「70年代」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 70年代とは

2019-09-09

老いを感じる

オタク友達がこのところVtuberにハマっていて、Twitter上では何かにつけてリツイートしてくるようになった。

飲み友達とあるアニメ舞台にハマって、飲む先で沼に入ってこいと誘われることが増えた。

どちらも触れてみようかなとまでは思うもののなんだかんだで後回しになっていて、結局はそれらに触れる時間を使って昔見聞きしたコンテンツを何度も繰り返ししゃぶっている始末だ。なんだかんだでそれが楽。

学生の頃勤めていたバイトである飲食店では、有線放送チャンネル70年代80年代歌謡曲限定していた。店長いわく「お客さんが安心するから」とのことだったが、その時はわからなかった。

でも今はなんとなくわかる。楽だよなと。

これが老いなのだろうか。

2019-08-26

世の若き音楽家たちにつきまとうコーチおやじに告ぐ

コーチおやじ」というもの存在する。主な生息地は動画サイト若者投稿した演奏動画コメント欄で、そこによく出没する。

主な生態としては基本的ダメ出し。やれ「ピッチが」だの「モタる」だの「音の粒が揃ってない」だの具体的な計測方法のない切り口でダメ出しをする。そして主に若い女の子ギターベースドラム演奏している動画に現れては、そう言ったダメ出しをすることを好む。

(あと最近気づいたのは、街角弾き語りをやっている女の子にも何やら延々と喋ってるおやじもよく見かける。これはダメ出しなのか何だかからないが、腕を組み得意げに何やら喋ってる。女の子は片付けをしたいらしく困惑した笑顔対応するのだが、彼女のその困惑には気づかず笑顔にだけ気をよくしてペラペラ喋ってる。CD-Rを買ってあげてるのかはわからないが買ってなさそうだ。)

またコーチおやじは、女の子習得する楽器に関してステレオタイプ先入観を持っているだめピアノシンセエレクトーンなどの鍵盤楽器投稿動画にはまったくと言っていいほど姿を見せない。そこにも稚拙演奏が相当あるにも関わらずである。だからロック系の曲を演奏するギターベースドラム専門に出現する。とにかく女の子がこれらの楽器うまいことを許せないのだ。

たまにそのダメ出しに対して誰かがコメント欄反論をすると「批評も許されないのか」「慣れ合ってヨイショコメントしかしちゃいけないのか」的な開き直りを見せる。ひどい場合コーチおやじダメ出しコメントばかりが動画に並び、いつしか投稿主は動画を削除してしま場合もある。

コーチおやじ本質、それは「尊敬されたい」「愛されたい」である。「なるほど!わかりました!これから指導お願いしま師匠!」と言われたいのだ。とっくの昔に現役でなくなってる、もしくは現役時代のもの存在しなかったかもしれない自分にだ。空想の、虚構の、眩い白日夢はこの上なく心地よいのだ。また相手女性動画主だったらあわよくばねんごろになりたいってのもあるって言ったら邪推し過ぎだろうか。

だがコーチおやじの願望が叶う日は決して来ない。なぜならば若者たちが動画を公開するときに期待するものは「賛辞」と「励まし」だけなのだからコーチおやじの「尊敬されたい」「愛されたい」とは対極の、はるかに青く純粋衝動だ。コメントもっともらしいダメ出しなんかもらわなくとも、彼らは再生数という言い訳の出来ない評価対峙することになるのだから。こういうとコーチおやじは「再生数がすべてなのか」と半笑い反論しようとするだろう。そうだ、すべてだ。

ここまで読んだ人は気づくと思うが、俺がまさにそのコーチおやじだった。

ここは「だった」と過去形で言わせてもらう。何故ならば俺はその空想の中の自尊心を、よりによって自分の息子に剥ぎ取られ、丸裸な状態の滑稽な初老の男である自分を突きつけられ、激しい屈辱自己嫌悪とともに目が覚めたのだ。「コーチおやじの滑稽さ」に。(ちなみに息子は音楽はやっていないのだが、どう突きつけられたかは本題とそれるので省略する。ただ、涙ながらに訴えられ目が覚めたとだけ言っておく)

80年代に成毛茂という70年代ギタリストがやっていた深夜番組は、その骨太説得力薫陶を受けた何人かの門下生が凄腕ギタリストとなり、副産物として有象無象門前小僧を生み出した。ようするに「薫陶」ではなく「受け売り」止まりの奴らだ。俺はまさしくこのクラスタ人間

そして90年代から00年代にかけてE〇Pとかの音楽専門学校に入ったはいいが、バンドやるでもなく真面目に授業受けるでもなく、身に付いたものはと言えば出会い系サイトサクラバイトによる昼夜逆転生活習慣というだけの奴ら。

両方に共通しているものは、何ら後進が手本とできる見本となる演奏音源映像を残すことも公開することもなく(そもそも今で言うところの「なろう」だったので存在すらしないかもしれない)、ただ曲と楽器と半端な受け売り楽典知識だけを元に、投稿動画をあれこれ批評と称してこき下ろす。全員が全員そうだとは言わないがコーチおやじ本質はおおむねこれだと思う。

