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2019-01-22

anond:20190122001546

中国外すなら韓国日本も外したほうがよくて、棚の最上段ぶち抜きで無修正売らないのは特亜の奇習(逆は西欧の奇習)ってことになっちゃ

anond:20190122000905

売れてるとは言ってない 棚を上下に分けて最上段が無修正ってのがグローバルスタンダードってだけ

2019-01-17

阪神淡路大震災の思い出

あの頃、私は大阪大学研究室で、毎日ひぃひぃ言いながら研究に明け暮れる日々だった……とか書くと、何自慢してるんだ、とか言われそうなのだけど、なかなか良い結果が出ずにひぃひぃ言っていただけの話で、色々辛い思い出ばかりの時期だったのだ。

そんなときに来たのがあの地震だった。私は深夜に戻って寝ていた下宿であの地震に遭遇したのだが、幸いそこは大した被害はなかった(室内はぐちゃぐちゃになったけれど)。しか大学は、あちこち建物の窓が割れていたり、ある建物最上階ではボヤになったり、実験に使っていた装置のアラインメントが狂っていたり……と、色々と問題が出て、その後も何か月もの間尾を引いた。友達の一人は、家の壁が抜けてしまい半壊認定、そして転居することになったのだが、もともとが貧乏人(馬鹿にしているのではなく、私も同様の貧乏人だった)だったので、見舞金で一種焼け太りとでもいうような状態だった……いや、でもあの忙しい時期に引っ越すのはそれはそれで大変だったと思うけど。後輩のひとりは家が全壊し、しばらく研究室に住み着いていた。よく研究室シンクで、湯沸器で行水していたっけ(後で考えるに、体育館にでも行けばシャワー位ありそうなものなのだが)。

そして……ここからがこの文章の本題であるあの日から一週間程過ぎた頃、隣の学科教授が亡くなったという話が聞こえてきたのだ。その教授はある分野ではかなりのビッグネームで、私も概論のような授業でその教授の授業を受けたことがあったのだが、私の専門分野とは微妙にずれたものだったので、それ以上の関係というのはなかった。ただ、そのときの状況は、そんな位置にある私から見ても何やら奇妙なものであった。普通教授が亡くなったら、それはそれなりに騒ぎになる。病気療養中のところ、とかいうならまだ準備ができているかもしれないが、聞いてみると、やはりあの震災で亡くなられたのだというのだ。だったら尚更、騒ぎになってもよさそうなものではないかしかも一週間過ぎてから……どういうことなのだろうか。

友達に一人だけ、その学科学生がいたので、学内で見かけたときに思い切って聞いてみたのだ。彼は言葉少なく、

ちょっとな……」

ちょっと、って、何よ」

「色々あるんや。言われへんこともあるんや」

言われへんこと……そのときは、ちょっと想像がつかなかった。まあ、周囲の目もある学内から、話そうにも話せないことでもあるかもしれないんだが……でも、殺されたとかいうならまた別だけど、そういうわけでもなさそうだ。一体、何が問題なのだろうか。

共通の知人の家で遊ぶことがあったので、思い切ってもう一度聞いてみると、ようやく彼は事の経緯を教えてくれたのだった。

その教授は、最初行方不明という話になったのだった。確かに震災があったわけだが、その教授の家があったのは大阪である大阪も、場所によっては確かに酷いことになっていたのだけど、その教授の家はそういうこともなかったらしい。しかし、教授と連絡が取れない。そうなって三日が過ぎたとき、思いもよらぬ報せがきた。神戸市内のある倒壊家屋で、その教授遺体発見されたというのである

「……何故そんなことに」

「……俺もな、話聞いて、最初分からんかったんや」

「で?」

「その家屋、ってのが問題なわけよ」

教授遺体と共に、一人の女性遺体発見された。そして判明したのだが、この女性教授愛人だったのだ。つまり、この教授神戸市内に妾宅があり、そこに滞在していたときにあの地震に遭遇、倒壊した家屋の中で亡くなったということらしい。

「……そんなことって」

「あるのか、って思うやろ? 俺もそう思ったけど、事実そういうことらしい」

しかし、じゃあ何故その後更に時間がかかったわけよ」

恋人でなく愛人と書いたこからもお分かりかと思うが、教授には家庭があり、夫人がおられた。その夫人が、教授遺体の引き取りを拒絶し、その後の説得に対してもなかなか翻意しなかったのだという。まあ、この夫人心中を思えば、むべなるかなとも思うわけだ。三日間、消息心配していたその矢先に、思いもかけぬ場所で思いもかけぬ経緯で命を失い、しかもそれが自分への裏切りとセットになって報されたというのだから

