はてなキーワード: 私大とは
頑張りが足らなかったから落ちたんだし当然の結果じゃないのか?
というかその場合偏差値40台の高校なのに有名私大に行けた奴がむしろ上手くやったという意味で良いほうなんだよw
だいたい中高一貫超進学校から底辺駅弁行くのだって十分アレだし
そもそもその中でも灘とかレベルになると、たとえ東大に言ってもこんなやつと同じ学歴なのか、ってなるぐらい高校のレベルに差があるやつが同学に存在してしまうものなんだよ。
はあ、まあ南関東に住んだこととか無いからそこに住んでる人の事情はよくわからんけど
センター8割超えとかする層は所謂最難関志望が多く、東大京大に出願しても確実に受かるとは限らんし、
偏差値40代の底辺駅弁に行くぐらいなら後期も一橋とかに出す。つまり、国公立に落ちる可能性が普通に高い。
そして、仮に国立に落ちても、そもそも有名私大に高確率で受かる。
でも、そんな上を狙わない「普通の受験生」なら、8割取れても安全を志向して底辺駅弁に出すかもしれんし、
センターとっても普通に私立受けるって感じだったけどなあ。昔ってのがいつなのかは知らんけど。
例えばセンター8割8分割取って、東大、一橋に出願、それでも早稲田受けに行くとかむしろ普通だったし
長期休み以外は週に3、4回は会っていた、親友ともいえる友達がいる。仮にAとする。
Aの家は中途半端に貧しい。母子家庭だが上の子ふたりを私大に入れられるし、本人はバイトをしていない。学費のためにバイトに追われるレベルの貧乏ではないということだ。
しかし、寒がりなのにコートが買えず、ペラペラの服を重ね着している。それで凌げる訳もなく、いつも寒いと言っているし健康被害も出ている。
2000円のアクセサリーを「高い」と言う。700円を超えるランチも「高い」と言う。「8000円のコートって安いよね」という発言に共感してくれない。些細なことだが、こういったことの積み重ねにより、確実に「違う」と分かっていた。
いちばん引っかかるのは、毎年ずっと1000円程度の誕生日プレゼントをくれていたことだ。私は、はじめはそのくらいで様子を見て、仲が深まってきたら金額を上げていくのが普通だと思っている。しかし、Aはそうではなかった。金額を隠す努力をしないので、容易に1000円程度だと分かってしまった。
前から欲しかったナイキのスニーカーをもらった、ディナーに行くとサプライズでケーキが出てきた、といった友人たちの話を聞くと「そういうことだよなぁ」と思ってしまう。
お金が無いからではなく、上記のようなことを私にやる価値がないと思っているからかもしれない。「お互いに親友だと思っている」という確信が持てるほどの色々な出来事があったのに、プレゼントの内容だけでそんな風に疑ってしまう。
最近は別の友達とよく遊んでいるのだが、とにかく楽だ。バイトをしていないという点ではAと同じだが、上ふたりを大学院に入れられるくらいの家庭で育っている。10000円を超える服を着こなし、当然暖かいコートも持っている。何にでも興味を示し、私が声をかければ交通費だけで15000円ほどかかる場所でも一緒に行ってくれる。海外旅行にも乗り気である。
オシャレな店で1000円ほどのランチを食べ、ショッピングを楽しみ、疲れたらカフェでお茶する、という王道の遊び方ができるというだけでかなり楽しい。都心に出ても食事とショッピングしか楽しめないようなところに住んでいるからだ。
交通費のかからない場所を探したり、高いと思っていなくても「まぁあそこは高いからね〜」と言ったり、持ち物の値段を言わないようにする努力をしなくてもいいのがこんなに楽だとは思わなかった。
Aはガチの貧乏ではないので、お金のかからない遊びを知っている訳ではなかった。こういうところが、中途半端な貧乏の不幸だと思う。
成人しているのに100均や300均で買ったものを誕生日プレゼントに選ぶセンス。お金のかかる遊びが制限される不便。新しいものに興味を示せない感性。
これらが貧しさにより生み出されたものだと分かっていても、一緒にいる上でがっかりしたり、傷ついたりしてしまう。
誰にも相談できず困っていたが、いま、Aとは縁を切ることにした。
当たり前だけど、合わない人と無理に仲良くする必要はないよね。
F欄卒や底辺高卒でもあるまいし、有名私大や中堅国公立卒業して名のある職業についてるくせに底辺を自称する「中堅上位層」の意識をどうにかしないと
「底辺論」を議論するのにかなりの障壁になるような気がしてならない。
マーチ出て大手企業に努めて30代年収650万円、でも本人の意識からすれば東大落ちの「底辺」かもしれんが
社会全体から見たらそうではないという現実を叩きつけなければならない。
つらい現実を叩きつけるのなら残酷だが、お前は自分が思ってるよりすごいんだよ!と言ってやるのはそこまで悪逆非道な行為とも言えないような気がするし。
とにかく、1億2千万人の中で1万人ぐらい除いて全部底辺になりそうな感覚で語ってる人間に、いろいろな観点から中間層という概念を覚えさせずに
同じ「東大法学部出でない人」とはいえ中卒ブルーカラーと早稲田法卒弁護士を一緒に語るのは無理がありすぎるぐらい頭いい人にはわかってほしいんだが。
