はてなキーワード: フェーズとは
久々に実家に帰省したら、父親の部屋の棚にでかくて分厚い嫌韓本が飾られてた。
さらには家族が普段使ってるダイニングテーブルに図書館で貸し出した嫌韓本が父親のスマホと共に置いてあった。
正直、普通に引いた。
父は昔からキムチが大っ嫌いで冷蔵庫に入ってるとくせーくせーと露骨に嫌悪感を示してた。
帰省して久々に家族揃って外食ってときも、たまたま近場にあった韓国料理屋にはいろうとしたら回れ右して逃げ出したし。(大人気なさ過ぎて母親も弟も呆れかえってた。結局ラーメン屋に変更した。中国はいいんだ)
料理が嫌いなだけだと思ってたから、まさか嫌韓本にまで手を出してるとは思わなかった。
亡くなった父方の祖母も生前はがっつり新興宗教にはまって高額な壷やネックレス買わされてたからまさか遺伝、、、?ってちょっと違うか。
いや、人それぞれ色んな思想をお持ちだと思うのでなるべく否定したくはないです。
正直8、9年前の嫌韓ブーム?の時はまとめ記事とか少し鵜呑みにしてたことはあったし。学生の頃ね。
まぁ、いいんだけど、、、、、、
せめて人の目に触れる場所にそういう本を置いてほしくない。
父親の部屋っていっても元々祖父母のリビング(二世帯で住んでた)だったから、今でも親戚が家に集うときはその部屋を利用することになってる。
え、私が東京にいる間も何度か集ってたよね。その時も嫌韓本でかでかと飾ってたの、、つかそれ以前に家族が普段利用するダイニングテーブルに平気で置いとくとかありえないんですけど。
私が神経質すぎるのか、一度通ったことある身だから過剰反応しちゃってるのか、、延々もやもやしてしまう。
解決策としては父親に「こういう本は片付けておいて」ってそれとなく諭せばいいんだけど、この話題に触れるのって同時に父の闇にも触れるようで、めちゃくちゃ怖い。というか、もう父とはなるべく関わりたくない。これ以上嫌いになりたくない。
父親とは小学校の高学年から社会人になるまでの長い間、反抗的な態度を取っていた。嫌いだったとこ挙げてくと、
ひどく無神経でありがた迷惑
私や弟の育児も都合が悪いと母に投げ出して逃げる
口が悪くいつもへらへらしながら人の悪口ばかり(運転中は荒くなって周りの車の愚痴吐きまくる。)
いつもその場しのぎの会話で内容もすぐ忘れる、興味が無いのか子どもの誕生日すら覚えられない
一応定年までサラリーマン(万年係長)してたし、露骨な暴力や浮気癖とかギャンブルとかそういうのはないけど、どこかうだつがあがらなくてクズな思考回路が尊敬できなくて同じ空間にいるのが苦痛で仕方なかった。(芸能人でいうと愛嬌も才能もない突き抜けてない蛭子さんって感じ。蛭子さんは好きだよ。)
そして何よりも、その人の血筋をがっつり受け継いでいることに対して嫌悪感がはんぱなかった。
自分にも当てはまってるんだろうなーと。父親も、そして自分も大嫌いだった。
、、これがただの反抗期と呼べるものなのは分からないんだけど、多感な時期で反抗期を迎えた子どもはこんな感情抱くものなのかな。ちょっと異常な気はしてるんだけど。
そんな反抗期らしき時期も、上京して離れて暮らして、ようやく落ち着いてきた。
もういい加減大人になった。多面的な部分も受け入れて嫌な部分はそっと見なかった事にする許容も生まれてきた。
最近はなるべく避けたりせず、最低限の会話は心掛けてる。
ちょっとさすがにきついから増田で吐き出して記憶にふたをすることにしました。
とりとめのない駄文でごめんなさい。文章におこすと気持ちが冷静になれていいですね。
いつか父も、自分のことも好きになれたら良いな。
こうすることで自らの社会的評価を更に格上げすることができる。
人間の欲望に果てはない、地位と金と名声を得たところで満足しないのだ。
このフェーズでも手際よく成功できた奴が満を持して政界などに出馬する。
(成金のように徹頭徹尾、金儲けに腐心する方がまだ健康的だ。)
このリベラル達の自慰行為の為に提唱されたのがポリコレである。
しかしこのポリコレは様々な階層の人間の怨嗟を吸収し雪だるま式に成長、
そして当のリベラルが怪物化したポリコレに自縄自縛になりつつあるわけだ。
社会的上層に居るリベラルと呼ばれる人間と酒を酌み交わすと分かるが、彼らは
「地位・金・名声を得られたのは全て自分の努力のおかげ」と盲信していることが多い。
実態は「首都圏住み+高収入家庭でエスカレーター高学歴+優れた容姿」
といった恵まれた環境から生み出された結果であることがほとんどだ。
彼らは腹の中では低学歴、不具者、劣った容姿(ブス・デブ・ハゲ・チビなど)、田舎者、
ブルーカラー、第一次産業従事者、運転手、非正規雇用、途上国の出稼ぎ外人などを心底見下している。
彼らの驕り高ぶった目には「自己を高める努力を怠った取るに足らないクズ」に映るからだ。
幼少期から同階層以上としか付き合ってきていないので、そういった人間が底辺で経済を回して、
日夜歯を食いしばって生きていることを知らない。社会人になってようやく視野に入ってくるのだ。
ただ幼少期から醸成された価値観を覆すことは難しいので、上記のような歪んだ現状認識に陥る。
しかし前述した通りリベラル達が更なる社会的評価獲得の為に生み出した
ポリコレ概念ではこういった人達を公の場で差別・罵倒する事はNGになってしまった。
(当然のことだがこれは表向きなもので、今現在でも社内・学内・家庭内といった
