はてなキーワード: 友愛とは
今回は少年ジャンプ+
少年ジャンプルーキーのところのは、私はあまり読まないんだよね。
アマチュアを育てる土台という存在意義は大事だとは思うんだけれども、いち読者としては玉石混合すぎて(ほぼ石だけれども……)。
なので、こうやって賞をとったのくらいしか読まない。
さて、今回の一つ目のブロンズルーキー賞は、まあすごい荒削りだけれども、熱量は伝わってくるね。
プロレス大好きな主人公と部活仲間とかの掛け合いは、完全に興味ない人を置いてけぼりにしている位のネタの過剰っぷりだが。
終始、プロレス中心の主人公の言動は一貫していてよろしいかと。
これは……う~ん、評価に困るなあ。
話としては主人公が子どもの何気ない言葉で再起しようという展開で、話もそこで終わってるから内容に関して言えることがあまりない。
恐らく、序盤の主人公の気だるい生活感と、その情緒ある描写が評価ポイントだと思うのだけれども、別段絵が上手いわけでもないから評価しにくい。
前半は二人の会話だけで、絵面としても地味だからあんまり評価できるところはないね。
後半からの怒涛の展開とネタバラシ、そこまでの持って行き方は完全に発想頼りではあるんだけれども、それを見せる技量が作者に備わっているのでちゃんと読ませてくれた。
ジャンプルーキーの作品としては、結構レベル高い部類だと思う。
ただ、編集の人も言っているけれど完全な読み切りだから、仮に連載作品を書かせるとなった時に扱いに困るってのはあるだろうね。
まあ私が気にすることではないのだけれども。
前半の展開は「ま~た作者の悪い癖でてるよ」とウンザリした。
後半は、いわゆる今後の展開を固める上で重要なやり取りなのだけれども、狂言回し役に話の展開を頼りきってて何だかなあ。
ちょくちょく面白いと思える部分があるのに、無意味にヒネたことやる上に構成がグズグズだからノリきれない……。
作風だけじゃなくて、その他もろもろが酷く歪になってしまっている。
プロットがよければ、ね。
気合入ってんなあ。
で、漫画の内容は、まあキャラクター全員くだけた感じが嫌いではない。
どういうゲームかはまるで伝わらなかったが。
まあコミカライズは宣伝を兼ねているからといっても、存在を認知させることが第一だから、極端な話ゲームの内容と剥離していても構わないと思うし。
それにしても、キル子さんのときから片鱗はあったけれども、この作者かなりキャラを描くことが手慣れてきたなあ。
結構な爆弾発言だったが、現状の落としどころとしては友愛扱いになったか。
メタ的に見ればそうせざるを得ないってのもあるんだろうけれども、実際問題「友愛」や「恋愛」とかの様々な愛の形を、明確に区別してかつ自覚するのって難しいだろうしなあ。
で、今回の展開でいよいよ舞台が学校とかにも広がっていきそうだな。
この漫画のテーマとしては恋愛よりではあるのだけれども、ヒロインの背景的に友情とかも描いていくべきだから、この展開は妥当だな。
これまで箱庭的な話だったから素直に期待している。
常々思っていることだけれども、読み切りだとか短編だとかでもない限り、縦軸だけではなく横軸をしっかり描く事は大事だからね。
ましてや、ヴィクトにそれを選択させること自体が鬼畜だっていうのに。
ただでも狼狽しているヴィクトに選択ができるはずもなく、かといって意志薄弱な状態で倒せるわけでもなく。
そして、ここで援軍登場。
そういえば、こいつがいたんだった。
なかなかカッコはついているけれども、正直メタ的にみれば勝てるビジョンが全くみえないのだが。
いつかは、こういう話がくると思っていたが、とうとう来たか。
だが、とんかつ屋としての問題もあるが、DJとしての問題も抱えている。
おー、ちゃんと「とんかつDJ」してるなあ。
しかも、ここにきて大阪で行脚したときの複線が利いてくるとは。
いい展開じゃないか。
色モノ漫画ではあるんだけれども、その実こういうところはちゃんとしてくれるから読めるんだよなあ。
むぅ、一話としてはまた妙な導入部だなあ。
SF要素の設定が、私の中でイマイチまだノリきれていないが、今後どう展開していくかという点では期待感をあおってくれるね。
ミステリのようだけれども、この近未来設定を都合よく使うとミステリとして面白みがなくなるから不安も一層あるが。
あー、他の事業で儲けているから、ちゃんとした待遇ができているのか。
でも、それもこれもアニメのためと。
方向性こそ違うものの、「いいアニメを作りたい」という根っこはやっぱり兄弟なんだな。
1ページのは、ちょっと意味が分からないかな、メタ的にみても。
2ページ目で前回のあらすじを描いているから余計に要領をえない(誰かツッコんでくれないと、そういうネタなのか、単に不条理ギャグなのかどうか分かりにくい)。
おー、プライ丸を焚きつける展開か。
5分で100本は~、3秒に1本のペースか。
現実のフードファイターもそれ位のスピードで食べることは不可能ではないが、それを100本となると現実とフィクションの狭間で揺れ動くから、確かに他のキャラのリアクションはあーいうなんともいえない感じになるな。
あっさりだったな。
過剰に演出するのもどうかと思うけれども、ここはもうちょっと盛り上げるよう描いてもよかったのでは。
裏切り者の件は一旦保留と。
まあ本当に共倒れ目的なら、今回の事件で露骨に邪魔しても問題なかったわけだしなあ。
そもそも状況的に裏切り者がいると考えるのが自然だからそういう推測になっただけで、本当にメンバーの中に裏切り者がいるかも怪しい状況だしね。
深読みかもしれないけれども、裏切り者の話はミスリードな気もするので。
