はてなキーワード: 交通費とは
を、5年分の日記にしてつらつらと書いたのだが、文字数の制限で半分も反映されなかった。
簡潔に言うと、上京直後、バブルジャンル効果によりtwitterにupした数枚のイラストと漫画でフォロワーが5桁近くに。フォロワーに見栄を張るために「twitterにイラストを載せるために高価な機材を購入。日常写真を載せるために良いものを購入。映える場所へおでかけ。相互でなくてもジャンルの飲み会に誘われたら行く。その都度、身なりにはそれなりに気を使う。公式のイベントへは必ず参加する。CDを大量購入してでもチケットを入手する。同人イベントは必ず新刊を作る。もちろん公式へ課金する」などがこの5年間、普段の生活にプラスされ、カードの返済が滞り、消費者金融でお金を借りた。
夜の仕事も経験した。そしてコロナの影響で仕事がなくなってしまった。
こんな5年間を長いけどもせっかく書いたので、どこか別のところにでも載せようかと思う。
以下の締めだけ載せておく。
A社への返済
M社への返済
カード会社への返済
国民健康保険料滞納分
住民税滞納分
あと、年金も滞納している。
もう、こんな状況だとこの先の就職も厳しい。
話の流れでは出さなかったが、結婚も諦めようと思い、5月、2年ちょっと付き合っていた彼氏にだけ、正直に借金の話をして別れることにした。申し訳なかった。地元の幼馴染も順番に結婚して家庭を持っており、みんな疎遠になっていた。
悲しいことではあるが、これでフォロワー以外との交際費は少し浮いた。フォロワーの前ではまだ仮面を被り続けるのだ。
私は舞台やグッズという沼にだけはどっぷりつかっていない。チケットが取れて鑑賞できれば嬉しいなという程度だったし、グッズも最初はたくさん購入したけれども、早い段階で不要と気付き、そこまで購入をしない。なんだかんだで、課金額も最高で1ヶ月4万を超えたことはなかった。
借金の原因は誘われると断れないという意思の弱さ、オタクのルッキズムの呪いが解けずに間違った方向へ投資すること、イラストの反応がもらえることが楽しく各ジャンルのイベント参加と新刊制作がなかなか辞められなかったこと、何よりもしっかりと収支を把握していなかったこと。そのあたりなのだ。多方面に手を出しすぎた。
twitterが全てではない
フォロワーと直接会っても会わなくても、twitterで知り合ったという関係に変わりはない
弁護士さんの言った
これは本当のこと
正直壁サークルと言われる人間は全て華やかな人間ではない。きっと、こうやって印刷費とイベント参加費、差し入れ代アフター代とお金に苦労している人もいるだろう。
今後、何年掛かるかわからないけども、借金を返済しながらも上記を把握しながらオタク活動はしていこうかと思う。
長すぎて誰にも見てもらえないか、厳しい意見しかやってこないことは覚悟している。
けれど、これを読んで一人にでも「こっちの方向へ行きそうだった」ということがわかってもらえると嬉しい。
特に高校生のときはアタマが悪かったので、ある程度レベルがある大学に入るために勉強ばっかしてた。
結果、第一志望はおちたけど第二志望だった北海道大学に入れた。
途中、親が自殺未遂を図ったりして介護が必要な状況になったため休学したりしたけど
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就職もそれほど困難ではなかった。
氷河期世代と言われる中でも最悪の状況の中、東京や名古屋や大阪の企業に交通費を出してもらい、いろんなところに面接を受けに行って最終的に自分の希望に合ったところに入れた。
でもなんやかんやあって、精神がやられてしまい、休職することに。
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今通ってる精神科の臨床心理士によれば、精神がやられた原因は小学生時代まで遡る。
うちは父親が人の気持ちを理解できない人で、その親である祖母はさらにおかしな人だった。
当時でいう分裂症だったらしい。
それで俺は小学二年の頃からその被害に遭っている母親の愚痴をずっと聞かされ続けてきた。
友達の家に遊びに行くと約束していても、母親が「話をきいてくれ」と言ったら3時間くらいは話を聞いていた。
とにかく父親や祖母、母方の祖父母や姉妹の悪口を聞かされ続けた。
それが大学に入って家を出るまで続いた。
