はてなキーワード: 社会生活とは
両性が平等になるようにっていうアプローチが必要なのに、いつまでたっても女性が不利な選択させられてて、その状態を普通に思う人たち(女性も男性も)を誰も止められない。
で、不平等に対する意見の出し方がすごいヘタクソだから、不平等の状態をヨシとする人がフェミガーフェミガーって内容も読まずに叩きにいくのが定型化している。
低学歴から高学歴まで女性が不平等の状態にあることを普通に思う人たちが蔓延してて、
本当どこか頭に障害でもあるんじゃないかなってフェミ叩きしている人みると心が無になる。
女性が不利な立場にいる、っていう意見を出すと発言者は女性と結論づける短絡というか頭の具合の悪い人の相手をするのも疲れるね。
ただ、男性を理由なく小馬鹿にするような女性もすごい世の中にはうじゃうじゃいて、みんながその問題に気づいているのにそれについてはフェミニズムみたいなタイトルの言葉すらついてない。
物事に気づくようなのにちょっと苦手なのかなとか、視野狭窄起こしやすいのかなって思う人はウジャウジャいるけれどそういう人たちが格好の餌となって女性側に叩かれていて
それこそかわいそうな状態になったりしているのに、それについては誰も言及しないわけ。
同性ですら弱者には手を差し伸べもしないわけ。そういう人たちは他のことに能力があって普通に社会生活を営めるレベルになっているから問題視されていないけれど、
生まれ持った特性で往々にして不利な状況に追い込まれることが多くて、その度に悲しい思いをしているけれど、そこを汲み上げる思想ない。
男の子はちょっと辛いことは我慢しなさい、っていうのが当たり前になりすぎている。
これってフェミニズムが指すところの弱者と何が違うのっていつも思う。
生活における嫌がらせを受ける構図ってフェミニズムがよくやっている弱者が平等を求めるのと何がちがうのかな。
もちろん大学の受験では優遇されるし、道を歩いててもぶつかってこられることはないし、
力で性的な嫌がらせは受けないし、そういう性差別による暴力と戦うのは必要だと思うんだけど
では彼らがそういう発想にならないように、これからの時代をかえていくのはどうすればいいのかっていうアプローチが必要なのに、全然聞こえてこない。
このネットでフェミガーフェミガーと嫌がらせをしている(ミソジニーなんて上等な言葉を使うのもかわいそう)人たちの原体験ってこういうことの積み重ねで起きているから、まずは弱者男子が見た目とか誰にも迷惑をかけていない行動で嫌な思いをしないようなことをする方が、結局は女性を守ることにつながっていくと思う。
この女性と男性の双方が共通にもつ問題を直視しないと何も変わらないよ。
思うんだけどフェミニズムなんて本当に古いものになってしまったから別の概念がそろそろ必要で、
それによってフェミニズムが求めるゴールにも到達できるし、男性側も不快な思いをしなくて生きることができるようになれると思うよ。何世紀の後かしらないけど。
下記はカリフォルニア大学のビアンカ・アセベド博士の研究紹介動画と書籍と記事(Pod cast)、
興味があればどうぞ
HSP brain studies
https://www.youtube.com/watch?v=qep36Vy_0pE
> Did you know that the brain of a highly sensitive person (HSP) works differently?
> The results of fMRI brain studies conducted by Dr. Elaine Aron, Dr. Art Aron, Dr. Bianca Acevedo and their colleagues are quite fascinating.
エレイン・アロン博士、アート・アロン博士、ビアンカ・アセベド博士らが行ったfMRIによる脳の研究結果は、かなり魅力的です。
[Amazon] The Highly Sensitive Brain: Research, Assessment, and Treatment of Sensory Processing Sensitivity 1st Edition
https://www.amazon.com/Highly-Sensitive-Brain-Assessment-Sensitivity/dp/0128182512
> The Highly Sensitive Brain is the first handbook to cover the science, measurement, and clinical discussion of sensory processing sensitivity (SPS),
> a trait associated with enhanced responsivity, awareness, depth-of-processing and attunement to the environment and other individuals.
> Grounded in theoretical models of high sensitivity, this volume discusses the assessment of SPS in children and adults,
> as well as its health and social outcomes.
> This edition also synthesizes up-to-date research on the biological mechanisms associated with high sensitivity,
> such as its neural and genetic basis. It also discusses clinical issues related to SPS and seemingly-related disorders such as misophonia,
> a hyper-sensitivity to specific sounds. In addition, to practical assessment of SPS embedded throughout this volume is discussion of the biological basis of SPS,
> exploring why this trait exists and persists in humans and other species.
>
>The Highly Sensitive Brain is a useful handbook and may be of special interest to clinicians, physicians, health-care workers, educators, and researchers.
