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2021-06-06

バッドエンドに向かう人生

正解のルートそもそもいかも。私は誰かのトゥルーエキストラしかなく、私にはバッドルートしか用意されてないかも。

とか思いつつ。私はどうやったら現状を回避できたんでしょうか。

学生時代

[〜小学校]

人見知りで小太りでうだつの上がらない子供でした。軽くいじめられていた記憶

親は物心ついたときには離婚しており母と弟とで3人家族です。私が中学に上がるタイミング再婚しますが、こうした経験が影響してなのか(大多数の人が持っていそうな)家庭を持って当然、みたいな人生観は持っておらず、結婚したいと思ったことがありません。幸せイメージや将来像が特にないというか。特に再婚前も後も家族に不満はないですが。

ポケモンが好きでアニメを見たりゲームしたり、また、弟と遊戯王遊んだりしていました。同学年の女の子達とあまり共通する趣味ではないので(私は女です)、女の子達と友達ではあったのですが、親密な関係を築けてなかったような気がします。元が人見知りなもの男の子と仲良くできるコミュ力もなく…この傾向は中学高校継続するのでコミュ力を培う経験割合少ない学生時代を過ごしている気がします。

[中学生]

運動苦手なくせに、友達に誘われて運動部に入り死ぬほど苦労しました。辞める度胸がなく、辞めたいと思いつつ補欠のまま続けました。社畜経験が積めたのかと思いきや、頑張っても苦しいだけでだるいことを学習してしまい、根気がない人間進化しました。

一方で、自分が平均より勉強が得意な人間であると発覚しました。それなりの高校大学に進学できる脳を持っていて実際にそうなったのですが…。

[高校生]

一年生、クラス中学の知り合いがいません。初対面の人と話す方法を知らず友達が作れませんでした。卒業するまでこの状態

しかけてくれる優しい人もいたのですが、当時の私はこの人と仲良くするくらいなら一人でいいわ、と距離を取り孤立プライドばかり高いクソでした。この時期に人と話すことが少なすぎて会話が下手になったり、自意識肥大して性根が歪みました。

[大学生]

高校時代自分反省し、初対面の人と会話するための予習などをしてキャンパスライフスタートです。腐った人間性は今でも完全には治っていませんが、優しく趣味などの価値観も近しい友人達に恵まれ、友人関係の面ではそれなりにちゃんとした大学生として過ごせたと思います高校までの対人関係経験がどうしても不足していて、コミュ力の他に心が一般社会人より育っていないと感じていますが。

問題なのは勉強です。理系学科のため3年次に所属する研究室もとい専攻を選んだのですが、その後社会人になった今も尾を引く問題が出てきます

専攻した分野のテスト勉強するのは楽しかったのですが、研究はそんな好きでもないし、、、論文特に英語読むのきつい、となってあまり研究者向きの気質ではなかったです。卒論修論受理されましたが、社会で私はどうしたらいいんでしょうか。みんな研究職についていたので、研究気質ではないことから目をそらし、私も研究職志望で就活し、幸運にも内定を取ることができました。

社会人時代

とりあえず研究職についたものの周りの研究員のような熱意もなく能力も高くもなく、中学部活がある日々ような感覚です。何となく予測できてはいものの、目をそらしそらし社会人になり、社会人としての苦しさと合わさって中々精神的に堪えます

異動するとして営業職がありえましたが、人見知り、コミュ力不安のある自分がやって行ける気がしません。何やかんやあって退職し、転職先として営業を伴う企画職のようなものに就くことができました。しかし、転職直後は多少あった熱意も日に日に削がれ、そもそも営業活動はやっぱり苦手だったし、と、案の定苦しくなっている今があります

下手に自意識肥大しているので自分能力や意欲より背伸びした職に就いてしまって、余計首を絞めているとは思いつつやめられず…。専攻選びというか、大学学科選択もっと慎重に検討すべきでした。

このままずっと苦しい人生から逃れられないのでしょうか。

これがゲームだったらニューゲームするくらいに打開策のないルート。というか、客観的に見たら私がどうしようもない使えない駒。頑張れなさすぎ。主観として私が私を諦めてしまえないから苦しい。

[追記]

こんな長くて暗くて推敲も足りない文章に反応いただけるとは。ありがとうございます

自分でも前々から背伸びをやめた職につくのが良いのかなと思っていました。なのですが、転職エージェントキャリアカウンセラーってポジティブ転職支援が多い気がして相談するにも気が引けてしまい、つい背伸び気味の希望を言っていました。私と似た志向の人が居たとして、役職持ちだったりスキル持ちな方がスローペースにシフトする支援は有り得そうですが私のような若輩者は取り合ってくれるのだろうか…。

その一方で、消極的選択で良い結果は出ないというのは、そのとおりだと思います。やりたい事を見つけたり、積極的選択人生重要な場面でした事がなくて、私に欠けているものなので、本来立ち向かうべきなんだろうと強く思います。これが私にはとてつもなく難しい…時間がかかりそうです。

また、できたその選択の先で頑張りきれるのか不安不安で。自分への不信感がすごくあります

何にせよ体裁のいい様に取り繕い続けた過去が今の状況を招いているので、直視して対処しなくては、と思います

2021-06-05

anond:20210605203120

ワクチン交渉の際にオリンピックポジティブ要因だから

A「オリンピックがあるって?ならなおさら回してやんねー!クソして寝ろ!」

B「オリンピックがあるって?うーんじゃあうちの国の選手メディアを守る意味でも回してあげなきゃな」

AとB、どちらがあり得ると思う?

anond:20210605162623

ルッキズムで損している政治家には国会でボディーポジティブ宣言してもらうと良い結果を招く。

容姿マイノリティ当事者勇気をもらえる。

anond:20210605151313

デブ自己管理できないかバカにしていいのか、ポジティブなんちゃらとか言って持ち上げるのか、どっちかはっきりしてもらいたい

anond:20210604022730

脱毛器の件追記

 

そう、元増田が言うように家庭用の脱毛器がある。家電にしては安いものではないがサロンでやるよりはお手頃だし、予約なんかもいらないから「あ〜ちょっと手が空いてるな〜」って暇つぶし程度の気持ちで出来る。(ちなみに私はドラマ見たりソシャゲをオートで走らせたりしながらやってた)

自分はケノンを使ってたけど、パナソニックとかブラウンもいいと思う。背中アニメ見ながら人にやってもらった。

 

追記も読んだけど、年相応に小綺麗にしたい気持ちとてもよくわかる!ポジティブに受け取ったんならよかった。ちなみに乳液日焼け止めが一体化したやつもあるから楽でおすすめだよ。幸多き人生を!

2021-06-04

達成感ってなんだ...?