あのな、ご同輩。今は時代が違うんだよ。まず機材が違う。昔のようにMDテープを何度も聴き直して音を拾わなくてもコピーができる。アンプだってライン録りで遜色ない音もできる。8トラックピンポン録音なんてアホらしいことだってする必要もない。だけど彼らはそうやって楽になった分のリソースをどこに注ぐと思う?彼らはやっぱりその分純粋練習に注ぐんだよ。彼らは試行錯誤必要がない分まっすぐに練習するんだよ。俺たちよりも合理的なやり方で、何よりも当時の俺たちと同じくらいの熱意でもって。今の若い子たちの演奏が(女の子のそれも含めて)抜群にうまいように聴こえるのは錯覚じゃない。本当にうまいんだよ。

から彼らが、あなた方やかつての俺がかすかに期待する「尊敬」や「愛情」をお前らに向けることは未来永劫あり得ないんだ。とっくに現役じゃないかそもそも現役だった時代すら存在しなかったおやじたちに。だからコメント欄で偉そうなダメ出しするのはやめよう。気に入ったらlikeクリックして、気に入らなかったらdislikeすらクリックせずに二度と観なければいいだけの話だ。

とは言えやはり俺もいまだに「尊敬」と「愛情」が欲しいことは否定できないので、

DTMと呼ばれるものに手を出すことにした。つまり若い連中が群雄割拠する世界に、かつて打ち込み専門の誰かが言った「楽器が弾けるというのはデカい」をわずかな希望として胸に秘めながら、ひっそりと足を踏み入れることにした。pro toolを始めとした機材を大人買いした。使い方を早くマスターするためにインストラクターに素直に教えを乞うた(オヤジは金があるんだよ)。これで俺も再生数に一喜一憂する奴らの仲間入りだ。指がすっかり動かなくなったというより広がらなくなって難儀してはいるんだが、まあコーチおやじよりは健全だと思ってる。

しかしこのギタープロセッサってのはすんげえよな。もうステージアンプいらないわ。

2019-08-10

童貞馬鹿にするのを止めるのがどれだけ童貞の為になる?

男性への差別や抑圧をやめましょうって話で、身近な抑圧の例としてよく上がるのが「非モテ童貞馬鹿にする」ことだ。

そういうのをなくしていく方向だと、男性ジェンダーロールから解放イメージやすいだろう、みたいな論調になる。

ぼくは35歳童貞ひきこもり精神障害二級男性だが、あれにどうも納得できない。

そりゃまあ童貞の一人として、童貞であることを馬鹿にされることはない方がいい。そこはそう。

でも、ぼくの/男の/童貞の/人間の生きづらさは、そこが核心じゃねえだろ。

童貞であることが馬鹿にされない社会がいいよね、と語られる時、ぼくはいつもそこに「童貞であることを馬鹿にしないから、君みたいなやつは童貞のまま一生寂しくいてね」という意識を感じてしまう。

ぼくが真に望んでいるのは、童貞であることを馬鹿にされない世の中より、簡単童貞じゃなくなれる世の中なんだよ!

より正確に言えばセックスそれ自体じゃない、セックスできる人間関係が、恋愛関係が欲しいんだ! 孤独から救われたい! だから性風俗でのセックス解決にならない! まあセックスもしたいが!

孤独への救済がないことが、ぼくの/男の/童貞の/人間の生きづらさの核心だろ。その寂しさは、孤独馬鹿にされなくなったからって楽になるもんじゃない。

なのに馬鹿にされなくなるのが旗印になるのは、ズレているし、むしろくらましされているように思えてならない。

たとえば、毎日ご飯トイレで食べている中学生くらいの子想像してみてくれ。男でも女でもいい。

もしもぼっち馬鹿にされなくなったら、便所メシしていたその子教室で一人で堂々と食べれるようになるかもしれないよ。

の子が、モノを食べる時は誰にも邪魔されず自由で独りで静かで豊かで、孤独のグルメをするのが好きなタイプだったらハッピーエンド文句なしだ。

でも、本当は人とおしゃべりしながら食べたい子については全然解決してない。

「堂々と気兼ねなく一人飯していいですよ! おめでとう!」そう言われて、曖昧な笑いを浮かべた後、窓から二列目最後尾の席で一人食べているその子が、背筋を伸ばしていそうか? 馬鹿にされるわけじゃないのに、背中丸めていないか?(猫背が悪いわけじゃないけどね)

こういう話をすれば、「結局いつもの女をあてがえ、女を所有したいって主張か」と言われるのが予想できる。

なあ、深刻にぼくが苦しんでいる抑圧の一つは、そういう黙らせ方のほうだぞ?

実のところ童貞馬鹿にされることなんか大した悩みじゃないんだ。というかそもそも童貞馬鹿にされていることなんかそんなに遭遇しないぞ。はっきりと煽られることも多くない。社会全体のうっすらした空気みたいのはあるかもしれないが、グサッとくることは滅多にない。

ぼくが苦しんでいるのは、男が寂しいし他人と繋がりたいし女性と繋がりたいという嘆きや欲求を、罪深く、知能が低く、暴力的で、非倫理的だと断罪する抑圧の方だ。

こいつは効くぜ、ネットを巡っていれば三日に一回は、明確な攻撃性を持って刺してくる言葉出会える。

からさびしい女が男を求めることは、はしたなくふしだらだと抑圧されてきた。今も続いているだろうし、そういう圧をかけてくる奴はマジでファッキューだ。だが現在、「ふしだらだと言う奴こそが抑圧者だ」という反論も耳を傾けられるようになってきた。

一方さびしい男が女を求めることは、過去には男の甲斐性などと過剰に称揚されてきたが、現在暴力的支配的だと断罪され、抑圧されるようになってきた。そして、「関係欲求暴力性を強調する奴こそが抑圧者だ」という反論は、ほぼ聞く耳を持たれていない。

ぼくが苦しいのはこっちの方なんだよ!

