はてなキーワード: 携帯とは
本来、こういった投稿をすることは心憚られるものではあるのですが、
宿に対して過度に中傷する事を私は望んでいませんので、何卒そこはご配慮のほどお願い致します。
日光金谷ホテルを知らない方にお伝えすると、
東照宮など世界遺産のある栃木県日光で、一番有名なホテルです。
現存する日本最古のリゾートホテルとよく言われる格式高いとされるお宿です。
ずっと憧れのホテルでもありました。
日光は数回訪れた事があるのですが、神橋の先の歩道から洋風建築のホテルを見上げながら、
「いつか絶対行ってやるぞ」なんて事をずっと思い続けていました。以前より強い幻想を抱いていたんです。
まず宿に着いてチェックイン。
コロナ対策もあって健康状態や海外渡航歴、鼻水や咳などの風邪症状がないかなどのチェックとサインを求められます。こんな世の中ですし仕方ありません。
有名な金谷ホテルのパンやお土産を買おうと売店に向かいました。
財布や口座の残高なんかを気にしながら、何を買おうか?なんて悩んでいると、引くくらい大きな咳の音が。
「ゴホゴホ…ゲホゲホ…ゴホッ」
こんなご時世で怖いなぁ…どんなお客さんなんだろう…
マスクしているとはいえ流石にこれだけの咳をしていると、このご時世恐怖です。
結局、3000円分のホテルクレジットは食品で無いもので済ませ早々とその場所を立ち去る事にし、
楽しみにしていた金谷ホテル特製のパンやケーキ等は買わず、部屋に戻ることにしたのでした。悲しい。
客側には検温やチェックリストへの署名などを行うにも関わらず、スタッフ側はどうなってるのか…
旅の高揚感は一転してホテルへの不信へと変わるのでした。
追い打ちをかけたのは客室内のトイレでした。
客室内のお手洗いの便器には以前宿泊された方が残したであろう大便の跡がくっきり残っていたのです。
このコロナ禍において衛生面への配慮は最大限行われるべきであり、
当然ですが格式高い日光金谷ホテルにおいてトイレの清掃が出来てない事なんて想定など出来ている訳もなく、
便を足す前に気づいた茶色い跡に脳みそが追いつかず、便意を忘れ何回も振り向いてしまいました。
気がつけば夕食の時間。
フレンチの料理では豚のソテーと牛のステーキを選択する事ができます。
味はそれでも絶品。
やっぱり一流のホテルのディナーは違うな。
そう思っていた矢先、出てきたのは豚の料理。
これには流石の私 も
「違います、私は牛のステーキを頼みましたよ」と咄嗟に声を出すと、
「只今お作り直し致します。しばらくお待ち下さいませ」と豚の料理を下げていきました。
謝りの言葉は無いんや…
謝罪もないまま10分程その場で、ステーキ用に取っておいた付け合せの焼きたてのパンも冷め、食前酒のワインも減る中で、
一人で机の上で携帯を弄る自分の姿がとても惨めに映って、涙が出そうになりました。
10分後「申し訳ありませんでした、牛のステーキになります」とようやくの謝罪と正しい料理をお出し頂きましたが、
もう味なんかわかりません。
心が冷めているのですから。
その後も、気になる事はいくつかありました。
楽しみにしていたホテル自慢のバーは緊急事態宣言で休止中のため、
せっかくのリゾートホテルでも夕食後は何もすることがありません。
ルームサービスを頼もうとするも、夕食が終わる時刻(19時半)には終了しているようでした。
せめて瓶ビールくらいは頼めても良いのでは?とも思うのですがね。
いや、1階よ?w
あなたが今いる、そんなに広くないこのホテルの、それも1階ですよ?w教育どうなってんの?w
「一緒に探すのお手伝いします」
なんて言われて、乾いた笑いが込み上げる。
イベントの日払いバイトでも、もっとちゃんとしてる気がするんだけどなぁ…
酔って忘れられたら良かったのに。
翌朝の朝食。
水を注ぐときの勢いが強い。
このオムレツをずっと食べたいと憧れてたのに。
チェックアウトを済ませお金を支払いホテルを出る帰途、思わずそのレシートを投げ捨ててしまいました。
(ポイ捨てしてごめんなさい)
こんな事なら旅行なんかしなきゃ良かった。
こんなホテルに3万円も支払う虚しさに耐えきれなくなりそうでした。
憧れのホテルに泊まれるんだ、そう思うとその前の週は一週間ずっと浮かれていました。
期待値が高すぎたのかもしれません。
正直、自分ひとりで金谷ホテルの通常料金を出すのは厳しい身分で、緊急事態宣言で安くなっていたからこそ泊まった、泊まれたというのはあります。
普段の半額程度で泊まったのですから、宿のほうも最低限の人数で、最低限のサービスしかしない(できない)という理屈も脳では理解はできます。
それでも一泊一人3万円という金額は、僕のような貧民にはとても大きくて、
自分は、ご多分に漏れずコロナ禍の影響で仕事も色んな苦しい事がたくさんあって、
それに重なって今年に入ってツイてない事もいくつか重なったし、定期預金も満了になってお金も少しはできて、誕生日も近いし、立春だし(?)
