明治期まで日本人の85%を占めていた農民、漁民にとって貞操観念なんてなかった。
セックスは単なる娯楽であり子を得るためのものであり、恋愛とはまったく別物であり、妊娠とも切り離されていた。だから男も女も村中のみんなと寝たし、父親が誰かすら誰も気にしなかった。
罪悪感なんてまったくない、西洋的概念とは別種のあっけらかんとした奔放な性がつい100年ほど昔まであった。
これは他の娯楽がほとんど存在せず、村の外にも逃げ場がなく、村人は皆信用できる相手だったからこそ成立した文化だが、昔の日本人は性衝動という厄介なものを実にうまくコントロールしていたものだと思う。
もちろん、こうした性文化になった背景には子供が大きな経済的メリットであるという事情があった。子は労働力であり、老後の保障であり資産であった(最悪の場合、売り飛ばせる。間引きも悪いことではなかった)。
現代は少子化が問題になり子供が経済的負担となっているが、これは愛情やら公費負担でどうにかなる問題ではない。これは、子供の経済的価値を再発見できるのかという問題である。
子供は近代西洋が生み出した概念であるが(「子供の誕生」フィリップアリエス)、このような近代的思想の限界点に差し掛かっている今、西洋とはまったく別種の知と性を生きてきた日本人の過去は様々なヒントを与えてくれるように思う。