はてなキーワード: 憂鬱とは
https://anond.hatelabo.jp/20201105022308
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タイツといえばあの絵師先生。毎週月曜日(月曜以外も)の投稿が楽しみで前からフォローしてます。
だから最初は炎上とか関係なしに、月曜日の習慣として、通勤途中にあの朝タイツ絵を見たんだよね。その時メーカーコラボを知って、実はちょっとギクッとした。前からメーカー公式垢と絡みがあったのも知ってるけど、あっこんなふうに堂々コラボするんだって。
先生の絵は好きだ、女の子はかわいいし、えっちなのも好きだし、フェティシズムもっとがんがん出してくれって応援しながら見てる。でも、先生=タイツフェチの神!エロの化身!(褒めてる)。そんな先生とメーカーが堂々コラボはどうなのか?
実はこの時点でリカちゃん公式垢のことを思い出してしまった。はっきり言ってしまえば私自身はエロコンテンツが大好きだし、二次ロリも大好きだし、古き良きネットのゲスなオタクノリ文化に愛着を感じているけど、それとこれとは別で、顧客を踏みにじるようなあのリカちゃんツイートは広告として絶対よくないよなって思っていた。そのことを思い出した。
だけど、リカちゃんと違って、広告として絶対ダメだとまでは思わなかったんだよね。最初はちょっと怯んだけど、「ああ、最近はこういうイラストが市民権を得たんだな」「きっと若い子はこういうイラストが好きな子が多いんだろうな」って……それに先生の絵は普段と違って性的な部分が抑えられていて、配慮がされていることも見て取れた。だからちょっとびっくりしたけど、こういうのが好きな人もいるよね、という理解で受け止めた。
退勤時にはタグから飛んで他の絵師さんの絵も見た。そして思っていた以上にタイツにいろんな商品があることを知った。足首に柄ラメ入りのとか、厚手のもこもこのやつとかはかわいくて、この2点は商品ページまで飛んでじっくり見たよ。足首ラメ入りのは手入れが行き届いた靴と合わせないと自信ないなぁなんてことまで考えた。だからこの企画は、私という顧客のひとりにはしっかりリーチして役割を果たしたのだ。きっと私みたいな人は他にもいると思う。
でも炎上してしまった。案の定といえば案の定だとも思ったけど、ツラい。もうこの手の話題はいやだ、しかもそれが私の好きな絵師さんだと本当にいやだ……。火をつけている人に怒っているわけじゃない。私だってフェミニストを自認している。でも私の「好き」が火中にあることがツラい……SNSを開くと批判派と擁護派に身を裂かれそうなのがキツい……
なんていうか、大好きな二次創作作家が本家とコラボしたら、こんな気分になるんじゃないかな。たしかに二次エロが大好物で楽しんでいたけど、本家と堂々コラボされてしまうと……ちょっとそれは違う……本家どうしたん……。しかもそれで炎上して、ああ……好きなものがいっぺんに燃えてる……もうちょっと二次創作は影で細々とやっていてほしかったよ……みたいな。
今回、先生は絶対に悪くない。けど先生を表舞台に引っ張り出して炎上のきっかけを作ったメーカーの方はちょっとだけ憎い。ちょっとだけ……
でも!私みたいな顧客に対してきちんと広告の役割を果たした、その一点に限っていえば成功していたとも言えるんじゃないかな。私とは別の多くの顧客に嫌な思いをさせたのは失敗だとも思う。でも、そんな時はできれば「私は好きじゃない」「私向けではない」「こういうのが好きな人もいるんだな」と思ってもらって、そっとしておいてもらいたい……だって本当にそういうのが好きな女性はいるんだから……だけど私の中のフェミニズムは、意見表明するのも当然だとも思うしね。でもこの企画嫌いじゃなかったよ。ああ、憂鬱です。
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今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれた屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。
私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。
小説といえば、昔に村上春樹の小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から非日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。
どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います。塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマン・タマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。
小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年はタマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年がネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。
1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えています。お金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋で立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。
その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校を卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強をしました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分は馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館の自習室に通って勉強を続けていました。
そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人になんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。
その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分が臭いのがわかって辛かったものです。
気分転換でもと思って院内を散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。
屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院の屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分が小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。
私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。
落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。
その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。
病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。
私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこと自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。
視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。
その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。
そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。
それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学に合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。
20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫の学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます。奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。
でも、いつからか、自分で自分の人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます。
何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院で出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります。普段は忘れていて、そのとき見たものや匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます。
ただ、思い出したときに何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事なものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。
「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそいつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」
お礼と追記------------
ホッテントリ入したので多くの方に読んでもらえたようで、感謝です。
どうかあなたの周りにいる思春期まっただなかの娘さんたちの辛さにも、ちょっと心を向けてあげてください。
あとあれだ・・・男のつらさについて語りたい感じのブコメの方。
別のところで存分に語ってくれたらいいんですよ、あなたの辛さも。
娘は中容量のピルの投薬がもうすぐ終わるけど、割と絶好調に近付いてきている。一安心。
彼女の二大懸念事項である生理不順とニキビのどちらにも劇的に効果があると知って、低用量ピルの投与を始める可能性が濃厚です。
ブコメでもピル飲んでQOL爆上げという方が複数いたけど、私も実は昔飲んでました。
ライナーで事足りるくらいの出血量になるし、傷みもほぼ無くなるし、いつ来るかが確実にわかるから、月経が生理現象から制御対象になるんだよね。
それでも思春期女子にいきなり使う事への抵抗があったのは、自分の中に残った「性と生殖は自然に任せたら問題ない」という根拠不明のなにかがそうさせたのかも。
タンポンも、ピルも、痛み止めも。もしかしたら無痛分娩も同根なのかも。
ああしかし。
コメントでも自分の思春期が辛かった事を書いてくれた人がいっぱいいるけど、やっぱり必要だよね「思春期外来」っていう結論に至りました。
できれば親の付添なんか無くても気楽に行ける、若者向けの性と生殖の相談窓口が欲しいのよ。
(本当は男子の陰茎周りの話もティーンカップルの性の話も相談できる医者が必要だよね。)
母親なのに30日も生理が続いてて気付かないの!?とも言われたけど、これがまさにそういう問題。
「血が止まらないんだけど」→「10日くらい続くのはよくあるよ」
「まだ続いてるんだけど」→「止まって、再開して、また2週間以上続くのもぜんぜん珍しくないよ」
みたいな感じで母親は自分も経験者だからこその無理解で、子供を医療から遠ざけがち。
ほんとかわいそうな事をした。
睡眠外来とかもここ10年くらいでかなり増えたな、という実感があるけど、このくらいの数になってほしいなあ、思春期外来も。
以下本文------------
https://note.com/wakari_te/n/ne5fc8dd14fda
↑
これ読んだのでここ1ヶ月のことを書き残しておきたい。
中1の娘がいる。
初経から1年はぜんぜん出血量も多くなかったが、その頃から不定愁訴というのかな、
「頭がいたい」