心機一転、少しでも気分を晴らして頑張っていこう。
そう思ってこの旅行に行くことを悩み、決めました。
(近い人に基礎疾患持ちの人がいるので旅行に行くことに罪悪感さえあり、直前まで悩みました。)
ホテルの接客態度からは、おもてなしの心が感じられませんでした。
そんな印象を受けました。
最近のツイてなさ、色々な苦しい日々も相まって
厄払いもお願いしておけばよかったな。
気分が乗らず、元々予定していた中禅寺湖や華厳の滝方面への旅程はキャンセル。
予定より4時間も前倒しをしたスペーシアで日光から出て、浅草で安酒を飲んでベロベロで帰りました。
帰ってきたら愛用してたワイヤレスイヤホンも無くなってました。ツイてないな、俺。。。
◎最後に
職場の人に話したところ、匿名でこちらに投稿すべきだと言われたので投稿することにしました。
今現在、苦情のメールの返信が遅いことも現在進行形で納得はいってないけど、起きた事はもう仕方ないです。
これから、他の人がこんな目に遭わなければいいなって思ってます。
絵馬 絵が上手い人。
htr ヘタレ。絵が下手な人。
nrnr ニラニラ。ニヤニヤみたいな感じでヲチするときに使う。
鳥 ツイッター。
マロ マシュマロ。感想を投げるサービス。悪口は焼きマロや毒マロという。
その他作品名やキャラ名を和訳したり別の漢字で当て字をしたり頭文字で呼んだりすることが多い。
https://iphone-mania.jp/news-344569/
スマートフォンのゲームに熱中しており、長時間のゲームをやめるよう両親が注意しても聞く耳を持たず、ゲームを続ける日々を過ごしていました。
この時点でも依存症って分かるだろうに。四六時中やってんだぞ。
その上で、スマホを取り上げられて凹んで自殺って時点で完全な依存症ってわかんじゃないのよ。
これに関して依存症じゃないというヤツ、もう狂ってるよ。スマホが無くなったら何もできなくなるんだろ?
もともとなかったツールなんだよ。つーか携帯は電話機なんだよ。出来てメール程度で良かったわけ。
それにゲームができる機能が付いた、インターネットし放題になったってだけで中毒になってんのっておかしいでしょ。
電話機としては必要だが、電話機を取り上げられた自殺するのかね?しないだろ。
だけどゲームやネット出来るってだけで自殺に至る。そりゃもう完全な依存症で病気なんだよ。
それでもこれは依存症じゃないって言い切るやつが居る。
どうかしてるぜ、頭ン中。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210127/k10012835071000.html
そんなに難しいの?
不可能とまで言われてるけど
むしろ逆でキャリアにまともなEメールサービス提供しろって言ってるんじゃないのか?
世に数多あるまともなEメールサービス=回線契約をしていなくても契約できる、を大手キャリアだけが提供できない理由は無いと思うんだが
想像できるのは
携帯会社変えても同じ端末(フィーチャーフォン)を使い続けて、メールアドレスを維持したいとか?
これは無茶な気がする
あるいはメールアドレスは維持できても、メーラーのアカウント設定ができないとか?
これは十分あり得るけど、技術ではなくサポートの困難でブコメの反応とはすれ違う
日本人全体の(PCの)ITリテラシーが低いという話だと思うが、大きなハードルの一つにIMEがあると思う。欧米圏ならキーボードの入力からダイレクトに入力できるのにCJK(中国語・日本語・韓国語)はいちいちモードを切り替えて入力する必要がある。これは初心者がメモ帳ではなくvimから初めてるのに等しいので、最初に突破する関門としては厳しすぎると思う。CとKと比べてもローマ字の習得が必須なのに加えて、日本語の漢字かな交じりと同音異義語の多さからIMEの変換精度の問題が大きく、数段厳しさを増していると思う。単に文章を打つという行為でここまで考えなければいけないのは、初めてPCを操作するのに多くのことを学ばなければいけない初期段階ではあまりにも厳しい障害のように思える。
携帯やスマートフォンのみ操作できる人とというのも、そのへんのハードルの高さが一因となってるのは間違いないと思う。多分正しく日本語を打つ段階で心が折れてる。
その時はラブホテルでヤったんだが
相性がよくてなんと二回目会うことになった。
かなり立派なマンション。高給取りなのかもしれん。
部屋で彼と対面。
その時点でお互い興奮しちゃって服を脱ぎ捨てて。
でも何だかそのまま裸でお互いのこと話すことになった。
私はあの日はやさぐれててさ、普段はこんなことしないんだよね~と純情アピールなんかをしていると、彼は言った。
