2016-09-10

僕はアレが小さい。

アレとは、アレだ。

アレのことと思わせておいて、別のものだ、というけちな叙述トリックは使わない。

アレとは、男性諸氏がみな持っているアレだ。

僕のアレは、子どもだ。

一般の男が松茸としたら、僕のアレは、ふきのとうだ。

一般の男がホームランバーだとしたら、僕のアレは、ボンボンアイスの抜け殻だ。

子どもの頃から成長することなく、このままになってしまった。当の子ども時分は、「大きくなったら、大きくなるんだ」と淡い期待に胸を膨らませていた。アレは膨らまなかった。

幸い、元気なときには平均サイズ弱になる。その時ばかりは、僕も大人だ、と背伸びをするかのようだ。実際伸びた。

しかし、ひとたび消沈すれば、あっという間に化けの皮が剥がれる。皮には包まれた。

中学修学旅行ではこの大きさをからかわれ、以降、大浴場に入ることができなくなった。

高校修学旅行では部屋付のお風呂に入浴だったから助かった。

十余年経ってようやく、誰も知り合いがいない場所か、心を許せる親友たちとならば大浴場に入れるようになった。それでも、移動時は常に前を隠すし、湯船に入る時もギリギリまでタオルを使う。

しかし、そこまででない知り合いがいる場所では未だに無理だ。他の友人や会社の同僚達から旅行に誘われることもあるが、何かと理由をつけて断ってきた。

アレの大きさは、自信の大きさに直結すると思う。

大浴場で堂々としてる人は、大体ご立派だ。揺るぎない自信があるのだろう。

僕は自信までも小さい。

直接的な比較はできないが、女性の胸部に対する感覚も似たようなものだろうか。

男と違って、着衣でも大きさがわかってしま状態は辛いと思う。

着衣状態でも男のアレの大きさがわかってしま世界想像したら、死にたくなる。

さら大きくなることは期待できない。このまま小さいアレと共に生涯を終えるのだろう。それが運命なら受け入れるまでだ。

けれども、願わくば、アレが大きい身体に生まれたかった。

僕はアレが小さい。

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