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2024-11-11

四国停電瀬戸大橋立ち往生の件

11/11 26時追記】読みづらいと言われたので体裁だけ記法ちょっと編集。中身そのまま。増田は全く分野違いの素人野次馬である

内容はニュースソースプレスリリースWikipediaツイッターの電力系の人、鉄道系の人の書いたことなどを鵜吞みにしている。変な点言ってくれたら参照元くらいは答えられると思う。

大事ことなので冒頭のここにも書くが、JR四国によると前日の停電瀬戸大橋の断線は無関係とのこと。下衆の勘繰りをしながら調べている最中にそう報道された。

―――

気になって素人が調べたことのまとめ。間違ってるかもよ。1度寝かせた文章追記を重ねたため構成が悪くなってわかりづらいけど。

前提

四国本州を結ぶ送電線は2経路。

瀬戸内海瀬戸大橋経由で中国電力と繋がる「本四連系線」交流2回線(1L、2L)

紀伊水道海底ケーブル経由で関西電力と繋がる「阿南紀北直流幹線直流1回線(第1極、第2極)。

うち第2極は制御保護装置更新工事のため10月末〜来年3月で停止中。

四国は発電力が潤沢で、通常時は上記経路で本州に電力を「輸出」している立場である

電気は溜めておけないので、需要に対して供給(発電)を一致させるよう細やかにコントロールする必要がある。

需給バランスが崩れると周波数が乱れ、発電機の破損や大規模停電に繋がりかねない。

時系列

11/9 14時すぎ

瀬戸大橋の本四連系線の2回線あるうちの1回線(2L)を停止させたメンテナンス作業中、使用中の1回線(1L)に何らかのトラブルがあり2回線ともに停止。

阿南紀北直流幹線のみで本州と繋がる状況になる。中国電力に輸出していた経路が断たれ周波数が高くなり(電力余り)、徳島橘湾火力発電所が連系線トラブルと同時刻に停止。

20時すぎ

本四連系線を復帰させるため、2Lのメンテナンスを中止し2Lの復旧作業中、何らかの原因で阿南紀北直流幹線本州向き潮流(関西電力に輸出している電力量)が急増。

昼とは逆に周波数が下がり(電力足りない)、四国内の一部を停電させ需給バランスを保つ。停電は約37万戸。しばらくのち本四連系線2L復旧。

21時すぎ

停電復旧。

11/10 7時すぎ

瀬戸大橋内の架空切断のためJR瀬戸大橋線の列車瀬戸大橋上で立ち往生。乗客は約150人。

列車パンタグラフ3基がすべて破損し自走できない。上下線で運転見合わせ

14時すぎ

立ち往生した列車に救出用列車を横付けして乗客を救出し、隣駅に到着。

20時すぎ

上下線で運転再開

余談

停電のこと

阿南紀北直流幹線で潮流が急増した「何らかの原因」だが、単なる寒さでの暖房起動などによる需要増ではないトラブルのようだ。

橘湾発電所の停止は本四連系線トラブルを検出した系統安定化装置の電制(電源制御)によるもの

停電周波数乱れを検出した周波数低下リレー(UFR:Under Frequency Relay)の作動によるもの

四国電力管内でのUFR作動は記録の残る1966年以降で初めて。

停電地域不思議バラついているが、詳しい人が見るとUFRだと察しが付くらしい。

都市部を避けつつある程度の需要のある市街地ということか(ど田舎停電させても需要増が覆らない)。

淡路島北部関西電力管轄南部四国電力の管轄南北それぞれで送電を受けている。

(これって非常時に一方向から送電してさらに向こうの本州(または四国)にまで送電できないの?よくわからないが本州四国を繋ぐのは上記2経路のみ扱いなのでできないのだろう)

