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はてなキーワード: ウェブとは

2024-08-14

これって傍から見て答えにたどり着ける質問だと思う?

思い出せない漫画を探しています

劇画のようなややリアル調に描かれた成人男性のが料理していますイブニングビックコミックあたりの青年漫画レーベルでしょう。

1話から盛んに火が出ているところで鍋を振っているのが印象的でした。とにかくネットの試し読みなのに火が食欲をそそるようにリアルなのが印象的だったんです。

そんなに古い漫画ではないと思います。といっても新連載とか書いてあってウェブ1話をよんだのが2010年以降なので時期には幅がありますよね。

漠然としてますがこれで心当たりあるマンガあったらよろしくお願いします。

自己解決で出した答え:飯を喰らひて華と告ぐ

一話から火が出る漫画ってやっぱ他にも大勢あるかね?

2024-08-13

anond:20240813150039

ダークウェブよりちょいマシくらいで行儀は悪かった

生物板とか動物虐待gifで溢れてたしな

2024-08-11

みんな広告見てるの?

ウェブ広告とか動画CMが、製作者の収益になってる。

から記事おもしろかったら、感謝広告タップしてる。

開いたページはすぐに戻すけど、僕はこの行為で世の中の金の巡りをちょびっと良くなったら、って思ってる。

——…でも、こないだ友達タブレット使ってるのを後ろから見る機会があったんだけど。

僕と同じようなことをする気配はなかった。

ひょっとして、みんなにとって広告ってノイズなんじゃないか。って疑いがある。

注意力を奪う代わりに、電気を消費して二酸化炭素排出量を少し増やすだけの不快な雑音。

だったら悲しいな。

2024-08-10

日本社会絶望的に科学研究に向いていない

注目の科学論文数、日本は過去最低の13位 1位中国、2位米国

増田某国立大学の工学部で教鞭をとる40代准教授である。その視点からの話であることはご承知おきたい。

こういう記事ブクマには政策が悪いとか選択と集中が悪いとか色々つくが、社会構造的に「向いていない」という話を書きたくてここに書く。

お金が無い

 みんな気になるだろうから、これを先に書く。

 最近になってにわか科学研究大事ということになって色々な研究予算が付くようになった。工学部だと企業との共同研究お話なんかももらえるので、えり好みしなければ研究費を取りやす環境にある。

 だが、大学にはお金が無い

 どういうことかというと、この手のお金は期限がついていたり使途が決まっていたり、いろいろと紐がついている。そして、必要なところには回せないことが大半なのだ

 例えば人件費民間企業ではありえないことだが、国立大が人ひとりを無期雇用で雇うためには、退職までの予算を確保することが必須なのだ。国から運営費交付金寄付金のような、必ず退職まで支払われることが確実な予算裏付けないと無期雇用の人を雇えない。民間企業なら、人を雇うときに予め退職までの給料を積み立てておくというようなことはせず、営業を頑張って給料を払うだけの売り上げを確保するものだと思うが、国立大ではそういうわけにはいかない。色々な企業との共同研究を締結し、外部資金を獲得して、その人の給料を確保する、仮にできなかったら身銭を切ると教授宣言しても、そういう期限付きの契約では無期雇用の人を雇えないのだ。

 秘書事務職員ならまだしも実験機材を維持管理する技術職員とか、研究員とかもこの縛りを受けるので、必要な人を必要なだけ確保することができない。運営費交付金人件費だけでなく建物設備の営繕にも使われるのだから、やれ70年代80年代に建てられた校舎の改築だとか、光熱水費だとか、とにかく運営費交付金の増額が望めず物価が上昇し続ける昨今、大学にはお金が無いのだ。

 ちなみに、外部資金をたくさん取ってきたからと言って自由に使えるわけでもない。大概の研究費は他の外部資金と混ぜて使ってはいけない縛りがあるので、例えば研究費A で岡山学会へ行き、次の日から研究費Bで広島の共同研究先で実験をする、みたいな場合でも、いったん大阪の自宅へ帰って一晩滞在することで研究費を分けないといけない。実験機材も合わせて購入するということはできない。100万円の研究費をふたつつかって150万円の機材を買うことはできないのだ。これが研究費は増えてもお金が無い、という事情の内幕である