「女に手を出さないヒョロ男は男性失格」から解放されそうだと思ったら、「女に手を出すキモ男は人間失格」になってるじゃん! 極端から極端かよ!

だいたい、女を所有するとか女に手を出すとかって言われやすいのがおかしいよな。現代において人間関係相互の結びつきなんだから、互いに手を伸ばし合って握り合うもんじゃん。

ぼくはその相互関係を求めてるのに、一方的な所有をしたがってるのだと言われるのは心外だ。

それに男から手を伸ばす行為ちょっとでも不手際があると怖いとか暴力的だとかイタいとかキモいとか言われる。

思春期に失敗経験を積めてないんだぞ、失敗くらいするよ。

真面目で丁寧なメールのつもりが長すぎてキモロミオメールになったり、4℃プレゼントしたりサイゼ食事したり、気さくなやりとりのつもりがおじさんLINEと言われたり、タイミングの変な告白が告ハラと責められたり、鼻の下を伸ばしたり、胸やお尻を見ちゃったり、英字Tシャツ着てたり、OK下ネタNG下ネタラインを見誤ったり……それくらいの失敗するだろ。もちろん殴ったり怒鳴ったり痴漢したら通報されるべきだけど、恋愛慣れしてない色気づいた男の不手際レベルのものをそこまで揶揄して、恐怖感を与える迷惑行為とまで断罪してたら、ただでさえ自信なくやってんのに萎縮して手を伸ばせなくなる。

そして動けなくなったぼくに言うんだ、「待ってるだけだからダメなんだ」「施してもらえると思ってるんだね」「受身奉仕してもらう関係を望んでるみたいだけど、それが相手を所有したいってことだよ」。

こう論じていけばわかるかもしれないが、揶揄されて本当に辛いのは、童貞への揶揄じゃなく、臭くて常識がなくて外見や服装が悪くて無神経で会話が下手で不快キモいことへの揶揄と抑圧だ。

それによって自尊心が削られ、動けなくなり、人と関われなくなる。童貞維持はその関われなくなった結果に過ぎない。

たとえばオタク臭いと言われるけど、あれはオタクへの抑圧というより、臭い人間への抑圧だと思うし、それがキツい。

自臭症患者が増えるのも納得ですよ。

毎日風呂に入れ、デオドラントコントロールしろ、小奇麗な服を着ろ、美容室に行け眉を整えろ、ちゃんと人と会話しろ常識を持て、思いやりを持て、価値観アップデートしろ老害になるな。

そういうのができない奴は、馬鹿にされても抑圧されても当然だ、キモくて不快なんだよ、迷惑から人と関わるな一生孤独でいろ。

おいおいおい、おいおいおいおいマジかよ。そんな残酷なこと言っちゃうかよ。

この手の毎日マメに心身を整える営みがクソ苦手な人間が少なからずいるってのにな。

童貞は人と関わるななんて言われたことはないが、こっちは毎日のように目にするぞ。男に対しても女に対しても言われる。男からも女からも言われる。

さらヤバいのは、この不快人間への抑圧というのは、「君みたいなやつは童貞のまま一生寂しくいてね」に簡単に繋がるってことだ。

増田君、クサくてブサくてキモくて会話通じないよね。君みたいな人って不快なんだよね。不快から人と関わらないでほしいんだよね。人と関わらないでほしいからもちろん女の人とも関わるべきじゃなくて、非モテ童貞のままだろうね。童貞って要素を馬鹿にするのは止めるから、その孤独は受け入れてお行儀よく独りで対処してね。これはみんなの幸福のためだから抑圧じゃないよ」

俺はこれにもファッキュー叫びたい。

だがその叫びは、きっと迷惑だと怒られ、耳を傾けてくれる人は少ない気がしている。




2019/8/12 昼 追記

私も毎日マメに心身を整える営みがクソ苦手なんですけど、スネ毛も脇毛も剃らずに髪ボサボサのまま話しかけてもいいですか? たぶん嫌だと思うんだけど。

こういうブコメがついた。

いいですか? という問いに対しては、いいですよ、と答える。

ただ、親しくなるかは話しかけられないとわからない。

いきなり体験談を語るが、ぼくは以前、髪がほつれ気味で70年代みたいな花柄の模様の目立つ、くたびれたヒッピーみたいな女の人に話しかけられたことがある。

いきなりでびっくりしたけれど、何やかん世間話をして、実はバス代がなくて貸してほしいと言われた。

なんとなく雰囲気が変わっていて話すのが楽しかったので、もちろんいいですよ、と400円を渡した。

あとでこれを他人に言ったら、典型的寸借詐欺じゃんと言われたので多少ショックだった。

でもぼくはあの女の人をあの時気に入っていたのだ。

話が長くなったが、ぼくは好意のない相手とは手袋越しの握手すら嫌だが、好意を持つ相手であれば三日ほど風呂にも入らず作業してる最中に居眠りして口から垂れそうな涎を素手で受け止めることもできる。