"俺って首締めが趣味なんだよね"
首締め、する人はいるとは聞いていたが実際に出会ったのは初めてだった。
自分は首締めなんかしたこともされたこともなく、興味もそんなになかったので、適当に相槌をかましていた。
彼は首締めが趣味らしく、友達の首の骨がずれるくらいに首を締めてしまい、病院送りにしてしまったらしい。
それを自慢げに語る彼。
いや怖すぎる。
首締められるわ、これ。
怖くなって帰ろうと試みたが、彼は何故か私のことをとても気に入っているらしく、私を放す気はなさそう。
もう逃げるしかない、と思ってた時にいきなりインターホンが鳴った。
というか鳴ったと同時に玄関のドアが開いた。
なんとその彼の母親だった。
まさかの親フラが立った。
すると母親は私の耳元で「早く帰りなさい!!!!!」と叫んできた。母親も怖すぎる。
私が服を着たり荷物を片付けたりしている間、
彼は何をしていたかと言うと
隣の部屋の騒音が気になると言い出してバットで壁を突いていた。本来の意味の壁ドンだな。とか思う余裕もなく、その時は本格的にヤバい早く逃げたいという感情しかなかった。
壁ドンがドンドンドンドン響くなか、私はだらしなく服を着た状態で部屋を飛び出した。
部屋の外には隣人住民たちがいた。
あまりの騒音(壁ドン)に何の騒ぎかと外に出てきていたのだった。
ちゃんと履けていない靴を履き直していると、隣の部屋に住んでるらしき女の人が、
「いつも本当にうるさいんですけどどうなってるんですか?!」
と私に怒鳴り付けてきた。そりゃバットで壁ドンされたら怒るよな。
私はいや知りません部外者なんで、と言い放ちエレベーターに乗った。が、その隣人の女がついてくる。
ずっと私にあの騒音をやめさせて欲しい、いつも困ってるといったことを訴えてくる。正直もう関わり合いたくなかった。
私はエレベーターが着いてすぐに走り出した。確かこのマンションから駅が近かった。私は駅に向かった。こんなに走ったのはいつぶり、というくらい全力疾走した。
さすがに女の人はついてきていなかった。
私は安堵した。駅に到着して家に帰る切符を買っているとなんだか違和感。パッと後ろの方を見ると遠くにさっきの隣人の女がまだ居た。まだ着いてきてた。
本当に何も知りません、彼と会った経緯は…………と赤裸々に全てを告白した。首締めの件も。だから怖いんです。と正直に全てを打ち明けた。
すると隣人の女はビックリしてそうだったの?!と親身に話を聞いてくれた。それは警察に相談した方がいいよね、と言われてさらに怖くなってきた。
全てを話し終えて、本当に怖かったんです、と隣人の女に伝えていると、その女はおもむろに携帯を取り出して電話をし始めた。
「~~~~~っていうことらしいですよ。」
私がワンナイトした男に報告していた。
という夢をガチで見てさ。
起きた時の絶妙なあの感じ、忘れられん。
ところがすぐに友達にバレた。
カマをかけられて、まんまと引っかかったのだ。
ところが数日後、嫌がらせをされた。
多分、なんとなく遊びの一環で。
ニコニコと、悪意もなく、ただただ無邪気に。
別に殴られたとか、根も葉もない誹謗中傷を、受けたわけではない。
私の恋愛事情をただ面白おかしくゴシップのネタとして笑って広めただけ。
ただ私の携帯を勝手に開いて目の前で彼女とのメールを読み上げて広めただけ。
傷ついた。辛かった。
当時の私はよく、恋愛というものを知らなくて、なぜこんなにもこいつらは食いつくのか、ということが分からなかった。
恋愛中の行動、言動は、一番深い、一番デリケートで、一番衆目に晒され笑い声で踏み潰されてはダメな、その人の大切な核が、剥き出しの状態なんだと。少なくとも私にとってはそうだった。
でも、それに気づいた時にはもう、後の祭りだった。
幾重にも、畳みかけるように、私が彼女へ呟いた言葉が彼らの口から出る。
いつ私がお前たちにこんなことを許した。
なぜ当たり前のように私の心を踏み躙る。
限界だった。ずっとこんなこと言われ続けるのなら……
そして、私は彼女と別れた。
図々しくも、そいつらはなんで別れたの?なんて聞いてきて、私のせいだ。と答えた。
無知だった私のせいだ。無知は罪なのだろう。だから彼らもこんなことをしたのだろう。
と、こんなことを考える時点でもうかなりキテいるものがある。
人に本音を話すのが怖い。だから一番親密な人にも何も言えなかった。
私が全然距離を詰めないから、気づいたらその人は他の誰かと私以上に親密になっていて。
彼は私のことをほとんど知らないだろうし、私が自分のことを何も言わないから、彼も私に自分のことを言わなかった。
そうやって、現在4年が過ぎた。
一定の距離の先にしか、人はいない。私が詰めなかったし、相手も詰めなかった。
