「呪われたことがあるか?」そう問われたら、まぁ殆どの人は首を横に振るだろう。
けれども、誰もが既に呪われたなかにいて、そうした状況で毎日生きている。人が呪われるのは、他人の恨みを買ったからではない。
むしろ、呪いをかけたそいつは、何にも思っちゃいない。そいつにとっては、呪いではなくて、単なる言動に過ぎない。
世の中にはあらゆるところに呪いが仕掛けられている。それは言葉や社会運動といった身体を纏っている。その中には、えらく巧妙な論理構造をもったものもあるし、身も蓋もない感情的なものもある。
呪いが僕らに接触しても、すぐには取りつかない。それは、じわじわと僕らを弱らせる。たいていの場合は他の呪いと共に弱らせた僕らの意識を犯している。
呪いの内容を言語化するのは難しい。呪いは、僕らの意識そのものよりも無意識の構成を歪ませるからだ。
「他人に正しいと思われるように常に正しくあれ」
最近流行りの呪いはこうだ。この呪いは例えば、煙草のパッケージに書かれた注意書きやポリコレを媒介して襲ってくる。
しかしながら、この呪いに反抗する術は少ない。たんに反動的に反抗することは、呪いの裏返しでしかない。それは呪いに囚われた人間のもう一つの在り方に過ぎない。
呪いに反抗する術は、呪いから脱する術であり、その他には何もない。僕らは呪いから脱さなければ、自由ではありえない。
僕らは呪いを背負って生きている、常に脱する機会を伺いながら。
人ん現社会で社会生活を送るということ自体が呪いだよ。 教育という名の呪いがないと、ただのサルとしてしか生きれない。