クローズドな場所ではこういった人達への差別・罵倒は横行している。)
そして日々のストレス解消のはけ口を失ったリベラルが見つけ出した最後の標的が「童貞・オタク・KKO」である。
「童貞・オタク」はコミュ障気質な者が大半だ。故に現実社会での発言力も強くないことが多く、叩いても反撃されにくい。
また宮崎勤事件を経験した中高年層以上に蛇蝎のごとく嫌われていると言う後ろ盾もある。
上述の通りコミュ障気質な世渡り下手が多い為、「童貞・オタク≒KKO」と言い換えることも出来る。
仲のいい友達がいる。
先に断っておくと2人とも女で、2人ともそんなに可愛くない。と思う。ごめん。バカみたいに男性にモテた経験は私も彼女もないはず。
私たちは高校1年生の時から、もう5年くらいなんだかんだ一緒にいる。
ケンカは特にしたことないけど、若干疎遠な時といつでも一緒な時の波はあった。今は割と、いつでも一緒なほうだと思う。
私より彼女の方がちょっと頭が良くて、しっかりしていて、社交的。
5年も一緒にいると、オシャレなレストランで写真を撮りまくりながら遊ぶフェーズは超えて来て、お互いの家とか地元のカラオケとかで遊んで解散。最後に自撮りしてインスタに上げたの半年前だっけ?みたいなルーティンになってる。
一緒のスマホ画面とか見てて、顔が近くにあると、おっ…今キスしたらどうなるかな?って気持ちになる。
恋愛的に好きとかではない。その子に彼氏がいても、ヤベッ先越された…とかくらいしか思うことないし、逆も然りだと思う。
ゲームみたいな気持ちだ。明らかにギャグだとわかってる選択肢、あるじゃん。あれです。
恋愛ゲームでヒロインを選ぶ時、しれっと選択肢に入って来る親友ポジションの男キャラみたいな。
http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2017/12/21/172005
http://delete-all.hatenablog.com/entry/2017/12/21/190000
「誠実」だの「良かった」だの「冷静」みたいなコメントがゴロゴロー
……あなた方それ本気で言ってんの?
「誠実な文章」「冷静な文章」によく使われる漢字や言い回しが使われてるだけで、中身なんか全然伴ってないじゃん。
ヨッピーなんかよくもまぁあの程度の結論にだいぶ遠回りしたもんだね。
誠実と言うけど「誰の味方なのか」と言うスタンスを明確にしただけで
「何が『いけないこと』なのか」と「今誰がその『いけないこと』をしているのか」に触れるのを意図的に避けてるでしょ。
フミコフミオは本当にもう、外野どころじゃないよ……外野席飛び越えてスタジアムの外から聞き耳だけ立ててんのかってレベル。
「お前が言うな」的な流れに一部なっているとか言ってるけど、どう見たってその意見は主流にはなってないだろ。
いや、中には実際いるよ?「お前が言うな」って言ってるヤツ。
でもそんな一部のバカの意見をピックアップしたら、どんな重要な問題だって矮小化出来るじゃんか。
それって『#MeToo』と言うムーブメントの中でも、特にしちゃいけないことだってわかんないかな?
まぁよくあることだけど、とにかく皆さんも「誰が言ったか」に引きずられた評価をしてしまうことには気をつけようね。
あとヨッピーは「言葉って人によって受け取り方違うから、絶対なんてないよね」みたいな諦めの悪いこと言ってるけど
仕事柄、UXとかデータ分析とか、その辺が少し強いと思われているらしい。
職場の人からその辺の勉強の仕方を聞かれたので答えようとしたら、意外と長くなりそうだったのでメモがわりに書く。
そもそも、UXという言葉が流行りだしたのは最近の話だと理解していて、バズワードに近いと思っている。概念自体は遥か昔からあるものだし、何を今更世の中がUXというワードを使いたがっているのかが良くわからない。(が、ここでは面倒くさいので、定義が曖昧なUXという言葉で色々お茶を濁す)
また、UXを勉強するという言葉も、正直なところ違和感がある。
というのも、具体的なケースと紐づいて考えない限りは意味がない気がするからだ。文章の批評ばかりしていても小説家になれないのと一緒で、UXについて本や講義だけで勉強していても、UXに強くなることはないと思っている。つまり、自分たちが作っている(関わっている)サービスの中でUXを考えつくすこと自体が、一番の勉強なんじゃないかと思っているので、UXを本や何かで勉強するというのは効果は薄いんじゃないかと思っている。
とはいえ、体系化出来るメタスキル的なものがあるのは事実だし、その部分の話を書いてみる。
「UXを良くしたい」という話をよく相談されるのだが、そもそもとして、UXが良くなった後の世界をちゃんと考えられていないことが多い。
「そのサービスを使ってユーザは幸せになるの?」という問いにきちんと答えられない場合、黄色信号という印象。
UXUXってバカみたいに唱えている人はたくさんいるけど、自分たちのサービスのUXが良くなることでこんな世界が実現できるよっていう話を、具体的に、鮮明に、誰が聞いても腹落ちする形で話せる人ってどれだけいるのかな。UXを良くしたいと言っているのに、良くした後の先の世界がイメージできていなくて、どうやって良くしていくのか甚だ疑問なんだよね。