プロダクト開発のなかで日々仕事をしていると、ひたすらプロダクトに向き合って『ユーザーおもろいな』とか『なんかいい感じにチーム動いてるな』とかポジティブなことは日々感じるけど、達成感って感じたことがない。

受託Webデザインやってるとかなら完成したときに達成感を得るかもしれないけど、プロダクトを突き進めている間はそんなの感じないんじゃないか

仮に大きな新機能リリースしたとしても、結局『ここってこうでは?』みたいに至ってないところがバシバシでてくるので、なにも達成した感じがしない。

それともみんな結構達成感感じながら生きてるの...?

現代芸人用語いかつい」「本域」「人(にん)」

元々在宅の仕事の上にコロナ禍の影響でますます自宅にいる時間が増えてしまった結果、なにかながら聴きのできる音楽以外のものがほしくなり

ここ一~二年で以前にも増して多数のお笑い芸人さんのラジオテレビ番組等をよく聴いたり見たりするようになりました

コロナ禍の暗い情勢の影響でみんな笑いたいのか、この数年でずいぶんお笑い番組が増えたような気がします(シソンヌがでかい画面で見られて嬉しい)

様々な芸人ラジオを聴いていると芸人同士の横や縦のつながりがどんどんわかるようになり面白い

逆につながっていないこともわかったりしてこれも面白い

radikoという便利なものがあるので作業料理中食事中お風呂中寝る前等々耳さえ空いていればいつでも縦横無尽に色々な芸人さんのラジオを聴いています

今聞いているのは「ナイツラジオショー(箕輪はるかさんの喋りがとても良い)(安藤なつさんは地下芸人に詳しい)」

中川家ラジオショー(ラジオで一番好き ツヨメロちゃんかわいい 東島衣里さんの本当に「そういうキャラクター」に対して

 接しているような喋り口調がとてもよくてめっちゃええレシピ加藤美弥子先生も最高にいい)」

ハライチのターン!(ものすごくおもしろい)」「爆笑問題カーボーイ」「問わず語りの神田伯山」

「#むかいの喋り方(エピソードトーク構成うまいラジオの申し子だなこの人 沼袋くんの声は落ち着いている)」

オードリーオールナイトニッポン安心して聴ける)」「又吉・向井児玉のあとはもう寝るだけの時間」「シソンヌのばばあの罠(おもしろいし長谷川の声がいい)」

ぺこぱ/マヂカルラブリーオールナイトニッポン0」「蛙亭オールナイトニッポンi」「霜降り明星オールナイトニッポン(コーナーがおもしろい)」

空気階段の踊り場(めちゃくちゃにおもしろい)」「ミルクボーイ煩悩の塊(30分があっという間に感じる、とてもおもしろい)」あたりで

たまに単発のオールナイトニッポン0(トムブラウン錦鯉、またぜひ聴きたい)とかバナナマンダイアンラジオとかも聴いてます あと芸人じゃないけど日曜天国

様々な番組を聴き続けてしばらくしてから芸人世界での共通言語のようなものがどうやらあるらしいことに気がつきました

中でもよく聞く言葉が「いかつい」「本域」「人(にん)」の三つです

「本域」は所属事務所、年齢に関わらずかなり多くの芸人さんが使っているので

「板(舞台の事)」や「がなり(ネタ前に芸人舞台で紹介する際の文言、それを叫ぶこと)」「出囃子(登場時の音楽)」のように古い用語なのかもしれない

これは結構どの世代どの事務所芸人さんの番組でも耳にすることがある

いかつい」は本来用法からかなり広げられた意味合いで使われており

流行言葉のようなものかなと思う、若手や吉本芸人ラジオ動画等でよく聞くので

劇場テレビ現場仕事を共にする芸人たちの界隈で広まって通じるようになった言葉なのだろう

特にパンサー向井「#むかいの喋り方」「蛙亭オールナイトニッポンi」を聴いているとよく耳にすることができる(岩倉さんの「いかちい~!」がとても好きだ)

逆に40~50代以上の芸人、他事務所東京芸人番組ではあまり耳にすることがない

ハライチのターン!」も若いノリのある番組だし岩井さんは向井さんと交流があるがあまり聞かない気がする

このへんは芸風やその人の言葉の使い方のスタイルにも関わりがあるのかもしれない

「人(にん)」を初めて聞いたのは「#むかいの喋り方」か「オードリーオールナイトニッポン」だったような気がするが

最初なんのことを言っているかからなくて(「仁」だと思っていた 使われる際の用法としてこのニュアンスを含んでいる場合もあるような気がする)

困惑した覚えがあるが、要するにその人の人柄や人としての有りようのことを指しているらしい

向井さんが若林さんに多大な影響を受けていることはラジオを聴いていても明らかなので若林向井という順番なのかもしれないが

最近よく見る言い換え文化人財とかああいう)に通じるニュアンスがあり個人的な印象としてはちょっと気持ちが悪い

お昼の「ナイツラジオショー」は毎日様々な芸人さんをゲストに呼んで話をするのだが

その中で呼ばれた(どなただったか失念)中堅芸人さんが「人(ニン)」という用法で別の芸人を指して当たり前のように話し始めたところ

塙(オードリーとほぼ同期でつながりもある)には「人(ニン)」が通じず流れが滞ったことがあった

当の中堅芸人解説しようとするがうまく言い換えることがなかなかできないようだったので

特別一般的用法ではないがある界隈では十分通じている、独特のニュアンスを含んだちょっと特殊単語だという感じがする ただ使われ方は結構カジュアルである

これは「いかつい」よりも多分使う側の人間好き嫌いが影響する用法のような気がする


だいたいこうなのかな、と理解している気になっている各単語意味はこんな感じ


いかつい」

ストロングスタイルお笑いをやってるなこいつ!尖ってるな、攻めてるな!とんでもねえ角度からきたな!単純にただただ面白さが強い!等々

スタイルやそのネタに対するポジティブ賞賛意味で使われているっぽい

あととんでもねえな!とか信じられん!みたいな驚きのニュアンスときもある

かなりニュアンス(「ニュアンス」もよく使われている単語ひとつだ)が個々人によってある気がするし

まれているもの結構多様な気がするが(それゆえに便利なのだろう)