こういう学界のビッグネームが亡くなったときには、その弟子や同じ分野の研究者達が「追悼論文集」をまとめ、出版するのが通例である一年近くの後、この教授の追悼論文集が出版され、私の研究室にも回ってきた。教授をしのぶコメントに目を通してみたけれど、「不幸な事故に遭われ……」としか書かれていない。私もいくつかこの手の論文集を目にしたことがあるけれど、何々という病気で闘病され、とか、これこれの事故に遭われ、とか、少々リアルな話が書かれていることが多いものであるしかし、そりゃあ弟子業界関係者も、今回ばかりは書きようがない。論文集を読むだけでは、何かその教授がすっと消えうせたかのようにしか思われない。そんな印象が今も強く残っている。

私はこのことから何を学んだか。いか天災であったとしても、この教授は、自分が死んでしまえば後のことは知らない……などとはとても言えない程に、残された人を深く、多く傷付けることになってしまったわけだ。家族だけでなく、自分の育てた弟子と言ってよい研究者達も、師匠を突然失った喪失感を抱えつつ、その師匠のこんなことをどう扱ったらいいものか、と困惑し、悩みながら後始末をするはめになったわけだ。どれ程高潔に、後々の準備をして死んでいく人であったとしても、そういうものを完全に残さずに逝くことはできないだろうけど、やはりあれはまずかった。自分がある日この世から消えて、その後に残される近しい人達のためにも、誠実に生きていかなければならない。いや、それ以前に、自分がそういうことに対して誠実になりたいと思えるような、そんな生き方をしなければならないんじゃないか。そう思ったのである

2019-01-15

孫子兵法じゃないが、最上の策は勝負をしないこと。

沖縄県民投票は、事前の綱引きがすごいみたいだな。

実際は、分からないが。ツイッター情報が正しいならば、民意を反映しているとは言えないようだ。

2019-01-14

48歳なのに素人童貞な俺だけど

風俗いくとたいていモテそうとかモテるんでしょって言ってくれるから風俗嬢は女性界でも最上位に好きな階層

いくと必ずしあわせな気持ちになる

2019-01-13

19歳女子大生。初めて、ではないんだけど…私のお漫ってどうかな?教

はいどうもー」

「僕らなんで漫才やってるか、って言うと、端的に言えば、大金持ちになりたいからなんですよね」

「《芸能人》、夢があるわな。おれはベタやけど、漫才大金を稼いで、ええクルマに乗って、タワーマンション最上階でシャンパンあけたろと思ってるんです」

「僕は、大金持ちになったら、服を買います

ファッションかいな」

「《イケメンじゃないと着こなせない服》って世の中にはあるじゃないですか。それと同じで、僕の好きなファッションって《お金を持ってないと、できない服装》なんですよね」