あなたがオシャレかどうかとか、清潔か否かは、気に入るかどうかを左右する一要素でしかないので、ネット越しでもリアルでも実際に交流しないと気に入るかはわからない。

なのであなたには是非話しかけてほしい。

そのためにはぼくがここで連絡先を公開するべきだが、申し訳ないが、それをする勇気はない。

なぜならこんな、世の中から怒られるだろう記事を書いた上で名を明かすのはあまりリスキーからだ。

そもそもこの記事匿名ダイアリーに書いたのは、記名でこういう話をしたら面倒で厄介でキモくてクサくて女をあてがわれたがってる奴、と思われて、しょっちゅうネット議論してるような人たち以外の普通ネットユーザーとは関係ブツブツ切れると容易に予想できるからだ。

記名でするのが躊躇われるくらい、こういう訴えや吐露は、すべきでないものとして扱われている。




増田の生きづらさの原因は自分童貞である事を卑下して、自分自分を傷つけてるからだよ。

孤独が悪である、という偏見が内在化されている。ここがあなたの心の穴だと思う

「その悩みは君自身がそれを『悩むべき欠点である』『~でなければならない』として自分を縛ってるからだよ」式のカウンター、最強カードの割に言われた側にプラスになることがほぼないか禁止にしたほうよくない?

将来の夢も、性的対象が同性だったり異性だったりも、孤独も、生活水準も、作業能力も、社会から評価も、全部気の持ちようで自分解放すれば現状に満足できるんだよ~みたいなの、そんなん言われましても大体の人は深い疲労感と共に黙るしかできませんぜ。

特に性的愛情のある関係が欲しいが同性愛は無理」に「それはホモフォビア。同性同士で支え合えばいいじゃん」っていうの、ビアンゲイに「異性愛でいいじゃん」っていうようなもんだよ。




2019/8/13 朝 追記

またモテない女がいないことにされてる、という反応もあった。

ぼくが童貞から処女について踏み込んだことを言うのは腰が引けて、積極的には語れなかった。

ただ、「孤独への救済がないことが、ぼくの/男の/童貞の/人間の生きづらさの核心だろ」と書いたことや、便所飯をする子供のたとえで性別限定しなかった辺りが、一応、モテない女への目配せであった。

伝わりづらかったようなので、男でも女でもいい、など多少加筆しといた。

童貞の男ではなく、孤独人間が苦しいのだ、というのがこの記事の要点である

その上で、実感を持って語れる、男性である故に孤独から脱出しづらくなっている具体例について多めに書いたけど、そこはまあ許してほしい。

でもぼくの/男の/童貞の/人間の、の辺りに主語デカすぎるとも言われてるので、どうしろってのよ~って感じ。




実は、以前にも孤独童貞について書いてブクマが集まったことがあるのだが、それぞれ書いたのが2014~5年(再投稿2017)と、2017年だった。

そして、二年後にまた報告してくれというコメに星がついていた。

この記事はそれをすっかり忘れて書いたものだが、不意に思い出した上に時期的に合っているのでトラバしておく。

ただ、今では考え方の違う部分もあるので、この記事意図過去と同じだと読解するのはやめてほしい。

それにしてもぼくは二年毎に孤独に耐え兼ね吐き出したくなるのだろうか? いや、静かに埋もれた記事もあるので、そういうわけでもないな。

30代童貞無職でも優しくされたい!

anond:20170529064047

30代童貞の咎、無職の罰

anond:20170611063612

2019-08-05

anond:20190805145634

ああ、これは俺的には、このあたりだよ。

菅氏は「審査時点では具体的な展示内容の記載はなかった」と説明。改めて展示物を確認した上で、補助金交付の是非など対応検討する考えを示した。

内容規制を匂わせているところ。

内容規制となると、表現する側の予測可能性を損なわないように、ヘイトなどNG物についてリストをつくって事前にみせよう、とかっていう判断もかつてはあったんだよ。

内容規制については、アメリカ合衆国連邦最高裁1940年代70年代とブレながら(悩みながら)異なる判断を示してきた。

当初はアメリカブラックリストをつくろうという方向だった。だけど、最終的にはリスト価値を誰が判断できるんだ、というところで答えがでないか

その路線は今は引き継がれていない。

日本最高裁も後を追うようにアメリカ判例をならってきている。

内容規制に入るんだとすれば、かなりの後退だろうというふうに思うね。

2019-07-25

anond:20190725084855

忘れちゃいけないのが、彼らを焚き付けたのは"日本の"左翼だ、ということ。

戦後70年代までの動きを見るに、ソ連中国意図による分断工作として日本左翼資金提供があったとしても驚かない。

今や分断も修復が困難な状況まで進んだが、それで得をするのが誰なのかは把握しておくべき。

韓国レッドチーム入りしても構わないレベルまで、日本海側の防衛体制を引き上げておく必要がある。

北の工作員がこっそり出入りしちゃ人を攫っていくことが出来るような現状では、大変にまずい。

2019-07-24

テレビ離れ 平成29年

http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h30/html/nd252510.html

 

2013年 → 2017年

 

平日

10代 102分→73分

20代 127分→91分

30代 157分→121分

40代 143分→150分

50代 176分→202分

60代 257分→252分

休日

10代 140分→120分

20代 170分→120分

30代 221分→166分

40代 204分→213分

50代 254分→265分

60代 305分→320分

完全に見てない人
平日

10代 25%→40%

20代 25%→37%

30代 17%→24

40代 17%→17

50代 9%→9%

60代 8%→6%

休日

10代 25%→36%

20代 23%→32%

30代 13%→21%

40代 16%→16%

50代 8%→6%

60代 6%→3%

 

所感

40代以上はむしろテレビ見るようになってて草

1020代テレビ離れは顕著だが、まだ過半数は行かない

あと10年くらいか

まり90年代まれ以降の世代と、70年代まれ以下の世代で股裂き状態

80年代まれはどうすりゃいいの?