もしかしたら、相手は詰めていてくれたのかもしれないが、私は無意識に拒否していたのかもしれない。
そうやって一人で崩れ落ちてた。
相反する感情があったのだ。
独りが寂しくて、辛くて、誰かが隣にいて欲しい自分。
そんな歪な出来事が作り出した、歪な心。
自分は何も自分のことを教えたくないのに、無条件で寄り添ってくれる様な、そんな人を私は求めているのだろうか。
影で何を言われているか不安になることは多々あれども、影で何も言われていない、という確証を得ることなぞできやしない。
約15年ほどIT土方で働いていて、有難いことか分からないけどコロナ禍でも全く仕事が減る様子がない。
むしろテレワーク用のPCのスペックが悪く何をするにも時間がかかり残業が増えた。
上場を先延ばしにする取引先、閉まる商店、必死で弁当を売る飲食店。
知り合いにも、就業時間が短くなった、テレワークになったけどほとんどやる事がなく寝ていたなどの話を聞く。
本が読み進んだ、DVD一気に見た・または動画サービス漬けだった、久々にゲームをやったなどの話を聞いてふと気づく。
たまたまコロナ禍で期間限定無料配信の古い漫画を見て、こんなに面白い漫画だったのに何で今まで見なかったんだろうと思ってしまった。
そもそもゆっくりクリエイティブなものに触れ合う時間があまりなかった。
今までも終業後ライブに行った、映画を見た、イルミネーションを見に行った、そんな話を周りから聞きつつ羨ましいな、でも時間ないから結局行動しなかった。
趣味で音楽をやる人、絵を描く人、写真を極める人、いいな凄いなと横目で見つつ残業疲れで何も行動しなかった。
本当に行動力がある人なら寝る間も惜しんで趣味に没頭するのかもしれないけど、
そこまで行動力のある人間じゃない場合、疲れてるとそこまで入り込めない。
自分はIT系だが、デザイナーやエンジニアなどその道を極めようと考える仕事イコール趣味(そもそもデザインやプログラミング好きな人)みたいな人もたくさん出会っている。
学生時代は割と本も読んでいたのだが、働いてからは電車内では疲れてほとんど寝ていて本も読まず。
アフターファイブとは程遠い生活をしていてすっかり引き出しの少ない年寄りになってしまった。
人との触れ合いが会社しなかく、そもそもコミュ障なので会社でも人と仲良くなれない。
震災以降テレワーク環境を整えることになり社員には会社用携帯が配られ会社の電話に出ることもなくすっかりコミュ障が悪化し語彙力も低下した。
学生時代の友人とは疎遠になり、社会人になってからの友人は片手の指もいない。
結局この15年残業以外の事をしておらず何もない人間になってしまったのだ。
最近分かったことは、親よりバラエティに疎い、新しいミュージシャンや芸人を知らない。
若い頃に色々ハマっておけばよかった、人生やり直したい、今生きてても死んでも何の意味もないんだろうなと何度も考える。
同時期に始めた人は平日も練習してどんどん課題を進め、平日何も出来ない自分はついて行けずやめた。
余談だが知り合いに30歳を超えてからコスプレを始めた人がいる。
失礼ながら自分以上にKYで無神経でトラブルをよく抱える人だけど、正直その行動力に感服するし羨ましい。
今までにあった同業者は、あまりのキツさに倒れたり病んだりして辞めていったが、
無駄に健康でメンタルが強い(悪く言えば無神経)な自分はずるずる続けて15年経過してしまった。
この15年で得たものは残業代だけだけど20代の頃はブラック会社にいたので貯金も特別多いわけではない。
コミュ障の自分はもう結婚は諦めた。親は相談所に行けとうるさい。
もう結構な年齢だけど、やりたい事をやろうと思った。
自分はあまり裕福な家庭でなかったので専門学校で2年学んで就職したけど、通信で学士を取ろうと思う。
資格なんて意味ないという人もいるが、割と劣等感の強いコミュ障にとって資格持ちというラベルはお守りくらいの安心感がある。
結局学士ないと他職種への転職難しい(以前転職エージェントの人に言われた)と言われ小心者の自分はずっとITで働いてきたけど、
だったら学士とればいいという事に今更気づいた。遅い。遅いけどそれで行動しなかたらもっと遅くなるので行動する。
早口の自分語りのようになったけど、こんな匿名ブログでケジメつけるのも情けないかもしれないけど、遅くても良いから変わろうと思っている。
大昔に学びになった話。大昔の話なのでフェイク入れずに書いちゃうけど、もしどこの高校か分かった人がいても黙っておいてもらえるとたすかります。
高校生の頃、大規模なカンニング騒動が起きた。一部の生徒が早朝に職員室に忍び込み、テスト用紙を盗んだのだ。
