はてなキーワード: 頭痛とは
性犯罪に遭った後、私は様々なウェブサイトを巡りました。どこも数十年にわたり苦しんでいる人でいっぱいでした。
「私の人生は終わったのだ。ずっとこのままなのだ」と絶望していたのを覚えています。
その後、私は家庭も持ち現在幸せに暮らしています。穏やかな生活を送るうちにわかってきました。
幸せになった人間はわざわざ過去の苦しかった話をしない。だからウェブ上では数十年苦しみつづけている人しかいないように見える。
性犯罪後、幸せに暮らしている人もいるという話を書こうとずっと思いながらも、私の文章が誰かを傷つけないか怖くて、そして炎上が怖くてずっと逃げていました。
私は誰も傷つけない器用な文章は書けません。誰かのために役に立つ文章も書けません。ただ、自分のけじめをつけるための文章です。
私は事件後にひどいPTSDになりました。当時はそれがPTSDとわかっていませんでした。イメージとあまりに違っていたからです。
眠りにつく瞬間、気がつくと犯人が私の上に乗って私の首筋に包丁を突きつけている。手をブンブン振り払い抵抗すると消えている。幻覚だけれども現実と区別がつかない。私にかかる犯人の息も、犯人の体温も、押し当てられた包丁の冷たさも現実のそれと同じ。
私はそれからずっと眠れなくなりました。
押入れの中から音がした気がする。犯人がいるかもしれない。怖い。1時間も硬直して押入れを凝視し続け、意を決して一気に扉を開ける。誰もいない。よかった。気が緩んで振り返った瞬間、犯人が後ろから飛びかかってきて刺される。
風呂場から水の音がした気がする。犯人がいるかもしれない。長い時間をかけて誰もいないことを確認してホッとした瞬間、また背後から羽交い締めにされて刺される。
私は事件後、何十回も何百回も殺され続けました。
外に行くことができなくなりました。
このころのことはあまり覚えていないのですが、ずっとお腹が空いていたことだけは覚えています。
家の食べ物を食べ尽くしてお腹が空いているのに外に出られない。
意を決して外に出るとそこにいる全ての人の動きに注意せずにはいられない。ものすごく疲れて、ひどい頭痛になる。
怖かったのが子供と犬で、突然駆け寄ってくるそれらを犯人かと思い硬直し、なんだ犬かよかったと思った瞬間、視界の端から犯人が飛び込んでくる。刺される!手をブンブン振り回すとそれは犯人ではなく風でひらひらしているポスター。怖い。疲れる。
仕事にも行けなくなってたくさんの人に迷惑をおかけしました。ほんとうに申し訳ないです。事件のことは言っていないのでうつ病と思われたようで、ものすごく親切にして頂きました。ほんとうに申し訳ないです。
事件から(たぶん)数年がたったころ、私は当時付き合っていた夫と結婚しました。
たぶん、社会生活が送れなくなってしまった私を心配して周囲の人が勧めてくれたのかと思います。私はこのころをあまり覚えていません。
当時、記憶することができなくなっていました。
そうだ薬を飲まなきゃと思って手を見るとコップがある。あれ?私は薬を飲んだのかな?
財布がなくなってしまったと夫に言うと、「これで何度目?!」とキレられる。え? 2回目なの? と聞くと「今月4回目だよ!!!」
優しい夫が当時はずっとイライラしていました。おそらく、私は忘れたこと自体を忘れてしまうのでなんともない。一方、夫の方はそれらの尻拭いでストレスが溜まっていたのでしょう。
夫と私、どちらが言い出したのか覚えていませんが心療内科に行ってみることになりました。
心療内科に行く前にいろいろと検索をしました。記憶力のなくなる病気。事件がきっかけになってそうだけれども、該当しそうな病名がわかりません。
一番近いのは陰性の統合失調症に思えました。事件のストレスで発症したのかもしれない。そう思いました。
「レイプ後に記憶力がなくなった人いませんか?」という質問スレッドを見つけました。レイプ後に記憶力がなくなった、頭が悪くなったという人たちがたくさんいましたが、彼ら曰く数十年そのままだそうです。「これは一生治らないのか」私は静かに受けれたのを覚えています。
この辺りから記憶がかなりはっきりしてきます。この後、治療から回復編です。治らないと思ったのは間違いだったのです。
心療内科に行きました。
待合室ではエリート風の人たちがスーツ姿で姿勢よく座っていて、なんだか意外なように思いました。
問診票を渡されたのですが、渡されたことをわすれてしまう。「大丈夫ですか」といわれてあわてて書こうとするもまた忘れてしまう。