俺は大都会の真ん中で生まれ育って、そのエリアの国立大の大学院まで行ったので、まあ、都会の人間だと思う
大学は望めば誰でも行けるものと思っていたし、勉強嫌いな人や、特に他にやりたいことがある人が行かないよね、程度に思ってた
言うとバレそうだけど、辺境の人口10万人程度の街の高専の先生をやっていた
高専なので、当然、ここに来る人は1年次から普通に受験して大学に行くことはない
都会に近い高専なら、7割くらいは大学に3年次編入するけど、僕のいた高専では、大学編入者は半分以下だった
最寄りの大都市まで行こうと思うと高速でも3時間程度かかるような田舎で、大卒がほとんどいない街で、大学に行かない子供達を教育し、進路指導する
こういう経験を何年かするとね、ああ、田舎ってこうなんだなぁーってものが見えるようになって来る
ああ、俺、田舎って知らなかったな、って
そういう学生と関わるからこそ、ただ田舎に暮らすだけじゃ見えない田舎の文化も見えるようになる
しかも高専生はそこそこレベルが高いので、田舎であるがゆえに、優秀だけど大学にはやれない家庭、みたいなのとすごく関わるんだよね
田舎の中でもただ貧しい子、ってわけじゃないんだよね
このくらい、都会と田舎の両方を肌で理解して、都会論田舎論語ってる人って、はてなじゃほとんどいないよねーって思うわ
都会も田舎も、文化の違いであって優劣じゃないんだよ、ほんとに
都会が劣ってるところも腐る程あるし、田舎のつらいところも腐る程ある
田舎暮らしは言うほど安くない!って騒ぐ人も多いけど、単身者じゃあんま変わらないし、中流家庭を築くコストはどうやっても田舎のほうが安い
自分の家族構成、ライフスタイル、趣味趣向によって、合う街合わない街があるだけ
お前それは
まだ学生の若い人ならいいけどおっさんおばさんなら反省が必要よ
ワイ東京生まれ東京育ちだからあれだけど、普通に高校生にもなれば<大学に行くことの意味>と<大学に行かないことのリスク>位は把握するはずだから、
家族も回りもみんな高卒だったらそもそもお前が言ってるような情報にアクセスする機会が減るし
たとえアクセス出来て文字情報として理解できても感覚としては周囲の高卒ワールドがノーマルなんよ
お前だって周りもそうならまあ大丈夫かって安心したことなんかではあるだろ
たまに田舎とか貧困層に生まれて自発的に目を啓いて抜け出す奴が居るけど
それはそいつが傑物なのであってそんな奴滅多に居ないわ
こんなの周囲と親がそういう感じにしてくれたのがまずあるわ
大学によると思うが、ウチの場合は修論を提出した段階で、博士後期課程への進学と学位発行がほぼ決まる。逆に提出した段階での差し戻しを食らう場合は、修士論文撤回の憂き目となる。教授も出せるように指導するし、学生も間に合うようについて行かなくてはならない。とりあえず提出できたので問題がなければ、このまま無事に修了、進学となる。良かった。
よくある適当な私大の阿呆学部を卒業したので、司法試験を受けるでもないのに卒論は書かなかった。留年もかました典型的マジメ系クズな学部生時代の禊ぎをすませることができ、うれしく思っている。ウェーイでもDQNでもオタクでもなかったあの頃の残念さ、大学を卒業してからの放浪にも似た十年を、期せずして総決算する機会となって良かった。
文系修士・博士は無意味だと騒がれて久しいが、そんなことないと思う。そもそも社会的に無意味・無効な誤差として処理される人間にとって何かしら一つをやり遂げた記念が、社会的に認証されることは自信を得る機会になる。もともと無意味な人間には、意味のあるものだ。
幼少期から思春期、青年期にかけて自信を育む機会を生かせなかった人間には辛いことが多い。自信の無さが生活態度、言動に現われるし、結果、多少の理不尽なり違和感を周囲に与えて暮らすことになるからだ。その齟齬が対人関係の軋轢となる。
もちろん修士号をもらったところで、身に染みついた挙動の滑稽さ、可笑しさが拭えるわけではない。聖痕のように残るものだろう。それでも、何かをやり遂げたという実感が、ありふれて大したことではない修士論文の提出という事柄に込められていて、少しだけ自信を得ることができた。
4月からは博士課程に進む。同時に研究分野の珍しさと新しさもあり、ある企業が研究員として雇ってくれることにもなった。学振は落ちたけれど、博論を書きながら、研究員という願ってもない形だ。
もう若者ではない。朝、鏡をみると、残念なおっさんが寝ぼけてくたびれている。老いつつある両親に会った際、母に結婚について聞かれたが、それはあきらめている。でも、覗いてみたい世界があり、その世界に研究員という形で足をつっこんで暮らしていけるのだ。悪くない。
21世紀も後半になる頃には、僕はこの世界からログアウトしているだろう。それでも、自分が残した浅薄で僅かな研究や記録が、後継の偉大な天才と俊英たちのいくらかの踏み台になり、また諸俗凡人の皆さんに少しでも益するならば、それでいいじゃないかと思っている。百年後に一度、次の誰かが少しだけショートカットできるための一行を書く仕事、それが僕の務めだ。