この時点で世代が分かると思うんだけど、PCがまだ一般化する前でテスト用紙もワープロで作成していた時代だ。
で、そのテスト用紙が一部の生徒にまわって、あるクラスの平均点が爆上がりしたせいで発覚。全クラスの平均点が70点ぐらいだったのに、そのクラスだけ95点とかとったらしい。アホすぎるだろ。
テスト盗んだやつはいわゆるスクールカーストの最上位の奴らで、中の下くらいにいた俺はそいつとクラスも違ったのでまわってこなかった。逆にまわってこなくてよかった。もしきたら絶対見てた。
前代未聞の事件で学校中がざわついたんだけど、学校の対応は冷静で素早かった。
まずはカンニングしたであろう生徒全員にヒアリングを行い、そして全員を停学にした。平均95点出したクラスは停学にならなかったのが5人くらいで笑った。先生も5人に向けて授業するのダルかっただろうな。ちなみに昔なので1クラスで40人くらいいた。
次に首謀者とその周辺の特に性質の悪いやつらを退学にした。なんだかんだ停学で済ますのかなと思ってたんだけど、20人くらいが一斉に退学になってびっくりしたのを覚えている。うちの高校はタバコ、バイクの免許、携帯、バイトあたりの校則で禁止されていることが3回ばれると退学というルールだった。今回の件はよほど悪質と判断したのだろう。当たり前だけど。
書きたかったことはここからで、俺はその退学になったやつの1人と割と仲が良かった。けっこう男前のやつで、ユーモアがあって、自分勝手なやつ。カースト最上位の人気者。自宅の方向が近かったからたまに学校にいっしょに行くことがあったくらいなんだけど。
当時の俺はカースト上位のやつらが女子と仲良くしているのを嫉妬に狂った目で見つつ、興味ないフリするという典型的なイケてないやつだったから、表立っては言わなかったがそいつのことは好きじゃなかった。あんな軽薄なやつが人気者でなんで俺はこんな日陰者なんだと思っていた。ちなみに当時の俺は声優の林原めぐみのファンだった。どうでもいいな。
退学は突然だったからお別れをするわけでもなく、ある日からそいつは学校に来なくなったし、俺もそりゃあそうだよねと思って特に気にも留めてなかった。ざまあみろとも思わないし、同情するわけでもなく、いなくなったんだな程度だ。
それから半年くらい経ったある日、駅前を歩いていたら急に話しかけられた。退学になったあいつだった。定時制の高校に通っているらしい。前よりもなんだかチャラくなってたし、軽薄な語り口は相変わらずだった。聞いてもいないのにあいつはいまの環境の良さをベラベラと語った。
やれ「退学になって視野が広がった」だ、「いまの学校は競争が激しくておまえよりもいい大学にいけそうだ」だの。ちなみにうちの高校はエスカレーター式で9割は無試験で大学にいける。いわゆる有名私大だった。それよりも上だから国公立だろうか。
世界が広がっていろいろなチャレンジができるようになった、だから退学になって逆によかったとそいつは語り続けていた。その姿が俺には哀れに思えた。もしかしたら本当にそうだったのかもしれないが、俺にはあのイケていたカースト上位のあいつが必死に言い訳しているようにしか見えなかったからだ。
この再会は当時の自分にとって衝撃的で、いまでも学びになっている。こんなダサい人間になりたくない、たとえつまらなくても真っ当に生きるべきなんだと。
ボク「あるねぇ」
上司「ケース開けてマザボとCPU取り替えるじゃん?後は壊れたパーツだけ都度交換すれば消耗品費に出来てハッピーじゃん?」
ボク「そういうものか」
ボク「そういうものか」
上司「弊社には、パッケージシステム、Notes・SharePoint・Google site・kintone・Access・謎のGoogleドキュメント・Excel 共有シート様々な物があるじゃろ?」
ボク「あるねぇ」
上司「日々増殖しとる」
ボク「統一せんの?」
上司「しようとした結果がこれじゃよ」
ボク「そういうものか」
上司「弊社には、ChatWork、 Teams、Google Chat、Slack、ポータルサイトからの連絡、メール連絡、個人携帯、様々なコンタクト手段があるじゃろ?」
ボク「あるねぇ」
上司「正直、面倒くさい」
ボク「統一せんの?あるいは滞在時間の長いチャットに他チャンネルの投稿を自動投稿すればいいのでは?」
上司「余計なことはせんでいいぞ」
ボク「そういうものか」
ボク「そうだねぇ」
上司「でも資料もオーダーもExcelじゃん?勤怠システムもうんこじゃん?」
上司「余計なことはせんでいいぞ」
ボク「そういうものか」
コロナより何よりPS5が手に入らないことがストレスすぎて脳のいちばん太い血管がブチキレそう。
おまえらみたいな反社サイトが揃って潰れれば転売もこんなに酷くならねえよ。