主人公の「わかんねえことは考え過ぎるな」というのは短絡的にみえるかもしれないが、臨むべき課題は山積みだから本当にいるかも分からない相手に四苦八苦してられないしね。
数ヶ月前の事は、やたらと鮮明に思い出せる。
友人がお手洗いに立ったのを見て、スマートフォンでツイッターとはてブを緩く見回っていた時に、見つけたのだ。正直眼を疑うような記事見出しだった。本文を見てからは思わず驚愕して叫んでしまったほど。(というよりも、「あ…ああ…」と狼狽した声が行き場を失いながらも出てきてしまったような形なので、端から見たら知人の訃報が入ったか身代金でも揺すられてるかのように見えたと思う)
お手洗いから帰ってくる友人に助けを求めるかのごとく話を振ろうとしたら、彼の方からも話を振ってきた。多分、彼も同じように記事を見たのだ。2人でほとんど声を合わせるように、私たちは同じことを口にした。
と、ここまで来て頭の中で3代目J soul brothers from EXILE TRIVEのストームライダーを頭に浮かべている人はちょっと一度冷静になって、東京ディズニーシーの方のストームライダーを思い出して欲しい。
そう!そうそう!それ!う、うん、そうね、「緑のチカチカチェックするやつ!!」って間違っちゃいないんだけどそれしかないアトラクションみたいな思い出し方はやめなさいね、その後、仮にもストーム消してるんだから。
「空を斬り走るやつねー」って、え?あ、まあ間違ってはいないけども随分とポエミーな表現ね…
「疾風迅雷 蒼の魂」ってだからそれは3代目の方のストームライダーだろうが。
そんなこんなで、今日はTDSストームライダーのラストフライトの日である。こんなにアトラクションクローズでここまで衝撃なのはミクロアドベンチャー!やビジョナリアムに個人的には並ぶ。ツイッターによればあの人気のトイマニ、タワテラをぶち抜いて今日はストームライダーが最大の待ち時間のようである。センターオブジアースやレイジングですら待ち時間緩いのにストームライダーが120越えってもうなんだか異常気象を発見したかのような気分である。それこそ台風のような。個人的には、ストームライダー60分越えはシンドバッド15分待ちに並ぶ混雑のバロメーターだったのだけどなぁ。
今日はそれほどまでに、ストームライダーを愛する人がいる事を確認する日になる。ここまでくると宗教に近いかもしれない。ストームライダーという儀式を執り行うために長蛇の列をなす信者たち。ポートディスカバリーは聖地。
私ももし舞浜に行けるならそのお姿を拝みにポートディスカバリーへと足を運んでいただろうし、もし入園できなくてもベイサイドステーションからゆるゆると海岸線を回り、最もポートディスカバリーに近い地点からストームライダーに向かって祈りを捧げるくらいのことをしていただろう。エルサレム。
どうかしてると言われそうだが、今私はiPhoneのコンパス機能を始めてフルに生かし割り出したディズニーシーの方角に向かって文を書いている。
ストームライダーの何処がそれほどまでに私を魅了したのか。というと本当に答えになっていないのだけども「どの点においても優秀であった」というのが正直な答えである。
オープン当初としては驚きの、かなり精巧なフライトシミュレーター系でスタツアとの出来の違いにまず驚いた。
動き細やか!窓の外も見れるし!
まさかストームディフューザー刺さると思わなかったし。アトラクションのそういった出来が本当に段違いだった。
キャラクターたちも良い。デイビスのお茶目だけどイケメンな雰囲気(ホラーなら最初におどけて殺されてるタイプ)をよく声優は表現したと思う。ストームを目の当たりにした時のセリフは、その声色だけで息を飲んでいるのがありありとわかる。スコットとベースもいい味を出している。「司令室に来なさい!今すぐ!」の声は今も幻聴のように思い出せる。
バックグラウンドストーリーは、オープン当初はストームライダーがかなり大きなバックグラウンドストーリーを持っていた。だって、ポートディスカバリーの設定がストームライダー計画成功のお祭りって設定なのだから。あのポートディスカバリーの雰囲気も好きだったので、その真髄を味わえる、という点でもストームライダーは価値があった。CWC Center for Weather Controlのロゴなどもリアリティがあった。そういった、ディズニーならでは作り込みを感じ取りやすいのもストームライダーの良いところだった。
アメフロのSSコロンビア処女航海設定がタートルトークやオーバーザウェイブ、セイリングの看板の入れ替えなどでしれっと消えてるあたり、ポートディスカバリーの設定もふわっと変わってしまうのだろうなぁ、と思うと少し切ない。
音楽は言わずもがな、TDS、いやTDR、もっと言えばディズニー最高峰の楽曲だろう。
出来ればCDにはストームライダー組曲だけでなく、搭乗前の部屋で流れるイントロリピートのやつも何処かで収録をして欲しい。
あの名曲が、演奏される場所を失うのは本当に惜しい。ミクロアドベンチャー!の素晴らしいテーマ曲が今はTDLエントランスの一部になっているように、ポートディスカバリーのエリアミュージックとして生まれ変わってくれることに期待をしたい。
そして私が最もストームライダーを愛してやまない理由をあげたい。
なんじゃそりゃ、って人に説明すると、ストームライダーではキャビンに搭乗する直前に、気象コントロールセンター研究員であるキャストさんが実演でミッション内容を説明してくれるのである。
私はこれが本当に好きだった!!
