洗脳するのと同じだ。人を馬鹿にするのも大概にしてほしい。好きなのはニートだろう、ぼくのことが好きならニートを今すぐ追い出してほしい。
ぼくの言うことが過激だってことくらい、ぼく自身が一番よくわかっている。でも過激にならざるを得ないことが10年以上の長い間、思い出しきれないほどたくさんあって、ぼくはずっとそれに耐えてきた。
祖母は「私が死んだら、ニートはこの家にいられなくなるからね」と言う。ぼくは祖母とは暮らしたいが、ニートとは暮らしたくない。ニートが出て行くときが祖母が死ぬときだなんて許せない。死ぬなら役立たずのニートが死ねばいいのだ。死にたくないなら早く仕事に就いて出ていけばいいだけの話である。
ぼくがこのことについて友人に愚痴を言うと「家族の恥を……」と、家族は言う。恥だと理解しているなら、早くニートを更生させるべきなのだ。そういう努力もせずに、早く追い出してというぼくを、家族は「きちがい」だと言う。
家族という狭い世間で、ぼくはきちがいかもしれない。ニートを養うという常識を持ち合わせていないから。
ボランティアだから賃金を貰えないことは知ってたが、自己負担が多すぎる。
研修が一年間もあって、週1回2時間。しかも宿泊研修2回も。交通費は全部自己負担。
志望動機に400字詰原稿用紙×2枚も書かせるのも絶句。学校の作文?
研修を終えても、24時間対応の電話を月2回もノルマが課されている。
今でも相談員が残っているのが驚きだ。対応がひどいと聞いて調べてみたが、これじゃ対応の質なんて期待できない。
これはちょろっと検索してみただけで、地域によって違うらしい。横浜が特別酷いだけかもしれない。
でもボランティアってこんなものなのかもしれない。他のボランティアとの比較をしたわけじゃないし。
でもこんなに大々的に宣伝されているいのちの電話というものが、こんな悪条件だとは思わなかった。
たいへんですね。死にたくなったら病院に行こう。
30過ぎても、推しの舞台やファンイベのために、チケット代より高い交通費を払って上京する。
…いや、していた。
新型コロナ、というものが中国で流行り始めた、日本に入ってくるのも時間の問題だ、という程度のぼんやりとした情報しかなかった頃、推しの舞台に行けなくなったTwitterのフォロワーさんからチケットを買い取り、追い観劇などしていた。
あと2公演見られるぞ、次はオペラグラスで推しだけを追うか、などと考えていたところ、
その公演は千秋楽を迎えることなく中断、そのまま打ち切られた。
私の手元には、2枚のチケットが残り、そして所定の手続きを踏んで払い戻した。
複雑な気持ちだった。
ぼんやりしているうちに、推しもリモートイベントや映像配信などをやり始めた。
それにももちろん参加した。自分用に、バカみたいにスクショした。顔がいい。
けれどなんだろう。このぽっかりと心に空いた穴は。
某イケメン人狼の直前、少しずつ、対策をしながら舞台を再開する動きが出てきていた。政府の、イベントの人数も緩和されたし。
でもそれも、某イケメン人狼の件でぐちゃぐちゃになった。シアターモリエールは完全に巻き込まれ事故だったと思う。いや、詳しいこと知らんけど。
私は、7月から始まる次の舞台に行く気満々だった。FC先行で取っていたチケットは一度払い戻しになり、客席の数を絞って、ほぼ倍値になったチケットを、もう一度抽選かけて一枚確保していた。
やっと舞台が見られる。
劇場に直行直帰、余計な寄り道はしない。都内で食事もしない、など、思いつく限りの自衛をして行くつもりだった。
しかし、日に日に東京で増えていく感染者。認めたくないが、第2波としか言いようがない。さすがの私も怯んできた。
「事前登録制」になったのだ。
誰か、いつ、どの席で観たか控えられるのだ。
それまで私が想定していた『自分が感染するかしないか』の2択が、『カンパニー、スタッフ、そして同じ日に観劇した客と一蓮托生になる』ことが確定した。発症者が出れば、濃厚接触者としてリストアップされて保健所に情報が行く。
地方遠征組の私にとって、「社会的な死」(大げさに表現したが、このご時世に東京に遊びに行った、なんて田舎で知られたらどんなことになるか…)を迎えるリスクが光の速さで上がりやがった。これはもう無理だ。はい詰みー。
ちなみに、公式としては素晴らしいリスクマネジメントだと思う。今回は、主催が大手なので、そこまで手を打ったのだろう。
ここまですることは、大変だろうに。
もう、しばらく生で推しを見ることは叶わないんだな、と半ば諦めのように思う。