『高感度脳』は、感覚処理感度(SPS)の科学、測定、臨床的考察を網羅した初めてのハンドブックです。この巻では、高感度の理論モデルに基づいて、子どもと成人のSPSの評価、健康と社会的転帰について論じています。また、高感受性の神経基盤や遺伝的基盤など、高感受性に関連する生物学的メカニズムに関する最新の研究をまとめています。また、SPSの臨床的な問題点や、特定の音に過敏に反応するミソフォニアなど、一見関連していると思われる疾患についても解説しています。さらに、この巻全体に組み込まれたSPSの実用的な評価に加えて、SPSの生物学的基盤についての議論があり、なぜこの形質がヒトや他の種に存在し、持続するのかを探っています。
臨床医、医師、医療従事者、教育者、研究者にとって有益なハンドブックです。
[foreverbreak] Highly Sensitive People How to Tell If You’re an HSP + Shedding Light on This Misunderstood Trait
非常に敏感な人々 あなたがHSPであるかどうかを見分ける方法+この誤解されている特性に光を当てる
https://foreverbreak.com/podcast/s1/e5/
まぁ、アセベト博士でなくてもいいけど(TEDとかにもあるよ)
ってなってるね
○ 社会不安障害(SAD)の患者さんは治療の機会を逃しています。
海外では、SADは一般的に理解度が低く、治療の機会を得にくい病気とされています。
海外で行われた調査によれば、SADの患者さんの約2/3は病院に行っておらず、
また、病院に行っている場合でも「自分がSADであると認識して受診した」患者さんは3%にすぎないという結果となっており、
一方、日本では、SADという名称や病気の症状については、あまり認知されておらず、
その症状の原因を「自分の性格のせい」であると思って、治療を受けていない(病院に行っていない)方が多いようです。
SADは発病すると、他の精神疾患(うつ病、アルコール中毒、パニック障害など)を併発する割合が70%を超えるとも言われていますので、
SADの症状が現れている場合は、それは「性格のせい」ではなく「病気である」と認識して、早めに専門医(精神科や心療内科)の診断を受けてください。
SADの治療法には大きく分けて、薬物療法と認知行動療法の2つがあります。実際の治療では、この2つの治療法を併用することが多くなっています。
・薬物療法
最近の研究では、SADは脳(セロトニン神経系とドーパミン神経系)の機能障害により発症するのではないかと推測されており、
現在もその発症原因について、世界中で研究が進められています。
海外では、早い時期から薬物による治療の研究が盛んに行われており、既にSADの治療薬として承認され、
患者さんの治療に使われている薬(一般名:パロキセチンなど)もあります。
一方、日本では、SADという病名で国(厚生労働省)に承認されている薬は一つしかなく(一般名:フルボキサミン)、
患者さんの症状により抗うつ薬や抗不安薬なども治療で用いられています。
現在、SADという病名で承認を受けるために進められている治験(国から薬として承認を受けるための臨床試験のことです)もあります。
・認知行動療法
認知行動療法は薬物療法より歴史が長く、精神療法の中でも重要と考えられている治療法ですが、日本ではあまり知られていません。
認知行動療法では、エクスポージャー、ソーシャルスキルトレーニング(社会技術訓練)などの方法を用いて、
実際に恐怖を感じる場面に直面したときに感じる不安感を自分自身でコントロールできるようにします。
薬物療法と違い、副作用が少ないのが利点ですが、患者さん自身もかなり努力しなければなりません。
そのため、認知行動療法では、問題点を順番に洗い出していき、解決できそうな問題、患者さん自身も大きな不安と感じないような小さな問題から
○ 社会不安障害(SAD)の診断
SADの診断基準には、米国精神医学会編「精神疾患の(strikethrough: 分類と診断の手引)診断・統計マニュアルDSM-Ⅳ」、
WHO編「精神および行動の障害」ICD-10 などいくつかあります。
- よく知らない人と交流する、他人の注目を浴びるといった、1つまたはそれ以上の状況において顕著で持続的な恐怖を感じ、
自分が恥をかいたり、不安症状を示したりするのではないかと恐れる。- 恐れている社会的状況にさらされると、ほぼ必ず不安を生じる。
- 自分の恐怖が過剰であり、また、不合理であることに気づいている。
- 予期不安、回避行動、苦痛により、社会生活が障害される。または、その恐怖のために著しく悩む。
※罹患(りかん)期間:症状が出始めてから現在に至るまでの期間のことです。
e治験.com
では無いな
○ 社会不安障害(SAD)の患者さんは治療の機会を逃しています。
海外では、SADは一般的に理解度が低く、治療の機会を得にくい病気とされています。
海外で行われた調査によれば、SADの患者さんの約2/3は病院に行っておらず、
また、病院に行っている場合でも「自分がSADであると認識して受診した」患者さんは3%にすぎないという結果となっており、
一方、日本では、SADという名称や病気の症状については、あまり認知されておらず、
その症状の原因を「自分の性格のせい」であると思って、治療を受けていない(病院に行っていない)方が多いようです。
SADは発病すると、他の精神疾患(うつ病、アルコール中毒、パニック障害など)を併発する割合が70%を超えるとも言われていますので、
SADの症状が現れている場合は、それは「性格のせい」ではなく「病気である」と認識して、早めに専門医(精神科や心療内科)の診断を受けてください。
SADの治療法には大きく分けて、薬物療法と認知行動療法の2つがあります。実際の治療では、この2つの治療法を併用することが多くなっています。
・薬物療法
最近の研究では、SADは脳(セロトニン神経系とドーパミン神経系)の機能障害により発症するのではないかと推測されており、
現在もその発症原因について、世界中で研究が進められています。
海外では、早い時期から薬物による治療の研究が盛んに行われており、既にSADの治療薬として承認され、
患者さんの治療に使われている薬(一般名:パロキセチンなど)もあります。
一方、日本では、SADという病名で国(厚生労働省)に承認されている薬は一つしかなく(一般名:フルボキサミン)、