なので、UXを考えるにあたっては、「自分たちがどうしても叶えたい世界」があって、それが叶うことによって「世の中の誰かがすごく幸せになる」という確信が必要条件だと思ってる。なので、そこがない時点でUX改善どころかサービスを作ること自体をやめた方がいい。
もし、そんな感じの祈りにも似た思いが少しでもある場合は、自分たちが作りたい世界についてしっかりと考えて、そしてそれらを検証して確信に変え、具体的な言葉に落とし込むというプロセスを徹底的に行うことを、UX改善の前に行なった方が良い。そうやって生み出された言葉が、UXを考えるにあたっての拠り所になる部分になっていくから。
自分たちが作りたい世界を言語化できた後は、ユーザの観察と妄想に尽きる。
課題解決系のサービスなら、ユーザに当たる人が本当に困っているのか、何に困っているのかを見極めるために観察すべきだし、何らかのバリューを付加するサービスなら、「このサービスを使ってもらうことで幸せになるのかという妄想」をいかに具体的にできるかが鍵になる。
これらの観察および、具体的な妄想をしていくこと自体がUXを考えることである。
炊飯器が目に入ったので炊飯器のUXを考えるとした時の例で話す。
多分、こんな妄想をする。
炊飯器とか既に他の製品が存在するものは、ユーザの行動もだいたい想像できるし、何より自分が使うものだから妄想しやすい。
逆に、全く新しいものを作ろうとする時なんかは、妄想も中々大変だと思う。バイアウトして話題のCASHとかは、その辺りの参考になるものが中々なく、妄想もやり辛かったと思うので、それを形にできたUXデザイナーの人はすごいなと思う。会ってみたい。
これはかなり適当に書いたが、自分たちが行なった観察に基づく妄想に対して、それらが意味のあるものかどうかを見極めていく必要がある。これがいわゆる価値仮説の検証と呼ばれるもので、妄想が本当に必要とされるものなのかを見極めるフェーズである。必要とされないものなんて作っても意味がないから、この段階できちんと仮説の検証をしておく。検証については対象によって全く異なるため、都度考える必要があるので割愛。
例はかなり適当に書いたが、ユーザをしっかり観察して、その上でどうやったら幸せになるかを妄想して、それらを検証していくというフェーズを、手抜きせず行うことが大事だ。これが業務系のサービスだと、業務フローを作ったりするのだろうし、C向けサービスだとカスタマージャーニーなんかを作ったりすることになる。その辺りの手法は色々あるが、ユーザを見て、考えて、検証してという基本はどれも変わらない。
ユーザをひたすら観察したあとに、初めて解決策を考えるフェーズに移る。
解決策ありきのプロダクトだと(昔の技術先行型の日本の家電だけど)、あまりいい感じにはならない。
あくまでも、ユーザの観察が先にあって、それに対する「解」としてプロダクトを作っていく。
この、課題に対して適切な解を出していくこと自体が、UXの磨き込みに当たるという理解をしている。
そして、それらが部分最適にならないよう、全体最適も意識しながら解決策を考え、プロダクトに落とし込んでいく。
「ご飯は1分で炊けるけど、風呂釜より大きい炊飯器」とか、誰も必要としないよね。だけど、部分最適だけを考えるとそんなことになりがちである。そのためにも、部分を考えたら、全体を見るということを繰り返し行なっていくことが大切だと感じている。その意味では、捨てるべき部分と、活かすべき部分のバランスをどう取るかが大切になる。ここも結局ユーザが教えてくれるので、事前にしっかり観察できていれば、勝手に答えが出る。
長々と書いたが、自分たちが作るサービスを使ってくれる人たちが、「どうやったら素敵な感じになるかを考え尽くすこと」が最高の勉強方法だと思っている。なので頑張って考えると良いと思う。
とはいえ、何を考えればいいかわからないということもありそうなので、その時は
・誰のためのデザイン
・複雑さと共に暮らす
・融けるデザイン
あたりを読んでみるのは良いかもしれない。少なくとも、何かを考えるにあたっての視野は広がるような気がする。
また、解決策を生み出していくにあたっては、ロジカルシンキングが出来るに越したことはないので、
あたりを読んで見るのも良いかもしれない。後者は分類的にはロジカルシンキングの本ではないのだが、ロジカルに考えた時の解決策って一つだけじゃないよねということを身を以て知るためには良い本だと思う。
また、散々書いたが、UX云々の前に、自分たちが作っているサービス(だったり、炊飯器だったり椅子だったり)で「何を届けたいか」という部分が一番大事だと思う。それ抜きにはUXがどうとか議論するのは無駄というか、意味がないので、しっかり考え抜いてほしい。
データ分析というと、Pythonでごにょごにょやるのがそれだと思われがちだが、一部のデータサイエンティストを除いては、基本的にスプレッドシートで十分なんじゃないかと思っている。むしろ、電卓レベルでも足りるんじゃないかという気がしている。(ここで話しているのは一般的なインターネットサービスを運営していくときの話で、気象予報とか経済予測とかそんな感じの難しいデータ分析の話ではない)
というのも、多くの場合において、四則演算以上のことをしなくてもなんとかなるからだ。
どちらかといえば
といったことの方が大事だし、そもそも「何のために分析するか」が抜け落ちていることが多い。
whyの部分が明確でない分析はそもそも意味がないので、まずはなぜ分析するのかを考えるところから始める方が良い。
