はてなキーワード: おざなりとは
番組ではステイホームをする全国各地の家庭の様子が写し出されていた。
そこでは家キャンプする仲の良い家族だったり、子供の誕生日会をピリピリしながら行う夫婦だったり、自作すごろくをして過ごす夫婦だったり、息子と格闘するお父さんだったりと、いろんな家族がいた。
誕生日会の家族は雰囲気こそほんわかしてないけど最終的には丸く収まっていて、番組で流れた家庭は大体どこも良い話になっていたように思う。
担当ディレクターのコメントを読んで、その中のとあるくだりに対してうちの夫婦はどうなんだろうなと思ったことについて書く。
前:妻(私)→シフト制正社員、旦那→カレンダー通りの休みの正社員
私はコロナ関係なく仕事を一旦辞めていた。緊急事態宣言が解除されてから絶賛就活中。
旦那はコロナでも仕事がきちんとあり、マスクをして会社へ行っている。
○家事
前:ご飯は作れる方が作る、掃除洗濯は各家電にお任せ、買い物は一緒に行ったり片方が行ける時に行く
後:大体全部妻が担当
以前は共働きなのでやれる方がやるようになっていた。
ご飯は私も作るし旦那も作る。先に帰った方が用意しておくことになっていた。
帰ってから作ることもあれば作り置きしてあるのを食べたり、なければお惣菜買ったりたまに外食したり。お弁当も各自で用意。
掃除はルンバ(ボタン押すのは旦那のが多い)洗濯はドラム式洗濯機で乾燥まで一直線。ボタン押すのは半々(気持ち、私の方が多いと思う)
後は3食のご飯もお弁当も掃除も買い出しもほぼ私。買い出しはネット通販も使ってたけど。
献立考えるのしんどいのに初めて気づいた。世の中の子供育ててる主婦の方すごすぎでしょ…。
○お出かけ
前:休みの合う日に映画見たり、服を買ったり、ぶらぶらウィンドウショッピング、週一で外食
後:ほぼない
ここが一番変化が大きい。まあこのご時世だからなかなか出られないよ。
休みに何やっているかというか各自の部屋で好きなことをしている。
共通する趣味がない。やろうと誘えばできるのもあるけど、一人でやってる方がいいのかも。
前:頻度は高くないにしても定期的にあった
後:ここ数ヶ月はない
世間の日数で言えばセックスレスに値する期間はしていない。ここについてはコロナとは別の問題があるからまた書けたら書きたい。
番組担当ディレクターやMCのオードリー二人が言ってた、コロナ禍でみんなで(家族)楽しむように工夫しているっていうコメントが私の中で引っ掛かった。
あれ、うちの夫婦は二人でというより個人で、の方に拍車がかかってんじゃないか?って。
二人でやっていたことってコロナ前だと週一のお出かけが唯一だったのかなあって。
あそこでコミュニケーション取ってたような気がするけど、今は全然できてない。
各自の部屋で過ごすことが圧倒的に増えたし、外食も減ってしまったから一緒に食べるご飯もおざなりかもしれない。
番組ですごろくしていた夫婦がすごい羨ましい。あんな風に二人でワイワイしたい。
プログラミングで食って生きたくてやってきたはずが、体壊して休んでいるうちにブランク空いちゃっって、もう第一線ではやっていけないなあ、でもコード書くんだったら他の人よりできるのになあ、って思ってしまう。そんなことは忘れてなんとか食いつなぐ道を探すべきなのだろうが、当時の風潮に甘えて社会生活をおざなりにしてきた。こんな社会人としてのスキルを全く持っていない中年が入ってこられたら、迷惑だと思うんだよね…。社会人としてというか、人間同士のコミュニケーション自体をおざなりにしてきた。そんなんでも当時はコードが書ける方が価値があった時代もあったんだ。
アメリカだと、年齢性別や顔写真はむしろ提示されて落とすと差別と言われる可能性が高いから、書類選考段階では送ってこないで欲しいくらいらしいんだよねーいやなんか年齢がさーもうマネージメントとかやっていて欲しいアラフォーで、そんなんが下についたせいで若者がやりにくくなるなら死んだ方がマシっていうか。差別由来の年齢不考慮と就職後の話がごっちゃになってし、誰に何をどうして欲しいのか分からない。
あー、なんか、なにをどこにどう相談したら良いのかも分からない。
今ホッテンの派遣の話では会話がおぼつかなくても問題ないって書いてあるけれど、本当に?