もし私が23区住みなら、行っただろうか。いや、働いてたらやっぱり劇場には行けない。
Twitterのオタク仲間たちと、「早くまた現場でお会いしたいですね」などと言っていた。いつか、ワクチンとか薬が実用化されれば。それまでの辛抱だと思った。
「推し、ちゃんとごはん食べてますかねww」なんて言いながら。
そしたら、三浦春馬が亡くなった。
「…は?」
しか出なかった。意味がわからない。え、ドラマやるっしょ?NHKのレギュラーもあるっしょ?え、キンキーブーツ再演あるなら観たかったんだけど。
本当に、その人たちには、とにかく生きろ、としか言えない。
男女問わず、アイドルを推してると大体引退したり結婚したり干されたりたまに逮捕されたりする。
我々もまた、ライフステージによっては、推しより優先しなければならないものを抱える可能性もある。現場に行けない時期だってある。それでも、ファンである気持ちは変わらない。推しがいるだけで、人生は明るくなる。
仮定してもいなかった。
私たちオタクが、推しに生かされていることは、奇跡なのかもしれない。
推しにだって心がある。キラキラした面だけでなく、一人の人間であることに変わりはない。
そもそも、明日、私が交通事故で死ぬことだってある。(パソコンはHDごと叩き壊してください。グッズは、Twitterのフォロワーに形見分けしてくださいよろしくお願いします)
今はこの言葉が、尊く、そして、重い。
乱文失礼しました。
《 後日記 》
本記事は、記述が未熟なので批判を浴びました。そこで、改訂版を、別ページに記述しました。そちらをご覧ください。
→ ちきりんの GoToキャンペーン 記事について 【 改訂版 】
以下の通り。(読む必要はありません。)
※ 「擁護」という言葉に噛みつくブコメが多いので、「擁護」を「解説」に改めてもいい。
「今すぐやらないと死んでしまう」というような解説をしているが、それは、今でなくて将来でも同じだ。今すぐ死ぬか、二カ月後に死ぬか、半年後に死ぬか、そんなことはどっちでも同じだ。
どうしても早めにもらいたい、というのがちきりんだが、それは、
「今すぐ四つもらうのが良くて、今すぐ三つではイヤだ」
もうちっとまともに考えるなら、7月と8月は夏休みの需要があるだけ、まだマシだ。苦しくなるのは、第二波が襲いかかってくる、10月以後だ。このころには客が激減する。その時にこそ、政府支援の意味がある。
比較的マシである夏休みの時期に政府支援をしても、下手をすると、需要が供給を上回ってしまうので、金が無駄になる。
ちきりんはこう書く。
コロナ対策費として、その 1兆円をそのまま旅館に支援金として給付しても、旅館の収入は 1兆円にしかなりません。
しかし、
国が1兆円を使って旅行費の3分の1を補助すれば、旅行に使われる費用の総額は、
国が出す 1兆円 + 個人が旅行費として負担する 2兆円 の合計 3兆円となります。
仮にちきりんの言うようになったとしても、その3兆円は、売上げだ。売上げの全部が収入になるわけではない。おおざっぱに、10割のうち、5割ぐらいは原価となって外部に流出する。たとえば、食材費とか、交通費とか、光熱費とか。
残りの5割のうち、3割ぐらいが人件費となって、2割ぐらいが粗利となる。粗利によって、販促費などの経費を払って、残りの1割が利益となる。
結局、3兆円のうち、3割と1割の合計である4割( 1.2兆円)が、労働者の賃金と会社の利益になる。一方、原価の5割と経費の1割という合計6割は、会社の外に流出する。
これらの分も、確かに経済振興の効果はあるのだが、それは必ずしも観光業を振興するわけではない。地元経済を振興するとも限らない。つまり、本来の「観光業の支援」とは別の分野に流れるわけだ。
その金は、無駄になるわけではないにしても、本来の狙いの分野とは別の分野を振興することになる。
以上からわかるように、決して「1兆円の3倍の3兆円の経済効果」があるわけではない。実際に観光業に回るのは、4割の 1.2兆円程度だ。
「それでも元の1兆円よりはマシだろ」
と思うかもしれないが、さにあらず。GoToキャンペーンで1兆円を払ったからといって、それで3兆円の需要が丸々増えるわけではない。もともとある2兆円ぐらいの需要が3兆円ぐらいにふくらむだけだ。この「キャンペーンがなければ需要がゼロになる」というわけではない。「コロナが収束すれば旅行をしたい」と思っている人は大勢いる。そういう人は、キャンペーンがあってもなくても旅行するのだから、「キャンペーンによって増える純増の分」は、3兆円にはならないのだ。