学生がいない

 昔からアルバイトに熱心な学生サークル活動に精を出しすぎな学生は確かにいた。最近就職活動時間をかけすぎな学生が多い。夏休みはおろか授業期間中インターンにかかりきりだし、ウェブテストの後で何度も面接をさせられ、いきおい、学生疲弊している。日中の貴重な時間研究室ではなく就活に費やし、奨学金や親から仕送りでは足りない学生アルバイトまでしているのだから卒論修論の質は落ちる。企業ガクチカとか聞く前に、理系学生研究室で研究させてあげてほしい。学部生の卒論半年から1年しか期間が無いのに最後の数か月を除いて就活とまるかぶりだし、2年間しかない修士課程の1年は就職活動で消えている現状で、大学から研究成果が出ないと言われても、どうしようもない。

 研究というのは、専門書を読み、先行研究を調べ、仮説を立て、手を動かして仮説を検証し、その結果を文書にまとめるサイクルである。これがきちんとできる学生であれば、どんな仕事に就いても立派に働ける。たぶん。

 というか、企業採用も、もっと必要資格能力を具体的に書いてほしい。今どきの学生は真面目なので、特定資格を持っていると就職に有利だとわかればそれを取るようになる。大学だって国の資格などであれば学科免除などを取りに行って「就職に有利」みたいな売り文句学生を集めやすい。どんな企業だって欲しい資格能力採用時点で分かっているはずなのだから、それくらい明かしてくれてもよかろう。

博士課程に魅力がない

博士課程の大学院生、というのは研究を進めるうえで大変貴重な戦力である。なにしろある程度は自力研究を進めてくれるし、そのレベル論文として世に問えるものである

ところが、であるちょっと考えてほしいのが博士課程の魅力だ。日本博士課程は、基本的には学費を納入して「学ばせてもらう」スタイルである。その分研究テーマ自由度は高いし専門性を高めやすい。一方で、ある程度経済的に恵まれていないと、3年間の生活をどう工面するかという問題が常に付きまとってしまう。最近は、学振特別研究員のような昔からある登竜門的に限らず、各大学の工夫や国の政策博士課程進学者経済的に援助する仕組みが整い始めている。とはいえ、それらに通らなければ学費生活費を調達せねばならないし、採否の通知は年度末か入学後なので、まったく安心できない。どれほど優秀であろうと研究に向いていようと、金がない学生就活するしかないのだ。

 さらに、就活に際しても博士課程は買ってもらえない。就活サイトを見ればわかるが、技術採用でも研究採用でも、博士号持ちの人の初任給は明示されない。修士課程初任給しか書かれていない。これを見た学生は、修士号持ちと博士号持ちの初任給は同額だと理解する。聞くところによると、博士号持ちの初任給修士号入社三年目くらいかそれ以上らしいのだが、書かれていない情報などあてにできないので、就活する側からみると前述の理解となる。これでは、博士号を取っても何も良いことはなさそうである

 欧米ではではの出羽守だが、海の向こうでは、博士課程というのはプロジェクトから人件費支給される研究である仕事の扱いだから労基法にも守られる。しかも、博士号を取れば仕事の口も増えるし給料も上がる。

 ドイツなんかに行くと、博士号持ちは英語さえ話せれば仕事に就けるが、修士号まではドイツ語を話せないと仕事がない。Dr. と表札に書けるオマケはさておくにしても、それくらい社会的な扱いに差があるのだ。もちろん、給与の出どころである研究プロジェクトが終わると別のプロジェクトで雇われるまで博士課程を続けられないとか、プロジェクトの元締めである指導教員と相性が悪いと人生大惨事になるとか、いろいろなデメリットもあるが「博士課程の研究員」という仕事に就いている扱いなので、無理だと思うとみんな中途採用企業転職したりする。それくらい、普通仕事の扱いであれば進学者も増えるだろうし、博士号を取っておけば食うに困らないくらいの扱いになってくれれば、みんな喜んで進学してくれるんじゃないかと思うがいかがだろうか。

