はてなキーワード: フラワーとは
そりゃそうよ。裁判起こして、負けたら当然「フラワーデモ」やるに決まってる。
本も書くかもな。「Black Box」だっけか。
「女性はAED使用時の接触・露出について訴えてくるかもしれない」問題。
はっきり言ってこれまでの過激な女性たちの行いと、それが作り上げた規範が浸透した結果でしょ。
もうね、男性の中には染みついてるんよ。「うかつに、知らない女性に近寄るのは危険だ」って規範が。
#metooもそう。いつまでたっても具体的定義の定まらない「セクハラ」概念もそう。
どんどん中身が増えていく「性的被害」だの「女性差別」もそう。
SNSでは女性から暴言を投げつけて、返信帰ってきたら「女性への誹謗中傷、差別」ってことも日常茶飯事。
「ペンス・ルール」「ハラミ会」なんてのもあったけど、このAEDの件もその延長でしかない。
調子に乗りすぎたんですわ。
アンバー・ハードの件も記憶に新しいし、要は信用されてないんですわ。
この現状に対して、「なんで男はAED使わないのだ!」とか「見殺しだ!」とわめいたってしょうがない。
言い換えるなら、良心を向けるべき対象として認知されてないんだから
大体、人に何かをしてもらおうってのに、高圧的に責め立てるなんてどういうつもりなんだ?
え?すべての女性がアンバー・ハードみたいなやつじゃないって?私は何もしてないって?
嘘つけよ。今まで性犯罪者じゃない男性たちにやってきたことを思い出せよ。
女性専用車両を一度たりとも利用したことない者、賛同したことすらない者だけがモノを言い給え。
とはいえ私も鬼じゃない。どうすればいいか、その解決方法を教えよう。
簡単なことだ。頭を下げてお願いするんだよ。
「AEDが絡む救助案件では決して訴えません」と示すんだよ。もっと具体的には、女性の側から「良きサマリア人の法」制定を訴えるんだよ。
デモもやったらいい。「フラワーデモ」なんてのをずっとやったり、「コンビニ本がなくなった記念デモ」なんてのをやろうとしてた行動力があったらできるだろ。
「男性を敵視していない」「男性にも助けてほしい」ということを、行動で示すんだよ。
それができなきゃ、まぁ状況は変わらないね。
LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚を批判する議論はあります。ぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます。
まずゲイ男性の同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的な交流・交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定の相手との排他的な関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターンを自分たちが創り上げた独自のライフスタイル(ゲイ・ライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自の文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。
もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代のヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています。
もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的な制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアン・フェミニスト的な立場の人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たちが模倣するなんて…という抵抗感もありました。
そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイやレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体が自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですから、さらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合、ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利を自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。
こういう流れを一変させたのが、80年代のAIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVとAIDSは、発症の抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地のひとつとなった米国のゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市のコミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまり「パートナーの医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱な立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。