「だるい」
「おなかが痛い」
「なんかしんどい」
が明らかに増えてきた。
いつもやる気に満ちあふれていて、溌剌という言葉がぴったり来るような女子。
それがいきなりどんよりモードになってきたのだから、親としても戸惑った。
でも思春期というのは男女問わずそういうもんだということも言える。
寝る時間が遅くなったり、友達関係も心の動きも複雑になるし、心身症みたいなこともおこるだろう。
性ホルモンの暴走が数年が続くのだから、男女とも体がおかしくもなるだろう。
そう考えていた。
ところが先週、娘が
「頭がフラフラする」
と言い出した。
寝不足なんじゃない?と軽くあしらっていたが、生理が止まらないからかな?と言い出す。
何日続いてるのか聞くと、32日と。
1ヶ月ダラダラ出血してるわけ。
ここ1週間くらいは出血量も増えて辛いと。
あーこれはそろそろ産婦人科に連れて行かないといけないのか、でも近所は産婦がメインだし、友達の目とかも気になるかもしれないし。
思春期外来もあるレディースクリニックは人気すぎて全然予約取れないな~
とか考えているうちに、次の日には
と臥せってしまった。
慌てて貧血用のサプリを飲ませ、取り急ぎ近所の産婦人科に連れて行った。
運良く女医さんがいた。
取り急ぎ貧血気味なので生理止めないとね、という話になり、プラノバール14日分を処方される。
中容量ピルだ。
吐き気止めを朝夕飲み、体を引きずって学校に行ったが体育は当然できず、早退。
飲むタイミングと食事を調整することで、数日かけてようやく吐き気がマシになり、日常生活が送れるようになってきた。
(余談だがこのプラノバールは緊急避妊で使われるケースもあり、この場合は数倍の量を一気に飲むのでさぞキツかろう・・・と思った)
ここ1ヶ月、おそらく貧血と通奏低音様の腹痛に邪魔されて、娘のパフォーマンスはガタ落ちだった。
それが原因で数学と英語で全くわからない単元が出てきてしまったらしく、初めて「わからないから塾に行きたくない」と言い出した。
やっぱり英数というのは明確に階段状になっている科目なので、一段つまずくとそこを抜かしての巻き返しはできない。
追加で登校したり、動画学習をしたり、質問に行ったりそれなりに大変だったけど、早めにわからない部分に気付いたため何とか追いつけた模様。
おやすみのために塾や習い事や学校に電話して説明しまくって(コロナ禍なので体調不良に皆センシティブで、娘には気の毒だがかなり詳細な説明を求められる)。
何回も説明しているうちに気付いた。
この紆余曲折みんな、男子だったら全く必要無い苦労なんだよね。
むろん、障害がある子、持病がある子、体力が無い子も相対的に不調が続いている状態といえる。
でも、人口の半数が(いわゆる高温期の)月間14日程度は相対的不調、うち7日程度は絶不調。
それなのに、統計的に差が出ないレベルにまで勉強や諸々の活動をできてるというのは、これは相当に、がむしゃらに頑張っているという事なのでは?!と気付いた。
中学受験すらこのハンデの中でやってたんだな。
自分もしてきた苦労なのに、(むしろ自分は生理が重い方なのに)なんでこのハンデに今まで気付かなかったんだろうと不思議に思う。
でも、鉄剤を飲んで『体が楽になった!』と気付いて、初めて貧血を自覚するんです。」
という話をされたけどこれに似てる。
私だけじゃないし、調子が悪いのが普通だし、慣れるし慣れさせられる。
いわゆる生理痛があまりなく、「生理が重い」という自覚が無い娘だが、それでもフツーの日常を送り、フツーの中学生としてフツーのパフォーマンスを出すのにこれだけの紆余曲折がある。
小学生の時みたいな男女区別がつかないくらいの、生気が充溢してる毎日ってのは送れないもんなのだなーと。
ローティーンのあいだは無排卵性の月経である事が多く、この場合、子宮内膜の増殖は多くなく、したがって出血も少なめだが、周期が安定せず、月に何度も出血したり、何週間もダラダラ出血したりする。
逆に排卵のある月経になってくると出血も痛みも増して「重い」月経になってくる。
金銭的負担もあるし、副作用もあるし、また調整に時間かかるかもしれないけど、痛みと出血とPMSが大幅に軽減するならやるべきかも。
思えば自分も思春期の頃、月経が来るたびに憂鬱で苛立っていたが、単に体調不良だからでない。
このアンコントローラブルで自分の足を引っ張るだけの生臭い血みどろのヤツがずっと自分の人生に付き纏うことに対して、えも言われぬいら立ちがあったのではないだろうか。
というわけで、考えても見なかったが、娘に低用量ピルをすすめると共に、もはや「生み上げた」存在である自分にもミレーナを使う事で、月経からの開放を目指そうと思う。
月経を「受け入れて共存するもの」とするか「克服すべき不調」とするかによって対応が変わるのだろうと思う。
ちなみに、女はツラいマウントしたいわけじゃなくて、この初潮直後のローティーンの体調グダグダでしんどい感じ、言語化がうまくできないのか世の中であんまり見ないな、と思って親の立場からですが書いてみました。
姉は完璧な人だった。
めちゃくちゃ器用だったわけではないと思う。むしろのんびりした性格で、それが大人たちに好かれる要因だった。
のんびりして優しいが、努力家でコツコツ勉強して、小さい頃から学校の先生になるのが夢の、良い子。
対して私は、子どものくせに口が達者でずる賢くて、生意気なことばかり言って、がんばらなくてもまあまあ勉強のできる、かわいげのない子だった。
姉は着々と成功の道を歩み、幼い頃の夢を叶え、イケメンでやさしくて世間から羨まれるような職についた男と結婚し、家を出た。姉が家を出たときには、私は解放された奴隷のような心境だった。期待されていたことすべてを叶えられない私に姉は冷たかった。嫌われていたわけではない、多分。ただ、昔は器用だと言われていた私が姉よりも散々な人生を送っているのを見て、努力不足だと思ったようだ。
姉は私にとって呪いみたいなものだった。友達もいない、彼氏もできない、頭が悪くて運動神経も悪い、最悪な私と、正反対な姉。
完璧な姉にも、ひとつだけ叶えられないことがあった。それは子ども。結婚して何年経っても授かれず不妊治療をしているらしいことは親戚中で触れられないタブーになった。それが今年、姉にもようやっとコウノドリがきたらしい。安定期になるまではまだわからない、と何度も念押ししながら、エコーの写真を見せてくれた。