「たしかにあるよね。《ヤンキーじゃないと着れないし似合わない服》とかね」

ピンク特攻服とかね」

「ド田舎ヤンキーと熱心な阪神ファンしか着てない服やね」

「そうなんです、それと同じで。僕も本当はこんなスーツじゃなくて、ターバン巻いてマントを着たいんですけど」

「……」

「どうした?」

「おれの思ってたお金持ちのファッションと違うけど、続けて?」

「あと、お付きの人もお揃いのターバンマントをつけてもらって」

石油王やん!一瞬考えたけど、完全に石油王やん!そんな一国の王のするファッションがしたいの?たしかに、大金持ちにしか出来ん格好やけど!」

「そんな風に言われるでしょ?世間は、異端迫害するでしょ?…だから僕ははやく大金持ちになりたいんですよ」

「いや流石に、それは、常識的に考えて」

「なりたい自分になったら、ダメなんですか!」

「……」

「……」

「…ダメじゃないけど」

「でしょう?」

せやな

「だから僕は漫才成功して」

せやな

大金持ちになって」

応援するわ」

ターバン巻いてマント着て」

「なりたい自分になる」

天下一武道会悟空と戦って」

「……」

「腕が折れたら、千切って、再生して」

ピッコロやん!石油王じゃなくて、ピッコロやん!」

「…ピ…コロ…?」

「嘘つけ!絶対知ってるやろ!たしかに一国の王というか、それ以上の、神的な存在やけど!」

「(無視して)まあとにかく、そんな風になりたいんですよ」

「お付きの人の名前は?」

ミスターポポ

絶対ピッコロやん!」

「(無視して)マントの下には道着を着て」

ピッコロやん」

オリジナルロゴをつけるんです」

「知ってる、漢字悪魔の《魔》やろ?」

「いや違う」

「じゃあ何なの?どんなロゴ?」

「(ドヤ顔で胸を指差して)《I don’t use mortgage deductions》」

ドヤ顔で言われても!全然意味わからん!」

「《住宅ローン控除は使いません》」

「どんな自慢やねん!」

「いやだって住宅ローン控除で返ってくる所得税額ってすごいですよ?今なら住宅ローン年末残高の1%所得税額が返ってくる。仮に所得税額よりも返ってくる金額のほうが場合は、さら住民税からも返ってくるし。最大限活用したい場合は、あえて夫婦で別々にローンを」

「そんな饒舌になられても!」

だって、各年最大40万、10年間で400万が返ってくるんだよ。それを使わないってことは」

「それはたしかに大きいね!大きいけど!」

「…そうやって細かな節税蔑ろにする日本金融リテラシーの低さは問題だよね」

「そんな話してた?そもそも、そんなに有利な節税なら、なんで(住宅ローン控除を)使わんの?」

「それは」

「お、わかった!大金持ちやから不動産現金で買う、だから住宅ローンは借りない、借りないか住宅ローン控除は使えない!」

「いや違う。合計所得金額が、3千万円を超えると、住宅ローン控除は使えなくなるんです」

「おれ、さっきから税務署の人と話してるの?」

常識でしょ」

マニアックすぎへん?」

「(ヒソヒソ相談して)このネタを書いてる33歳既婚子持ち・こないだマンション買ったおじさん曰く《常識》だそうです」

「設定めちゃくちゃやん」

「とにかく、僕はタワーマンション最上階でシャンパンをあけて神戸ビーフを食べたいんですよ」

なんや結局おれとかわらんやん」

「いや違う」

「何がよ」

「全部ふるさと納税

税金の話ばっかりか!もうええわ」

https://anond.hatelabo.jp/20190111180250

2019-01-10

塔を登る

俺が遊んでるスマホゲーにはエンドコンテンツとして○○の塔ってのがある

階層を重ねるごとに難易度が上がっていき、最上層近くになると「ふざけんな、死ね!」ってくらい理不尽になっていく

だがそれでも碌に攻略情報もないのにクリアする猛者達が居て、俺は彼らが公開してくれた攻略情報を頼りにひーこら言いながら登っていく

今日休みで天気も悪かったので、家に引きこもって塔を登っていた

今回はたまたま手持ちのキャラが揃っていたので、なんとか最上層までたどり着く事ができた

あとは最上層をクリアすればこの塔を制覇できる

こうやって難易度の高いダンジョンに何度もチャレンジして、失敗して悪態ついて、ようやくクリアして少しばかりの達成感を得る

から見れば時間と金無駄遣いにしか見えないだろう

実際その通りだと自分でも思うが、それでも俺はこのゲームを楽しんでいるのだと塔を登る度に実感している

2019-01-09

学芸大学」「都立大学」という駅名

学芸大学」「都立大学」駅名変えなかった理由 実態とかけ離れても「地名」として地域に定着 | 駅・再開発 - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/246058

私は世田谷目黒境界あたりの出身学芸大学駅も都立大学駅もそんなに遠くないところで育ったんだけど、やっぱりこれはあんまり納得いかない。

幼少期からいつもチャリ自家用車で移動だったので電車思い入れがないのもあると思うけど、私にとってはあのへんはやっぱり「碑文谷」だったり「柿の木坂」なんだよなあ。

碑文谷といえばいつも母親に連れられていったダイエー碑文谷店、その最上フードコートを思い出すし、柿の木坂もあのあたりをチャリで駆け抜けた陸橋のある交差点を思い出す。

東急電鉄かいういち私鉄勝手ブランディング目的でつけた通称が、本来その街たちが持ってきた歴史のある地名を、そしてもちろん私や他の出身者に馴染みのある地名を、覆い被せてさも「こちらが正統な地名ですのよ?」と僭称してるのは、ちょっと違うんじゃないか