泣きながらひどい声で「うわああああ!!」泣き叫ぶような電話をかけてきたこともあったし、「助けて!すぐに帰ってきて!」と電話を受け、次の日に飛行機で実家のある関西に帰省したこともあった。
上述の自殺未遂もその一つだ。
首を吊ったはいいけどロープが切れて落ちて、色んな所が骨折したので俺が面倒見ることになった。
専門家にいわせれば、プロのカウンセラーが受けるような愚痴を子供のころから延々聞かせたのは、精神的虐待にもあたるそうだ。
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次に、そんな中、付き合ってた彼女が死んだ。
二年ほどしたときに「会おう」という話になったけど、その一月前に死んだ。
普通だったら「それ、ただ遊ばれてただけだろ」と言われるとおもうけど、よく電話でも何時間も話したし、誕生日とかクリスマスにはお互いプレゼントを送ったりしてた。
相手が親のことを「お父様、お母様」と呼ぶような家だったので、かんたんには会えなかったんだろうと納得してた。
なのでやっぱり死んだのは俺には大ダメージだった。
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それを聞いてた他の先輩が、こっそり「大丈夫?」とメールを送ってきてくれた。
当時は平気なつもりだったけど、あれもダメージになってたらしい。
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そしてその頃、別の彼女と付き合い出した。
精神的に病んできたってことで話が合い、実際に会ったりもした。
このときは俺の職場は東京で、相手は九州だったけど、飛行機代とかは苦にならないくらいに稼いでた。
会社もある平日でも夜中二時とかに電話してきて、元彼の愚痴なんかを朝まで聞いてやることもあった。
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最初は3ヶ月だけのつもりだった。
それが結局1年以上休むことになった。
実家でのんびりしてこい、ということだったけど、実家は上で述べたような状況だ。
夜も眠れず、昼は動けず。
母親は自分がそうだったから、そうした生活にも理解を示してくれたが、父親はそうはいかなかった。
結局俺は転職することにした。
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新しい会社に精神科にかかりながら4年ほどは普通に勤めていたが、結局鬱病が再発して休職。
復職したときには俺の居場所がなくなったという同じパターンで退職した。
このときには精神も完全に病んで鬱病は双極性障害に進化していた。
世界がめちゃくちゃ素晴らしく思え、いろんな金儲けのアイデアを考えたり、いきなり勉強を始めたりしたあと、数日後、数週間後にはこの世の終わりのような気分になり、布団でガタガタ震えるようになった。
音をあまり通さないアパートに住んでいるにも関わらず、夜中に宴会をやってるやつらの声にも恐怖を感じていた。
朝3時にその部屋に怒鳴り込むように注意しにいったこともある。
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そんな調子で数年は失業手当とか貯金で生活していたが、生活費もなくなって今は生活保護を受給している。
43歳。来月には44歳になる。
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普通なら会社に勤めて金を稼ぎ、恋愛して結婚して子どもがいるのだろう。
俺にはその何もない。
友人ももはや居ない。
卒業後は誰とも連絡を取れなくなった。
今となってはあの死んでしまった彼女も存在したのか、俺のただの妄想だったのではないかと思う。
好きだったのには違いないけど、どうも違う気がしてきた。
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結局俺にはなにもない。
仕事もせず、ハゲてデブになったおっさんに需要などあるはずもない。
大切な物も特にない。
いつ死んでも別に構わない。
それくらいには人生を諦めた。
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ただ、双極性障害も最悪の時期は過ぎたのかもと思うことがある。