予定日は私の誕生日のすぐ近く。私はなんとも言えない気持ちになった。端的に言うなら、とにかく無事に生まれてきてほしい、と。
私は人間に生まれてきたことを何度も後悔したような種類の人間だ。何度も自殺未遂をした。一生子どもをつくる気はない。そんな資格のない人間だから。人間の世界が怖くて、気持ち悪くて、大嫌いだ。くわえて姉のことを憎んでる。私の気持ちなんて1ミリもわからないくせに家族だからと踏み込んでくる彼女が。もう関わり合いになりたくないし、彼女たちが帰省する日が一年で一番憂鬱な日だというのに。
それでも、姉の子が、無事に生まれてきてくれたら良いと、思った。こんなにたくさんの人に望まれて、やっとやっと授かれた子。姉なら、義兄なら、きっと不自由なく、愛情を持って育てられるだろう。私はそれを知っている。
犬を爆笑しながらいじめる動画( https://www.youtube.com/watch?v=fdPApQrCBV0 )を過去に自ら公開しておきながら、最近は野良猫とか保護猫を大量に飼育して多くの再生数を稼ぐというとんでもない図太さを持ったyoutuberがいるんだが、視聴者ファンの心理を操作する方法がまたかなり"手慣れている”という感じで闇が深い。
ざっくり言えば、「不適切で危なっかしく、虐待とミスリードされてもおかしくない飼育の様子」を、(たぶんわざと)細切れで説明不足な状態で公開し、「これは虐待じゃないです!、投稿者さんは良い人です!」みたいな擁護コメントをいっぱい付けさせて結束させるというもの。
具体例はこういうの↓
例1:子猫を米ぬかに突っ込んで粉まみれにするシリーズで、初期の方の動画からだけ説明文からなぜか「獣医師の指導である」という説明が抜かれている ( https://www.youtube.com/watch?v=EqhPIjy9hCU )
例2:熱中症らしき症状で倒れ込む犬の様子を平然と撮影、公開し、「あとで獣医に診てもらったけど全然だいじょうぶでしたよ~」との報告を"別の動画”でする ( https://www.youtube.com/watch?v=g9aAMlF7ruQ )
動物の身に起きた不幸が、視聴時間の引き伸ばしと投稿者の”善行”を演出するための「ネタ」や「フック」として取り扱われている不審点に気づかぬまま、義憤や擁護の感情に駆られたファンは「虐待ではないことワタシが伝えないといけない!!」みたいなコメント欄でそれを発散し、結束し、結果として再生数が伸び、さらにファンを獲得する。
かくして、もの言わぬ動物を完全に置いてけぼりにした「動物思いの優しいyoutuberと幸せな動物たちの暮らし」という、外からは決して打ち崩せない、ファン視聴者にとってのみ心地のよい物語が生まれてしまった。そんな暗黒の構図がここに見えて大変憂鬱である。
増田もブクマカもハンガー推しだったので、ハンガーラックを買うことにする。キャスター(苦手)のついてない安定感がありシンプルで安いのを探して買おうと思う。クローゼットは既にハンガーでギチギチだけど下の部分を活用してみたいなあ。
売ろうとするな、捨てろという声に従おうと思う。私服勤務だから服の数は人より多いと思う。ファッションに無頓着だった時は人権が少なかったからおしゃれをやめるのが怖い。あとできれば普通の人みたいにしたい(無理なのは十数年かけてわかったけど)。友達な家とか泊まると羨ましくて泣きそうになる。ワンピースについては、スカートが苦手なので残念ながら履けない。ワンピース一枚で生きるの楽そうで羨ましい。あと、親が物を捨てることを激しく批判する人達だったので捨てるのが怖い。特にパジャマが溜まっていくのが苦痛(でも便利)。一年きたら捨てていいんだよね?
床の山はハンガーに全部かけてドアの上に引っ掛けた。くしゃくしゃの服にまとめてアイロンをかける必要がありそう(じゃないと一生くしゃくしゃのままだと思う)。8日前に靴下のカゴを作ったのがいまのところうまくいっていて嬉しい。
とっても欲しい。すごく欲しい。いっぱいブクマしてる。でも宿舎暮らしで数年以内に引っ越す可能性も高いから買えない。悲しい。生活のルーティンが作れない病気なのに引っ越しの多い仕事についたのはアホとしかいえない。
増田を書いた時はすごくやる気があったんだけど今は憂鬱でもう嫌な気持ちしかない。浮き沈みが激しくて、突然ちゃんとしたいと思い立つけどいつもうまくいかないよ。こんな暮らしがいつまで続くかって……死ぬまでだ……。
夏物は1日着たら洗って仕舞えばいいからまだわかるけど、秋冬物は何回か着なきゃならんからどうしていいかわからない
何回来たら洗うべきなのかわからないからその辺に積んでるうちに山になってしまった
引越しのときの圧縮袋がまだクローゼットに入っているし、そこから時折服を引っ張り出しながら生活している
引き出し…を使いこなせたことがない
干した服を畳んでしまうような高度な家事が果たして自分にできるのか……そう考えるとなかなか引き出しを買うことに踏み切れない。一応下着と靴下をしまう小さな引き出しはあるのだが、ほとんど活用されず天板の上だけが物置になっている。
服を着る、着た服を洗う、干して乾かして収納する、のような難しいことを本当にみんなできているのだろうか。どうすれば出来るようになるのか助けて欲しい。
より分けて洗濯して干す、そのあと収納しなくてはならないということはわかる。コツなどがあれば教えて欲しい。
これが分からなくていつも困っている。引き出しを買えば良いのか?一人暮らし分の服をどれぐらいの容積の収納に、どのように仕舞えばいいのか教えてほしい(今の部屋はドア2枚分の横幅のクローゼットと小さな4段箪笥がある。スタンダードな3段のカラーボックスも一応ある。)
苦手なのが、着る→洗濯の間にもう一回着るが入るセーターなど秋冬物。これを床に積んでしまうのがいつも一番の問題。これをどうすればいいか教えて欲しい。それから、着る洗濯収納サイクルの回し方、洗濯機は週に何回回せばいいのか教えてほしい。
ちなみに下着のローテーションはかなりうまくいっていて、脱衣所の洗濯機の上に洗濯バサミがいっぱいついたやつを釣っており、脱いだら洗濯機、干すときは洗濯機の上のとこ、着る時はそこから取るという素晴らしく便利なサイクルがある。
どうしてみんなそんなに服上手く服をリサイクルできるのか教えた欲しい。まじでこんな難しいことを365日毎日出来るやつ意味わからない。東大は3年ガチれば受かるけど、服は一生じゃん。難しすぎない?