そのレベルなのに職種を選ぼうとしているのが駄目なんだろうが、もう他に何かできる気がしない。お金をもらうっていうのは他人の利益になるってことじゃんんか…自分の人間としての能力じゃ負担にしかならない。利益出したいよ…だって普通に働いていたら自分の働きの三倍は会社に利益を出さないといけないんでしょう。ああもう、そんな自分とはもう関係の無いはずのことばかりが足枷になる。
ごめん質問の形になっていないな…ぐちゃぐちゃだ。
はてなではすでにひとまわりして、もういいや、他の炎上で遊ぼうって感じになって、やっとワイドショーなんかで「今ネットで話題の・・・!」みたいに取り上げてコメンテーターが一言いって仕事した、というもうすっかり擦られた話題だけども。
あの時分は、スーパーで「時間で割引になる表示のタイミングが悪く、告知がおざなりだから損した。店の態度としてもっとビビットに告知すべきである」と延々と店員を説教して、聞き流されてさらに激怒ループしている人を見ていたので、「まあ、あるあるだなー」と感じていた。
で、同時に感じていたのは、「高齢男性は社会の害悪」とか「ポテサラみたなものでも毎日作るの大変だよー」とか「一部の人の意見を気にしちゃダメー」とか、そっちの方面の意見ではなく、「おれ、こういうポテサラや惣菜の値引きの値段表示で激怒して人に延々説教するような事にならんように気をつけないといかんな」という事だった。
自粛期間で在宅勤務が始まってからというもの、コロナ関連の Be Careful モードに多少ストレスはあるものの、会話にまつわるストレスは非常に激減した。
「コレ言っちゃいかんな」とブレーキをかけるのは、脳の重要な働きだが、そもそもそれを言わねばならぬと感じるイベントに出会う頻度が結構減った。
反対に「今コレを言わねば」という機会も、そしてそれがコントロールできない瞬間にくるので即座に対応する機会も減った。
とてもリラックスできているのだが、その反面、時々、詳細な説明をする場合などに「うまく言い切れてないな」とか、「今、安易な説明に逃げようとしたな」とか、言語能力の弛緩を感じる。
それに「あー、やるべきことはあるけどやりたくないなー」とだらっとする時間もしばしばある。
調子のいいときは「やるべきことはっきりしてるなら、この時間はすぐ破棄して構わない無駄な時間だな。雑なとりあえずの手付でもこの時間よりマシだ」とまずは立ち上がるところだ。
これは少し意識して動いていかないと、頭がぼんやりしてしまうかもしれない、行き着く先はポテサラだのスーパーの値段表示だのにド説教をかました挙句、「自分は正しいことを言っている、何が悪い」とループするあの感じだ。
倫理的にギャンブルもしないし、タバコも吸わない、人に迷惑をかける人ではないので、その点は一見問題はない。
ただ、絶望的に頭が悪い。会話しているとわかる。発言に論理性が一切ないのだ。頭で考えるより先に言葉が出ている感じ。だから支離滅裂なことも平気で言う。
ステレオタイプ色の強い人間は科学的にもIQが低いとされるが、まさにその典型のような人だ。
本日、父親からLINEが届いた。何やらアベノマスクが届いたと喜んでいた。もうただただ、絶句。
これにどれだけの税金が投入されたかわかってるのか?72歳にもなって政治に無関心って社会の一員として恥ずかしいと思わないのか?
親父は勉強はしない、ニュースもみない、そのくせ無条件に自民党を応援する。自民党党首であれば無条件に支持する。
先程、父親は倫理的に問題ないと言った。しかし、たとえ無知が理由といえど、現政権のような自分のためだけに政治を行い、ビジョンもなく、ただただ保身に走り、倫理観は完全に欠落状態、悪事が多すぎて、国会はほぼ全てが野党による悪事の追求と自民党による稚拙な釈明のやり取りのみ、そんな邪悪で愛国心ゼロの政権を信じることが倫理的に正しいのだろうか?