原発のこと

停電により愛媛伊方原子力発電所運転上の制限から逸脱する影響があった。

原発は多重の安全機能確保のための運転上の制限として、外部電源は系統上の独立性を有する必要がある。

まり、互いに依存しない複数変電所または開閉所から送電回路が必要だ。

伊方原発の外部電源は6系統あり、川内変電所から2系統、大洲変電所から4系統

大洲変電所の上流にあるのは川内変電所経由2系統小田変電所経由2系統

停電により小田変電所からの電力が停止し、川内変電所のみに依存する系統となった。

これを「運転上の制限逸脱」略してLCO逸脱という(Limiting Condition of Operation)。

さらに、ちょうど大洲変電所からの4系統のうち2系統点検中であった。

伊方原発は1,2号機が平成終盤に運転終了しており3号機のみ。

その3号機は7月から定期検査に入りその一環で10月から調整運転中(発電・送電はしている)。3号機は今年12月運転開始から30年となる。

今回の定期検査原子炉内の中性子の測定装置不具合が見つかり運転再開が3週間遅れていた。

2023年成立(2025年施行)したGX脱炭素電源法で、運転開始から30年を超える原発は最長10年ごとの管理計画原子力規制委員会申請・認可を受ける必要がある。

これまで原発運転期間は原子炉規制法で原則40年・最長60年とされていたが、GX脱炭素電源法により上限は撤廃され60年超も運転可能となった。

伊方3号機は10月認可済み。

伊方原発3号機の使用済み核燃料を保存するプールは容量の92%が埋まっている。

プール以外で一時保管するための乾式貯蔵施設の設置工事を進めている。

LOCは外部電源の独立性確保以外にも様々な要件がある。

これを満たさな状態が発生すると電力会社は逸脱を宣言原子力規制委員会に報告するとともに速やかに対応する。

逸脱すなわち原子炉施設保安規定違反というわけではなく措置を講ずれば良いらしい。

LOC逸脱は2017〜19年で12件ありまま起きている。

経済産業省四国電力送配電に停電の原因究明と再発防止策の報告を求めている。期限は停電発生から30日以内。

JRのこと

国土交通省JR四国運転停止トラブルの原因究明と再発防止策の報告を求めている。

停電瀬戸大橋の断線の関連を疑ってしまうが、JR四国の発表では関連はないらしい。

JR四国非電化区間が多く汽車(ディーゼル気動車)が走っている。停電時に電車運休してしまうが汽車は走る。

しか電車を引っ張るためのディーゼル機関車は持っていない。

岡山JR西日本側からディーゼル機関車の手配も考えただろうが、結局救出には運行可能下り線を四国から列車が逆走して(瀬戸大橋は複線)向かい線路に横付けして板を渡して客を移動させ、そのまま逆走を続けて代走した。

立ち往生したのは高松岡山行きの快速マリンライナー10号。この10号の前には朝5時頃から路線を同2,4,6,8号、特急しおかぜ2,4号、普通列車2本が通過している。

直前の通過はしおかぜ4号。前日の終電23時頃のマリンライナー70号。8,10号は1日2本だけの7両編成。他の編成は時間帯により2両または5両。

7両の内訳はJR四国5000系が3両、JR西日本の223系5000番台が4両。

瀬戸大橋のこと

瀬戸大橋10個の橋の総称。立ち往生した場所は最も岡山である下津井瀬戸大橋中央付近か。

仮に歩いて向かう場合、最も岡山側とは言え橋の全長1447mの半分+トンネル230m=約1kmの距離がある。最寄の児島駅からは約4kmある。

JR瀬戸大橋線はJR本四備讃線愛称であり、JR西日本岡山支社とJR四国管轄する。

瀬戸大橋を含む両端の児島駅-宇多津駅間はJR四国管轄

瀬戸大橋のもの独立行政法人高速道路保有債務返済機構(旧:本州四国連絡橋公団)が保有し、JR四国が借り受けている。

道路一般道のない高速道路で、管理本州四国連絡高速道路株式会社

電線の本四連系線の管理電源開発送電ネットワーク株式会社(電源開発株式会社から発送電分離)。

瀬戸大橋道路JR開業1988年だが電線の本四連系線が敷設されたのは1994年

2024-09-12

anond:20240912134713

両方しらんかったw

>JR奈良線奈良を走ってない

>気動車電車じゃない

俺もさっき知ったばかりの豆知識なんだけど、例えば東京駅には山手線の乗り場があるけど、山手線は1度も東京駅に来ることはない。

JR乗客のために嘘のホームを用意しているだけで

東京駅山手線ホームには、東北本線東海道本線車両が来てる。

埼玉県人用に説明すると、大崎埼京線りんかい線直通運転してるようなもの

大宮から埼京線に乗ってても、東京テレポートで降りるときにはりんかい線になっているように、また東京テレポートから埼京線に乗ることは出来ないように、

ちゃんと表示してるところは嘘をつかずに表示してるんだよ。

山手線けが隠蔽をしているっ!!(陰謀論

anond:20240912134422

どうでも良すぎて草

あれだろ、JR奈良線奈良を走ってないとか、気動車電車じゃないとか、そういうやつだろ

2024-06-09

新潟駅に感じる違和感

新潟駅リニューアルおめでとうございます

どうしてこうなった!思ってたのと違う!こんな感想を得た人も多いのではないか。かく言うところの筆者もそう思いました。新潟駅不思議ポイント確認していってみましょう。

2階までの階段が50段?!

新潟駅に関する違和感というか、歩いていて苦痛に感じるポイントはまずここです。階段の段数が約50段と多いです。通常の建物の3階相当の高さを2階としています。これは上越新幹線開業から新幹線コンコースの高さです。在来線跨線橋はこの高さよりも低く、跨線橋から新幹線コンコースまではスロープで接続されていました。通常の駅の階段は30段くらいです。

4階建ての新潟駅の旧駅舎ビルの高さと上越新幹線ホームの高さが同じくらいなので、上越新幹線ホームの高さは5階相当の高さになります新幹線毎日乗るものではないので、苦ではなかったのですが、新幹線に乗るときエスカレーター階段が長いと感じていました。

在来線ホームの高さを新幹線ホームに合わせてしまったため、5階相当高さにホームが上がってしましました。富山駅金沢駅福井駅新幹線の高架はもっと低く、アンダーパスする道路ギリギリの高さの設計になっていると思います。2階がそれほど高くないのです。オープン当初の新幹線高架下の新潟駅の2階に出店していたヨドバシカメラは、店内に階段があり、上の階がありました。やはり新潟駅新幹線ホームは4階建ての建物屋上相当の高さにあるのです。この高さが高い高架橋は総工費が大幅に高くなることを意味します。

バス乗り場の怪?!