2019-07-20

昔の昔っぽさ

自分子供だった90年代頃に70年代に対して感じた昔っぽさを

今、同じだけの歳月を経た90年代に対して感じるかというと、感じない。

子供の人は90年代に対して、自分がかつて70年代に対して感じたような昔っぽさを感じるのだろうか?

2019-07-14

anond:20190713135916

60年代70年代SFだと、人類が服を着る慣習をなくしていて常時裸だったり、

力場の服だったりしていたのにね。

これから未来で起こる(とされている)こと

anond:20190714141757

バイオ医療技術の発展

ネットの次はバイオ、と言われだして久しい。

遺伝子関連の技術治療は今も日進月歩で進んでおり、100年もすれば物事はだいぶ様変わりしていると思われる。直近では、ips細胞による移植、ガン治療アルツハイマー治療が出来ればだいぶ話は変わってくるよね。あとは「老化」という現象に関する知見が深まったらいいよな。過激な論者なら、そういう技術の発展は、結果的人間不老不死にするとまで言う。

バイオ関連技術は、食料関係の窮状も救うかもしれない。実は地球の面積では、今の全人類先進国並みの生活をするだけの食料生産にできない。しか過去化学肥料の開発が単位面積当たりの収穫量を大きくあげたという実績があり、これからバイオ技術はそれをもう一度起こすかもしれない。

あと代替石油を見つけ出すのもここらへんに期待されている。もはや原子力に頼れない以上、その辺は必須だ。

 

量子コンピュータ

実用化すればムーアの法則をぶっちぎってちょうはやいこんぴゅーたーが出来る。

その速さたるや、今使ってる暗号通信が全て素で解読できるほどなので、ネット世界が荒廃するのとも危惧されたが、量子コンピュータでも大丈夫な新方式暗号は開発できたらしいので、単にちょうはやいこんぴゅーたーの恩恵だけを受けられそうである

コンピューターがちょうはやくなると何ができるか? これは単に、いま複雑すぎて出来ないことが出来るようになる。AI関連の話が一般向けにはわかりやすいが、最も大きいのは、先のバイオ関連と絡んだ話。今は1年待ちの予約とかで使ってる国家コンピュータ全研究室に置かれたらどうなるか。もちろん研究結果がすぐ出る。世界の全てが加速することになる。

 

水利権の争い、新しい戦争

農産物を今よりたくさん作るなら、水が今より必要になる。既に灌漑のしすぎでアラル海が消えるとか言っているが、同じことが他のところでも起きるかもしれない。そうなれば、20世紀のような石油とか商圏とかではなく、水を巡る戦争が起きるのでは?という危惧がある。

しか戦争は変わっていくだろう。既にドローン爆弾落としてきてヤバイ、みたいな話はあるけれど、似たような自動化は進むだろう。ww2以後やベトナムを踏まえた今の戦争反対の機運は、「自国兵士があまりに死にすぎた」ことの反省から盛り上がったところがあったが、兵士自動化された状態で我々はまだ戦争反対とか言ってられるのだろうか? 昨今のポリコレ情勢もあって、左翼的価値観は人気を失いつつあることもあって、これは危惧しといた方がいいと思う。

 

経済学の発展?

我々の日常生活がどうなるかは、結局は経済にかかっている。もしも政府ちゃん経済コントロールして、バブル恐慌不況操作できるなら、我々はずっと豊かになる。

絵空事なようだが、どこかで実現というか、ラインを超える日は来るはずだ。いまいち一般に何をやっているか理解されにくいし、政治利権翻弄されがちなせいで信頼されないと見られがちな経済学だが、実はここ50年ですごく長足の進歩を遂げている分野だ。今の理論なら、70年代大恐慌はもう防げるだろうし、バブル崩壊やサブプライムローン関連のコントロールだって今なら出来るかも。

もし経済コントロールする理論が順調に進歩するなら、我々はついに平和すら手にするかもしれない。テロ戦争も結局は貧乏が起こしている。経済学にこそ、暴力を撲滅するための役割が期待される。

 

・たぶん起こらないこと

宇宙に住むとかいうことはない。どうあがいても地球重力を振り切るコストは高くなるし、工夫でどうにかなるとは思えない。割にあわない。金持ち道楽に終わる。

2019-07-11

70年代のツツイヤスタカかよ…

"N国"の政見放送、スゲーwww

SF現実になっとるぢゃないか

…入れてみよかな

2019-07-10

anond:20190710222502

70年代までは勤勉だったよ。

今はもうダメだね。

あとイタリアあたりというか、カトリックの働かなさをなめてはいけない。

2019-07-07

消費税増税に対する若輩者の意見

消費税が8%から10%へと増税されることについて様々な意見が飛び交っている。

その流れに乗じて、消費税率3%から5%への過渡期に生まれ20歳そこそこの若輩者の私が、消費税に対して日頃から思っていた意見をぶちまけたい。

消費税の導入が遅すぎる

まずはこれ。今行われている議論は、果たして本当に「2019年の今」行う必要があったのか?