汚職の隠蔽に大忙しで、本来やるべき社会問題解決は完全におざなり状態となっている。我々は日本の未来をとんでもない政権に委ねているのだ。
バカウヨとか書いたが、ウヨクだのサヨクだの、そういう次元ではないまでに腐敗している。正しいとされる異なる2つの方向性の選択肢があってそれを議論するのとはわけとは違うのだ。
例え無知であっても、あのような政権を無条件に支持する行為が倫理的に正しいわけがない。
父は愛国心はあると自分では思っているのだろう。でも圧倒的な無知が結果として売国奴そのものになってしまっているのだ。
父よ、あなたはもう高齢だ。政権が以下に邪悪で自分のためだけに政治家をやっていようと、どんな税金の使い方をされようとどうでもいいのかもしれない。
回復不能なまでに少子高齢化を進行させ続け、日本社会から完全に持続可能性が消え去った。残された者に待ち受けるのは増税の嵐と、何の保証もない未来だけだ。ミドルクラスすら貧困で苦しむ時代が来ようとしているのだ。
父よ、あなたは年金さえもらえ続ければ何の不満はないかもしれない。
ただ残された子供はまったく違うのだよ。そんな不毛な時代を生きなければならないのだ。
父よ、私は今まであなたの教養の無さを責めたことは一度もない。なぜなら人柄は悪くないからだ。
しかし、無知が理由といえど、悪を支持する行為は許しがたいのだ。
アベノマスクに喜んでいる父が心底恥ずかしかった。悪を信じる人間を自分は身内といえど許容できない。
そんな自分もまた成長の過程にいるのだろう。ただ、今の自分にはこんな父とどう接していいかわからない。
絶縁しようと書いたが、そんな簡単ではないのだ。
今回も雑感
となジャンで『DINER ダイナー』っていう漫画があるんだけれども、これ最初は週刊のヤンジャンで連載されてたんだよね。まあ色々な事情があるんだろうけれども、私の印象としては「打ち切るほどではないが……」って作品が移籍している感じ。今じゃ移籍連載なんて珍しくもないから、あんまり邪推するのもなんだけど。
他にも雑誌媒体から移籍した作品は結構あるよね。近年だと『銀魂』とかは有名か。個人的には『SOUL CATCHER(S)』が今でも記憶に残ってる。あれほど媒体に翻弄された作品も珍しいと思う。そのせいで、途中で読む気を失くしたって人は結構いそう。最初から最後まで一つの媒体で、コンスタントに連載し続けられていたら、もう少し評価されてた漫画だったろうに。
で、話を戻して『DINER ダイナー』なんだけれども、すっげえコメントに困る展開なんだよね。主役たちを置いてけぼりにして、サブキャラの回想に何十話も使ってる。『DINER ダイナー』は現在109話やってるけれども、その大体4分の1くらいを回想に費やしてる。これがね、個人的には面白い。
そのサブキャラの物語として割り切って見る分には、割と面白い内容なんだよね。作者達が丁寧にやっているのは伺える出来。でも『DINER ダイナー』という作品でやるのはどうかっていう思いも正直ある。サブキャラの過去話に何十話も使うのはスピンオフとかでやるべきことで、主人公達をほっといて本編で長々とやるのは悪手だと思う。
で、最近やっと回想が終わったっぽいんだけれども、今後はちょっとビジネスモデルを変えて連載していきますよ~っていう感じの告知コメントで失笑してしまった。オブラートに包まず言うなら、ぶっちゃけ萎えた。せめて、その告知は別ページに書くべきだったかな。
こんな感じで、企画単位、作品単位として見た場合、「内容は面白いけど、ちょっと舵取りミスってない?」って感じることがあるんだよね。変なところでケチがついてしまう漫画はちょくちょく見る。そのせいで下げなくていいところで評価下がってる。内容そのものの面白さも大事だけれども、もっと総体的に見て「その作品をどうしたいか」って意識がおざなりだと、ついてくる読者は減っていく。「いいから、ついてこい!」って感じの態度は無用な軋轢を生む。
別ベクトルの話では、ちょっと騒動になった『ぼくたちは勉強ができない』別ルートも似てるかな。あれも側面的にみれば各メインヒロイン推しの需要に応えているし、平行してサブキャラの補完もしているなど丁寧な仕事が光る。けれども、どうしても蛇足感は拭えない。最近、2人目のルートが終わったところだけれども、本作をフラットに読んでいる身としては「この調子で残りもやるのか……」っていう倦怠感があった。ラオウ倒した後の北斗の拳くらいの感覚。まあ、WEBコミックじゃないんでここで詳細に話すことではないけれども。
なんとか座席を確保し、ほっと一息ついていると大きな揺れが。
そのはずみで前に立っていたおじさんが抱えていたカバンの角が顔面にクリーンヒット。
不意打ちのあまりの衝撃に声も出ない。
なんとか相手の顔を見てようやく痛みが追いついてきて、思わず声を上げた。
「イッターい!全然大丈夫じゃないですよ!」
その時のオッサンの目といい、顔つきといい、今思い出しても背筋が凍る。
ぶつけたことをなんとも思っていない、こちらを見下したようなうんざりした目。
おざなりにもう一度、「すみませんでした」と気持ちのこもっていない言い方で謝罪。
一歩間違えば失明だぞ。信じられない。
「カバンがあたったのは申し訳ありませんが、僕それほど怒られることをしました?」
「僕それほど怒られることをしました?あ?」
こいつは関わったらいけないサイコパスだ。
そう直感的に思って、黙ったまま下を向いてもう目を合わせないようにした。
ふつうのくたびれたリーマンに見えるのに、相手が女で自分より弱そうというだけで傷害の上に逆ギレして噛み付くんだと思うと恐怖を感じた。
そんなことを考えながら下を向いて自分の手を見つめていた。
いやほんとにさー…関係者でもないのに
木村花選手の死を悼んでる間にやれ誹謗中傷だ開示請求だのなんだの
うんざりするんだけど
それも正義の暴走じゃないの?木村花選手を追いつめた人達の二の舞じゃないの?