データ分析ときいて「統計学」や「Python」を勉強すること自体は悪くないのだが、それよりもまず先に、「なぜ分析するのか」「どんなデータが自分たちのサービスのキモになるのか」といった分析の前提になる部分をまずはしっかり見極めることの方が、統計学の勉強よりも優先されるべきだ。それらがハッキリすれば、手法はいくらでもあるし、だいたいはスプレッドシートの関数でなんとかなるので、難しい計算は特に必要ない。
実務でよく使うデータなんて、売上、利益、利益率、ARPU、CPA、CTR、CV、CVRとかくらいだし、これら全て四則演算のみで出せる。分析といっても、平均だったりそれらをユーザの属性で割り振ったりするだけだし、中学生でも問題なく出来ると思う。ただ、重ね重ねになるが、whyの部分がない場合はいくら分析しても何も生まないので、まずはそこを見極めることに重点をおいた方が良い。
長くなったので無理やりまとめる。
勉強<<<<<実務であることは間違いないので、まずは自分が関わっているサービスについて真剣に考えたり、真剣に考える上で必要な数字が何かを自分の頭で考えることが、最高の勉強だと思う。教材とか、具体的なHowを期待していた人、ごめんなさい。でも、Howの意味で見ても、実践に勝るものはないと思っている。
会社が成長するにつれ起きる主に人事関連で起きる問題を象徴的に表す言葉で「●人の壁」というのがあります。
その30人の壁・50人の壁を体験している社長さん側の語りは見たことがあるのですが、社員側の意見を読んだことがないなと思い、筆を取りました。
ちなみに特に結論みたいなものはありません。「ふーん」と読んでくれればと思います。
しばらく前になりますが、六本木の安い居酒屋でベンチャー社長たちと飲んでいるとひとりの社長が語り出しました。
「いまちょうど30人の壁のようなものにぶち当たっている気がするのがけれど、何がいけないのかわからない。会社は順調だし、ブラックでもないし」と。
数億の資金調達をし、界隈ではそこそこいけている感じの会社だったと思います。
自分は少し前に独立したのですが、話を聞いた時はこの社長とは別のベンチャー社員でした。30人の壁とやらで辞めたうちの一人です。
30人の壁を前に、そして真っ最中に、どういうことか起きるか、起きたかを羅列してみたいと思います。自分は辞めた側なので当たり前にマイナスなことが中心になります。
ちなみにこの壁とやらが30人で起きるのか50人で起きるのかは会社によるのですが、簡単な言葉で言うと『社長の器による』という印象です。20人で起きている場合も、50人でも平和そのものという会社もあります。
そして、ここ重要ですが、「社長はこう思ってるんだよ」「イチ従業員の君たちにはわからないだろうが」というのは当たり前ですが一切抜きでいきます。
30人の壁を見上げる者、また後方から眺める者としての一方的な意見です。
1、フラットに近かった関係性に「組織」という概念が生まれる。人事に納得のいかない社員がつまらない思いをする。(自分はこれです)
2、縁故採用だけではなく、一般採用が急激に増え、コミュニケーション不足による不協和音が発生する。
3、サービス認知の拡大により1→10のフェーズに入り、これまでヒーローとされていたゼロイチが得意なメンバーが営業チームに押され、プライドが傷つく。(自分はこれです)
4、社長ブログがパワーアップして胸焼けする。(自分はこれです)
で、この中で、2や3は社長さんたちのブログなんかでよく見かけるので(でも的外れな意見だったりするとは思う)、1についてやや深堀りし、4についてはもっと深堀りたいと思います。
まず1の組織化ですが、全員が納得する人事なんてあるはずもなく、自分はもっと良いポジションにあるべきだという(自分のような)人は、よっぽどその会社に恩義を感じていたり、給料が良かったりしない限りは俄然やる気が消滅します。そして当たり前のように「会社やめよっかな〜」と言う考えが脳裏をよぎるようになるのです。
何せここは引き抜きが横行するベンチャー界です。しかも今は大型資金調達の成功が続き、経営者たちは西にIoTプログラマーがいればウチならもっと唯一無二の開発ができるよと口説きに走り、東に死ぬまで売りまくる営業がいればビジョンと涙を垂れ流して獲得に行く、そんな時代。ライバル企業のメンバーを堂々と引き抜きにかかる猛者もいます。人材流動性の高いベンチャー界においては人事は諸刃の剣となることはいうまでもなく、「このポジションでしばらく我慢してくれよ」と言っている間によそから引き抜かれてもしょうがないのです。
自分の場合でいうと、辞めた会社では一桁台の入社で、自分の能力で会社を支えてきた自負がありました。技術の方向性と会社の事業もマッチしている。自分が開発したものが売れて、人の役に立っている様子はとても嬉しかった。みんな忙しいだろうなとひとり仕事を抱えたことも数知れず。でもベンチャーってそういうもんなんだろうなと思っていたので頑張ってました。
でも人事で自分の上に立ったのは、自分より後から入ってきた「人に仕事を渡すのが上手い人」。技術者として自分よりいい仕事をしているとは思わない。お恥ずかしながら勝手に感じていた社長との信頼関係はないものなのだと感じ、人事発令から2ヶ月で、辞めますよと(slackで笑)辛い時期を支え合った総務のメンバーに伝えました。