今でこそタートルトークにタワーオブテラーとキャストが説明をしてくれるアトラクションは増えたものの、昔は無かったのだ。
もう、カヌーかジャングルで体育会系なノリしか無かったわけです。
もっとさかのぼればシンデレラ城ミステリーツアーがあったけれども、シーではストームライダーくらいしか無かった。2つのシアターでも説明はあるけど本当に説明くらいなので、ストームライダーが1番エンタメ性があったのだ。
初めて見たときはベースとの掛け合いなどももしやここにいるのか?と思ってしまったほど。
最近では「今の…100万倍くらいですかね?」
はすべり芸としての地位を築いてしまったけども、話口調や映像を使ったパフォーマンスは、本当に素晴らしかった。
東京ディズニーシーはオープン当初は全体的にキャラに頼らない、生身の人間が見せるパフォーマンスを重視していた節がある。アンコール!やミスティックリズムはその最もたるものだけれども、アトラクションで初期のシーが標榜していたライブパフォーマンスのエッセンスを取り入れていたのは今思えばこのストームライダーだけだった。
そこまで難しいことは考えずとも、初めて乗ったとき、あの説明を受けたとき、「これが、これからのTDRのアトラクションなんだ…」と衝撃を受けた。
そう、思い起こせばオープン当初のシーの人気アトラクションの中で、「原作がないアトラクション」はストームライダーだけなのである。
今のファストパス対応アトラクションの中でもレイジングスピリッツとストームライダー、タワーオブテラーだけだ。(タワテラはトワイライトゾーンとはもはや無関係なので)
鑑みればあのあたりのオリエンタルランドはディズニー脱却をコンセプトにしていたのか、イクスピアリにオリジナルキャラを作ったり(何処に行ったんだネポス…)前述の通りアンコール!などのキャラ無しのショーが多かったり、シーではグリ施設は無かったり、かなりストイック、というかランドとの方向性の違いを明確に出そう、という気概があった。自分たちで新しいものを作るんだぞ!という。そんな中で作られたこのストームライダー、力が入らないわけが無いし、面白く無いわけが無いのである。
そう、シンドバッドが友愛のストーリーに書き換えられたり、グリ施設が4つもできたり、キャラ無しのショーは全部廃止された、オープン当初のコンセプトもへったくれも無い今のシーの中で、唯一、ストームライダーはあの頃の雰囲気を持っていた。ある意味では、ストームライダーはオープン当初のシーの遺跡なのである。
そして個人的なことを言えば、プレフライトクルーになりたかった。
たくさんの人の前で、ご案内をする姿が眩しかった。子供ながらに憧れて、いつしかあの案内はすべて諳んじれるようになっていた。
その影響もあってか、演劇部に入ったこともある。今の仕事でも司会業を少し受け持っている。
あのプレフライトクルーへの憧れ、ストームライダーへの憧れが、こっそりと私の人生に種をまいていてくれたのだと思っている。
ストームライダーは、思い出であり、人生の起点であり、唯一無二のアトラクションだった。
明日からは、ポートディスカバリーにストームライダーはいない。
それに伴い、14年に渡るストームライダーによるストーム消滅ツアーは廃止となる。
同センターによると、今後の学術研究へ注力するための選択だそうだ。
本日の閉鎖を持って、センターに勤務の全職員は新事務所へ移ることになる。
そしてたくさんのプレフライトクルーは明日も、新しい場所ながらも変わらずにストームや異常気象と戦う日々が続くのだろう。
もう二度と、凄まじい破壊力を持つストームの中になんか入れない。
もう二度と、100万倍くらいの小粋なジョークにクスリと笑うこともできない。
もう二度と、緑のチカチカの部分だけ決めゼリフのように声を被せる高校生の集団も見れない。
おやつのピーナッツのチェックも、雨に驚くゲストの姿も、エンジンがやたらと故障する機体にも、会えない。
そして、外へ出たときにより美しく感じる空と海のきらめきと潮の香りにも。
ストームライダーはなくなっても、乗った記憶、そしてそこに確かにあったという記憶は誰もの心に、残る。
だからこそこの寂しさは抑えて、大きな舵を切るオリエンタルランドを応援したい。
ここまで記憶に残るものを作ってくれたのだから、きっとそれを超えてくれるだろうと期待をしつつ。
本当に、ありがとう。
ポートディスカバリーは、今日も、晴れている。
自分語りをします。特に何かを伝えたい、というわけではありません。得になることも益もありません。 こういう腐女子もいるんだ、という理解をしてくれたらいいなあ、と思いながら書きました。
私は元々母親が腐女子で、同性愛の含む(もしくはそれに似たものを感じ取れる)コンテンツを小学校の頃から読んでいました。 念のため言いますけれどこれは母親が私に強制したわけではありません。手の取れる位置にそれがあって、漫画で絵が綺麗だったから読んだだけです。今でもたまに読み返します。紫堂恭子はとてもいいぞ。
BLや腐女子、と言ったワードを知覚したのは小学校6年かそこらだと思います。 でもその時は「わたしは腐女子ではなく、ただの漫画オタクだ」と思っていました。 パタリロ好きな人間全員腐女子か?という問いかけに対する答えと似たようなものです。 BLが好きというわけではなく、あくまでその作品が好きだったから読んでいた、それだけです。