もちろん誹謗中傷は良くないってわかってるよ
でも今回の件に乗っかって、木村花選手のことを気にもせず持論展開する部外者があまりにも多すぎるよ
すごく優しくて対応よくてさ
まだまだ若いしこれからのレスラー人生も長いものだと思っていたからとても残念なんだよ
もちろん原因のひとつだったのも知ってる
素行の悪い人々も開示請求のRTして「批判すんなよ、全部誹謗中傷だからな、開示請求してやるぞ」のポーズ
木村花選手の死ってあんたらの正義のためにあるんじゃないんだけど?
もううんざりなんだよ
色々な人や物事から、自分自身を軽んじられているように思える。
1ヶ月くらいずっと在宅勤務をしていて、昨日自分の住む地域が緊急事態宣言から解除されていて、今日病院とか美容室に行って来た
病院はなんともなかったのだけど、美容室でへんな髪型にされてしまった
自分がコミュ障だからうまく意思の疎通ができなかったからだろうか?でもちょっと切るってだけでなんで変にされちゃうんだろう。
何か聞かれて、答えたらいちいち半笑いで、すごく嫌だった
ずっと人と接していなかったから、表情とか声とか話し方がおかしかったのだろうか?
自分をかわいそうで惨めだなと思ってしまって、一日中涙が止まらない。
今日は一日中土砂降りで、自分をもっと沈ませるために天気に嫌がらせされているように思えた そんな訳ないのは判っているけど余計に涙が出てくる。
綺麗に掃除したのに角にちょっと埃が残っていて、それを見ただけで泣いてしまった。やばいと思う。
でも、昔に、心療内科に通って安定剤でラリった兄弟に受験勉強を妨害され続けたトラウマがあるので、そういうところには行きたくない
一人は気楽だし、こうした状況になる前からも休日はずっと家に引きこもったりしていたし、一人で家にいることそのものが辛い訳じゃない
でも、何だろう?
この1ヶ月、友達や家族や恋人と電話したりしてたけど、いつも自分は代替可能なんだという感じがしていた
自分には全然友達がいないけど、自分の友達にはたくさん友達がいて、zoom飲み会をはしごして忙しいと言っていた
別に自分がそうなりたい訳じゃないけど、何だか、うまく言えないけど、そうか、と思った
親は職業柄、人の微細な感情に敏感なせいか、自分がだんだん鬱々として来ているのを勘付いて、気を遣ってよく連絡をくれる
その気遣いも、ありがたいけど、そうやって見られているんだなと思わされて辛かった。プライドが高いから。
恋人とは、いつもより連絡を取り合おうと言ったのに、途中からそれがおざなりになった。
連絡をするたびに、体調を心配してくれたり、早く解除になって会いたい、と言ってくれるけど、なんかそれはただのテンプレで空虚な感じがした。
実際、解除になってから連絡は来ていない。自分からすればいいのだと思うけど、連絡をしたり誘ったりするのは自分ばかりで、なんか馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。このまま来なかったらどうなるんだろう。
あるとき、暗い気持ちで暮れそうな空を見ながらいつもの散歩ルートの海沿いを歩いていると、
自粛で行くところがないせいか、いつも人がいない散歩ルートに人がたくさんいて、
みんな家族連れとか犬連れとか友達同士とか恋人同士で来ていて、なんだよと思った。
自分だけの海沿いじゃないことは判っているのに。
やめとけばいいのに、H.G.ウェルズの「白壁の緑の扉」を読み返す。
中学校の時から何度も何度も読んでもうぼろぼろだ。ぼろぼろの本にも悲しくなる。
今、自分の目の前に白壁の緑の扉が現れたら、全てを捨てて飛び込んでしまうかもしれないと思う。
この本に出会った頃、自分は小さな田舎町にいて、周りを半透明のカプセルで囲まれているような気がしていつも息苦しかった。
親は干渉が強くてあれもこれもダメだと制限されて、兄弟には親にバレないようにネチネチ嫌がらせをされて、思春期の同級生はびっくりするくらい残酷で、
だから早くここから出て誰も知り合いのいない遠くに行きたいと強く思っていた。
一日の中で一番好きなのは、寝る前に自分の好きな人間(自分でキャラクターとかを考えた)だけが暮らしている素敵な世界(自分で設計した)で、ちやほやされまくったり、めくるめく恋をしたり、ハラハラするような冒険をするといった妄想をするひとときだった。
今は生まれ育った場所からものすごく遠い場所に暮らしていて、高校までの同級生とは全て縁を切って、一人暮らしをしていて、好きなこともしている
なのに何でこんな気持ちになるんだろう。
昔の悲惨だった頃を思い出してまた涙が出てくる。ゴミはずっとゴミのままで、色々夢見て主人公みたくなろうとしても、無理なんじゃないかと思う。
動画サイトの広告に惹かれてキャラクター重視のソシャゲをはじめた。
一人のキャラを好きになって推すようになった。
メインストーリーの出来はとても良くて推しを更に好きになれた。
推しがメインのイベストなのだから当然推しが活躍すると思って期待しながら読み始めたのだが
実際には自分の推しが他のメインキャラを騙したり周りに迷惑かけまくる内容だった。
一回二回迷惑かけた程度ではない。
ストーリーの初めから終わりまで終始迷惑かけっぱなしでずっと適当な態度で楽して自分だけが目立つことしか考えず
自業自得でピンチになったところを(騙して迷惑かけた)他のメインキャラに助けてもらい、最後に推しが軽く謝罪しておしまいだった。
とにかく自分の推しの知能を低下させられて本来の魅力すら無くなったストーリーを見せられた。
前から他キャラageに使われる子だなとは思ってたけどこんなのってない。
他キャラのファンが「さすがに扱いひどくない?」って同情するレベルだった。
推しの古参ファンは「前の推しメインのイベストも推しが周囲に迷惑かけまくりで最悪だった。嫌いになりたくないから不穏だなって思った今回のイベストは途中から読むのやめた」とまで言っていた。
メインストだったらああもうこういうどうしようもない性格の子なんだな。って受け入れられた。
大好きなキャラが楽しそうに活躍したりするのが見れるのがイベストなんじゃないのか?