大学教職員は忙しすぎる

 大学安定的予算が十分ないために人を雇えないという話を最初に書いたが、そのツケをどう払っているかというと、パーマネントの教職員が頑張って回している。いや、有期雇用教職員やらせることもあるけど。来年度には任期切れで退職するような教員入試問題を作らせたりされてよいものか?高校への出前講座とかアウトリーチ活動必要だと言われたとき来年退職する先生を送り込んで誰が進学してくれるのか?定年退職した技術職員の後任は予算不足で雇えませんでした、となったときに機材の修繕を誰がやるのか?それでなくても、学生就職研究指導の面倒は必須である

 というわけで、大学先生講義以外にもやることがだくさんあるのだ。とても研究をしている場合ではない。雑務と呼ぶ人もいるが、講義研究以外にも誰かがやらねばいけない仕事なのだから「雑」はないだろう。とはいえ、昔は若手の教員がやっていたような事柄も、若手ほど任期付きになってしまったのでシニア教員がやらねばならなかったり、幸運にも無期雇用を勝ち取った若手に集中してきたりするので、DXで仕事効率が2倍になっても仕事は3倍に増えるのだ。偉い先生方は偉い先生方で、改革と称して新しい企画を立てないと予算をくれなくなったので、朝令暮改もいいところのマイナーチェンジお茶を濁したような企画書をいか気宇壮大に書き直して追加予算をゲットするかに時間を使っている。夏休みも暇かといえばさにあらず、老いも若きも科研費などの外部資金申請書と格闘している。倍率が10倍近くても、何とかして手に入れないと満足に研究ができないのだから仕方がない。

 ちなみに、大学によって、また学部学科によって異なるが、国立大教員競争資金なしに受け取れる、平たく言うと自由裁量経費みたいなものは、年10万~30万円くらいである。国際学会の参加費が10万円を超え、海外論文誌の投稿料も10万円くらい取られるこのご時世に、である。どれほど世紀の大発見をしようとも、世に問うためには論文化して論文誌に掲載されねばならず、掲載されるためには投稿料を払わねばならないのだ。そして、その投稿料ともらえる経費がほぼ同額ということは、外部資金が無ければ研究 XOR 投稿という選択肢になってしまう。日本論文誌であればもう少し安く、数万円で済む。ただ、そういうところに掲載されても「注目の科学論文数」にカウントされることはない。これが現状である

 それにしても、研究をして論文を書いて世に問うためには先立つもの必要で、それが外部資金が無ければ全く足りていない、という状況であるにもかかわらず、外部資金を取るためには論文を世に出さねばならないというのは何とも困ったものである。このあたりの必要経費と割り当て予算アンバランスはどうにかならないものだろうか。



 というわけで、大学先生というのは、外部資金が無ければ研究ができないために年中予算の確保に腐心しており講義学生指導は当然やるのだから研究をしている暇はない。その先生を雇うお金はもちろんそれを支えるスタッフを雇う予算すら、外部資金のようなひも付き予算から支出できないために全学的に人手不足の状況で、この傾向は悪化こそすれ当面改善する気配はない。代わって研究の主力となりえるのは博士課程の大学院生くらいだが、日本人の学生ほどこっち方面キャリアに魅力を感じずに就職してしまう。それどころか就職活動過去にもまして無暗と時間を食うような仕組みになってきており、研究活動スキルアップさせようもない。これが日本社会の現状である

anond:20240810135156

例えばルッキズムしちゃ駄目でしょ・差別しないで、と子どもを叱るのはどう?