横断禁止の個所を渡る人が絶えないとニュースになる新バス乗り場。駅ビルCoCoLoの1階部分が高架下を貫くバス乗り場によって分断されています。50段の階段で2階へまわれとか、150m先のなかなか青にならない信号渡れとロック設計になっています設計コンペの勝者のイラスト比較すると大幅に規模が小さくなっています。コンペのイラストバス乗り場は、高架下の道路の両側ではなく、道路の車線の間に島式ホームのようにバス乗り場が集約されています電車と違ってバスは、両側に扉がないので、バスは島式ホームのローターリー侵入するとき右側通行に入れ替わって侵入することが想定されます。島式ロータリーから道路の両側にバス乗り場に変更することで、高架下のバス占有する面積を大幅に縮小しています。この変更によって、バス乗り場が行き先によって分断されたため、とりあえずバス乗り場に行ってから目的バスを探すことができる構造からバスの行き先を判断してから道路のどちら側に行くかをあらかじめきめなくてはならないスタイル改悪されてしまいました。

古町市役所方面からきたバスは、高架下に入る前の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、南口側に出てUターンして、高架下バス停に出発を待ちます南口方面から到着したバス南口側の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、万代口側に出て、Uターンして、高架下のバス停で出発を待ちます。高架下を直通するバス路線はわずかです。

イメージイラストは、「設計コンペのプランからなくなったもの?!」の項を参照してください。

乗用車お断り?!

多くの市民が感じた違和感市街地南北が分断された状態解決するというお題目ほとんど解消されていないことです。この目的解決するには、万代口の東大通と南口弁天線がつながらなければなりません。駅の高架下はバス専用となったため、南北をつなぐ道路で増えたところは、八千代から続く道路線路の反対側につながったところくらいです。以前の踏切個所の米山踏切天神尾踏切は、高架をくぐる道路として残っています。一部の市民は、市長の家の近所のガードだけが開通したので、このルート篠田さんの功績を称えて篠田ガードと呼んでいます

篠田新潟市長名義のアパート新築である

https://www.zaikainiigata.com/?p=8248

計画では駅西線と駅東線という2本の道路が開通する予定でしたが完成に至らず、大幅に計画が縮小されています。駅東線は歩行者自転車道路格下げされて計画されています。駅西線は、代ゼミのところから南下し、高架下をくぐりLEXNビルに至る道路です。

駅西線の予定地では、新幹線利用者向けのパークアンドライドサービス新潟駅西駐車場(215台)を貫いています。このパークアンドライド用の駐車場は、高速バスターミナルタワーマンションでなくなる予定です。もうひとつパークアンドライド駐車場CoCoLo駐車場(826台)は、この春のCoCoLoリニューアルオープンに伴って、3000円のお買い物で1時間無料新幹線割引き廃止24時まで3000円というレートになりました。梅田駅秋葉原駅のほうが安いです。セレブな駅駐車場になりました。この変更で新幹線出張族が大打撃。電車バスで駅に行けない利用者が多いのが新潟現実です。新潟駅西駐車場(215台)は、朝8時前に満車です。ちなみに上越新幹線で使われているE7系の定員は924人です。

敵の侵入に強い駅構内?!

駅に中に城下町のような見通しの悪い丁字路が多い印象がです。電車新潟駅の高架在来線ホームに到着すると電車は、ホームの中ほどに停車します。階段エスカレーターは、ホームの両端にあるため、階段エスカレーター電車の間のホームの狭いところを歩くことになります。降りた乗客は進路を絞られて譲り合いながら進みます階段エスカレーターは隙間と通った後にUターンする導線になります。先が見えません。約50段の階段を降りると反対側のエスカレーターが正面にあり、方向を変えて、出口もしくは、乗り換え先のホームを探すことになります。この高架橋の柱は5階の高さを支え、耐震考慮していてとても柱が太いです。見通しがよくないのです。乗り換えのときは、新潟駅の発着ホームランダム設定のため、何番線からどこ行きが発車するのか確認必要です。ホームから改札口へ向かう人、改札口からホームへ向かう人、乗り換えの人が改札内の一か所に集められて混沌となります。その人波をかき分けて階段の上に表示されている行き先を確認する必要があります新幹線特急いなほの対面乗り換えの5番線が後付けの設計のため、階段位置違和感があります。これも改札内コンコースを複雑にしている理由の一つです。改札を出る場合は、東、西、新幹線の3つの出口を判断して、東か西からます階段を降りて進むと正面が新幹線乗り換え改札で出口どこってなります。太い柱が邪魔で先が見えないです。改札を出ると共有の通路ではなく、エキナカ店舗が両脇にある通路を進みますが、外へは店舗を抜けないと駅を出られません。この店舗との駅外への導線の区別ないところがよりわかりにくくしています。グレーと黒を基調とした色調なので、黒い服を着るといい感じで風景に溶け込みます

敵襲があったときには、敵の判断を鈍らせることできる設計になっています。なかなかの軍司がかかわっていたものと思います

土地の所有者は誰?!

土地が誰の持ち物なのかを調べてみるとこの駅のちぐはぐな点が浮き彫りになってきます

高架下は東日本旅客鉄道さんの土地なのです。駅前広場新潟市。新たに広場になる部分は、東日本旅客鉄道さんから新潟市が買ったのではないかと思います。市の玄関口なので、きれいな広場を整備しましょうということなんでしょう。南口広場国鉄清算事業団から買いました。旧国鉄側は上手に土地を売り抜けているように見えます。大幅に規模が縮小されたなんちゃってペデストリアンデッキは、新潟市土地建設されます。高架下の建物東日本旅客鉄道さんのものなので、そこにお願いして接続させてもらっている体になりますバス乗り場部分が東日本旅客鉄道さんの所有地だとすると駅下の一等地提供したくなかったのかと妄想が捗りますバス乗り場で分断されても店舗面積を稼ぎたいその気持ちエキナカ運営者の立場としては当然かもしれません。高架下の駅舎の中は持ち主の東日本旅客鉄道さんの気持ちがあふれた設計になっています

設計コンペのプランからなくなったもの?!