前ほど、音などに恐怖心を感じる頻度が多くはなくなった。
なので勉強をしつつ、県営のジム(障害者手帳があるから無料)に出向いて体を鍛えて、人生を向上させてみようという気も少しある。
普段、片道10km弱の距離をロードバイクで通勤しているんだけど、
雨の予報のときは電車とバスを使うようにしている(交通費は出る)。
東京の感染者数の増加はどこ吹く風、マスクをしていない人が、老若男女問わず結構いる。
それこそ東京に比べたら屁でもないかもしれないが、朝のラッシュは体を縮めても触れ合う程度には密だ。
結果、増えてるなんてこともあるような気がするんだけど、どうだろう。
上記記事だが、ブコメにあるように、通勤定期代の支給廃止だけでは「東京移住」は加速しない。家賃が高いからである。
なので、「東京移住」を誘導するためには、住宅手当をもっと多く出す必要がある。
そして、その費用は、定期代(廃止時は、毎回の交通費)の満額支給を辞めることで補うことができるだろう。
通勤定期代が満額出て、住宅手当が少ししか出ないのはどう考えてもおかしい。特に今は、在宅手当を込みで、住宅手当を割増すべきはずだ。
もちろん両方とも全額出すのは難しいのはわかるが、両方を同じ割合(7割とか8割とか)にすることはできるでしょ。
多くの人間が毎日長距離を移動する通勤時間は、新型コロナに罹患するリスクどうこう以前に、そもそも無駄の極みなので、個人的には、東京移住は望ましいことだと思う。
遠くから通って精神的に磨耗するより、職場の近くに住む方が、働かせる側にとっても良いでしょ。通勤ラッシュ抑制には非常に有効だし。
通勤定期代が全額出てしまうから、地方を大きなリスク背負って無理やり開発する必要があるわけで。
まあ、JRも時間別運賃の導入(ラッシュ時間帯の運賃が高くなるのだろう)を検討しているので、定期代の満額支給廃止は確実だと言える。
なので、その分を住宅手当に振って、働く側、働かせる側、鉄道会社とも共に有益な「東京移住」という結果になっていけばいいと思う。
Twitterに親の財布からお金をとって30万課金した話が流れてきた。
十分な小遣いがいくらかわからないけど、きっと子どもは幸せだろうなと思った。
お年玉も少なくてかなり苦労してた。特段裕福でもないけど、貧乏でもない家庭だったのに。
「親の財布からとればいーじゃん笑」
私はそこまで落ちちゃいないし、そもそも親が厳しかったからそんなことできないし。
そのツイートのお子さんと変わらない歳で。
ここからはフィクションだと思って読んでほしい。虚実のない混ぜでお送りします。(元ネタ分かる人いるかな)
インターネットってさ、お金を持ったおじさんがたくさんいるんだよね。
知ってるかもしれないけれど、かわいい自撮りをおじさんに送ると、お金がもらえるんだ。
肌色が多いとたくさん。
でもやめた。めんどくさくなったから。
バイトができる年齢になっても、小遣いは上がらず毎月1000円。
しかも進学先はバイト禁止だった。(部活でバイトする暇なんてなかったけど)
みんなタピオカ飲んでる中、私は100円のハンバーガーを買うか、チキン○リスプにするか悩んでた。
辛かった。だから再開した。
今度はより稼げる方法で。
ネットで画像送るより、会ったほうがたくさんお金もらえるんだよね。
時給1万とかになるともう嬉しくてさ。
10万稼いだ。同じ一ヶ月で。
やめたよ。惨めだったから。
こんな思い、しなくて済んだのにな。
親に何度も小遣い上げてって言ったけどさ、
だってさ。
結局今も理解されてないけどね。
もし、これ読んでる人の中に『親』の人がいたら教えてほしい。
どっちがマシなのか。
私にはわからない。
書いてて思ったけど、結局一番羨ましかったのは、親の財布からお金をとったことだろうな。
いいな、傷の浅い方法で。
いいな、親に怯えてなくて。
いいな、プライドがなくて。
幸せだろうな。
私も親の財布から取れたらな、増田でこんなこと書いてなかっただろうな。
今も怒りと憎しみと後悔と懺悔で、感情に押しつぶされそうになりながら書いてるよ。
大学一年のときに講義で紹介されて気になっていた『アンダーグラウンド』という映画がなんとイオンシネマでちょうどリバイバル上映中だと知って、これは天命だと俺は思った。
一年前に知った映画をふと思い出して検索をかけたら、ちょうどその時にリバイバル上映をやっている。ものすごく有名で超人気ってわけでもない映画なのに!