修士論文を書くということは、最低限、その分野の歴史の全体が見えており、研究史の中で自分の立ち位置を把握した上で、浅彫りの僅かながらも確実な成果を置いていくことを意味する。そうすることで、今までぼんやりと見えていた世界がくっきりと鮮明に見えてくる。ザルだった視点が、精細さをもってくる。それが世界と他者と自己の精彩さに変わってくる。分野によるし一概にも言えないかもしれないが、僕はそういう経験をした。
修論を出し終えて、本当にやって良かったと思っている。
私は、とある田舎の駅弁大に通う学生だ。昨日、とある議員さんからとてつもない話を聞いた。
東京で数十年間社会人生活を営んだ後、田舎に帰ってきて、税理士をはじめる。
当時、ほかの税理士事務所が手取り10万程度で求人をしていたなか、彼の事務所は「優秀な人材がほしい」という理由で手取り15万で求人をかけた。
すると、ほかの事務所は「こんなの常識的に許されない」、「お前のせいで俺らがつぶれたらどう責任とるんや」、「人間性のない奴」と罵られ、挙句の果てには地元の税理士会までもが「手取り15万を撤回しなければ、除名処分にする」という圧力をかけてきたそうだ。
資本主義経済下での自由競争も私的自治もくそもない。日本税理士会にこのことを伝えたら、当然のごとく「不当な競争阻害行為をやめろ」というお達しが来た。
しかし、地元の税理士会は「日本税理士会とは違って、うちにはうちのルールがあるんや」と開き直ってしまったらしい。
東京ではありえないこんな仕打ちを受けて、彼は相当ショックを受けたそうだ。
この件以外にも、田舎の封建的な社会の風潮に不満・怒りを覚えることは多々あったらしく、自分の地元がこんなのでは情けないと思い、議員になられたとのことだ。
40代独身の親友が自殺した、という記事がリツイートされてきた。
タイトルを読んでああ未来の自分のことかもしれないなと記事を読み進め、その人の結婚に対する焦燥感や絶望を想像し、大いに共感した。
けれど、子供が欲しかった、というくだりを読んでふと気が付いた。
四半世紀生きてきて、私は自分の子供が欲しいと思ったことがない。
件の記事の女性に共感すると書いた通り、私は典型的な独身アラサー喪女だ。
中流サラリーマン家庭で、長子にしては親に甘やかされて育った方だと思う。
学生時代から大人しくコミュ障気味の地味なオタクで、中流家庭にしては塾や習い事にお金をかけてもらって、そこそこの私大に進学した。
途中不登校になりかけたりして中高時代にあまり良い思い出がない私にはサークルやゼミなど、大学生活は楽しかったし、比較的自由な校風の大学は新鮮だった。けれど大学に入ったことくらいで生来のコミュ障が治るはずもなく、恋人や親友と呼べるような友人はできなかった。
まあ恋人ができなかったのはブス(しかも高校〜大学時代は今より5キロ太っていて、身長160センチ体重54キロで筋肉のない下半身デブ)だからだとも思う。
そんなコミュ障ブスのくせして準備と能力が足らずに就活で大失敗し、藁をもつかむ思いで就職した月給手取り約20万の会社で、今のところ職場で問題を起こすことはないものの辛い業務が多く、日々辞めたいと思いながら3年目を過ごしている。
だからと言って再就職がうまくいくとも全く思えないので、当面転職も考えられない。
転勤してから一人暮らしをしているが、仕事だけで疲れて帰ると何もできず、自炊はおろか(食事の8割はコンビニの出来合いかレンジ調理のみの冷凍食品、昼食もコンビニ)必要最低限の生活(週2回の洗濯、月1回程度の掃除機)で精一杯という体たらくで、休みの日は予定がない限り家に引きこもっている。
買い物すら行く気が起きず、最近では週末になるとネットスーパーで冷凍食品と飲み物、シャンプーなど最低限の食料品と生活用品を注文する生活。
実家暮らしの頃はオタク趣味にお金を使っていたので、貯金総額はこの冬のボーナス(手取りの2月分ほど)が入ってようやく300万に届くか、というところ。今後少しは昇給するとしても、この年収でおひとり様として生きていける気はしない。
あまり長く生きていたくないので将来に備えるという発想にもならず、保険や個人年金、社内預金などもしていない。
親に愛されなかったわけでも、環境にそこまで大きな問題があったとも考えられないので問題は自分自身に有るのだが、私は自分に自信がないくせに自己愛とプライドは中途半端に高い。
一方で自分を好きになる人などいないと思いながらも、なぜ世間の人はこんなにも皆結婚しているのに自分には恋人のひとりもできないのだ、と内心落ち込んでいる。
仕事と勉強で疲れている、を言い訳に恋人を作る努力も友達を連れ努力もしていない。
コミュ障かつ真面目系クズの上、とんでもない内弁慶なので、そんな悩みを友人や他人に相談することなど到底できず(というかそもそも友人が少ないしそこそこの大学を出てしまったために仕事の話をすること自体がコンプレックスと化している)、月に何回かは仕事の愚痴を暴言に近い口調で親に聞いてもらうことで鬱憤を晴らしているような体たらくだ。
脱線しすぎたので、話を戻す。
それならばその先を考える意味はないような気もするが、私は自分の子供が欲しいと思わない。