中学にあがり、深夜アニメなるものを見始め、そのうちとあるジャンルにどハマりしました。 web漫画で、好きな声優がデフォルメされたイケメンの声をやっていて、面白いギャグで、好きなキャラクターができた。 pixivで調べるうちに、その主人公二人のBLが目に入った。 そしてちょうど同じタイミングでTwitterをはじめ、そのジャンルの人をフォローするうちに、そっちの世界に入りました。
わたしの本命cpはその二人にはならず、サブキャラ二人を推していました。 しかし周りはどんどん主人公二人に群がっていきました。
作者がTwitterでその学パロやコスプレを「関係ない奴、非公式」と言いつつもアップしました。 腐女子はそれに便乗したものを描きました。 いつの間にかpixiv百科にそのキャラの派生のページが作られ、設定なんてひとつもないのにいつの間にかそのキャラの設定が浸透していきました。わたしも最初は「面白いぜヤッフー」と思っていました。
ふと、眺めて見ると、それは異常でした。
その時に、そのジャンルに対する熱意というものが失われていったように思います。
わたしはそのままジャンルを離れました。 そして、この時にきっとわたしの地雷は作られていきました。
そのあり方は賛否両論かもしれませんが、イベントに参加しているわけでも、同人紙を買っているわけでもないし誰にも迷惑かけてないからほっといてほしい、というのが本音です。
わたしはジャンルにハマると1日中サーチをかけ続け、思ったことを語りまくります。 この期間はおよそ1ヶ月ほど。その間は他のジャンルの話はあんまりしなくなります。 語り尽して話すことがなくなると、他のジャンルの話や最新話の話やとにかくいろんなことを話します。 次にどハマりするものが出てくるまで。
話すことがなくなったから話さないだけであって、けっしてそのジャンルが嫌いになったというわけではありませんと思います。最初の件を除くならば。
わたしは弱小お絵描き人間(ブクマ貰えるとしても多くても10人、とかほんとにそういうレベルです)なので、「イナゴだよろずだ」などといちゃもん(になるんですかね?)や嫌味を言われたことはないのですが、そう思われても仕方ないな、という気持ちではあります。
さっきちょろっとだけ触れた、地雷の話をします。 これ滅茶苦茶賛否両論というか否定が多そうなので先に言いますけれど、わたしが嫌いなだけであってその考え方や在り方を否定しているというわけではないので悪しからず。
わたしは、友愛や家族愛や主従愛を恋愛に置き換えられるのが果てしまく嫌いです。腐女子の癖に何言ってんだ、と思う人もいると思うのですが。
とある結構昔にハマったジャンルでは、孤児の主人公とその主人公を拾ったお金待ちのお嬢様がいました。 その二人は後々、女神とそのお付きの戦士になるのですが、まあこの二人のCPが地雷でした。 しかし、その二人が一緒にいることが嫌いというわけではないのです。
この二人は人としての主従関係と、神と人間という主従関係の二つの関係が複雑に絡んでいる二人でした。 その二人の、前世からの因縁を、恋愛、と言われたくなかった。 それはあまりにも雑すぎる、と思った。それだけです。
最近のでぃずにーの映画(わたしは見てません)もそういう「この二人は恋愛じゃないから云々」みたいな話をTwitterで見かけましたが、あれと言ってることは同じです。 原作の複雑な関係を、二次創作のテンプレートに当てはめるのはあまりにも原作に対して失礼ではないのか、それは本当に原作の二次創作と言ってもいいのか。
これはNLを例に取りましたが、BLでも同じです。 公式で最高の友情をやっている二人や、美しい兄弟愛を見せる二人が同じようなセリフを言って、同じようなシチュエーションで、同じようにエロをする。 それはわたしの求めるBLではないな、と思うと自然とメジャージャンル全般が地雷になりました。
お前どんだけ地雷あるんだよ、と言われそうですがそれでも結構ちゃんとやっていけてるし、Twitterとかに流れないようにここで語っているので許してください。
わざと隙間を作る作品もありますが、大体のものは「他人が介入する隙間のない人間関係」を物語で提示しています。
そこに、都合のいい女(もしくは男)を介入させる。 それがわたしには無理だった、という話です。
原作ですでにお相手のいるキャラクターだとなおさら不倫とか寝取られみたいに感じてしまって見ることができません。夢を見るつもりで夢を見たことはないんですけど。
最近、ソシャゲをよくするようになりました。 その時に性格の提示されていない主人公が受けに回るのがあまりにもダメで、しかも何故かそれが流行りに流行っていて(そのゲームはむしろ男向けなのに)、公式では「相棒」みたいだったキャラと主人公がTwitterやpixivではカップルのようにいちゃこらしている。 世界の危機なのに。
わたしの心はとても狭いです。 こんな風に王様の耳はロバの耳って叫ぶようにどこかで主張しないとイライラが収まらないほどに。
別に「わたしが不快だからどうにかして!」っていう話ではありません。 好きな人は好きなようにすればいいし、嫌いな人は嫌いなままでありつづける。 それでいいと思います。 つーか好き嫌いの押し付けほんとよくない。 そういう人間とは手を切るべき。
最初に言ったように、「世界のどこかには貴女の好きなものを食べられない人間もいるし、貴女が必要ないからと捨てているものを大事に抱えている人もいる」ということをわかってほしい、わからなくてもいいけど認識はしといてほしい。
追記として、最近、軽い男性恐怖ができたのですが、その後BL読んでたらエロ展開が見れなかった。 R展開のもの全てがおぞましく見えました。時が過ぎれば過ぎていくほど地雷が増えていく自分がこわい。いやまじで。 ホモ見れなくなったらどうするんだよ。