最寄りのイオンシネマは泉南市にあって、交通費は片道だけで千円かかる。あのクソ遠い関西空港よりさらに遠い。でも行けると思った。当時はまだ元気があったし、なにより運命みたいなものを大切にしようという心がけがあった。
泉南はやはり遠かった。大阪・梅田から離れるにつれてドンドン田舎感が増していき、イオンモール最寄りの岡田浦駅なんかはほとんど無人駅みたいな寂れかたをしていた(本当に無人駅だった気もする)。
上映まで1時間くらい時間があったから、近くの浜に行った。秋も半ばで空は快晴、陽は落ちかけているが、夕暮れというほどでもない。空がいよいよ夕焼け色になってある種の華やかさが生まれる前の、一番寂しい感じのする時間帯だった。海の周りの道路は広くて綺麗なのに通行人は俺しかいなくて、それも寂しい感じがした。大きな人通りのない交差点に「岡田浦朝市→」と書かれた案内看板があって、なんだかポスト・アポカリプスみたいで胸騒ぎがした。たぶん普段は交通量も多く、全然寂れてなんていないんだろうけど…。
しばらく泉南マーブルビーチというところで海を見た。所詮大阪湾だからたいした感動はないんだけど、それでも海は海だった。浜に敷かれた白い砂利が綺麗だった。
イオンのなかで何をしたかはあまり覚えていない。映画館の作法が全然分からなくてチケットを買う時にどぎまぎしたような記憶だけがなんとなくある。
小さめのスクリーンで、客は俺を入れて4人だった。ひとりは似たような年頃の青年で、後の2人はヤンキーっぽいカップル。どういう動機でこの映画を観てるんだろうなと思ったが、まあよく分からんのはお互い様かもしれない。
映画はよかった。あんまりキッチリ理解できた気はしないけど、しっかり覚えているシーンが複数あるってことはいい映画だったんだろう。
上映が終わったのは8時過ぎで、帰り道は真っ暗だった。ぼんやり歩いていたら草薮に思い切り接触して、パーカーの腕じゅうにひっつき虫(ヌスビトハギというやつらしい)の種がついた。真っ暗で人通りのないなか自然と対峙(ってほどでもないが)しているといよいよ寂しい感じがして、ちょっと泣きそうになった。
家に帰るころには10時を回っていた。なんだかいい体験をしたなあ、と強く思った。大学生活で一番青春を感じた一日だったかもしれない。
ーーー
っていうわりと美しい思い出がある場所がクソみたいなインターネットミームの聖地になってたときの悲しみ、わかるまい!
母親に「あんたは弟を憎んでいるのか?」と言われた。びっくりした。嫌いどころとは憎いとは。弟も私も、20はとうに越えた年齢である。今更感もあるが、言動が弟にだけきついのだという。
しかしよくよく考えるとそうかもしれないと思い、その場では「母にはわからん。」と答えた。嫌なこともあったが昔のことではないかと言われたのだが、風化するにはでかすぎる事が色々あった。
そこで思い至ったのが、私は弟が嫌いなのではなく、弟への両親の対応が憎いのだと思った。
ざっと思いだすだけで色々ある。
小学生のころ、親の財布からゲームがほしいという理由でお金をくすんだ弟。(あまりおぼえてないがかなり怒られていたはず)
私が中学生~高校生のころ、両親の土日は全て弟の為のもの(スポーツをしていた)で、私は完全に放置であったこと。金銭的にスポーツはお金がかかる。それだけの手間とお金を私にはかけてもらえなかったというのが黒い影を心に残している。
大学生のころ、弟は寮に入っていた。私はお小遣いもなく、大学への交通費がそこそこしたため、毎日バイトをしていた。弟はスポーツが大変だからと、結構な額を仕送りしてもらっていた。スポーツをするとバイトができないから仕方ないと言っていた。それは弟が大学を卒業するまで続いた。
私が社会人になってから。仕事が中々のブラックで鬱々としていたというのに、弟が真面目に就活をしないからと、夜車に乗せられ弟のところまで連れていかれた。嫌だと言ったが、聞いてもらえなかった。仕方なく就活の面倒を見た。