いまの子ウェブAIを使えるから、親が細かく説明しなくても、自分のペースで望むだけ深掘りできる。

なんか親が何でも教育しなきゃって空気があるけど、責任感どうこうにこだわらず、もっと社会全体にコスト分散させた方がコスパがいいと思うんよな。

SNSフェミニズムを語る女性たちが、男にも女にも嫌われる決定的理由

なぜ女性差別をめぐる論争はたびたび炎上するのか。性問題解決に取り組んでいるホワイトハンズ代表理事の坂爪真吾氏は、「多くの問題は、原因をジェンダー還元するだけでは解けない。しかし『ツイフェミ』と呼ばれる動きは、すべてをジェンダー還元するため、『被害者加害者』という二元論に陥っている」

ここ最近、「ツイッターフェミニズム」(ツイフェミ)と呼ばれる動きが一部で広がっている。一見すると、ツイフェミミサンドリー男性嫌悪)によって突き動かされているように思える。だが、ツイフェミミサンドリストという理解は、決して正確ではない。

ツイフェミ言動過激化する背景には、「男が許せない」という怒りに加えて、もう一つの大きな怒りが存在する。

ツイフェミ攻撃するのは、女性嫌悪に満ちた男性だけではない。女性嫌悪に染まっておらず、フェミニズムに対して理解を示すリベラル男性たちもまた、彼女たちの攻撃対象になる。女性への性暴力に反対するデモイベントに来た男性に対して、主催者が「男性の方もこんなに来てくださった」「賛同してくださる素敵な男性もいらっしゃった」と感謝の意を述べると、「少しでもまともな男出会った時に感謝する癖は見直すべき」「被災者ボランティア接待をさせられているのと一緒だ」といった批判が飛び交う。

フェミニズムから派生した学問であり、男性に対して「男らしさの呪縛を解き、女性とお互いを尊重する対等な関係を築こう」という視点から啓発活動を行っている男性学も、一部のツイフェミからは「男性フェミニズムの言葉簒奪して自己弁護をしているだけ」と、親の仇かたきのごとく敵視されている。

なぜ彼女たちは、女性搾取するヤクザホストDV夫といった「明らかな敵」ではなく、「明らかな味方」=自分の身近にいる、フェミニズムに理解を示すリベラル男子たちを執拗に叩くのだろうか。

最大の理由は「自分たちの攻撃が最も通じる相手からである。「何でも斬れる刀」としてのフェミニズムは、基本的に近距離戦でしか使えない。フェミニズムの理論は独特の言い回し専門用語に満ちているので、使い道を間違えると、同じ文脈や言説空間を共有している人(=フェミニスト!)にしか届かなくなる。

そのため、フェミニズムに親和的リベラル男子は、ツイフェミ言葉理解・共有できてしまうがゆえに、最もツイフェミから被害に遭いやすい。

2020年4月22日馳浩文部科学大臣を含めた国会議員らが、一般社団法人Colaboが虐待や性暴力で居場所を失った少女たちのために運営しているカフェを視察した際、10代の少女に対するセクハラ行為があったとして、同法代表の仁藤夢乃(@colabo_yumeno)は、参加した議員ら全員に文書謝罪することを求めた。

この事件はツイフェミの間で大規模な炎上を巻き起こし、安倍晋三首相は同月29日の参院予算委員会で、馳元文部科学相厳重注意する意向を示した。

女性支援に取り組んでいる男性政治家社会起業家ジェンダー平等を目指した政策提言署名キャンペーンを行う男性社会活動家やジャーナリストは、ツイフェミにとって格好のターゲットだ。

彼らの言動事業の一部を恣意的に切り取って、「差別無自覚」「儲け主義」「自己顕示欲を満たすために、女性を利用している」といったレッテルを貼って炎上させる。

燃え盛るタイムラインを眺めながら、「コスト優先で人権感覚のない人たちの運動って、やはりこういうことだよね」「化けの皮が剥がれたよね」とうなずき合うことが、彼女たちにとって至福の時間になる。

実はフェミニズムそのものが最も許せない

しかし、ツイフェミが最も激しく攻撃するのは、女性差別無自覚男性でもなければ、リベラル男子でもない。フェミニズムそのものである

ツイフェミが抱く「フェミニズムが許せない」という怒りは、「男が許せない」という怒りと同様、あるいはそれ以上に激しく燃え上がる傾向がある。

著名なフェミニストによる記事ウェブ上でアップされると、待ってましたとばかりに、すぐに発言の一部を切り取ってSNS上で拡散させ、「この発言は、○○への明らかな差別だ!」「こんな人がフェミニストと名乗るなんて、絶対に許せない」と一気に怒りをヒートアップさせる。