2002年設計コンペは、堀越英嗣氏のグループが選ばれました。次のxに上げられた画像を見ると堀越氏の想いはいずこへ。

新潟都市再生 @ryuto_niigata 10:50 PM · Mar 11, 2020

https://x.com/ryuto_niigata/status/1237737592889544704

ペデストリアンデッキ

万代口のマルタビルブラザービル前まで横断歩道を渡らずに行ける予定でした。メンテナンスが難しそうな雲形のデザイン歩道屋根に置き換わっています。このペデストリアンデッキは、斜めに走っている補助路があり、人間の近道をしたい心理をうまくついていました。

・島式のバスロータリー

先ほどふれましたが、バス乗り場の面積が縮小されていますバスを一覧しやすい乗り場という設計者の配慮は無になりました。

・高架ホーム屋根上のテクスチャ

木造風でした。

他の設計者のアイデア?!

高架下の道路として予定されていた駅西線や駅東線に車寄せやバスのりばの入り口を設けたものアイデアとしてよかったです。このアイデアを実現しようとすると東日本旅客鉄道さんのエキナカ店舗面積が減ってしまます

駅前広場が丘になっていて、丘の上も丘の中も歩けるというのもよかったです。雨風に強いプランは天候がよくない新潟向きです。

新潟都市再生 @ryuto_niigata 2:35 PM · Mar 12, 2020

https://x.com/ryuto_niigata/status/1237975437415874560

都市交通ターミナル設計

https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/2002/g5/M/1035010.pdf

この高知工大の澤田さんが作った資料は今となっては当時のコンペの条件を伝える貴重な資料です。

高架化したのに残る跨線橋?!

新潟駅から西に1.4㎞に西跨線橋、東に0.4㎞に東跨線橋があります。この2つの跨線橋は高架化後も残存しています。西跨線橋付近そもそも90年代計画時点で高架化の範囲から外れており、駅から西跨線橋に向けて下り坂になっています越後線が西跨線橋をくぐると白山駅手前の信濃川を渡河する橋梁があるため、登り坂になっています???

跨線橋の下は在来線が通り、この跨線橋の上を新幹線の高架が通っていました。在来線の高架化で在来線新幹線と同じ高さまで高度をかせぐようになりました。この東跨線橋は、予算不足のため跨線橋が残ったままです。数年後壊すことになっています

実際のところ、街のお年寄り新潟踏切がない街だからといっていました。ここで指す新潟新潟島+アルファの狭義の新潟です。狭義の新潟には、米山踏切天神尾踏切くらいしか踏切がなかったと思います。現新潟駅が街はずれの田んぼの中に作られたこと、現新潟駅への移転に合わせて白山までが作られたためかと考えられます

結局のところ、取り除かれた踏切米山踏切天神尾踏切で、それ以外の個所は線路道路オーバーパスしていたところが多かった状態でした。降雪時に凍結しやす跨線橋が残ってしまったのはとても残念です。

新幹線は、在来線道路上下が入れ替わる状態無視して、それらの上を行く高架で郊外の田園地帯まで抜けています

せっかくなので、線路は高架、道路は平面というポリシー街づくりをしていただきたかった。まことに残念です。いっそのこと新潟駅の上を高架道路で結んだほうがよかったかもしれないです。

駅と一体化できなかった再開発ビル?!

昭和57年上越新幹線開業時、新潟駅には、駅構内ステーションデパートのセゾン・ド・ニイガタと駅裏にあった気動車車両基地の向こう側に長大な連絡通路を挟んだ再開発ビルプラーカが3棟建てられました。セゾン・ド・ニイガタは、その後、CoCoLo名前を変え、新潟駅リニューアルの核店舗となった。開業当時は西堀ローサとならんで、おしゃれスポットでした。プラーカは、プラーカ1、プラーカ2,プラーカ3と地下から地上5階までのショッピングモールが出現。セゾンよりも大規模で店舗数も多いスポットでした。東急ハンズ山下家具フランチャイジーとして運営したハンソンアニメイトゲームセンター、多数の衣料品店などでにぎわっていました。プラーカ4?として西友進出計画までありました。しかし、バブル崩壊後の景気低迷でセゾンはせんべいとか鮭の瓶詰を買う新潟土産屋になり、郊外の大規模モールの台頭でプラーカは集客力が落ち、テナントが歯抜けとなって破綻したのでした。無印Francfrancもいなくなり、今は中央に吹き抜けがあるオフィスビルになっています。このビル第三セクターだったため、新潟市は大きな打撃を受けることになりました。

気動車車両基地は、数年後に新津駅移転し、国鉄清算事業団所有の空き地が残りました。この空き地新潟市が買い取ることになり、新潟市のひとり負けです。

市民参加のまちづくり?!

