はてなキーワード: サマリア人とは
もし女性にAEDをして、そこで胸を触ってしまったと思われて、訴訟されたら?
——… 通りすがりの男性が、それを恐れて倒れてる女性を究明しようとしない話。
究明に最善を尽くしたなら、民事訴訟されても無罪になるって法的な保証。
これを日本でも定めればいい、って意見が毎回必ず出るのだが、それじゃダメ。
なぜなら男性たちは、そもそも訴訟に掛かる時間のリスクを怖れているから。
加えて、職場で白い目で見られるとかも恐怖している。
民事訴訟自体を阻止できない以上、サマリア人法では役不足なのだ。
フェミニスト達は AED の女性差別問題に大きく声を上げ、死んでいく女たちを救うべきだ。
刑法37条1項。自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
民法第698条。管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。
AEDは基本的には刑法上も民法上も罪に問われる可能性はほとんどない。
あるとしたらAEDするやで!って言って公衆の面前で胸をはだけるだけじゃなくてパンツも脱がせたとか
AEDするやで!って言って胸をはだけさせてペロペロしたとか
数年前にネットでちょっとした争いをしてしまった。私が悪かった面も大いにあるし、向こうが悪かった面も少なからずあると思う。喧嘩両成敗とはよく言ったものだ。
相手方からの批判は年単位で収まらず、私はひたすらに説明をし、謝り続けるしかなかった。
しかしながら相手方の溜飲も最近になりやっと下がったようだった。
相手方も私と同様に少し苦しんでいるように見えたので、馬鹿な私は「あのときはどちらもどちらでしたね」等という発言をしてしまった。
すると相手方の怒りは再沸騰し、瞬時に広まっていった。
結果私という個人は再度叩かれた。少々のわだかまりを解消したいだなんて願った私が本当に馬鹿だったのだと思う。
いずれにせよ、私は集団に叩かれ続けておけばよかったのかもしれない。ただ、それだって少し苦しいときがあるじゃないか。
「善きサマリア人のたとえ」という禅問答のような問がある。私はこれに全面的な同意はしないが、一定の共感はしている。
たとえそれが昔争った相手だとしても、現に苦しんでいる人が居たら私は手を差し伸べても構わないと思う。
勿論このような態度には一定の責任が伴うのであろうが、元凶となった争いがある程度鎮まったのであれば少しくらいいいじゃないか、と。
ちょっとした和解のようなものを望んでしまった私が悪いとしても、ここにまでマウントを取られてしまうと少し悲しかった。
なんにせよ、こんなことを考えずに済む社会になってほしい。悲しすぎるのだ。
「女性はAED使用時の接触・露出について訴えてくるかもしれない」問題。
はっきり言ってこれまでの過激な女性たちの行いと、それが作り上げた規範が浸透した結果でしょ。
もうね、男性の中には染みついてるんよ。「うかつに、知らない女性に近寄るのは危険だ」って規範が。
#metooもそう。いつまでたっても具体的定義の定まらない「セクハラ」概念もそう。
どんどん中身が増えていく「性的被害」だの「女性差別」もそう。
SNSでは女性から暴言を投げつけて、返信帰ってきたら「女性への誹謗中傷、差別」ってことも日常茶飯事。
「ペンス・ルール」「ハラミ会」なんてのもあったけど、このAEDの件もその延長でしかない。
調子に乗りすぎたんですわ。
アンバー・ハードの件も記憶に新しいし、要は信用されてないんですわ。
この現状に対して、「なんで男はAED使わないのだ!」とか「見殺しだ!」とわめいたってしょうがない。
言い換えるなら、良心を向けるべき対象として認知されてないんだから
大体、人に何かをしてもらおうってのに、高圧的に責め立てるなんてどういうつもりなんだ?
え?すべての女性がアンバー・ハードみたいなやつじゃないって?私は何もしてないって?
