はてなキーワード: 軽蔑とは
わが子の返答とそっくりだ
と感じていたのか だからあんなに頑なに親の誘導を拒絶していたのか
感想文は一種の「舞台」だと考えていて、演じて誇張した自己開示に、読む相手が一瞬楽しんでくれればいいと、いつも衝動的に書いていた
けれど、褒めておだてて自分語りを書かせようとした自分を、子は冷たい目で見ていた
https://anond.hatelabo.jp/20200821200053
https://anond.hatelabo.jp/20200821141701
私もまた感想文は苦手だった。
感想を書いて自分の内心を外部に晒す。苦痛、恥辱、弱点を晒す、言質を取られる、そんな感情を伴う。
今でこそ「内心の自由の侵害であり、黙秘を許さぬ虐待でしかない」と言えるが、年端も行かぬ小学生にそんな抗弁もできようハズがない。
他にも、どんなアドバイスを受けようとも「それは自分の言葉でない」「自分はそんな事は言わない」という、
頭の引き出しの中になにもないクセに、外から来るすべてを拒絶するという性質があった。
何故なら「自分で書いたモノ」と自己が切り離されず、そのような外から来た言葉を混ぜることは
アイデンティティの喪失を意味するため、拒絶するしかないのだ。
初めて「なんか適当にそれっぽいこと書いて、意識高い感じ出しとけ」と出来たのは大学1年生のときだが、
思ってもないことを書いた反動で、以来その講義のレポートは2度と出せなかった。
感想文苦手の子も、思っていること、考えていることは沢山あるだろう。
でもそれを表現するには、上述の文章くらいは自分で書ける程度の土台が必要だ。
だから、言語化するには複雑だったり多くの言葉を費やさなければならない感想であると、
時には面倒だから、或いは困難だから、「感想はない」にならざるを得ない事もある。
そもそも、ほぼそういう物語があったんだという事実認定で終わるだけで、「ふーん」だけが感想の場合もある。
だから「おもしろかったです(本当は別に何も思わなかった)」しか書けない。
「ふーん」だけではなく「ふーんそうなのかー」と思った行を見つけて何か書いておく、そうやって字数を稼ぐのが私の感想文だった。
それでも字数が足りずに行き詰まることも多々あった。
ダラダラと書いて最終的に何を言いたいということもなく、
まるで自分で意義を認められないものが出来上がった時、書いたものすべて消しゴムにかける。
増田は称賛されているようだが、こういう私のような人間には何一つ響くものがない。
読む相手を蔑ろにしなければ出来ないであろう、嘘を並べ立てる不真面目な虚言家として軽蔑する。
そんな反感を、少なくとも高校生くらいまでなら覚えていただろう。
端的に言うと、感想文を書かせるのは無理だ。
無い袖は振れない。上述でいうところの土台がない。
出来るのはせいぜいニュースなど折に触れては親の考えを植え付け、
子どもが大人になって「吐き気を催す」と捨てられるまでの間、引き出しの中身としてやることだ。
言葉、概念、思考、技術、さすがにもういい年なので、それなりに備わった。
第二に、ふーんでは終わらない内容であること。
書けないのは何より心の問題だった。
乾いたスポンジに、まだ数滴の目薬しか垂らしていないのに、一体そこから何が絞り出されるのか。
真に琴線に触れたのならば、心から滲み出たものをそのまま文にしたためることも出来ようが、
何とも思わなかった物語に対して、架空の心を生み出して代弁させるのに必要な精神機能は、
だが、仮に「アメリカは〇〇人の国である」という穴埋めがあったとしよう。
感想がないこと、言い表せないこと、それが混沌な状態であっても「そのままであること」が物語の正しい姿であるのに、
100%正しい表現ではない言葉で決めつけてしまうと、自分の心の中にある物語が壊れ、損なってしまう。
子ども心にそれは悲しいことで、感想を書けなかった記憶もある。
もはや感想というよりは随想であるが、元増田のように書くには余程精神が活性でなけれれば出来ないだろう。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20200811-OYT1T50326/
https://news.yahoo.co.jp/articles/f9745432e6f918c1138490879a55ae07b3786716
https://www.tokyo-np.co.jp/article/50081/
申告も納税も殆どしていない人が今年だけ給付金目的で申告して、給付金だけがっぽりもらう不公平。100万だけのために逮捕や追徴課税のリスク取れるレベルの人間なんだなって心底軽蔑してる。
・大学生、サラリーマン、無職で報酬もらってないし事業実態もないのに、報酬もらったり事業やっていることにした申告
・事業やってるけど、今までずっと申告せず、今年だけ過少に申告して給付金ゲット
→ 5年分正しく申告して、加算税、延滞税全部払ってください。
見たら止めたいが、正直ビビってしまいそう。俺は小柄で運動能力も低いのでバトルになったらほぼ確実に負ける。つっても痴漢を指摘して殴り合いになる確率は低そうだけど、怖いものは怖い。車両移動するフリをして割り込むとかすみませんとだけ声かけてみるとかでせめてジャマしたらいいのか?
これはすでにほぼしてないと言っていいと思う。そもそも人と話す機会が全然ないのであらゆる発言をしていないのだが…
そもそも人と話す機会がないので女性蔑視的振る舞いを見るのは増田でくらい。ネットにゴリゴリの女性蔑視を書き込む人間、露悪的に冷笑的態度をとり続ける何を言っても響かない奴かマジですげーミソジニーの奴かの印象で、俺は口下手なのでどうしようもない感あり。
これは全然やってない。自分が鬱病ぎみで定額給付金の申請すらまだやれてないので社会活動どころじゃないってのはあるな。
なんか俺なんもしなくていいというかできない気がしてきたぞ。社会なんて高尚なものと俺が関わろうとするのがそもそも間違いだったんや!
フェミニズム系のブクマカから続々と増田への批判が寄せられているよ。
絶対にあれは酷いトランス差別に間違いないし、その差別に反対する。でもその差別を、人を殺す危険すらある差別を、「ほんとすき」とか「応援しています」とか書いてしまえる増田もまた軽蔑するよ。
“トランスジェンダーの人たちに対する悪質な差別煽動だと思うけど、” 違います。前提が間違っているので以後の文章は意味がない
この話読んだ時、こゝろみたいだなと思った
自分は成績下位側の人間だけど、クソ頭いい友人がいる この間の模試、英語はR100点満点で、自分は40そこそこ、友人は98点だった
自分も内心で友人に見下されているかもしれないと思うと怖いけど、だから努力して追いついてやろうという決意もできない 受験のフィールドにおいて、1番大事な努力を出来た増田は凄い
苦しい努力を出来るだけしたくないから、いい勉強法があれば、最低限の努力で効率よく成績を伸ばせるんじゃないかと思ったのかもしれない 努力の方向がわからないなら、浪人した時に人生の選択肢までも視野が狭くなっていたのかもしれない
Yを見下してあまり親身にならなかったのは悔やむべきことかもしれないけど、増田が最初軽蔑していた通りYにも非はある 何かのめぐり合わせが悪かったんだろう
どっちが一方的に悪いとかじゃないけど、かすかにでも思い出してやるだけでも供養になるんじゃない そんでもう二度と人を見捨てるなんてことがないようにつとめれば
偉そうに長々とごめんな 自分を責めすぎないようにな
終戦の日は、Y君の命日です。
高校時代の同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。
Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。
しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。
Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校の受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。
入学式からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップの公立高校を落ちてきた人間でした。
はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。
端から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。
入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。
第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ校合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。
その時の僕にはまだ、そんな理由で勉強をはじめようと思う理由を理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意に入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。
とは言っても、その後Y君が試験のライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラスの文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラス二クラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。
交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。
彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街に引っ越してきたので、同じ中学校の出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えます。しかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。
Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いています。しかし、同じクラスのテニス部員から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。
Y君と同じグループのテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦のメンバーに入ることはなかったそうです。
ときに一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活の練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。
僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。
Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。
高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強のノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活が休みになってY君が加わったことが何度かあります。
Y君が、自分の勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間の発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間の発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者の発言に賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。
僕らはみな自分に合わせて勉強のスタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。
僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語の勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題を毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習を英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間は文法を勉強していた方が都合よかったのです。
そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法の問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。
時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベルな英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。
学年上位の彼女の場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。
すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベルの問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。
試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。
Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法・勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分に必要な勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。
高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験室から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ、模試のたびに奪い合うのです。
事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑の眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。
勉強をしたからテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位で一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。
正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。
僕は、努力の方向性を間違える人間は愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間を軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑の対象でした。「三年の夏に部活を引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。
当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分を鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。
みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学だから、日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部二学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命は早慶、国公立大学」
Y君が目指したのも、早慶の文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格は絶望的なので記念受験だったと思います。
日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専を第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベルの大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。
先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学に合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力の甲斐あって志望校に合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベルの大学です。
高校の卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館で勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。
僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分の精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。
僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。
Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専の文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学の教育学部に合格したのも少なからず影響があったと思います。
Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。
Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法中レベルの大学に手応えを感じていたそうです。高校時代の担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専の合格は決まっていました。
しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専の手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専の入学一時金を払わなかったそうです。
かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪、二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイで変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後のメールには、そう書かれていたそうです。
苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間だけが、成功を評価できます。しかし成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。
三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています。
同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。
二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察に通報したそうです。海上保安庁と警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。
沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。
暗く塩辛い海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。
人生の遠回りを許さない日本の空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分の責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。
彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。
彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。
こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。
今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れます。しかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。
実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれた田舎の風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。
まず言っておく。私は焦っている。友人を失うかもしれない。しかも、複数人まとめて。
この文章は、似たような境遇の人に共感してもらうなり慰めてもらうなりするためのものであり、説教も批判も求めていない。そういったコメントをしがちな人にはここで画面を閉じて欲しい。
特に、タイトルの言葉選びに対し思うところがあった人。今すぐこのタブを閉じるんだ。
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コロナ禍で何を、というご指摘はご遠慮願う。雑談時もマスクをするなど配慮はしていた。
年に一、二度程度しか全員で集まることのできないメンバー。頻繁に会えないため、食事の時の雑談において、趣味の話、職場の話、家族の話など話題は多岐に渡る。そして今回、友人の一人が街コンに参加したというネタを皮切りに、とうとう婚活という話題が表に出てきた。
正直居た堪れなかった。口数も明らかに減っていた自覚がある。どう返すべきかも分からなかった。
私は男が苦手だ。小中学校の間、同じクラスになった男子生徒からは必ずいじめられた。大人の男からも性的被害を受けているし、職場の上司からネトスト紛いのことをされたこともある。他、私の個人情報を業務上握っている一回りは上の男からアプローチを受けたこともある。
もちろん全員が全員そうとは思っていない。しかし、男である時点で信用しない方が賢明だという考えを持つには十分すぎるほど傷つけられた。
(自分はこんな酷い目にあった、みたいな話はやめてね。苦しみは存在自体が問題であって、その強さは関係ないし他人が量れるものではないので。)
自分の性格上、同世代に既婚者が増えてくれば世間体を気にして焦り始めることは容易に想像がつく。しかし、親は上記事情にも理解があり、もう私は結婚しないものだと思っている。孫など期待されていない。そして何より、信用できない男に自分の日常的な家事の代行権利を与えたり万一のことがあった時の判断を任せたりするよりは、一人で生きて行った方が幸せだと考えている。単身では家を借りられなくなるほど年老いる前に死んでいたい。
(余談:家の賃貸契約とかも所謂日常的な家事に含まれるので夫婦間で代行できる)
別に、友人も似た考えを持っているなんて思ったことはない。みんな適齢期になればどこかしらで出会った人と結婚して、私はもしかしたら周りからいつまで独身なんだろう……と同情と軽蔑の入り混じった目で見られるようになるのかもしれない、と怯えてさえいた。しかし、それとこれとは話が違うのだ。
友人たちも、何も結婚を急いでいるわけではないと言っていた。人生経験として知らない分野にいる人と出会い、巡り合わせが良ければそこから更に仲を深めていきたい、というふうに語っていた。私もその考え自体には共感できる。しかし、相手が男という前提がそれだけで私には恐ろしくて、まさか"イベントの類に参加するときは私も誘ってほしい"なんて言えないし思えなかった。"職場にいい人いないの"だなんて、思いつきもしない。
共有できない話題。友人たちがどう感じたかは分からない。しかし私は、自分と友人たちとの間に埋められない溝を感じた。そして、それを埋める努力をすべきなのか、見て見ぬ振りをすべきなのか、あるいは私の方から離れるべきなのか判断ができないまま数日経った。その間に、この出来事は思考の中心から一旦外された。
今日、カフェで読書をしてから帰った。帰り道でランニング中の男とすれ違った。人通りの少ない夜道。
学生時代、後ろから走ってきた男が私の隣に並んで以降追い抜いて行かないことが気にかかってそちらに目を遣ったところ露出狂だった、という出来事を経験した。今思い出しても身の毛のよだつ出来事だ。
腹が立った。ランニング中の男にではない。世の中に。そして、自分がどれほど男が苦手か、更には先日友人との雑談で何を感じたかを思い出してしまった。
(仕事でもないのに人通りの少ない夜道を歩くとか無用心だって指摘したくなった人がいると思うけど、こっちが用心しないといけない世の中にキレてることくらい分かるよね。分かったら黙ろうね。)
私の個人的な感情のために貴重な機会で持ち出す話題を制限する真似はすべきでない。
更に言えば、友人たちの方が、話題が合わなくなった私との会話を内心で気まずく感じているかもしれない。
私が黙っていればいい。誰もそれを不愉快にも不自然にも思わない。それなら私はそうするだろう。それで済ませられないのは、内心友人たちがどう思っているのかがさっぱり分からないからだ。
数少ない友人を失いたくはなくて、私は焦っている。ここまでくると、私はちゃんと友人たちを好きなのか、それともほとんど友人がいないから固執しているだけなのか、分からなくなってくる。どうすればいいのだろうか。今日も答えは出ない。
なんか最近こういう増田がちょいちょいバズってるよなあ。多分n番煎じだと思われるだろうけど、私の感情は私だけが煎じられるものなので、自分の言葉で記しておきたい。そしてできれば、私だけが悪いわけじゃないって言って欲しい。以上である。
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スルーされるかなと思ったら反応頂いてて楽しくなってしまったのでお返しさせて
「婚活は話題に出てる状態さえ苦手だからそろそろ焦りだした友達をきりたいんだけど」〜
→惜しい、友人を切りたいとは思ってない これは本当
うんち長文と言いつつ読んでくれてありがとよ
→記事中の先制攻撃みたいなアイタタ文章は「こんだけ言っても無視する人は無視するやろな」くらいで入れたのでまあ というかやっぱり私の考え幼稚だよな〜!! 周りに甘やかされて生きてるので気をつけたい
あと確かにこれ改めて読むと友人への複雑骨折感情より男性恐怖と嫌悪が強いなと感じたのでこれは鋭い指摘 大変です
適齢期で結婚し家庭を持つという「普通」から外れることへの不安に〜
→普通を取るか捨てるか最終的にどっちが幸せか分からないんだよなあ 後から振り返って分かることでもないし 提案については枝の指摘の通りかもしれない 優しすぎて一周回って自己嫌悪に陥ってしまった
→鋭すぎてビビった 自分の考え方が原因で人と離れることになったとき、主観では全面的に相手のせいにするつもりはないけど、自分が”悪い”とは思ってないな 合う合わないは善悪と違うし
「縁あって」「幸運にも」愛する人と出会い苦しくて死にたいとも思うような人生から抜け出せたような気がする←わかる、お幸せにね!
お前の子供も苦しい人生を送る可能性が高いだろ!お前30年間何を学んできたんだ?喉元過ぎれば熱さ忘れるっていうけど、さすがに鳥頭すぎませんかね。
お前がこれまでに感じてきた苦しさ、この世への絶望、死んでしまいたいという気持ちはなんだったんだよ。生殖本能にそんなに簡単に負けてアッサリ子供を作る方に行ってしまうことに恥ずかしさは覚えないのか?
お前の子供はお前が感じたような絶望を感じないと思うのか?受験戦争→就活→労働の黄金コンボを受けてもまったく人生がイヤになったりしない社会適合者が産まれるに違いないと思ってるのか?産まれたらいいねえ!
多分そうはいかねえぞ。家庭環境がショボいんならもはや本人の資質に期待するしかないが、ショボい環境から人生を謳歌できるやつが産まれる可能性なんてごく低いだろ。お前と同じように死にたい死にたいなぜ産まれないといけなかったんだと思いながら生きていくようになる可能性の方がよっぽど高い。
お前みたいに「縁」があればいいが、それが「幸運」にすぎないというのはお前も認めるところなはずだ。生涯未婚率なんて今の時点で2割もあるわけで、今後上がりこそすれ下りはするまいから、お前の子供はけっこうな確率で生涯未婚になる。
なんの意味もなくて何も残せなくても暮らしそのものが楽しければいいよな。俺もそう思うんだけど、正直そんな世の中になるビジョンは見えないよ。機械技術がいくら発展してもそれで楽になるのは資本家階層だけ、「人間は機械より安い労働力」になることはあっても労働から解放されることはないんじゃないかと思う。これは被害妄想的な考えだけど、たぶん金持ちは踏み付けにできる人間が欲しいんじゃないかな。みんながみんな働きもしないで趣味をエンジョイして楽しく生きる世の中じゃ階級にもあんまり意味がないじゃない。だから、下の階級のやつにまで楽しみを与えるようなことはしない。意味のない仕事を延々やらせ続けて苦痛を与え続け、それを見ることで自分の幸せを実感する、そういう構造の社会にしかならないんじゃねえか。
ダメだよこの世は。お前はそれを知っていたはずなのに愚かにもチンポに支配されて可哀想な子供を生み出してしまった。最悪だよ。
まあ人間いろいろだし、逆境に負けず「生きてて楽しい!」なんて言うガキが生まれてくる可能性だってゼロじゃないけどな。本当にそうなるといいよな。お前が子供から「産んでくれなんて頼んでない!」って言われて落ち込むのは因果応報だし別にどうでもいいんだけど、そんなことを言わないといけない子供は純粋にかわいそうだ。
賭けに勝てるといいなあ。俺は可哀想な存在を一方的に生み出す可能性がある賭けをしたって時点でお前を心底から軽蔑するけどな。
日本語もヤバい。論理性がゼロで支離滅裂のことを平気で言うが何がおかしいのか本人は微塵もわかっていない
案の定、自民信者であるがニュースはまったく見ないし、新聞も読まないので何が起きているのかまったくわかっていない。
こないだ、マスクが届いて、思ってたよりいいものが届いたと本気で喜んでいた。断っておくが、NHKのヤラセ番組でマスク楽しみにしてました〜なんて答えていたおばあさんはうちとは関係ない。
この父親がバカなことは許容し続けてきたが(治りようがないので)ここまで政治に無頓着でありながら無条件に支持政党だけは存在する父親が恥ずかしくてしょうがないのだ。
今の政権によってどのような日本が後世に引き継がれるのか、まったくわかっていないのだ。
父親が介護が必要になるころ、まだ自分は働き続けていて、介護なんてやっている余裕はないだろう。
こんなバカな父親が経済的に裕福なはずもなく、老人ホームに入ることもできないだろう。
そもそも団塊世代が介護が必要になるころには、超高齢者社会で、どこもキャパオーバーになっている。
財政も圧迫し、現役で働き続ける世代は増税と保証減のスパイラルで2000万どころか5000万貯金しろなんて言われ、そんな父親の介護費を自分で捻出していたら自分は死んでしまうだろう。
人類は割と人間が好きじゃない。身内にだって手厳しい。古代のたとえ話を持ってきたぞ
ある人に二人の息子がいた。弟の方が親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は要求通りに与えた。
そして、生前分与を受けた息子(弟)は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
父のところには食べ物のあり余っている雇人が大勢いるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。彼は我に帰った。
帰るべきところは父のところだと思い立ち帰途に着く。彼は父に向かって言おうと心に決めていた。
「お父さん、わたしはもう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と。
ところが、父は帰ってきた息子を見ると、走りよって抱き寄せる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。
父親は、帰ってきた息子に一番良い服を着せ、足に履物を履かせ、盛大な祝宴を開いた。
それを見た兄は父親に不満をぶつけ、放蕩のかぎりを尽くして財産を無駄にした弟を軽蔑する。
「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」
派手な浮気者のキング牧師 ( [courrier.jp ] キング牧師の不倫を追うあまりFBIは自らも非倫理的行為に走る) は、余裕で弟を赦すだろう
ワイは人間は好きじゃないが家族や仲間と認めた人物については別だ。余裕で赦す
「嘘くさいよオソノさん。男の幻想が混ざってる」 ってあって、幻想が交じると嘘くさいと感じる人がいるのかと、ちょっと不思議だったのだが、誰かのマンガにあった話をちょっと思い出した。
マンガの作者が子供の頃の話だったが、物語が好きでそういう本やマンガを読む子供時代の作者に対してその母親は不満があり、その理由が「(物語は)嘘の話だから」というものだった。
子供にしてみれば(子供の自分の目から見ても)下らないTVのワイドショーを喜んで見ている母親を軽蔑していて、「じゃあ(母親の好きな)ワイドショーはどうなんだ?」と言い返すと「アレは本当の話やもん」と返ってきたそうだ。
キャラクターの造形に理想(幻想)が入ると「嘘くさい」と思う人って、「アレは本当の話やもん」の人と同じ様な知性の構造なんだろうなと、ふと思ったことであるよ。
最初何を表現しているのかさっぱりわからなかったが、色々感想を見てなるほどと。これはすごい漫画だと思った。自分用にメモ。
漫画を読む限り主人公は、表面的に愛想よく振舞い、その場に溶け込む優等生的な能力がめちゃくちゃ高い。内心嫌って軽蔑している友達や彼氏の前でも、笑顔をたやさず器用に話を合わせることができる。他者に対しては常に減点方式で値踏みをしているのに、それを悟られることは決してない。彼女は、何もクリエイティブなことをしていないのに、クリエイティブな人たちと知り合って仲良く付き合えている時点で、決して平凡な人ではない。現実の「普通の人」の圧倒的多数は、友達づくりそのものが苦手でコンプレックスだったりするが、彼女の場合はなまじ能力の高い知り合いに囲まれていることで、かえって「バカにして!」とコンプレックスをつのらせている。さらに他者に過剰に同調できてしまう優等生にありがちな話として、「こんなに我慢しているのに」「こんなにみんなに合わせているのに」という、「見返り」がないことに対する不満というか被害者感情がたまりにたまっていく。
こういう「優等生女子」の悩みやコンプレックスを知ることができるのはこの漫画の収穫だが、安定した仕事も友達もいない自分からすれば、あまりに贅沢な悩みで同情できないという感想も正直ある。既に批判されているが、最低賃金パートがデフォルトの独身女子にとって、正社員の経理の仕事は高嶺の花だ。真面目な話、主人公が作者自身の投影であるなら、一度ジェーン・スーのお悩み相談にメールを出したほうがいい。
(追記)
これまでの感想では宮森の存在を誰も重視していないが、こいつはめちゃくちゃ重要な存在である。つまり、「かっこいい/ださい」という基準であらゆる他人を値踏しないと済まないタイプという点で、主人公と宮森は価値観が全く同じ種類の人間なのである。主人公が宮森を毛嫌いしているのは、彼女がそれを悟られないように懸命に隠しているものを、無神経に曝け出しているからに他ならない。宮森は、自分が表面的には否定している嫌な面を鏡写しにしたような存在なのである。しかも宮森のような人間が、クリエイティブな世界で活躍し、彼女が敬愛する伊藤たちに一目置かれているから、なおのことを許しがたい。「我慢に我慢を重ねているあたしが何の見返りもないのに、無神経でやりたい放題のあいつがみんなから認められているなんて!」という訳である。作者も宮森をもうちょっと登場させればよかったのにと思う。
(追記2)
余計だったのは、作者が「全くうらやましくない女性を描いた」と言っていること。「うらやましくない」が性格だけを言っているならともかく、安定した仕事があり、理想的とは言えないが好きなってくれる彼氏がいて、趣味が多彩で友達も多い主人公を「うらやましい」と感じる「普通の人」は多いだろう。実際感想では、経理という仕事を見下している描写(この漫画を読むまでは全くそんなイメージはなかった)に批判が集まっている。パートを三つ掛け持ちしても主人公の収入に遠く及ばないシングルマザーの存在なども、時々は思い浮かべてほしい。
最初何を表現しているのかさっぱりわからなかったが、色々感想を見てなるほどと。これはすごい漫画だと思った。自分用にメモ。
漫画を読む限り主人公は、表面的に愛想よく振舞い、その場に溶け込む優等生的な能力がめちゃくちゃ高い。内心嫌って軽蔑している友達や彼氏の前でも、笑顔をたやさず器用に話を合わせることができる。他者に対しては常に減点方式で値踏みをしているのに、それを悟られることは決してない。彼女は、何もクリエイティブなことをしていないのに、クリエイティブな人たちと知り合って仲良く付き合えている時点で、決して平凡な人ではない。現実の「普通の人」の圧倒的多数は、友達づくりそのものが苦手でコンプレックスだったりするが、彼女の場合はなまじ能力の高い知り合いに囲まれていることで、かえって「バカにして!」とコンプレックスをつのらせている。さらに他者に過剰に同調できてしまう優等生にありがちな話として、「こんなに我慢しているのに」「こんなにみんなに合わせているのに」という、「見返り」がないことに対する不満というか被害者感情がたまりにたまっていく。
こういう「優等生女子」の悩みやコンプレックスを知ることができるのはこの漫画の収穫だが、安定した仕事も友達もいない自分からすれば、あまりに贅沢な悩みで同情できないという感想も正直ある。既に批判されているが、最低賃金パートがデフォルトの独身女子にとって、正社員の経理の仕事は高嶺の花だ。真面目な話、主人公が作者自身の投影であるなら、一度ジェーン・スーのお悩み相談にメールを出したほうがいい。