結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもあります。AIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験と想像をゲイ/レズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピックが海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由で享楽的なゲイ・ライフ」という夢の先にある、生活者としての現実をシリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが、自分は後者だと思います。
AIDSパニック以後、ゲイ/レズビアン・アクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護のニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者と法曹支援者が同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙な葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージ・チョーンシーの『同性婚 ゲイの権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。
というわけで、実は元増田の意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアン/ゲイコミュニティでの典型的な同性婚批判のロジックとしっかり符合してるからです。
これは上でも書いた「異性愛前提の制度を模倣・従属すべきでない」という声。
それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい
それが多様性だろ
これは「既存の結婚制度に縛られない、よりフラットな意味合いの法律関係(シビルユニオンやPACSやパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線で運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります。
「恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義やロマンティック・ラブ・イデオロギーの模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイの歴史学者で「自分は同性婚が法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動が当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認の象徴なんですよね。その関係を行政が公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います。
元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利と社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアン/ゲイコミュニティだと思います。
⚫︎ブデホル(吸入喘息薬)
⚫︎ビオスリーHi錠(整腸剤)
⚫︎ビタミンD
⚫︎バコパ
⚫︎エゾウコギ
⚫︎NOW True Focus(ビタミン、アミノ酸、DMAE、イチョウ葉、CoQ10等)
⚫︎ヤクルト1000
⚫︎ハーブティー
メンタルクリニック忌避して自力治療しようと鬱、不安に効くと云われる漢方薬、ハーブ系サプリ(セントジョーンズワート、バレリアン、パッションフラワー、レモンバーム、アシュワガンダ、ロディオラ、リローラなど)、ガンマオリザノール、SAM-e色々試したけど休職と処方薬キメるのが一番効く。あと散歩
今は楽しくやってます。
ということで、去年anond:20210307134831を書いたヘボトレーナーです。
現在、競技場はクラス6、チームランクはS1に到達しました。チャンミの最高はゴールドです(サジタリウス杯、ピスケス杯、アリエス杯でB決勝優勝)。直接的な課金額はハニバで5千円、自分の誕生日に1万円、アニバで1万円くらい(うまよんのブルーレイとかシングレとか原作とかに払った金額は含んでません。原作の推しはレイパパレとメイケイエール。京王杯スプリングカップとヴィクトリアマイルで推しの出走が続いて自分の中ではお祭り騒ぎです)。
ウマ娘、「コンテンツは好きだけどゲームが辛い」の声に「艦これと同じ道か」の声というまとめとそのブコメを見て、つらいという人の気持ちもわかるけど、自分は楽しくやってるよっていう増田を書きたくなりました(つらいという気持ちを否定するつもりはないです。自分もしょっちゅうイライラしたりしてますし。あくまでこれはお気持ち表明です)。
ウマ娘が初ソシャゲで、右も左も分からなかったのと、廃課金勢やランカーは別世界に住んでる人たちだと認識してたので、トップを目指そうという気持ちはハナから持ってませんでした。
ただ、それはそれとして行ける範囲で上を目指したいというお気持ちもあったので、とにかく少しでも進歩できたら嬉しい! というのをモチベにしてやってます。そのキャラの最高評価点を更新できたとか、競技場のランクが上がったとか、チャンミや競技場での勝率が上がったとか、そういうのがモチベーションの源泉です。