この分を差し引くと、実際には、1.2兆円の増加にはならず、その半分の 0.6兆円ぐらいの純増に留まりそうだ。
それだったら、観光業だけを狙って、1兆円をそのままばらまいた方が、よほど有効だ。
《 加筆 》
という意見がある。なるほど、そう思う人も多いだろう。
だが、観光業の周辺に金が回るということは、その分、観光業に回る金が減るということだ。それでは肝心の観光業を救う分が少なくなる。
効果をなるべく広げたいのならば、国民全体を対象に、「一律給付金」を再度実施すればいい。同じ金額を国民全員に配れば、1人1万円ぐらいをもらえる。その方が効果的だろう。(広く、という点では。)
ともあれ、観光業の取り分は、GoTo ならば 0.6兆円 で、直接給付ならば1兆円だ。観光業を救うという目的のためならば、同じ金額でも、直接給付の方が効果的なのだ。つまり、ちきりんの算術は成立しない。
( 1兆円に対して3兆円の効果がある、という説は成立せず、1兆円に対して 0.6兆円の効果しかない、ということ。)
──
乗数効果について言及している人がいるが、乗数効果は、補助金だけにあるわけじゃない。直接給付の場合にも、乗数効果はある。どっちも似たような効果があるので、言及しなかっただけだ。とっくに考慮済み。
「乗数効果」という言葉を知ったばかりの素人の出る幕じゃない。
というのがちきりんの理屈だ。それは、わからなくもない。が、だとしても、このキャンペーンが本質的には「貧富の格差の拡大」「金持ち優遇」に当たる、ということは理解しておく方がいい。
だいたい、ちきりんの理屈で言うと、「一律 10万円の給付」をやめて、「金持ちに限って多額の給付をして、貧乏人には給付をやめる」というのも、許されてしまう。
※ 所得税の減税ならば、そうなる。
もう、メチャクチャだね。
ちきりんは何やら弁解しているが、「経済を回すこと」ばかりを優先して、「感染の拡大を止める」ということをまったく失念している。
「金よりも命が大事」という発想がないんだね。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。もうちょっと常識のある人かと思ったが、今やスーパースプレッダーも同然だ。日本中をコロナだらけにして、ロックダウンにして、経済を全面ストップさせることを狙っているとしか思えない。
というふうになるのを狙っているんだね。
ここでも理屈は同じ。猿と同じで、目先のことしか考えられない。感染が拡大したら、日本中の経済がストップするということを、理解できていない。
政治力は関係ない。単に(方針を決めた)菅官房長官が馬鹿なだけだ。「馬鹿(菅官房長官)に政治力がある」だけのことだ。
→ 「それはダメ」菅氏一蹴の1都3県案 東京だけ除外の裏:朝日新聞
※ ふるさと減税と同じ構図。
あんたの頭だよ。
──
そもそも、観光業が可哀想なら、観光業に金を出せ。ひるがえって、客に金を出しても、客が得をするばかりで、観光業の方には金があまり回ってこない。客ばかりが得をするような制度では、金を出す方向が間違っているだろう。
可哀想な観光業に金を出すのでなく、観光業を利用する金持ちにばかり、集中的に多額の金を出す。金を出す方向が間違っている。
根源的には、GoToキャンペーンは、一切必要ない。最優先の課題は、感染者数を減らすことだ。感染者数がゼロ同然になれば、GoToキャンペーンなんかやらなくても、夏休みには自然に大量の観光客が戻る。1円も使わないで、3兆円以上の効果が出る。
そして、そのために大切なのは、「感染を減らすこと」という目的を実現する手段である。それは、「多人数会食の禁止」と「マスク義務化」だ。この双方を実施すれば、東京都では感染者が激減するだろう。
しかるに、現実には、この双方が実施されていない。そのせいで、感染者数が急増する。こんな状態で GoToキャンペーンをやっても、「旅行すれば、旅行先で感染する」と思う人が、怖がって、旅行したがらないだろう。出した金が無駄になる。
そもそも GoToキャンペーンは、一切必要ないが、仮に実施するとしても、コロナが収束したあとのことだ。それならば、人々が安心して旅行に行けるので、金を出したことの効果がある。
実際、政府はもともと「コロナが収束したあとに GoToキャンペーンを実施する」と言っていたはずだ。その当初の方針をひっくり返して、「感染拡大のさなかに GoToキャンペーンを実施する」というのは、狂気の沙汰というしかない。
それに気づかない人々にも呆れるばかり。馬鹿げたことばかりをやっても、ただの無駄だ。 損じゃね?