声優オタクをずっとやっていて、去年までは主にライブやトーク系の声優さんのイベントに通いまくっていた。
しかし今年はコロナの影響でこれらのイベントにほとんど行けず、その代わりに舞台にたくさん行くこととなった。
当時推していた声優さん目当てに10公演全通し、面白くて、その舞台に出ていて気になった別の子が出る舞台に2月も8回通った。
コロナで一旦途絶えたが、9月以降、ライブ系のイベントはまだほとんどがオンラインの中、舞台は実演が再開し、またちょこちょこ舞台を見に行った。
9月には1月に見た舞台の続編があり、今度は流石にコロナが怖いので全通とは行かなかったが、7公演見て世界観にどっぷりとハマった。
10月にも、9月の舞台で気になった子を目当てに、2回ほど舞台を見に行った。
舞台の良さは、表現は難しいけど、何回も見て世界観にどっぷりとつかることの一体感と個人的には感じる。
ライブは、良い音楽や会場と一体となった盛り上がりが楽しいが、どちらかというその場限りで、かつ一回一回でものすごく体力を消費する。
舞台は一回一回で得られる満足感は良いライブほどではないと感じるが、何回も見て、たくさんある登場人物の特徴、世界観等を理解し、ストーリーの理解度を高め、謎への疑問や考察等を深める。
こういったじっくりと楽しめる点が面白いと感じる。
どっぷりとつかるので、舞台が終わった後の損失感、舞台ロスが非常に強く、しかしそのロスがなんとも気持ちいい、そういった楽しさだ。
長年声優オタクとしてライブ等のイベントに年間5〜60回通っていたけど、少々そういったイベントにも飽きてきていたので、これからは声優さんが出る出ないに関わらず舞台を主現場にして行こうかな〜となんとなく確信してきているところだ。
がしかし、どうしても現場が辛いなと思う出来事があり、迷っている。
今年計27回舞台を見たが、そのうち3回、座席の座り方で文句なり注意を受けた。
この会場はパイプ椅子のため、2時間座り続けるのがとても辛く、脱いだ上着をクッションがわりとして敷いて座っていたら、後ろの席の男性に見えなくなるから勘弁してくれと言われた。
しかも会場はフラット。ただでさえ後ろだと見えにくいのにさらにクッションで高くなったら見えにくいだろうなと思い、その場はそれに従った。
お尻が痛すぎて、観劇中は何度も姿勢をずらさざるを得なかったが。
多分私の座高が低かったら同じことをしても何も言われなかっただろう。
3階の通路席で見ていたのだが、会場のスタッフの女性に横から、『前のめりでの観劇はやめろ』(正確な文言は当然これではないが、見せられた自分の印象としてはこれ)という旨が書かれたシートを見せられ、そこで集中していた観劇がストップし、以降集中して観劇できなくなってしまった。
自分の姿勢は、前のめりかなんなのかは知らないが、確かに背もたれから背が離れて、腕に顎を乗せる形で見てしまっていた。
しかしこれには理由があって、3階席は座席の前後の幅がめちゃくちゃ狭く、自分くらいの身長の人間が背もたれに背をぴったりつけているとエコノミー症候群になるくらい苦しかったからだ。
普段こんな姿勢で見たことはなく、現に同じ会場の1階席で見たときは、座席幅がゆったりとしていたため、普通に前のめりにはならなかった。
また俺の隣(とは言ってもコロナ禍なので1席は空いていたが)のお兄ちゃんも同じような格好で見ていた(しかし俺と違って通路席ではなかったので、スタッフのお姉さんが見せようとしていたシートに気づかずそのまま観劇を続けていたが)。
前のめりで見るなという注意を聞いたのはその会場が初めてで、前のめりってなんやねん、それが一体どんな迷惑になるんだと思って、『舞台 前のめり』でググって上の方のページをいくつか見てみたら、そこには、この表現は適切ではないかもしれないが、俺には地獄としかと思えない光景が広がっていた。
前のめりは後ろの席の人を見えにくくする行為であり、音を立てたり、前の席を蹴ったり、録音録画したりするのと変わらない、いや、それらと違って実際に行われる頻度という意味ではそれらよりももっと怨嗟の対象になりやすい、舞台観劇上の極悪非道なマナー違反だったのだ。
前のめりする人に対する怨嗟、怨嗟、怨嗟の声を見た時は驚きとともに、寒気がした。
『舞台界隈、怖え〜。某◯◯マス警察も可愛く見えるぐらいの地獄の現場だな。』
前のめりの何が悪いんだなんて軽々しく口にしようものなら、完全に犯罪者と糾弾されて、打首獄門晒し首にされかねない勢いだ。
個人的には前のめりだろうがなかろうが、座席の傾斜や前の人との座高差で見えるか見えないか決まるんじゃないかと思ったが、そんな疑問を口にしてスタッフに口答えでもしたら、それだけで迷惑な客、クレーマー客と認定されちゃうんだろうな…