「辛いならいいですよ」いえ、そんなのではなくて、すみません、すみません。でも忘れる。「辛いならいいですから」
診察室に通され、「統合失調症だと思うのですが。。。」と話し始めると
先生は最初ちょっと首を傾けて聞いていたのですが、事件の話もすると姿勢を変えました。
いくつかの短い質問の後、「あなたはPTSDです」といって、辞典のようなものから該当ページを読み上げてくれました。そこにあった特徴は完全に当時の私に一致していてびっくりしました。幻覚と思っていたものはPTSDのフラッシュバックだったのです。
「統合失調症ではないのですか?」と一応聞いて見ると幻覚の違いを説明してもらえました。
PTSDのフラッシュバックは鮮明で現実と区別がつかない。一方、統合失調症の幻覚はもっと不条理なもの。例えば「空間が割れてそこから声が聞こえる」とか。
映画「ビューティフルマインド」で描かれた統合失調症とは随分違うようです。私はフラッシュバックを「回想シーンのように過去の映像が見える」ことだと思っていたのですがこれも間違いでした。PTSDという名前は知っていたのですが、間違ったイメージを持っていたために気がつくのが遅れてしまいました。
「事件後1年くらいなら他の薬も出すのだけれども、あなたはそれだけで大丈夫でしょう。」
「人は自然に治る力があってね。PTSDは治療しなくても一年くらいで治る人が多い」
「あなたは全く睡眠が取れていないことが問題です。十分な睡眠をとれば記憶力も戻るでしょう。」
先生におっしゃる通りでした。服薬初めて1週間でほぼ元に戻りました。
数年間生活がめちゃくちゃだったのが1週間で。最初から病院に行っていれば・・・。まあ、後から言ってもしょうがないですが。
これは本当に病気なのか?甘えと思われないか?仮病とか嘘をついていると思われたらどうしよう。
今、当時の私に会えるとしたらこう伝えたいです。
寝つきが良くなるような気がして、缶チューハイから手を出しやがてワイン、ウィスキーとどんどん強い酒へとはまっていった。
ワインは一晩でひと瓶、ウイスキーなら一晩でボトル1/3飲んでしまった。泥酔して多幸感に包まれて気絶するように眠りにつく毎日。いつしか夜が来ると嬉しくてソワソワするようになっていく。
酒が楽しくてたまらなくなっていった。依存症の自覚はあったがやめる気は全くなかった。ところがある日男ができて、そっちに関心が行くとプッツリやめてしまった。飲みたい気持ちが全くなくなってしまったのである。禁断症状のようなものは特になかった。
22歳から5年間、一日一箱吸っていた。吸い始めたきっかけは何人かの友人がヘビースモーカーで、それに影響されてしまったように思う。
当然ニコチン依存症になったがアルコールと違いこちらは早くやめようと思うようになっていた。ある時インフルエンザにかかり、高熱が出ている間体がタバコを受け付けなくなると、回復してもそのまま吸わなくなった。禁断症状はなし。再び吸いたくなることもなかった。10年以上前のはなし。
これも20年くらい、コーヒー毎日4~6杯飲んでいた。たまたま豆を切らして24時間飲まなかったらガンガン頭痛がしてきたから、ああこれはカフェイン中毒かとわかった。
面倒臭いのでやめてしまおう、と思い立ったのが4日前。頭痛は2日で収まった。今のところ飲まなくても平気なかんじ。
以上が私の依存症歴でありますがはたして依存症になっていたのかどうかわからない。あまりにもあっさり、一切苦しまずやめてしまったから。
こういうことって珍しいんですかね。アルコール自助会とかニコチン外来の記事を見ると、常習者は必ず断つのに苦しむかのように書いてあるんだけど…。
わたし男だけど、漫画やなんかでの「お前は俺のものだ」みたいなセリフが大嫌いで
これで嬉しいってのは、相当変態レベル高いと畏敬を抱いている。
自分がどのくらい嫌いかというと、怒りのあまり頭痛がするとか一睡もできないとか
これを彼女にされると、もう顔も見たくないレベルになってしまって、何を言われても
怒りが増幅するばかり、このままではDV共依存でお先真っ暗なので別れるしかないのだが
そんなこんなで、時には寂しかったり誰かをかわいいと思うことはあっても
当然、友人関係も同じで、冗談でも「俺のもの感」を出すようなのとは縁を切ってきた。
そして仕事でも右に同じ。最初の会社は先輩がそんな感じになったので転職した。
基本従順なので、こちらが切れると相手は飼い犬に手をかまれたみたいな顔をして