人生は今のところうまくいかないことの方が多く、私は自分自身のことが嫌いで、万が一にも自分の遺伝子が入った子供が生まれるなんてことは考えられない。
もしも半分が好きな人の遺伝子だとしても、半分は自分の遺伝子の入ったその子を愛することなどできないし、うまく育てられず虐待するかもしれない。
私に似るとしたら(というかどこかしらは似るだろう)その子は絶対に美人ではないし、要領も悪いだろうから幸せになれるとは全く思えない。
そんなかわいそうな子は産みたくない。
まあそもそも恋人すらできない時点でそんなことは夢物語なんだけど。
未だに自立というものが全くできておらず、もしも親が居なくなったらどうやって生きていけば良いのか全く分からない。
孤独は怖いけれど、世間の多くの人がしているように恋人を作り結婚する自分というものをイメージできない。
というか私のどこに誰かが好きになってくれる要素がある?考えているだけで無間地獄に陥りそうになる。
でもおとうさんおかあさんごめんなさい、だから私は貴方達に孫を見せることは絶対にできないし、できることなら貴方達より先に死にたいです。
たまに学生に間違われるくらいの未熟者だけど、それなりの経験は積んできた。
先日臨席した教授会で、ある学科の入試(非一般入試)の合否判定が行われた。
以下は、資料を直接目にしてはいないが、議論の過程で把握できたことだ。
判定の原案によると、募集人員(少数)を大幅に超過した人数を合格としている。
募集人員を無視しているだけでも、あやしさMAXなのだが、それだけではない。
この原案のボーダーラインだと、特定の専攻分野の志願者のみ全員合格となっているのだ。
特定の受験生の得点だけ上乗せ操作しているのがモロバレである。
原案に疑義を呈した教授が一部いたけど、結局原案通り承認された。
なにより受験生全員に対して不誠実だ。
教授会が終わったあとで、職員たちは「ありえない」と囁いていた。
ちなみに職員は教授会の構成員ではないのでみずから発言はできない。
どこかに告発したほうがいいのだろうか。
(追記)
もういちど読まれることはないかもしれないけれど、主な反応にコメントを返す。上ではあっさり書いたので、判定のヤバさが伝わっていなかった。反応のおかげで頭の中を整理できた。
一般入試では、その通りだ。合格者数の調整と歩留まり予測は難しく、入試担当者の能力が問われる。入学者は大幅超過しても定員割れしても、文科省からの交付金や補助金が不交付や減額になる。
だけど今回の入試は一般入試ではない。合格者は辞退しないので全員入学する。だから一般入試で定員割れする場合を除いて、この入試で大きく超過する必要はない。超過しても1・2割増が一般的な範囲だ。上で「大幅に超過」と書いたのは、1・2割程度の超過ではないからだ。
以下はたとえ話だが、募集人員10人のところ、当該専攻の受験生が4位、9位、12位、19位だったとする。19位までを拾いたくてボーダーラインを大幅に下げ、19人目までを合格にしたのだ。合格させたい受験生に相当下位の者がいたということは、公正に採点しようとした採点者がいて、採点の「上乗せ操作」がうまくいかなかったのかもしれない。
合格者超過はこれまでもあったことで問題とは思わない。ただ今回ざわめいたのは、さすがに特定専攻だけを全入させるために、10を19にするのは「度が過ぎてる」ということ。外野から見ても不自然だ。
最終的な入学者数は変えられないので、この措置のしわ寄せは一般入試におよぶ。いま一生懸命受験勉強している一般入試受験者にとって、合格機会が減らされてしまう。
(私大の入試では、もっと露骨な得点操作をしていると聞いたことがある。裏で操作し公平な試験のように見せているのはコンプライアンス的にどうかとおもうが。)
その通りだ。証拠を出せないから告発しようがなかった。資料は入試課が保管している。持ち出せないし、入試課は表に出さないだろうから文字通りのお蔵入りだ。資料には、順位と受験番号と(操作済みの)得点結果と合否が記載されている。誰が見ても、順位と合格ボーダーラインが不自然なことに気がつくはずだ。
合格者発表の受験番号の並びで、カンのよい受験生や高校はすでに気がついているかもしれない。
>募集人員を少なくして倍率を高く見せている
少なくともここはそうではない。倍率はそれなりにある。大学はやりたくないが受験機会を増やさざるを得ない。文科省の入試改革で推薦入試やAO入試の枠を拡大しなければいけない事情がある。
その通りだ。不正の原因はここにある。学長に予算と権限が集中し、この数年間で学内の雰囲気が変わってしまった。
の構図が強化されている。一見ガバナンスの統制がとれ組織経営的にはスマートになった。実際は意思決定プロセスがトップダウンになり、学長のアメとムチが容赦なくふるわれるようになった。今回の不正判定は、教授会が積極的に実行したというよりも、みな学長のムチが恐くて、おそるおそる不正に手を染めたのだ。