患者さんの症状により抗うつ薬や抗不安薬なども治療で用いられています。
現在、SADという病名で承認を受けるために進められている治験(国から薬として承認を受けるための臨床試験のことです)もあります。
・認知行動療法
認知行動療法は薬物療法より歴史が長く、精神療法の中でも重要と考えられている治療法ですが、日本ではあまり知られていません。
認知行動療法では、エクスポージャー、ソーシャルスキルトレーニング(社会技術訓練)などの方法を用いて、
実際に恐怖を感じる場面に直面したときに感じる不安感を自分自身でコントロールできるようにします。
薬物療法と違い、副作用が少ないのが利点ですが、患者さん自身もかなり努力しなければなりません。
そのため、認知行動療法では、問題点を順番に洗い出していき、解決できそうな問題、患者さん自身も大きな不安と感じないような小さな問題から
○ 社会不安障害(SAD)の診断
SADの診断基準には、米国精神医学会編「精神疾患の(strikethrough: 分類と診断の手引)診断・統計マニュアルDSM-Ⅳ」、
WHO編「精神および行動の障害」ICD-10 などいくつかあります。
- よく知らない人と交流する、他人の注目を浴びるといった、1つまたはそれ以上の状況において顕著で持続的な恐怖を感じ、
自分が恥をかいたり、不安症状を示したりするのではないかと恐れる。- 恐れている社会的状況にさらされると、ほぼ必ず不安を生じる。
- 自分の恐怖が過剰であり、また、不合理であることに気づいている。
- 予期不安、回避行動、苦痛により、社会生活が障害される。または、その恐怖のために著しく悩む。
※罹患(りかん)期間:症状が出始めてから現在に至るまでの期間のことです。
e治験.com
ほとんど同時期に入って、入社直後は二人でいることが多くランチとかも普通に二人きりで行ってた女子社員がいた。(以下、Aとする)
背が高くて、顔は池田エライザに似てると言えなくもない感じ。イケメンが出てくるソシャゲや乙女ゲー、2.5次元舞台にはまってると笑って言っていた。
研修が終わってからは部署が離れて、お互いに同性社員とつるむようになって、二人きりで話すことは自然と減っていった。
ある時、ツイッターでAの下の名前と同じアカウント名で、いやらしい写真や動画をあげている裏垢を見つけた。
まさかな、と思いつつなんとなく過去のツイートを見てみると、やっているソシャゲが同じで、身体的な特徴も一致していた。
なにより、先日ゲリラ豪雨に見舞われて職場からでれなくなったというツイートが完全に同時刻にあり、これは本人に間違い無いと特定できてしまった。
それは10年前に作られたアカウントで、かなり遡ってツイートを見ることができた。
AはAではなく、ネット上で別の人格を生きていた。(以下、Bとする)
いやらしい裸体が拝める優越感もさることながら、彼女が過去にいじめを受けていたこと、自分を殴るような男ばかり好きになってしまうことなど、
普段のAからは想像もできない闇を垣間見れる快感で、やみつきになっていった。
いよいよツイッターの日付指定の検索コマンドを使って過去の画像やツイートを遡っていくようになった。
Bは10年前から裸体を世界中に晒していたから、少女だった身体が徐々に大人びていく様を時系列で見ることができた。
これまで女性と交際したことは何度かあったが、ここまで異性の心と体の深い部分を垣間見たことはなかった気がした。
ふだんは職場で頼られ、どんな時も明るく振舞っているAだったが、ある日、上司に叱られた際に感情を抑え切れずに泣きながら反論したことがあった。
他の同僚が「Aさん、かなりストレス溜まってたのかなぁ」などと言っているなか、自分だけが誰にも言えない彼女のBとしてのもろさ、弱さを知っているんだ、と思った。
Bはツイッター上でレトロゲーのイラストを描いて誕生日のフォロワーに配るなどもしており、叱られた日はイラストの量も増えたりしていた。
Bなりに自我のバランスをとって、Aとしての社会生活をなんとか維持しているのだな、と冷静に分析しつつ、同時に上げられる自慰動画で抜いたりもしていた。
Bは吸盤で床に備え付けた太いディルドの上で、激しい騎乗位を繰り返していた。それが昼間の泣いているAとリンクし、なんとも言えない興奮があった。
そのうち自然とAのことが頭から離れなくなり、恋しているとはっきり自覚するまでになった。
次第に裏垢でBとしてのみだらな姿が世界中にさらされていることに我慢できなくなってきもした。
そこで自分はAを食事に誘って交際を持ちかけようと考えた。頼れる男がいれば裏垢の更新も止まり、Bは消失する(自分が独占できる)だろうと思えた。
どうやって食事に誘えばいいかについて考えたが。ツイッター上にありとあらゆる彼女の嗜好についての情報が詰まっているので、それをネタにしようと思った。
ジョジョ5部のアバッキオが推しであるとのことで、これで行こうと決めた。
ある日、Aと二人きりになれるチャンスがあり、それとなくジョジョネタを振ってみた。だがAは全くそれに食いつかなかった。
一瞬、ジョジョ好きを隠しているのかと思ったが、なんとなくそれとは違う、全くジョジョに触れたことがない感じの返答だった。
もともと乙女ゲーをやってることを公言しているくらいだったから、ジョジョ好きを隠すことはないはずだ。
その夜、家に帰ってBのツイートを眺めているうちに、BのアカウントはAとはまったくの別人が運用しているのだとやっと気づいた。
自分でも違和感を持つことがなんどもあったのだが、無意識に考えから排除していた。
「Aは現実では嘘をついており、このBのアカウントにだけ真実が書かれている」という強い思い込みがあり、
現実とズレている点があっても、身バレを避けるためにあえてやっているんだろう、などと考えていた。
ーーー
だが、Aを食事に誘ったりしようとは思わないし、Bにコンタクトを取ろうとも思わない。
なぜなら、自分の中にAでもBでもない、別の人格が完成しており(以下、ABとする)、ABのことが頭から離れなくなってしまっているからだ。
ABは自分が求める完全な異性だ。社会生活を毅然と守り皆に頼られながら、あまりにも淫靡で幼い一面を併せ持っている。
そのいびつな不完全性が自分にとっての究極の理想で、ABのことを思うと胸が焼けるような気持ちになるし、痛いくらいの勃起が止まらなくなる。
こんな状態は不健全だとわかっているが、どうすることもできない。
俺は今日も昼間のAと夜のBをかけあわせたABの人格をもてあそんで、いじきたない自慰行為を繰り返している。
自分はどうしたらいいんだ?