「情けないな、次の人事で上に行くように頑張ればいい」という、自分の大人気のなさを諌める自分も出てきて一瞬悩みましたが、その時間ももったいないと思い、すっぱり辞めることにしました。
そもそも管理職になりたいのかというとそうでもない。ただ、会社の行方には口は出したい、そんなわがままな気持ちがあることもここで気づかされました。
出した退職届はそれなりの引き止めののち受理され、いま自分は独立してひとりで仕事をしています。誰かを雇うなどは考えていません。めんどくさいので。
さて、僕のしみったれた話はこの辺にして、次に、4の社長ブログについて。
そもそも壁とか関係なく社長ブログを好まない社員も多いと思います。自分も嫌でした。
以下、社長がブログを書いている会社の社員に聞いてみた、社長ブログで「まじ勘弁」と思っていることベスト3です。(3人しか聞いてませんが。プラス自分)
1位 読んでることが前提なこと(勝手に発信して読んどけ感出すな。)
2位 すべてに感謝感謝みたいな内容(マジでやめてほしい。恥ずかしい。イタイ。 ※20代は拒絶反応)
3位 名前は出さなくても社員の誰のこと書いてるかわかる批判(自分のことだなっていう内容を書かれたあとどういう反応したらいいかわからない)
壁とどういう関係があるのかというと、やっぱり組織化すると雰囲気変わるんです。ブログもちょっとより社長っぽくなる。
辞めるまでの2ヶ月、組織ってどう変わるんだろうと思って見てたんですが、それぞれがそれぞれっぽくなるんです。
総務がめちゃくちゃ厳しくなったり。営業でそれまで自由にやっていた子がなんかパワー半減してたり、その上に行った人はキリッとしてたり。「俺通して」感出るんですよね。
それが耐えられなかったんですよね。なんか。子どもですね。自分がそこに混れなかったからかもしれませんが。
前の会社は入った時から組織ができていたからなんとも思わなかったんだと思うんですけど、みんなが窮屈そうになったのがなんか嫌で。もう自由になろうと決めました。
社長のブログはよりラブ&ピースになり、以前からあった特定の誰かを示唆する内容がより増えました。僕以外にも人事に抵抗しつつ残っている人はなんかかわいそうなくらい書かれていました。あれって、社員には言い返す場がないんですよね。ずるいよ。
いきなりですが、ネガティブな気持ち書いてたら疲れてきたのでここらで締めます。
結論はありません。では。
私の場合…
それでも、セックスは週に1、2回はある。
前提として、、
そういったことは全く思っていない。
ではなぜ私が夫とセックスをするというかというと、楽しい共同作業のように考えているからだ。
(もちろん、妻が夫に性的サービスをすべきであるとも考えていない)
夫の肩を揉んだり、愚痴を聞いたり、二人で部屋の掃除をしたり、趣味の話をし合ったり、気の利いた酒のつまみを作ったりすることの延長線上のように考えている。
もちろん私にそれができるのは、夫がいつも私を大切にしてくれているからだ、という前提があるが。
同棲しはじめて3年を迎える頃には、すでにお互いに「強く欲情する」という感覚はなくなっていた。
はじめはそれを少しさみしく思ったが、
お互いに風呂上がりはすっぽんぽんで、「今日はやる?」「うーん、疲れたからいいや」というような会話をしている二人だから仕方がないだろう、と思った。
夫が、AVで自己処理していることも知っていたし、夫も別にそれを隠すこともなかった。
しかし、裸で抱き合い、肌のぬくもりを感じあい、お互いに充足させ合うという作業は私にとってはとても大切で、無くしたくない日常のひとつだった。
私は徐々に、自分が女性として欲情されなければならない、だとか、欲情されてこそ夫のオンナとして価値があるのだ、とか、欲情されるというフェーズがなければセックスは行えない、とか、そういった考えを捨てていった。
そしてもちろん、自分が夫に欲情しなければならないという考え(これは私にはそもそもあまりなかったが)も捨てた。
ムードというものは、なければならないものではなく、あったら嬉しい、というくらいのものにした。
私にとっては性的絶頂感は重要なものではなく、抱き合うだけでも満足なのだが、夫は男性ということも有り、射精の快感も大切だろうと思い、そのための手技も磨いた。
自分の技を磨いて夫を気持ちよくさせる、というのは、私にとっては喜ばしいことだった。
子どもや夫の好みの食事を作れるようになることと、感覚的には同じだ。
夫もそれに対して喜びを表現してくれるし、夫も呼応するように、私を充足させるよう動いてくれることもある。
その気持ちが嬉しくて、身体的にも精神的にも満たされる(性的絶頂や挿入を絶対要件としなくても)。
また、子どもがいる家庭の夫婦としては「お互いがお互いのためだけを思って何かする」時間というのが貴重でもあるから、尚更、楽しい。
子どもやお互いの両親やお金のことは置いておいて、お互いの身体や気持ちだけに耳を澄ませて喜ばせ合おうとする時間はかけがえのないものだ。
セックスは、欲情し合う二人が行うことである、と言う前提が在るから、
肉親のようになってしまった相手(に、欲情するのは恥ずかしいorには欲情できない)とはセックスできない、となるのかもしれない。
確かに、お互いに欲情しあって燃え上がるような気持ちで行うセックスは素晴らしいと思う。