この専攻は学長の肝いりで実現し、大学広報の目玉になっている。つまりこの専攻の入学者が低調だと、大学にとって都合がわるく学長のメンツがつぶれる。このことを関係者全員がおびえている。学長は、交付金をくれる文科省からの評価を落としたくない。教員も、学長の意に沿わない判定を出して、学長からの評価を落としたくない。なぜなら人事評価や予算などの権限を最終的には学長がにぎっているからだ。
こうなると、みな組織の上にいる者の機嫌ばかりを気にする。教育の質や研究倫理や公正な選抜といった大学が本来果たしていた機能が弱くなる。なにより受験生のことを考えていなくて大学としてヤバいと思う。
自分が通う予備校はほとんど浪人生、現役の高校生は全体の3割程度しかいません。なので自習室はほぼ浪人生、夕方になるとチラホラ高校生がいるといった感じです。もはや浪人生の学校です。
浪人生には色んな人がいます。自分の通う予備校にはスクールカースト上位層、中間層、下位層の順番で人数が少ないです。なので下位層が1番多いです。上位層はいわゆるパリピみたいな人たちばかり。イケメンや美人が多いです。しかもみんな頭が良い。うちの予備校は、といっても他の予備校も同じだと思いますが、頭の良さでクラス分けされています。上位層の方々はみなさんその頭の良いクラスの人たちばかり。私大文系のトップクラスにいる人はもちろん、国公立文系(一橋志望の人が多い)トップクラスの人や、東大コーストップクラスの人など。それにお金持ちが多い。上位層にいるイケメンの多くは全身コーディネートで予備校の前期分の学費が払えるほどの服をまとっています。
中間層は上位クラスから下位クラスまで様々な人達がいます。上位層より人数は多いですが、下位層よりは圧倒的に数が少ないです。中間層といっても、その中にも明確にスクールカーストが見えます。上位層の人たちとも仲が良いけれど、一緒にいる人たちは中間層という人もいます。
予備校に入って今1番驚いていることが浪人生の恋愛のいざこざがややこしすぎることです。傍から見てると面白いんですけどね。
上位層の人と付き合っていて、いざこざがあり破局したカップルの女の子の方はいつのまにか予備校に来なくなりました。
とある女の子は好きな男を追いかけて都合の良い存在になっていましたが、いつのまにかその男はめちゃくちゃ美人の女の子と付き合っていました。その遊ばれた女の子もいつしか予備校で見なくなりました。
そういえば上位層の人に廊下で土下座させられている男子も見たことあります。理由は知りませんが、浪人生を土下座させる浪人生って地獄絵図かよと思いました。
ストーカーもあります。見て聞いている感じでは、男→女にストーカーというより、女→男にストーカーの方が多い気がします。ストーカーする女も、ストーカーされる男もどちらもブスなときは本当にいろんな意味で救いようがねーなと思ったりします。
私立志望の恋人と同じ大学に行きたいから国公立志望だったけど私立志望に変えた人、何人も見てきました。国公立志望で何教科も勉強してきた時間が無駄になるのに、いつ別れるか分からない恋人のために志望校を私立に変えるなんてすごいなぁと感心してしまいます。
あと、隠しているつもりなんだろうけど隠せていないカップル。
そういう男女はお互いの距離感がほかの人といるときと違いすぎるのですぐ分かります。そういうカップルをこの前ホテル街の近くで見て色々と察してしまいました。
世間が仮装で盛り上がっている日の昼下がり、絶望した俺は君やみんなからの連絡を断ってちょうど一週間だった。俺がSNSに藤村操の巌頭之感を書き残していたので心配した君が俺の家まで来たんだ。
「部屋には上がらないから。」
少し憤った声色で、シャワー上がりにクロネコヤマトだと思ってインターホンをとった俺にそう言った。待ってて、と無愛想に返したが内心俺はパニックだった。俺はその日君に会いに行こうかと考えてたんだ。どんな顔するんだろうと思いを巡らせながら。
予定が狂った、と思いながら近頃冷えてきたから君に着せられるように上着を羽織って急いで家を出た。
吉祥寺駅に向かいながらなにごともなかったかのように振る舞った。君のこわばった顔が少し引き攣った笑顔になった。俺は普段通りの調子で話を続けた。途中、通行人の邪魔にならないよう腰に腕を回し引き寄せたが腕を解かれた。俺のくだらない話は続く。
「なんだ、こんな元気だったんだ。」
空気が引き締まった。君の顔もどんどんこわばっていった。
「みんな、どれだけ心配してたかわかる?熊谷くんなんてあなたの親に言って捜索願出すとこだったんだからね。うちの親も警察に連絡したんだよ、娘さんが原因で自殺とかされてたら気が気じゃないですよねって。」
俺がバカだったよ。
「もうこういう話したくないから。とりあえずあとでご両親と友達に連絡して。いい友達持ったね。」
君のおかげだよ。なにかが一気に溢れるかのように君は泣いた。
いつものファミレスに着いて、俺と君はまた普段通りの他愛のない会話をした。サークルでこんな歌を歌った、とか、こんな料理を作れるようになった、とか。俺がこれからその曲を聴きに行くことはあるのか、その料理を振る舞われることがあるのかと考えたのは普段通りではなかったけど。
ファミレスの飯を食べ終わって席を立った。会計では君がいつもより千円多く払った。
店を出て、穏やかな雰囲気を壊したのは俺だった。