そもそも消費税は、1953年フランスで考案されたものだという。フランスではそれ以前にも支払税や売上税という形で消費税類似した制度存在しており、1960年代から70年代にかけて、当時のEC(EU前身)諸国を中心に消費税制度の導入が進んでいった。

一方の日本ではどうだったのか。1989年竹下登内閣消費税法が施行されたものの、それに対する反発もあって首相が年内に辞任したことは広く知られているのではないだろうか。当時はこの世に生を授かっていなかった私も、教科書的な知識としては把握していた。

だが、それ以前の消費税導入の動向についてはほとんど知らなかった。せっかくなので調べてみると、1979年大平正芳内閣1987年中曽根康弘内閣で導入が検討されたものの、大きな反発に遭い断念したという。

これを知って、正直色々と落胆した。西側ヨーロッパ各国で消費税が導入されたのが1970年代から70年代末に日本でも消費税導入に関する具体的な議論が進められたのは良い按配だったのではないだろうか。しか国民の強い反対に遭い頓挫する。当時は生まれてさえもいない若輩者が、40年も前の日本社会を後出しじゃんけん批判したところでどうしようもないが、何故こんなことになってしまったのか。

法案を押し切れなかった与党自民党に対しても失望するし、目先の利益を優先して財政赤字という課題解決先延ばしにした有権者にも呆れてしまう。

もっと早い段階から消費税を導入していれば、80年代後半のバブル経済と重なって税収を得られたのにと思ってしまう。将来の経済動向や最善手について分からない当時の日本人を、当時生まれてすらいなかった人間が今更批判したところで仕方がないのは十分自覚しているが……。

税率の上昇幅が緩やかすぎる

1989年4月消費税率3%→

1997年4月に5%→

2014年4月に8%→

2019年10月に10%

20年かけてやっと10%、実に牛歩

正直もっと短い期間で税率を引き上げていくことが出来たのではないか。それが無理だったとしても、1970年代消費税を導入していれば、2019年よりも前に税率10%になっていたのではないか

この上昇傾向が今後も直線的に続くとすれば、現在EU諸国一般的消費税である20%に到達するのは2040年頃。その頃の日本果たしてどうなっているのだろうか。

軽減税率について

世間的に一番合意を得られていないのが、新聞定期購読にかかる軽減税率だろう。

これに対する日本新聞協会の言い分はこうだ。

Q:なぜ新聞軽減税率必要なのか?

A:ニュース知識を得るための負担を減らすためだ。新聞界は購読料金に対して軽減税率を求めている。読者の負担を軽くすることは、活字文化の維持、普及にとって不可欠だと考えている。

なぜ新聞に軽減税率が必要なのですか?|聞いてください!新聞への消費税軽減税率適用のこと|日本新聞協会より引用

なるほど、一見もっともらしい。

20%台の消費税率を導入しているEU諸国でも、新聞10%以下の軽減税率であることが多い。だが、この条件に当てはまるのは何も新聞だけではない。書籍雑誌日本であればNHK受信料についても同様のことが言えるだろう。事実、多くのEU諸国では書籍雑誌にも軽減税率が導入されている。

何故この理屈新聞定期購読しか成立しないのか、その説明は足りていないのではないだろうか。その責任は当然政府にもあるし、外食コンビニのイートインの税率については紙面に盛んに載せるもの自身軽減税率のことになると都合の良い態度を貫く新聞業界にもある。

消費税について時間をかけて議論している割には、軽減税率に関する議論はあまりにもお粗末であるように思える。生活に最も直結する食料品軽減税率を受ける一方で、水道代や電気代、医薬品など他の生活必需品は適用であることの理由いまいち見えてこない。そんな状況で新聞定期購読だけ軽減税率が導入されるのだから違和感は尚更だろう。

軽減税率への個人的意見としては、10%まではあらゆる品目で一律に引き上げてしまっても良いのではないかと思っている。フランスドイツでは食料品医薬品などの生活に直結する品目、教育不動産などの分野で税率が10%以下に抑えられていたり非課税であったりすることを鑑みると、かなり乱暴意見であるのは重々承知しているが、今の不完全な状態で下手に軽減税率を導入するよりはマシではないか。現状では、客が商品を店内で食べるか持ち帰るかでレジ処理を変えないといけないコンビニファーストフード店負担がいたずらに大きくなるだけだろう。勿論、消費税増税先延ばしにして議論を深めてから導入するという選択肢もあるが、消費税増税先延ばしにしてきた今までの日本社会の動向をふまえると、増税自体がうやむやになるという懸念が拭えない。

税率が10%に引き上げられた後も、軽減税率適用する品目や分野に関する議論は続けていくべきで、場合によっては8%以下の税率や非課税という選択肢視野に入れて検討していくべきだろう。

結論

消費税増税に関しては今後の日本社会のことを考えると当然とは言わないまでも妥当ではある、と個人的には思っている。だが、今から数十年前の政治家有権者にはもっと消費税について真剣に考えてもらいたかったし、導入した後の税率の引き上げ方や議論については稚拙な部分がたくさんあるし、軽減税率はその最たる例である恨み節も言いたくなってしまう。

消費税増税については、今後の日本社会を築き上げていくのは若い自分であるという当事者意識を持つ大きなきっかけになったと好意的に捉えておこう。

2019-06-22

anond:20190616145711

1960,70年代安保デモ/学生運動では暴動や略奪が起きているが、略奪先は大学食堂生協等、選んでる模様

wikipedia:安保闘争 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89

闘争」の時代⑦ ~東京大学安田講堂事件(2)~ (だれかのブログ) https://ameblo.jp/ei-bou/entry-10606804475.html