何か物事に対して夢中になって、
それに心酔していっそ耽溺して他に何も考えられないようになりたい。
だけど、何かにハマッてもいつも途中で我に返ってしまう。年齢にかかわらず昔からずっと。
これ面白い…か?、とか、明日も仕事だしもう寝るか、とか、周囲から変な目で見られてなーい?、とか、ハマると誰かに迷惑かかるかも、とか。
ソシャゲで推しのSSR出なくてもまぁしゃーないなで終わる、課金はゲームにつきソフト一本分までの金額って自分ルール破っても誰も怒らないけど破らない。
それどころか推し来なくてしゃーないとか思うのって愛情無い?実は大して好きじゃ無かった?って自問が始まってこれまたスンッ…てなる。
社会生活を円滑に送る上で引き際分かってるのは良いことだと思うけど、思うんだけど、
それでもど~~~~~っぷり物事に嵌りたいんだよおおおおお
狂いてぇ~~~クソ真面目すぎてつまんねぇ自分~~~~~~~~~
何らかの理由で、たとえその原因が相手であるとしても、その怒りを相手や周囲の人にぶつけて傷付けたり不快な思いをさせたりしても許されるという思考回路が理解できない。怖い。
俺も仕事でナメた態度取ってる奴にごくまれにカッとなることはあるし、イライラすることがあるのはわかる。その原因が自分だった場合なら申し訳ないとも思う。
でもそのストレスを怒りに変換して周りの人とか原因である人間にぶつけて発散しよう!とかそいつにも嫌な思いをさせてやろう!という考え方がまったくわからない。何の権利があって?
ストレスを自分一人でどうにかしろとまではいわないけど、大概の場合悪気なくやってしまったことなんだからその場は「仕方ないなー」で済ませればよくない?そんな死とか大きな怪我につながる事故を起こしたでもないのに。
マジでわからない。生産性もないし。怒ってなんか良い影響あんの?というか何様なんだろう。いや仕事に限らず人間関係、社会生活全般の話よ。
私は他者から見ても自分から見ても人間関係が下手で、社会生活や会社生活に絶望してる。すぐに居場所がなくなって孤立してしまう。借金玉先生のような「発達障害」の類かなと思って本での情報収集や対策を試してきたが、しっくりこない。(借金玉先生のライフハック類は実際役に立った)
twitterで私と同じような悩みの人探してたら、どうやら、流行り(?)のHSPとかいう気質?っぽい。
というか完全にHSPだ。私みたいな悩みのひと、結構いるんだな。周りで私に負けじ劣らじのアタオカなやつ、コミュ症なやつを思いおこすと、発達障害ではなくてこの「HSP」のほうがピタっとくる。
実は発達障害よりHSPのひとが世の中にはめっちゃ多いんじゃないか?みんなのまわりにもいるか?どんなやつだ?
しかしもう50近くになってHSP気質だということに気がついたのは、完全に遅きに失したな…。早くにわかってたら、こんなに精神がボロボロになる前に違う仕事や勉強をしてたかもな。
出た。
男の弱い自律心を助けるために女の自由を奪ってることを忘れているな。
本来なら犯罪を犯してしまいがちな男の生殖器の自由を少し制限したらいいところを女の身体と行動と発言を大幅に制限してようやく、社会生活を成り立たせてきた歪さに気付け。
あのさあ。
元の書き込みは「~さんいいですよねぇ」という発言は当然セクハラなんかではないという前提の下に、だからそれを「セクハラ」なんて揶揄すればやり過ぎと批判されるという話をしてるよね。なぜなら「セクハラ」という指摘は社会的に致命的な侮辱になり得る時代(レベル3)になったからという文脈で。つまりレベル3の社会でも「~さんいいですよねぇ」はセクハラと批判されることはない(批判する方がおかしい扱いされる)、というのが最初の話の前提だよ?