俺はPS4持ってねえんだよクソがおまえは永遠にPS4やってろ。
「PS5はソフトが揃ってないから魅力がない」とかしたり顔で抜かしてる奴も死ね。
俺はやりたいゲームが腐るほどあるんだよ。
そんなこと言ってちゃっかり抽選販売に申し込んでるんじゃないだろうなテメエ。
「私はPS4も持ってる優良顧客だから優先してPS5を売れ」とかワガママ言ってる奴も死ね。
逆だろ、俺みたいにPS4すら持ってない客に最優先で売るべきだろ。
客にストレスばっか押し付けやがってしかもまともに買い占め対策になってねえだろカス。
俺は慎ましい人間だからそんな頻繁に家電なんて買わないんだよボケ。
SIEも死ね。
日本では売れないから欧米が優先されるのは仕方ないとか言ってるけどPS4が二番目に売れた国は日本らしいじゃねえか。
どうなってんだおいどうせxboxには流れないと思って高を括ってんのか。
そのとおりだよPS専用ソフトやりたいからxboxもゲーミングPCも買えねえんだよ早く売れよ足元見てんじゃねえぞ。
販売計画が杜撰だったということを認めて土下座したうえで俺にPS5を融通しろ。
なんで心の底から熱望してる俺は手に入らなくて
「PS5買ったけどやりたいソフトないから起動してないわw」とか言ってる奴が買えるんだよおかしいだろボケ。
マジであと一ヶ月くらいで完全に限界が来るからそれまでに生産増やして俺が買えるようにしておくんだぞ。
ほんとマジ紳士な俺がここまでキレることはないんだからマジで命削ってでもPS5を生産しろよわかったかボケ。
追記。
PS4に魅力がなかったんじゃなくて、
ちょうど発売したころに一人暮らしをはじめてテレビが無くなったから
ずっとVitaやSwitchとかの携帯機を優先してたんだよ。
いまは多少の余裕があるからモニタ買って据置機に復帰しようと思ってんの。
PS4世代のゲームをまるごとやってないからやりたいゲームは死ぬほどあるわけよ。
念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。
俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。
その子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊と不安で泣いてることが多かった。
彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前日休んだ人間が前日のプリントを職員室に二人で受け取りに来いといわれたので二人で一緒に行ったのが彼女と接点を持ったきっかけだった。今まであんまり接点がなかったが無言のまま行くの気まずいので「マンガ読む?」と彼女に聞いた。彼女は「うん、鈴木先生とか」と即答した。
当時でアクションで連載開始したばっかりぐらいの時期だったので、同級生にアクションを読んでる人間がいるとは思わなくて驚いた。父が買ってる漫画雑誌や父の本棚の本を読んでいるらしい。俺と全く同じだった。
それをきっかけに仲良くなった。ジャンプを読まず、アニメも観ず、流行がわからない俺には漫画の話をする相手が彼女しかいなかった。話を合わせる必要がある同性の同級生よりも、彼女と漫画の話をしてる方が楽しかった。彼女から「安野モヨコ」を教えてもらい、俺は彼女に「吉田秋生」を教えた。こっそり漫画を貸し借りした。「吉祥天女すごい面白かった」と彼女は言っていた。俺は「BANANAFISHは?」と彼女に聞いたら「IQ200もある人間が男娼なんかになるわけないし悪い意味で都合がいい展開多くてBANANAFISHは好きじゃなかった」とハッキリ言った。俺はそれを聞いてハッとして「それもそうだね」と笑った。彼女は笑うわけでも怒るわけでもなく、ただ無表情だった。最初は嫌わてるのかと思ったが、こういう子なんだと理解できた。
中3になって受験シーズンに入ると周りも受験モードになってくる。彼女とは別のクラスになったが、メールで時々やりとりをしていた。俺は特に行きたい高校がなかったので通信制の高校へ行くつもりでいた。欠席日数も100日を超えていたし、何よりまともに高校生活を送れるとは思わなかった。通信制の高校なら週1の通学で卒業できるので、俺でもなんとかやれると思えたのだ。「教師になりたい」と言っていた彼女は大学進学も視野にいれて進学校に行きたいらしい。俺も彼女も成績は上位20番台に入れたので、「学校休んでまで勉強しているガリ勉」だとかよく陰口を叩かれていた。特に進学に成績が関係のない俺は受験シーズンになっても変わる事なく学校を休んだりしていた。