アレとは、アレだ。
アレのことと思わせておいて、別のものだ、というけちな叙述トリックは使わない。
アレとは、男性諸氏がみな持っているアレだ。
僕のアレは、子どもだ。
一般の男がホームランバーだとしたら、僕のアレは、ボンボンアイスの抜け殻だ。
子どもの頃から成長することなく、このままになってしまった。当の子ども時分は、「大きくなったら、大きくなるんだ」と淡い期待に胸を膨らませていた。アレは膨らまなかった。
幸い、元気なときには平均サイズ弱になる。その時ばかりは、僕も大人だ、と背伸びをするかのようだ。実際伸びた。
しかし、ひとたび消沈すれば、あっという間に化けの皮が剥がれる。皮には包まれた。
中学の修学旅行ではこの大きさをからかわれ、以降、大浴場に入ることができなくなった。
十余年経ってようやく、誰も知り合いがいない場所か、心を許せる親友たちとならば大浴場に入れるようになった。それでも、移動時は常に前を隠すし、湯船に入る時もギリギリまでタオルを使う。
しかし、そこまででない知り合いがいる場所では未だに無理だ。他の友人や会社の同僚達から旅行に誘われることもあるが、何かと理由をつけて断ってきた。
アレの大きさは、自信の大きさに直結すると思う。
大浴場で堂々としてる人は、大体ご立派だ。揺るぎない自信があるのだろう。
僕は自信までも小さい。
直接的な比較はできないが、女性の胸部に対する感覚も似たようなものだろうか。
男と違って、着衣でも大きさがわかってしまう状態は辛いと思う。
着衣状態でも男のアレの大きさがわかってしまう世界を想像したら、死にたくなる。
今さら大きくなることは期待できない。このまま小さいアレと共に生涯を終えるのだろう。それが運命なら受け入れるまでだ。
僕はアレが小さい。