それがまた怒りを煽るんだな。
2社目もやはり上司が逆鱗を踏んで転職寸前までいったが、何とか配置換えで収まった。
そのあとは、幸い大人な同僚に恵まれて、心穏やかな生活を送っていた。
ただ、時間がたったせいで喧嘩した上司も含め当時を知っている上の人が退職してしまい
わたしが扱いにくい人間であることを知らない人が増えたのが気がかりだ。
若いうちなら上司と喧嘩する馬鹿とか青二才な馬鹿とかで済むけれど
40超えたおっさんが部下に対して「顔も見たくない」とかパワハラそのものである。
昨日、寒気がして微熱が出たので試しに葛根湯を飲んでみた。説明書を読むと葛根湯を飲むことで発汗が促され自己免疫力が高まるらしい。また、体を温めることで緊張型頭痛、肩こり、神経痛などにも効果があるのだとか。確かに寒気は治ったが葛根湯との因果関係はわからない。
私事だが、この夏で50歳になった。
新卒時に「嫌だな〜、これから40年も働くのか」と思ったサラリーマン人生も残すところあと10年となった。
仕事そのものは、予想に反して楽しく過ごさせてもらったが、収入はなんともだった。インターネットが普及してからは「平均」というものをググったりもしたけど、ピンと来なかった。
同じ思いの人も多かろうと思い、匿名をいいことに赤裸々にしていこうと思う。
財閥系総合商社勤務の父の元、比較的裕福に育つ。幼いころはアトピー、喘息と親には心配をかけたであろう。4人兄弟の長兄。
喘息を治す為に習った水泳はその後、特技となり、大学生の時はイントラなどのバイトをした。公立小学校→公立中学→私立付属高校→F欄私大文系。
全国展開している学習塾系の広告代理店営業に新卒で営業として入社。なぜか社長に気に入られ、直轄のプロジェクトなどを担当。2年目のボーナスの少なさに腹を建てるのと、担当したプロジェクトで出会ったデザイナー側になるべく、転職。なぜなら営業よりもデザイナーのがかっこよく楽しそうだったから。ちなみに新卒時に入った会社は今は整理され、もう無い。
その後、ベンチャーに就職し、マッキントッシュと出会う。個人的には人生が変わったと思っている。Photoshop、illustrator、afterEffect、director、MAYA、3Dmaxなどのソフトなどを習得する。ここでの報酬はそう悪くなかったが、デザインする内容に飽きてしまい、転職。ちなみに今、この会社は一部上場。
その後、転職した会社で現在に至る。組合のあるのんびりとした雰囲気で過去に大きな成功体験がありそこから抜け出せていない会社。外部から来た人間という事で割と新しい事業を任されがち。たまたまそこで結果を残し、特許を取得するなどをし一定の地位を得る。会社のリソースは有限で発言を積極的にする人間や声の大きい人間がそれを使えるんだなあと理解。
現在の役職は技術系の部署の部長。得に資格手当などはなし。現在の月収は456,590円。組合が今、闘ってくれているまもなく振り込まれるであろう賞与の額は956,907円。夏は908,100円だった。去年は103万くらいだったのになあ。あ、3月の給与には調整金の名目で8万円程度加算される。いわゆる期末賞与的な。
なんとなく年齢*万円を目指してきたけども、うちの会社の規定ではこの年令になると難しい。新卒で入った会社の最初のボーナス(夏ではなくちゃんと計算になる冬)が16万円程度だったのに腹を建てて辞めたもんだが、この年令ではそのような動機で辞めてしまうと再就職が難しいので、行動に移せない。
前述の通り、これが人と比べて多いのか少ないのかはわからない。誰もはっきりと教えてくれないし、平均では実態がよくつかめないし。俺は近所の同世代くらいの野郎がいくら貰ってんのかを参考にしたいのよ。
ちなみに妻はパートタイマーで今年は103万をちょっと超えたくらいの収入だそうです。
パートタイマーで働いてくれている嫁が1人と子供が3人いて家計が火の車なのは確かです。ってか借金地獄。子供は上から私立文系大学1年生で自宅からの通学。真ん中が公立の中高一貫校、下が公立の中学。大学は別として下2人は公立なので、世間的にはかかっていない方かと思いますが、塾!これが痛い。
また、大学生の子には奨学金を借りてもらっています。不甲斐ない父親で申し訳ない。俺自身は借りなくても住んだし、一人暮らしもさせてもらったってのにごめんな。
塾は月額それぞれ、25,000円くらいかかってる。子供が小学生のころはスイミングなども習っていましたが、+6,000円くらいかかってしまうので、断念せざるを得ませんでした。
