はてなキーワード: 軽蔑とは
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https://anond.hatelabo.jp/20200928003432
就職してから私の夢は、結婚することと一軒家を持つことになっていた。
幸運なことに働き始めて数年後、結婚相手が見つかった。その上、結婚相手は家を持っていたのであっけなく自分の夢は叶ってしまった。
世間的に見れば幸せだと思う。私も夢が叶って幸せー‥なはずだった。
でも何か満たされない。
それは、かつて自分が軽蔑することで生きるモチベーションにしていた旧女性観に、今の自分が満足しているからに他ならない。
成し遂げようと思っていた仕事の方は、自分が満足できる成果はほぼゼロに等しい。
営業成績は悪くないが、諸々の件でやる気が削がれており、辞めようと思っているが辞められていない状況。このままぶら下がるしかないのかもと思っている。
一体どうしてこうなってしまったんだろうか。
そして、私はどうしたら自分のアイデンティティを再獲得して、また充実した人生が送れるようになるのだろうか。
最初から適当にやりすごすつもりで給与の高い大企業に入っておくのも手だったと思って後悔している。同期の動向を見ると落ち込む。
いや、穴っていうかスタートできてないが正しいですが。
そもそも元増田は性犯罪の履歴があるのに女性に近寄れるヒスブルなどがいることへの疑問なのに、
簡潔に言うと「性犯罪者なんて軽蔑すべき」という世間に普遍的な認識があることから「性犯罪者の人生なんて終わってるだろう」という推測をしています。
といっても、元増田の「性犯罪者(君が言うには人生が摘んでる、終わってる)にもかかわらず結婚したり女性と付き合う人間がいるのはなぜか」という疑問を拒絶してるだけです。何の根拠もなく。
「1+1を3と定義すれば、1+1は3である。太陽が昇る方向を西と定義すれば、太陽は西から登る。」以上のなんの情報もないです。
あなたは
と、モテる性犯罪者と人生詰んでる性犯罪者(そしてあなたの追記によれば性犯罪者全体を指す)を比較しています。ところが、
性犯罪者の円の中に「モテる」というサブセットがあります。性犯罪者の外にも「モテる」という円があり、それは性犯罪者の中にあるものよりもサイズが大きいです。
と言い換えています。これはモテる性犯罪者とモテる性犯罪者以外の話です。話が変わっています。(そもそもこれもソースがありませんが。)
まぁソースはありませんがこの主張は正しいでしょう。ただし、それはモテない人間にしてもそうです。
モテない性犯罪しない人のほうがモテない性犯罪者よりサイズが大きいです。
結果、モテようがモテなかろうが性犯罪者は少ない、という結論にしかなりません。
どうもあなたは自分の主観と客観的事実の区別がつかない方のようです。
一回冷静になって、頭の中を整理してはいかがでしょうか。
やはりそこがこの論の穴ですよね。
まず、定量的なソースはありません。簡潔に言うと「性犯罪者なんて軽蔑すべき」という世間に普遍的な認識があることから「性犯罪者の人生なんて終わってるだろう」という推測をしています。
また、「モテる」「人生詰んでる」という曖昧で対にはならない属性をならべているのもポイントです。
頭の中に人間を分類するためのベン図を描いてください。性犯罪者と「人生詰んでる」が重なります(ここがミソ)。性犯罪者の円の中に「モテる」というサブセットがあります。性犯罪者の外にも「モテる」という円があり、それは性犯罪者の中にあるものよりもサイズが大きいです。
8月に湾岸でポルシェのGT2RSが起こした死亡事故について週刊誌が容疑者のプロフィールを暴露していたのを読んで「ああ、やっぱり」と思ったので、この機会に自分が知る「この手のスーパーカーを所有する人たち」について3つのカテゴリーに分けて全体に対する比率(自分の主観だが)も併せて書いておく。なお自分も跳ね馬を一台持っている者だ。
規模の大なり小なりはあるが、とりあえず一代で商売が当たって、憧れの車種を買った人間たち(自分はここに属している)。中小企業経営者が多い。このカテゴリに属する人間たちの傾向として、「車種」に対するこだわりが強く、小金持ちになったステータスとして高そうな車の中から気に入った車を選ぶのではなく「いつか〇〇社の〇〇が欲しい」とずっと思っていて、その夢を叶えた者たちである。