周りが受験モードになると俺は成績が50番台まで落ち、塾に通いだした彼女は上位10位をキープするようになった。同級生に志望校を聞かれたとき、通信制の高校名を口にすると驚かれた。なんでそんな所に行くんだ。と。三者面談の時に担任から「第一志望を通信制の高校にするやつなんて初めて見た。考え直せ。」親からも「せめて普通の子みたいに普通の高校行ったら?」と言われた。周りから理解はされなかったが、学校を休みがちな彼女だけは「頭の中がオーバーフローしそうな時は横になってるのが一番落ち着くんだよね、それ以外どうすればいいかわからない」と言っていた。あの時俺の気質を理解してくれてたのは彼女だけだったと思う。面倒くさかったので、家から一番近い学校を受験した。前期受験の時に同じ中学から受験した子は成績が「160人中120位」ぐらいの子だった。「え!?なんでお前もここ!?」みたいな反応をされたのを覚えてる。周りにも騒がれた。
俺は第一志望の通信制の高校に通うを事は叶わず、家から一番近い偏差値40ぐらいの高校に通うことになった。彼女は後期試験で第一志望の高校に受かった。思春期の周りが恋愛モードになるが、俺たちは卒業まで学校で会話することもなく、淡々とメールを交わすだけだった。ある日彼女に「好きな人いないの?」と聞かれた。俺は「枕と敷布団とかけ布団の3股してるよ」と答えると「私もだ笑」と帰ってきた。「塾の先生がすごい恰好良くてね、携帯にペアのストラップつけてるんだけど、あれは彼女いるんだろうな。私も彼氏欲しいな」と言ってきた。今思うと、彼女が学校で仲良かった異性は俺ぐらいだったし、あれは彼女なりのモーションだったのかもしれない。彼女にとって俺は恋愛対象じゃないと思っていたので「高校行ったらできるんじゃないかな、応援してる」と返した。そんな感じで卒業して俺たちは疎遠になった。俺はこのままうだつの上がらない生活をし続けて、高校進学で高みを目指せる彼女は、もっともっと高い所に行くんだろうな。と少し寂しくなった。
俺は高校では相変わらず休みガチだったが、中退はさすがにまずいと思って卒業できる程度に通った。授業も中学の復習から始まったりして、授業も教科書をなぞるだけだったので、体が辛くても無心でノートを取って、休み時間はずっと寝ていた。幸いクラスメイトも良い子が多くて、人間関係で悩むこともなかった。一度学期末の成績優秀者で学期末に壇上に呼ばれたのがトラウマになり、勉強は授業を受けるだけで一切手を付けなくなった。
高3の頃に俺は進学か就職かの岐路に立たされた。進学する金も家になければ熱意もなくて、自動で就職になった。よく教師や親からは「お前みたいなやつ社会じゃやっていけない」と言われていたので、そんな大人たちがいう「楽な仕事」の代表の「市役所」に就職することにして、公務員試験の対策で過去問を解いてたら高卒枠で滑り込めた。うちの高校から市職員を輩出するのは初だと、また騒ぎになって、来年インタビューに行くからなと担任から言われたのがすごい嫌だった。
就職が決まってから、俺は中学の頃の彼女を思い出した。中学を卒業してから「高校どう?」と一度連絡したら、「楽しくやってるけど、周りが勉強出来すぎてヤバイ」と不安をこぼしていた。少し心配だったが、勉強に忙しそうだったし、彼女に連絡を入れて勉強の邪魔をするのも嫌だったし、もしもガス抜きしたくなったら俺に連絡くるだろう。と思っていた。それ以降連絡は来てない。まだ教師を目指してるんだろうか。大学はどこに行くんだろうか。あれだけ不登校気味だった俺は市職員になるよ。税金でご飯食べるよ。笑っちゃうよね。鈴木先生おわっちゃったね。この間ね、安野モヨコのエッセイ読んだよ。いろんな話をしたかった。「久しぶり、元気?」一通だけ送った。ひょっとしたらアドレスが変わっていてメールは届かないかもしれない。無事届いた。がその日は返事が来なかった。
翌日の夜中に一通メールが来た。彼女からだ。「久しぶりー、そっちも元気?私はまあまあかな。私入ってからすぐ高校辞めちゃった。〇〇駅(県内で一番大きな駅)の西口で売春してたら補導されて、親にすごい怒られて家にも居られなくなっちゃってさ、今は回春エステを転々として寝泊りしてるよー。増田は大学行くの?頭良かったもんねえ」
ビックリした。
口から晋三が出るかと思った。
中学の俺たちは似た者同士だと思った。しかし俺は彼女だけが高みへ飛んだと思っていたのだ。俺がだらだらと低空飛行の高校生活を送ってる間に、彼女は高校を辞めるぐらいまで追い詰められていた。働きたくなかった俺は公務員になり、教師になりたかった彼女は風俗嬢になっていた。一体どこでどう間違えたんだ?あれだけ高校受験を励めるお前が、頑張れるお前が、なんで落ちたんだ?落ちるんだったら俺の方だろ?