2000年ごろから市民参加のまちづくりという錦の御旗の下、駅の設計市民が参加するムーブメントを当時の市長が始めた。この動きが2003年新潟駅設計コンペに影響があり、プランが大胆に変更されるのかと思いきや、新潟駅設計コンペは、新潟駅周辺整備基本構想にしたがって、設計コンペが実施されたのでした。

都市みらい通信

https://www.toshimirai.jp/ifudletterpdf/200111.pdf

新潟駅周辺整備基本構想では、駅を貫く道路バス専用で、道路交通は駅西線と駅東線が担うことが決められていました。プランの肝心なところは、市民が参加しても変えることはできず、まだ詳細設計がされていなかった広場で、機能関係がない見た目のデザインがとかバリアフリーがとか枝葉の部分の議論に終始したのでした。車いす駐車場から広場への歩道の導線がよくないと直したら、車寄せと駐車場の面積が半減してしまいました。完成後の混雑が必死なのか閑古鳥がなくのか興味深いポイントです。そんなことよりも在来線ホームが5階の高さの時点でめっちゃバリアです。

この市民参加の部分は学術論文が書かれています

新潟駅駅舎・駅前広場計画提案競技を事例として

https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/record/31114/files/ZH_2005_963-964.pdf

新潟市周辺整備計画

http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/shiho/2005/050710/pdf/2002_08.pdf

2022-08-21

もしも昭和アイドル田村ゆかり全国ツアーがあったら(という鉄

プロローグ

もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である昭和アイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前デビューしたと記憶している。

ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。

https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング

https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/

この年は音楽番組ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスジオ」といった番組ゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズ解散し、レコード大賞ピンクレディーが獲得し、山口百恵活躍していた。

いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかり全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの

そんなわけで「もしも昭和トップアイドル田村ゆかり全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表にらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。

今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。

なお毎日運転ではない季節列車臨時列車は極力排した。仕方ないね

1

初日大宮公演だった。

当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和トップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。

https://www.livefans.jp/venues/1204

この頃は上野東京ライン湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線103系東北本線高崎線115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。

2

鉄道旅行的に見せ場になるのが金沢松本公演。

北陸新幹線のないこの時代東京から金沢に向かうメインルート信越本線だった。

上野発916の特急白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である

翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行白馬」、中ほど4両は秋田まりで前寄り5両は青森までロングランする急行しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川青森秋田行き「しらゆきから切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するからえびめしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。

ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。

さら松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロス115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。

3

新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェットトライスター東亜国内航空DC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である

ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。

しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路デッキ新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。

4

新潟仙台は帰り道がポイントになる。

東北上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しか上越線には「とき」東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。

新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行鳥海」で642上野着でもいい。

仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森常磐線経由の急行十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急ゆうづる」2号・4号も利用できる。

そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価手段鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バス運行されていたが、都内新潟高速道路でつながったのは1985年仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。

なおこの当時、上野仙台特急ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便全日空により1日4往復運航されていた。

5

ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。

それでは札幌公演に陸路海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである

2140上野特急ゆうづる5号]705青森or2221上野特急はくつる]711青森

青函連絡船5便 730青森→1120函館

1140函館特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館特急おおとり網走行き]1558札幌

急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。

やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通手段であった。

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そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、

2350 急行「あづま4号」437

025 急行出羽」502

043 急行「新星」536(寝台あり)

056 急行「いわて4号」542

155 急行津軽2号」605着(寝台あり)

このほかに夏休みシーズンだけに季節列車臨時列車運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。

座席車特急はいわゆる「直角椅子であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バス鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。

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国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪バス国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。

鉄道ならば京都2237の特急出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急瀬戸」や同005の特急あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるからエクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である

なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるからフェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。

エピローグ

筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験ノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこ文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味差し引いてもためらいが多めに残る。

とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベル提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。

本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月横浜で公演があるのでよければバス飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。

それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます

https://l-tike.com/concert/mevent/?mid=282963

2022-06-28

anond:20220628200734

そういうのめっちゃ気にする人もいるけど、「それ電車じゃなくて気動車ですよ」ってクソリプ飛ばしてるやつと大差ない

2022-05-29

anond:20220529020818

気動車存在自体否定されたらオタクも怒るでしょ

本論と関係ないけどそんなことで怒ってたらこれだから鉄オタはこだわりが強い……ってなるのが関の山では

大元増田はそうならないって言いたいらしいけど一般社会では鉄オタのこだわりなんて「事実としてはそうだよね」と認めてもらえる粋にすら達してないでしょ。

もっと別な例え方なかったんだろうか。

anond:20220528200218

私が「ナチス政策肯定できることはない」と発言すると

https://www.asahi.com/articles/ASQ5S4HFPQ5SUPQJ001.html



実際に良い点があるかどうかという事実認定の話と、それを「言いたがる」ことの善悪は別の話なのに、そこをごっちゃにして事実認定までしちゃってるんだもの気動車存在自体否定されたらオタクも怒るでしょ

2022-05-28

ナチスは良いところもあったといいたがる人」が問題だって記事

実際良い点もあっただろって細かに文句つけてる人はなんなの

実際に良い点があるかどうかという事実認定の話と、それを「言いたがる」ことの善悪は別の話でしょ

言ってはいけないことがあるってそんなに突拍子もない主張だったりする?

例えばいちいち「それは電車ではなく気動車だぞ!」って言いたがる電車オタクがいたとして、

そういうのめんどくさいからやめた方がいいよってアドバイスしたら、気動車存在自体否定しにかかってるやつだ!とかならないじゃん。

ことにナチスって普通に考えてある種の特別存在なんだからより一層の配慮が求められていて自然だと思うんだけど

その配慮をしなけりゃナチスへの批判精神が足りてないやばい人なのではって警戒されるのは現実として仕方ないでしょ

価値判断の話に対して純然たる事実認定問題論破しようとしてくる人は区別できてないのか分かっててやってるのかよくわからん

2021-10-05

オタク定義

オタクについての話が盛り上がってところだし、いい機会だから

単純に「オタク」というと、アニメアニメに準じる趣味を持つ人のことというイメージ自分も持っているし、一般的に語られるときもそういう文脈で語られることが多いと思う。

でもそういうアニオタのことを指して、「オタクは~」というと、「映画オタクアイドルオタクもいる!!」と、気動車鉄道総称として「電車」と呼んだとき過剰反応する鉄オタみたいな人がちょくちょく出てくるのは、一体なんだと思う。