イベストのライターは推しのことすごく嫌いなんだろうな。って思った。
迷惑をかけた推しへの制裁もおざなりで推しの軽い謝罪でなあなあで終わっていたからだ。
でもこれが公式で出たということは公式は推しを”こういうキャラ”として扱っていくんだろうなと思った。
それを覚悟して推していかなきゃなんないんだろうなって諦めにも似た気持ちで続けてた。
ライターに恨みを募らせていたら新しい推しイベストが始まった。
おびえながら読んだらそこには嘘みたいに性格の良い推しがいた。
信じられなかった。
聖人のようだった。
正直どちらのイベストもメインストを読めばまあ、納得はできなくはない。
メインストの推しは自己中な面もあれば家庭環境から愛に飢えている面もあれば心を開いた人をとても大事にする面もある。
どちらのイベストも推しの側面を強調しただけといえばそれまでだが
私には受け入れがたかった。
今後、推しのイベストがくるたびに過度にsageられるのかageられるのかわからないからだ。
ライターの名前は公表されていないので誰が書いているかわからない状況が不安を煽った。
推しが迷惑かけたイベストは成長ものにしてはあまりにも不出来だったし
推しが聖人のようなイベストはとにかくキャラ全員を大事に書こうという姿勢が見られたから
とても同じライターが書いているとは思えなかった。
まだライターがわかっていれば読む読まないの選択をできたかもしれない。
あるいは古参のファンのように不穏だと思ったら途中で読まなければいい。
でも私は思ってしまった。
推しのイベストがくるたびに毎回こんな不安な気持ちになるのか…?と思った。
それならメインストだけ読めばいい、もうイベストは読まなきゃいいんだ。とも思った。
なんならメインストだってキャラの性格が著しく変貌してしまう可能性だってなくはないのだ。
メインストのライターも誰が書いているのか・何人で書いているのかわからないからだ。
しかしここまでライターによって性格が変貌したり他キャラのための舞台装置と化す推しを見続ける気力が無くなってしまった。
いつもこの時期になったら仕事も落ち着き、旅行がてら風俗でも行ってリフレッシュしようかな..と思う頃なのだが、このコロナショックの中、性風俗店に行けるわけないのでどうしようかなぁ...と思い、暇なので今まで行った私の風俗での何気ない体験記を備忘録も兼ねて記していこうと思う。他の増田の風俗日記と比べ、凝った文章は書けないし、拙い内容になるかもしれないが、他愛のない日記として見ていただけると嬉しい。(内容によっては、覚えている記憶の差があるかもしれないのでご了承願いたい)。
バイト先の先輩から、ふと話の流れで「ソープは楽しいよ」と言われたのがきっかけで、一人で千葉の栄町の人妻風俗店に行ったのが私の初めての風俗デビューだった。初めてだったのでサイトで女の子を選んでから、前日に電話でしっかりと予約してから訪れようと思い、「さてまずは予約から..」と携帯で風俗店の電話番号を入力したところまでは良かったのだが、そこから急に「何から話せば」「どのように予約すれば」「〇〇ちゃん?〇〇さん?でお願いします、でいいのかな?」などなど、一気に謎の不安と緊張が押し寄せてきて、車の中でかけようとしていたので誰が見ているわけでもないのに何だか急に恥ずかしくなってしまったりして、なんだかんだで既に40分ぐらい経過していた。このままではいかん!と思い、意を決してかけてみたら、受付の方は非常にやさしく対応をしてもらい、結果、杞憂となったのは今となってはいい思い出だった。ちなみに予約までは良かったが、初めての街に初めての風俗と、とにかく当日は緊張していたので、変に道に迷ってしまい、時間に遅れて、金のアクセサリーを身に着けた怖そうな受付の兄ちゃんに怒られたのもいい思い出。初めて行く人は時間に余裕をもっていった方がいいと思う。待合室もあるしね。
沖縄の辻のソープに行ったとき、お店のオススメで選んでもらった女の子にお相手してもらった話なのだが、よく言えば明るいギャル、悪く言えばちょっと不良っぽいような感じの女の子だったのだが、「マットお願いできる?」と尋ねたら、「うん!できるよ!」とやる気満々の声を聞けたので、意気揚々と服を脱いで、さぁ!お楽しみのマットプレイだ!!!とマットにうつ伏せになって待ち構えていたら、上に乗った途端に沖縄の民謡らしき歌を歌い始めた。「ん?そういうプレイなのか?」と始めはその歌を聞きながら、女の子を思うようにやらせていたのだが、中々終わる気配がなく、「これ何の歌なの?」と一旦歌うのをやめさせて、すぐにプレイに移ろうかと思ったのだが、「これは沖縄の民謡で~...最近は同窓会で歌ったんだよ~。どうだった?」などものすごく歌に関しての質問をしてくるので、真面目な私は変にその質問に答えてしまい、結局歌を聞いていただけで、半分ぐらい時間が過ぎていた。女の子によってはナメられているとプレイがおざなりになることが多々あると、バイト先の先輩から聞いたことがあったので、この沖縄での経験があった後は、プレイ前のトークが長くなりそうな時などに「もうそろそろしない?」と強く言えるようになった。