そして数年前、私は仕事を転職して幸せだった。それをどん底に突き落としたのは、弟の借金だった。闇金からも借りていて、早く返済しないと膨れ上がるばかりだった。私は、一度病院に行くべきだといった。返済も計画を立ててするべきだと。ところが親は全ての借金を払った。自分達に返済させるのだという。
ストレスから借金をしてしまったという弟は可哀想だった。たしかにそう思った。だが親の対応がたぶん、なにより許せなかった。
そして今、弟は結婚をするという。彼女に借金を作ったことがあると言わぬまま。まだ返しきれていない借金は結婚したらチャラだと。そして家電を親にねだっている。
この厚顔無恥な態度が、私には無理だった。本当に、嫌悪感しかない。そしてそれに乗る親も。
男というだけで、家事すら弟には頼まず私にだけやれという親。それについて口答えすると、向き不向きがあるからと言われる。
結婚相手には悪いが、後悔しても、なにがあっても私には頼ってくれるなよといいたい。私が死にかけても、なにをしても私からそちらを頼ることはないので。
合計12回の面接を受けたが、対面面接をしたのは一度だけ。他は全部WEB面接だった。
・説明会参加中に「この会社合わないな」と感じたら気兼ねなく退室 or 内職できる
先週参加したWEB説明会は、志望職種の採用がないのが判明した(募集要項には書いてあったのに)から、
カメラオンにしたままワードで別の企業のESを書いてた。内職中も目線は画面に向けた状態を保てるので罪悪感は少ない。
(本当は退室したかったけど学生が4人だけの説明会だったから仕方なく)
・移動不要
面接3時間前に起床でも間に合う。着替え・化粧・質疑見直しまで余裕。
しかも自宅にいるから、面接3分前まで歌を歌ったり踊ったりして緊張を和らげることができる。
そんな調子なので、来年の新卒は入退室のマナーがよくわからないと思う。
飛行機移動必須の地方に住んでいるので、交通費を削減できたのは本当にありがたかった。
航空会社泣いてるだろうな。いつもお世話になってるのにごめん。
・ストッキングが減らない
すぐ伝線してダメになるやつ。
web面接のデフォルトが4K画質だったら、万が一に備えて履いてたかもしれない。
就活生が使うバッグって全然物入れられないよね。こんなに出番がないなら買わなきゃよかった。
内定辞退した企業も就職先の企業も、説明会・一次・二次・最終すべてwebでやってくれた。
内定受諾の最終的な決め手は「毎回毎回、どの社員さんも自宅から参加している」
もう7月だけどまだ全員フルリモート勤務をしている。最終面接で初登場の社長さんもご自宅からこんにちわ、だった。最高。
コロナで混乱している中でもリモートワーク体制を作り上げた点や現在もそのシステムを継続している点を見て、いい企業なんだなと純粋に思った。
河井夫妻の事件について、元国会議員の豊田真由子さんや、金子恵美さんが地元でのカネ配り(先輩議員に地方議員にカネ配れとアドバイスされた)について発言しているので、地方議員側からの話をします。
もともと、業界には与野党問わず「目配り、気配り、カネ配り」という言葉があって、この3つができる政治家が優秀な政治家だとされていました。
でもそんな話は中選挙区時代(~1993年)であって、今はこの言葉すら死後になっています。
今の話をする前に、すこし中選挙区時代の話をします。カネ配りはこの時代に盛んに行われたので。
中選挙区制は選挙区の人口によって定数が決まっていて、選挙の上位2人~6人くらいが当選します。なので、ひとつの選挙区から同じ政党の候補者が何人も出馬します。たとえば群馬3区では当選議席数が4で、自民党からは3人(福田、中曽根、小渕)が出馬します。
有権者や、地方議員からすると、同じ自民党の候補者なので、3人に基本的に政策に違いがありません。3人の候補者は政策的な差別化が図れないので、「あの道路は俺が作った」みたいな、どれだけ予算を地元に持ってきたか(利益誘導政治)がアピールポイントになります。さらにその先が、直接的なカネ配りだったり、選挙事務所での食事だったりするわけです。とにかく政策では差がないので、政策以外の差が得票になるのです。