使う芸人さんたちの間では一定コンテクストがあって通じ合えている感じがある

吉本芸人、他事務所でも若手がよく使っているようだ

吉本でも年配の芸人では使ってない人もいるようだし

事務所ベテランではほとんど聞いたことがない


「本域」

本気の、本番と同じ声量や動き、心構えでネタをやること またその本番自体を指す 本気とほぼ同義

これはかなり昔からある言葉なのかもしれない

ナイツ中川家の口からも聞いたことがある

音声だけでこの単語を聴いていた頃「本意気」という字を当てているのだと思っていたが

「あちこちオードリー」での字幕で「本域」と当てられていたのでこれが正確なのだろう


「人(にん)」

人と書いて「にん・ニン」と読ませる 話題によっては「仁」とかけている雰囲気もあるように感じる

その人の人格雰囲気、芸風や有りようなど要するに人柄・人となりのことを指しているようだが

なぜ「にん」と呼んでいるのかはよくわからない 一応web辞書で引いてみるとそのように読んで使うこともそう不自然ではないようだが

なぜ芸人の界隈でそれが流行っているのかはよくわからない

少しスピリチュアルな考え方や浪花節任侠自己啓発的な概念エピソード世界と相性がいいというか、そういうニュアンスが含まれエピソードで使われることが多いように思う

オードリー若林がこのような用法で使っていてなんだか意外な気がしたが著書をあれこれ読んだ後だとそう不思議でもなくなった

パンサー向井ラジオの中でこの用法で使っていたが同時に占い風水的な話題が語られることがあり正直少し引いてしまう部分もある、

ものすごく面白い話で笑い転げたのだが(ネタとして言ってるだけだとは思う)

あと最近芸人界隈で「ひろゆき」がブームっぽいのも芸人さん同士の横のつながりを感じさせる

やはり劇場営業でよく顔を合わせるだろうし数も圧倒的に多い吉本芸人界隈からこういう言葉概念流行というのは広まっていくのだろうなという印象

漫才協会やワタナベ、タイタン独自の島というか、良くも悪くもマイペースさがあり(若手に限ってはそうではないだろうが)

他の芸人やそのネタに対して貪欲で見識も広く深い塙さんが芸人界隈での流行語(のようなもの)には疎いのが意外な感じもするがその証左かもしれない

ナイツラジオショー」でアンガールズ山根ゲストピンチヒッターパーソナリティだったかの際

占い芸人話題になったとき少し不条理だったり非科学的だったりする考え方に対して

批判的な態度をとっていたのを見て(芸風だろうしもちろんネタとして面白おかしくしゃべっていたのだが)

この人も「人(ニン)」使わないタイプの人なのではとなんとなく思された(使ってるかもしれない、使ってたらごめん)

知らない、使わない人もいるしネタや芸や仕事自体に直接関わってくるものではないのだろうがその世界一定数で通じる概念流行がある世界

を外側から見ることの面白さをラジオを聴き始めてから強く感じています

どのラジオ番組もどの芸人さんもそれぞれ面白い、あといわゆる「ハガキネタ職人」の個別認識ができるようになり

地方も局も番組もまたいで投稿しているのを見るとどのラジオ番組がそれらの人に支持されているのかわかったり、

逆に一つの番組に根強くついているファン存在やそうさせるラジオ番組のあることもわかりラジオ番組の「有りよう」も様々なのだと思わされて面白い



あれこれ書いたが急にお笑い世界に近づいたのがなにぶんこの一、二年のことでtwitterもやっていないので

芸人界隈のコンテクストについては全然詳しくないけどファンには自明のことだったりそれは間違った認識だ許せん、と思われるとこもたくさんあるだろう、

詳しい人はてなにいたら「書いたな!俺の前で!」をぜひやってくれないかなあと思う

プラスサイズモデルとかボディポジティブを主張する人たちが苦手

結局あの人たちってさ、ありのまま自分で「美しい」・見た目を肯定しようって文脈で語るひとらばっかじゃん

べつに美しくなくても、見た目を好きでなくてもそれでもいいってことにはならないわけ

デブスでも見た目が嫌いでもそれでも自分という存在があっていいとはならないのか?

2021-06-03

anond:20210603102915

自分が下じゃないと信じられるポジティブ精神じゃないと生きるのがつらいでしょうが

 

いくら相手増田でも不用意に人生をつらくするのはよくない

2021-06-01

こういうクッソ有能な翻訳者たのもしい

https://www.youtube.com/watch?v=Jn5rAxo1RDg

M T

M T

7 か月前

0:23 通訳者が言ったこ

“In current (??) media, there is a saying that your performance and your victories remind us of a ??? old style Japanese. How do you think those comments or what do you think of your own identity?”

現在メディアで「あなた言動勝利昔ながらの日本人の???を彷彿とさせる」と言われている。そのことをどう思いますか?また、自分アイデンティティについてどう感じていますか?)

なおみ”What do your mean? I’m old stubborn..?”

(どういう意味わたしが古くさい融通のきかない人…?)

※old「古い」だけではポジティブ意味(good-old)かネガティブ意味かわからず、なおみは非難されているのか、称賛されているのか、と混乱した様子。

通訳者”No, yeah your.. remind everyone of an old Japanese style.”

(ええと、あなたの…が、昔ながらの日本人像を彷彿とさせるんです)

なおみ”with tennis?”

テニスによって?=わたしテニスプレイ方法とかが昔ながらの日本人ぽいってこと?)

通訳者 “Not.. ah I haven’t really seen the article”

(いや…というか実は私もその記事を読んだことがなくて…)

本当は質問

It’s said your existence is changing the way how people see Japanese. What do you think about that?”

あなた存在が人々の日本人に対する見方を変えていると言われている。そのことについてどう思うか?)

と訳すべきだった。

2021-05-31

anond:20210530091718

大澤さんの自由についての講義結構好きだよ

前略

―実は人間は、この世界自分存在しているという事に関して、責任がない。自分存在自分で選んではいいからです、だから当然、自分が生まれたがゆえに、自分がこの世界存在しているがゆえにやってしまった事、やらざるを得なかった事に関して責任がないわけです。一番もともとのところの責任がないわけですから、それに因果的に規定された残りの部分に対しても責任がなくなります子供はもともと自分が好きで生まれてきたわけではないので、この世界に耐えられなくて嫌になって文句を言っても、その事に関して子供を叱る事はできない。人間はこの世界の中に生まれてくる。しかも、多くの点に関して、何者かとして生まれてくる。つまり多くの性質を与えられて生まれてくる。例えば男か女かどちらかの性であるものとして生まれてくる。人種的な特徴を持ったものとして生まれてくる。あるいはある特定共同体の中に、例えば日本人共同体の中に生まれてくる。そのほかいろいろな性質を持って生まれてくる。そういう事すべてに人は責任がない。そうであるとすれば、人間そもそも責任がない。それがイノセントであるという事です。

子供から大人への移行

┗ここで問題になるのはこういう事です。責任がないという事は自分が選んでないという事です。逆に人間自由主体になるという事は、自分選択していると言える事ですから、今度はイノセントではありえない、つまり責任があるわけです。自由責任は表裏一体です。これは学校先生なんかは好きな言葉ですね。イノセントであるという事は、自由主体にまだなっていない段階です。自分のやった事に関して自分責任があるとは言えないという事です。そうすると、人間が成長するという事は、イノセント状態を何らかのやり方で克服・消去する事です。これが『イノセンスの壊れる時』という芹沢さんの言葉意味です。つまり本来イノセンスなんです。これを書き換えなければいけない。責任がありませんよ、というところを消して、自分責任があるんだと書き換える。そういう事をするのが大人になる事なんだというのが芹沢さんの言っている事です。イノセンスのこの書き換えをどうやって人間はやるのか、この書き換えのメカニズムを考えてみよう――それが芹沢さんの短い文章基本的趣旨です。