市町村合併キラキラネームがつくのはまだ住民投票に持ち込むこともあり得るからまだましで、こういうい私企業の都合が公共性侵食してくるの本当に腹立たしい。

2019-01-08

anond:20190108233525

ワイは鉄筋コンクリートマンション2か所住んだことあるけど最上階でも角部屋でもなかったな

どっちも隣から音楽・せき・くしゃみいびき・話声が聞こえたンゴねえ

ドン壁ドンはされたことないけど

したことはあるやで

効果なかったけどな

管理会社に言うのも紙切れ一枚で終わるからほぼ無意味

直接インターホン連打ドアドンドンすると一発で静かになるからおすすめやで

皆んな、住む家ってどうなの?

結論聞きたい事としては、コンクリートマンションて音の響きは仕方ない事なの?ということだけども、経験によって認知に誤りがあるかもしれないし、甘すぎるおかしい事を言っているのかもしれないので書いてみようと思い立った。

私は賃貸で色んな家を実家から経験してきた。

昔は学生時代は軽量鉄骨アパートから戸建まで経験したが、ガキだったからか隣近所から騒音の事を気にした事はなかった。

一人暮らしを始めて、最初は音の響きとかも分からず、親も結婚するまで、戸建や音響きのない会社寮に住んでいた事もあってかアドバイス特になく木造アパート最上階角部屋を選んで、よくあるうなぎの床寝と呼ばれる間取りだった。隣が1日中家にいて、時々笑ってるのか何なのか唸り声を上げる物件で反対隣は毎回半年持たず出て行く感じだったが、こういうものかなと思うのと、すぐ引っ越すのは良くないという謎の思い込みで何年か住んだ。

2軒目の物件コンクリート物件最上階角部屋、下が事務所だった。隣も水場、風呂とくっついているが音は少ししか聞こえず、多分料理しない人なんだと思ったけれども、下の事務所からの動きや音も何もなく、生きてきた中で一番快適に過ごせた。

3軒目は、コンクリートマンション最上階角部屋で下の住人がこちらが昼間に少し音を立てたり、宅配ダンボール開けたりすると布団を思い切り叩いたり、窓やドアを思い切り閉めたりしていた。自分嫌がらせぽく思えていたが、違う常識を持っている人だったのかもしれない。わからない。自分が悪いのか下が悪いのかもわからない。防音カーペットを床に敷き詰めて、無駄攻撃されるのを防ごうとした。夜10時くらいに何かわからないけれど爆笑する声が聞こえてきた。窓しめや戸閉めで床が揺れた時はあまり良くない手段(管理会社に言わず)床ドンをたまにしたりした。その時だけ静かになった。隣の音も聞こえたけども、まだ我慢できるレベルだけど、隣も床ドンしてたりしたんで同じ悩みを抱えてるのかなと思ったりした。床ドンしてるのに矛盾していると書いていて思ったけれど、管理会社に言ってさらなる戦いになるのが嫌だと思ってしまい言わなかった。下は頭おかしい人だと勝手に思ってしまっていて、刺されるかもしれないからと認識をされたくなかった。

4軒目は逃げるように引っ越しコンクリートマンションの中階角部屋だった。上の風呂を抜く音とかどうやったらこんな音出せるのかという何かを引きずる音とか前と同じく、引っ越しダンボール開封してると掃除機かけたりがあるのと、上の住人がたまに人を呼んでその足音が深夜1時まで異様にうるさい時があったり、住んでから少し床鳴りがする事に気付いたけれども、そこを踏みしめた瞬間下からドンが来る時がある。深夜の謎の上からドンで起きる事があるので耳栓して寝ている。