旧群馬3区では選挙メシも有名でした。福田料亭、中曽根レストランとwikipediaの「上州戦争」でも書いてありますね。私の選挙区でもオヤジの話を聞くと、昔は選挙事務所で鰻重が出た、なんて聞きます。うなぎ食べたい。
参議院の選挙は都道府県によっていまでも中選挙区制なので、制度的にはこうなりやすいです。現に河井さんの広島も改選2議席で、自民から2人でたからね。しかもアンリさんは新人で実績(利益誘導)をPRできないから。
戦後、そんな選挙がずーっと続いていたのですが、1988年のリクルート事件が発覚して、カネと政治をめぐる事件が立て続けにおこりました。それで、なんでこんな金権政治になるんだろうと考えたところ、中選挙区制が原因じゃろう、となったのです。
派閥の親分が無理してカネを集める→系列の国会議員に配る→地元でカネが飛び交う のが中選挙区制の行きつく先だったのです。
それでついに1993年の選挙で自民党は大敗し、細川護熙内閣が誕生します。細川内閣は、政策も理念も異なる8会派が集まってできた内閣で「8頭立ての馬車」、7政党に大臣ポストを振り分けたので「レインボー内閣」なんて言われました。この内閣の唯一の政策の共通点は「政治改革」で、結果としてこの内閣のもとで中選挙区制をやめて、小選挙区制にします。
このときに行われた政治改革のポイントは2つです。1つは小選挙区制(1つの選挙区に各政党は1人しか公認しない)にすることで、カネではなく、政策で勝負する選挙構造にすること。もう一つは政治献金に大きな規制を設けることで金権政治の元凶であるカネ集めをできなくする、その代わりに税金から政党交付金(約300億円)をつくってこれを各政党に分配するということでした。
この政治改革から約30年、選挙は確実に変わりました。カネ配りも、選挙事務所での豪華メシもなくなりました。石破茂さんも雑誌とかメディアのインタビューで「小選挙区になって、お金は確実にかからなくなった。誰でも議員に挑戦できるようになった」、「中選挙区制だったら私は議員を続けていられなかっただろう」って何度も言っています。そりゃそうだよね、自民党から1人しかでないなら、カネ配んなくても地方議員はその人応援しないといけないもん。
だから、我々自民党の地方議員も、河井夫妻の事件をみてビックリしています。なんて昭和なんだろうって。うちのじいさんのときの話みたい。
んで、本題に入りますが、もちろん、地元の代議士からお金をもらうことはあります。年間10万円くらい。
正確には、党勢拡大のための組織活動費として、自民党選挙区支部(代議士が支部長)→自民党地方総支部(代議士か県会議員が支部長)→自民党市町村第XX支部(増田が支部長)という形でお金がきます。このお金は政治資金規正法に則り、年にいくらもらって、年にいくらつかったかを報告義務があり、その収支報告書はウェブでも公開されています。もちろんお金を受け取ったら領収書を発行します。
地方議員は国会議員と違って、給料以外の集金の手段(政治資金パーティーや政党交付金)を持たないので、基本的に活動はすべて自腹です((野々村竜太郎県議が城崎温泉に行って有名になった、政務活動費という税金が原資の経費があるが、一連のスキャンダルで使途についてチェックがえらく厳しく、文房具か交通費か広報紙くらいにしか使えない。せめて議員として招かれる団体の会合の参加費には使わせてほしい。))。一方で国会議員は給料以外に、文書通信費で1200万、立法事務費で800万、派閥から数百万、党本部から2000万(政党交付金)、パーティーで2000万と、だいたい年間6000万くらい集金できるので、それを原資に活動しています。どこの選挙区でも、与野党問わず、国会議員の支部から地方支部(=地方議員)に組織活動費を出します。代議士は国会が開かれる1~7月、10~12月は永田町に行っていて、週末しか地元にいませんので、その間、地元で党を守り、地域の声を直接聞くのは地方議員ですから。会社組織でいうなれば、本社から支店に補助をだしてるみたいなイメージ。