ここですごく重要な事を言っています常識的に考えると、次のようになる。子供自分イノセントだという事を主張します。「ぽく、悪くないもん」という事を行動や態度によって表明するわけです。そういう事を言ったときに、凡庸な親だと「いや、お前が悪い」という事を一生懸命教えようとする。しつけをするというのはそういう事だと思われているわけです。そういう事をすると、はじめは自分は悪くないよと言っていた子供が、やっぱり自分が悪いんだと思うようになる――というのが普通の親の考えている事ですが、芹沢さんが言っている事は全く逆です。子供が何らかの意味で「俺は悪くないよ」という表現をしてきたとき、そういう意思表示と解しうる行為をとった時に、逆に「そうだ、おまえには責任がないんだ」という事を認めてやれというわけです。子供イノセントだという事を自己表出したときに、まさにイノセントだという事を承認してやりなさい、と。そうすると、不思議な事に、まさに承認した内容とは逆の結果が出る。つまり子供イノセンスを認めてやると、逆にこれが否定されて、子供自分自身責任がある、自分存在に対して自身責任があるという自覚に到達するというわけです。責任自覚するという事は、自分存在自分に与えられた性質運命を自ら引き受けてやろうと考えるようになる、という事です。例えば子供が「生んでくれと頼んだ覚えはない」という意味の主張をしたときに、その事を全部肯定し、認めてやる事で、かえって人は責任ある主体に変わっていく。そういう事を芹沢さんは言っているわけです。

人間自由主体になるという事

客観的に見れば、子供イノセントであるというのは正しい主張です。だから自由主体になるという事は、先ほど言ったように、あえて、正しくない虚偽を(真として)認識しているかのように振る舞うという事なんです。本来人間イノセントです。でも、このままだったら人間自由主体ではない。自由主体になるというのは、本来こちらが正しいにも関わらず、本来イノセントであるにも関わらず、まるで自分イノセントでないかのように振る舞うという事です。だから大人になるという事は、真理に目覚めるという事ではない。逆です。真理は、むしろイノセンスの方にある。その本来の真理を隠蔽する事が、ここでいう書き換えです。この真理の隠蔽、この欺瞞は、有効意味のある隠蔽であり、欺轍です。具体的に言えば、皆さんは今こうやって生きていて、いろんな性質を持っている。その99.9%に関してあなた方は責任がないんです、本当は。例えば自分は足が遅い。考えてみると、これは親のDNAのせいなんだ。俺の足が遅いのは自分のせいではない。けれども、人間自由主体になるという事は、客観的に見れば自分のせいじゃないけれど、まるでその事に関して自分責任があるかのように自覚して、生きるという事です。簡単に言えば、足が遅い俺も、それもよし、足が遅い俺の運命自分で引き受けよう、そういう人生自分のものとして生さていこうという気分になる。まるで足が遅い人生自分で選んで、自分で引き受けてやってるような、そういう自覚に達したときに、人間自由主体になるわけです。

から、本当の事を教わる事で本当の事を悟って人間自由主体になるのではなくて、むしろ、本当でない事を生きるようになるのが自由主体になるという事なんだ、という事がまず頭になければいけません。

芹沢さんが圭張しているのは全くパラドキシカル方法で、子供イノセンスを表出してきたときに、そのイノセンス全面的肯定してやる。すると不思議な事に逆に子供イノセンス解体し、子供自分自身運命自分で引き受けようという気分になっていって、それがあって自由責任を担う主体になっていくんだという事です。なぜ。こういう逆転が生じるのか。なぜイノセンスを認めてやれば、その事によって子供はかえって自由主体になる事ができるんだろうか。その事が、そもそも自由っていかにして可能になるかという問題につながってくるのです。

親はどのように子供イノセンスを認めたらいいのか

┗もう少し芹沢さんの言っている事に耳を傾けましょう。いくつか面白い事例を出していますイノセンスを認めてやるのは普通大人特に親です。ですから、親がどうやってイノセンスを認めてやって、その事で子供自由主体責任のある主体に変わっていったのかという事を見るのがいいのですが、そのとき芹沢さんはわざとこういう例を使います普通の親子関係だとかえっで見えにくいので、養子縁組の場面で考えてみようというわけです。なぜ見えにくいかというと、普通の親子関係というのは血縁関係がありますから、はじめから親も子供自分たちが親子関係であるという事を当たり前の事であると考えてしまます。お互いに自分運命自然の事だと考える事で、親が子供イノセント存在肯定してやるという劇的な場面は半分終わってしまう。だけど、血縁関係のない親子関係では、親子関係をこれから作らなければいけない。だから、親が子供存在自分のものとして認める、あるいは子供が親を親として認める、そういう事を実際に意識的にやらなければならない。そこでわざと養子縁組の例で考えてみようというのが彼が提起する例です。

養子縁組というのは、何らかの理由によって両親がいない孤児がいて、そしてその孤児を自ら引き受けて育てていきたいという親がいるときに成立します。養父母は、孤児を集めている施設のようなところからひとり連れてきて、自分の子として育てるわけです。そのときポイントになるのは「真実告知」という場面です。つまり、実はあなた孤児だったんだ、それを養子として迎えて子供になった、そういう事実を告げ知らせなければいけない瞬間がやがて来るわけです。この「真実告知」の瞬間というものに、芹沢さんは注目しています子供養子として引き受けようとする人たちのために、どうやったら「真実告知」は成功するかというパンフレットがあるそうです。僕は現物を見た事はありませんが、芹沢さんの本に引用されていて、家庭擁護促進協会大阪事務所というところから出ている「真実告知例解集」という本です。それによると「真実告知」には三つのステップがあるという事が書いてあるそうです。一番目は『私たちは、血のつながりはないけれども、親子なのだ』という事をまず事実として言わなければいけない。ここで重要なのはいかにも否定的な言い方をしてはいけないという事です。「実は私たちは本当の親ではないんだよ……」という否定的な言い方ではなくて、むしろ「親子なんだ」ということを言うところにポイントがある。二番目として「私たちは、あなたを選んだんだ」「あなたが気に入ったから選んだ」という事を言うわけですが、このときに気に入った理由言ってはいけない。一番かわいかたから選んだとか、一番利発そうだったから選んだとか、ー番元気だったから選んだとか、そういう条件・選択において気に入った理由言ってはいけない。そして三番目は「いま私たちは完全に満足している」という事を言う。この3つのステップを追う事によって「真実告知」のセレモニーが完結し、うまくいんだと。