車の維持費もぽーんと出すんじゃなく、実は身を切る思いで捻出してるし、段差とかで擦ったりしたらハンドルを持ったまま小さく悲鳴をあげたりするし、高速道路の飛び石で傷がついたりしたら半べそかきながら我が子の髪を洗うかのように拭いたりしている。サーキットの走行会なんて半年に一度行くか行かないかで、行っても直線でちょっとだけ全開にするだけで大満足だ。
それでも人並みに承認欲求はあるので、おしなべて皆みんカラのアカウントは持ってるが、そのわりに友達もコミュもそう多くない。
とにかく大事に大事に乗ってるので、中古市場でよくあるショップの騙しではなく、本当に状態のいい個体が出てきた場合、前のオーナーはこのカテゴリーの人間で、しかも泣く泣く手放した個体と思っていい。
成りあがりAに比べると当てた一山が大きく、簡単に言うとAより金持ちである。名の知れた企業を一代で築き上げた経営者(あくまでイメージだけどZOZOの前澤氏みたいな人を想像して欲しい)もいるし、グループ規模に拡大した水商売経営者や芸能人、最近ではユーチューバーなんかがそうだ(あとは半グレ系?)。彼らの傾向として車は「まあ好き」であり、車種にこだわりはあまりない。彼らにとっての車とは夢ではなく「何かいいじゃんこれ」で衝動買いするものである。
維持費は特に気にしないし、雰囲気で乗ってるからあまり飛ばさない。したがってサーキットの走行会に現れることもあまりない。彼らも一応は大事に乗るが、彼らが大事に乗るのはリセールバリュー、つまり投機的価値も含めて下取り価格を落とさないためである。そのあたりがやはり彼らも成りあがりなのだ。
スーパーカーはすぐ壊れる。もう国産車じゃ考えられない所が考えられないような理由で壊れる。Aだと修理工場からの連絡をスマホの前で正座せんばかりにソワソワと何週間も待つが彼らは、あまりにそれが続くとさっさと下取りに出して次の車を買う。
コアな車好きとまでは行かない者が多いためか、みんカラのアカウントは持ってたり持ってなかったりで、持っていてもまったく更新されず「車を手放したのかな?」と思ってたらツイッターの方で活発に画像を上げてたりする。そして彼らもまた、友達もコミュもそう多くない。
※ここで前もって断っておくが御曹司と呼ばれる人種そのものに対して言ってるのではない。そのヒエラルキーに生きていながら、いまどきスーパーカーなんぞを乗り回す者たちのことだ。
高級車の中でも、スーパーカーを乗り回すのはこのカテゴリーが一番多い。親の代からの医者、親の代からの弁護士などの士業を始め、賃貸物件をいくつも持つ大地主、関西方面になると宗教関係が増える。言わば「生まれながらにしての勝者」だ。みんカラ率は高いが、主に走行会が多く、もっぱらInstagramで大皿にちょこっと乗っかった料理の写真を上げてる方が多い。
彼らに共通しているのは、そもそも裕福な家に生まれているので教育水準が高い者が多い。留学などの海外経験もあるし語学に堪能な者も少なくない。もちろん箸にも棒にも掛からず親に守られたまま大人になったような者もいるが、そういうのは比較的少数派で、この御曹司カテゴリの中もで少しずつ仲間外れになっていく。
このカテゴリだが、高い教育水準で身に着けたその知性と教養に反比例して、なぜか情緒と倫理が中高生くらいで止まっている。なんと言うか…幼稚なのだ。ざっくりまとめると絵に描いたような鼻持ちならない人種、そう、ワンピースに出てくる「天竜人」みたいな人たちだ。一言で言えば「傍若無人」である。この傍若無人さだが、他人のことなどお構いなしという傲慢さではなく、文字通り「傍らに人無きがごとく」である。ようするに他人を認識していないのだ。居酒屋でイキってるちょっと規模の大きな大学生のサークルをイメージして欲しい。
彼らはよくトラブルを起こす。自分が目の当たりにしたので多かったのは、ミーティング会場にしたレストラン、そのレストランの駐車場、高速のパーキングエリアなどだった。俗に言う(貧乏育ちの俺がこの表現使うのはおこがましいのだが)一般人からの、注意、クレームに対して逆上するのだ。「余に意見具申するか下民が!」とまさに天竜人のように。