だから、
あるKKO社員が「〇〇さんいいですよねぇ~」と言った
というのは「致命的とは異なる態様」でもなんでもなくて全く元の書き込みへの反論の論拠としては無意味なの。最初の増田もおよそ読解力ねえ奴だなと思ったけど、まさかその尻馬にのって同じくらい読解力のない人間が出てくるとは思わなかったので、ちょっと心配になるわ。自演ではないよね?
でさあ、君ら本当に問題なく社会生活送れてる? 読解力のなさであちこちでディスコミュニケーション引き起こしてない? 理由の分からない生きづらさを抱え込んで社会への不信感を養い育てちゃってたりしない?
気付こう。全ての原因は、君が、君たちが馬鹿だってことなんだよ?
(追記)
どうでもいいけど、「~さんいいですよねぇ」程度のセクハラというあなたの表現は、非常に気になった。セクハラなんだコレ、あなたの中では。
いやはや、天然で課長なんだこの人。これは分かり合えんかもしれんね・・。
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200911202150
精神的に不健康な作品・コンテンツの例として、青年向け漫画も取り上げる予定だった。もつあきさんと無望菜志さんと朝凪さんを取り上げようと考えていた。
迷った挙句に書かないことにした。男性しか読んで楽しめないものは書くべきではないと考えたからだ。かといって、私がボーイズラブの世界に足を踏み入れるわけにもいかず。
その代わり、ブクマコメントで要望のあった、精神的に健康なコンテンツを取り上げてみようと思った。
各編ひとつずつ選んで紹介する。ひとつにつき1000字程度。たまにネタバレをする。
久しぶりに読み返して、精神的に不健康な作品ってそもそもどんなものなのか?と自らに問いかけることになった。
これは面白い。「何も聞かずに読んでみて!」と無条件で人に勧めることができる数少ない漫画だ。
火の鳥。生き血を飲むと不老不死になる。彼女(?)は人間世界を見守っている。たまに人間に捕まえられて血を取られたり、稀に自分から血をあげることもある。その血を巡ってドラマが繰り広げられる章編もあれば、そもそも生き血を飲みたいという展開のない章編もある。
精神的に不健康な描写が数多くある。不老不死がテーマなだけに理不尽な死も多い。エロもあるし、グロもある。昔の漫画なのでよくない言語表現もある。
でも、読んでいるうちに何が何だかわからないまま時間が経って、読み終えると心が静かになっている。何も考えられない。心が作品に持っていかれる。
前々回の記事で、『完全なる経営』から読み取ることができる、精神的に健康な人間の要件として以下の5つを挙げた。
・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる
・夢中になれる物がある
火の鳥に出てくる主要人物は、このいずれかを必ず持っている。持っていないこともあるが、成長とともに持つようになる。
どのシーンも主人公に厳しい。安息の時はない。あったとしても理不尽に打ち砕かれる。各編の主人公には欲しいものや、なりたいものがある。それらを目指して戦い続ける。
彼らが生の終わりを迎えた時、死の跡には必ず何かが残っている。
精神的に健康/不健康な作品を分かつものは、破壊と創造のバランスなのだと思う。精神的に不健康な作品やコンテンツは、最後は何かが崩壊して終わる。対して、精神的に健康な作品というのは、最後に何かが創造される。
物語の過程で、登場人物が絶えず営為を繰り返している。だから読者の心に爪痕が残る。
精神的に健康になりたいのなら、土日の朝にやっているアニメを見るのが近道かもしれない。
人として正しい道へと導いてくれる作品が多い。
プリキュアはその筆頭だろう。プリキュア作品を見た児童は、正しい人格の在り方や、仲間のために何をしてあげればよいか、敵に対してはどのような態度で接すべきかなど、社会生活を営むうえで大事なことを学べる。
大人が視聴すると、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれる。
今やっている『ヒーリングっどプリキュア』だと、15話がよかった。のどかとラビリンがあることをきっかけに喧嘩となり、冷戦状態になる。なんというか、リアルなのだ。ラビリンが問題行動を起こすきっかけも、のどかが怒った理由も。ケンカ中の態度も。
イザという時にケンカが裏目に出てしまう。信頼関係がなくなったせいで〇〇に失敗する。
ラテの仲介によって二人は仲直りするのだが、これもまたリアルだ。現実でも、こんなやり取りを見たことのある人がいるのではないか。
創作の世界に生きている人間を、現実に生きているように描く。これができるのは一流の作品だ。当たり回はいくらでもある。騙されたと思って是非視聴してほしい。
(余談)
大人が児童向けアニメを見ても面白くないという意見もある。特に作画。児童向けアニメというのは、1年間放送する関係で1話当りの予算が少ない。作画がよくないイメージが強いのではないか。
その点は安心だ。ハートキャッチプリキュア!の辺りから予算が上がっている(ような気がする)。それまでのプリキュアシリーズというのは、月に一度は作画が崩れてプリキュアの顔がおっさんになるという事態が生じていた。
いい時代になった。ただし弊害もある。スタッフがお気に入りのプリキュアが贔屓されるようになった(※今は特定のキャラが贔屓されることはない)。個人的意見になるが、キュアムーンライトの変身時の作画枚数が少ないのは、キュアサンシャインの変身バンクを盛大にするために暴走したスタッフのせいだと思っている。