という話を友人にしたところ、「RのないBLなんてBLって呼べなくない?」みたいなことを言われたのでもう彼女とBLの話もソシャゲの話もしない。
解釈違いは相容れない、そう思った五月の昼下がり。
なんか妻の言うところの恋とか愛とかいうのがわかってないっぽい。
ペットとかに注ぎ込む感じの類の割と上からっぽい愛情とか、子供かわいいなあとか、
そういうは感覚としてわかるつもりなんだけど、異性を恋人として~みたいなのがどうもよくわかってないんじゃないかと自分でも思う。
妻から
「あなたは友達としてはすごく面白くていい人だし、あなたのことは好きでいたいと思うけど、
恋人や夫婦としてあなたと一緒にいると愛情が感じられなくてツライ。
それがたとえ病気(発達障害)のせいだとしても、もうしんどい。」
と言われてしまった。
「好いてくれてるのはよくわかるんだけど、なんか違う」と言われてしまったが、
でももう精一杯表現しているつもりなのでこれ以上どう表現すればいいのかわからなくて『?』を浮かべてしまう。
週末に、泣きじゃくる妻をなだめながら、
何が問題点なのか探ろうとして色々話したり紙に書いたりしたけど、問題の発生パターンとしては
妻が「愛情があれば当然こうしてくれるだろう」と期待している行動を俺がとらないことで妻が疑問や不満を持つ。
↓
妻から「なぜこうしてくれないの?」といったことを言われるが、
なぜそうしなければいけないのかがさっぱりわかってない俺が「えっ?なんで?」といった質問を返したり「○○だからこうしたよ」といった返事をする。
↓
まさかそんな(当然だと思っている)ことで必要性をそもそも理解していないっぽい返事がくるとは思っていなかった妻が混乱したり諦めたりする。
みたいなことが日常の中にありすぎるらしい。なるほど、確かに疲弊しそう。
色々話してわかったのは、
「妻が抱く感情の中に、俺が理解できていない感情があるっぽい」
「妻は何か俺がしているのとは別の形での日常的な愛情や好意のアウトプットを求めている」
「教えてもらうと表面上、妻の求める愛情表現のフリはできるが、根本的な部分がわかっていないのですぐにボロが出たり、
かなり俺が我慢を強いられる形になってストレスを感じたりしている様子を見て、
妻は『ああ、わかってないんだな』と感じて愛情がないように感じたり、余計むなしくなる」
「言えばすぐやってくれるけど、言わないとやってくれないんじゃ意味がない」
といった感じ。
そしてそんな状況だったのに
「(発達障害が判明したり給料が下がったり)課題は色々あるけど二人仲良く幸せに暮らしている(未来は明るいゼ☆)」
俺としてはなるべく一緒に過ごす時間を増やすようにしたり、娯楽を楽しんだり、
ちょっとしたことで気を遣ったりねぎらったりみたいなことをしてきたつもりなんだけれど、
うーん、やっぱり妻の言うような恋人と友達の差とやらが俺にはよくわからない。
恋人=セックスしてもいい仲のいい友達で、不義理なことをすると何らかのペナルティがあるもの
といった形で、恋人も友達の延長線上のもので、立場に名前がついてちょこっと昇格した感じだとしか認識できていないのがそもそもダメっぽくて、
なんか妻と話してると、『恋愛感情』と『友達として好き』の間になんかよくわかんないけどすごい断絶があるっぽいんだけど、俺の中でそこは完全に地続きだ。
思えば、あの子が(恋愛的に)好きだ、みたいな主体性あふれる感情をあんまり持ったことが、まだないのかもしれない。
いつも、その時一番仲良くしてた女子からある日突然告白されて、彼女の枠が埋まってなかったら受け入れて、
でもまあ俺の側の関わり方は別に変わらなくて、キスやセックスとかするようになったのと、一緒にいる時間が増えたかな?みたいなパターンばかりだった。
物語の中で出てくる恋愛表現も、登場人物の感情の動きや行動原理にこれっぽっちも共感できなくて、みているのが苦痛になることが多い。
そんなノリの交際を8年ほど続けて、年齢的なこともあるし世間的には結婚ってのをするのがええんやろ?っていう気持ちで結婚してしまったのが失敗だったのか?
結局、二人でいくら話をしていても、根本的なところが理解しあえなくて平行線なので、
間に立つ人を用意しないと話し合いが成立しないから無駄だね、というところに落ち着いて、その後仲良く外出した。
なんかこう、圧倒的に俺の脳が未熟なのかなあ……。
そして過去の経験上、問題の存在を認識できたから、何年か悩んでればある日突然視界が開けるような感じでその悩みポイントだった感覚を理解できるような気もするんだけど、
いつ来るかわからないその瞬間を待ち続けるような時間はあまりなさそうだなあ……。
どうしたらいいんだろう……。
なんか付き合い始めた高校生の頃から先延ばしにし続けたしょうもないスレ違いみたいなところで悩んでる感じがする。
実は言うほど大したことじゃないのかもしれない。
ずっと恋愛関係については俺が一方的に変なんだと思ってたけど案外そんなもんっていう事例も多いみたいだし。
でも妻は心身症発症しまくってるぐらいだからだいぶ思いつめてるみたいだし。どうしたものか。
20代後半にもなって恋愛相談に医者を使うっていうのも結構恥ずかしいことのような気もするけれど……。
確かに3年ぐらい遠距離になったけど特に大した苦も無く続いた気がする。
「そういうスタイルの愛の形もあってええねんで、それも立派な『愛』やで」っていうのをお互いが受け入れられるかどうかなのかなあ?