しかし、完全に心許せる相手同士で、お互いに何もかも委ね合って行う穏やかなセックスも良いものだ。
まだ同棲をはじめて間もないころ、私はぎっくり腰とインフルエンザのダブルパンチで布団から動けなくなったことがある。
すっぴんでお風呂にも入れず、頭皮や身体からは汗の臭いが漂って、不潔で、本当に恥ずかしい姿だった。
その時、夫は、身体を蒸しタオルで拭いてくれ、着替えさせてくれ、心が休まるように、手のひらをマッサージしてくれた。
恥ずかしいけれど、心が満たされる…不潔な自分の身体を相手に委ねることによる様々な負の感情よりも、なにか解き放たれたような暖かい気持ちの方を強く感じた。
その時のような気持ちを、セックスすることで、感じることができる、今でも(もちろん毎回ではないけれどw)。
欲情されない自分の身体は恥ずべきものじゃないし、もし恥ずかしくたって、その身体をまるごと相手に委ねることは、ときには、欲情されることとはまた別の、暖かい快感を与えてくれるよ。
(終)
出生率の低下に喘ぎ続けて、四半世紀以上経つけれど、最近の学校関連の報道を見てると結構納得するよね。
世帯収入、保育園等々を含めた子育て支援の手厚さ、そもそも日本の先行きがヤバすぎる気しかしない等々…。
こういう話題の時に必ずと言っていいほど言及するように、上に挙げたようなマクロ的な影響は大きい。
大きいけれど、
上に挙げたような要因の影響もかなりあると思う。
折角子供から手が離せそう…と思ったのに、意味の分からない・明らかに必要じゃない儀式じみたルールを課せられてしまう。
結婚相手を探すのも大変、産むのも大変、産んだ後職場に復帰するのも大変、義務教育段階になったら大変、高等教育は金がかかって大変…。
子供を産んで育て上げるまでの全てのフェーズで立ちはだかる障害がみんな分かっちゃってる。
子供を産んだ後の生活が明らかに前途多難すぎて、「子供を産まない方が幸せだよね!」「っていうか結婚しない方が幸せだよね!」って結論の人は多いよ。
まあ、どうでもいいけど。
勤務先の会社が、最近やたらと障がい者手帳を出せ出せと騒ぐようになった。
以前から部門長を通じて社員に協力依頼が出されてたが、昨日はついに人事部門から全社員に「障がい者手帳提出のお願い」メールが出された。
何でも法定雇用率を大幅に下回っているらしく、このままでは経営層が役所に出頭する羽目になるからそれは避けたいと。
障がい者手帳を出しても人事上不利な扱いはしないとメールに書いてあるが、ハラスメントホットラインという名の「内部通報をやるような危険人物あぶりだしホットライン」を運営している人事のいうことは信用していない。
で、この次は障がい者を製造するフェーズに移ると予測している。
ちょうど会社全体で「特定人物に仕事が集中する傾向」が強まっており、過重労働でメンタルを壊す寸前の社員が数十名単位で出ている。
でも過重労働を抑制する仕組みの導入は考えていない。むしろ余計な間接業務を増やしてさらに仕事を増やしている。
彼らのうち何割かがメンタルを壊して障がい者カテゴリに入れれば、法定雇用率は満たせるから、人事としてはしてやったりではないか。
今いる地点から一番近いいきなりステーキに入る。大抵の店舗の位置は把握している。
最初はレア気味の肉を何もつけずに肉本来の味に、それを引き立てる塩・コショウとのバランスを楽しむ。
フェーズ2はステーキソースをつける。程よく鉄板で温められた肉がまた別の顔を見せる。
フェーズ3及びラストフェーズは少し多めの塩・コショウを用いて心地よい刺激と残った甘みのある脂身を味わう。
このように食べ方にもこだわり、そしてプライドを持っていつもいきなりステーキを食べているのだ。
18時台ともあってあまり混んでおらずコンディションも良い。
待っている間も当然シミュレーションを行う。
まずはそれを嗅覚で感じる。
「なるほど、この店ではこの量が標準なのか」
と思いながらステーキを改めて見る。
ただ、味も見ずにクレームを出すのもおかしいと思い、恐る恐る口にする。
初めて海水を飲んだ時を思い出させるような味だ。
これはもう食べれない。そう思って、店員さんに
「すみません、これって標準的な塩・コショウの量でしょうか?少し濃いような気がして。。。」
と訪ねた。
少し間をおいて「はい、標準です。」と答える。
「標準なのですね、ではこのまま食べます。」
と、納得は行かなかったが、このまま食べることに。
すると、
「あの、、、お口に合わないようでしたら取り替えましょうか。。。?」
と店員は言った。
「いやいや、お口に合わないとかじゃなくて、明らかにコショウかけすぎているものを出してますよね?」
「いえ、標準なんです。。」
「いえ、お取り替えさせていただきます、、、」
「そもそも標準じゃないですよね?食べて見てください。」
「いえ、店内では食べれなくて、、」
「これ標準じゃないですよね?これ標準だとしたら人の腎臓のリソースなんだと思ってるんですか!?」
「標準なんですが、お口に合わないようなのでお取り替えさせていただきます、、、」
「、、、じゃあお願いします」
というやりとりがあり、結局取り替えてもらった。
その後出てきたステーキの塩・コショウの薄さにまたイラっとしたが、
「標準の塩加減なんですよ」
という。
なんなのか。
「すみません、これって標準の塩加減ですか?」
「あ、、すみませんこれはかけすぎですね、、すぐにお作り直します」
「はい〜」
で終わるからね!