たとえばガソリンスタンドを思い浮かべて欲しい。公道からそこに乗り入れるときにあなたの車が段差でこすってしまったとする。あなたはどうしますか?前述カテゴリ1である自分はその場で悲鳴をあげ給油前にリップスポイラーの傷を確認し、費用を鑑み修理するかどうかしばらく悶々とする。カテゴリ2の人間はたぶん「ああっ!…まあいっか」となる。ではこのカテゴリ3の人たちはと言えば、まず店員を呼びつけて「こんなに段差があるから自分の車に傷がついた。他にも被害に遭ってる客はいるはずだ。だいたい何でこういうのに配慮して段差を最小限にしないんだ、ガソリンスタンドなんて今青息吐息のくせに」となる(実話)。そしてあわよくば弁償すらさせようとする。ようするにこういう人間達なのだ。仮にも「先生」と呼ばれる職業であるにもかかわらずだ。
こういう人間たちが自分たちのヒエラルキーが通用しないトラブルが起きたときにどうするか?具体的に言えば警察沙汰である。主に事故である。彼らは事故を起こしたとき、警察よりも先に弁護士に電話をかける。よくツイッターで見かける「友人の弁護士」なんて真偽不明のものではなく、本物の弁護士の連絡先が彼らは普通に出てくる。友人のなんて言うふわっとした関係ではなく「代理人契約を視野にいれた」付き合いである。そもそも友人の弁護士による弁護なんて裁判所が認めるか甚だ疑問だ。
余談だが彼らの中には何人か、高校や大学時代に、自らが「やんちゃ」と矮小化するトラブルを親の雇った弁護士に解決してもらった経験がある者がいる。
あとは文字通り「弁護士に任せています」で終わりだ。刑事事件だと多少はめんどくさいことになるが、それでもだいたいは書類送検止まりか悪くて執行猶予である。これが民事だとしたら弁護士に依頼した時点で確実に終わりだ。あとは家の中にこもってコーンズから送られてきたカタログのページを平然としてめくっていればいい。怪我だろうが死亡事故だろうが弁護士は事実関係で争えない以上、執拗に和解に持ちかけようとする。そして大抵は和解になる。
おそらく彼らは親がそうやってトラブルから身を守る所を見ている。あるいは自分が起こした、被害者のいるトラブルを、親の雇った弁護士に解決してもらった経験がある。鼻持ちならないが、彼らにとってはこれは「当然の権利の行使」なのだ。
話を今回のポルシェ男に戻す。スーパーカーのオーナー達を多く見て、付き合ってきた自分として、この男はカテゴリ3の、なおかつ自分は箸にも棒にも掛からぬ存在だが、親と家に守られて歳を重ねて来たタイプと見た。彼はきっと今頃はとっくに保釈されて家で過ごしていると思う。なぜなら逃走する理由もなければ隠滅する証拠もないから。そして弁護士が遺族に和解の交渉をしているはずで、本人が被害者の家に謝りに行くなんて絶対にない。絶対にだ。
悲しいけど、悔しいけど今回の被害者の方たち、そして遺族の人たちは泣き寝入りするしかないと確信する。だからせめて和解金ふっかけるくらいはして良いと思う。幕引きのためなら彼らはおそらくポンと出す。
なぜ自分がこんなエントリを書こうと思ったかと言うと、今回のポルシェ男は息子が同乗してたと知ったからだ。息子は父のしでかしたこと、そして幕引きに至るまでの振る舞いをどう感じるだろうか。心底軽蔑して自分はそうならないと固く心に誓うか、それとも「なるほど、俺んちはこうやれば謝らなくても片がつくんだな?」と思うか。
どこまで自分を言い表しても
絶えず浮かび上がる恐怖本能
自分が判断し行動することすべてにおいて否定的な感情感覚衝動思考が
止めどなく現れ、結局こうなるんだ。
将来のやりたくないことが多すぎてもういやになっちゃって。
なんでそんなに未来を見てしまうのか今を生きることができないのか
でも今ココに向けたら向けたで未来はこれでどうにかなるのかという不安が
止めどなく溢れてきて視界と意識がジャックされて思考がタイムスリップしてあり得る
表現せども、口に出しても
止めどなくひたすらあふれ出でる源泉のようで
蓋を閉じることもかなわなければそれに意識を向けず無視するのも難しいの。
一度最悪なifを考えてしまったらもうそれが現実に起こり得るかのようで
僕の遺伝子で設計された死を防ぐための行動が自分の人生で死ぬまでにやりたいことを
阻んでしまってる。
恐怖本能の意のままにされてる。
限りなく低い。
圧倒的に進化が追い付いていない。
前頭葉を介することが出来ず
こんな人生を俺は望んじゃいない。
幾度となく度重なる自己批判が湧いてくる。
知った言葉の中で難しそうな言葉を選んで書くことによって自分はこんなに
言語知性があるんだと思い込んでやってるのか?そんな
みたいな。
思考が沢山、それこそ無限ともいえるほどに出てきてそれが真実だと捉えて
何一つ現実に、周りに周囲に、皆に世界に影響を与えることもできずに