ちなみに私自身も20代の頃から続けていたジム通いを断念。今は自宅での筋トレと近所を走ることにしています。ジムのいいところはジャグジーとかプールとかだったのですが、モチベーションや侘しさは別として年齢なりの運動強度は得られているかと考えています。ジム、行きたいけどね。時々電車の中から見えるジムの光景が眩しくて泣ける。
家は持ち家です。ローンはまだ19,259,788円残っており、月々96,404円返しています。これは金利0.857%で借り入れています。
車は1台所有。来年の車検が頭痛の種。あと来年の大学の学費どうしよ。
タイトルの通り。自分のための覚書みたいなところもあるので長文。
【退職までの経緯】
サービス業なので土日祝は出勤。曜日固定平日休みのシフトだったが自分にとっては趣味を継続する上でメリットが多かったので良かった。しかしその曜日休も時が経つに連れて取得が困難になり、振休も取れなくなっていった(本当は振休って取得予定日が決まってなきゃいけないらしいね。その分の代休手当はついてなかった)。
売上低下に伴い本社から人件費削減を強く言われ、社員で回すところをアルバイトで賄ったり、3人で行う業務を1人で行ったりといった手段を取らざるを得なくなった。お客様対応で売り場に出ている時間は勤務時間とカウントされたが、売上管理や棚卸し、アルバイトのシフト組みなどは業務ではなく趣味でやっているものなので給料は出さないというスタンスだった。当然「事務仕事は無給」なんて社内規定にも載っていないからそんなスタンスは無視してタイムカードにつけて残業申請していたら、ある時から上長に怒られて残業申請が通らなくなった。上長いわく「あなただけに例外を適用するようなズルい真似をすることは出来ない。」らしい。確かに他チームの部長と飲みに行ってもいかにサービス残業をしているかの自慢大会になりがちだった。
経費削減は大事だけれど、従業員を大切に出来ずに良い商品やサービスを提供できるだろうか?人件費をより割くことで提供できるものの質が上がって売上が人件費より上回る、ってことは考えられないんだろうか?
そう考えながらも提案する余裕もなく業務多忙で休日もサービス出勤していたら本格的に体調を崩した。このタイミングで退職を決意。
一般社員はおろか部長クラスもどんどん辞めていっていた流れでの辞職だった。会社としてもこれ以上の人材流出は避けたいだろうし、引き止められるだろうな…と覚悟していたが、割とあっさり話は通った。表面上の理由は体調不良オンリーなのでアルバイトや部下社員にもすごく心配された。君らも早く逃げなよ、と言いかけて飲み込んだ。
体調不良で退職した(本当はそれだけが理由ではないが!)ので、ニートになってからはしばらく自分のやりたいことをやろう。そう思っていた。
いざ何もしなくていいとなると不安が襲ってきてどうしようもなかった。自分がこうしてPrimeVideoをゴロゴロ観ている時間にも同級生・元同僚はバリバリ働いていて、自分は逃げ出した情けない人間で…などと考えてしまっていたから。
在職中はろくに睡眠もとれていなかったので、まずは規則正しい生活を心がけるようにしつつ、上記の不安を抹殺するために資格をとることにした。もともと学校の勉強は好きだったので、そうして資格のための勉強をすることで自尊心を保っていた。2ヶ月の勉強の末その資格には合格した。実務に役立つものではないが話のネタになったし、この時勉強してなかったら心折れてたかもしれん。
とはいっても自分自身たいしたスキルはないし、前職が少し変わった仕事だったため同業界で攻めることがしづらかった。ハロワやエージェントなどを頼りながら何をすべきか模索し、「未経験者歓迎」の求人を片っ端から受けてみることにした。不動産営業、総務、商品企画、英会話教室の運営、保険屋、Webデザイナー、学校法人、博物館解説員、デバッガー、印刷オペレータ、映像制作会社、写真屋、学習教材コンテンツ作成、塾講師、ECサイトカメラマン…これでも一部。もちろん全部が全部面接に行けたわけではないが、面接に行けたところは求人を眺めているだけでは知ることが出来ない雰囲気が分かったので面白かった。もちろん不採用の連絡には毎回心を痛めたが。
そんな中、大手求人サイト経由で見つけた印刷業界の会社を受けた時に考えを改めさせられた。
求人内容は「未経験者歓迎、広告印刷業、素材データ管理の仕事、業界では稀な残業少なめな会社です!」といったところ。