冒頭の豊田真由子さん、金子恵美さんの発言(先輩議員から地方議員にカネ配れとアドバイスされた)はこの収支に報告義務のある組織活動費の話と、領収書なしの裏金であるアンリさんのお金を混同していて、センスのなさを感じます。きっと、彼女たちはパーティーで集めたお金や、政党交付金を自分1人でガメていて、こうした党勢拡大の組織活動費を地方支部に出さなかったんでしょう。そりゃ落選するわ。
とまあ、河井夫妻の事件は自民党の地方議員もびっくりしているので、当たり前とは思わないでほしいです。
でも、仮にうちの代議士が、去年の統一選挙直後に「当選祝いです。領収書はいりません」といって、30万持ってきてたら受け取っちゃうよなーとはちょっと思う。
選挙ってそれほどつらくて厳しいもの(ほんとに毎回憂鬱になる。新人候補が思ってたよりつらくて途中でやめるのはよくあること)で、カネもかかるから金銭感覚もマヒしているし(普段なら絶対30万なんて怪しいとおもうけど、選挙で多額の金を突っ込んでるから感覚がマジでマヒしている)、当選の直後なんて超絶な解放感で有頂天だし(4年に1回の選挙、オリンピックでメダルをとった感覚をイメージしてほしい)、単純に「あっ、どうも、気遣いありがとうございます」って感じでご祝儀として受け取っちゃう。受け取ったときに「奥さんの集票のため」なんて思わない。広島の地方議員や首長が軒並み「集票のためとは思わなかった」って見苦しい言い訳してるけど(私ですらそう思うから、一般の人からするとマジで見苦しい言い訳にしか見えないだろう)、当事者だったらマジでそう思ってると思う。
正確には、リモートワークが実現した(完全に問題がなくなったとは言っていない)ことで、コスト削減になった。
そして、今まで当たり前にあるものと思っていた仕事をやめてみて、なくても別に全然困らないんだ!と腹落ちした話。
あんまり具体的な数字とかは書いちゃいけないと思うので、創作小説として読んでください。
震災の時に社員の出社困難があったことから、いざという時には家でも業務ができるようにしておこうという動きは以前から社内にありました。
ただし、社内運動のテーマや、役員クラスの会議の議題には上がれど、いざ実行まで至ったのは今回が初めてです。
これまでは、やれシステムは、パソコンとデータの管理は、帳票はプリントしないのか、書類の回覧は、勤怠管理は、さぼる社員への対応、OJTの場合は、
等と、課題を見つけるのをお仕事にする人たちに阻まれて予算すらまともに組ませてもらえませんでした。
が、今回ここまでの事態になったことで、状況が一変しました。どこの会社も多かれ少なかれそのような状況になっているのではないでしょうか。
弊社は、営業が外回りをする以外はオフィス内で完結する業務が多かったことから、意外なほどあっさりリモートワークへの移行が完了しました。
バックオフィスの者として、社員や役員とオンラインで様子を聞きます。
戸惑いや、寂しいとか、管理職からは部下の業務把握が難しいなどのマイナス意見も出るものの、若手~中堅社員からはのびのび仕事ができているようです。
して自分、営業が数字を挙げることありきの会社のバックオフィスの者として、初めてこんなに現場の人たちと話したなぁと思いました。
自分は総務の経験を買われて、会社の本業ではない部分を回す仕事、というざっくりとした立場で今のポジションに中途入社していますが、
前職(まぁまぁ大手)時代も、この会社のこれまでも、現場との連携という名目の会議はあれど、末端の事務職員や、逆に役員クラスとここまで密に個別面談をする時間はありませんでした。
オンラインで1対1のやり取りをする場合、オフィスの会議スペースのように周りに人の気配がしないせいか、社員の皆さんは意外とのびのび色々な話をしてくれて。
この人こんな人だったんだー、こんな仕事してるんだ(部署として、どんな仕事をしているか知っているつもりだった)という発見がいくつもありました。
逆に、自分の仕事もあまり知られていなかったんだな。と思うことも、多々。