子供存在100%肯定する

┗このパンフレット解説が教えている事は、真実告知は、親が子供存在を、子供がここにいるという事を100%トータルに肯定する、100%承認している、その事を示す事がポイントだという事です。子供にとっては、自分存在は与えられたものです。自分がこういうものとして存在する、自分はこういう髪の毛を持って、こういう顔をしている、こういう性格を持っている、こういう性的趣味を持っている、そういう事も含めてすべてが与えられたものです。ひとつ自分のせいではない。その事がこの真実告知の三つのステップの中で目指されている事です。

否定的な言い方をしてはいけないというのは「本当の親子ではないんだけど…」みたいな事を言うと、まるで血縁の親子のほうが本当はよくて、今の関係はそこから見ると少し格下だという事を言った事になってしまう。そういう事を言うと、子供がいま置かれている存在肯定された事にはならなくなってしまう。

特に興味深いのは、第二段階です。選んだ理由言ってはいけないというところがすごく面白いと思います。親が選択したのだけれども、その選択理由がないという事は、それが、空虚選択、実質のない選択だという事になります。例えば皆さんが洋服を選ぶときに、いろいろ理由があって選びます。一番安かったとか、一番デザインがよかったとか、そういうときには選択に実質があるように見えます選択するという事は、他でもありえたという留保が付いているという事です。理由がついているという事は、どういう場合に、他でありえたか、という事が明示的になるので、選択に実質があるように見えるわけです。それに対して、何の理由もなしに選んだと。「なぜその服を着てる?」「いや理由はない、とにかく選んだ」というのは、選択はしているかもしれないけれども、実質のない空虚ものに見えてくるわけです。しかし、ここでは、単に選んだから選んだ、気に入ったから選んだとしか言いようがない空虚選択であった、という事を子供に言わなくてはならない、と述べているわけです。もし逆に条件づきで選んだとしたらどういう事になるか、と考えてみましょう。例えば「あなたが一番賢そうに見えたから選んだのよ」と言うと、これはもちろんポジティブな言い方です。ポジティブな言い方だけれども、実は子供存在全面的ポジティブ承認した事にはならないんです。賢かったから選ばれたという事は、もし十分に賢くなければ選ばれなかったかもしれないという事を意味している。だから、条件づきで選ぶという事は、子供存在100%肯定した事にはならなくて、部分的しか肯定した事にならない。あなたが一番よい子だから選んだという事は、よい子でなかったら自分は選ばれなかったかもしれないという事を意味するわけです。賢かったり、よい子であるその限りでの自分が親に肯定されているだけだからです。今度は子供視点から物を考えてみたらどうなるか。親に言わせれば、選んだから選んだという言い方しかないわけです。子供立場からすると、この選ばれ方とは、その親の選択自分全然関係していないという事を意味しています。もしある養子が賢いから選ばれたとします。そうすると、親が最終的には選んだかもしれないけれども、自分が賢かったという性質が親の選択を方向づけた事になります自分が賢くなるように努力したとか、あるいはそんなふうに頑張っていたわけではないにしても、自分がそういう性質を持っていたという事が原因になって、親が選択した。親が理由ありの選択をするという事は、子供の側から見れば、その選択自分が少しは参加している、関係している、という事です。よい子だから選んだという事は、自分がよい子であろうとしてきた、あるいは現によい子であった、その理由によって選んでいるわけだから子供のほうもその選択に少しは参加しているという事になります。逆に、理由なしの選択場合はそうはいきません。ここでは子供のほうには何の原因もない。親のほうが全面的に選んでいる。だからこの場合は、子供は彼が選ばれる行為に、全然参加していないという事になるわけです。そうすると、一見したところでは、理由なしの選択であった場合よりも、理由ありで選択した場合の方が、良いような印象をもってしまます。つまり子供自由主体にする、選択主体責任ある主体にしていくという事が目標であれば、親が理由ありの選択をしたほうが有利なような印象を与えます。なぜかといえば、例えば「あなたが賢いから選んだんだよ」と言えば、それは、賢くあろうとする子供能動的な努力を誘発する事になるからです。でも、そもそも理由なしに選ばれたら、子供としては親に気こ入られるために頑張りようがない。つまり、このときに、子供能動性を引き出せないようにみえる。ですからちょっとあさはかに考えると、理由ありの選択をしたほうが、子供というのは自分自身で頑張り、自分で何かをやろうとし、責任のある主体になりやすい――そう考えたくなる。しかし、実際には逆であって、理由なしの選択のほうが成功すると、パンフレットは言っているし、また芹沢氏も言っている。

このあたり

んで自由からリバタリアニズムに繋がって、(話題としては)でマイケル・サンデルかに繋がってくんだけど、そこは各々、自分がしっくりくる主義をみつけて、違う主義もつひとと折り合いをつけながらやっていきましょーねが資本主義だと思ってるけど。

とりあえず自分主義を探ってみるところからはじめては?自分の考えを言語化できるようになると、仲間もみつけやすいし、仲間と話せば、あなたなりの答えがみつかるかもしれん。

有名ドコロだと東野真夏の方程式とか、「子供無罪」に振り切ってておお~と思った

2021-05-30

ポジティブになりたいなら本を探すよりスクワットをしてセロトニンを分泌しよう

コロナワクチンで落ちついてきたら「赦し」がテーマになりそう

ワクチン摂取が始まったし、効く事もわかってきて、日本では遅くても年末までにはだいぶ雰囲気が変わってると思う。

予測として「甘い」って言われるかもしれないが、仮にオリンピック開催となって、国内感性が再拡大しても、ワクチン摂取が同時進行なら、その後の緊急事態宣言1回で10月くらいには落ち着いて、一般摂取の2回目に雪崩れ込んでいくかな、ってぼんやり考えてる。

こんなチキンレースみたいなスケジュールで命がかかってる事をやる事自体は「そこまでしてする事か?」って思うけど。

で、落ち着いてきたら、ポジティブものネガティブものもいろんな感情が世の中に溢れ出ると思う。

我慢から解放されて、祝祭的な幸福感、楽しみを我慢しなくていいんだってムード

でも同時に「恨み」や「まだ苦しんでるのに取り残されたような寂しさ」も我慢の軛を解かれて溢れ出すんだろうなって思う。

真面目に我慢してる人がこれだけいるから、言っても緊急事態宣言機能したわけで、問題は「地味な我慢」「諦めた機会」に何の保証や報いもない事で、「ズルした人やギブアップした人から得をする」状況になってしまって一年