それを無駄に、問答させるかね。
そもそも明らかに塩加減を間違えているものを客に出すんじゃないよ、
っていう話もあるけど、ミスは仕方ない。誰にでもある。
ただ、それを認めず、
こちら側を「いきなりステーキの味にフィットしてない客」みたいに
「やれやれ仕方ねぇな変えてやるか」じゃないんだよ!
人は実績にではなく、期待値に対して金を払っている
例えば飯を買うなら、美味い飯を期待して金を払っている
労働も、実績に対して払っているようでいて、その金額は期待値で決まっている
成果主義を謳っている会社でさえ、期待値に払っていることが多い(つまり能力主義)
会社が未だ何もしていなくても、期待だけで株が買われる
期待値で金を払うことが必ずしも悪いというわけではないが
しばしば実績を置き去りにする
より実績を上げた人ではなく、期待を煽った人が多くの金を得ることがある
世の中がそれで壊れていないのは、反復購買があるからだ(リテンション)
期待を裏切られた場合「次は買わない」となる
そこにおいて実績は大した意味を持たない
(※過去の実績は問われるが、実際に成功したかは問われないということ)
もちろん、そういう状態を嫌って成果報酬型にする事業も出てきている
しかし、その成功に至る過程で、多くの期待値払いが発生しているのも事実だ
私たちは、期待値の中に生きているのか、実績の中に生きているのか
少し前からそんな言葉をたまにTwitterでよく見るようになった。
筆者はピンサロどころか風俗店自体の経験が無く(※素人と行為に至ったことは何度もある)、それまで興味はあっても実際に行くことはなかった。
(金銭的な都合もあれば、風俗店への恐怖のようなものもあった)
そんな私だったが、今週の月曜日にTLで「川崎のアマテン」のワードが出てきた時にふとこんなことを考えてしまう。
「社会勉強にもなるし、川崎のアマテンで風俗童貞捨てとくかw」
しかし、具体的に店舗情報やキャスト名を知ってるわけではなかった。
なかったのだが、「誰に聞けばいいんだ、川崎のアマテン情報」とツイートしたら秒でタレコミがあった。
情報を得て検索してみると…なるほど、目は隠れているが確かに雨宮天のような顔に思えてきた。
そして、貧乳ではあるものの(店舗情報Aカップ)、細くて血管の浮き出てる手足。そしてふとももはやや肉付きが良い。
「…え?アマテン似でこの体型?つよくね?」
となった。
さらにTwitterでパブサをすると、テクニックもあるとのこと。
即座に川崎のアマテンの出勤予定や予約システムの有無などについて確認したところ、次回出勤は2日後(水曜日)の12時からとのことであり、前日予約はその日の18時から受けているとのこと。
…そして今週、たまたま代休という形で水曜日が休みだったのである。
月曜日はひとまず店舗サイトの写真でニヤニヤしておき、火曜日に職場の屋外喫煙所にて予約の電話をかける。
「とりあえずその日の鍵開けが衛生的に1番良さそうだな」
無事に予約が済んだということで心躍らせつつ、明日に備えて“致す”ことなく就寝。
当日の朝。夕飯に食べた牡蠣の亜鉛パワーも相まってか、朝から股間のティルヴィング(※)が持ち主の悪しき望みに呼応していた。
(※ティルヴィング:北欧神話の魔剣。悪しき望みを3度は叶えるが持ち主にも破滅をもたらす呪いをかけられている。あとはググってほしい。)
来店45分前に一度電話で出勤の有無を再確認してほしいと言われたので電話をすると、無事に出勤する予定とのことだった。
そう考えるとテンションが上がってきたが、緊張で吐きそうにもなっていた。
(前述の通り性行為自体の経験はあるので、「緊張で勃たないかもしれない」などという心配はしていなかった)
前置きが長くなったが、ここからが実際の来店時のレポートとなる。
店舗に入り予約している者だと伝えると、まだ出勤していないため待機するように言われる。
待機場所のモニターではYouTubeにアップされているEDMのMIX動画が再生されていた。
ソファに座ってしばらくケータイをいじっているうちに川崎のアマテンが出勤し、準備ができたということでスペースに案内をされる。
初めて訪れるピンサロ、どんなスペースなのかと緊張して足を踏み入れた。
本当にそんな感じだった。
風俗経験が無い筆者の想像では個室でアレコレやるものだと思っていたが、なかなかパブリック(?)な空間(薄暗いから周りはさほど見えない)で事が行われることに驚いた。
入店時に在籍表(出勤表?)のようなもので目が隠れてない写真を見た時には「そこまでアマテンではないみたいだw」と考えていたが、生で(なおかつ暗い場所で)対面してみるとなかなかアマテン感が強くて嬉しかった。正直勝ちを確信した瞬間であった。