何一つ介入できず、ただただ席に座り傍観者のように自分や周りを見ている。
一切の合理的な行動を取らずただただ気分や感情にさらされコントロールされる自分を
唯々見ることしかできないで
ここに行きたいんだけどこいつらが脅すからその目的地に着けないみたいな。
でも実際はハイジャックは実銃じゃなくて、脅しはするけど打てずに害を加えることもできない臆病者であることを知っているにもかかわらずに
それらの知識があるにも関わらずそれに対する有効な手立てを打てない自分が腹立たしくて
ちょっと進んだと思ったら下がる。
そしてその下がる要因を突き止めることが出来ずなんども考え思考し施策し実行し
すごい勢いで後退して…
それを何度も何度も繰り返して
ありとあらゆる精神的苦痛を味わいしゃぶりつくし噛み砕き飲み干しても次から次へと責め苦が
なだれ込んできて咀嚼することも困難になって息すらまともにできずただただ絶望に瀕して
嗚咽を漏らすだけの人形になってて。
分かってるのに理解してるのになぜか体が動かない。
そんな気分でさ。
例えるならさ、ロボットを操縦しててさ。
右手を動かすレバーをひっきりなしにあげさげしてるのにうんともすんとも言わないイメージ。
なによりこれだけ自分の状況を言葉に置き換えたとしても、この連休中に
自分のためになることを9割出来ていない自分が変わることは無くて
過去を悔やみ未来を嘆き今に生きず、ただ最悪のifを永遠とヘッドマウントディスプレイを被って見せられてる感覚でさ。
乗り越えたいのに無視したいのに、
それでも俺は人と絡みたい人と関わりを持ちたい良い影響を与えたい良い関係を築きたい。
良い介入をしたい、ただただ世界をよりよくしたい。
そう思ってるのに思ってるのに何もできずただただ嘆くことしかできない自分はこれ以上何ができるんだと。
わかってるよ。やる、出来なくても全力でやって死ぬってことは決めてる。
ただただ、ただただできない。やれない。行動ができない。不安すぎて、恐怖が強すぎて。
この行動をしたら誰かに批判されるのではないか否定されるのではないか
拒否されるのでは拒絶されるのではいじめられるのでは馬鹿にされるのでは
軽蔑され侮辱されるのでは、痛めつけられるのでは人権を剥奪されるような惨い行いをされるのでは
そういう不安で恐怖で何も考えられなくなる感覚が多々あってね。
最近やっとそれを感じなくなったと思ったら自分が突然制御不可能になって。
未来に起こる多大なるストレスに不安を抱いて今に生きれず今の時間を有効活用できず
有効活用できないから未来が良くならず良くならないから未来を憂い今に生きれず
この負のループを描いてるのも間近で見て何とかしなきゃって言ってるのになにもできない。
こういうたとえ話や状況を把握して言語化してるのにも関わらず、
まともな認知機能を行使するまでもなくただひたすら遺伝的に設計された進化する上で必要
な要素を組み込まれたタンパク質等で構成された肉塊が意思を持たず単調なプログラミングの元動いてる
生命体になってる気がしてさ。
それはもう虫と変わらないんじゃないかなって思ってさ。
喉に小骨が引っかかっている感覚がある。いや、小骨なんてものじゃないのかも。太くて大きいものが引っかかっていて、一度書き出してみないと先に進めない気がした。まとまりがない文章になると思うけれどとりあえず書いてみようと思う。
新型コロナを筆頭に「生きているといろんなことが起こるな」と実感している2020年。自粛自粛で体感何もできていないように感じるけれど、振り返ってみると世間にはトピックスのたくさんある年だなと感じる。
個人的なことでいうと高校生の頃から約20年間応援しているバンドのボーカルが結婚を発表した。
ファンの間では、発表していないだけで結婚していてもおかしくないと思われているようなタイプのバンドだっただけに、結婚、かつそれを報告してくれたことに言いようのない喜びを感じた。「個人的な曲になってしまうこと」に抵抗を感じてほとんどなかったラブソング。自分の内のうちを深く見つめたり、はたまた宇宙を感じさせる曲だったり、その対比や儚さを歌ってきた人だった。
何をもって幸せとするかって本当に十人十色なので日々さまざまな大きさのHAPPYが存在していただろうし幸せ=結婚、かつ、結婚=幸せ だとは決して思わない。けれど、わかりやすい形でひとつの人生の節目を迎えてくれたこと、そしてそれはおそらく「幸せ」なことであること、それをファンにも等しく教えてくれたこと、それが嬉しく、「生きているとこんなに良いこともあるんだな」という気持ちになった。