チククとチャルカは飛行ガメで彼女を探して粘菌の合流地点へ向かう。そこで彼らはナウシカのメーヴェを手に入れた蟲使いの大群に出会う。蟲使いたちは森の人の呼びかけに応じ、新たに広がった「腐海」の領有権を確認しに来たのだ。チャルカたちはユパを救った森の人の青年セルムに導かれ、奬液に包まれたナウシカを回収する、彼女は心を閉ざして眠り続けていた。
ナウシカを保護して難民終結地へ戻る途中、彼らは皇兄の乗る旗艦に出会うが、そこに肉体を失った皇弟の霊が取り付いており、ナウシカを発見した皇弟はセルムのガードをかわしてナウシカの無防備な心に入り込んでしまう。
他方、旗艦はチャルカが難民救出のために収集した船団に皇弟と僧会の失権を通告し、指揮権を強奪した。新たな混乱を予感したチャルカはナウシカをセルムとチククに託し、戦火の再燃を食い止めるべく、死を覚悟して単身難民終結地へと戻る。
眠るナウシカにセルムはテレパシーで呼びかけ、森の人の秘密、腐海の中の最も古い土地、その浄化作用が一巡して昔の汚染されていない生態系が回復した「青き清浄の地」へと案内する。ナウシカの仮説は正しく、しかもそれは部分的にであれ現実のものとなっているのである。皇弟の霊はこの「青き清浄の地」成仏する。しかし森になろうとしたはずのナウシカはそうしない。
「もどろうね 自分達の世界へ この世界を汚しちゃいけないから・・・・ 土の毒や瘴気に脅かされないで皆とここに住めたらどんなにいいだろう でも今の人間が知ったら また 自分達が 世界の主人だと思い始める たちまち生まれたばかりのこのひよわな土地を食べつくして又同じことの繰り返し 1000年かもっとたって あなたがもっと広くつよくなって 私たちが滅びずもう少しかしこくなっていたら その時こそあなたの元にやってきます」
そして希望を取り戻して目覚めたナウシカは、「私と一緒に森に来てくれませんか」と誘うセルムにも「人間の汚したたそがれの世界で私は生きていきます」と応え、ついに彼女の元に到着した従者や彼女を女神と慕ってきた蟲使いの若者とともに、難民終結地へと向かう。
終結地では皇兄による粛清の嵐が吹き荒れ、チャルカもまた処刑されようとしていた。間一髪でまにあったナウシカはチククのテレパシーを通じて民衆に呼びかけ、皇帝の言いなりになってトルメキアに侵攻するのをやめるように説得する。
「土鬼の地がすべて失われたわけではありません。腐海のほとりに住みそこで生きましょう 腐海は私たちの業苦です でも敵ではありません 苦しみを分かち合って生きる方法を私の一族は知っています。 皆さんに教えられます 苦しみより友愛を 王蟲の心を・・・」
ナウシカの説得は功を奏するが、頭上には巨神兵が到着していた。ナウシカはガンシップで輸送艦ごと巨神兵を撃墜しようとするが、巨神兵本体を破壊することはできず、かえってそれを目覚めさせただけであった。マニ族を説得して駆けつけたアスベルから託された秘石を持って、土鬼旗艦上で巨神兵と対峙したナウシカの前で、巨神兵は自我を生じ、彼女にママと呼びかける。呼びかけに応じたナウシカは、この巨神兵を伴って、シュワの墓所を封印すべく飛び立つ。
土壇場でのクシャナの反乱もあってすべてを失った皇兄は「俺はもう生き飽きた なにをやっても墓所の主の言うとおりにしかならん あとはあの小娘が背負って立てばいい」と言い残し(ここまで単行本6巻
彼氏いない歴=年齢だし、彼氏が欲しいかどうか聞かれるとなんだか居心地が悪い。
腐女子だから好きなキャラクタの恋路や行く末を見ていたいのはよくわかる。
一点違うのは腐女子としては隠れようとしてることぐらい。
私は今はとても気の合う同性の友人とルームシェアして暮らして、
それなりに平和にやっている。
一緒にテレビを見たりお酒を飲んだり、たまには出掛けたりする。
みたくて一生懸命に準備する。
多分、私なりに一番大切にしている友人だと思う。
そのことを他人に話すと、必ず「それって彼氏?」と聞かれる。
「それって彼氏?」を訊かれるのと同じように
無邪気な興味丸出しで「レズなの?」と訊かれることも度々ある。
なんだか気が滅入ってしまって、今ではルームシェアしていること自体
奇異なことなのかと悩む時期もあって、
LGBTについて調べ回ったりもした。
人並に性欲があるはずだが、女の子には興味は向かなかった。
有り体に言えば、ちんこがついてる方がいい。
それでも、今までセックスしたいほど好きな男性がいたかと考えるとわからない。
ある別の友人は「付き合えるか、恋愛出来るかどうかはセックス出来るかどうか」と
男性対しても女性に対しても、友愛の範囲での"好き"はたくさんある。
私が様々な友人に対して持ち続けている"好き"の気持ちには嘘偽りはない。
私はどうしたらいいんだろう。
他人が恋愛に己のすべてを賭けて向き合っているのを目の当たりにするたび、
自分と明らかに違うと実感する。
そして同じような情動が体験出来たらなあ、と常に残念に思う。
同性愛のように人の性愛の多様性を訴えるのは今はもう一般的だけど、
恋愛関係ではない、他者を尊重する関係ももっと広く受け止められてもいいと思う。
お互いを思いやって生きていくほど親しい人が必ず恋愛関係とは限らない。
結婚出来ないとか、子どもが出来ないとか、そういう社会問題に押されて
でも、それが蔓延することで苦しくなる人たちが実際いるわけで、
恋愛したいけど出来ないっていう人も、気楽になっていいと思うんだけど。
誰が誰といようが一人でいようが問われないってすごく楽だろうなあ。
私は「告白されたから付き合ってみる」というのを数回経験したけど、