神戸の福原はテカテカしたネオンのアーケードがお出迎えしてくれたりと、とにかく風俗街に来たな..と雰囲気だけで満足感に浸れる街なのだが、福原での予約を入れていた店に訪れたとき、入り口に入った途端に「こちらですよ~!あっ、靴はそのままで構いません!直しておきますので、どうぞおあがりください!」とものすごく丁寧に出迎えられたら、また別のボーイが出てきて待合室までこれまた丁寧に案内してくれた。案内し終わったら、またまた別のボーイが「お飲み物はどうされますか?緑茶・麦茶・コーヒー・コーラ・ソーダなどございますが?」と膝をつきながら、ものすごく腰を低くして丁寧に応対してくれたのを今でも鮮明に覚えている。そんな対応の良いボーイばかりがいるお店、女の子はどうたったのか..と言うと、これまた素晴らしい対応でまた是非行きたいと思った。ボーイが良い店は、女の子の接客も素晴らしいのではないのではないかという持論が、このお店がきっかけで生まれた。
私はどちらかというとソープに行く割合が多いのだが、たまにデリヘルにも行きたい気分にもなる。店舗型のソープとは違い、ホテルをとって、電話をして、実際にホテルの部屋まで女の子が来るまでのドキドキ感たるやいなや、ソープとはまた違う興奮を味わえるのが魅力だ。そんなデリヘルを利用したとき、いつもソープでは女の子が部屋の電気の明るさを調節しているので、薄暗い中でのプレイばかりだったのだが、ふとラブホテルでのプレイなら部屋の電気を調節できるのでは?AVみたく、こうこうと照らされた明るい部屋であんなことやこんなことができるのでは?と、ホテル内の備え付けのテレビでAVみながら思いついたので、部屋の明るさを90%ぐらいにして、女の子が来るのを待っていた。だが、いざ女の子が来ると開口一番、「部屋の電気明るいよね?もう少し下げようか?」とすぐに40%ぐらいの明るさにさせられてしまった。女の子にとっては明るい部屋でのプレイは絶対に嫌だと思うが、死ぬまでに一度は明るい部屋でやってみたい。
始めて沖縄の辻の風俗に行ったとき、那覇市内のホテルから歩いて赴いたら結構距離があったので、行くまでに疲れた経験から次回から送迎の車を頼むようになったのだが、その時の送迎のおっちゃんがものすごく気さくな方で車内で話す時間がとても楽しかったのをよく覚えている。話した内容と言えば風俗のことに関することは一切話さず、「沖縄っていい所ですよね。」「いやいや..そんなことないですよ。ごみごみしてて、車は混むしで..」「へぇーそうなんですか。この時期って観光客とかはやっぱり多いのですか?」「うーんそうですね。」など、文字に起こすと本当に他愛のないことなのだが、普段はほとんど人と接しない私にとってはこの何気ない時間が本当に居心地が良かった。緊張も適度にほぐれたので、初めて風俗に行く人で緊張しい方は、送迎を頼むのをお勧めしたい。
千葉の栄町のソープで、人妻系のよさげなお店を見つけたので予約して入ってみると、そこで出会った女性に初めてアナルの気持ちよさを教えてもらった。今までも「アナルやってみない?」と勧められることは少なくなかったが、好奇心につれられて誘いに乗ってみたはいいが、いざやってみると痛さだけが残って気持ちよさを味わえることはなかった。「アナルって本当に気持ちよいのか?」と心の中ではアナルに対する疑いの気持ちばかりが大きくなっていたので、アナルの興奮を味わえることはもうないのか..と半分諦めた気持ちでいたのだが、この人妻嬢との出会いが私のアナル遍歴を一変してくれた。この女性のテクニックが異様にうまかったのかもしれないが、今までは入れる気持ちよさしか味わてこなかったが、アナルを経験することによって、入れられる気持ちよさを感じられるようになり、これがまた入れる気持ちよさの何倍も興奮してしまった。すげぇ気持ちいい、超気持ちいい。徐々に指が奥まで入っていく感じ、どんどんと抜き差しするストロークが大きくなっていく感じ、四つん這いになって恥ずかしい部分を全開にして見られてる羞恥な感じ。アナルを責められることによって、これらの普段は味わえない極上の快感を一点に感じることができる。女性はセックスのときに毎回、こんな気持ちよさを堪能しているのか。入れられる気持ちよさを味わえないとセックスの楽しさのほとんどを堪能していないと言っても過言ではないのではないかと思うほどの、快楽がそこにはあったので、是非風俗行ったときには、アナルOKであれば食わず嫌いせずに挑戦してみるのをお勧めしたい。彼女とか奥さんとでは、中々アナルまで頼むのは大変恥ずかしいかと思うので、ここは素直に性風俗店に身をまかせれば良いのではないかと。