ちょっと前まではとんがった曲や歌詞も多く、決して陽キャなタイプではないバンドだったけれど、そこが当時の自分には心地よく共鳴して響いてきて何度も何度も聴いては泣いた。学生時代や就活中をはじめ長かった思春期にどれだけ彼らの曲に支えられてきたかわからない。歳を重ねるごとに曲は少しずつ丸みを帯びて声にはますます優しさが灯り、また新しい切なさや心の中の機微を生み出していった。
金銭的な問題などでライブに全通したりということはできなかったし、正直行けなかったツアーもある。でもどのタイミングで会いに行ってもいつも変わらない空気をまとってそこにいてくれることがありがたくって安心で、とてもとても好きだった。変わらずに好きでいられるという安心感に浸っていた。いつもファン思いで、でもマイペースで、いいおじさんなくせしていつもワチャワチャじゃれあっている仲良しなバンド。いつまでも変わらないでほしかった。
一緒に歳を重ねてくれて、
心からそう思っていた。
ボーカルの結婚報告に幸せな気持ちをお裾分けしてもらった直後、このバンドはデビュー以来初といっていいレベルでいわゆる「文春砲」を食らった。
食らった という言い方は使ってみて違和感がある。週刊誌のやり方は人権を侵害し人を傷つけるものでしかないのでいいものだとは決して思わないけれど、これで明るみに出なかったら当該の彼はバレないとでも思ってそれをこれから先も止めることがなかったのだろうかと考えるとぞっとするものがある。
内容は、ベーシストによる不倫(しかも複数人との報道)だった。バンドの所属事務所や公式は、週刊誌の報道を受けてすぐさま各種SNSで謝罪。当該の彼も詳しい言及はなかったものの事務所と同じタイミングでSNSを更新、謝罪した。「一部事実とは異なる点もあるものの」とした上で、ほぼ全面的に認めた形となった。この「事実とは異なる点」がどの部分かはわからないけれど、複数人と不倫していたという不貞行為自体は事実のよう。
「ファンの間では、発表していないだけで結婚していてもおかしくないと思われているようなタイプのバンド」と前述したけれど、まさに彼には妻子がいたようでそれを発表はしていなかった。
発表していないのは、いい。むしろ結婚していたのならよかったと思う。不倫をいいなんてもちろん思わないしその行為は不快でしかないけれど受けた衝撃はそこではなくて。
彼が「バンドを裏切った」 という一点だ。
喉に引っかかって取れないでいた太くて大きい骨の正体。
ファンを裏切ったという気持ちとは違う。結果そうなっているけれど。
ショックだったのはバンドメンバーを裏切ったという点が大きすぎる。
彼はバンドのことが好きなはずだった。バンドのために努力してきたはずだった。バンドメンバーがなにかよくないことをしてしまったら本気で怒って向き合って止めたりするような人だった……はず。
いつもひょうきんで陽気でムードメーカーだった彼。ボーカルをはじめバンドのメンバーが大好きだった彼がなぜ。
次のライブではみんなあたたかな気持ちでボーカルの結婚を祝えると思っていた(もちろん結婚がショックだったファンもいると思うが)。きっとバンドは次に公の場所に立ったとき、謝罪的なものを口にしなければならないのかもしれない。当該の本人だけでなく、バンド全員で謝るのかもしれない。そんな状況、正直いってまったく見たくないし聞きたくない。一度謝罪したからこの話はおしまい、とは、バンドの性質上ならないんじゃないかとも思う。今回の件はバンドにずっと残り続ける染みとなった。
いつもファンのためだけに演っていてほしい。それなのに、そういった場に不純で必要のない曇りが少しでも含んでしまうであろう未来に、今からげんなりしてしまう。いらんことをバンドに持ち込んだ彼に、怒りを感じる。
何かがあったとして、それをどう感じるかは自分次第。ただ、これまでバンドを好きでいたファンって同じ方向を向いてある程度同じ気持ちを共感していたと思っていたので、今はかなり動揺は広がっているのも感じる。バンドは悪くないとこれまで以上に応援する意思表明をしている人が多く見受けられたけれど、軽蔑して離れていく人もいれば、不倫なんてどうってことないと擁護する人までいた。人それぞれだ、感じ方は本当に。
ファンだからといって全肯定はしたくない。ただ、だからといってこの件で嫌いになれるわけではなかった。それがまたしんどい。これまで支えられてきたものの大きさを思う。そしてこれからのバンドとメンバーの心中を憂う。