オタク文化」と呼ぶと前述のとおり、アニメに関する文化意味合いになる。「オタク気質」だと映画オタク全般に指してるのかもしれない。

まあ文脈で変わるだろ言ってしまえばそれまでなんだけど、話の腰を折ってまでして、やけに定義にこだわる人がいると面倒臭いという、お話です。

2021-08-27

anond:20210827101413

から元増田にも

かに設備送電網を結線して、そのまま電気を利用する」ことができない分野=非結線のモビリティ自動車気動車船舶航空機など)なら、エネルギーを一旦「水素」という物体に変えて持ち運ぶ必然性が出てくるし、コストや容量の面でも「送電から無際限に送られる電力」ではなく「有限のバッテリに蓄電される電力」と競うことになり、水素陣営から見た競争条件はだいぶマシになる。でも前増田でも書いた通り、そのモビリティ市場の核となるはずだった自家用FCVは、技術的にだんだん死に筋に入りつつある。

て書いてあるやんけ。

2021-08-20

どうも「水素社会」はうまくいかない気がするな

「MIRAIには未来はない」理由を、理系のはてなーにわかるように書く の続きで、バストラックFCV化の可能性について書こうとしたんだけど、そこからだんだん水素社会自体について考え始めてしまったのでダダ漏れで書きます

バストラックFCV化はまだ目があるのか

増田ブコメで「バストラック分野についてはEVよりFCVのほうが優位なのでは?」という指摘を何件かもらった。技術的には概ねその通りだと思う。前増田で挙げたFCVの諸課題は、(2代目MIRAIが実際にそうしたように)車全体のサイズを大きくするほど希釈・軽減されていく性質がある。一方でEVのほうは、車が大型化し、求められる航続距離と出力が大きくなるほど必要電気容量も増え、それに伴ってバッテリセル部の大型化・重量増・充電時間の長時間化という問題が重くのしかかってくる。

からFCV自家用車スケールに展開しようとすると技術的に無理が生じてくるし(たとえば、軽自動車サイズ実用的な航続距離を持つFCVを作るのはあまり現実的でない)、逆にEVを大型商用車スケールに展開しようとすると実用性の面で問題が生じてくる(高価格・高重量で給電にも時間がかかる)。言い換えれば、EVFCVは、その特性が活かせるスイートスポットが違っているEV二輪車自家用車レベルに向いていて、それより上へのスケールアップには課題がある。FCVは大型商用車用途なら一定の強みを発揮できる可能性があるけど、自家用車以下へのスケールダウンには向いていない。だから「乗用/大型商用で線を引いて棲み分けする」という選択肢は確かにありうると思うし、当のトラックメーカー側も、日野いすゞダイムラーボルボあたりは現状はEVFCVの両ベット戦略で進んでて、しかFCVのほうが将来有望だと考えているように見える。

※大型商用車EV化については、バストラックバッテリセル部がモジュール化されて、トラック向けの幹線ガソリンスタンドのような「バッテリ換装ステーション」でメーカーや車種を問わず換装課金される仕組みが整う可能性もあるんだけど(外付け換装型の商用EV自体日本では川崎市のゴミ収集車などで中国では大型トラックで導入されている)、かなり大規模なインフラ変革になるので、バストラック業界全体が早急にこの方向でまとまるとは考えにくい。

一方で、実際に大型商用車EVFCVのどちらに寄っていくかは、単純に技術的・コスト的な優位性だけでなく、社会行政がモビリティの分野で「EVベース電気社会」と「FCVベース水素社会」のどちらがリアル選択肢と考えるかによって大きく左右されるかもしれない。個人的には、大型商用FCV技術的にはEVに対して現状優位にあるけれど、この「社会的なリアリティ」という点から見ると、だんだん厳しいことになっていくような気もする。国と資エネ庁は、モビリティ分野に留まらず我々の社会全体に水素というエネルギー源が浸透する「水素社会」という壮大な絵図を描いて、自家用FCVをその中核的存在位置づけてきたわけだけど、自家用FCVの将来が怪しくなってきた今、「水素社会」というエコシステム全体にも、それが翻って大型商用FCV未来にも、陰が差し始めているんじゃないかと。

水素社会」の夢と現実

資エネ庁の水素社会の見取図には、実現しつつある「水素社会」の具体例として、

エネファーム

業務産業燃料電池

水素ガスタービン

水素発電実証設備

燃料電池自家用FCVフォークリフトバストラック

が掲げられている。このうち①②は、ガス網を経由して送られた天然ガスを改質して水素を作り、さらにそこから電力と熱を取り出す技術だ。この反応過程水素が介在していることで、「水素社会」の尖兵みたいな扱われ方をしてるけど、改質段階で結局CO2排出してるので、実は全然カーボンニュートラルではない。天然ガスの持つ反応ポテンシャルを余すことなく高効率に使ってるだけ。

③④は、水素を何らかのインフラ経由で地上の固定設備輸送し、そこで電気を取り出す技術だ。カーボンニュートラル水素には、主に「グリーン水素」(再エネの電気で水を電気分解して作る水素)と「ブルー水素」(天然ガスなどを改質して水素を取り出し、同時に発生するCO2はCCSで地下や海底に圧入貯留する方法生産される水素)の2種類があるけど、グリーン水素で③④をやるのは「電気製造した水素物理的に運んで、その先で水素を使ってまた電気(と熱)を作ること」に等しい。そんなエネルギーロスを繰り返すぐらいなら最初から送電網で送った電気を使えばいいわけで、基本的に③④はブルー水素しかやる意味がない。