たとえば競技場だと、昔はクラス4からクラス5にたまに上がってすぐに叩き落される感じだったのが、クラス5を維持できるようになり、たまにクラス6に上がれる(&ボコボコにされて降級する)ようになって、そしてクラス6で安定して勝てるようになった、みたいな感じで徐々に進歩してるのを感じてます。クラス6への昇級点と維持点のあいだは10万ポイントくらい開いていて、クラス6下位だと全勝しても降級が普通で、これまで維持できたことはないんですが、今週初めて維持圏に入れました。もっとも週の後半には降級圏に落ちて、このままだとまた降級するんですけど、それでも一時的にではあれ維持圏に手が届いたこと自体が進歩の証なので嬉しくなっちゃいます。次は維持を目指すぞ~!
ヘボトレーナーなので、アオハル杯以前は頑張ってA+を育成するのがやっとだったんですが、MNTが導入されてからはSも取れるようになり、セイウンスカイとウオッカはたまたますごい上振れしてS+に到達しました。プレイアブルキャラのうち56人を入手し、うちSランクに到達したのが25人です(別衣装は別人としてカウント)。デイリー育成は何度も育成してる好きな子をさらに育成したり、まだ低い評価点のままの子の最高評価点更新にチャレンジしたり、あるいは競技場で弱いチームを強化したりしてます。気分によって、今日はセイウンスカイやキタサンブラックみたいな推しに癒やされるか~、とか、今日はまだS取れてないメジロマックイーンのSランクを目指すか~、とか(昨日は結局A+でした)、今日は短距離チームの強化するか~(なかなか短距離逃げがうまく育成できず苦しみましたが、こないだようやくSランクで芝S短距離Sのバレンタイン衣装ミホノブルボンができました)、とか、目標を気まぐれに決めてる感じです。
これはそう(真顔)。
チャンミでの惨敗が続くとまあ心折られますよね。自分より明らかに格上のウマ娘ばかりで、もう出バ表が発表された瞬間に惨敗を確信するやつ。もちろん微課金勢の自分がボロ負けするのは当然ではあるんですが、いざ負けてみると結構メンタルに来るものがあるというか。
増田の場合、グループBで負けまくる→グループBでそこそこ勝てるようになる→グループAで負けまくる、みたいな感じで、進歩した結果として惨敗続きモードに入っているので、喜んでいいのか悲しんでいいのかわからない感じです。……普通にグループBの方がよくない? いや、SSランクやUGランクがゴロゴロ棲息してるグループAとかいう魔窟だと1勝するのが精一杯なので、下手すると決勝進出を逃す可能性があるから、毎回1勝するまでは心臓バクバクなんですよ(グループBなら確実に決勝進出できるのでまったく心労はない)。ただ、グループAに進出できているということは、理論上はA決勝進出のチャンスがあるということなので、A決勝進出目指して頑張ろうと思います。
それにしても、グループAでの1勝とグループBでの1勝が同じB決勝なの、なんか納得いかないので、グループAで3勝以上のA決勝、グループAで1・2勝あるいはグループBで3勝以上のB決勝、グループA進出あるいはグループBで1・2勝のC決勝、くらいに分けてほしい感があります。
レジェンドレースは楽しみです。なぜならピースがもらえる以外に、色んなキャラ同士の対戦を組んでカプ厨的に楽しむことができるからです。
たとえば今やってるレジェンドレースだと、メジロマックイーンにハロウィン衣装ライスシャワー(バンパイアの衣装なのでオタクからは晩飯と呼ばれている)をぶつけたり、ライスシャワーにミホノブルボンやメジロマックイーンをぶつけたり、みたいなライバル対決で楽しんでますし、レース前に二人がにらみ合う構図の画面は必ずスクショ撮ってます。フヒヒ……ブルボンがライスちゃんを睨みつけてる……ライスちゃんは余裕の目線で見下ろしてる……かわいいね……でも一番人気はブルボンの方なんだけどね……
シナリオイベントは、フジキセキ相手にイケメンムーブするセイウンスカイとか(フラワーの脳が破壊される~)、またしても株を上げるキングヘイローとか、そういういろんなお話が見れて楽しいですね。あ、鬼ゴルシちゃんモードは突破できなかったです……長距離で差しなら出遅れの不利をある程度挽回できるのではと思ったけどそんなことなかったよ……
ただしレーシングカーニバル、テメーはダメだ。期間限定イベントに継承を入れられると、結局イベント期間中に良因子が出るか否かの運ゲーでしかなくなり、良因子を引けなかったとしたらショボい因子で継承させざるを得ないし、仮に良因子を引けたとしてもその良因子を使い回すことになるからただの脳死周回ゲーに成り下がってる上に、レース勝利でピースもらえるのが確定じゃないというね(結局こないだはピース全部回収できなかった)。まあ、博打が好きな人は楽しめるかもしれないけど、少なくとも増田はギャンブルが好きじゃないのでノーサンキューですわ。レーシングカーニバルについてはこの通り仕様がクソすぎるので2回目は真面目にやってないです。報酬が微妙だからサボっても問題ないっちゃないけど。
MNT、シナリオに縛られず自由な育成ができるようになり、また色々なキャラ同士の絡みエピソードが追加されたのは長所なんですが、温泉に行けなくなったのが短所ですね……。いちおう新しく手に入れたキャラの初回育成はストーリー読むためにアオハル杯でやることにしてるんですが、2回目以降はMNTのため、ほぼ温泉行けるチャンスがなくなっちゃった……温泉旅行確定ボールかなにかをショップで売ってクレメンス……
みんなアイネスフウジンは引けたかな? 僕は21連目で引けたよHAHAHAHAHA!
アイネスフウジンPU発表直後から「借金をしてでもアイネスフウジンをガチャで引いてやりたい」「推しキャラをピックアップガチャで一発ツモするのが夢です、自信はあります」などと言ってたわけですが、無事に初日にお迎えできて一安心なの!