あるアイドルグループを好きになった。そのアイドルグループに所属する一人の子を好きになった。
その子のパフォーマンスも好きだったし、声も好きだったし、なによりまばゆいまでに光り輝くその存在そのものを好きになった。
その姿を見ればどうしようもなく心が高鳴り、衝動に任せて様々なグッズを買い、機会はどうしても減ってしまったがイベントにも足繁く通った。
そのうち夢を見るようになった。
ある日気づいた。
グループの様々な子と一緒に過ごす夢を見ているが、これまで一度も推しとの夢を見ていないことに。
なぜだろうと考えた。実はそこまでその推しが好きではなかったのだろうか。
様々なグッズを集め、その推しに囲まれるような生活をしているが、その実自分はそれとは別のベクトルを向いていたのか。
しばらくして一つのことに思い当たった。
私が見ていた夢に出てきた子達は、推しと仲がいい(いわゆるカップリングを売りにしている)子達ばかりだった。
夢の内容はおぼろげで、どんな夢であったかは思い出せない。ただ一つ推測出来ることがあった。
つまり、私は夢の中で推しと同一化して、推しの視点での夢を楽しんでいたのではないか。
私の推しとは、好きという気持ちとは、自分を輝かしいなにかと同一化したいという衝動だったのではないか。
同一化、好きになった対象を己と同一視するという心理はさほど珍しいものではないようだ。
憧れ、という言葉に置き換えれば、いろいろと頷ける部分もあるだろう。
アイドルーファン間の心理について対象との同一化に言及する先行研究も多々あるので、そのことについての一般的解釈についてはあえてここでは行わない。
さて、つまり私にとっての推しとはいわば物語の主人公のような、ADVゲームの顔のない主人公のような、自らをアイドル達の世界に投射するツールではないかと考えたとき、
私はあれだけ心を揺さぶれた存在、にもかかわらず、それは他者としての推しを好きになったのではなく、単にその向こうにある自分、華々しい活躍を勝手に我が物とした自分を愛でていたにすぎないのかということに。
私はあれだけ好きになった存在と、夢の中ですら他者として向き会うことが出来ないのか。
私の好きとは一体何なのだろうか。
推しと夢で出会うには、その推しが自らではないと真に自分自身が認識しなくてはならない。
私はあの子の歌が好きだ。
私はあの子の声が好きだ。
私はあの子の姿が好きだ。
口で言うのは易であるが、どんな言葉で取り繕うとも、自らの深層心理という理性だけではどうにもならない領域ではまやかしにすぎない。
自らの奥底にある自分自身が、真に推しとの同一視をやめない限り、私は推しと夢で出会うことが出来ない。
私は自分の好きと言う衝動に対して、その意味を真っ向から問い続けることしか出来ない、
どうしようもなく焦がれる思いに、常に自分自身で冷や水を浴びせ続けなくてはならない。
いずれ、この思いは冷めるのだろうか。
この思いが冷めれば、推しとの夢を見ることが出来るのだろうか。
ただ今は推しとの邂逅の幻を夢見て、眠りにつく。
恋愛なんてフィギュアスケートでも将棋でも将棋でも登山でもなんでもいいけど、とにかく「縁のない趣味」程度の距離感で見りゃ良いじゃん
1回転ジャンプすらできない!とか桂馬の動きが分からない!つって延々自分を卑下するやついないじゃん
なぜか?
興味がないからだ
非モテネタをバカのひとつ覚えみたいにずーっとやってるから、本当にモテない・恋愛経験がないのが引け目に思えてきちゃってるだけ
別にどうでもいいだろ
メジャー読んで「俺もこんな野球人生が送れてたら!ああ!」なんて言わないのに僕ヤバ読んで呻いてるのは不気味
家にテレビなんて10年以上存在しないから、まったく見てなかったんだが、こないだチャンスがあったから見てみた。
ネットでは、コンプライアンスが〜だの、クラウドのセキュリティーやべ〜だの意見が飛んでたけど、まあそんなものドラマだからいっかなって思う。
でもさあ、何このハラスメント劇場??もうひたすらパワハラとモラハラの嵐。
あと、腹立ったからっていちいち怒るな。
私は海外で勤務していたからわかるけど、会社という場でそんな負の感情表にだしながら仕事なんてしてたら、軽蔑ものだよ?人間的に限りなく未成熟として見られ、すぐに首になるのがオチだろう。
この点がドラマといえど、違和感しかなかった。こんな未成熟な会社、日本だと普通に存在しちゃうんだ?