ところが日本政府が「水素社会」実現時期のベンチマークとしている2050年にはブルー水素はグリーン水素よりコスト高になるとの予想も、いや2030年にはそうなるという予想もある。そうなった時点で、③④は「電気より割高なエネルギー源」を使って電気を作る、社会的に無意味アプリケーションになってしまう。

そう考えると、実は「水素社会」のビジョンって、石油・ガスなどの化石燃料エネルギー関連産業と、その産業に紐づく重電企業商社・省庁が、既存資源技術インフラを使い廻しつつ「我々もカーボンニュートラルできます! やります!」つって延命するために目いっぱい膨らませてみた風船なんじゃないか、という気がしてきた。

エネルギー企業はこれまで通りLNG石油を掘り、それを改質し、ブルー水素を取り出し、CCSでCO2を地中に送り込む。商社既存エネルギーと同じようにそのブルー水素を輸入する。重電企業既存LNG火発のガスタービン技術を使って、ブルー水素で発電する。ガス会社既存都市ガス網やプロパンガス供給網への水素混入度を高め、情勢を見つつ緩やかに水素ガス供給網に転換していく。こういう、既存産業構造がそっくりそのまま生き残れる「ありき」の姿から逆算して「水素社会」のビジョンが立ち上げられ、そこに①②③④が繰り込まれてるんじゃなかろうか、と思ってしまった。

このパンパンに膨らんだビジョンを針でつつくと、「水素社会」の絵図の中には⑤の燃料電池自家用FCVフォークリフトバストラックけが残る。確かに設備送電網を結線して、そのまま電気を利用する」ことができない分野=非結線のモビリティ自動車気動車船舶航空機など)なら、エネルギーを一旦「水素」という物体に変えて持ち運ぶ必然性が出てくるし、コストや容量の面でも「送電から無際限に送られる電力」ではなく「有限のバッテリに蓄電される電力」と競うことになり、水素陣営から見た競争条件はだいぶマシになる。でも前増田でも書いた通り、そのモビリティ市場の核となるはずだった自家用FCVは、技術的にだんだん死に筋に入りつつある。

…と考えているうちに、自分は大型商用FCVの将来にもそれほど明るい見通しが持てなくなってきた。「水素社会」の現実的な利用分野が大型商用FCVぐらいしかないとしたら、我々の社会はそれでも「水素社会路線を推進するんだろうか。そのときFCV向けの高純度水素現実的価格流通するんだろうか。もしかしたら大型商用FCVEVに対する技術的優位性を発揮して、LPGCNGバス/トラック/タクシーみたいに(一般人には馴染みが薄いけど、社会を支える縁の下の力持ち的な存在として)地道に普及していくのかもしれない。あるいは、この分野のためだけに「水素インフラ」を全国的に整備するコスト社会負担できず、大型商用車分野でもバッテリ換装や超急速充電などを駆使してEV化が進んでいくのかもしれない。どっちにしても、いま官民が推し進めている「水素社会」の壮大なビジョンとはだいぶかけ離れた、なんだかシケた未来像が思い浮かんでしまった。

モビリティ分野の他に、「水素社会」の普及・浸透が見込めるような「これだ!」って新分野はあるんですかね〜。水素焼肉? 速い水素乾太くん?

2021-08-12

懐古厨うざい

昭和の終わりくらいに国鉄配備されJRに引き継がれた、205系という車両がある。

多くの通勤線区で走っていたのも昔の話、投入線区の殆どで既に新しい車両に置き換わって久しい今となっては、

走行音も乗り心地も著しく見劣りというか、コイツに乗ることは「ハズレ」以外の何物でもないわけで、

利用者としては早く廃車になれよとしか思わなかったり。

それで関東では、一昨年くらいにやっと相模線以外から駆逐された。

まあ今でも相模線で使われている時点でどうかと思うし、

相模線自体単線=路線のものが随分と前近代的なので、早く複線化とセットで車両更新しろって感じ。


それがここ数年は、やたらこ車両を有難がる鉄オタが多くて閉口している。

あんな古臭くてうるさくて揺れる車両の、一体何がいいんだか。

これが特急車両とか近郊車両とかならまだわかる。

自分私鉄車両だけど西武5000系はなんとか廃車前に富山に乗りに行きたいし、

113系もたまに乗るくらいならまあ…という感じ。

でも通勤車両という純粋に移動手段しかならない車両なんて、静粛性と乗り心地が一番求められるわけじゃん。

そこで古いものを有難がるとか、写真撮る方の趣味ですか?

