私がいま誰もに聞きたいのはこの質問です。
それは彼を知る多くの人の心にすっかり穴を開けてしまったように思います。
私にとっては非常に身近でした。
つまり自分の苦しみや憎しみのような念を昇華させる最後の手段なのです。
過去を振り返ると、私にはそういった念を昇華させる術がなかったように思います。
しかし同時に、深い部分を見せられる場所ではありませんでした。
朝は満員電車に数時間揺られ、夜は暗闇のなか居眠りをする日々でした。
そのすべてが苦しく耐えられなかったわけではありません。
それはあなたが望んだことでしょう。
悪気があるわけでは全くなく、それが心からの意見だったのです。
悲しいことに、同級には同じ志を見つけることはできませんでした。
最も、私が志を共有する気がなかったとも言えます。
私より才能があるのに授業に現れない周りをみて落胆し軽蔑しました。
そこに私の拠り所は見い出せなかったのです。
朝、向かってくる電車に呼ばれていると感じる日々が続きました。
それは比喩でもなく、本当にそう思うのです。
強い呼び掛けというよりは、ふとよぎる声でした。
幸い、私はお金にうるさく家族を苦しめることはできなかったため
呼び掛けに応えることはありませんでした。
もし家族への思いがなかったら、おそらく、飛び込むことがあったでしょう。
私にとっては当たり前でしたが
どうもそうは思わない人が多いようです。
運良く、私の異変に気がつく人が出てきました。
なにも言いませんでしたが私の心を抱きしめるようでした。
それから段々私の念は、その人の理解の上に昇華されるようになりました。
はじめて理解者が現れました。
この世には理解するふりをして相手を騙すような人もたくさんいます。
少しでもわかりあえる相手。
死にたいと思う人は、それは大変なことです。
少しでもそう思うのならば、休暇をとってください。
やりたいことだけをしてください。
死ぬことを選ばないでください。
それでも選択肢がないのであれば
私は止めることはできません。
誰かの心に穴を開けていることを
どうか忘れないでください。
そして、死を選んだ人が