金融業界が軒並みヤバいとは聞いてるけど、それでも目に余るものがある。
日本は一度は経済的に先進国と言われるまでに成長した過去があるけど(あくまでも過去)、人間的には未成熟なまんま成長することなく、衰退国になってしまった。
これが残念でならない。
私がいま誰もに聞きたいのはこの質問です。
それは彼を知る多くの人の心にすっかり穴を開けてしまったように思います。
私にとっては非常に身近でした。
つまり自分の苦しみや憎しみのような念を昇華させる最後の手段なのです。
過去を振り返ると、私にはそういった念を昇華させる術がなかったように思います。
しかし同時に、深い部分を見せられる場所ではありませんでした。
朝は満員電車に数時間揺られ、夜は暗闇のなか居眠りをする日々でした。
そのすべてが苦しく耐えられなかったわけではありません。
それはあなたが望んだことでしょう。
悪気があるわけでは全くなく、それが心からの意見だったのです。
悲しいことに、同級には同じ志を見つけることはできませんでした。
最も、私が志を共有する気がなかったとも言えます。
私より才能があるのに授業に現れない周りをみて落胆し軽蔑しました。
そこに私の拠り所は見い出せなかったのです。
朝、向かってくる電車に呼ばれていると感じる日々が続きました。
それは比喩でもなく、本当にそう思うのです。
強い呼び掛けというよりは、ふとよぎる声でした。
幸い、私はお金にうるさく家族を苦しめることはできなかったため
呼び掛けに応えることはありませんでした。
もし家族への思いがなかったら、おそらく、飛び込むことがあったでしょう。
私にとっては当たり前でしたが
どうもそうは思わない人が多いようです。
運良く、私の異変に気がつく人が出てきました。
なにも言いませんでしたが私の心を抱きしめるようでした。
それから段々私の念は、その人の理解の上に昇華されるようになりました。
はじめて理解者が現れました。
この世には理解するふりをして相手を騙すような人もたくさんいます。
少しでもわかりあえる相手。
死にたいと思う人は、それは大変なことです。
少しでもそう思うのならば、休暇をとってください。
やりたいことだけをしてください。
死ぬことを選ばないでください。
それでも選択肢がないのであれば
私は止めることはできません。
誰かの心に穴を開けていることを
どうか忘れないでください。
そして、死を選んだ人が
現役医師です。かつてはあなたのような部分がありました。そして、あなたのような同級生もいました。
関西の有名私学→二浪→非医学部に2年通う→再受験で地方国立医学部→医者○年目。女。
発表パワポ作ってるフリしてこれ書いてる。
中学受験までは成績優秀だったけれど、入学後は成績が低迷。そしてあなたのように親から非難・否定され続けてた。
非医学部に入ったけれど、入った大学をいろいろ言われたから国立医学部に入り直した。
入り直した医学部のレベルが旧帝じゃないからこれもいろいろ言われた。
まず大変残念なお知らせだけれども、周りの学生の人格については仕方がない。
医学部に関係なく、一般的にエリートと呼ばれる人の中にも頭の中は「酒、女、ギャンブル」だらけなんてたくさんいる。
世の一流企業でセクハラ、パワハラのニュースが絶えないのが論より証拠。
働き出していろんな人を見ていると、むしろ医者・医学部生はまだそのあたりマトモだなあ、と思うことの方が多い。
よく患者さんの話を聞く人あたりのいい医者が、とんでもない治療していることはザラにある。
夜の街で飲みまくって遊びまくってる医者が、難手術をバリバリこなしていることもザラにある。
しかし法律の世界にも、きっと「仕事はできるけれど人格は最低」という人はいるだろう。
それを目の当たりにした時に、あなたは法律の世界に絶望するのでは、と私は心配している。
「ずっと願っていた世界」が現実のものとなった時、表からは見えない裏の顔が見えるようになっても
あなたは「法律が好き」という気持ちだけでがんばれるだろうか。
かつての私は経済を勉強したかった。会計士になろうと思っていた。
超一流大学を出て、司法試験と並ぶ超難関資格の公認会計士試験をパスしている。周囲もそんな感じらしい。
でも職場での話を聞けば聞くほど、「ならなくてよかった」と思ってしまう。パワハラ、セクハラのオンパレード。
今の私の勤めている病院の方が百倍マシ。バイアス入っているんだろうけれど。
アドバイスできるとしたら、医学部内ではない、でも医療系のコミュニティに入ること。
今はCOVID-19問題で難しいけれど、地域の病院実習に行くとか、勉強会に顔を出すとか。
M3で来てくれたら、迎える側もとても嬉しいはず。私はとっても歓迎する。
教員の先生方の中には、必ずあなたのような学生を非常に気にかけてくれるタイプがいるから、それを見つけよう。
みんなが思いっきり悩んでそれでも生きて医療をしている様子を見てほしい。
あなたの育った環境と、それによって培われたあなたの思考回路とは、長い年月をかけて折り合いをつけるしかない。
それについてはカウンセリングとか、認知行動療法とか、いろいろあるけれど、医学部生なら図書館で調べてられるだろう。
お金の問題はあるだろうけれど、ぜひ自分でいろいろ試してみてほしい。その経験は非常に価値がある。