大阪西成ではたびたび(第24次まで)暴動が起きているが

wikipedia見る限りでは略奪は第9次(1970)、第11次(1971)、第22次(1990)

写真ニュース映像は探せば見つかる

wikipedia:西成暴動 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%88%90%E6%9A%B4%E5%8B%95

なお暴動しても安保西成の(貧困)状況は続いた模様。

2019-06-19

anond:20190617000915

「(彼は)なかば有機体、なかばマシーンでつくられたアンドロイド……すなわちサイボーグだ……」

って70年代SFにあるからイインダヨ

2019-06-08

プロメアをみた

めっちゃいろんな美味しい味がする!!!!すごい!!!すごいな!!!えっなにでもこれ飲み込めない!めっちゃのどにつまる!!!なにこれ!!!美味しいのに飲み込めない苦しい!!!ってなって涙目になった。なんで飲み込めないのかって考えたんだけど、やっぱ主人公の「みんなを救う」っていう見得なんだよな。みんなを救うっていうのはやっぱ不可能なことだから狂気はらむ。その狂気には触れないでケンシカワ感があるのがすごい違和感だって石川賢キャラが「地球を救う」って言ったらだいたい地球は救うけどそれ以外のものはどうなってもしらんっていう狂気を孕んでるじゃん。それって人間にできる範囲をどう切り取るかじゃん。いや、中島先生石川賢と同じことをしろと言ってる訳じゃない。石川賢を読み、深くリスペクトし、その上で俺はこう描くと決めて作品を書いてるわけだから、そこを否定したいわけじゃない。でもガロはみんなを救うって言ってて、作品人間限界をないと定めてるにもかかわらず、なかに普通の人がいるの知っててガンガン船橋部分ぶっ叩くのはヘンじゃん。案の定普通の人はなんの尊厳もなくめっちゃ吹っ飛ばされてんじゃん普通首の骨折って死ぬじゃんそんなの。いや、中島かずき宇宙では人間あの程度のことで死なないんだと思うんだけど、大事にしないのに守るってどういうことなのって思うじゃん。あんな高いとこから打ち落とされて、マクロの空を貫く宇宙戦に乗ってた一万人はどーなったのって思うじゃんマクロだって変形の時は市民に連絡してたのに!!!まあ連絡したからってどーやってショックアブソーブして市民を守ってたかは知らんけど!!!まあマクロス的な宇宙船の中にはいってた多くの人はポッドの中で守られてて大丈夫だったとしよう。そこはそう落ち着けよう。そこに堺雅人の怪演ですよ。これがまた厄介で、うますぎてまたあじわいをくわえちゃってんのよ。これが舞台ならいいんだ。あれは表現限界があって、その他大勢の人を描けない。そこでみんなを守るって言っても舞台上の人数くらいだし見てる方も体感としてわかりづらいから概ね「お前と俺」の話になる。だから新感線の芝居は飲み込める。でもアニメは変に一般人を、世界を見せてくるのでもうめっちゃ気になる。子供向けアニメは言うても味わいが単調だからそういうものとして飲み込めるんだけど、プロメアはもうめっちゃ色んなあじがする。モスピーダ的な装着ロボット歌舞伎的な見得わたしにいい考えがあってこんなこともあろうかと用意されたアニメ的なお約束もポップな音楽も上手い声優ケンシカワ的な表情も巨大ロボット肉弾戦も変形ロボットエアブラシで描かれたっぽい70年代感ある電脳空間の生き物もBLもまつろわぬものたちも素晴らしい動きの戦闘シーンも思想対立もいい感じに配置された脇キャラもそのほか色々色々。だから余計に気になるんですよ、ほら火消し+冷静メガネめ組の大吾だけど、あの作品曽田先生も描いてたようにみんなを救う英雄は狂ってるし最終的にめっちゃ孤独になるこの世から浮いてしまう。そんなガロの魂をだれがすくうの?あっリオ君?リオくんなの?デビルマンの明と了みたいに?ガロの躯の横に座ったリオ君が「お前はほんとうに宇宙バカな火消しだな」とか言ってひとすじ美しい涙を見せるの?世界ガロを捨てたのに、でもガロはその世界を何より愛していたから憎むこともできないとしたら、それは了よりつらいんじゃないの?????ひどくない?????中島先生ひどくない???そんなことにならないよう気のいい仲間たちがいるのはわかってんだけど!

痛快娯楽作品として提供されてるんだから痛快娯楽作品として消費すりゃーいいんだけどなんかもーーーーーーわーーーーーもーーーーー!もーーーーー!ってかんじでカードクレイでした。つかれた。ねる。

2019-06-02

anond:20190602133202

いやまあ60-70年代トラッドブームあるのはわかるけどさ、あとなかむらとうようのワールドミュージックみたいなくくり

オタクに限っていってるのでエンヤとかはメジャーからオタク」だけに入らんと思うのよね

でもオタクケルティックミュージックが好きみたいなのあるじゃない

00年代以降の入り口ってなんだろうねと考えると、やっぱエンヤなのかね

2019-05-24

anond:20190524000627

多少穿った見方なんだけどさ

70年代以降西欧先進国動物権利とか種差別みたいな概念流行りだした背景にさ

60年代公民権運動白人男性尊厳ある地位から没落した屈辱

他の全人類に共有させたいという

そういう後ろ暗い欲望が見え隠れするんだよね

特にこういう初期の提唱者の理論見ていくと

2019-05-14

カンフーパンダに思うこと

カンフーパンダとは、パンダ主人公にしたアニメ映画のことである。この映画実質的な内容は70年代香港映画の完コピだが、世界でヒットし大金を稼いでいる。

このことから作品にとって重要なのは面白さであり、独自性ではないことがわかる。違法性がなければ模倣OKという考え方が世界の標準になっているのだと思う。それは現実的判断であり、何も間違えてはいない。