書類通ったらラッキー、くらいの気分で応募したので面接アポの連絡は嬉しかった。
指定された場所に向かうと、採用担当の方が案内してくれた。応接室に着くや否や2枚の書類に記入をお願いしたいとのことだった。1枚は個人情報についての同意書。昨今こういうのうるさいから扱い大変なんだろうな。これは他社でもよくある。2枚目、質問シート。質問項目「過去に賃金で揉めたことはあるか」「既往歴はあるか」「家族の職業は」「裁判を起こしたり起こされたりしたことはあるか」「下痢アトピー頭痛等あるか」「暴力事件を起こしたことはあるか」「パワハラ・セクハラで揉めたことはあるか」などなど。答えたくない質問もあったが就職に不利になっては困ると思いすべて記入した。
記入漏れがないのを確認されたら他の面接官も入室してきた。聞かれた質問は無難なことばかりでスムーズだった。最後に応募者から質問はあるか、とのことで「残業少なめ、とは具体的にどんなもんか」を聞いた。面接官が笑いながら「広告業だよ?がっつり残業あるよ?その日中に帰れなかったらソファとかあるからそこで寝られるよ。あれ信じちゃった?wwww」と回答。うそでしょ。もう一つ掲載内容について質問したがそれも他部署の話で今回採用する人には適用されないとのことだった。
内定もらったが即断った。ハロワにもチクったけど「掲載内容に虚偽があっても法は犯してないから動けない」と虚しい回答を得るのみだった。
そこからは掲載内容を鵜呑みにすることなく活動を続けた。何社かからは内定を頂いたが面接時の違和感などから辞退。
なんとか45社目の応募で採用が決まり、転職活動に終止符を打った。
【一連の活動を終えて思うこと】
上にも書いたように事実と異なる条件での求人が載っていたり、人材派遣会社の求人ばかりヒットしたりする。使うな信じるなという話ではなく、情報源を一箇所に絞るのは危険だということ。所詮求人サイト側からみれば自分は商品であり客なのである。中途採用に限らずだが、商品として良いように使われちゃってるという意識をどこかで持っておいてもよいのかも。管理は大変になるが複数の求人サイトに登録し、別のホームページやパンフレットなどからも情報収集すべきだと思った。
・似たような会社でも違いはある
事業内容や規模が似通っている会社でも実際面接に行ってみると雰囲気が真逆だったりする。そこも踏まえて最後は自分の目で確かめるべき。普通に生活していたら会えない人たちと話して会社見学できるという意味で転職活動中は貴重なタイミングだった。
これは好みの問題もあると思うけど、若い面接官が終始タメ口で不快だった。
・固定残業代について
固定残業代30H以上になってくるとヤバイとか言うけど、これは正直よくわからん。きっちり勤怠の管理が出来ている会社なら何ら問題ない(むしろ無駄な残業が減るので推奨されるべき)と思うのだが「30H分払って定額働かせ放題」だと勘違いしている経営者の元だったらヤバイ。その判断は入ってみないとわからないかな。正しい理解が広まりますように…。
「採用側からしてみれば三ヶ月で賞味期限きれるぞ」なんてエージェントに脅されたし求人サイトにもそう書いてあるけど、これには懐疑的だ。たしかに3ヶ月も転職活動して決まらない人は難ありなのではと警戒して応募群から除外する気持ちもわからんでもない。実際受けていて思ったのは、確かに面接で突っ込まれるけれど「仕事忙しかったので辞めた後ゆっくりしてましたー」で全然余裕だった。そこで嘘の理由言ってもメリットないし、本当の理由言って弾かれるくらいなら考え方の違いからどのみち長く働けないだろうし。
誰かがそう言っていたけれど、その通りだと思う。選考段階で聞けることはなるべく聞いたほうがいいが、そうは言っても落とされたくない気持ちだったり雰囲気的に言いづらかったりで聞けないこともある。質問できたとしても入ってみてから気づくことだってきっとたくさんある。転職はガチャだ。自分の努力でどうにかなることもあるが上司や同僚など運ゲー要素もある。だからもし入社後とんでもなくガチャの引きが悪いことに気付いたら、もう一回くらい回してみるのも悪くないと思っている。ほら、これからは採用難で人手不足の時代って言うし。ちゃんと転職の経緯さえ話せればきっと理解される、と思っている。
元々ADHDとして生まれた時点で人生詰んでたのかもしれない。
10歳になる前くらいにADHDと診断された。それから約10年がすぎ、自分は会社員になった。志望業界ではなかったものの、関心がある分野の中でもそこそこ大手グループの企業に入ることが出来た。Fラン卒でADHDの自分からしてみると就職しただけでも奇跡である。