引き攣った笑顔でそう言った。
「ごめん、二人きりにはなれない。」
そう言われ焦った。
ここからの俺はあまりにも無様だった。何度もこんなやりとりをしたところ、呆れたようにも憤っているようにも見える態度で、10分だけならいいと許可を得た。
「ごめん、もう一緒に居られないの。」
「俺は世界で一番君を愛してるぜ、ずっと前から、そして君がババアになっても。」
「私も一生で一番愛してたよ。ずっと忘れないよ。」
ポケモンGOに勤しんでいる人達や仮装をしている私大生のなか、俺は君の胸で号泣した。君は俺の涙を舐めた。
「ほら、もう行くよ。」
「もうこれでお別れなのかい。」
「うん、まあ誕生日くらいは祝ってあげるよ。」
「うん。」
駅に着いても俺はまだ情けなく泣いていた。その後あっさりと別れた。
「来ると思ってたけど。」
俺の行動は見透かされていたようだ。
「耳をすませば、観ない?」
当然断られたがまた俺は無様に縋った。
「そういうしつこいとこ、好きだったけどあんまり酷いと、ちょっと。まあでもいいや、終電で帰るからね。」
家の近くのレンタルビデオ屋とコンビニでカップ麺を買った。俺の頭のなかではただ、本名陽子のカントリーロードが流れていた。
荒れきった部屋で布団に潜りながら、プレステにDVDを入れる俺と、お湯を沸かす君。君との生活が蘇った。
君を抱きしめながら耳をすませばを観た。終わる頃には裸だった。
再生が終わり、閉め切った暗がりの部屋をプレステの暗い青が染めた。
「幻みたい。夢なのかな。」
君は幸せそうな顔だった。幸せそうな顔を見るたび俺は生を実感する。
その後一緒に風呂に入り眠りについた。
朝、近づく別れを実感しつつ俺は何度も観たガンダムの劇場版を流していた。君も朝食を作りながら観ていた。
「だろ、ガンダムはロボットアニメじゃなくてヒューマンドラマなんだ。」
君と食べる朝食は美味しかった。今だけは、ジョエル・ロブションより美味しいおばあちゃんの煮込みハンバーグよりも。
「そろそろ帰るね。」
「うん。」
そうだ、もうお別れなんだ。玄関で、出かける前にいつもしていたキスを、した。
俺がそう言うと、恥ずかしそうに、手を繋いでほしいというように手を差し出してきた。
追記
3日前からB'zのいつかのメリークリスマスがずっと頭のなかで流れている。だから女々しくなってこんなこと書いてる。原因は主にサビだよね。
君は誰にでも優しくて人一倍素直だから、俺よりももっともっといろんなことを考えたんだろう。
俺はもう悪あがきをしないよ。でも君のことを誰よりもずっと愛しているのは変わらないよ。好きとかそういうのじゃないかもしれないけど。
いつか君と同じ方向を見れればいいと思ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20161116142444
1番良いのは、やりたいことがあって(見つかって)、ちゃんと努力もして行く名門大、専門学校、もしくは就職(とび職とか?)。
2番目に良いのは、やりたいことはある(見つかった)ものの、それまで無勉で、結果、受験勉強しないで行くFランなのではないかと思う。
Fランに行ってしまった結果、一流企業への就職の道はないかもしれないけど、その後の人生の充実度が、
好成績のみを動機に名門大へ進んだ人よりも、大きくなる将来性を秘めているように思えてならない。
やりたいことがなかった時、あんなにも無意味に思っていた勉強も必要と分かればやれるだろうし、
一方、やりたい事がない場合、元増田の言うように、自分が能動的になれる道を探すべきだが、それを中学・高校6年間で見つけるのは難しい。
考え抜いた末、どうしても見つからなかった場合、その時は絶対に名門大学へ進んだ方が良い。
「自分は頑張ればできる!」
名門大合格に裏打ちされたこのちっぽけな自信を引っ提げていれば、少なくとも、20代中盤ぐらいまでは楽しく過ごせるはずだ。
また一方、なんちゃって進学校出身で勉強はすっかりできなくなったくせに、やたら名門大への進学にだけは憧れ1浪するも、
日東駒専レベルしか合格できない馬鹿は、東京や大阪の私大の4年制学部へ行け。
大学は糞つまらないかもしれないけど、遊びやバイトなどを通じて、街の大きさがお前のその後の人生を
6年間全てが糞つまらない上に、街の要因で好転する可能性もなく、卒業しても薬剤師にはなれない。
勉強ができないだけならまだしも、大学生活を楽しく送ることすらできない自分の不甲斐なさ。
高額な学費で親に多大な迷惑を掛けているのに、何一つ自分の身に返ってくるものがない。
そんな、申し訳なさや悲しさ、後悔がずっと付きまとう。
少なくとも、40歳までで解消されることはないだろう。
気持ちは分かる。確かに社会は悪い。けどやれ社会が悪いだのADHDだの嘆いている暇があれば、今後どう生き抜くか考えた方がはるかに建設的だ。
あと大学に進学すべきという周りのアドバイスは何も間違っていない。高卒よりも大学を卒業した方が将来の選択肢がはるかに拡がるからだ。
仮に社会不適合者でも大学を出れば、それに見合った就職先が見つかる可能性は高くなる。ましてや偏差値65の大学の理系卒なら、多少人間性に難があっても専門性を活かして活躍できる場所は意外と多い。