普段は「女性はこうあるべき」という性規範否定的に捉えているにもかかわらず、「フェミニストはこうあるべき」という規範にがんじがらめになってしまい、その規範から1ミリでもはみ出した言動をする人が許せなくなる。

ポルノや性産業批判しない者は、フェミニストではない。女性の客体化を批判しない者は、フェミニストではない。男性性的まなざし迎合する者は、フェミニストではない。性暴力被害者の声に共感しない者は、フェミニストではない……などなど。

そして、「誰が本当のフェミニストか」という問い=「何でも斬れる刀」の正当な使用権相続権をめぐって、フェミニスト同士で壮絶な斬り合いを演じるようになる。

2024-08-09

anond:20240808234600

男性メイクを試しもせず不幸なままでいるのって、単にメイクの良さを知らないから、だと思う。

はてブ勉強する理由のまとめを読んだけど、知識ウェブ検索できる、でも勉強してなきゃ検索しようって発想が出てこない。

授業でガッツリじゃなくてもある程度はインストラクトがあっていいと思う。

男子も基礎化粧品くらいは揃えないと今の時代男女不平等ですよー、くらいの触れ方でさ。

2024-08-04

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-08-02

ダークウェブ版の増田ってあるんだ?

anond:20240802014303

ほとんど存在してないのと同じじゃんw

ダークウェブ行ってまで増田の話したくねえーw

2024-07-31

anond:20240731143044

どんなことにも金がかかるという当たり前の現実

金を持ってるやつが支配者になる。

ウェブ世界広告屋支配者として君臨している。

Windows不自由だが「少なくとも手元にある物理的な装置データ」は自分が所有できて、自分自由にできる。

狭い世界自由になるか広い世界支配を受け入れるかのどっちがマシなのかって話だ。

2024-07-30

インターネット時代相続

全部ビットコにしてウォレットで送金してもらったら相続税0円にできちゃうよね?

流石に交換所使えばバレちゃうだろうけどダークウェブスイス銀行に振り込んでもらえば勝てそう

anond:20240730162734

1.SDカードに詰め込んで、どこかに埋めて時限式で遺言ネットに放流

2.ダークウェブ経由でロシア辺りの人と仲良くなって全データ引き渡し(相手国は著作権概念がないといっていい)

電子時代相続

87歳になるそろそろ父が死にそう。

しろもう半年からほぼ死んでて入院中で意思の疎通が取れない状態が続いている。

父はそれなりに先進的な人間フリーランスSEとして66歳まで仕事を続けており、ウェブ上で様々な決済や仮想通貨取引投資などを行っていた。

ここで問題になるのが、父が持っている資産の全貌を掴むのが難しいのではないかということだ。

父が持っている端末、iPhonegalaxyPCにはそれぞれパスワードがかかっており、家族の誰もアクセスすることができない。

こうなると、父がどのサービスにどの程度の資産を持っているのかほとんどわからない状況になる。

昔なら株券や通帳がまとめて資産として金庫なり箪笥なりにしまわれていて、遺品整理の際にそこから死亡後の死亡届の提出や相続手続きに移れたが、

多くがウェブ上に存在し、それを確認できる端末にアクセスできないとなってしまうと総資産の把握がめちゃくちゃ難しいのではないか

しかしたら遺言状にすべて書いてある可能性もあるけど、書いてない可能性もある。

 

これまでも「あるんだけど誰も知らない資産ってのはあってそういうのはなんかどっか行ってたんだろうけども。

おそらくこれから死んでいく人の中には物理的に資産がある場所を示せないサービスを受けている人が増えていくと思うんだけど、自分の肉親が死んだときはこういう対処をしたよとか、自分死ぬときのためにこういう対応をしているよとかあれば教えてほしい。

2024-07-27

anond:20240727145606

渦中にある岡くんは50歳のオバハンだがそのネット祭りを楽しんだこともない(オタ充ですらない)無キャチー牛なのでウェブ上におけるヒエラルキーインターネット老人たちよりもずっと下である

ウェブ連載のコメント

リアルめくらのチー牛多いなぁって書き込みかけてやめたので褒めて!