【 関連記事 】
https://anond.hatelabo.jp/20200718000431
【 追記 】
ブコメに答える。
salon_hiyake ちきりんの文章だと、現状こういう風になっているよね、という分析ばかりで、それが良い悪い、の判断は入れないようにしてると読めるのだけど。
codingalone さっと読んだだけだが、わりとフラットに書かれてると感じたがなぁ。擁護してると思うのはちきりんに対して特別な感情があるからじゃないの?
gomisute44 あれって擁護なの? あれは傍目から見て気狂いとしか思えないGoToキャンペーンを何故強行するのかを役人視点から解説した記事で、それ自体の善し悪しを語ることが主題ではないと思った
Outfielder ちきりんさんの話を「GoTo擁護」として理解してしまうような歪んだ読解力と、敵認定した連中が出した施策はとにかく悪口を言うという党派性思考とはワンセット
この記事の冒頭で「擁護」という言葉を使ったのが引っかかってしまったのだろう。「擁護」というより感情を込めずに、「 GoToキャンペーン否定論に対して、GoToキャンペーンを肯定する趣旨の解説」と言った方が良かったかもしれない。
指摘された「何故強行するのかを役人視点から解説した記事」というのは、たしかに、それはその通りだろう。
とはいえ、「何故強行するのかを役人視点から解説した記事」というのは、それ自体が擁護になってしまっている。なぜなら、「役人視点から解説した」というのは「黒を白と言いくるめるようなもの」つまり「虚偽」であるからだ。
旅行推進で感染が拡大すれば、ロックダウンで全国経済が麻痺しかねない、という危険性を隠しているのもそうだ。
夏には救われても秋になればまた恐慌状態になるというのを隠していることもそうだ。
要するに、真実を隠蔽して、ありもしない虚偽を吹聴する。「今さえしのげば、あとは大丈夫」という虚偽を吹聴する。こういうふうに嘘ばかりを書いて真実を記さないのだから、ちきりんの話は、ただの政府の太鼓持ちというしかないだろう。
結局、上のブコメの人たちは、詐欺に引っかかっているのも同然なんだよ。詐欺師の口車にだまされるのと同じ。「儲かりますよ」と言われて、ホイホイと金を出して、大損する。
そして、その詐欺師の口車を指摘しないで、「詐欺師の口車は正しい」というような解説を書く人は、詐欺師のお先棒をかついでいるのも同然だ。
ここでは「解説を書いているだけだ」というような逃げ口上は成立しない。「詐欺師のお先棒をかついでいる」とはっきり指摘するべきだ。つまり、「ちきりんは嘘つき政府の嘘を正しいものとして解説することで、詐欺師の嘘に加担している」と。
──
なお、擁護かどうかなんて、どうでもいいことに噛みついているのが、ブコメだ。
擁護かどうかは、話の論旨じゃない。「擁護」という言葉は取り消してもいい。冒頭に記しておこう。
> タイトル変えて公平ぶるのずるくね?