正直自分認識間違いも多々あるかもしれないし、自分が悪い部分もあるかもしれない。情報弱者かもしれない。神経質過ぎということかもしれない。

下や隣が事務所物件探せばと言われそうだけどなかなか見つからないので、見つかるまで探すしかないのか…。

戸建に住むべきか…。

分譲賃貸マンションに住むべきか…。ピンキリだとは思うけれども。

稼ぎを良くして、高い物件に住めるようになるべきか…。

やはり、ある程度は賭けなのか…。

普通に年収でも住めるコンクリート賃貸マンションはこんなものなんでしょうか。

皆さまの家はどんな感じでしょうか。あと探してる基準とかありますか。

2019-01-04

anond:20181228043054

問題ないようにサポートしてくれるって話じゃん

誰も騙してないで出来る限り最大限に親切にしてくれているのに、暴力的な態度をとってしまったのは自分でしょう

死にたいって言ったら最上の詫びになる訳じゃないよ

だってまだ誰にとっても必要人間になってないもの

2019-01-03

沖縄旅行1日目

年末年始会社の同期と二人で四泊五日の沖縄旅行に行ってきた。

初めての沖縄がとても楽しかったので、清算のための出納洗い出しをかねて日記を書く。

出発は12/27。朝9:00前くらいの羽田発のJAL 便。

席だけあわせて別々に決済した。11/19の予約で二席連続で窓側いけた。一人25,490円。

11:30に那覇空港について、レンタカー屋に連絡して迎えにきてもらう。

普段は好きな車に乗っているので、沖縄ではなんでもいいやと思って楽天トラベルで一番安いのを探したところ、

いたことのない地元レンタカー屋の軽が一番安かったので、かりてみた。

丸五日間で24,480円。noc保障はついてない ベーシックプラン

少し空港から遠かったけど、ペッパーに貸渡約款を説明させてたり不人気っぽい車を仕入れていたりと工夫があって面白かった。

借りた軽は29年式でナビがついてるスライドドアの軽。車内が広くてよかった。

ただ、金額的には大手コンパクト1日千円ちょいくらしか変わらないので、

次はトヨタとかニッポンレンタカーの小型車でもいいかなと。

意外と高速乗った+風が強かったのでハイルーフの軽は辛かったというのもある。

車を借りて最初に向かったのは昼ごはん。玉家本店というところでソーキそばを食べた。

ソーキうまい。感動。三枚肉とのミックスの大盛りで700円くらいだったはず。安い。感動。

よもぎテーブルの上に丼に入っておいてあって、同期はめっちゃかけて食べてた。

俺は味に飽きたら入れようかなと思ってたんだが、気付いたら食べきっていた。美味かった。

その後は読谷村にある日航アリビラというリゾートホテルに向かって、早めにチェックインをした。

一番安い低層階の朝食付きプランを予約してたんだけど、最上階にアップグレードしてもらえた。部屋がひろくて、眺望も良くて嬉しかった。

その日は朝から同期が、飛行機のラゲッジからタイニーな女の子荷物を出してあげたりとか、勝手に転がってった他人スーツケースを止めたりとか、なんか良いことをしてたのでそのおかげかなって話をした。

荷物を置いた後、ビーチを散歩して、近くの御菓子御殿本店にいって紅芋タルトを買った。

ここで仲の良いほかの同期へあげる用に、2人で土産を買った。10個入り1,080円のいい感じのサイズ

夕飯は軽めでいこうかという話になり、嘉手納町のゴーディーズというハンバーガー屋でハンバーガーを食べた。

てりたま的なやつにした。量が多かったので食べきれるか不安がよぎったが、

味が濃すぎなくてすごく食べやすかった。また食べたいものひとつ。セットで千円ちょいくらいだったはず。

同期が頼んだオプショントッピングハラペーニョは、ピクルス的なものが輪切りで提供された。

ハラペーニョ実体を初めて見たりと思って観察していたのだが、唐辛子だぞと笑われた。

めしに一個もらったけど美味しかった。手でつまもうとしたらフォークのほうが良いとのこと。

手で触ったあとに目を擦ったりするとやばいらしい。アメリカンも大変だな。

帰りがけにスーパーに寄った。

旅行に出たときに、スーパーの品揃えをみて東京にないものを探すのが好きなんだけど、

お握りの具に油みそという見慣れないものを見つけたので、ビンのものを探して買い、ホテルの部屋で泡盛と一緒につまんでみた。

刻んだ豚肉が入っていて、甘塩っぱい味噌で美味。気づいたら同期がほぼ食べていた。

ホテルの部屋からイルミネーションみたいな明かりがみえて、なんだろうと思って検索したら電照菊というものだった。

菊を夜中も照らしながら育てることで、促成栽培をするらしい。

この近くでは盛んに行われているようで、見えた明かりはとても綺麗だった。


最後風呂に入ってバスルームの広さに驚きつつ、1日目終了。

二日目以降も気が向いたら書く。

2018-12-25

ビル最上階の一個下のフロアで働いてると、上から外国人観光客階段で降りてきて覗いてくる。

最上階は住居しかないのだが

ともかく、外国人観光客ビルの上から降りてきがちなのが気になる。そういう文化の国の人?