嘘つけよ。今まで性犯罪者じゃない男性たちにやってきたことを思い出せよ。
女性専用車両を一度たりとも利用したことない者、賛同したことすらない者だけがモノを言い給え。
とはいえ私も鬼じゃない。どうすればいいか、その解決方法を教えよう。
簡単なことだ。頭を下げてお願いするんだよ。
「AEDが絡む救助案件では決して訴えません」と示すんだよ。もっと具体的には、女性の側から「良きサマリア人の法」制定を訴えるんだよ。
デモもやったらいい。「フラワーデモ」なんてのをずっとやったり、「コンビニ本がなくなった記念デモ」なんてのをやろうとしてた行動力があったらできるだろ。
「男性を敵視していない」「男性にも助けてほしい」ということを、行動で示すんだよ。
それができなきゃ、まぁ状況は変わらないね。
じゃあ善いサマリア人は見て見ぬフリをするのが正解だね。
逆に自分は見ず知らずの他人を助けたいと思うか?もし自分がそういう人間だというのなら、まず自分を助ければいい。それでこの話は終わり。
よって、余裕のない自分を余裕のない自分が助けるのは現実的には不可能困難である
誰も助ける人がいないなら、助けることができうる人は自分しかない
それもまた正しいと思う
思いはするが、一方でまた、余裕がない自分が自分を助けられるはずもない、というのもまた事実である
「他人は変えられないが、自分は変えられる」と自己啓発本や自己啓発セミナービジネスで言われる常套句であるが、本当にそうだろうか?
一見、自分は自分でコントロール可能に思えるが、本当にコントロール可能なのだろうか?
コントロール可能であるとしても、まず疑問に思う、考えてみる、というワンクッションを置いているだろうか?
よしんばそういう善きサマリアの人が現れたとしても、「なんとかなりたい」と考えている人の方が圧倒的に助けやすいのでそっちを救いがちだ。
調べてみるとサマリア人の話の真意は宗派によっても大きく分れるようであるが、
サマリア人とは異国の人という意味が込められているように思える
しかしながら、米国人や中国人は日本人を助けた、といった感じの話である
助けた理由としては、隣人愛として誰であれ困っている人を助けなさいという考え方もあるだろうし、
助けてくれた米国人や中国人はキリスト教徒だから助けただけである、という考え方もあるかもしれない
しかし、いずれにせよ、他人を助けることに何らかの見返りを求める話ではないというか、
ここで見返りとして考えられるのは神によって死後与えられる永遠の命であって、
「なんとかなりたい」と考えている人がトリアージとして優先されるとか、そういう話ではないのである
というか、トリアージと考えても、助かる人を優先するなら軽症者が優先されてしまうわけで、それはそれで変な話である
これも宗派に寄る考えであり、私の考えは異端や邪教なのかもしれないが、
現実的に誰であれ助けるということは不可能であり、それは端的に述べれば人は神ではないからである
誰であれ助けることができ、助けるべきであると豪語する人がいるならば、それは自分を神と思っている人である
我々人にできるのは神様の良き考えを倣う、ベストエフォートしかありえないのである
また、イエスは例え話をするのみであり、真意をズバリと語ったり解説はしない
私はシンエヴァを観に行ってはいませんが、エヴァもまたTVの最初から真意をズバリと語ってはいません、謎だらけです
どうやらシンエヴァで謎を比較的具体的に直球で説明口調に語るようですが、それでも謎は残っているのではないでしょうか?
まず、例え話とか回りくどい話し方をすれば考える人は考えるはずです
例えば、エヴァというアニメが何が言いたいのか分からない、と思ったとして、
いや、何が言いたいのか知りたい、謎の真実を改名したい、考え続けたい、という人に分かれると思うのです
ここで、エヴァが何が言いたいのか分からん、難しいからつまらない、もう観ない、
という人と同じように、イエスが語るのは例え話ばかりだ、何が言いたいのか分からん、
イエスとしても、神様がそういう回りくどいことを言っていて、自分はそのまま伝えてる面もあるので、
意味が分からないと言われても、俺が説明するよりお前らひとりひとりが考えて見つけろよ、
ということでもあると思うのです
分かる人には分かる、
そういえば、早稲田のインタビューで、人類補完計画って何だったんですかね?みたいな質問に対し、
庵野氏が、分かる人には分かると思うですけどね…、と語るに留め、それ以上は語ってなかったと思うのですが、
まあ、そういうことです
イエスというか、神様的には、例えで書いても分かる人には分かるんで…、ということであり、
逆に刺さらない人には刺さらない話なんで、そういう人たちは自分の客ではないのでどうでもいいです、
ということだとも考えられます
善きサマリア人って何やねん?
というのも、当時の人々でないと当時の空気感が分からなかったりするわけで、真意が掴みづらいと思うのです
エヴァだってシンエヴァだって、これから50年後、100年後に初めて観る人たちからすれば、
この人たち何を言い争ってるの?バカなの?
みたいに思われるかもしれません
原発事故なんて100年後には忘れ去られてしまって、その頃の子供たちが観たら、
ふーん、歴史の教科書で原発事故は知ってたけど、当時は話題だったんだねー、と思われるだけかもしれません
しかしながら、善きサマリア人の話には、相手に助けがいがあるかといった見返りを求める話には思えないはずです