と書いている人がいるが、タイトルは変えていません。
本文を含めて、削除した箇所は一つもありません。加筆した箇所があるだけです。
──
それより、タイトルと言えば、ちきりんのタイトルは「 Go to キャンペーン」云々となっていて、To が小文字の to になっている。
こんなところで書き間違えるんだから、ちきりんの理解が いい加減だというのは、明らかだろ。
自分の同人誌が古本屋(駿●屋やま●だらけ、らし●ばんとか)に売られていて、ついに筆を折った。
もうかれこれ5年程同人活動をしている。
この5年間で1年に3〜4冊ペースでイベントにあわせ同人誌を出して来た。ありがたいことに徐々にたくさんの人に手に取ってもらえるようになり、同人誌を読んでもらったり、本の感想をもらったりするのがとても嬉しかった。
自分自身が地方に住んでいることもあり、先述した古本屋に出会うこともなく、欲しい同人誌は会場か作者指定の通販でのみの購入だった。奥付部分に「転売、転載禁止」と書いてある本がほとんどで、その通りにすることがマナーであると思い(法的拘束力の有無にかかわらず)守ってきた。
自分が同人活動をするようになって、徐々に回数を重ねるごとにフォロワーが増え、頒布物を手に取ってくれる人が増えた。自分自身も奥付に「転売、転載禁止」の文言を入れた。(本当はもっと長い)
●1度目の発見
同人活動を始めて、一年くらい経った時に初めて自分の本が売られていることを知った。某古本屋のサイトに自分の作品のページがあった。ご丁寧に買取価格まで書いてあった。
なんとも言えない嫌な気持ちになった。
初めて描いた本だったのもあって、当初は「自分の本が心の深くまで響かなかったのかな」とか「構成も絵も何もかもが下手だもんな」とか、そう思ってなんとか自分を納得させた。「一生懸命、描いた本だったのにな」と、もう必要のないもののように扱われているような気がして、ぐるぐると私の頭の中を巡った。
●2度目の発見
同人活動を始めて3年目。フォロワーAと通話中にたまたまAが「自分の本が売られている」という話をし始めた。Aにとって初めてのことだったらしく、すごく微妙な空気が流れた。
Aは「まだ在庫もある上に自分の頒布額よりも高く売られている」と言っていた。「どうして売るんだろうね…」としばらく落ち込んだ後、Aはすぐに自分の本のページを削除してもらえないかを古本屋に問い合わせた。
結果はNOだった。譲渡権の消尽というものがあり、購入者は自由に処分する権利があるらしい。(間違ってたらすみません)
Aは「法的拘束力がないのだったら、手に取ってくれた方の良識を信じるしかないのかな」と納得はしていないものの、それ以上の抗議はしなかった。
しかしそれ以来、Aは本を出すことは無くなり絵を描く頻度も極端に減った。
自分たちの努力の塊が、時には赤字を切って作った同人誌が、場合によっては自分達の頒布額よりも高い値段で他人の生活費の足しに、等の理由で売られているのかと思うと急に創作意欲が湧いても本にする気力は起きなくなってしまったらしい。
それ以来Aは、身内だけの鍵垢で絵を描いては投下するようになった。
●3回目の発見、筆を折る
5年間ずっと同じジャンルにハマっていたのもあり、自分でも集大成と言えるような本ができた。
今できる最高の同人誌だと自分でも納得できるし、どこに出しても恥ずかしくないと思えた。
原稿途中は初めて挑むページ数にへこたれそうになったけれど、それでも通話アプリを駆使して仲間と励まし合い創作に励んだ。
当日は調子に乗ってちょっと厚いペーパー本なんか作っちゃって、フォロワー同士の差し入れはほとんど栄養ドリンクやホットアイマスクだった。
過去最高の出来の同人誌は、ありがたいことに本当にたくさんの人の手に取ってもらえた。
まだまだ描きたいものもたくさんあるから次のイベントを参加する意向も伝えたりした。
その後、本が売られた。
なんとも言えない感情だった。
今回の奥付には「処分の際は転売はしないで」とお気持ちだけ添えた。
しかし売られていた。
もう何も湧かなかった。
通話アプリを通してフォロワーに自分の同人誌が売られていたことを伝えた。