今日の朝から出てるか半休とってるかで、リア充キョロ充か分かれるかもな

もちろん体力絶倫最上リア充は別だが、そうじゃないと生殖受精作業が祟ってなかなか出勤できんよぱ

2018-12-21

anond:20181221151042

中間層の「いつ落ちぶれるか分からない」って緊張状態が強まるだけじゃないかしら。

最上位層と最下位層は結局変動しないと思うし。

2018-12-16

anond:20181216200520

しろ阿呆に踊らされてやりがい搾取に合うほうが奴隷になりますがな。

やりがい搾取にあわずに頑張れば報いがある場所で生きていけるこそが最上生き方

それには仕事を指示するやつの特性を見極めないとならない。

間違っても自律的な考えだー、俺は何も出さないしサポートしないが、しっかり結果出せよ。そうすれば報酬やるぞ(ただしそれが満たされる日は絶対にこない)

なんてやつからは全力で逃げるべきだな。

2018-12-13

anond:20181213110417

拝金主義

金銭最上のものとしてあがめる考え方。より多く儲けることを考え、金をため込もうとする態度。

2018-12-12

IMAKITA余と万年筆

原文:https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2675_6508.html

10

もっとも多い中には万年筆道楽という様な人があって、一本を使い切らないうちに飽あきが来て、又新しいのを手に入れたくなり、之これを手に入れて少時しばらくすると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、夫それから夫へと各種のペンや軸を試みて嬉うれしがるそうだが、是これは今の日本に沢山たくさんあり得る道楽とも思えない。

 万年筆最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である

 自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人しろうとなのである

万年筆に就ついて何等の経験もない余は其時丸善からペリカンと称するのを二本買って帰った。

そうして夫それをいまだに用いているのである

其上無経験な余は如何いかペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。

夫それでペリカンの方でも半なかば余に愛想あいそを尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限みかぎって、此正月彼岸過迄ひがんすぎまで」を筆するときは又一ひと時代退歩して、ペンとそうしてペン軸じくの旧弊な昔に逆戻りをした。

酒呑さけのみが酒を解する如く、筆を執とる人が万年筆を解しなければ済まない時期が来るのはもう遠い事ではなかろうと思う。

ペリカン丈だけの経験万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しは外ほかの万年筆も試してみる必要があるだろう。

ペリカンを追い出した余は其姉妹に当るオノトを新らしく迎え入れて、それで万年筆に対して幾分か罪亡つみほろぼしをした積つもりなのである

5行

 万年筆最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である

 自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人しろうとなのである

そうして夫それをいまだに用いているのである

其上無経験な余は如何いかペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。

ペリカン丈だけの経験万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しは外ほかの万年筆も試してみる必要があるだろう。

3行

 万年筆最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である

そうして夫それをいまだに用いているのである

其上無経験な余は如何いかペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。

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長い行から削ってるようである

2018-12-08

破れた恋と屋上

中学生の頃、僕は好きだった子に告白をした。恥ずかしさが勝って直接言うことはできなかった。授業中や放課後にやり取りしていたメモ書きの延長線上で、思いの丈を書きつづった手紙をこっそり渡した。

その翌日、下校しようとしていた僕はその子から手紙を受け取った。

「じゃあね」

そう言うと彼女は足早に帰ってしまった。

間違いない。告白の返事だろう。結果は何も分からないのに、勢い余った嬉しい気持ちが胸にこみ上げてきた。

下校するのを止めた僕は、滅多に人が来ない最上階の踊り場に駆け上がると、すぐに手紙を読み始めた。




「好きになってくれてありがとう。」

手紙はそんな言葉で始まっていた。天にも昇るような気持ちになったものの、読み進めていくうちに徐々に冷静さを取り戻していく。

雲行きが怪しい。手紙最後は「ごめんね。」という言葉で括られていた。

じわじわと別の波が押し寄せてくる。悟った。ふられた。

優しい彼女は、言葉を選びに選びつくして、僕ができるだけ傷つかないように手紙をしたためてくれたのだろう。彼女真意にすぐに気づくことができず、それだけ失恋反動は大きかった。



しばらく独りになりたかった。日の当たらない最上階の踊り場は、陰鬱気持ち拍車をかける。ここではないどこかへ行きたくなった。



階段を駆け上がると、目の前に渡り廊下が伸びていた。

僕の通っていた学校は、最上階の渡り廊下から校舎の屋上を眺めることができた。そして廊下の付け根から手すりを乗り越えると、屋上まで歩いて渡ることができた。もちろん、そんなことをしてはいけないのは明白だった。