親はいずれ歳をとって、弱くなる。だから長期戦ではあなたに分がある。今の時点で心折ってしまうのはもったいない。
一口に医師と言っても、バリバリ手術する外科医もいれば、研究に勤しむ博士課程の人もいれば
厚労省の医系技官になって、「公務員としてしっかり働いて、法律にかかわる仕事」もいいんじゃないかな。
今のあなたに必要なのは、周りに自分のことをきちんと話すこと。
再受験生、編入生はいる?法律の世界からやってきた医学生は時々いる。そういう人を探すのもいい。
オンラインで人と接さないのは楽だけど、問題の先送りでしかないと思う。
いっぱい話して、自分を開示しまくって、代わりにいろんな意見を吸収してほしい。
私個人としては、あなたのように悩んで悩んで悩みまくった人に、医師になってほしいです。
いつか直接でも間接でも、一緒に働ける日を待っています。
ユーミンに対するコメントをみてシンプルにひどい思ったし、敵側にはなんでもアリかよと憤りもした。
だが白井氏の以前のツイッター発言と今回のフェイスブック発言を並べて貼ったツイートを見つけ、「ああ、もっと深刻な、むしろ低レベルな事態なんだな」と思ったので書いておく。
以前のツイッター発言とは要するに、「芸能人や熟知しない人でも政治的表明をしていいじゃないか」「人権に含まれる」「それを避難する人は軽蔑されて然るべき」という内容だ。探すと出てくると思う(以前の検察のときのハッシュタグの時期のツイートだろう)
この直近数ヶ月のツイートは、今回のユーミンに対する発言と、あまりに真っ向から矛盾する。
ユーミンは歌手だ。発言自体は政治的発言といえるかも議論ある程度な踏み込んでいないものだ。しかし、「その者、死すべし。」といって憚らない白井氏が、人権を尊重しいないこと・軽蔑されて然るべきことはもはや言を俟たない。
ただ、どうにも気持ち悪いのが、同一人格の中にこれが成立するということだ。どうにも不可なの解だ。言語表現を生業としているにも関わらず、この矛盾となぜ共存できるのか。
ここまでいくと、単にブーメランというよりも、もう少し根深く低レイヤーで、もう少し低次元なことだなと気付かされる。
もっとプリミティブに、言辞を弄して場を制圧すること(=マウンティング)にこそ向き合っているのだ。
だから彼は理念の人ではない。赤旗への寄稿していた過去もあるようでどちらかといえば左派の人なんだろうが、そんなのは些細なことだ。
第一義的には彼は詭弁家なのだ。つまりソクラテスに嘲り笑われたソフィストでしかないのだ。
コンテクストを自らに定めることすらままならず、場当たり的な優越の快楽にひたあるのみであれば、その者の語りは特段敬聴に値しない。
彼はさほど特別ではない。ソクラテス先生がウンザリするくらいにはギリシアに居たし、歴史は繰り返すので世界中に沢山のソフィストがいる。
#COCOAボランティアデバッグ に尽力されている皆様に深い敬意を表します。
併せて、 OSS コミュニティへの悪影響を残している関係行政機関・各社担当者を強く軽蔑します。
project dead? · Issue #773 · Covid-19Radar/Covid19Radar · GitHub
(注) これはアプリケーション固有の問題ではない( Apple-Google API の問題)が、前項の問題点と併せることで脅威となりうるので便宜的に示しておきます
※一部で報じられている「保健所から COCOA への陽性情報の登録に必要な処理番号が即日発行されない」などの問題もありますが、ここでは省略します
※以下はあくまでシミュレーションであり、 COCOA の悪用を助長する意図はありません
細かい説明や具体的な表現は控えましたが、この攻撃を仮に受けたとして致命傷に近いダメージを受ける事業者は少なくないと思います。
事業所単位で COCOA の導入を推奨している管理者は直ちに見直すことを推奨します。
本日より COCOA の導入を促すテレビCMが放映されているようです。( #検察庁法改正案に抗議します で一躍有名になったきゃりーぱみゅぱみゅ氏などが出演されているようです)
一方で COCOA アプリケーションのリリースは 2020年7月13日 にリリースされた v1.1.2 を最後にアップデートが途絶えており、不具合ととれる多数の事象は解決されず、上記に挙げたような問題点が払拭されることも残念ながら当面は無さそうです。
世間では高ぶる正義感からか COCOA の導入を声高らかに勧めたり、従業員やビジネスパートナーに導入を強いている管理者も現れているようです。
このエントリを通じて、そのような方々へ抵抗出来る材料が提供できれば幸いです。
冒頭のように COCOA の原型であるとされる Covid-19Radar/Covid19Radar プロジェクトも OSS にあるまじき「放置状態」が続いています。
これが GitHub を買収した企業に所属する人間の所作ですか?
IT/ICT や OSS を通じて昨今の COVID-19 感染拡大を発端とする諸問題を解決する動きは支持したいですが、このような杜撰なサービス運営により IT/ICT や OSS に対する世間の期待を悪化させることを強く憂慮しています。