だから恋バナにも乗れないし、周囲の理解を得られない感じはわかる。
恋愛感情=友愛+性欲+独占欲なのではないか…となんとなく思うけど、
一人の人間に対して全てを同時に感じたことは無かった。
まず彼氏に対しても友達に対しても、独占欲が沸いたことがない。
独立した人格を独占するだなんておこがましい、なんて話じゃなく、独占することに喜びを感じない。
独占欲を持たれるのは大きな苦痛ではないけど、やや面倒だと感じる。出来ればもたれないほうが良い。
そういうスタンスで居ることを「愛されてない」と言われて、振られたりした。
逆にそれを「楽だ」と言ってもらえて、続いたりもしている。
独占欲の強さには個人差があるので、釣り合っていないと破綻するのかもしれないなという気がする。
数年付き合うことで友愛は蓄積しても、性的には飽きてしまうんだよね。
飽きて、次に性的にハマったのが芸能人や二次元なら何も問題は無いのだけど、
身近な人間に性的にハマってしまうのは、倫理的にまずい気がする。
浮気という行動にうつさなければ罰されることはないけど、心の浮気も褒められたことではないよね。
結婚して長続きさせられる人は、友愛と独占欲が強く、性欲が薄い人なのではないかな。
恋愛感情には色々な欲望がセットになっているし、彼氏彼女の契約にも色々な条件がセットになっているし、
「恋愛感情」を、それ以上分解できないものとして捉えている人とは会話が通じない。
そして、セットをばらばらに解体すると、子供を育てる環境としての家庭というものも解体されてしまうなと思う。
結局、父や母になるためには自分の欲望を犠牲にしなければならないのだろうなあと感じる。
ネットで調べると謎すぎて怖い。
誓いとか掟とか約束とか異常に多いし、儀式的でなにやら怪しい組織、宗教のような特徴がある。
wikipediaなどを読むとフリーメイソンと何らかの関係があるのは明らか。
ボーイスカウトの創設者ロバート・ベーデン=パウエルの弟デビッドはフリーメイソンであった。
ロバートの孫マイケルもフリーメイソンであり、マイケルはオーストラリアのロッジ「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」の元・マスター(Past Master)である。
しかも、日本ボーイスカウト連盟の「ちかいとおきて」はフリーメイソンの基本理念にかなり似ている。
優れた人格形成、国際友愛精神の増進、青少年の健全育成を目的とするとか、こんな曖昧な目的で国際的な巨大組織を作る必要あるのか?
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013081802000119.html
(魚拓)http://megalodon.jp/2013-0819-0221-34/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013081802000119.html
中島岳志氏=2013年4月 - 朝日新聞紙面審議委員、 毎日新聞書評委員に就任。ぼっさんに似てなんかいないです。
言論誌「表現者」に連載している内容を見たNTT出版が「本にしたい」と申し出た。
週刊朝日 連載記事「ハシシタ 奴の本性」同和地区について「不適切な記述」があったとして謝罪を行い、2回目以降の連載を中止を決定。
週刊朝日 尾木和晴編集長代行、篠崎充朝日新聞出版社長代行、中村正史の三名が橋下のもとを訪れて直接謝罪
http://ja.wikipedia.org/wiki/週刊朝日による橋下徹特集記事問題
編集者から「第三章が社内で問題になっている」「親会社がNTTという公共企業なので、特定の政党や政治家への批判は問題」と伝えられた。
http://www.shinchosha.co.jp/book/302752/
「グレイト・リセット」など実行してはならない/ラディカルな破壊主義/「中央政治をぶっ壊す!」という愚行/伝統技術を保守すること/具体的伝統を欠いた愛国心の危険性
NTT出版の幹部に呼び出され「第三章全文を削除してほしい」と求められた。中島氏が断ると、「残念です」とその場で出版中止決定。
「急に問題視されたので時期的に『週刊朝日』の問題が影響していると思った」と話す。当時、橋下氏をめぐる同誌の連載が不適切な記述のために中止となったことを受け、出版元の朝日新聞出版や親会社の朝日新聞がたたかれていた。中島氏は「権力への過剰な忖度(そんたく)だ」と批判。新潮社版の「あとがき」で、経緯を詳述した。
「特定の個人や団体の利益になる本も、不利益になる本も出さないことにしており、週刊朝日の問題とは関係ない」と説明。「親会社の意向が影響することもない。社として本の内容をきちんと把握できていなかったことが対応遅れの原因」と話し、橋下氏への配慮を否定した。
NTT出版は今年一月、佐伯啓思(けいし)・京都大教授の「文明的野蛮の時代」を出版。その中には、民主党政権を振り返り「友愛などという言葉でお茶を濁されては事態は一歩も進まない」「『政治主導』どころではない」などと、厳しい批判を連ねた箇所がある。
相手次第で方針が違うようにもみえるが、斎藤氏は「(佐伯氏の本では民主党を)引き合いに出しているだけで論点は別」と説明する。
確かに民主党政権を批判している"章"は無い。
橋下氏を批判ってあるけど、何に対して批判してるの? 主語は何?? まさかNTT出版が出版中止するように橋下氏が圧力をかけたようにみせかける???