同じ理屈で、古い気動車を贔屓するのもないわーって感じ。

流石に国鉄製の古臭くて重いだけのエンジンは交換してるタマ殆どだろうけど、それでも快適には程遠いわけで。

2021-04-07

anond:20210406180732

北海道の「電車」って言っちゃうと、小樽旭川札幌室蘭札幌北海道医療大学、新函館北斗函館木古内しか残らないじゃん

気動車も残して

できればSL廃線も、東京お金で復活させて

2020-06-03

anond:20200603203453

廃止されてるのは電車じゃなくて気動車路線な。

電車区間は札幌近郊のみ。

この前一部が廃止になった札沼線電化部分だけ生き残った。

北海道の人は電車とは言わずJRという。

年配の人はいまだに汽車という。

2019-02-03

宮城周遊

郡山は雨だ。

文字通り真っ暗な車窓に、水滴が張り付いている。

新白河行きの列車は、郡山10分ほど停車するらしい。

ホーム上の喫煙所煙草を吸って、戻ると間もなく発車した。

少しでも遅れると困る。このまま大宮まで在来線を乗り継いでいかなければならない。

グーグルからの通知で、宇都宮から遅れているとの情報を受け取る。

日付が変わる頃には家に着いていたい。

明日仕事だ。

土曜の7時過ぎ、平日なら都内方面へ向かう大宮駅の在来線ホームにいるはずだが、この日は打って変わり、新幹線ホームにいた。

手には仙台行きのやまびこ号の特急券

金曜の夜のうちに、鳴子温泉の宿を取っていた。

昨晩熟睡できたおかげか、頭はすっきりしている。

少なくとも午前中には宿に着いてしまう、余裕を持ちすぎた旅程だった。

出発の5分前に新幹線は入線した。構内のブックエクスプレスで買った本を読みながら発車を待つ。

宇都宮福島を通り過ぎ、あっという間に仙台駅に着く。

雪が降っていた。

西口ペデストリアンデッキの隅々には黒く汚れた雪がそこかしこに避けてあった。

本来なら、鳴子温泉にまっすぐ向かうのであれば、古川行きの特急券を用意するのが一般的だが、気分の変わりやすい私は、なんとなく先のことを見越して仙台行きでやめておいた。

別に仙台から東北本線陸羽東線を乗り継いで行っても問題ない。

また、結果的にその通りになったのだが、仙山線に乗り迂回しながら鳴子温泉にも行ける。

コートポケットの中には行き先指定乗車券ではなく、乗り降り自由周遊券が収まっている。

これでふらふらと時間の許す限りどこまででも行ける。

宿には、17時にチェックインを予約していた。

雪を見たら必ずどこかに行きたくなる。

仙台に降った雪にそそのかされ、仙山線山寺を目指すことにした。

山形県境を超えると、雪が濃くなった。

車窓には白色が占める割合が高くなり、車輪が雪を踏みしめる音が聞こえる。

1年前も、ほとんど同じ時期に山寺へでかけた。

大学卒業を控えた、卒業論文を書く合間の旅だった。

私は学生身分から社会人になったが、仙山線のこの風景は何も変わってはいない。

立石寺までの道のりや、参道茶屋雰囲気、何もかもそのままだ。

昔のことを考えていたらなぜか気恥ずかしくなり、1時間滞在した後、すぐに山形方面を目指した。

あの頃は、貧乏学生新幹線なんて使えず、全て鈍行での旅程だった。

羽前千歳新庄と乗り継ぎ、ようやく鳴子温泉に着いた。

駅前では旅館のおかみさんボートを手に掲げ、待っていてくれた。

一晩お世話になる宿は、とても素晴らしいものだった。

ネット口コミ通りのご飯、こじんまりとした雰囲気

なによりも、お湯が最高であった。

鳴子の湯は、湧き出る箇所によってその特色が全く異なる。

今回の宿は、これでもかというほど白く濁りきり、硫黄匂いで脱衣所どころか、宿全体が溢れていた。

2階建てですべてが和室こたつストーブ。更には湧き出る源泉の温度を利用したヒーターが備えてあった。

夕食後は湯に浸かり、酒を飲んで、気付くと朝を迎え、あっという間にチェックアウトをしていた。

駅前喫茶店コーヒーを飲み、列車を待った。

小牛田行きの気動車に乗り込む。目指すは女川だ。

かつての震災実家青森の私は、知っておくべきことではないかという観念があった。

女川駅前からまっすぐに海岸まで伸びる道。

整然としている。真っ先に思い浮かんだ感想

列車の中で見た女川までの車窓は、やはり想像していたとおりだった。

テレビで見た光景がそのまま拡がっていた。

しかし、女川駅前は違っていた。

復興の力とはすごいものだ。震災直後の町の有り様は、詳細には私にはわからないが、一つだけ言えるのは、さっきまで見ていた車窓とは全く異なっていた、ということだ。

地元の人、観光客公共施設、そこで働く人たち。

これこそが活気だと感じた。

もちろん、横目には未だに復興前途の痛ましい風景がある。

だか、確実にここには人が住んでいる。そういう気分にさせた。

私はその後、今日何度目かの温泉に浸かり、土産を買い、ただの観光客という身分でそこにいた。

観光客でいられるということは、よく考えてみれば、それはもう立派な町だ。

間違いなく東北は立ち直ってきている。一部分の一瞬を切り取っただけを見た私が言うのは甚だ軽薄で軽率であるが、そう思わずはいられなかった。

一年前、仙台から鈍行で東北本線を上ったことがやけに懐かしくなり、私は300km超の道のりをゆったりと列車に揺られている。

この文章を書いている間に、すでに新白河に到着した。

残りの時間は少し眠ろうと思う。仙台で少し買いすぎてしまった酒がもう底を尽きた。

なんとまあ奔放で堕落した2日間だっただろう。

明日二日酔いがやってこないことを祈る。

2018-10-15

anond:20181015101259

確か元増田には「都会」というワードは入っていたがそれが東京だとは書いていなかっただろう。

都会と言っても実は北海道札幌可能だってある。

札幌路線札沼線はいまだに気動車が用いられていたりする。それを指していた可能だってあるんじゃないか? 多分。

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