実際今回の席も、後ろに座席は全くなく(客がいないのではなく席がない)、斜め後ろに席はあったが、斜め方向に見ても見える先は会場の壁であり、ステージを見るのを妨げることはあり得ない。
そんな理性的な反論でも、「うぜ~。前のめり禁止は会場のルールなんだよ。従えないんだったら出て行け。」って思われるんだろうな…
なんだかな…
3回目、そしてこの文章を書くきっかけになった出来事が起こったのは10月の舞台の上演中。
その舞台を見る初めての回だったので、どんな舞台なのかなという気持ちで観劇していた。
幸い今回は1階の前の方のゆったりした席だったため、前のめりの心配はない。
背もたれにぴったり背中をつけてじっくりと座って見ていた。
舞台を見始めて序盤、ステージで演者全員で歌うところがあり、この歌が非常に自分にハマり、「おっ、もしかしたらこの舞台結構楽しめるかも」、と思った矢先だった。
『変な姿勢で見るのやめてくれません?』
突然暗闇の中、後ろの女性から言われ、一瞬なんのことやら理解できなかったが、自分のせいでステージが見えづらくなっているから頭を下げろと言われたということは理解し、頭を下げた。
自分はその時、前のめりにはなっていなかったが、席にかなり深く座っていたので、見ているときは気づかなかったが、頭がちょっと出ている状態だったと思う。
ただ、別に座席から腰を浮かせていたわけでも、背伸びをしていたわけでもない。
その劇場で規定されている規則を一切破っていなくても、後ろの人が背が低くて、その人が見えづらくなったら、それだけで迷惑行為なのだ。
そして迷惑行為をする奴ならば、被害者の立場で、相手が同じ立場で舞台を楽しもうとしているという事情など一切汲む必要なく、”正義の鉄槌”を振りかざして悪を退治できるのだ。
その舞台は、もうそれ以降まともに集中して見ることが出来なかった。
なんか俺悪いことしたのか?くそー、ふざけやがって、折角楽しく見ていたのに、今度なんか言われたら反論してやる、とか舞台の内容とは一切関係ない思いが頭の中を駆けずり回り続け、舞台の内容に集中するどころではなかった。
舞台が終わった今になっても、言われた言葉がトラウマになって、思い出しただけでもイライライライラしてしまう(その気持ちがちょっとは落ち着くかなと思ってこの文章を書いてはいるのだが)。
「舞台の現場では、背が高いこと、座高が高いことはそれだけで迷惑行為である。」
ということに。
背が低ければ座席間隔が狭くても前のめりになることはない。
背が低い、または後ろの人の背が高ければ、全く同じ姿勢で見ていても、変な姿勢で見ないでくれと後ろから”正義”の鉄槌を振り下ろされることはない。
背が高くて、後ろの人を見えづらくしてしまえば、劇場の規則に何ら違反はしていなくても、それは舞台の現場では迷惑行為なのだ。
これは長く声優現場に通っていた自分にはかなりショックだった。
声優さんのライブやトーク等のイベントでも、当然座席の構造や前の人の身長によって、ステージが全く見えないまたは見えづらくなることはある。
私は身長は高い方ではあるが、それでも突出して高いわけではないので、前に背が同じくらいの人がいてステージが見えづらくなったなんてことはしょっちゅうある。
それでも前の人にしゃがめと言ったことなんてないし、私に限らず、背が高くて見えないからと言って前の人をどかそうとした人なんて声優現場では見たことがない。
当たり前であり、前の人は自分と同じ立場で、抽選の結果その席を獲得しており、その人の身長には何の罪もなく、そのようなことをする資格は誰にもないからだ。
しかし、舞台の現場では、見えづらくしさえすればそれは迷惑行為として排除することが出来てしまうのだ。
ただ単にゆったりと座ってじっくりと見ているだけでも。
高輝度のペンライトを使ったり、曲の良い所でイエッタイガーと叫んだり、曲と関係なく声を出したり、周りにぶつかるのを気にせずに手足を動かしたり、オルスタで前の人間を無理やりはがして前に行ったり、ステージにペンライトを投げたり、等々。
これらのどれが真に迷惑行為であるかどうかとかはどうでもいい。
言いたいことは、これらの行為は、それを行っているものが自らの意思に従って行っていることであり、それがゆえにその人自身の意思でやめることが出来るということだ。
でも、背が高いことをやめるなんてのは不可能だ。
背が高いから、後ろの人に邪魔にならないように沈んで見ろというのも、2時間という観劇の間続けるのは困難であり、そもそも同じお金を払っている同じ立場の客として、背が高いということだけでそのような不利を強いられる謂れはない。
ただ、べき論とか筋論してはそうであると思うが、実際の舞台の現場では、背が高いことを迷惑行為としてぶったたいても問題ないという状況になっているのだろう。