入社先はホワイト企業だった。残業は少ないし、ボーナスはないけれど新卒の割に給与は高かった。自由な社風で名が通っており、社員はWANIMAのように明るい。酒好きが多く、季節ごとにBBQがあるような会社だった。入社前の懇親会で、同期のギャルがエンジニアの社員を陰キャ呼ばわりしていたり、研修でギャルがエクセルのオートフィルが出来ただけで褒められていたくらいしか嫌なことはなかった。同期にどんだけギャルがいるんだこの会社。陰キャの自分は案の定同期から浮いていた。だけど、頑張れる気がしていた。というか頑張るしかなかった。
春の研修を終え、夏の頭に今の部署へ配属された。配属先は顧客対応を主に行うところだった。対面ではなく電話とメールでの業務が多く、いわばコールセンターみたいなものだ。配属の理由はタイピングが速いというところに適性を見出したかららしい。まあ陰キャのオタクだからな。同期にはオートフィル褒められギャルもいた。
結論から言うと、タイトル通り詰んだ。業務が合わなかったという理由が大きい。のちに知ったが、コールセンターはADHDにめちゃくちゃ合わないらしい。それに近しい業務をしていた自分の発達は派手に障害しまくった。
まず電話対応で詰んだ。急な刺激に弱い為、電話をとることすら苦手だった。日常生活でも必要最低限しかしたことがない。また、顧客の話を聞きながら理解し、ご案内をして、かつパソコンで相手の状況を確認しながら手続きや作業をしなくてはならない。マルチタスクの鬼だった。ADHDはマルチタスクが苦手だ。テレビを見ながら歯を磨くのだって難しいのに。電話の音が鳴ると今でも心臓がバクバクする。俺のiphoneはもう何年もマナーモードのままだ。多分、この先一生解除しないだろう。
メール対応はまだ大丈夫だった。ADHDゆえにケアレスミスをしてしまいがちだったが、相手の言い分を理解する余裕もあるし状況を確認する時間も十分にあった。だが、作った文言をチェックされると「間違ってはないけど正しくない」と指摘されることが多かった。頭では理解しているつもりでも、アウトプットが下手だというフィードバックも受けた。一か月後、予定されていたフィードバック自体が自然消滅し、どこがどう間違っているかも、自分が正しいかもなにも分からなくなっていた。
ADHDによる苦しみは他にもある。日中の眠気だ。ナルコレプシーとまではいかないが、ふと急に意識が飛んでしまうことが昔からあった。集中力のなさゆえに起こるらしく、この現象はADHDに多いらしいが原因は不明だ。しかし、仕事ではそんな言い訳は通用しない。その件で人事から呼び出しを喰らった。この頃は実家から約2時間かけて通勤しており、朝5時に起床していた為睡眠不足が続き、睡眠障害に陥っているとだけ話した。往復4時間の通勤中や帰宅後を含め、日に約6時間は睡眠は取れていたが、便宜上こう言うしかなかった。自分が発達障害であるとだなんて言えるわけがなかった。
面談の結果、とりあえず通勤時間を短くすることになり、翌月には会社の近くに引っ越した。そのタイミングでコンサータも服用し始めた。日中の眠気は減り、集中力も上がった。だが、相変わらず仕事は上手くこなせなかった。一方、同期のオートフィル褒められギャルはガンガン電話に出るようになり、メキメキと成長していた。他の同期たちとも仲が良さそうだし、他部署からも可愛がられていた。その陰で俺はコンサータの副作用により食欲が減退し、頭痛にも悩まされていた。与えられた業務はなんとかこなしていたつもりだったが、相変わらずフィードバックはないまま、見えないケアレスミスだけが積み重なっていった。
それでも一社員としてどうにか頑張りたかった。隙間時間に業務の勉強はかかさなかったし、先輩に沢山質問した。顧客の理不尽なクレームやきつい言葉にもなんとか耐えた。複雑な業務にも関わり、謝罪だけは上手くなった。合わない業務も社会勉強のうちだと思うようにした。WANIMAのように陽気にはなれないが、同期とは出来るだけコミュニケーションを取るようにした。過去の資料を読み漁ったり、普段読まない仕事用の自己啓発書を手に取るようにもなった。
