2020-09-01

白井氏の件がまじウケるので書いておく

ユーミンに対するコメントをみてシンプルにひどい思ったし、敵側にはなんでもアリかよと憤りもした。

だが白井氏の以前のツイッター発言と今回のフェイスブック発言を並べて貼ったツイートを見つけ、「ああ、もっと深刻な、むしろレベル事態なんだな」と思ったので書いておく。

以前のツイッター発言とは要するに、「芸能人や熟知しない人でも政治的表明をしていいじゃないか」「人権に含まれる」「それを避難する人は軽蔑されて然るべき」という内容だ。探すと出てくると思う(以前の検察ときハッシュタグの時期のツイートだろう)

この直近数ヶ月のツイートは、今回のユーミンに対する発言と、あまりに真っ向から矛盾する。

ユーミン歌手だ。発言自体政治的発言といえるかも議論ある程度な踏み込んでいないものだ。しかし、「その者、死すべし。」といって憚らない白井氏が、人権尊重しいないこと・軽蔑されて然るべきことはもはや言を俟たない。

ただ、どうにも気持ち悪いのが、同一人格の中にこれが成立するということだ。どうにも不可なの解だ。言語表現生業としているにも関わらず、この矛盾となぜ共存できるのか。

ここまでいくと、単にブーメランというよりも、もう少し根深く低レイヤーで、もう少し低次元なことだなと気付かされる。

彼にとって、理念とか思想とかは、表層なのだ

もっとプリミティブに、言辞を弄して場を制圧すること(=マウンティング)にこそ向き合っているのだ。

から彼は理念の人ではない。赤旗への寄稿していた過去もあるようでどちらかといえば左派の人なんだろうが、そんなのは些細なことだ。

第一義的には彼は詭弁なのだ。つまりソクラテスに嘲り笑われたソフィストしかないのだ。

コンテクストを自らに定めることすらままならず、場当たり的な優越快楽にひたあるのみであれば、その者の語りは特段敬聴に値しない。

彼はさほど特別ではない。ソクラテス先生ウンザリするくらいにはギリシアに居たし、歴史は繰り返すので世界中に沢山のソフィストがいる。

居続ける存在から言論界の自浄作用が問われる。

ソクラテス先生を想起することでしか自らを律せないし、厳しく眼を光らせることでしか言論界からは遠ざけられない。

白井氏は干されるだろう。差別的であること以上に、社会への道義心もなく社会言辞を弄した点において。

  • 別に政治的意見を表明する自由を行使した結果死ぬべきという結論になるのは矛盾はしてないんじゃ

  • なんだよおめぇ俺ら増田disってここで心穏やかに日記できるとおもってんのかよいやくださいネタを

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