3回目のようなことを言われたのはその1回だけであるが、前のめりに関する怨嗟の声を見るにつけ、それを行った女性が少数派とはとても思えない。
少なくとも舞台の現場では一定数いる可能性が高いと認識しておく必要があるんだと思う。
舞台にはまるきっかけとなった1月の舞台の続編が、恐らく来年あり、それは絶対に見に行きたい。
その他にも、コロナのせいで今年できなかった舞台が来年いくつか予定されており、それらも見に行きたいなと考えている。
でも、正直上に書いた経験により、私の心の中には舞台の現場は怖いという認識が出来てしまっている。
私の身長が来年縮むことはないので、私が舞台を見に行けば、それだけでステージにペンライトを投げたり、周りの人を押しのけたりという迷惑行為をしているということにされてしまう。
今まで2~300回は行った声優現場で、迷惑行為いやだな~と思うことはあっても、自分自身が迷惑行為の当事者となることは全くなかったのに、舞台の現場では、見に行っただけで、迷惑行為野郎とされてしまう。
本当それを考えるだけでも憂鬱だし、今度後ろからなんか言われたら言い返してやろうか?、とか舞台の内容とは全く関係ないことを頭の中で考えてしまっていること自体が嫌だ。
週明けから会社のなかでけっこうすごいごたごたが起こっている。
朝から責任者の怒号が響き渡り、夕には社会不適合者・土下座・クビなどのワードが飛び出すしまつで、原因のクレーム案件を作ってしまった社員は一日中泣きどおし、帰りには嗚咽をもらすほどの状態になっていた。
上席のいないタイミングでこっそり声をかけたりしてみたけど、何のなぐさめにもなってないだろうな、むしろ負担に感じてるかも……と思うと申し訳なく、己の無力さを痛感した。
この案件にかかわっていない私ですらもなんだかずっと胃が重たく、一日中謎のだるさと、ストレスを感じたときに無意識に出る歯の食いしばりが止まらないながらも、なんとか仕事を終えた。
夫が夜勤でいないときはいつもお惣菜なんだけど、今日ももちろんお惣菜、ていうか今日こんな日こそお惣菜っ…! と意気込み、いつものスーパー寄って買い物、レジで係員にポイントカード渡した瞬間、「なんだか今日お顔がいつもと違う……大丈夫ですか?」と言われた。
思わず「いやあちょっと会社でいろいろありまして……」とつるりと打ち明けると、「やっぱりい、いつもとお顔が全然違いますもの」と彼女はたたみかけてくる。
いつもだって、必ず仕事終わりのタイミングで、そんなに生き生きした顔はしてないはずなんだから、今日はよほどやばい顔してたんだなと思うと同時に、これから家族のいない家に帰る私のマスクの下の表情を読み取り、心配して声をかけてくれたことがうれしくて、無性に泣けた。
なんだろう、そもそも私の顔を覚えていてくれたなんて。
毎月、ポイントの当月失効分を気にかけてくれる彼女。心配されないように失効するポイントをつかおうとしたら、今日はポイント5倍デーだから次の機会にしたほうがいいとアドバイスをくれる彼女。いつも親切な店員さんだなと思っていたあの彼女が私のことしっていてくれたなんて……。
たとえそれが、こいつ半額の総菜しか買わない客だなという認識であったとしても全然うれしい。
そして、こんなにもしんどいときに、思いがけずこんなに優しい言葉をかけてくれたのがなによりうれしかった。
家にかえる道々、相手が熟女じゃなかったらこれはもう恋に落ちてるなと思ったんだけど、よく考えたら別に熟女でもどんとこいっていうか、向こうさえよければもうなんだろう、今の状態で全然恋愛したい、こんなに人の機微をさっしてくれる人と恋ができたらどんなにか……今度ご飯とか誘いたい、と心底思ったんだけど、気持ち悪いだろうし何より迷惑だろうからやめておく。
私は彼女にとってあまたいる客のひとりにしかすぎないことを肝に銘じなければならない。
ところで小学校低学年のころ、朝の登校中に、二学年上の意地悪な人に顔にかさをぶつけられた。
私は当時、今にもましてものすごくぼんやりした子どもで、「あ、ごめーんわざとじゃないから!」と言われたのをそのまま受け取り、そっか、わざとじゃないならいいや、とそのまま学校に行ってふつうに一日をすごした。
家に帰ると、玄関先まで出迎えにきてくれた母は、私の顔を見るなり、「どうしたん、そんなにしょんぼりして! 学校でいやなことあったん?」といった。
そうきかれてはじめて私は、朝、顔にかさをぶつけられたことがものすごく気にかかっていたんだと気づいて、わんわん泣いた。
そのときのことを思うと、何気ない表情をの変化を察してくれたレジの彼女はのことを、お母さんみたいだとも思う。
私は彼女の数多いる客の一人にすぎず、彼女にも家庭があることは百も承知だが、できることなら、健在だが遠方に住む実母にかわって、この地での私のお母さんになってほしい。