2024-07-25

anond:20240725074317

その記事ネット上にかなり出回ってるので有名だけど、

かさばるし買う人間も限られてるので型取りした親はそんなに儲かってはないだろう

一昔前のジュニアアイドルの際どいDVDの方がよほど経済を回していた

 

幼女は性の対象と思われていなかった近代から

幼女ヌード芸術とされもてはやされたのが80年代

それを見てロリコンに目覚めた人間が多数発生し

エロ本業界がこぞって幼女ヌードを売り始め、東南アジア幼女撮影しに行って

日本ヌード写真集を売るという一大経済圏が出来上がる

撮影者として最も有名なのが清岡純子モデル代表西村理香だろう

地下では幼女への性犯罪の様子を収めた映像普通に売買されていたが摘発されたという話は聞かない

この時代ロリコンの表の黄金時代だったと言える

 

90年代後半になって急速に問題視され始め、売買が禁止される

禁止される直前にはヌード写真集ロリエロビデオが高騰し、とても買えるような値段ではなくなったのを覚えている

2000年代に入ると、表では取引できなくなった代わりに

ネットを通じてP2Pでやりとりする時代になり、過去流通したもの

新規撮影したものネットさえ使えればいくらでも手に入るようになる

この時代ロリコン裏の黄金時代だったと言える

売買が違法でもネットダウンロードすれば、自分がアップしない限り合法だったので

趣味として収集していたロリコンは相当多かったはずだ

ロリコン人口は増え続け、ヌードではないギリギリの着衣DVDというもの流行るようになる

 

ロリコン文化が壊滅的打撃を喰らったのはやはり2014年単純所持禁止だろう

ここから社会的にもロリコン文化はアウトであるとみなされるようになり、

二次元ならOKという文化を死守しようとしている勢力存在するものの、

Amazonクレジットカード会社から攻撃もあり相当弱体化している

現在はダークウェブなどで流通しているようだが法を犯してまでロリコン趣味を続けようという

人間の数は相当減ったと思われる

時代の流れでロリコン文化タブーになり弱体化したことは本当にいいことだと思っているが、

自分世代はこのようなロリコン文化栄枯盛衰経験できた稀有世代であり、幸運だったと思う

2024-07-24

戦国大名黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない

追記をはじめに書くべきとのブコメがありましたので修正しました。

追記

○増補新版しか弥助の記載がないってコメントあるけどそうなの?そもそもロックリーの本の方が先にでているらしいし、頑張ってこんな微妙ウソつくのはどうなんだ。/そもそも記載は本当でも南蛮人から買うしかない

○弥助の事書かれて無い2017年大航海時代日本人奴隷持ってるけど、2021年発行増補新版の間で何かに目覚めたんかな?17年版は序章の改宗ユダヤ人異端狩りを逃れて日本へ逃げ込む所なんか凄い面白い本なんだけど

増補版しか手元にないせいでわからなかった

そしたらロックリー先生初出、岡・ソウザ先生がそれを取り入れた可能性もあるのか

そしてそれを取り込んでしまったせいで目茶苦茶な記載になったのかも

追記2

先生著作ミスについてコメントしていた。

肥後に弥助の妻子がいたと読み取れる件について)

○その部分は、校正の最終段階で、段落を丸ごと削除した際に残ってしまったミスです。2021年再版刊行時にすでに修正済みです。アカデミアの方であれば、そういったことが生じることはご存知ではないでしょうか?それに、弥介の話は前段落で終わっているのは、文章を読めば理解できるところです。

○なおkindleは初版以降の修正は反映されないことが確認されたため、本日中央公論新社協議の上、Amazon修正依頼しました。来週には修正される予定です。本日大規模重版かかりましたので、同じ頁の数字の誤字も修正されます。ご指摘、どうもありがとうございました。

(後掲岡先生のXより)