でもワクチンによって平穏が戻った後は大変そうで、「我慢した人」は「我慢しなかった人」の「あの時はまあ言っても飲んでたよね。それが合理的ってもんじゃん。」的イキり発言を聞かされ、「自粛警察みたいのいてキモかったよね」「人として醜さに引きました」的、「いや勝手にやっててグチグチいうお前らの方が悪いよ?」みたいな開き直りも出るだろう。

我慢しなかった人」は「我慢した人」から「お前らがノウノウと飲めたのはたくさんの人の我慢感染が溢れ返らなかったからズルできる隙がうまれたんだ」「それを使ったことを自慢したお前らは感染拡大やその間の死者に責任を負ってるぞ人殺しめ」的な攻撃を受けるだろう、こっちは多分ネットかな、そんな気がする。

二年に及ぼうとする長い我慢は確実に人の心を壊した。

本気で身内が死んだ人や自らが死線を彷徨った人は流石に無理だと思うし、そう望むべきでもないと思うけど、「我慢した人」は「我慢しなかった人」のちょっとのイキり発言を赦し、「我慢しなかった人」は「我慢した人」の恨み言を許して少し耳を傾ける必要があると思う。


追記

「もしコロナ後があったとして、それってみんながハッピーなのか」って思って想像してみた事を書いたら意外と伸びた。


気になったトラバブコメ


いや「つながり」じゃないか

有りそう。まさに断絶の後の事について考えてたから。

言ったら絆アゲインみたいな。

ただ「言葉が広がるケース」なら目新しいモノが強いんじゃ無いかって下世話な想像はある。


かい棘が刺さり続ける後遺症世界

なんとなく自分想像していた日常温度感に近い。

スゴい表現だなって思った。


老人が若者に赦しを求める

「求める」の仕方は問題になりそうだなって思った。

「みんなの貴重な2年を私たちの命の為に使ってくれた事に感謝言葉もない」という場合でも誰かが「はい、これで終わり!次々!」と言い出すと「多数派による少数派への赦しの強要」って構図になるかもなって。

こうなるとこじれる。


基準がないかうら恨み続ける

一理あると実感するところはある。

自分一時的だけどリモワできて、収入に大きな影響も無かった。

こんな立場でなくコロナを迎えたら耐えられなかっただろうと思う。

そう考えると「感謝幸運」について考えるけど、その事で「孤独と色々諦めざるを得なかったことに関する感情」を一生懸命整理している。

振り返えるための事実整理が「基準」になるとは思う


それ飲食店経営者に言えんの?

飲食店経営者にとっては「過度な自粛せず来店してくれた人」「自粛って点ではどうかと思うが店を利用してくれた人」こそ自分の苦境を救ってくれた人で、「地味に外食を控えた人」は「見えない人」だろう。

そこでネガティブ感情に火がついてしまうと「本気で苦しんだ人」と「見えなかった、相対的だとそれほどはないが苦しんだ人」の対立を「周りが煽る」という展開になりかねず、ちょっと地獄味あるかもって思う。


忘れる

ここら辺はトランプ現象にも通じる「忘れられる事への怒り」なのかなと思った。


社会的アプローチ必要

トランプの話でたから思い出したけど、バイデンも「癒し」をテーマ演説してて、いざ想像してみると「癒しから感じる匂いは甘くなくてほろ苦い


お互い様」的妥協

クリアカットにしていく事が全能ではないんじゃないかという思いはあり、ここら辺の「モヤモヤした明るくはない感情の中で犬かきする」様な妥協価値個人的には見直していきたい。


寿司がいい

いいね、お店で食べるお寿司もいいけど、駅前商店街から持ち帰るお寿司もいい

去年の今頃って。

ワクチンも無いのに、もっとみんなポジティブだったよね。

リモ飲みしようぜ!とか、居酒屋テイクアウトしよう!とか。

anond:20210530042254

こういうかんじがするなあ、程度の話

そもそも増田記事意味を読み違えてて草しか生えない

中二病ポジティブ意味合いで使われたことはない。 ケレン味とそれ以外も同じように使われない

そうですが?

記事ちゃんと読めよ

ネット絵師定義曖昧漫画家なのか、イラストレーターなのか、趣味絵描きなのかで違う。

普通ネット絵師イラレ系だと思うけど、通称わからんのだろうか

anond:20210530035202

独自研究か?

中二病ポジティブ意味合いで使われたことはない。

ケレン味とそれ以外も同じように使われない。

ネット絵師定義曖昧漫画家なのか、イラストレーターなのか、趣味絵描きなのかで違う。

2021-05-28

走り、始めた

醤油うす塩に変えた

っていう CM子供の頃は意味が分かっていなかった。

健康不安を覚えるようになって、やっぱ運動しなきゃなーって思う年になった。だから血圧も気にするようになって減塩を心がけるって文脈なのか。

こんなネガティブな話をそんなにポジティブかつ爽やかに表現するのすごいな。

まあそんなわけで走り始めた。醤油は変えていない。低血圧だし

みんなジェンダーレス勘違いしてる

性別と言うと、みんな生物学的な性を思い浮かべたので、社会的な性を前提としてジェンダーという言葉が生まれた。

ジェンダーは男女をはっきり区別するので、男女差別になりそうな場面やユニセックスの代わりとしてジェンダーレスという言葉が生まれた。

はじめジェンダーレスファッション業界言葉だったのです。

ちなみにユニクロはいまだにユニセックスという言葉が使われていて僕がレディースの服を思っていけばレディースだけどいいですか?と聞かれる。差別されてるとは思わないけど、めんどくさい。

(あ、でもおっぱいはないのでユニセックスでもいいのか。)

からジェンダーレスという言葉は"生物学的な性差を前提とした社会的文化的性差をなくそうとする考え方"ではないのです。

ジェンダーレスポジティブネガティブもないんです。

話題LGBT問題の要点は"結婚"です。

今でも手術をして戸籍性別を変えれば結婚できるのですが、これは生物学的な性の変更を強要するものです。

仮に、解決するならば生物学的にもジェンダーでも同性で結婚できるようにすれば彼らの問題解決します。

ジェンダーと言った時にLGBTは含まれていません。少数派です。

ジェンダーレス社会を見たとき、彼らは自身LGBTと言わなくて済むのです。

2021-05-27

これはフィクションです。


愚痴です。長文です。

オタク人間関係清算に関する吐き出しです。

もう半年上前ことなのに、自分のことが嫌いな私はたまに思い出しては自分を傷つけてしまう。

から気持ち言語化して人目に晒すことで過去出来事なんだと実感させて、あわよくばすっきりしたいという目的です。


Aさんとはオタク趣味出会った。

もう数年の付き合いになるはず。

サークル参加で、隣の席になってご挨拶したのが最初だった。

私はAさんの創作物が好きだった。

Aさん自体も良い人で、他人悪口相手が好きなものを下げるようなことは言わない人だった。

私たちジャンルが同じでも好みが全く違うことが多かったが不思議と話が弾んだ。

Aさんは活動を止めてしまったけど、ジャンルが変わったらお互いに布教したりして付き合いが続いていた。


私たちの今のジャンル公式供給頻度が低い。

Aさんは公式だけでは満足できなくなり、pixivを探し尽くし、ついに他人感想を求めてTwitterパブサをするようになった。


Twitter玉石混交だ。

そして玉を引ける確率はとても低い。

どうしようもない石に多く触れて、しか自分ではキャラクターの話をしなくなったAさんは、私の目からは少しずつ変わってしまったように思えた。


私が好きなキャラクター(Bとする)について、「B好きの人がTwitterで見当違いの感想を言っていた。これだからBのファン頭が悪いパブサする人のために配慮して発言するべき」と言ったり。