プリキュアシリーズがたくさんありすぎて選ぶのがしんどいと思われた貴方には、私が選んだ大人向けのプリキュアを紹介させてもらう。作品紹介は最小限に留めている。
キャラデザは子ども向け。物語はシリアス。ファッションショー回にスタッフの愛を感じる。
本物の友情を描いている。硬派で軟派。中学生なのに色気がある。
男の子向け? 保守寄りの価値観をベースにしている。お笑い描写に定評がある。
★Go!プリンセスプリキュア(2015年)
誇りや気高さ、心の強さを描いている。みんな大好きキュアトゥインクル。
少女の友情がメイン。スイプリに比べれば甘々な感じ。最後の方は泣ける。
フリーゲームだ。一時期話題になったので知っている人もいるだろう。
主人公やヒロインは、病気や障害を持っている。主人公である中井久夫は、ある時に心臓病であることが判明し、30まで生きられるか怪しいという状態で物語がスタートする。
ヒロインの障害は様々だ。目が見えない子、話すことができない子、足がない子、手がない子、火傷のある子……。
この作品の、いったい何が精神的に健康なのかといえば、キャラクター同士の人間関係の深みを追体験できることだ。
外国人の有志が作ったゲームなので、そのあたりの深みはとんでもない。愛情で繋がるシーンが感動的なのと同じく、信頼が消えるシーンもまた同じくらいの衝撃で心を抉ってくる。
笑美のルートがよかった。外国人から見たときの模範的な恋人同士ってこうなのかな、というのが伝わってきた。個人主義・秘密主義を貫いていた笑美が、心の弱さを久夫に見せられるようになる過程に癒された。
テキスト量が凄まじいゲームなので、ホームページを読んで感じるものがあった子をプレイするのがいい。
某動画サイトではお馴染みのシリーズであり、2011年頃までは定期的に動画投稿をしていた。
このシリーズは、各作品の制作時期によって印象がてんで異なる。
初期の作品は見るに堪えない。まさに精神的に不健康だ。理不尽な死は基本であり、人権侵害を地でいっている。実際に見てみるのが一番早い。
初期に投稿されたのは、邦子が子どもの頃に作ったと思われるものだ。キャラクターはとりあえず雄叫びを上げ、とりあえず戦闘に突入し、とりあえず死ぬ。そんな作品としか言いようがない。ただし、作者のセンスが飛び抜けているので結果的に面白いストーリーになる。
邦子が大人になってから作ったと思われる作品は、初期のものとはまるで違う。理不尽な死が基本であるのは変わらないが、以下の特徴が挙げられる。
・視聴者のテンションの変化を読んでプロットを組んでいる。ハリウッド映画を研究している。
・真面目でひたむきなキャラが無残な死を遂げるのが減った
高橋邦子は大人になってしまったのだと思う。新しめの作品を視聴すると、このことがよくわかる。
精神的に若くないと、ああいう作品を作るのは難しい。例えば、会社員として適合してしまうと、そっち方面のアイデアが湧いてこなくなる。
これまでに30ヵ国語以上に翻訳され,1000万部以上を売ったとされる。架空の町マコンドの創設から、その滅亡に至るまでのブエンディア一族の歴史が描かれる。
ブエンディア一族は、みな自らが決めた使命や、本能のままに生きている。長生きした者もいれば、短命だった者もいるが、誰一人例外なくキャラクターが濃い。
キャラの立ち方について、「根が明るい」とか「聡明」とか「向こう見ず」とか、そういう言葉で表すのではなく、具体的なエピソードで表現している。
読了後は放心状態になる。静かな気持ちの中で、この本を選んでよかったという感慨を得ることができる。
大衆向けの作品でありながら純文学でもある。思わず吹き出してしまうシーンもあれば、「お前ここで終わるんか…」みたいに物悲しいシーンもある。
一番のおススメは文章だ。一文字一文字が読書中の脳に突き刺さる。以下の例はほんの一部だ。
屋敷のなかが恋であふれた。アウレリャノはその恋心を、初めも終わりもない詩にうたい込めた。メルキアデスからゆずられたざらざらの羊皮紙や浴室の壁、自分の腕にまで詩を書きつけた。あらゆるものに、変身したレメディオスの姿を認めた。午後二時の睡魔をさそう風のなかのレメディオス、薔薇の穏やかな息遣いにつつまれたレメディオス、蛾の浮いた静かな水時計のなかのレメディオス、明け方のパンの匂いにただようレメディオス。いたるところにレメディオスがいた。永遠に変わらぬレメディオスがいた。 P.73
ホセ・アルカディオが寝室のドアを閉めたとたんに、家じゅうに響きわたるピストルの音がした。ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段を上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲り、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉っていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらにひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂のテーブルを避け、ベゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。アウレリャノ・ホセに算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラがパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。