そもそも私は筋金入りのマザコンで、セフレもなんかちょっともちっとした感じでママみを感じる体型をしており、男性ではあるのだが、時々「お母さん」とよばわって抱きつかせてもらっている。
総合すると、私は多分母親の要素を感じる人と恋愛がしたいのではないか。
仕事がえりのつかれた会社員にちょっと声をかけただけで、ここまでいろいろ思われてるなんて、レジ係の人も災難だなあと今書きながら思った。気の毒すぎる……。
朝、目が覚める。ああ今日も仕事か、行きたくないなあ、もう仕事やめたいなあ、週休5日がいいなあ、と、毎日同じことを思う。しかしそうは言っても給料をもらわないと生活できないし、今日も渋々家を出て会社に向かう。
一体、何がそんなに嫌なんだろう。そりゃ、今日が休みなら家でだらだらしていたいし、家に積み上げている小説や漫画を読みたいし、天気がよければ散歩もいいし、もし一週間休みなら旅行だって行きたい。私の時間を返してくれ。そもそも、好きでやっている仕事じゃないんだから嫌いになるのが当然の話ではある。・・・とは思うのだが、試しにもう少し詳しく、場面場面で分析してみよう。タスク管理は細かく割ることが基本だと言うし。ついでに、嫌な側面だけでなく、無理矢理にでも良い面(あるのか?)を見つけて相対化してみよう。
まずは朝だ。もっと寝ていたいのに起きないといけない。起きて着替えて出社しないといけない。ああ嫌だ。・・・でも、生活リズムは心身の健康を守ってくれるし、半ば強制的にベッドから起きる理由があることは良いことなのかもしれない。暇は薬にも毒にもなる。
通勤も嫌だ。電車は混んでいるし、周りの人も憂鬱な表情だし、仕事に行くまでにヘトヘトになってしまう。最悪。・・・でも、最寄りの駅に行く途中にある保育園で楽しそうに遊ぶ子どもを眺めたり、金木犀の香りに秋を感じたり、ふと見上げた空の広さに驚いたり、スカートで自転車に乗っている女性を見てドキドキしたりするのは、悪くないかもしれない。
職場に着く。パソコンを開くとメールがぎっしり。もうこの時点で心が折れる。To Do Listなんかで管理できる量ではない。ああ嫌だ、もう帰りたい・・・でも、職場で同僚と無駄話をしたり、ほうじ茶を飲みながら昼飯を何にしようか考える時間は、わずかながらも楽しみな時間だ(ちなみに好きなテレビ番組は「サラメシ」だ。)。
とにかく業務量が多すぎるし毎日忙しいし内容も難しい。クレーム処理では心が疲弊するし、締め切りに追われる日々は息苦しい。何のためにやるのか分からない社内タスクも盛り沢山だし、突発的な来客でスケジュールが乱れるのもつらいし、やっぱり仕事は嫌だ。もう辞めたい。来世はナマケモノに生まれ変わろう。・・・でも、大なり小なり仕事をひとつ仕上げたときはホッとするし、(稀なことだが)自分の仕事で人から感謝されたときは嬉しくなるし、可愛い後輩からの質問にうまく答えられたときは得意気になれる(プライベートでは、自分のようなオッサンが若い女性と話すことは皆無なので、そういう機会があること自体、仕事に感謝しないといけないのかもしれない。)。
退社するときも、「一日中働いていたはずなのに、仕上げた業務と新たに降ってきた業務で差し引きゼロだ・・・働いても働いても我が暮らし楽にならず」と自分の能力の低さを恨み、「あれもしなきゃ、これも残ってる」と明日以降のタスクを思って憂鬱になる。・・・それでも、これで今日も給料分働いたぞ、自分なりに頑張って家族の生活を支えているぞと自分に言い聞かせて帰路に就く。夕飯時のビールだけが心の支えだ(この美味しさは、ある意味で仕事のご褒美なのかもしれない)。
振り返ってみると、残念ながら仕事の良い面はさほど見つからなかったし、やっぱり基本的に仕事は苦痛なのだが、かといって一日中絶望しているわけでもないようだ。ひとつ気づいたのは、「社会とのつながり」や「日課(ルーティン」はあった方が良いのだろうな、ということ。だから私も嫌々ながら仕事を続けているのかもしれない(まあ、それが今の仕事である必要性はないのだが)。私は日頃から「宝くじが当たったらすぐに仕事を辞める」と口癖のように周囲にこぼしているが、当たる確率はゼロなので(何故なら宝くじを買っていないから)、当面は仕事を続けるしかない・・・。
以上のように、私のようなやる気のない中年リーマンでも、こうして騙しだまし日々を送っている。皆さんはいかがだろうか。キャリア向上を目指して頑張っている人や、社会的意義の高い仕事に従事して貢献している人、または純粋に「好き」を仕事にして楽しい日々を送っている人ばかりではあるまい。「粛々と業務をこなす」、「仕事は60点でOK」、「会社に期待し過ぎない」をモットーにして、「ああ、今日も行きたくないなあ」と思いながら毎日を送っているような人たちからブコメがもらえると嬉しい。いいじゃないか、ダメだって。