俺は彼女とご飯を食べに行く約束をとりつけた。会って話がしたかった。幸い昼間は時間の融通が利くそうで、予定調整してから合うまでに時間はかからなかった。
久々に会った彼女は顔の印象がだいぶ変わっていた。黒い髪は相変わらずだったが、パッチりとした目の下には人工的な涙袋が入ってた。垢ぬけた感じはあった。体は細いがなぜか指がパンパンに膨れ上がっていて、表情があまりかわらないのは昔のままだった。ボロボロだった上唇が細くきれいになっていた。
「久しぶりだね、大人っぽくなったな」と声をかけると「そっちも中学の時よりすごいかっこよくなっててビックリした」と言ってきた。彼女はこんな事言えたのか。なんか変わったなと思った。
ファミレスで軽食をしながら俺たちはお互いの話をした。彼女からは3年間の空白を埋めるようにいろんな話を聞いた。
彼女は高校に進学してから授業についていくためにずっと勉強をしていた事。授業についていくために塾にも通った事。それでもとうとうキャパティシが限界を迎えた事。家で数学の勉強をしてる時に発狂してしまった事。不安と違和感を感じた両親が精神科に連れていき診察した結果、適応障害とうつ病だと判断された事。両親と医者と本人との3者でのカウンセリングを重ねたり、いろんな検査を受けた結果幼少期からアスペルガー障害があることもわかった事。その高校を辞めた翌年は別の学校に再受験した事。受かったが周りが自分より1つ年下の環境と、前の学校が県内上位の進学校だった事もありすぐに噂が広がり居づらくなった事。ブロンでODをした事。次第に金パブにも手をだすようになった事。金パブブーストで学校に通い続けることができたが、そこでも最終的には居づらくなり精神が限界を迎えて学校を辞めてしまった事。応援してくれた両親も激怒し愛想つかした事。フリーターとしてコンビニバイトなどをするも空気が読めず、どこへ行ってもうまくいかなかった事。バイトを転々としていた当時高2の彼女が自分一人の力でも食べていけるようになった手段が「売春」だった事。売春を続けていたら補導されたので、寝泊りができる回春エステで働くことにした事。過食嘔吐がストレス解消の手段になった事。整形して顔をいじったこと。今の収入じゃ満足できなくなってきた事。回春エステでチップをもらいながら本番をしていたところ病気をもらって運営にも本番行為がバレた事。今度デリヘルに転向する事。一切本が読めなくなったこと。文章が頭に入らなくなったこと。休みの日は過食しながらyoutubeでジャルジャルの漫才を見てゲロ吐いてる事。誰かにずっと監視されてること。いつも誰かに悪口を言われてる気がしてるということ。昔の彼女の面影を探すように俺は彼女に色んな話をきいた。中学の3年分よりも彼女と話した。
しかし俺は彼女に「普通の生活に戻る気はないのか」とはどうしても聞けなかったのだ。学生生活を満足に送る事が出来なかった俺だからこそわかる。その質問は残酷すぎた。普通に働けたのであれば、とっくに働いているのだ。彼女の話をきいて、彼女が彼女の世界でなんとか足掻こうとしてるのが俺には痛い程わかった。
「中学の頃にさ、〇〇(女友達)はIQ200もあれば男娼になるはずない。ってBANANAFISHを批判してたの覚えてる?」
「あー、懐かしい。言ってたね。吉祥天女今でも好きだよ。文庫版買っちゃったの実家にある。」
「買ったんだ、言ってくれればあげたのに。俺はさ、〇〇が風俗嬢になるはずない。ってこの間のメールみて思ったんだよね。」
「だから?」
「でもそれって、〇〇のしんどさとか辛さとか経験を、俺がわかってないだけだったんだな。ってお前の話聞いて思ったよ。アッシュが男娼になるまでのバックグラウンドがもっと掘り下げられていれば、〇〇もBANANAFISH楽しめたのかなー」
「増田は変わらないね。私の土俵で私の漫画の話をしてくれるよね。中学の頃私と一緒にいた女友達覚えてる?あの子たち時々連絡くれてたんだけど、高校中退した時に『何があっても友達だから』って言ってくれたのに、私が売春初めてから連絡してこなくなったよ。私が売春してんのも回春してんのも同級生の間でもう噂になってんでしょ?この間中学の時の××からヤらせてくれってメールきたよ。ただ話したいから会おうって言ってきたのは増田だけ。増田からメール来た時、仕事中もずっと増田の事思い出してた。うれしかったよ」
「そんなに嬉しかった?だったら、薬指切り落して俺に送り付けてくれてもよかったんじゃない?(安野モヨコの漫画ネタ)」
「馬鹿じゃないの」3年越しにあってから初め聞いた彼女の笑った声と、笑った顔だった。
俺には彼女を救い上げてやることはできないし、彼女の生活を支えてやることもできない。彼女を守ることもできないし、俺たちにはお互いを支えあうような力は残ってなかった。日々の生活でいっぱいいっぱいなのは、お互いが一番よく理解していた。公務員に内定が決まった俺に目の色を変える同級生がいたが、一番寄りかかりたいだろう彼女は俺に依存しようとは一切しなかった。性風俗を咎めず、性風俗に従事している彼女をただ受け入れて話を聞く。俺にできるのはそれだけだった。
俺たちはその日たくさん話して、仕事へ向かう彼女を見送った。何故かもう会えない気がしたので、「体に気を付けて」といったら「そっちもね」と、中学の頃と変わらない無表情で返ってきた。
それから数年経ったある日、彼女から「私と会った事ある人だよね?ずっとスマホが監視されてて。確認したかったの。ヤバい人にずっと付きまとわれてて、ネットに本名も晒されて、ずっと監視されてるから疑心暗鬼になっちゃって」とよくわからないメールが飛びこんできた。「久しぶり、増田だよ、中学の頃から同級生だったろ。大丈夫か?」とメールを返したが送信エラーになった。
心配した俺は、ひょっとしたら彼女が実家で療養しているのかと思って、中学の同級生から彼女の実家の住所を聞き家まで行った。表札には彼女の苗字はなく別の苗字が書いてあった。念のためインターホンを押したら現住民が対応してくれた。どうやら今の住民は中古物件としてこの家を買ったみたいで、前回の住民とは一切コンタクトは取っていないとの事。文章でのやりとりが得意で、口語でのやりとりが苦手だった俺たちは、携帯の電話番号を交換していなかった。俺は彼女と連絡をとる手段を失った。