(確かにTwitterには公共性がある。

 ただ内容はどうあれリプライでもない純粋な「感想」のつぶやきに対して、こういう人もいるのかとか、腹立つ!ブロック!とか自己処理できないのならそもそもパブサしない方がいい)


Aさんが好きなキャラクター(Cとする)の話とBの話が、 公式から同時期に動きがあった時に「Bの話どうだった?私はCの話で胸がいっぱいだったから読んでないけど」と言ったり。

(後半は言わなくても良かった)


「Bは何考えてるのかよく分からない」と言うので、私はこう考えてると思うなぁと説明しようとすると「そんなことないよ!だってBは相手のこと全然考えてなくて~」ともはや悪口のような発言をしたり。

(それは苦手ではなくてかなり嫌いの域では)


一番堪えたのは「2.5のこと私はコスプレだと思ってるから」だ。

私の「この前の2.5のBがすごく良くて!」という感想を受けての返答だ。

ある意味では正しい。

コスプレとは、「漫画アニメゲームなどのキャラクターに扮装すること」だから

だが2.5が好きな人への発言としては、あまりポジティブ意味合いはないように思える。

好きで何度か鑑賞したことがあると聞いていたから驚いた。

そもそもコスプレをしている方にも、2.5の方にも失礼な言葉だ。

そっか、としか返事が出来なかった。


しかしたら。

見当違いのことを言うB好きがいると他のB好きに迷惑かかるよね、という気遣いだったのかもしれない。

公式からのBの供給に対する私の感想を単純に聞きたかったのかもしれない。

キャラクターへのマイナス感想って他人には言いづらいから、誰でもいいから吐き出したかったのかもしれない。

2.5じゃなくて原作の話してくれ、という気持ちが爆発したのかもしれない。


なんて前向きにこねくり回してはみたもののやっぱりそうは思えない。


人間関係は必ずどちらかが我慢している、というのを以前見かけたが全くその通りだと私は思っている。

そんなことないと思っている人は、相手我慢してくれているか、小さな鬱憤を処理するのがお互い上手なのだと思う。

別の個体である以上、摩擦を生まずに付き合うのは到底不可能な話だ。

そして別の人間からこそ、自分の好きなもの相手の嫌いなものということも多々ある。

逆もまた然りだ。

それ自体はどうしようもないことだし、理解を示すよう心掛けている。

だけど「あなたの好きなものが私は嫌いです」と直接伝える時、求めているのは理解ではなく許容なのではないかと思う。

私は許容できなかった。


今回の出来事複数の要因があったと思うが、大きく分けると二つの問題があった。

一つは、私が自分が傷付いたことについてAさんにその場で言わなかったこと。

そして、AさんがTwitterの透明な悪意に恐らく傷付いて発言の勢いが激しくなってしまたことだ。


前者は私の問題だ。

冒頭にも書いた通り私は私が嫌いなので、私が傷付いていることにひどく鈍感だ。

なのでその場では愛想笑いで流すものの数日間くらい相手発言を反芻してもやもやし、数週間後にもしかして自分は傷ついていたのかと思いつく。

その場で怒りを発生させることができない。

随分前のできごとなので、これはもう私が飲み込むしかない。


後者は、私もも大人なので相手を変えることはできないと知っている。

根本は好きなキャラクター供給不足から発生している問題なので、

Twitter感想以上の何かを私がAさんに与えることはできないし、する義理もない。

パブサを止めたらどうか、と言うことは簡単だが実現させるのは難しいと思う。

石は不味いかもしれないが空腹は凌げる。


まあ結局は、積もり積もった鬱憤が爆発するきっかけだったにすぎない。

Aさんは良い人だったけど摩擦を生まない人間関係はないので、私もAさんを傷付けてきたしAさんも私を傷付けてきたのだと思う。

知らない内に小さな傷が無数についていて、たまたま今回の出来事最後の一撃になってしまっただけ。

ただ一つ、私の好きなものを嫌いだという言葉で、私を傷つけていないとAさんが思っているのなら悲しい。

相手配慮のできていたかつてのAさんとはこれからも仲良くできたら嬉しかった。

心の底から勝手な話なので悲しいも嬉しいもないが。


これは愚痴であり、清算のための振り返りなのでどうすれば良かったかなんてことは、あったかもしれないけど既にない。

もう二度と会うことはないだろう。

俺のボディポジティブセルフネグレクト扱いするな

俺は確固たる信念をもって中学ときに親が買ってきた服を着てるし、寝癖のまま外に出てるし、可能な限りサンダルパンで行動してるんだ

それをセルフネグレクト扱いされちゃあ、たまらない

見た目に気をつかう気力がないんじゃない

見た目なんかに気をつかってやるか!という意志の炎をメラメラ燃やしてんだよ

俺はチューリヒ空港を短パンサンダルでうろついたことがあるぞ

毛並みを整えることなんてネコでもできる

そんなところに俺は気をつかわねー

いくらでも気持ち悪がるがいい ノーダメージや

そういう心で生きてるんだ

同情するフリして消毒しようとすんじゃねえ

俺は毒のままでいてやるぞ

2021-05-23

東京五輪中止時の賠償額はリスク釣り合っているか考察してみた

海外から来るのは選手のみだと15000くらい。関係者含めて約10万人だっけ?なんて考えてたら以下の記事を見かけたのでそれをもとに考察してみたい。考察を行うにいくつかの記事を眺めリンクで示したが、素人の概算なので正確性はなにも担保しない。自分で考えて。

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000216513.html

ちなみに筆者の結論を先に書くと、下記の最低賠償額1600億円を払うくらいなら条件付きで開催すれば良いという結論になりました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b9077c3316e38166d8ae9127cbc6756e43dc972a

選手のみ 15000人の場合

選手のみで考えると、選手村を設置する晴海フラッグから感染が広がっても地理的隔離されているし、バブル方式に嫌気が差して脱走して飲みに出かける選手がいるとしても、入国時には6割がなんらかのワクチンを接種済みらしいので大事にはならないだろう。行動制限も厳しい。