ろくに勉強もしてないけど推薦で入ってきたような奴がレポートやテストのコピーを手に入れて効率よく、卑怯にやり過ごしていった、そんな人間が今立派に就職していたり、
←これは卑怯ではない。不公平に感じる気持ちも分かるが、できるだけ少ない労力で効率よく目的を達成する方が良いに決まってる。苦労そのものに価値はないし、苦行主義や他人も苦労すべきという考えほどバカバカしいものはない。それこそ弟さんを苦しめているブラック企業の温床だ。
人間関係が下手だからレポートやテストのコピーが手に入らないという状況は分かる。私も対人能力が皆無で(高校時代に興味を持ってくれる友人がいた時点で少なくとも私よりは人間的に魅力があるはずだ笑)行く先々で嫌われるので、同じような状況は幾度もなく経験してきた。
けど(成績評価は別として)単位を取って卒業すること自体はそう難しくはないはずだ。東工大に後1問で合格できる実力があればなおのこと。
それでも卒業できなかったのは自分の責任だ。社会のせいではない。
とはいえ、今になって過去のことをとやかく言っても仕方がないので、これからできることを提案したい。
①: 自分の置かれた状況を認識する。まずはプライドを完全に捨てる。
今のあなたは、社会不適合者であり引きこもりニートであり、4年も年を食ってしまった高卒である。厳しい言い方だが、その現実を直視してプライドを捨て去ることで、自分に合った道を模索する必要がある。
知り合いでも同じように大学を3留中退→1年の浪人生活の後某有名私大に行った人がいるが、意外と就職も何とかなっているようだ。時間はあるのだから難関資格の一つでも取れれば大きくチャンスは拡がるはず。やり直しはいくらでもできるはずだ。
とは言っても本当に社会生活が向いてないのかもしれないし、仮に②ができてもそれが自分に合わなければ今回の二の轍を踏みかねない。
①で述べたように、まずはプライドや世間体を一切考えずに、自分の好きなことや熱中できることを探してみてはどうだろうか。ものによってはフリーランスででも食べていけるかもしれないし、会社勤めしたとしても好きなことなら続きやすいだろう。
④: ①、②、③もダメで、親でもナマポでも奨学金でも利用できるものは利用し尽くして、それでもダメならその時死ぬことを考える
当方東大生で来年就職を控える身なのだが、プライドや親からのプレッシャーもあって、好きなことよりもステータスや就職偏差値から就職先を選んでしまった。
早起きが苦手で対人関係が致命的にダメなのに、朝が早くコミュ力が必要な職場(そういう会社に限って世間体が良かったりする)を選んでしまったため、刻一刻と迫る入社日が恐怖でしかない。
自分に見合った就職先も分かっていたのに、プライドが邪魔をしてしまった。
いっそプライドを完全に捨て去り、一からやり直すためあえて留年することも真剣に考えたけど、結局踏み切れずズルズルとここまで来た。
確かに世間から見れば上手くやっているのかもしれない。けど来年から地獄を見ることは明らかだし、貴方と同じように死ねない呪いと向き合う毎日である。
(他人からの評価≠自身の幸せ、なことは電通のニュースを見ても明らかだ)
私の場合親がどうこうより痛いのが怖くて死ねないので、来年の3月31日に天災や事故でも起きて、嫌でも死ねることを祈るばかりだ。
そのような現状もあって(そしてアルコールが入っているのもあって)、つい熱く語ってしまったのを許してほしい。
残された奨学金だけは懸念材料だけれど、自分の置かれた状況を認識し、プライドを捨てて行動すればやり直しは不可能ではないと思う。ぜひ好きなことをして幸せになれるよう祈っています。
(アルコールの入った頭で書く適当な文章だということをご承知ください。でも僕の現実しか書いてないです。)
僕は都内の某私立大学(偏差値.bizだと偏差値は65らしい)を中退せざるを得なくなった。
留年、休学を含めて4年間は在籍してた。
理由は2つ
やりたいことがなかった。
人間関係が下手くそ過ぎて耐えられなかった。主な理由はこっち。
勉強は嫌いではない。今でも数学なんかの教科書を解いたりするけど、わからないものがわかるようになるのは楽しいと思う。
なのに中退するはめになったのは正直つらいと思うところもある。
自分としては本命の国公立ではなかった。本命は東工大。数学1問分で落ちた。
でも周りの人間は滑り止めの私大でも受かったのは立派なんだから進学しろと勧めてきた。本当はここで断るべきだったのだ。
結局実家は田舎の裕福ではない家庭なので、奨学金を借りて進学することになった。
まぁ普通に卒業できるし就職もできるだろうし奨学金を借りてもいいだろう。そんな見込みは4年間でぶち壊されてしまったのだが。
僕の4年間は自身への失望、と社会不適合っぷりに直面するばかりだった。
人間関係が壊滅的に下手くそだった。高校までは偶然仲良くなれた、しかも向こうから興味を持ってきてくれた、そんな友人のおかげで、苦労なく過ごせていたということをここで初めて自覚する。
自己コントロールが下手くそなので能力的に達成できるレポートも貯めこんでできなくなることもあった。