球形は安定と不安定のどちらも兼ね備えている。
愛しいルマンド。
そうだろう? ルマンド。
その華やかな、大地の一滴の透明な、すなわち球形。
そうしてどこまでも転がって、我々は球形に酔い痴れる。
誰向けでもない
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Wikipediaで真珠湾攻撃の記事を読むと、昔の日本人は無能だったことが分かります。
失敗は他人のせいにして、誰も責任を取らない姿勢は今も昔も変わりがないでしょうか?とても残念です。
https://anond.hatelabo.jp/20220319102718
「リメンバー・パールハーバー」というのは単に「真珠湾を思い出せ」というだけの意味ではなく、人類史上最悪の戦争犯罪である原爆投下を正当化するための合言葉なんだよな。これもまた「犬笛」なんだよ。だから日本人は怒ってるわけ。
東郷から駐米大使の野村吉三郎宛に、パープル暗号により暗号化された電報「昭和16年12月6日東郷大臣発野村大使宛公電第九〇一号」は、現地時間12月6日午前中に大使館に届けられた。
「帝国政府ノ対米通牒覚書」は現地時間午後2時20分に特命全権大使の来栖三郎と大使の野村吉三郎より、国務省において国務長官のコーデル・ハルに手交された。
宣戦布告の通知書を相手国に届けるのが遅れてしまい、結果的に奇襲攻撃になってしまいました。
事前に宣戦布告ができなかったので、日本はただの卑怯者になりました。
一事が万事。計画が杜撰だったので最初から失敗。日本が負けるべくして負けた戦争でした。
肝心なところで失敗するのは、やはり頭が悪いからという他ありません。大変残念なことです。
1994年11月20日に外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開した。
この調査などに基づく通説では、6日夜に大使館員が南アメリカへ転勤する寺崎英成の送別会をメイフラワー・ホテルの中国料理店で行っていたこと、奥村が送別会後も大使館に戻って浄書を行わず知人の家にトランプをしに行っていたこと、奥村の英訳親書の浄書・タイプが遅れたこと、14分割目に「大至急」の指示が付されておらず「帝国政府ノ対米通牒覚書」[257]本文の続きであることがわからなかったことなどが原因であるとされている。(この外務省調査は本来行うべき外務省からの発信時刻を調査対象から外しており、その点に大野は疑念を呈している。)
このような大使館のミスによる失態であるとの通説に対して、奥村とともに責任を問われることがある大使館総括参事官の井口貞夫は生前に「自分の管掌事務ではなく、この対米通告が宣戦布告だとは承知していなかった」と主張していた。
またその息子である井口武夫元ニュージーランド大使も、彼自身の調査研究の結果として外務省本省が負うべき落度を現地大使館に責任転嫁しているとして、奥村書記官を含めて大使館側に失態はなかったと主張している。
真珠湾攻撃の2日後の12月9日には、ポートランドのオレゴニアン紙で、アラモの戦いでのスローガン「Remember the Alamo!(アラモを忘れるな)」を改題した「REMEMBER PEARL HARBOR!(真珠湾を忘れるな)」とのフレーズが早くも登場している。
ルーズベルトが汚名演説で、日本の行為を「恥知らずな蛮行」や「背信行為」と激しく非難するなど、アメリカ政府が真珠湾攻撃を「だまし討ち」と喧伝することによってアメリカ国民の愛国心はさらに高まることとなり、「REMEMBER PEARL HARBOR!」というフレーズはたちまちアメリカ全土を席巻する国民的スローガンとなった。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、アメリカの議会で「真珠湾攻撃を思い出せ」と訴えています。
日本人は、過去の失敗から教訓を得て、同じ失敗を繰り返さないよう賢明になるしかありません。
しかし、アメリカが広島と長崎に原爆を落として、大量の非戦闘員を殺したのは戦争犯罪です。
「REMEMBER PEARL HARBOR!」は「REMEMBER HIROSHIMA!」「REMEMBER NAGASAKI!」とセットで覚えておくべきです。
アメリカが日本に原爆を使ったのは戦争犯罪であるのと同様に、ロシアがウクライナに原爆を使うのは戦争犯罪なのでやめるべきだとゼレンスキーは日本の国会で主張するべきでしょう。
日本の国会における演説では、日本人向けに「核兵器の使用は戦争犯罪である」「核兵器を所持する者、核兵器を使用する者は人類の敵である」と明確に主張してください。
私は多分政治イデオロギーはリベラル・左寄りで、フェミニスト寄りの人間だと思う。
ここ10年くらい地方および国政選挙で自民・公明・維新には投票していないし、夫婦別姓や同性婚に関しては大賛成だし(むしろ反対してる人の知性と良識を疑うレベル)、110年間性犯罪に関する刑法が改正されなかった・そして今なお暴行脅迫要件の撤廃がなされていない日本まじやべえと思っているので。