医療の逼迫を懸念するほどでもなく、誤差程度のリスクに落ち着きそうだ。開催してもよいと感じる。

選手+IOC関係者 20000人の場合

以下の記事によるとIOC関係者は上等なホテルを貸し切るみたいだが、収容人数を考えると6000から7000人程度だろうか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7dedcc43442d7dcdae859627838a167bc68e2a9d

IOC関係者選手と同様にどうせワクチン摂取しているだろう。選手より接種率が高くても驚かない。

こちももともとオリンピックに反対している人を除いて、無観客での開催なら賛成が多そうな誤差程度のリスクに落ち着きそうだ。

マスコミのみ 30000 人の場合

宿泊組織委員会提供するホテルを強く推奨しつつも、自分で手配したホテルでも可能

移動:最初の14日間は公共交通機関使用不可。14日以降は使用可能

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000216513.html

ロイター記者の件を鑑みるにこいつら一番の厄ネタでは。

他の属性に比べ最もワクチンの接種率が低そうだし倫理観が低そう(偏見)。

人に会うことが仕事なところがあるので、選手向けだけではなくより厳しい行動制限を科してほしい。

残りの50000 人

スポンサーIOC関係者なのか別枠なのか。もし別枠としても、世界中のいわゆる上級国民なのでワクチン接種率は高そう。

また、50000人の内訳としてそれぞれの代表団のサポートチームがメインと考えると、こちらも選手と同じ接種率は6割か、それより少し落ちる程度だろうか。

競技に伴う移動はあれど、業務的に選手に準じた行動をすると思われるので受け入れリスクは低いだろう。

似たような接種率の地域と比べ見てる

この記事を書いている 5/23 時点で人口10前後で接種率が4-6割前後地域を調べてみた。

ジャージー島

人口10万人。イギリス本島の100マイル南にあるらしい。

必要回数のワクチン接種が完了した割合は41.1%(5/23確認時点)

もともと感染者数が増えていなかったのもあり、おおよそ鎮圧成功している。ここ最近感染者数は1人/日。

アストラゼネカワクチン使用しているらしい。

https://www.gov.je/Health/Coronavirus/Pages/CoronavirusCases.aspx

アルバ

人口10万人。中南米にあるらしい。

ワクチン接種率の上昇に伴い、おおよそコロナ鎮圧しつつある。ここ最近感染者数は9人/日。

必要回数のワクチン接種が完了した割合は38.2%(5/23確認時点)

フランスから運ばれたワクチンらしく、 google によると biontech と Pfizer 製ということなのでいわゆるファイザーmRNA ワクチンみたい。

https://www.afklcargo.com/JP/ja/local/news/aruba_vaccines.jsp

https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/countries-and-territories/aruba/

セーシェル

人口約13万人。アフリカにあってアストラゼネカ製のワクチン使用している。ここ最近感染者数は178人/日。

必要回数のワクチン接種が完了した割合は63%(5/23確認時点)

接種後に増えたというニュースがあった。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-05-10/QSWCFGDWRGG101

現在新規感染者数が減少してロックダウンは終わっている。

上記感染数が急増したピーク時から一週間で44%まで新規感染者数が低下したようだ。今後の推移がどうなるか。

変異株どうこうよりちゃん免疫がつく前にはしゃいじゃったんだろうか。

https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/countries-and-territories/seychelles/

忘れちゃいけないボランティア

国内から8-10人参加するらしい。

数字だけ聞くとまじかよ……ってなるけど、通勤で隣県から東京流入する人口は一日あたり270万人くらい。通勤やばい

東京人口1400万人との比率から感染拡大がひどかった今年1月の2400人/日を基準に考えると最悪で一日170人の上積みが予想される。

上記は最悪の事態を想定したが、とはいえボランティア人口比率的にもほとんど東京近郊からの参加に思われる。

その場合トレンドが変わることはなさそうなので、ボランティア参加者積極的に連日飲み会に繰り出さないと感染者数の上積みはほぼ無いだろう。

まって!追加の開催費用コストじゃないの?

開催にあったってコロナ対策の追加費用いくら掛かるかといった点も気に掛かる人が多いと思うが、請け負うのは基本国企業なのだからお金が消えるわけでもなく、公共事業としてばらまけばいいのではと思っている。

ただでさえ経済が縮小している中で、個人給付よりよっぽど関連企業で働く人達への慈雨になるだろう。

国よりも民間のほうがお金を持っているし、お金は動かさなければ意味がないのだ。

どれくらいなら許容できそう?

観客入れても大丈夫なんじゃね?って検討バブル方式なりで選手の移動を制限することと、世界的なワクチン接種率の向上を見越したやり取りなんだろう。

もし観客を入れるにしても流石にワクチンパスポート必須になるだろうし。

選手+大会関係者 70000人

個人的にはマスコミ除く 70000 人は中止の損害賠償にかかるという最低1600億円と比べると十分にリスクが低そうに見える。

海外マスコミ 30000 人

ワクチン摂取必須ならともかく、入国許可するならもっと行動制限を行うべきだ。選手たちよりもゆるいとか何やねん。ロイター場合記者感染発覚後にクビにしたか関係ないとか言ってるから信用はない。外電買えばいいじゃん。

国内からの観客 + ボランティア 100000+

ボランティアと観客として国内ワクチン二回接種済みの高齢者なりがいくらか参加するとしても、ボランティアと観客を足して、そのグループにおける会場でのワクチン接種者の比率が7割あれば集団免疫を獲得しているのとあまり変わらないのではないか。しらんけど。

今年は長梅雨になりそうだから緊急事態宣言と併せて開催時までに感染者数は落ち着いているだろう。

具体的に言うとステージ1なら観客OKにして大金を使ってほしい。3以上なら国内からは無観客。

海外からの観客

開催までにはいくつかコロナ清浄国が誕生していそうだからそこからならいいんじゃない?ワクチン接種は必須で。

最後

梅雨入りが早かったことで開催に携わる人達はだいぶ希望的観測を持ってあれこれ観測気球をあげてそうだが、開催方法に何段階かあるにしても現状では開かない理由は無いだろう。

梅雨のおかげで人手が減り、延長した緊急事態宣言あいまって感染者数もかなり減ることが期待されるし、おそらく一ヶ月後には国民感情ポジティブな方にだいぶ変化があらわれているんじゃないだろうか。

世界中開催国リスクをまざまざと見せつけたIOC近代オリンピックトドメを差すであろう場所東京になるとは夢にも思わなかったが、30年もすれば「その昔、世界中の国々が集まっていろんなスポーツ勝負を決める大会があったんだよ…」とオリンピックを知らない世代に語ったりできるように生き延びたいと思う。

皆様もご安全に。

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