しかし、どう頑張れど同期との差、健常者との差は歴然だった。やはり業務が合わないせいか、同期たちに比べ成長は遅かった。それゆえ、何をこなしても自信を持つことができず、面談では上司や人事にネガティブすぎると言われた。成長も遅いしこれ以上業務を任せるのは難しいとも言われ、さらに同期との差が開くようになった。面談のついでに、自然消滅したフィードバックについて相談した。その翌日、なぜか担当の先輩ではな、人事越しに3か月くらい前のミスを指摘された。どうやら自分はフィードバックをしていただけるほどの身分ですらないらしい、とこの時思った。ただただ情けなかった。その日から会社の個室トイレで毎日泣くようになり、社員証で自分の首を絞めるような自傷行為をするようになった。飲酒量も増えた。インポにもなった。そんな不安でクソみたいな毎日が続く中、ある日通勤中に倒れた。救急車の中で会社に欠勤のメールを送った。
うつ病と診断された。身体に異常はなく、ストレスによる腹痛で倒れたらしい。ADHDによる悩みからストレスが溜まっていると言われた。一応会社には報告したが、以前からの睡眠障害によるストレスが原因ということにした。その後、体調不良という理由で単純作業のような業務しか任されなくなった。申し訳なさと無能感に襲われながらもとりあえず一週間働いた。つらすぎて休みの日にODした。ラリりながらも、鼻水とよだれを垂らしながら「死にたい、しごといやだ、やめたい」と子供のように泣いていた。本音の涙を流したのはいつぶりだったのだろうか。
翌週、医師と会社に勧められ一か月半ほど休職することになった。こんなにも嬉しくない休みは初めてだった。寝ても変な夢しか見ないし、食欲はあまりない。貯金もなくなった。仕事のストレスと将来への不安。逃れられないADHDの苦しみ。何より人生で初めてニートになったことが恐ろしかった。
学生時代はずっとアルバイトをしていた。最大で4つ掛け持っていたこともある。働くのが嫌いなわけでもなく、むしろ好きだったくらいだ。たまにケアレスミスはするものの、今ほどつらくはならなかった。必要最低限の電話も出れていた。よく働き、頼りにされることも多かった。
それでも、今の会社だけはどうもだめだった。というか、配属先が悪かった気がする。業務が合わないだけでこんなに苦しむと思わなかったが、簡単な電話すら取れない自分がダメなだけだろう。昔から人並みに物事がこなせなかった。大人になったらどうにかなると思っていたけれど、全然どうにもならなかった。大人になると許されないことのほうが増えた。自分はきっと配属先においての行いが社会で許されるものではなかったのだろう。
ひとつだけたしかなことは、この地獄から誰も助けてはくれないし、誰も救えないということだ。この会社を受けたのも、働くのを選んだのも自分自身である。そもそもADHDということを隠し嘘をついて働いてきたから罰が当たったんだ、と思うようにもなった。ADHDは悪くない、嘘をついている自分が悪い。
休職期間を経て、最近復職した。戻っても意味がないとわかっていながらも、休職により金が尽きたので、医者に無理を言って診断書を書かせた。ほぼヤケクソな状態で働いている。やっていることは休職以前と変わらない単純作業。体調を気遣ってくれているらしい。腹を割って話せる人は誰もいないが、相変わらず優しい人たちが多かった。同期のギャルは立派に先輩たちと業務をこなしていた。休職中も苦しかったけど、復職しても苦しい。職場に戻ってから、出勤するたびに身体中のありとあらゆる内臓がせりあがり、口から飛び出そうな感覚に襲われるようになった。
転職についても少し考えるようになった。職場が合わなければ職を変えればいいじゃない、とマリーアントワネットみたいなことを周囲に言われる。だが自分はケーキの選択肢がない貧民の立場と変わらない。転職も逃げでしかないし、また同じことを繰り返す可能性もある。そう考えると怖くて動けない。会社がブラック企業だったらやめる言い訳も決心もついたのに、とも思う。職場は前述の通りホワイト企業だ。そこのお荷物になっている自分がつらかったし、気を遣わせている職場の人間にも申し訳なかった。申し訳ないまま今も働き続けている。
来年には新卒が入社してくる。それまでに/春までに変わらなければ、どうにしかしなくてはと焦せるばかりだが、何も動けてはいない。昔はどうにかできる、どうにでもなる自信もあったが、今はもうなくなってしまった。今まで何が好きだったかも、何が出来ていたかもわからない。インポもケアレスミスも治らない。将来も見えない。職場でのキャリアも、プライベートも全部終わっている。あと少しで今年も終わってしまう。もうすぐ、23歳になろうとしている。
なら痴漢にあった男は乗れるのか?