そんな私にとって野党統一候補として衆院選に出馬し見事当選した米山議員と、フェミニストとして女性の支援活動に尽力して来た仁藤氏の言い争いは、あまり見たいものではない。
客観的に見て、登場人物の全員、言い分は正しく、そして少しずつ非があるなと感じている。
米山議員…ご本人も認めておられるが、「余裕のある人の趣味」という言葉選びが拙過ぎた。
環境問題でもジェンダー問題でも、人間が死んだり苦しんだりしている。
日本でも百年に一度クラスの豪雨が毎年のように降って各地で災害が起きている。
灘から東大理IIIに行き、医学部在学中に司法試験もパスし、ハーバード大学の附属病院に勤務していたという、漫画のキャラでもいないような経歴の、医師であり弁護士であり国会議員でもある圧倒的な社会的強者かつ公人としては、それがたとえ有権者がそう思ってるよという文脈であっても、自身の特権性を鑑みれば、言うべきではない単語だった。
だがTwitterというツールは140文字というシビアな文字数制限があるゆえに、万人に理解し易い誤解の余地のない文章を書くのはほぼ不可能なので、そこは考慮する必要があると思う。
また買春の件に関しては今回の衆院選の結果を見る限り、新潟県知事を辞任したことで一応の責任は果たしたと判断した有権者が多かったということなのかなと思う。
個人的に思うのは、米山議員が買っていた女子大生は文春報道によれば東京の名門私立大学の学生で、売春していた内の一人は米山議員を「良いお客さんだった」とすら言っていたので、仁藤氏が支援しているような女の子達とは毛色が違うように感じている。
パパ活おじさんはキモいけど、学費が払えない等のやむにやまれぬ理由がなくてもパパ活をする女の子は、素敵な奥様がいても浮気するおじさんと同程度、世の中に普通に存在しているし、そういう子達は“被害者”ではないように思う。
仁藤氏…夜の街を徘徊せざるを得ない複雑な事情を抱えた十代の女の子達の支援活動を行っている氏にとって、氏の活動やフラワーデモなどに寄り添ってくれていた池内さおり氏や尾辻かな子氏が落選し、パパ活おじさん(文春の報道によれば複数の女子大生と関係を持ち同時進行もあったと書かれていたのでご本人は真剣な恋愛相手を探していたと主張していたけれど以下略)が当選するという衆院選の結果は最悪以外の表現が出来ないものだっただろう。
欧米だったら学生の女の子を買春して引責辞任したおじさんが公職に戻れるなんてまずあり得ないだろう。
でも米山議員が説明していたように、米山議員をゴキブリ以下の存在だと思っているのが丸出しで、議論の余地が全くなかったように思うので、ブロックされても仕方なかったように思う。
室井氏…仁藤氏は「米山議員にはもう室井さんという素敵な奥様がいるのだからもう二度とパパ活なんてしないだろう」という米山議員擁護者に対し、「どんなに素敵な奥様がいようともパパ活するおじさんは沢山いるし(佐々木希でも浮気される世の中だからね)、そもそも妻は夫の性欲処理機じゃない」と一般論で反論を行った。
それに対して室井氏が「性欲処理機っていうのは自分のことか?!」と言い出すのはシンプルに誤読だと思う。
「妻は夫の性欲処理機じゃない」という仁藤氏の弁は、「妻が嫌な時は夫のSEXの求めに応じる必要はない」というだけの意味だ。
つまり仁藤氏は「室井氏は米山議員の性欲処理機だ!」とは言っていない。
むしろ逆で「室井氏は米山議員の性欲処理機ではない」と言っている。
しかしこの言葉は言い換えると「室井氏がいようがいまいが、米山議員は今後も何か機会があればパパ活をするだろう」という意味なので、米山議員への侮辱に等しく、米山議員の妻である室井氏にとっても不愉快極まりない言葉であると思うので、傷付いた!と感じるのは当然だと思う。
全員の気持ちが理解出来るし、全員の言い分が正当だし、全員に悪い所がある。
今後どうしたら解決するのか考えてたんだけど、世の中「話せば解る!」なんてことはないので、米山議員が国会で環境問題およびジェンダー問題について尽力し、国政で結果を出すしかないように思う。
月並みな言葉だけど、失った信用を取り戻すのは時間が掛かるので、それまではどうしたって逆風はあるよね。
弁護士である米山議員には釈迦に説法だけど、110年間変わっていなかった性犯罪周りの刑法が改正されたけど依然として実態に即していない部分が多いです。
暴行脅迫要件が撤廃されない限り今後も不当な無罪判決が出て、泣き寝入りを強いられる性犯罪被害者が後を絶たないと思われます。
弁護士である強みを遺憾なく発揮して、正しい方向に変えて行って欲しい。
同時に、こちらも医師である米山議員には以下略だけど、他の先進国と比較して日本人女性のリプロダクティブヘルスは蔑ろにされています。
緊急避妊薬のOTC化や安全な中絶方法などが日本では認められていません。
国会議員の中でも米山議員ほど優秀な人ってあんまりいないと思うので、どうか頑張っていただきたいです。
そうすればTwitterでいちいち誰かを言い負かさなくても、自動的にフェミニストからも拍手喝采される政治家になるし、室井氏や新潟5区の有権者の方々の審美眼の正しさも日本中に証明出来ると思います。