人間関係がほとんどないので助けを頼ることもできなかった。他人を頼るのは恥ずかしいと感じる部分も大きい。
バイトもした。ここでも自己コントロールの問題で、当日欠勤をしたりして長続きしなかった。中途半端に根が真面目なせいで、関係を持った人を傷つけたことに関しても申し訳なくなった。
東京での家賃が払えなくなる、親切な知人に借金をするはめになった。この時にはすでに下で述べる過程を経て働く気力はすでに失せてしまっていた。
いろんな欠点を自覚する。当然直そうと努力はした。でも直せなかった。普通の人にはなんてことないかもしれないのだが僕には大きな壁だった。
こういうところは少しADHDの気があるのかと思い受信したのだが、若干そういう傾向はあるものの診断は出ないという中途半端な奴だった。
[言語性IQと動作性IQの差が大きい(WAISの群指数では処理速度のみが100近辺で他は130近辺)ので意識に対してなかなか体がついてこないとかそういう話をされた。社会人になって仕事がうまく行かなくてメンタルを受信する人には結構こういう傾向があると医師から聞いた。]
この結果僕がどうなったかというと、仕事をしても他者に迷惑をかける、それに僕は耐えられないしそんな思いをしてまで働きたくない、働かざるもの食うべからずというのなら、いっそ殺してくれ、そう思うようになるのは論理的に当然ではないだろうか。
他者に迷惑をかけないための努力がずっと失敗に終わり続けた。そんな中で努力をする気力すらもなくなった。怠惰だと言われればそれまでかもしれない。頑張ったんだから評価してくれというのも甘えだろう。
それでも死ねない、それは親が死ぬなというからだ。「お前がそうなってしまったのは悲しいけれど、死なれるのはもっと悲しい」と言われたら僕の性格上死ねないのである。
ある意味呪いのようなその言葉、死ねない呪いをかけられた僕は現在いわゆる引きこもりニートである。
メンタルの医師に毎日少しでも外出できると良いって言われたけれどそれすらもできないこともある。自分に負けて自分を責める、それを理解していてもなお動けない。なぜなのだろう、どうしてこうなってしまったのだろう。
そんなことを日々考えながら生活している。考え過ぎだよ、と言われることもあるくらいだ。知っているが、それでも考えてしまうのだからたちが悪い。
いろんなことを考えていると世の中への恨み、憎しみのようなものも募っていくことがある。
大学時代、ろくに勉強もしてないけど推薦で入ってきたような奴がレポートやテストのコピーを手に入れて効率よく、卑怯にやり過ごしていった、そんな人間が今立派に就職していたり、
弟が明らかにブラック企業に就職され、すり減っている様子に何もできなかったり、
僕の進学を勧めておきながら、僕がこんな状態なのに気にする素振りも見せない親類だったり。
最近だったら電通のニュースなんかでもめっちゃ心痛めました。(結構共感性は高い方だと思います。アニメとかでも主人公が恥をかくシーンめっちゃきついし)
幸せになれると社会に思い込まされて、奨学金借りて進学したのに社会不適合者の自分はやっていけなくなって辞めるはめになって、返せる気のしない奨学金だけが残った、社会に騙されたこの怒りは、一体どこへぶつければよいのだろうか。
どうして僕がこんな思いをしなきゃいけないんだ。ふざけるんじゃねえ。こんな世の中は狂ってる。なんて、ちょっと踏み誤れば反社会的集団に入ってしまいそうなくらいにメンタルボコボコにされてます。
確かに僕にも悪いところはあるんだけど、僕だけが悪いのかな、なんて感じちゃうんですよね。
助けてくれなんて言いません、自分を客観視して助ける価値のある人間だとも思いませんし。でも、世の中にはこういう人間も結構いるんだぞってことを、知ってもらえれば嬉しいですかね。
それでいてこういう人間でも救ってやりたいと思ってくれる大富豪がいたら最高ですかね。笑
引きこもりニートだって辛いんです。でも僕らにとっては普通の人のように生きるのもめちゃくちゃ辛いことなんですよ。
脈絡のない適当な文章になっちゃった感じがしますけど、まぁ吐き出したい思いはだいぶ吐き出せたかな。
このあたりで筆を置きたいと思います。(PCでの文章で筆を置くって少しシュールですね)
こんな適当な文章を最後まで読んでくれた方に感謝を。そして、あなたが少しでも幸せであることをお祈りいたします。
以上。
俺はこの酷い現状を変えるよりも、甘んじて受け入れることを進んで選び取ったわけだよ。
それなのに「どうして努力しようとしないんだ」とお叱りを受けることが多い。
確かに努力したら変えられるかもしれない。でも、それ以上に努力したくないんだ。
正直、頭がいいわけではないが、特に悪いわけでもなかったので、勢いで中堅私大には入れた。
親の仕事を継いだので就活もしなくて済んだ。だから俺は努力をしたことがない。
努力する気も起きない。ある意味、努力の仕方というのが分からない。
いや、一つだけ努力できることがある。それは欲望を我慢するということだ。
子どものころから何か欲しいものがあって、親が「テストで100点取ったら買ってあげる」と言われても、