屁理屈はやめろ。
男特有の理由で頭痛がひどくて男が休ませてもらえるなら分かるが、そんなことはない。優遇。
「男は泣いちゃいけない?」それも、男が作り出したものだ。
「男が作り出した」=「優遇でない」なんておかしいにもほどがある。
大抵の優遇はどっかのアホ男が作り出したもので、善良な男がとばっちりを受ける。
なら曜日ごとに男が得な日もなきゃいけないよなぁ?
それどころか「男立ち入り禁止」な店がどれだけあるか。
これからは首に「私は嫌儲とはちまに踊らされる情弱はてブ民です」って書かれた板かけとけよ
quick_past そもそもセックスのなにがあかんのだろう。普段、あれほど性を否定するな、性を規制するなと言ってる人たちが、これだもんなあ。
zire はあ…あまりに馬鹿馬鹿しくて言葉にならない。性教育の重要性は勿論だけど、結局は「性的嫌がらせ」が大好きという人格の問題が大きいと思う。これだけ情報溢れる社会で「知ろうとしない罪」はそんなに軽くない。 医療
mukudori69 確かにな…2次元の性強調表現を礼賛しその規制を疎む人と、声優さんの当たり前の性行動(生理管理、恋人を作る、結婚する)を叩く人ってある程度被ってる気がする/叩いてなくても話題にする時点でなんで?感あるわ
hajimechan0323 女性の生理は悲しいが男性にはなかなかわからない。出産同様に味わったら悶絶するんだろうな。叩いてる男性は私からみても基地外の部類だと思う。
hyoutenka20 フェミニスト案件だと一部の発言拾ってはtogetterとかでまとめて属性全体を叩く、というのを散々見てきた以上、今更違う案件では声優ファンにそういうことはないとか関係ないとかいう意見を見ると微妙な気持ちにはなる
kingate アイツラに通じるわけがない。
kori3110 そんなんで叩く人がいるという事実に衝撃を受けた。「セックスはしたいけど女性の体の仕組みには興味ありません」なんて通るか、と思う。そういう知識にアクセスする術を封じた国の教育のありようも問い直されるべき
poyopoyojinsei 多分この炎上騒ぎ?のおかげで、「本当に知らない人」って存在するんだなと実感した。性教育の失敗例?準備ができてないと、服や椅子を汚したり、生理痛で思うように活動できず予定が狂ったりするものなんです 女性
nlogn 「今日はダメな日なの」と拒否された人たちなのでは。あるいは「今日は大丈夫よ!」と2次元が言うストーリーしか思いつかない人か。
pon_pom 二次元オタクのエロ至上主義と処女信仰がなぜ喧嘩しないのかというとどちらも女性性を支配したいという欲求から来るものだからなんだろうな。
superabbit ルナルナ程度で叩く人って中学生くらいまででしょ。保健体育の教科書をエロ本扱いしてるレベルの。さすがに大人でこれは頭痛い。
はてなブックマーク - 「きちんと管理していることで叩かれるなんて…」生理日予測アプリの“中の人”が思うこと
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/lunaluna-nakanohito
私はいつものようにロキソニン飲んで親の世話してた。愚痴る気力もなかった。それを自分の耳でまた訊くのさえつらい。
限界が来て倒れたときは、入院先で(痛み止め点滴しないとリバースしてしまうのでロキソ飲めなかったため)
先生は優しかった。あなたは優しいので無理してるんだとも言ってくださった。入院先で泣いた。
痛み止めはしょっちゅう通えないのでと、整形の先生に言って多めに出してもらってたので
たくさんあったけど毎日飲んだので、痛みは消えたけどフラフラだった。自分でも頭動いてないなと判る。痛み止めが効いてるんだから寝てればいいのにね。
私は愚痴らないので、勝手に嫉妬ばかりして嘘ばかり言いふらす人たちは
私をナマケモノみたいに言ってたのかもしれない。
痛み止めで眠いし頭が回らなかったので、脳にはブドウ糖必要だなと思って甘いものも食べてた。油は摂ってなかった。
そりゃふらふらになる。
見舞うといきなりふっと我に返った父は「お金ないだろう、大丈夫か、お金持ちの知り合いはいないのか」
借りたりしたら友情終るよ。お金持ちの友人なんてお金にキツイに決まってるでしょう。そうじゃないと貯まらないんだよ。
よっぽど立派な仕事が出来る人でもない限り。