「あらぁ大へん!」とウルスラは叫んだ。 P.142~143
モンカダ将軍は起きあがって、シャツの裾でべっこうの分厚い眼鏡をふき、次のように言った。「恐らくね。しかし、わたしが気にしているのは、銃殺されるかどうかということじゃない。結局のところ、われわれのような人間にとっては、銃殺は自然死と変わらないんだから」。 P.172
現実世界ではありえない現象を何度も何度も描くことで、読者に対してこういう世界なんだなと思わせる。慣れてしまうと、どんな不思議な情景が現れても自然に読める。この小説はマジックリアリズムの極致にある。
時間のある人は図書館で手に取ってみよう。時間のない人はほしい物リストに放り込もう。
イラスト形式で人生に役立つ知恵を提供している。あなたも動画を見たことがあるかもしれない。
このコンテンツも、高橋邦子と同じく、作者が人間的な成長を遂げたタイプだ。
初期の頃は、インターネット上の疑問やネタを集めて電撃ランキングやその他まとめ的な成果物を作り、電ラン子というキャラクターに解説させるスタイルだった。
だが時を経て、そういったランキングで使うテーマや疑問、ネタを自らの手で作り出すようになった。
そこまで珍しい作風ではない。ほかにも、「ネタざんまい」や、「これ本当かも」、「アシタノワダイ」、「セカイノフシギ」など、イラスト形式で日常・非日常の疑問を解説するページはけっこうある。
フェルミ研究所が、類似コンテンツよりも抜きん出ているところ――精神的に健康な要素というのは、ひとえに笑いだ。
他に比べて、フェルミ研究所が一番笑えるし、絵も可愛いし、ネタが豊富だ。他のコンテンツは、ストーリーの傾向がシンプルな意味で「精神的に不健康」である。
一応はディスる内容なので、どのコンテンツがこういう内容で精神的に不健康である~といった具体的な説明はしない。
一般的な傾向として、ストーリーが語られる中で不幸になるキャラが存在している。そんな、不幸になった人物をラストに描くことで、視聴者に「ざまあみろ」という感情を吐き出させる。
精神的に健康な人間は、そういったコンテンツを好まない。再生ボタンを押したとしても、臭いを感じた時点でページを閉じる。
フェルミ研究所にしても、初期~中期にかけてはやりたい放題やっていた感がある。
恋愛を扱った回だと、童貞を煽るようなナレーションを連発したり、女性キャラが恋愛に挑んで失敗した男性に辛辣なセリフを吐いたりしていた。
今では、そういった描写は少ない。むしろ、恋愛に挑む若者を応援するような作品を作るようになっている。
青年向け漫画で活躍している。性別非公表。一般的なエロ漫画に比べて絵が独特なので見たらすぐにわかる。
男女別の作品を好む傾向として、「男性はシチュエーションに萌え、女性は人間同士の関係性に萌える」というのがある。
このふたりはこういう関係で、あの時こんなことがあって、だから今はお互いにこう思っている、といった情報がさりげなく挿入されている。読者はこれから行為をする者同士の気持ちを知ることができる。
では、肝心の行為をしているシーンはどうかといえば、これがまた…略
はてな匿名ダイアリーなので、あまり詳細に書くことはできない。一般的な男性であれば満足できる。「スミヤでは抜けない」といった意見もあるが、漫画をよく読んでいないからだ。
肉々しいタイプの絵柄ではないので、作中の行為だけを見て興奮するのは難しい。ふたりの関係性を理解したうえで楽しむのが筋といえる。
男性向けのエロ漫画において描かれる女性というのは、実は女性ではない。女の姿をした男だ。最初は嫌がっているものの、性的な興奮によりスイッチが入り、快楽に抗えなくなる。最後は自ら求めるようになる――愛よりも肉を優先せざるをえない。それが男だ。
スミヤの作品は純愛が多い。ふたりの愛情を描いたうえで行為を表現する。最初に愛情がない時もあるが、ラストではお互いに何らかの感情が芽生えたことが示唆される。
それらに触れて、多くの感情を得ることができた。もちろん、他の作家からも得られるものは多かったけれども、ここでスミヤを紹介したのは、「これって男性からも女性からもウケるんじゃないのか?」と私が勝手に思ったからだ。面白くなかったらごめんなさい。
「子作りが義務化されたら俺も結婚できるはずだ」「結婚しても子作りしない奴が不幸になって欲しい」
「俺を選ばない人が不幸になって欲しい」「ていうかみんな不幸というか人生に不満を持って欲しい」
「ネトウヨ風のことをいってコミュニティに所属している感が欲しい」
「メンヘラなのに子どもを作ってしまった。そもそも子どもなんて作りたくなかった。私は損をしているので子育ての報いが欲しい」
「ネトウヨ風のことをいってコミュニティに所属している感が欲しい」
「教育?児童福祉?知るかボケ」「親の権利がー親に自分の人生は無いんですかー」
「知らない人がボクワタシの子どもに声掛けしないでください」「知らない人がボクワタシの子育てに口出ししないでください」
「ボクワタシの子どもに他人が関わらないでください」「子どもが犯罪を犯しても親の責任ではありません」
ワイちゃんエリートじゃないけどCみたいなタイプが周りに1人もいないのは我ながら育ち良さそう風(もちろん実際は良く無い)ではあるなって思う
身内にもCはいねぇな
増田には特定職業や特定組織に属する人間にあり得ない夢を見ている人たちがいるけど、
ワイちゃんの身内は大学教授や医療関係者や公務員や政治家なので多少は夢見ている通りなのかも知れませんね