その通話アプリは繋がっていれば自由に出入りできる部屋というのがあり、通話アプリで繋がった絵描きや字書きではない人も入ってこれた。
しばらく話していると、1人の方が入室して事の顛末を聞き「●●だったらわたしもよく売りに行きますよ〜」と言った。
理由を聞くと、処分するのには手間がかかるが売れば多少なりともお金になるからと答えた。
ついでに「まあ、値段つかない本もありますけれど(笑)まとめて10円とかもあるんですよ。」とも。
その後通話は終わり、途中入室した方の言葉が気になった。(途中入室した方は字書きでも絵描きでもない)
多分これが素直な反応なんだろうな、とも思った。
同時に創作している人全てを馬鹿にしているようにも感じた。私たちの出している同人誌は印税が入るわけでもないし(当たり前だけれど)、収支がトントンになるように、時には交通費や宿泊費諸々含めて赤字になってしまうけれど、手に取ってもらいやすいようにと価格設定をしているのに。
(値段を上げたら叩かれているひともこれまで見てきた)
創作していない人からすれば同人誌は会場や通販で買い、売ればキャッシュバックされるもの。
そう思った途端に「もういいや」という気持ちになりアカウントを消した。
幸い創作者同士が集まっている鍵垢があったので、たまにそこに絵をあげるくらいになった。
この話はフィクションで、俺もこんな職場も存在しないし、出てくる人たちも存在しなくて、これを読んでる君もどこにもいないです。
今から5、6年ほど前に、俺はとある大型事務センターで派遣社員をしていた。
就職できなかったというより、仕事が出来ない無能な上に人中りして人間関係が酷く疲れる気質なので、新卒を短期間で蹴って逃げた俺は正社員として働きたくなかった。あんな思いをしながら生きるぐらいなら、いっその事死んだ方がマシだと真剣に思えた。phaや中島義道や斎藤環の本を布団の中でずっと読んでる様な、そんな時期だった。こんな社会不適合者にとって、ひたすらキーバンチャ―をするだけの派遣社員のこの仕事はまさに天職で、社会に出てからはじめて「俺は生きてても良いんだ。」と思えた。仕事帰りに出かける精神的余裕ができたのもこの時期だったと思う。社会不適合者にとって社会は厳しいけれども、俺でも受け入れてくれるぐらいには懐が広い。そう気づけた。
こういう誰でも出来て、なおかつ多くの人力を必要とする楽な仕事には、時給1000円そこらにも関わらず多くの人間が集まる。
主婦、他に働き口のない年配者、皮膚病がある人、身体障害がある人、精神疾患がある人、売れないバンドマン、社会生活を諦めた人。
みんな彼らを奇異な目で見る事も見られる事もない。若い女の子にちょっかいかけて迷惑がられる中年のオヤジもいたが、主婦層が若い女の子が嫌な目に合わないように囲ってオヤジを寄せ付けないように庇うシーンなんかも観た。
生涯非正規雇用でしか働いたことのない年輩者。漫画や映画のサブカルチャーに異様な詳しさを見せる30後半の男性。キャバクラに費やして借金を500万程背負って自己破産した躁鬱の中年。ネトゲ経由で女子高生と付き合って会うたびにセックスに興じてる話を嬉しそうにする20代半ばの日焼けしてない小太りの男。通信大学で勉強をすることだけを生きがいにしてる勉強好きな人。顔色の悪いその日ぐらしのデイトレーダー。リーマンショックで会社が潰れてからずっと派遣社員をしているこっちが心配になるぐらい優しくて人が良い男性。派遣をしながらアートの勉強をしていたが仕事に結びつかずそのまま派遣を続けてる女性。HSP気質が強すぎて大きな音を聞くだけで目に見えて動揺する女性。借金を抱えている上に子宮筋腫の手術を控えていて頭を抱えながらこれからの先を涙ながらに悲観する中年女性。本当にいろんな人がいた。当欠してもお咎めなし、生産性求められず、社交性無くてもウェルカム!この気楽さと中島らものような門戸と懐の広さに「派遣社員の制度は福祉」だとさえ感じた。もちろん突然消える人も多かった。
そんな中、俺が今でも一番印象に残っているのが派遣社員同士の一組のカップルだった。
彼らとは別の部署で直接接点はなかったが、休み時間に休憩室で勉強しているときに向かいに座っていたカップルの会話が耳に入ってきた。