晩酌しながらの記述なので、かなり冗長しい部分があったかもしれないが、ざっくり私の風俗体験記を書いてみた。風俗というものは一期一会で、前に会えた女性と次に同じ店で会えるとは限らない儚さもあれば、風俗に行くまでの・女性とプレイに及ぶまでの・風俗で遊んだあとの・・などなどの様々な出来事に大きさの度合いはあれど、その時に訪れることでしか触れることのできない色んな経験を味わうことができる。今後、性風俗業界、どうなるか全く想像できないが、もしまた風俗を訪れることがあれば、そこにまた新たなドラマが生まれるのだと思う。
今日も何もできなかった。昨日も、一昨日も、先週も、先々週も。
部屋は乱雑に散らかり、湿った匂いを振りまく。堆積する洗濯物と本。傍らにあるピアノは、厚い埃に覆われている。
風呂に入るのが途方もなく億劫に感じる。食後の歯磨きをする腰が重い。それだけじゃない。出歩かない日に着替えをしないのはもともとだけど、爪も伸びるままだし、日課の朝洗顔もおざなりになったし、ある日目についた眉毛は気づいてから2週間そのままだ。
やらなきゃいけないことはたくさんあるし、やりたいことはそれに輪をかけてたくさんある。先方へのメールとアポ取り、日課のピアノの練習、チームの作業、TOEICの勉強、部屋の掃除。勉強ならプログラミングもやらなきゃいけないし、他に溜めている仕事もある。全て進行していない。現状を鑑みてできないはずがなく、単純にサボっているだけとしか言いようがない。毎日惰眠を貪り、空いた時間起きることもなくゴロゴロし、ギリギリ体が動くとき思い出したように少しゲームをして、ただ夜が更けるのを待ち、空が白み始めた頃になって、今日も何もできなかったという後悔・自己嫌悪とともに眠りにつく。そんな毎日を過ごしている。どう考えてもサボっている。
そう。できないのではない。やる気になれない。もはや自分が頑張ることに意義を感じない。今の頑張りが明日につながるようには、到底思えない。今頑張ることは、明日の含み損を減らしこそすれ、すでに抱え込んだ大赤字を解消してくれるわけではない。雪だるま式に増える借金の、無限に膨らみ続ける利息に押し潰される人生としか思えない。
誰も助けてくれない。おそらく、自分の明日を気にしてくれる酔狂はどこにもいないのだろう。自分の過去に目をかけてくれた人もほとんどいないから。私はこの数年間、日々硬直と停滞が進む体と神経に抗いながら、ボロボロになっていく心を誤魔化しながら、それでもできる範囲で実績を積み上げてきた。だとしてもそういうことなら、その実績はハリボテだし、ひいては自らの人生も廃棄寸前の見切り品でしかなかったということだろう。そうではないと言える証拠は乏しいが、そうであると言える状況はいくらでもある。
どうしてこうなってしまったんだろう。どこかで道を間違えたことは分かっているが、どこかを修正してもこうなる未来から逃れられない気がする。
こんな状況だから……というわけでもないが、『恋する小惑星』というアニメを観た。『恋する小惑星』に登場するキャラクターたちは、与えられた問題に対して先送り的な解決法を見出しているシーンがいくつかあったように見受けられた。
正直、はっとさせられた。誰に限った話でもない、みんな明日に対する無力感は持っているし、それを根本的に解決する力を持っていない人だっている。でも、自分の周りにいる誰かが受け入れてくれるなら、明日に意味が生まれる。明日に何かあるなら、今日頑張れる。関係によって、問題をうやむやにしてしまうことで、多くの人は救われる。私にも、そのような光景があったならば。
いや、違う。私にも確かにあったのだ。単に選ばなかっただけで。選ばぬことを選んでいるうちに、一向に姿を見せぬ青い鳥を探し求めているうちに、褒め言葉や励ましは全ておべんちゃらに聞こえるようになり、損得勘定によって物事を判断するようになり、快晴の空に思いを馳せる心の余裕が追いやられ、やがて慈しみの関係が絶滅したのだ。それからのことは、語るに及ばず。私は、自分の逃した魚がどれほど大物だったかを、この段になって初めて悟った。
しかし。だからといって、だからといってどうすればいいのだ。もはや人と話していても言葉が通じている感触がない。失われた関係も、捨て去った機微も、粉々に崩れたパーソナリティも、もう戻っては来ない。軌道修正するにも、燃料の残量は少ない。気づいたところで、目の前にそびえる借金が消えてなくなるわけではない。