まぁもっとも、GAFAM にも政治家にも大学教授にも医療関係者にもCみたいなタイプがゼロじゃ無いんですけどね
田舎の地主が国士様脳になるのは理解できるんだけど、政治家もワンチャン田舎の地主の延長上で理解出来るんだけど、
宮仕えの GAFAM や 大学教授 や 医療関係者 はほんとどういう脳みその構造してればそうなるんでしょうね。意味不明過ぎるわ
古い映画だけど日本の「刑務所の中」って映画に出てきた刑務所と比べると雲泥の差というか、本当に日本の刑務所は更生を目的としてるんだなあって思う
集団で行動させて相互監視させて、仕事や適度な運動と十分な食事を与えて、それでも再犯して戻ってくるやつがいるから難しいんだろうけど
アメリカは金があれば何でも出来るっていうけれど、いつ殺されるか分からない状態で何年も生活してらんないし、日々の食事は糞不味いらしいし(全部の食事をぐちゃぐちゃにして固めて真っ黒に焼いた刑務所ケーキなる食事とかドン引き)、そもそもまともに教育や社会生活をしてないストリート育ちの人間があんな刑務所で生活して、仮に出社してもまともに生活できない気がするんだけれど
いや全然見かけねーわwwww
何か勘違いしてらっしゃいますが、「頭おかしい」「妄想」という差別発言をする人間が、「あなたの」目に入らないこと自体は全く不思議ではないです。そりゃあなたにとってはどうでもいいことでしょうから、いちいち覚えていたら偉いですね。差別される側は、毎日目に入ります。
全て「ある」と考えるのが普通ですよね。これ、注意しなければいけないのは、男性上司やモラハラ被疑者、非同和地区出身者が「嘘を言っているわけではない」ということですよ。加害側が加害事実を認識してないケースなんてごく一般的です。その意味では、差別発言が「あなたの目に入らない」こと自体は全く不思議に感じませんが、あなたが、「その認識を示すことが、何かを主張する根拠になりえると考えている」ことは少し驚きです。そんな認識で社会生活できるんでしょうか。無自覚に加害しないように気をつけましょうね。
まさに量産型のユーザさんですね。議論の内容で太刀打ちできなくなった途端に、相手の「議論の方法」を揶揄します。私が全レスして、あなたに何か不都合でしたか?出だしで負けを認めているようなものです。「w」をつけて揶揄するのも典型的なユーザさんですね。文句があるなら具体的に反論してはいかがでしょうか?
たとえば漢字の筆順なんてものはどうでもいい。歴史的に「正しい筆順」なんてものは存在せず、明治以降に文部省が便宜的に決めたものに過ぎないことは、調べればすぐに分かる。
ところがどういうわけか、世の中には「漢字の筆順が重要である」と強弁したがる人たちが一定数いる。彼らはあれこれ理由をこじつけて、客観的な事実を否定しようと試みる。
そりゃあまあ、たとえば自分の親戚が変な宗教に入ってるとか、性犯罪者であるとかで、それを隠さないと普通の社会生活を送りにくいとかなら、事実を捻じ曲げたがるのも分かる。他にもたとえば、普段疑似科学なんか全く信じない人でも、いざ自分が癌とかになったら代替医療に縋る可能性もあるかも知れない。けど、漢字の筆順なんてほとんどの人類にとっては、それに意味があろうがなかろうが、人生に何の影響もない。
そういうものに頑なに拘る人というのは、一体何を考えているのだろうか。
詭弁がお上手ですね。私もそういう風に上手くやってみたいです。残念ながら知性は感じないので場面を選びそうですが。
なんで「そういう理解を抜きにして」いると思ったんでしょう??「(日常用語としての)妄想には精神疾患が原因のものと、そうでないものがある」というあなたの主張についてはその通り認めます。が、その上で、「例え一部でも精神疾患由来の妄想があるのであれば」「妄想という用語をもって相手を揶揄することは」差別です。また、「妄想という揶揄に精神疾患に対する差別を感じる」と主張することが、「あたかも全ての妄想が精神疾患由来であるという誤解を生む」という主張は全く理解できません。
「滑稽」が現代社会において批判的なニュアンスを含んでいないかのような言説も元々主張されてるものと同じように我田引水な論ですね。
これもなんでこういう理解になるのか意味不明です。当然「滑稽」はニュアンスどころか、明確に批判として言っています。「批判」と「差別」の違いがわかりますか?
「揶揄することだけが問題」だとは主張していなくて、「差別的な用語で揶揄すること」が差別だと批判しています。ここでも同じですが、「批判・揶揄」と「差別」の違いがわかりますか??
「批判」と「差別」の違いがわからない人は、社会生活を送る上で、無意識に差別に加担しないよう、細心の注意をすることをおすすめします。
何度言ったところであなたが極めて差別的な考え方をしている、またはそう判断されうる言動をしていることに変わりはありません。
妄想はどんな人でも実行可能な精神的な営みであり、但しそれが病的(社会生活や日常生活に支障をきたす)なレベルになり、自己でコントロールできない場合にのみ精神疾患の症状かつ加療の必要ありと認定されるだけに過ぎません。
そういう理解を抜きにして立論されたものは指摘、批判として何ら意味を為さないし何の価値もないというだけなので、そこは問題にしていない、という言い訳もほとんど無意味です。
「滑稽」が現代社会において批判的なニュアンスを含んでいないかのような言説も元々主張されてるものと同じように我田引水な論ですね。
あくまで「揶揄すること」だけが問題だと主張するのであれば、「滑稽だ」と評価することも結局は揶揄でしかないので、やはりダブスタ乙と返されて終了です。