「参院選でも民主党が大勝した。小沢氏の例を持ち出すまでもないが、権力が一極集中すれば、反する主張は言いにくくなり、過剰忖度や自己規制の働く余地は大きくなる」
って言ったっけ?
マガジン9
http://www.magazine9.jp/hacham/111109/
9は憲法9条の9!
今は媚中媚朝が左翼だけど、昔はスタンスが友愛精神を以って臨んでいた。
アホのポッポの友愛ではなく、むしろ慈愛に近い友愛の精神があった。
しっかりした出自の日本人であり、本来はこういう人間が多かったんだろう。
いつからか媚中媚朝寄りの人間が増加するに従ってそういった人間を左翼とする見方が増えた。
実際、左翼を旗印にする社会民主党や日本共産党などはその主義主張から日本国よりも中国や韓国・北朝鮮への友愛精神がきわめて強いように見受けられる。
昔の左翼は、国内を憂う真の愛国主義者だったが、今の左翼はむしろ破壊主義に傾倒しているといえよう。
戦後教育を今もって踏襲しようとする自虐史観を今もって変えようとしない所を見ると、そこにあるのは愛国主義ではなく、
その理由は、今の左翼というのはその殆どが出自のはっきりしない日本人で構成されているからだ。
そこには嘘偽りのない友愛精神が存在し、その精神は結果として他国との繋がり絆を示すものだと理解しているのだ。
追記:俺自身は左翼に愛国主義者なんていなかったと考えている。例のニーターパンなるトラックバックがどの程度の「左翼」記事に反応するか試してみたくなり根も葉もない嘘を書き連ねただけだ。左翼は今も昔も一貫して売国奴なのは変わりない。
産むかどうかではない。産まれるかどうかだ。
親は子を選べないというのは知覚概念で「産まれている」ことが前提だ。
産む産まないもそうだ。
既に産まれている。
子は親を選んで産まれてこれるかといえば否だろう。
気がついたら産まれているわけだ。
生まれなかったら気付くことはない。
皆気がついたときには地獄に落ちてきているわけだ。前世や他の惑星では知らんがこの地獄でどう生活するかその価値観は知らない。
これから地獄の住人を増やして寂しくないようにしよう。そんな風に考える生活もあるだろう。
生まれた子供のことはどうたらこうたら考えたり親がするものなのか。
自分が地獄に引き釣り込んだだれかというのは子供のことなのか。
そんなことは知らん。地獄の淵で這い上がろうともがいてつかんだら人の足だったって話だ。
産まれて来た子供だって自分と同じ処遇なわけだろう。どこからともなく地獄におちてきた。
親のせいとしたいところだが、何千年何万年と前からつながる連鎖の結果で自分が発生したという地獄の淵で足首のつかみ合いの結果自分も巻き込まれたって話だろ。
自分の親一代が何億年とつながる生命の連鎖反応を起こしたわけじゃないだろう。
親の親の親が産まなければ結果自分は生まれてこなかったわけだ。
産むかどうか考えて結果産んだり産まなかったりしてもいい。産まなければまた産まれなければ産まれてこないだけ。
地獄が終わるときには地獄に投下される人口もストップするだろう。それはせいぜい100年足らずしか生きられない人間のコントロールできるところではないだろう。
何億年と続いた地獄の釜の口が塞がりますとなったら産まれてこないだろう。
産むことが幸せや子供が愛らしいといった感情も自ら規制して「子供をまもるため」という理由で制限していっている。地獄の釜の口も狭まってきているのかもしれない。
なにをどう考えても産まれるときには産まれる。親が考えた考えてないとかいう人ひとりの抵抗で地球という地獄に抗ってもその勇気を称えられたり結果がでたりするものではないだろう。
産むかどうかとか知らん。どうでもいい。殺すかどうかとか盗むかどうかとか勤勉に励むかどうかとか友愛に勤めるとか知らん。どうでもいい。
ただどうでもいいけど結果なぜかしら産まれてきてしまったわけだろ。
人が人を産むのも人が人を殺すのも出来るわけだが人が人類の発生を停止させたり行動を統一したり人類を創造したりすることはできないだろ。
私たちが地獄を作っているとかいう大層な世界観ではなしに自分たちの生まれてから死ぬまでの経験すべてはこの地獄で起きてる悲惨な現象ということだけだ。
たまにいいことがあるからとか幸福なことがあるからとかいうこともあるだろうけどそれは親がつくってくれたものや人類が作り上げたものなのか。
地獄におちてきた自分がそこで見聞きした風景を語っているにすぎない。
つまりは幸福で満ちている世界ってのはここじゃないってだけの話だ。自分たちの幸せな子供が生まれるのだとしたらここじゃないってだけの話だ。
自分が生まれてくるのが幸福にあるのだとしたらここではないどこかだって話だ。
地獄の法則その1セクロスを執り行って肉を孕むという悪行をなしたものはそこに招き入れられる魂をこの地獄に引き釣り込むって話だ。
ほかにも地獄になんらかの形で落ちてきた魂を搾取すると呪われるため地獄に据付の植物しか食べてはいけないとか会則もあるぞ。
ということで世界は神の世界から鬼畜の世界までいくつかに分かれてそれぞれにシフトしたりとかいうオカルトとか妄想が古代から人間にはあるわけで今しっかり「生きることの不幸」を熟考しても気がついたら「それ先に考えて結果なんかほんのりいい感じに仕上げてるやつがいる」と洞窟を掘っていったら先住民の高度な文明を見つけるみたいなことになるので嵌まるなら先に宗教はどの系統にするか考えておけ。