これまで、自分のした仕事に対してXXの件ありがとうございました!と、個別に言われることってあんまりなかったなぁと。メールの枕詞ぐらいなもので。
みなさんの為に仕事してたつもりなんですけどね。でも、個別に連絡をしてきて、話をした人、がする仕事の方が、ちゃんと見えるんだろうなぁ、と。
自分も、社員が本業で力を発揮するためのバックオフィスなのに、今までは誰を、どこを見て仕事をしていたんだろう。という感じ。
結構忙しくて残業なんかもしてたんですが。あれはなんだったんだろう、とふと考えてしまうことがあります。
そして先週、タイトルの通りの決定がありました。
オフィスの大幅縮小。スペースのリフォーム。社員が毎日出社必須ではなくなったため、交通費支給の廃止
これまでは、各部署ごとに社員の机が固まる島があって、その前に部長を座らせて、それぞれのセクションに会議スペースがあって、という作りでしたが、
・会議スペースも統一、社員が集まる必要があるときは、オンラインでスペースの空き確認をして会議スペースを予約。
・社外との打ち合わせは、可能ならオンラインで、顔を合わせる必要のある時はこちらから出向くことにするか、レンタル会議スペースの使用も検討
・原則、どうしても印刷、ファイリングが必要な帳票類があるときに出社、ハンコ捺印は社内のものはすべて撤廃
・これまでオフィスは賃貸で1フロアを借り切っていたのを、1ブロックに
・交通費は、定期代支給をやめ、回数券代を支給(2か月に10回出社のイメージ)、超えた分は小口現金で個別精算。
・部署ごとの定例会議は、一応残しておく。ただし頻度は月に1回、ラッシュ時の通勤を避けられ、時短社員も対応しやすい朝の11時ごろに
正直、オフィスの家賃(都内)と、定期代の支給は大きく、今まで削減するという発想もなかったが、やってみたらインパクトは大きかった。
あと、今までは社員間の不公平をなくすために席替えなんかも結構やっていて半日かけてやる一大イベントだったんですが、当然廃止に。
会社に1日中いることもなくなったので、コーヒーサーバーとか、もういらないし、オフィスグリコは弊社にはなかったけど、自販機も片付けてもらった。
昨日久々に会社(リフォーム前)に行ってみて、あれもいらない、これも片付けよう、と見ていたら、タイトルを思いつきました。
これって、ミニマリストがミニマリストになる過程でやるやつなんじゃないか。
常識を疑う~、とか、一度リセットして考えるとか、まぁそんなことを書いてある本にはよく当たる。業務効率化の本も何冊か読んでいたし、
でも、そこで具体的なコストダウンの方法として交通費支給を辞めるって書いてある本には今まで1冊も当たったことがない。
自分でも経費削減のために社員の出社をなくして交通費の支給を辞め、家賃を半額までコストダウン!ということは思いつきもしませんでした。まぁ思いついたところで会議通らなかったでしょうし。
この先の弊社は、備品を減らし、管理職の数を減らし、管理部門により無駄な管理項目も減らし、会議も、書類も、新入社員に配っていた日付判子もなくし、コピー用紙代や、文具代も削減されるでしょう、
今まではまとめて買って置いていたけど、誰かが次から次へと新しいものを開けたり、それを防ぐために管理ノートを作って目を光らせたり、全て無駄な事でした。
無駄なことをやめ、本業だけに一生懸命になれる会社はきっとすごく居心地が良いものになると思う。
オフィスに行った帰りに久々の本屋でミニマリスト本と断捨離本を何冊か買い、今日の午前中はそれを弊社のオフィスと業務に落とし込む作業をしていた。
ミニマリストはよく、捨てること自体が楽しくなって気分もよくなると書いていたけれど、まさにその通りだと思う。
凝り固まった「これまで」から非日常に放り込まれて、1つずつ本当に必要なものを見極めようとしている。
部屋の中と違って会社のものをなんでも独断で捨てられるわけではないんですが。すぐできないからこそ、それをやろう、という目標が出来て、今は正直ワクワクしています。