緊張で吐きそうなこと、ピンサロどころか風俗への来店自体が初めてなことを伝えると、
「え〜、でもそれだけ話せたら大丈夫ですよ! 本当に何も話せずされるがままになる人もいるので!」
とのことだった。いつも声優相手の接近案件で緊張を何度も乗り切った甲斐があったのかもしれない。
来店の動機を問われたので、素直に「ネットで雨宮天に似てると聞いて調べた、手足が綺麗で行くしかないと思った」という旨を伝える。
(ちなみにこれは本人のブログにも書いてあったのだが、本人は雨宮天に似てるとは思ってない模様)
そんなことを話しつつ、川崎のアマテンが筆者にまたがってくる。
「久々に女体とこんな雰囲気で接触しました! 2年ぶりくらいです!」と話すと、「女体ってw」と笑われてしまう。オタクは言葉選びのセンスが変。
接近すると川崎のアマテンのナチュラルな良い香りがしてどんどんやる気が増し、股間のティルヴィングも元気になっていく。
(香水をつけているわけではなかったそうなので、シャンプーの香りだと思われる)
とりあえず自分も相手の身体を弄りたかったので、まずは服の上から胸を触ってみる。
「Aでしたっけ?」
「もっと無い、AAAくらい。ブラしてるから大きく感じるだけで、お兄さんに毛が生えた程度だよ〜」
なるほどね、となりつつブラジャーのホックに手をかけて外す。(久々なのでうまく取れないかもしれないと思ったがそんなことはなかった)
そして生乳…というより生乳首とご対面。確かに薄い胸だったが、それもそれで興奮。
上を触ったら次は下だろう!ということで、このタイミングでお互いに脱ぐことに。この状態でもう股間のティルヴィングは万全の状態である。
「わー、もう元気ですね♡」
「緊張で勃たない人も多いらしいので心配してたんですが、問題なさそうです;;」
初戦にして常勝無敗の機運を感じてしまった。
脱いだということでお互いに触りっこ開始。
「中イキしたことなくて…クリの方が好きです〜♡」
(僕はクリ触るより中触る方が好きなんですけどね、ザラザラしてるところ触り心地いいし。)
そんなことを考えたが別に言わなかった。
陰核を触ってると時々吐息を漏らしながら顔を埋めてくるのがとてもキュートだった。書きながらまた興奮してしまう。
「我慢汁出てきたね〜♡」
…そして、次のプレイが始まるのです。
ピンサロに来てはみたが、実は筆者は一度も口でイかされたことがなく…。
「今まで口でイったことないので、無事にイけるのが楽しみです!」
「そうなんですよ…でもテクニックあるって聞いたのでそんなに心配はしてないですよ!」
そんなことを話しつつ、ご奉仕を受ける。
勤続期間はそこまで関係あるかわからないが、とにかく気持ち良い。
音やムードの力もあるのだろうが、今まで当時の交際相手から受けたそれとは一線を画す快感を覚え……口の中で果てた。
川崎のアマテンの“力”を信じててよかった。こうして筆者は無事に“勝利”したのである。
出すものを出して落ち着いたのでまたお喋り。
雨宮天以外では前田敦子や横山由依に似てると言われるという話(横山由依、それはそう)や、外見にコンプレックスがあるという話をされた。
「顔もそこまで自信あるわけではないけど、体型がコンプレックスなんですよ〜。胸も無いし…」
「いやいやいや!!!手足は血管見えてて綺麗だし、でも太ももは程よく肉がついてて!めちゃ好きですよ!!」
乳が無いのは別に好きではないが、手足が本当に好みだったのでフォローを入れておいた。
あとは筆者の見た目の話になったり、テンション上がりすぎて声が大きいからもう少し静かにした方がよかったという指摘を受けたりしつつ(余談だが声の大きさは声優現場でも指摘されることがある)、せっかくなので(?)もう一度クリを責める。
流石に演技なのかもしれないが、反応が可愛すぎて本当に興奮した。
絶対にまた来店しようと決意した。
ちなみにメッセージ中に「次は少し落ち着いてできそうだね♪」という一文が含まれていた。
そんなにうるさかったのだろうか…。
次回は本当に気をつけようと思った。
ということで、ピンサロどころか風俗店自体が未経験だったオタクは噂の「川崎のアマテン」と邂逅し、プレイを楽しんできた。
(感じ方は人に依るだろうが)かなり「アマテン感」のある容貌であったし、口でイかされたことのなかった筆者でもイけたということでテク厨も安心のテクニックも備えているし(たぶん)(とりあえずテク厨って書きたかっただけ)、風俗慣れしていない人間をリードできるだけの能力もあるように思えた。
ちなみに、店舗で使ってる名前のフルネームを知っているかどうかという点をリピーターか否かの判別に使っているとのことであるためレポートで明かすことは控えるが、川崎のアマテンのフルネームが今回1番の驚愕ポイントであった。