一方で日本人模倣に厳しすぎる。何かに似ていると思ったという理由だけで、クリエイター犯罪者のように扱う。このような現象はいから始まったのだろうか。

2019-05-09

土器だとか美術品の様式

あいうのひと目見て、「ああ、これは何々様式だ」とか「何々文化のものだね」ってわかるの凄いなー!

と思ってたが聞くと「ほら、アニメとか漫画で、70年代風とか80年代風、90年代風みたいなのあるじゃん?そういうのと一緒だよ」と言われたので、ああ、なるほどそうなんだー、と変に納得した

2019-05-04

anond:20190504185952

オタクの人ら、70年代から内でも外でもひたすら喧嘩してる連中のあつまりなんですが…。

宮崎駿高畑勲組合作って労働争議やったり、庵野秀明らがアマチュアから商業業界に無理くり入り込んだり

ポルノ分野で力をつけてメジャーに乗り込んだり(Keyとかニトロ)、タフな人はたくさんいるんですよね。

もちろん弱い人もいるでしょうが、それはどのような属性の人にもいるかと思われます


社畜会社を訴える物語は、経済小説という分野になるのでファンタジー路線ライトノベルには向いてないという話ですよね。

オタクが逃げている、というのは全くそぐわない。やろうと思えばできるけど、市場に対して有効かどうかという問題です。

で、オタクのことをなんで逃げてると思ったんですかね。快楽的な物語を描くことは「逃げること」なんですか?

仕事疲れたから僕の好きな甘いもの食べよー、程度のことなのでは?

2019-04-23

昔見たウルトラ怪獣の集合絵

ふと思い出してしまって気になるので書く。

70年代後半ぐらいの、たぶん学年誌?の付録だったのだろうと思うんだけど、

自分保育園小学校低学年の頃に見て、記憶に残っている絵がある。

折り込みのワイドな画面に、街を中心に鳥瞰した風景の中、何十体ものウルトラ怪獣が勢揃いというかそれぞれに暴れている絵だ。

画面右の方にはコンビナートタッコングが見え……あとヒトデが2つくっついた怪獣もいたな……、中央ビルが連なり、東京タワーっぽいところにはピグモンが。かと思えばゴモラが城を壊している。画面左の方は郊外から雪山となってウーなんかがいる。空にはウルトラマンセブンが飛んでいる。あらゆるシチュエーションが細かく詰め込まれて、それが1枚絵に収まっている。

当時もスゴイ絵だなと思ったわけだが、今考えてみると、やっぱり途方もなくスゴイ絵柄なのだ

背景の中に何十体もの怪獣を書き込む構成技術が桁違いにすごい。

絵柄をかなり詳細におぼえているので、間違いなく存在した絵だと思うんだけど…

40~50代の方で、「その絵は自分も見た」という方はおられますか?

2019-04-11

16年前に書いた文章が発掘された

やっと80年代回帰が始まった。この分だと、90年代回帰が始まるのは、2010年頃になるだろうか。

ラジオから流れてくる80年代ポップスカバー曲を聴きながら私はそう思った。

2010年。私が25歳になる年。同じ世代の大半の人がおそらくそであるように、私は25歳の私を想像することができない。21世紀に入ってからというものの、時間感覚が酷く曖昧で、今18歳であることすら、実感が湧いてこないのである

1995年と聞くと、つい最近のことに思えてしま自分がいる。2001年地下鉄の延伸。2002年サッカーワールドカップ日韓共催2004年アテネオリンピック開催・・・小学生の頃教科書に載っていた未来の予定が、どんどん既成事実になっていく。あの頃の私には教科書の中の未来はどれも実現不可能なことのように思えたのに・・・

ノストラダムスの大予言について、あれほど熱心に議論を交わしていた人々は一体何処に消えたのだろう?

ノストラダムス予言の年、私は14歳だ。結構生きられる、と思っていた。そして1999年7月1日ニュースでは、アナウンサー笑顔で「さて、この世界もあと一ヶ月になりました」と言うはずだと思っていた。まるで年の瀬ニュースのように・・・

人々は世紀末という言葉を忘れた。21世紀という言葉も、昔ほど使われなくなった。70年代80年代のことはよく話題にのぼるのに、今が何年代と呼ばれるかについては、誰も口にしない。

物心がついてから10年余りが経った。総理大臣は何人代わっただろう。冷夏は何回あっただろう。巨人は何回優勝しただろう。

私たち世代昭和最後の一人になりうる。何歳まで生きたら、昭和最期を見届けられるのだろう。明治はもうすぐだ。大正もすぐ後を追う。多くの人が愛した昭和が完全に歴史の中に入るのはいつのことだろう。

歴史は巨視的に見れば円軌道を回っているだけにすぎないのかもしれない。人はその一切片を直線であると思って生きていくしかないのかもしれない。

anond:20100912211411

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん