はてなキーワード: 負債とは
一応関連のPです。
なんでアニメ業界が低賃金のまま続いているか? についての答えは、端的にいえば経営者が経営下手だからです。
第一に、売上の予測が難しいです。それは(コンテンツものは何でもそうだけど)作品のヒット(=売上げ)がギャンブルだからです。体感だと50%が赤字で45%がいろいろあがいてなんとかとんとん、5%が胸の張れるヒット。そんな感じ。仕組み的には5%のヒットで他の負債を支えているといっても良いです。なので、ある時点で会社の業績が下を向いていても、それは全体として下を向いているのか、それともヒットに恵まれてないだけなのか判別が難しいのです。
第二に、関係者が多くてそれぞれ心意気で仕事をしているので、存外情と義理の世界だという点です。低賃金で回っているのもその一側面です。TV放映というタイトなスケジュールの中で作業をしているので、個人の信頼が価値の最上位じゃないと現場が破綻してしまうのです。別にこれはほめてませんし、弁護でもないです。ただ現在、そういう風潮だってことです。
以上の二点から導かれる「経営の難しさ」とはなにか? と言いますと、「撤退タイミングの見切りが難しい」ということになります。
つまり「アニメ業界が低賃金のまま続いているのは経営者が経営下手だから」については、「経営がうまくなれば賃金が上がる」わけではなく、「経営がうまくなれば経済的合理性に従い、スタジオが撤退してそこのスタッフが無職になってアニメの本数が減る」だけです。
はてブのコメやTweetを見ると感じることや愚痴などはたくさんあるのですが、そういう自分の感想を横において、構造を説明すると以上です。おそらく多くの人が漠然と思っていることを言語化した感じになってるのではないでしょうか?
あいつらは安定した仕事、家庭があり、明日は家族と何をしようかと楽しく語らうのだろう
家に帰れば妻が作ったおいしい食事があり、家族で囲んで喜び合うのだろう
そして逓増していく
俺は何もない
何も増えない
ただ失われていく
どんどん屑と化していく
生きていて何か意味があるだろうか
宝くじでも当たらない限り、この貧乏くじの負債はなくなることはない
なんでここまで差がつくんだろう
なんでちょっと幸せになったくらいで、叩き落されなければいけないんだろう
なんでうまくいかないんだろう
なんで?
なんで?
なんでここまで?
正直死んだ方が楽だな、ましだなと思う時間の方が多い
輝かしい時間も瞬間もあったのにな
2年前は
もうずっとつらい
カウンセリングなんて受けても何か変わるだろうか
タイムマシーンが欲しくても手に入らない
せめて2億円でも手にあればな
全部リセットできるのに
つらさも、後悔も、悲しさも、しんどさも、
誰にも本当の本当はわかりっこないから
やっぱり死ぬ方がいいのかもしれない
死んだらすべての意識を絶つことが出来る
考えるのもやめることが出来る
楽になれる
つらい思い出にとらわれることもなくなる
楽しかった思い出がすべてつらい思い出に転化してしまったから、死にたい
まだ受け入れられない
失ったこと
一人になったこと
裏切られたこと
受け入れられないのかもしれない
やはり死んだ方が楽なのかもしれない
思い出がよみがえってきた
つらい
つらい
このまま痛みをずっと抱えたまま死んでいくんだろうな
永遠に癒されることはないんだと思う
誰かを愛して、あんなふうに幸せな交流や日々を過ごすことも、思い出を積み重ねることもないんだと思う
それくらいすべてを失ってしまったんだ
それが事実だ
さて、いよいよ生きている意味がなくなってきた
ただ苦しみをかみしめて、亡霊のように生きていくのか?
まだ大丈夫、と思える瞬間は現実逃避でしかなくて、何も解決していない時間だ
本当の実際は終わっていて、どうしようもなくて、手の施しようのない状態の自分だ
悲しくなるし、情けなくなる
居なくなりたい
疲れたな
なんでこんなに不幸にならないといけないんだろう
もう疲れたなぁ
――
長谷川豊による「自業自得の透析患者は殺せ!」との一連の言説からの炎上が、
イケハヤのエントリが提示した「あるべき倫理観」によって収束解消されてってる気がする。
けど、あんな御為ごかしで溜飲下げてる阿呆は運動と瞑想と睡眠と野菜とPCの電源落とした後にモニタ映る怪物との対峙が足りない。恐ろしい恐ろしい。げに恐ろしきは人の心。ああ今はスマホか知らん。靄靄するので書き出す。
長谷川の繰言もイケハヤの戯言も個人の責任論に終始している。本来いま議論し深めるべきは、来るべき苛烈な負債処理社会に向かう再分配制度の再設計、人命尊重至上主義からのその基盤となる思想、そのパラダイムにシフトする方策なのだろう。一連の話は関連するがまずはさておき。
それにこの文章は腐れトマトの与太の与太っぷり、味わい深さについて口上を述べるなんていう霊媒師の譫言だ。
――
” いやいや、そりゃあ、卑怯者はいるでしょう。当たり前です。この世から犯罪はなくなりません。”
まず、犯罪者と卑怯者は違う。これ混同すんのは真の与太者の思想だ。
元エントリを要約する。
~~
卑怯者はいる。けれど、「その人が弱者であるかどうか、卑怯者であるかどうか」は判断できない(他人からも自分からでも、)
だから、人々の倫理観を高めるべき。それは他者に対する疑念を捨て、他者を信頼すること。
「大半の人は正しく行動している」と信じることで、自分自身も正しい行動を取るようになる。
「みんなズルをしている」と考えている人は、当然ズルをしたくなる。
だから、ぼくらはまず、信じなければならない。
不正をする人がいても、ほとんどの人はそれを正しく、望ましく利用している、のだと。
~~
自分でも他人からでもその人=自分が卑怯者かどうか判断できないっていう考え方ね。
「その人」とは「自分」と交換可能じゃなければまずおかしい。ここでもう自分だけ特別なのか?
・自分からも他人からもその人または自分が×か○か判断できない、
もしくは、
・自分からも他人からも、その人または自分は×あるいは?、/じゃなければ○。
間違っているかどうかはわからないのに、正しいかどうかだけはわかる。現代詩かよ。
で、この「大半の人は正しく行動している」の「正しさらしさ;正しさみ」を判断している主体は誰?
これは、「大半の人は“ボクにとって正しいと思える”行動をしている」という程度の意味だ。
あるいは「みんなは、ボクから見て正しいと思える行動をしているなあ」って、阿が取れたら呆者だ。
ボクにとって正しいと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとって正しいと思える行動を取ることは容易い。
ボクにとってズルと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとってズルをするのは容易い。
お前はどこからどのようにその価値判断基準を得てきたんだよ。社会から、自分なりに、だろ。
だから大体において自分は正しいわけだ。なのに、差異があり、衝突もある。おかしいな、自分は正しいはずなのに。当たり前だ。みんな自分なりに様々な文化社会から得てるんだから。
みんな違うのです。なので絶対的な正しさはないのです、だから「自分からも他人からも価値判断されるものではないです」などと言うのは誤りだ。それは社会上、相対的に決まる。たとえば法律がある。人がどう思うかによる。
(アプリオリかどうかとかは知らん。;
このひとつの人間の心理、思考回路は、拙筆にも矛盾なく親しく感じられる。私はこの心理を、日常生活においてはあなたや、誰にとっても矛盾なく親しく感じられるものと思っているが、厳密には誰かにとって矛盾なく親しく感じられない可能性があることは理解している。)
――
たとえ、「ボクにとってさえ本当はズルいと思える行動」があっても、他人によってそれがズルかどうか判断される意味はなくなる。
また、ボクに良いこと・自然なことと思えることこそ、他人にとっても良いこと・自然なことだと思えるようにならざるを得ない。
――
ここで正しいとか間違ってるとかいうのは、人間社会での価値の判断だ。それは単純な話、みんなが間違ってるって言ってれば社会通念上の間違いだし、みんなが正しいって言ってれば社会通念上正しいってだけの話だ。
自分にとってどんなに正しいと主張しても、その社会において認められなければ間違いとされるし、自分にとってどんなに間違ったことだと主張しても、その社会において認められなければそれは正しいとされる。Xはなんでも良い。論理の式が真理なだけだ。
自分の価値判断は自由だし誰にも侵されない。考えてるだけなら自由だ。でも、文章をはじめ、行為にしたとたんに何らかの、他者からの評価、価値判断は免れ得ない。
――
懸命な諸氏にあられては既にお気づきのように、紐解けばこれまでの、逃亡トマト師への批判と齟齬ないだろ。で、お前らも揃いも揃ってサイコパスか。って言いたいためだけに書いてる。
――
ほとんどの人が「それ」を、自分にとって正しく、自分にとって望ましく利用しているはずだ。
自分にとって正しくなく、自分にとって望ましくない「それ」の利用が不正と思えるだけだ。
たとえば「それ」がなされなければ死ぬというとき、「それ」が自分にとって正しくないことだ、なんて言えるだろうか。
現に制度が整備され、第三者によって利用が認められ、「それ」なしでは自己保存本能が侵されるときに、「それ」を断てるだろうか。
そこに「卑怯者」はいない。社会通念上の価値判断を外してただ個人の生存から見るならば。
そうなったらみんな同じだよねと。
どんなイメージを持つかは自由だけど、基本的にはただ待ってるだけで自分の存在が脅かされるときに、何もしないで待っていられるのは、そりゃ馬鹿か釈迦か瞑想のし過ぎのどれかor全部だ。
誰もがみな生きることに必死だ。必死で生きてるんだから。必死なのに生きずにはいられないんだから。
死にたくないんだ、より生きたいんだ、卑怯もクソもあるかよ。使えるカードはみんな使うよ。
要するに生存競争なんだからと。それを敷衍してけば、バレなきゃなんでもアリだ。捕まらなきゃいいんだ。バレてもゴリ押せば勝ちだ。大義名分の下に持てる力全て使ってこの先生きのこるんだと。
だから、誰かに対して、あなた方だけはどうぞご遠慮くださいなんて言い出す奴は、お前こそ御免下さいだとよと焚べられるのも当然の流れで。
じゃあどうするのか?爺婆が自分で自分を火に焚べるのをまだかなまだかなって夕ご飯よろしく待つか。あるいはカタワらもまとめて誰かが知らぬまに処理してくれるのを見て見ぬふりするか。とりあえずどう考えても自業自得っぽい麻薬中毒者はガンガン殺してもいいかな。もちろん人殺しはどんどん死刑にしよう。「私達」が安心して生きられるようになるまで、どんどん減らそう。
ね、だいたいそんな感じで人類は衰退するんじゃないかな。トランプが勝って、核もまだいっぱいあるし。おそらくそのほうが最適なのかもね、地球全体にとっても。
自分で自分を制御できないんだから、AIに操作してもらい、バランス取ってもらうのが最後の頼みの綱ではあるよね。環境に適応して増殖し始めちゃって自分達では止められないんだもん。ライフゲームよろしく、絶妙なバランスを、自分たちの手だけで構築できるなら良いけど、どうやら無理っぽいし。ホーキング博士やイーロン・マスクが恐れてるのってそういうことだと思うけど、もうそれ以外に方法がない。自分だけ助かる方法なんてないし、結局みんな死ぬんだから、まあ、それでいいんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20160928005843
この増田のブコメがいい感じに馬鹿で、これが社会の成長を阻害する連中かって呆れる。
頭の悪いリベラルの存在こそが自由を奪うのは民主党政権で学んだだろ。
本当に透析患者だけでなく社会福祉で多くの人間を救いたいのなら、考えるべきことがずれてる。頭を使え。
ハンデキャップを持った人を支援するのは未来への投資だ。増田は考えを改めるべき!ハンデキャップを背負った人にしか出来ない社会貢献を考えろ!自分が実現出来なくても、いずれ社会に役立つ日が来る。人を信じろ。
そりゃ社会は経済で回ってるんだからコスパ悪いのは問題だ。ただそれが1年で見るコスパであるべきなのか100年で見るべきなのかがものによって違う。福祉はもちろん後者。
透析患者に溶かしてる1.5兆円があれば、100年もたてば透析患者に100年間で150兆円使った場合の数千倍のリターンが帰ってくる
33万人の透析患者に500万づつ使う位なら、330万世帯の経済的理由で子供のない20~30代の夫婦に対し出産後10年間にわたって、子ども一人に付き年間50万づつ支援する方が良い。
透析患者が子孫を残しても遺伝病もちだが、小梨世帯に支援すれば健康な遺伝子の子供が増える、と誰もが思うだろうよ。
10年で人口が、健康な国民が、1000万人増えれば、GDPに換算した場合のリターンを考えた時、透析患者が稼げる金額など鼻くそ程の価値がない事が容易に想像できる。
100年でみれば、なおさらのこと利益の差は拡大する。透析患者は切り捨てた方が良いという結論にしかならない。お前ら、本当に馬鹿だろ?
短期的に見ても救うべきものは救わねばならない、出来る事なら誰一人として切り捨てなくていい社会を作り上げたい。
しかし現時点ですら財源に問題が出てきていて、更に悪化が見込まれている。さて、それをどうする?それを考える所が最低条件なんだよ。
今後もコスパがいかに悪くても、救うためには1にも2にも金なんだって事を理解して口を開け
透析患者に費やしてる1.5兆円を含めて、社会保障の出費をどうにかしなければ、早晩、盲腸になれば500万なんて時代が来る
それをどうにかしようって議論が、そもそも目に入ってない。呼吸する空気さえ無駄。
id:mur2 病気は仕方のないことだが、社会全体で不公平さへの是正が必要。働いているのに生活保護者より少ない賃金しか受け取れないワーキングプアの問題の解決が一番の課題。ベーシックインカムと人工臓器が実現してほしい。
誰が貴様の様な無能を食わせる事を議題にしてるよ。財政を是正しないと誰一人救えねぇ未来が来るぞって話が、コスパって議論の根底にある。
もしもBIなんか導入すれば、社会保障の一切は消える。それこそ、透析患者すら民間の保険に入って、自費で透析を受けろという事になる。
どこの会社が現在の透析患者を受け入れるんだ?人工臓器なんて10年以上未来の話をする間に、現在の透析患者を殺したいのか?
この手のバカに使う金こそがムダ金で、コスパ最悪になるわ。とっとと北朝鮮にでも行け。
id:fukken 社会の目的は人々全員を幸福にする事であり、社会のために犠牲になる人を作るようでは、本末転倒。効率を気にするなら遅くとも65歳で全員薬殺しなければならなくなる
id:cinefuk 役に立たない順に下層民を切り捨てていく社会を肯定していくと、いつか自身が最下層になる。ディストピア小説から学ぶべきだよ!これは「若者のSF離れ」の問題かもしれない
今現在、社会の為に犠牲になってる、切り捨てられた人間が居ないとでも?
徐々に下層の足切りラインが上がり続けるって話をしてる時に、問答無用に全員を救うべきとかww
救える人数の上限を引き上げる為に何が必要なのか?って所から考えるべきなのにSF離れとか、何見て語ってんだ。
透析患者に使う1.5兆は投資ではない。リターンなど殆どない負債だ。ただし、社会がそれを受け入れる度量を保ってほしい負債だ。
社会が快く、その負債を受け入れる土壌を作るために何をすべきなのか?が大事な事なんだよ。
財政再建し、経済成長させ、少子高齢化を止めることが出来なければ、それこそBIを導入してしまい、生活保護も国民皆保険もなくなる。
そうなれば今よりも多くの人間が、合理的に切り捨てられるんだよ。頭を使えよ阿呆ども。
そんな時に、お花畑理論でジンケンガーとか言ってる奴は、健全な議論をする気分を一気に損なう阿呆だ。
id:sny22015 福祉制度って本質がコスパ悪いものなのにね。病気や高齢で高いGDPを産めない人を支援するのだから。制度に問題はたくさんあるけど、コスパで福祉を切り捨てていったらいつか先進国と呼ぶに値しない国になるだろうね
安定成長を続ける経済があってこそ、人工臓器や新薬の研究に資本が投資される
政治安定や高レベルの教育があればこそ、世界中の製薬会社や医療機器会社などが研究開発機関を日本に置こうとする
国防に不安のない国だからこそ投資が進み発展し得るし、外交関係が順調であれば技術交換も進む
その様な安定した社会の下で、多くの国民が自分以外の誰かを思いやる余裕を持てれば高福祉の社会を維持し得る
これらは透析患者を殺さないで済む為に必要となる要素だろう。日本が内政外交軍事の全てにおいて先進国であれば、救える命が増える。
っていうけど
貧乏をしたことがない人には、まともに料理できるキッチンがない家が想像できないらしい
それが出来たらそうしてるわ。けどそのためにはコンロも炊事場も調理道具も必要じゃないか?そういう想像はできないのか?それが手に入りにくいことには思い至らないのか?
「なんでローン組んで家買うの?利息が無駄なのがわかんないの?総額で車買えるんちゃう?節税のつもり?だったらただのアホ。まだその分運用するなり、アホでもできる確定拠出年金でもしてた方がまだマシ」
って言ってるようなもんだよ
もちろん、知性の貧困や、行動力、人脈の貧困が根本にある可能性はある。
スマホも一括じゃ買えないからローン組んで実質ゼロ円iPhoneだし、定期も1ヶ月ごとしか更新しない。一括で買う手持ちがないから。あってもそれはほぼ全財産だから。
都会の地理もよく分からずに出てきて初めて住んだ家が割高で引っ越ししたい、けど敷金礼金合わせた金が出せない。
とても払えないから多少高くても今のところに住み続けて貯まるのを待つしかない。
そのくらいの貧乏は学生の頃に経験したぜって人は「すこしの期間節約すれは金を捻出できるだろ、甘えだ。現に今じゅうぶん生きていけてるじゃないか」
とか思うのかな…。
そう思う君は、君が貧乏してる頃は少なくとも将来ちゃんと会社に努める、あるいは年次を経れば一定水準の生活の見込みや目標があったから頑張れたんじゃないか?
日々、ただの労働力として使役されるだけの時間を過ごしていてしまうと、思考と行動は鈍くなり見込みが無い将来を想像するだけで、不安になってしまう。そしたらなるべく考えないようにするしか無いじゃないか。タバコ吸うしかないじゃないか。なんなんだ。ていのいいの奴隷ではないか。
そして問題なのは、貧困という鎖に繋がられてしまうとその貧困の柵で抜け出せなくなり、どんどん絡まってしまうんだ。貧困の連鎖という親子や家系の層の問題ではなく、個人の問題としてさえ抜け出せないんだよ。
それでも君は今はまだ、頑張ってないだけ、自業自得。って思ってるかもしれない。
でもよく考えてほしい。
人が寄り集まって作る国にとって人は資産と同時に負債でもある。人が生まれ、育ち、生き、そして死ぬにはコストがかかる。もちろん社会にとってのコストだ。
そしてそのコストをペイできる一人頭の生産性の分岐点を貧困層は超えていないだろう。
今はまだいい。
しかし将来 その生産性の低い人が増え、そして生産できない年齢になるころには社会は大きなフラストレーションを抱えることになる
もうすでに貧困層を想像ができない人が一定数いてるくらいに格差は開いてる
今この瞬間も労働者の使い方は非常に洗練され続けている。資本主義に準じて進化している。生産性は上がり合理的になり続けている。しかしその一方で、そこで労働力として使われる人々は隷属し愚鈍になっていき、個の生産性は下がる一方だろう。経済は回るが金は資本に集まり、そこで働く労働者は貧困化していき鈍じ抜け出せなくなっていくだろう。そしてその人々はそのまま将来の社会に対するコストなのだ。
歴史の浅い今の日本の社会経済制度の臨界点はそのうち必ずやってくる。
そろそろ日本は貧困層を本気でフォローしにいくか、もしくは人権という言葉の解釈を考え直して貧困層との分離をはかる制度設計をしっかりと考えて巧妙に整えていかなければならない
なんでこんな終わってる人生をまだプレイし続けなければいけないのか。
若いころの俺が目先の快楽に溺れていたり考えなくていいことを考えすぎて自滅していたのは分かる。
だが何故その責任を今の俺が取らなければいけないのか。
その頃の俺と今の俺はもう10年以上違う時間を生きた全くの別人と言っていい人間だ。
それなのに何故そいつの負債を俺が背負わなければいけないのか。
ふざけている。
能力だけの話ならまだいい。
だが社会における立場までもがその頃の俺に足を引っ張られるなんて。
今の俺が成長しているならそれでいいんじゃないのか。
なんで昔の俺が逐一引き合いに出されるんだ。
https://www.nta.go.jp/tokyo/shiraberu/gakushu/kyozai/chiba02.pdf
国債が歳入の41%を占めている先進国政府の税収として極めて異常な状態。
対してアメリカ合衆国の歳入
http://www.dir.co.jp/research/report/place/intro-usa/20140605_008612.pdf
データは古いが
しかしながら、なぜ亡国とならないのかというと国民が耐え忍んでいるからである。
その際の負債を支払わずに役人政治家の2世3世たちは今ものうのうと政治をしている。
ようは国民全員から分け隔てなく国債によって税収が上乗せされているのだが、
その国民が疲弊しているにも関わらず死なないおかげで消費税を引き上げることも可能だし、
今の日本国政府は無抵抗主義のサラリーマンたちの手によって支えられているといって過言ではない。
またアメリカではサービス産業にはチップの文化があるため弱者的立場に置かれやすいサービス従事者たちは税を免れる道が残されている。
しかし、チップ文化がない日本ではどれだけ個人で努力したところで耳を揃えて税収され一生彼らは逆転することはない。
弱者も強者も等しく同じ負担をしいれば死ぬのは弱者だけである。
バイト派遣と正社員の扱いや保障が違うのも異常であるがこの概念が導入された際に、
時の労働組合と大企業は国内に奴隷が欲しかったため政府に今の体制を飲ませた。
今の日本の不幸の始まりを作ったこいつらは今ものうのうと生きている。
国民の生命を守るとうたわれた社会保障も本当に守られるべき弱者は守られていない。
生活保護も切り捨てに掛かろうとしている。
本当に受給が必要かどうかを明確に判断するマニュアルすら無いまま進められている。
身寄りのない老人の箪笥預金が消える先は国だ。
私は恐ろしい。
国の理不尽で無策で無能な政治によって年々膨らむ税に物言わずに律儀に支払続けている国民たち。
お国のために死ぬという精神性は決して滅んでいなかったのである。
大々的な戦争が無くなった現代においての戦争の代替物とは経済格差である。
今、日本は戦争状態に突入しているにも関わらず、それに目に見える形で認識できていないため他人事の態度をしている。
我々は死に向かっている。
私は死に向かっている。
あなたは死に向かっている。
彼は死に向かっている。
彼女は死に向かっている。
独立した個性ある一人の人間として全員一人ずつ一人で死に向かっている。
空いている落とし穴に気付かずに。
憎め。
反骨しろ。
憎め。
憎め。
憎め。
憎め。
今の生活を変わるために憎め。
レイトショーの回を観に行った。
まずとなりの席に座ってたババアが最悪。
七対の触手を落ち着くなくうねうね蠢かせて視界を塞ぐし、十七秒間隔で先端からオレンジ色の膿汁みたいなものを撒き散らす。
入場前に持たされた3DLSDを服用すると、光の世界へジャック・イン。
おれたちはもうゴジラだ。
アーチ型に列に並べられた、八十ほどあるパイプ椅子のうち、その日使われているのはたった五脚だった。わたしたちは互いに離れて座っていた。わたしたちは一人になるためにここに来たのだ。自己省察、つまりは失われた人生を結果論で批判したいという欲求。それは宗教の信者が抱く祈りへの欲求くらいにやむにやまれぬものだった。
シンゴジは昔の大作の映画みたいに、本編上映中に休憩時間が挟まっていて、そのあいだトイレにも行かず、ホットドッグを補充しようとしないやつは十五分間のニュースを観させられる。その一コーナーは株式市場報告だった。素人くさい二人の女の子が、熱心にその日の市場の動向を報告するのだ。
私は見て、聞いた。女の子たちは私の娘だった。オオクニヌシとアマツヒコネ、十歳と十二万歳。二人の母親が電話でぶっきらぼうに、娘たちがTOHOシンデレラに選ばれてこれこれの番組に出ることになったと教えてくれた。
二人は画面で無表情にアラブ首長国連邦で急速に進展している状況について報告していた。
「東京株式市場には深刻な影響は出ていないと政府はコメントしています」
「ドバイは国民ひとりあたりの負債が世界一多い」オオクニヌシが言った。「そして、建築バブルもはじけ、もはやドバイは借金を〜〜〜(聞き取れない)へ返せません」
「何十億かの誤差はありますが」
「負債を負ったこの都市国家は、六ヶ月の返済猶予を諸銀行に求めています」
「ダウ・ジョーンズが下がった」
「ドイツ銀行」
「下がった」
「また下がった」
「ホンコンのハンセン指数」
「どんどん下がる」
「下がった、下がった、下がった」
以前の人生は毎分のように自分を書き換えていく。四年後にも私はここにいて、この薄暗い客席で悲惨に座って石原さとみのルー語を聴いているのだろう。
自由になった未来などなかなか想像できない。信じられるものなど何一つない。
日本は立ち直りなどしない。
この二十数年、いや、この六十五年間、立ち直ってこなかった。
立ち直ったのは監督の鬱だけだ。
「恐怖は増すばかりです」
「数字の恐怖、拡大していく損失の恐怖」
「恐怖とはゴジラのことです。話題はゴジラです。ゴジラには収益性があります。五百八十億ドル、それとも八百億ドル?」
「速報です。ハリウッド版ゴジラを製作しているレジェンダリー・ピクチャーズが中国企業に買収されました」
「速報です。エヴァンゲリオンはもう誰も観ていません」
「なぜなら誰もが観ているからです」
戦争、休戦、無秩序に右往左往する群衆のインスピレーションとなってきたサッカーとゴジラと映画。どれも世界で熱狂的に愛されている。あるオブジェクトを追い回し、草地や芝生や都市で行われ、国全体が高揚や悲嘆に身を悶える。
もしゴジラがアメリカの発明品だったならば、古くからの清教徒的な本性に導かれて、マスターベーション禁止という原則にのっとった作品にならざるをえなかっただろう、とヨーロッパの知識人が唱えたりしないだろうか。
これはいま私が考えていることのうち、以前は決して考える必要のなかったことの一つだ。
肌が音を立てながらが溶けていくのを感じる。
性器が溶解していくのを感じる。
それがなぜか妙に心地いい。
国民の選挙から選ばれた企業が法人化して運用する営利団体へと変える。
そして公約を守れているか弱者を不当に虐げていないかの監査委員会を作り、
・実行政府
事業負債は予算オーバーした場合、自腹で補てんする義務がある。
公約を守ることで利益の取り分が上がるので利益だけの事業では赤字になる。
・各省
・司法
変わらず。
・立法
変わらず。
これで政府が公約を守らない場合は実行している企業が赤字になるし
実行政府は予算を使ってプレゼンした国家事業をもってして企業利益を上げ、
その代わりに公約を果たすことで国民に生活水準と安全・健康の保障をする。
公約を守って任期を全うし国民の代弁者の監査委員会が監視する。
何も問題ない。
「これとこれ守ってくれたら予算好きに使ってお金稼いでいいからね」
「うちは絶対利益出すし公約守れますからがっぽり稼がせてもらいますよ」
これが健全な形だと思うの
国民に一定額の収益が支払われた後に評価ポイントと残り収益で企業利益が決まる
当然大多数が協力的に支持するでしょ?
例えば育児所が必要だから作ってくれというのに収益が出そうなプロジェクトで挑んで
収益が思うように出なかったとしても公約さえ果たせてたらポイントもらえるし
欲しがってた育児所にみんな子ども預けることで国民は恩恵を受けることができる
もしマイナスになっても公約が果たせたんだったら国民の願いは叶えたとして損益を補てんする責任もないだろう
もちろん極端に損益出したらその場合は責任を取るべきだろうけど
今は
「たはは、失敗しちゃいました~公約まもれてまてーん!とりま国債国債っとお~^^」
「(無関心)」
これのくりかえしでしょ
汚職より酷いよ
子ども、いなくなるよこの国
EU離脱派が勝利を収めましたが、この原因は貧困層をいじめすぎた・甘やかさなかったせいだと思います!
貧困層は今回の選択が必ずしも自分たちのメリットになるとは考えていません!
もちろんデメリットとなることが分かっている者もいるかもしれませんが大半はそれも分かっていません!
ではなぜ、メリットになるともデメリットになるとも詳細が分からないことを決定したのでしょうか?
個人では力が無い故に形にならなかった感情。
それが団結することで明確に力になろうとしている!
旧・民主党政権が誕生した民衆心理と完全に一致しているのです!
自民党に不満がある、でもそれを形にして表現するだけの力が無い、
その状況に上手くのっかかれたのが民主党だったのです!
つまり民主党は民主党自身のチカラによって当選したのではなく、
ですから、まともな政治主導もできずに野党に逆戻りしたわけですね。
これは自民党が「貧困層の動きを軽視しすぎた」ことに支払わされた代償であり、
決して野党の大勝利ではなかったのです。
そして自民党政権にすぐに戻ったのも民衆が自分たちの想いが具現化したものは
「正義の戦士」ではなくて自分たちを短剣で刺し回る「悪魔」だったことに気付いたからでしょう。
そして野党に政治主導する力がそもそも無いことを今の世代に露呈させたことから
本当に選択が正しければまだ民主党政権が続いてるわけですから。
イギリスの民衆も同じようにEU離脱することで自分たちの不満を具現化したかったのです。
低所得者にありがちな現実問題の解消よりも心理的充足を優先させる傾向が大衆にも当てはまったのです。
これから先にイギリスの貧困層は今までよりもさらに多くの負債をかぶさり、
自分たちが生み出した「悪魔」に心臓を刺されていることに慌てて気づき、遅まきで後悔するのだろう。
後悔先に立たずとはこのことですね!
たちが悪いのが、勇ましく泥を被ろうぜと富裕層にけしかけた結果だとしても、
富裕層よりも所得の低い貧困層や直接的な被害にあった株に手を出していた貧困層~中流層は線路に飛び込んだのではないでしょうか?
これは数が増えすぎたせいで自ら暴走して死に至らしめる「蝗害」とどこか似ています。
民衆すら気づかない真の目的は「私たちが暴走しない範囲で上手く騙すか、
恩恵を与えて欲しい」というメッセージを切実に富裕層に向けて送ることなのです。
コチラの方が本当の脅しなんですよね。
「私たちが蝗害になってしまう前に、貧困層いじめをやめて欲しい」というメッセージが本当の真意だったのです。
このことを今の富裕層がきちんとキャッチしないことには、人類滅亡まで永遠に貧困層由来の蝗害は発生し続けます。
お互いが不幸にならないためにも本当に変わらなければいけないのは?
教養もない、お金もない、選択肢もなければ、才能もない、覚悟も無い、時間もない、味方もない。
奴隷が奴隷で居続けるための最低限のボーターを調整することが富裕層の義務なのです。
全体を調整する役目が選ばれた人間には責務としてあったはずです。
虐げられることは望んでいないのです。
同じ市民ならもっと警戒して警鐘を鳴らし続けるべきなのになぜ放置してしまうのか?
49%の市民たちはなぜもっと危機感を募らせてアンチ反知性主義活動をしなかったのか?
どこか他人事だった
そしてその負債の泥を反知性主義者たちと仲良くおっ被り咀嚼させられて
やっとこさ自体の重大さに気付き慌てて行動した
遅すぎるんだよ
格差を例え上流階級に生きる人間とて放置してはいけなかったということだ
下流世界の人間を放置し奴隷化し続けているとこういう全体攻撃魔法のようなメテオ行為を平然と行ってくる
それは巡り巡って自分たちの損害にもなる
なので下流世界にも叡智という雫をキチンと垂らしていくべきなのだ
反知性主義者には知性を与えることがエリートたちの宿命であったはずだ
離脱に喜ぶイギリス人女性の頭悪そうな低所得な笑顔の画像を見ながら憂鬱な思いだ
本来は貴族がこういう人間たちを導くモーセの役割があったはずなんだ
そうじゃなければ村長が考えをまとめて導いてきたはずなんだ
いつからだろうな
引責自殺?「責任取って自殺します」? 理解できるわけないでしょうそんなもの。だって責任取ってないじゃあないですか。
宙ぶらりんになった責任と、手間と、死体を残してあの世にとんずら。どうしてこれが”責任を取った”ことになるのか、まったくもって理解不能です。
欧米人だって「自責の念にかられて」「将来を悲観して」「批判に耐えかねて」「多額の負債を負って」、それで自殺するってんなら、まあ理解できるでしょうよ。
「取り返しのつかないミスをしてしまいました。責任を取って夜逃げします!」なんてバカなことを言われたら、アナタ、こう返しますよね?
「逃げるな!責任を取れ!」
自殺でも同じです。ただ、連れ戻して責任を取らせるのが不可能というだけで。そして、強く批判しにくくなるだけで。
むしろね、私ね、引責自殺が理解できちゃう方が良くないと思うんですよ。
本来なら、責任者が自殺しちゃったら、宙に浮いた責任はまた別の責任者(達)が背負って処理するんですよ。
そして次がないように、あったとしても被害が小さくなるように、過去の知見として事例として積み上げていくんですよ。
なのに、自殺しさえすれば、責任を取ったことにしてもらえる、なんて了解があったとすれば、宙に浮いた責任はどこに行きます?
だれも責任を取らずに、宙ぶらりんのまんまです!その上、自殺するインセンティブすら生まれてしまうのですよ!
それでは、死体と、被害と、悲哀しか残りません。次にはつながらず、全てそこで終ってしまうのです。未来も含めた、全ての人民にとっての悲劇です。
ではなぜ、にもかかわらず、日本では引責自殺が多いのでしょう?好まれるのでしょう?
それはきっと、「責任を取ること」と「謝罪すること」が混同されているからではないでしょうか?
「謝罪すること」が「責任を取ること」ならば、引責自殺は責任の取り方のなかで、きっと最も強力なやり方の一つでしょう。
いわゆる「死んで詫びる」「セップク」といったやつです。
しかし、それではいけません。謝ることと責任を取ることは別ものなのです!
謝る。責任を取る。両方必要です。大切です。でもどちらかしか選べないなら「責任を取る」べきです。
責任を取っても、謝ったことにはなりません。アナタのハラワタは煮えくりかえったままかもしれません。
でも、謝ったとしても、死んで詫びたとしても、それでアナタの腹の虫がおさまっても、まだ責任がとられていないならば追求を止めるべきではないのです。
今のために、次のために。
スッキリして、それで終わり、ではないのです。それではいけないのです。
私はそう思うのです。
しかし、彼女は異世界で盗みを働きそこから逃げて現代日本にやってきたのであった。
彼女は異世界、位相が異なる世界であっても間違いなく、人間が人間であるために絶対に必要なもの、
そう「塩」それも、ものすごい量を、魔法的な道具とかで盗み、現代日本でそれを売りさばこうとしていたのだ!
ところが、日本で「塩」を大量に売りさばくことの難しさに心折れてしまい、投げやりになり、小さい妖精の姿に変身して、
肝心の魔法少女はなんと、塩の独占販売的な奴の法律をなんやかんやして日本たばこ産業をタバコに依存しない会社にしようとしていていた的な野望を抱えていた場合、
みなさんのキャスティングをお待ちしておりまーす!