アカデミアでは段落丸々削除する程度のミスは当然に生じうるか問題なし、またこれを弥助の話と取るのは読解力の問題、とのようだ。

弥助の話をしている流れで肥後の妻子の話を続けているのだから普通の読解力だと弥助の話と受け取ると思うのだが。アカデミアの方々の高度な読解力は凄いね

また、私なら、まずミスしてしまった本を読んでしまった読者に謝罪するけどアカデミアの流儀は分かんないね

なお、「廿」については修正されていそうだが、「器量すくやか」の誤読(?)についてはコメントされていなかった。

本論

戦国大名黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない

かもしれない。

アサクリの弥助問題から派生して、日本大学准教授ロックリー先生が、「戦国大名黒人奴隷を欲していた」とデマを流している、との言説がある。

しかし、これはロックリー先生デマではないのではないか、との意見がX上で交わされているので、ロックリー先生名誉のためにまとめておこうと思う。(リンクが多くなりすぎるのでリンクは省略)

おそらく初出は岡先生ソウザ先生では?

東京大学史料編纂所准教授の岡美穂子先生と、その配偶者であり東京外国語大学特任教授ルシオ・デ・ソウザ先生の共著である大航海時代日本人奴隷 増補新版」(中公選書)という学術書がある。

この書籍にはこういった記載がある。

屈強で珍しいカフル人を従者にすることは、日本人にとっては「富貴」や「威風」の象徴で、交易関係する大名たちはこぞってその所有を望んだと思われる(215ページ)

https://i.imgur.com/ul26Fbq.jpeg

また、ロックリー先生著作の「信長と弥助」(太田出版)にはこうある。

権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。(13ページ)

https://i.imgur.com/3pNcW5T.jpeg

ロックリー先生著作2019年出版、岡・ソウザ先生著作2017年であることからロックリー先生は岡・ソウザ先生著作を参考に書かれた可能性がある。

まり、岡・ソウザ先生は従者と記載しているのを、ロックリー先生奴隷と言い換えてしまったようなのだ母国語ではないせいで細かいニュアンスが変わってしまったのか、意図的なのかは不明だが。

ちなみに岡先生ソウザ先生著作に「「富貴」や「威風」の象徴…こぞってその所有を望んだと思われる」とあるが、その根拠は示されておらず、不明である。岡先生ソウザ先生の博識にてらすと論ずるまでもないことなのかもしれない。

ただ、ロックリー先生著作英語版では内容が異なるという話もある。そこまで追えていないが。

というわけで「大航海時代日本人奴隷 増補新版」(中公選書)を読もう

商売上手の中央公論新社が、話題になったこの機会を捉えて「大航海時代日本人奴隷 増補新版」を増刷してくださるそうだ。(https://x.com/chukoshinsho/status/1815737944243573035

せっかくの機会なので皆様も是非お読みいただきたい。

注目すべきページがある。(https://i.imgur.com/aQlemYT.jpeg

弥助の年齢

書籍内では「16、7歳」(4行目)とあるが、実は信長公記では「廿六、七」と書いてある。もちろんこれは26、27歳のことであり、①単純なミス発見できなかったか、②「廿」という文字が読めなかったか、ということになる。ケアレスミスだろうか。

弥助の特徴

書籍内では「穏やかな気性」(5行目)とある。これも信長公記にあたってみると、「器量すくやか(健やか)」とあるが、現代文に訳すのならば「立派な」や「頑丈な」、「才気にあふれた」といった意味となる。これもケアレスミスだろうか。

肥後に妻子がいた?

書籍内では肥後に妻子がいたとされている(後ろから2行目)。文脈上これは弥助のことだと思われるが、史料中で弥助に妻子がいたことを示すものはまったくない。何を根拠にしているのだろうか。

余談

ルシオ・デ・ソウザ先生は、ロックリー先生の最新作「A Gentleman from Japan」の推薦を書いており、関係は良好だと思われる。

余談2

岡美穂子先生によると次の通りだ。

ゲンダイ」系の媒体、上から圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます。どうせ競馬女性の裸の写真しか載っていないんだろうから読者の質など知れていると、オカミはタカをくくっておられるのかもしれませんが、なかなかどうして、左翼知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼絶対嫌だ。

そんなこんなんで、お友達がいるわけでもない日刊ゲンダイで、本が紹介されました。とても嬉しいです。

https://web.archive.org/web/20201101144221/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-06-01/