どうやら二人は同棲しているようで、そろそろベランダのミニトマトが食べれそうだの、そんな話をしていた。
穏やかな口調で静かに話す30前半ぐらい思われるスピッツの草野マサムネに似た男性と、化粧一つしてない新興宗教リトルぺブルのクララさんに似た20後半ぐらいの女性だった。
二人とも素朴な感じで、見栄とか恨みとか憎しみとか、そういうものとは無縁のような、表現は悪いが人畜無害そうな、植物の様な、そんな印象を受けた。二人の間には確かに静かな時間が流れていて、誰も傷つけず、誰にも傷つけられないような、そんな二人が纏う空気が俺はとても好きだった。もしも俺の半径内で彼らに危害を加える人間が居たら全力で守りたい。そんな庇護欲にさえ駆られた。
時給千円だと二人の手取りを合わせて月の可処分所得はおおよそ28万円ぐらいになる。交通費は支給されない。二人が広げる手作りのお弁当を眺めながら、一体、どんな部屋に住んでいて、どんな生活をしているんだろう。と好奇心が湧いた。(が、最後まで接点はなかった。)
何も身につかない職場(しいて言うなら相手の眼を見れば躁鬱かどうかがわかるスキルは身についた。薬のせいか病気のせいか理屈はわからないが、躁鬱疾患者の目には特有のギラつきがある)で過ごし20代の貴重な数年を棒に振った俺は、月の半分が休みのような仕事に正社員として採用されたので、天職だと言えた派遣の職場を去った。
派遣の時代に比べれば可処分所得は倍以上になったが、忙しさや疲労度は増した。仕事帰りに出かける気力もなくなってきた。休みの日が多くなったが、寝ている時間も増えた。LINEは新卒時代に消したままだ。外部との連絡手段はgmailのみ。SNS嫌いの俺にはそれが心地よかった。友人の誘いを断ることが多くなり、連絡も途絶えるようになった。
職場にいるキラキラとした女性たちやイケイケでエネルギーに溢れる男性を目にすると、その表裏を帯びた見栄や世間体を感じてしまい、とても息苦しくなってしまう。息がつまりそうになる。ドッと疲れる。どうしても派遣時代の、良くも悪くも何事に対しても無関心な、山野一の漫画の世界をマイルドにした様なあの雰囲気が恋しくなってしまうのだ。
上司に「お前彼女はいるのか?」と聞かれた。素直に「いないです。」と答えた。
「若いうちに良い女をみつけとけ、ここはキレイどころ多いだろ、金持ってる女も多いしな」と上司は笑った。
もしもここで交際相手を見つけるなら俺は自分をひん曲げてでも人格や気質を変えていく必要がある。しかし、自分をひん曲げてまで彼女が欲しいと思える程のエネルギーは無かった。負け惜しみとかではなくて素直に交際相手が欲しいとは思えなかった。静かに寝ていたかった。
そういう時に、いつも派遣時代のあのカップルを思い出してしまう。
昇給もなく、雇用も切られやすい派遣社員同士で生活していくのは将来不安なことだろう。両親からの容認も難しいだろう。友人からの理解も難しいだろう。きっと「将来どうするの?」とか水を差されたりするんだろう。男性は「もっと甲斐性を持て。給料もらえる仕事につけ。非正規とかやべえぞ」と尻を叩かれ、女性は「そんな将来性のない男と一緒にいるの辞めたほうが良いよ先が無いよ」と窘められるのだろう。それでも二人は一緒にいる事を選んだのだ。そこには見栄も、経済的な豊かさも、時間に追われる事も、仕事のストレスもない。二人でのんびりと過ごせる、二人で居られる時間を選んだのだ。今の職場で働き出して、ようやくそれに気づいた。
「だから彼らは幸せ」というのは些か短絡的ではある。そもそも俺には二人のパーソナル的なものは何一つわからない。ひょっとしたら二人とも重度の精神疾患を患っていて共依存の様な関係なのかもしれない。それでも、様々な障害を差し置いても二人で居られる時間を二人で選べた彼らを、俺は心の底から羨ましく感じた。もしかしたら俺は二人の関係がずっとずっと羨ましかったのかもしれない。どれだけ金を詰もうが、どれだけ自分磨きをしようが、二人の様な関係性は簡単に築けるものではない。少なくとも彼らの人生における彼らの関係性はとても豊かな物だと、俺は思う。
今あの二人がどうしてるのかわからないけど、出来るなら今でも二人で幸せに暮らしていて欲しいと、時々ふと思う。上手くすべてが続いていけばいい。