価値のない人間の行動に、価値は見出されない。価値のない人間の言葉は、空虚そのものだ。価値のない人間との関係は、価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない
詰んだ。来ないかもしれないかもしれない明日に、望みをかけて耐え続けることに何の意味があろうか。どうして誰かの代わりにもなれない欠陥品なのに生きていかなきゃいけないのだろう。これから何年、督促状でできた蟻地獄に耐え続けることになるのだろう。
論文全体に日本が占める割合が2.9%なのにも関わらず(米国:26.1、中国:19.3%、 英国:5.9%、独逸:5.2%)、
Nature や Science に不正を名指しされるレベル
[Science] Researcher at the center of an epic fraud remains an enigma to those who exposed him
[nature] What universities can learn from one of science’s biggest frauds
なお、記事内に “撤回論文” が出てくるが、論文の変更措置は「訂正」「懸念表明」「撤回」 があって、「撤回」が最も重い
ネイチャー誌が糾弾~日本発最悪の研究不正が暴く日本の大学の「不備」(2019/06)
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20190626-00131623/
撤回論文を監視する「リトラクションウォッチ」は撤回論文の数でランキングを作っている。
ちなみに、世界第一位は日本の麻酔科医、第五位はS氏の共同研究者の医師、第六位は一位の麻酔科医と共同研究をしたことがある麻酔科医だ。上位6人中3人が日本人の医師、上位15人中6人が日本人(うち医師が5人)と、日本人は世界に恥をさらしている状態なのだ。
ただ、ネイチャー誌の記事は、日本人研究者の問題を取り上げたわけではない。ネイチャー誌が指摘したのは、日本の大学の研究不正調査体制に問題があるということだ。
(略)
大学の調査は「不透明で、不十分」であったという。誰がどの論文を調査したのかも明らかにしなかったうえ、研究不正の調査にばかりエネルギーを注ぎ、重要であるはずの研究が妥当かどうか、論文の撤回や修正が必要かどうかの判断はおざなりだったという。
記事の中で、研究の誠実性に関する専門家であるCK Gunsalus氏は、日本の機関は、不正行為を調査するためのプロセスを見直すべきであると指摘している。日本の研究機関は外部の評価委員を入れる、Gunsalus氏が作成したチェックリストを活用するといったことが必要だという。
私自身何度も記事にしてきたが、日本の研究機関の研究不正の調査には大きな問題がある。研究不正が認定されなければ、調査報告書は公開されないうえ、研究不正の可能性があることを指摘した研究者を処分したりもするのだ。
関連増田:
40歳のとき趣味で知り合った12歳年下の女性となぜかうまくいき結婚。
身内を褒めるのもなんだが、いや可愛かった。
ピチピチしててキャイキャイしてて猫飼ってるみたいな。
ごめんよ。一緒にキャイキャイしてる姿はだいぶキモかったと思う。
まあ、とにかく嫁は明るく付き合ってた当初は楽しかった。
結婚後1年で子供も生まれ数年はお互いに育児もし充実した日々。
しかしやはり子供っぽい性格の嫁は襲いかかる育児の理不尽さに耐えられなく
やはりできずに責められることもあった。
そう言う時な、妻に一切愚痴とか言えんのよ。
一度言ったら「家事のできてない私のせいって言いたいの?」と半ギレ。
はっきり言ってもうちょっと丈夫な嫁をもらえばよかったと思ってる。
年下の嫁をもらうってことは、ずっと嫁を支えなくちゃいけない、
あれ何とかならんもんかといつも思うのだが。
General Security of Military Information Agreement
「軍情協定」
の方がピンと来て分かりやすいはず。
Trans-Pacific Partnership Agreement
「環太協」
と呼んだ方がストンと来るやん。
明治時代の人達は横文字に対して一生懸命訳語を作ったわけでしょ。
philosophy→哲学、とか。みんなが母語で物を考えられるようにと。
フライパンで魚を焼くにはクッキングペーパーが必要、という記事をネットで読んだので、
マツキヨでそれらしいのを買ったわけ。
これsustainableの訳語でしょ。「長持ち」でええやん。