先生ブログによると、左翼知識人日刊ゲンダイをかなり支持しているとのこと、また、御本人は左翼でも知識人でもないけど、右翼絶対嫌とのことだ。

ちなみにこのブログは、2024年5月16日まではウェブアーカイブにて確認できるが、岡先生が今回の弥助・黒人奴隷議論に御参加されるころには既に削除されてしまっている。

知的財産喪失だと思われ、非常に残念に思う。

余談3

弥助・黒人奴隷議論に際し、岡先生のなされた御発言をまとめておこうと思う。

○これだけ「歴史修正主義」って叫ぶ人が出てきてるのに(笑)、右系論壇が沈黙しているのは、さすがにこの問題に関わったら、常識を疑われると認識できているのだろう。

○将来を嘱望されていた呉座さんがあんなことになってしまったのは、あなたたちのような人と不用意に繋がってしまたからでしょうね。

○「権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的国益問題」と判断すればですが。

○私はロックリーさんの著作は、日本語も英語も「歴史読みもの」であり、学術研究であるとは考えておりません。しかしそれが書かれるにあたって、彼が様々な文献にあたり、想像を超える努力したことは存じております

○彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。

○に「裏で」繋がっていませんが。私が海外出版した本のレビュー権威あるジャーナルで紹介してくれたのは彼ですし。面識のない人を「あんた」と呼ぶのは、いかがなものでしょう。おそらく、現在表に出ている人間で、彼を表舞台に連れてこれるのは私だけですが、こんな人のためにはできませんね。

https://twitter.com/mei_gang30266

ここから、①右翼右派に対する敵対心がある、②ロックリー先生著作は読み物だが、ロックリー先生努力やそれを信じる人のためにも否定しない。(ロックリー先生史実と主張しているが)、③政府から言われれば自身著作修正しても良い、④ロックリー先生とは夫婦揃ってかなり深いつながりがある、という御意見をお持ち・事実関係であるいうことが読み取れそうだ。

余談4

著名な学者であり、岡先生の同僚でもある隠岐さや香先生まで、岡先生擁護論陣を張っていた。

先生はじめまして。大変お疲れ様です。横から失礼します。

日本研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧一種として国際的にも認識されています

https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/

https://x.com/okisayaka/status/1815268791099764775

ちなみにオンラインハラスメント日本での事例として、隠岐先生御紹介のページでは望月衣塑子さんの新聞記者が挙げられている。あれってフィクションじゃなかったっけ…?

2024-07-22

C++C#Javaで働きたいが

FizzBuzz書けないプログラマたち」「技術書を買ったことも読んだこともなくパソコン教室状態」で働く確率が高い。

ウェブ系に行くしかないのだろうか

2024-07-21

anond:20240721112956

言語とは、特定ルールに従って情報を伝えるためのシステムです。

CSSは、ウェブページスタイル定義するための特定ルールセットを持ち、それに従って情報を伝えます。したがって、CSS言語一種です。

CSSは汎用プログラミング言語(例:JavaScriptPython)とは異なり、特定目的スタイル定義)のために設計されています

Turing Completeでない言語言語として認識される例として、HTMLSQLも挙げられます

CSSも同様に、特定目的を果たすためのスタイルシート言語です。

世界中ウェブ標準を推進するW3CWorld Wide Web Consortium)は、CSS正式言語として認識し、仕様策定しています

この公式認識CSS言語である証拠の一つです。

2024-07-20

anond:20240720055737

艦これ最初uwsc遠征だけ回してたけど、そのうち今話題のダークウェブで配布されている高度なマクロツール使ってゲーム全てを回すようになったなぁ。IE偽装して人間マウスクリックを模しているらしくて、人間が無理なく回せるようなスケジュールを組む限り、バレないって話だったな。まぁあのゲーム、1日20時間くらい資源課金しながらニコ生で周回垂れ流すガチキチがそこそこいたので「人間が無理なく回せるようなスケジュール定義とは?」と思うところはあったけど。

2024-07-19

anond:20240719130028

なんでダークウェブ版があるのにわざわざこっちでやる必要があるんだ笑

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