それでも、好きな子から手紙を受け取った高揚感とふられてしまった喪失感が妙に入り混じったその日の僕には、冷静な判断ができなかった。

渡り廊下の手すりを乗り越えた。




人生で初めて屋上に立ち入った僕は、屋上の床が見た目と違って意外とふかふかしていることに感動した。いつもは教室渡り廊下からしか見下ろせなかったグラウンドを見渡してみる。部活中の生徒が小さく見えた。周囲には学校以上に高い建物はなかった。空が広かった。

ふかふかの屋上に寝転がって、ポケットに突っ込んだ手紙を広げてみる。何度読んでも結末は同じだった。




つの間にか日も暮れかかって、少し肌寒くなってきた。下校時刻だ。屋上侵入したときと同じ手すりを乗り越えて、渡り廊下に戻ってきた。

その時、死角にいた初老先生と目があった。普段高等科担当で、週に一回は中等科でも授業を受け持っている数学先生。お互い顔は見知っていた。

血の気が引いていく。どう言い繕ってもごまかすことはできない。叱られる。終わった。

そんな絶望感に苛まれた僕に、先生がかけた言葉は意外なものだった。

「ピピーイエローカード。次にやったら怒るからね」

そう言うと先生は、何事もなかったかのように渡り廊下を抜けて職員室の方へと歩いていった。



何が起こったのか、しばらく頭の中で整理がつかなかった。

何となく落ち込んでいる雰囲気を察して、今回は見逃してくれたのかもしれない。先生ちょっとした優しさが、今の僕には嬉しかった。

この恋は諦めよう。彼女にお礼の手紙をしたためよう。踏ん切りのついた僕は、夕闇迫る校舎を後にした。

2018-12-06

低能先生殺意が主にツイッターで醸成されて、増田でもたびたび殺したいツイッターアカウント話題に出してたの、知らんのだろうな

hagexも「いつか殺すリスト」には入ってたものの、最上位というわけではなく、たまたま顔がわかるやつが、住んでる場所の近くに来ることがわかった、という話だったのに

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2018-11-27

鬱になるものの考え方

何かしらの状況に直面したとき、その段階で取りうる方法の条件分岐を設定してその結果パターンを列挙し、その先の打ち手を考えて最上の結果から最悪の結果までを想定し、準備する。

100パーセントの結果予測は当然不可能だけれど、それなりにパターン学習ができていると結果としてだいたい手に届く範囲に落ち着くので準備していた内容で割と解決することも多く、結果的結構スピード感仕事をすることができる。

そして過労と心労で鬱にもなれる。

2018-11-26

日本大企業理系研究職なんて辞めた方がいい

http://kumagi.hatenablog.com/entry/exit-from-ntt

このブログの内容に頷き過ぎて首が痛い。

自分大企業研究職で6年目。

年収は674万で、額的にはkumagiさんより少し多いが、残業代や諸手当の差程度だと思う。

賃金カーブほとんど同じで、管理職になれば1000万かなという感じ。

そして奇遇なことに自分FPによる社員向けセミナー住宅ローンは3500万までって言われた。

最近分譲マンション検討してて、雑談営業マン最上階とか買う人ってどういう仕事してる人なのって聞いたら、地元地主さんとかですねー。って答えが返ってきてなんか暗い気持ちになったよ。

自分も良い外資転職できるように頑張ってみよ。

2018-11-24

anond:20181123234444

カバは池の中で生態系最上位にいる。

カバトムソンガゼルを食べてフンをする。

小魚たちはカバのフンを食べて生活している。

カバ文字通り身を切って肉を小魚たちに与えたら小魚たちは一時の繁栄を得るかもしれない。

カバの肉を食べた小魚繁殖し、そしてカバの肉が尽きれば生まれ小魚死ぬだろう。

しかもその傷がもとでカバ死ねカバが生きたであろう20年分の食料を失うことになる。

もしカバ小魚のためを思うなら、なるべく長く生きて、陸地から池へと栄養を移動させることが賢明なのである

貧者を助けるためには、思い付きで一過性の富を与えても効果的ではない。

経済活動安定的に続けることが最も合理的なのであって、小金持ちにできる唯一のことなのだ。

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