はてなキーワード: 麻酔とは
私はもともと経鼻でそこそこ辛い思いをしてきて,あるとき同僚に勧められて経口+鎮静剤を希望した.数千円かかったが,あの痛みを回避できるなら安いもんだ.期待に胸膨らませて当日を迎えた.
ところがだ.看護師に鎮静剤を処置してもらったが一向に効き目が現れない.
意識ギンギンのまま医師が登場したときの絶望感たるや.あれだ,よく悪夢で見るあれだ.麻酔が効かないまま解剖されるみたいなやつ.ああいう状況になった.鎮静剤ありきなので医者も一切手加減してくれない.これが地獄かと思った.
「ヴォおおおお」
遠くで獣の鳴く声が聞こえる.自分の声だった.こんな声初めて聞いた.
どれくらい時間がたったかわからないが,術後に看護師さんに聞かれた.「お酒強いですか」
全く強くない.すぐ酔っ払う.
どうだ,怖くなったらだろう.せいぜい地獄を楽しめ
バリウムは解像度が悪くて腕の差が出やすいので再検査になって結局胃カメラになることが多い
しかも「再検査の場合は経口しか選択出来ません」とかの場合が多い
今時は経鼻でも経口でも解像度変わらないのに昔の基準が適用されてる
経口カメラはやった方が寿命が縮まるんじゃないかと思うぐらいしんどい
しばらく体調が悪くなったりするし絶対にやめた方がいい
鼻からもかなり辛いとは思うけれど他の二つを比べるとずいぶん楽
もちろん積極的に受けようとは思わないけれど受けるなら経鼻
始まった瞬間に終わってる
三十五になり、健康診断では任意で検便と超音波検査とバリウム検査が選べるようになった。どれもタダだから受けてしまえばいいだろう思って同居人に話したところ、バリウムの不快さとバリウムだらけになる便所掃除の大変さを延々と説かれたので、それなら検査が義務になる四十まで待てばいいだろうと高をくくっていた。
ところが、超音波検査で要検査との結果が出て(註:結局これは何でもないことが後に判明する)、慌てて胃の様子も見てもらうことにした。要検査と言っても、ちょっと疑わしいレベルのことだと書かれていたが、万一のこともある。
そこで、普段お世話になっている消化器系のお医者さんに連絡を取った。だが、自覚症状がないので自費診療になってしまうとのこと。そこで何か腫瘍だとか潰瘍だとかが見つかって細胞をつまむのだったら、自費診療ではなく保険適用になるかもしれないらしい。これだけで一万円近くかかるので迷ったが、お金よりも安心をとったほうがずっといいので受けることにした。
その後、受付の人から「自覚症状があれば保険適用の可能性もゼロではない」と聞いたので、「時折食不振と満腹感、まれに口臭」と書いた。
タダでできるものを一万円かけてやったのもなんだか損した気持ちがするが、胃カメラとバリウム検査のどっちが体質的に向いているかを知るいいチャンスだと思うことにした。話の種にもなる。
件の医師は痛みの少ない鼻からの胃カメラを前面に売り出している。申し込めば全身麻酔でやってくれるらしいのだが、それだけ余計にお金がかかるし、繁忙期が近いのに丸一日つぶれるのはちょっと困るので午前休だけで対応できる部分麻酔を選んだ。前述の別の検査もあり、あまり時間をかけたくない。
説明によれば、二十一時以降は食事なし、朝食は抜き。多少なら水は大丈夫だった。検査によっては水も飲んではまずいらしいのでこれは助かった。
受付を済ませ、別室にて鼻うがいの要領で麻酔剤かなんかを入れられた。鼻の穴に水が入るとツーンとして何とも言えない不快感があるのだが、この薬は平気だった。聞くところによると塩分と温度が適切だと大丈夫らしい。
次に液体の飲み薬をもらう。なんだかわからないが、おそらく食道から胃にかけての麻酔か何かだろう。薄味のカルピスみたいでおいしい。
麻酔の後は効果が出るまで少し待つ。鼻から麻酔が垂れてきたり、のどの奥に流れたりするはそのまま放っておけと言われたので待合室では下を向いていたが、おかげでマスクがべしょべしょの惨状になった。
さらに奥にある別室に案内され横になる。また鼻の穴にぬるぬるしたものを流し込む。その時は麻酔だと聞かされた覚えがあるが、今にして思えば潤滑油みたいなものだったかもしれない。
そこで右の鼻の穴に機械を入れられ、続いて左の穴にも入れられたのだが、どうもうまくいかない。ただインフルエンザ検査キットを鼻の奥に突っ込まれたような不快感があるばかりだ。どうやら鼻の穴の奥が他人よりも小さいらしく、結局は普通の胃カメラのように口から飲み込むことになった。
そこからが大変だった。舌を固定する器具をくわえさせられ、そのまま管が食道を下っていくのだが、食堂が刺激されて吐き気が延々続く。げえげえと声を漏らしながらなんとか飲み込んでいく。絶食していてよかった。助手の女性がずっと背中をさすってくれているのだが、嘔吐感と異物感がしんどく、何度か胃の内壁をつつかれて胃の形が変わっていく感じがあった。加えてさらに奥までいじられたような形容しがたい気分がした。よく噛まずに何かを飲み込んだときのように、食道からずっと胃の奥までがずっしりと重い。
管を飲み込んでいるはじめのうちは拷問のようで、最初からバリウムをおとなしく飲んでいればよかったと激しく後悔していた。だが、徐々に力の抜き方がわかってくると苦しさは減じ、「なんだか気持ち悪いものが入ってる」くらいの違和感レベルまで落ちた。助手さんさすってくれていたのが本当に効果的だった。
終わった後に助手さんから「力が抜くのがうまかったですよ」と言われた。半分くらいはお世辞だろうが、半ばやけで俎板の鯉見たいに開き直ってからのほうが、確かに楽になった。とはいえそれはさすってくれたからなので、よくよくお礼を言った。
しかし、施術中は鼻水と涙は止まらず、マスクは使い物にならなくなっていた。新しいマスクをもらえたのはありがたかった。
時計を見ると、実際に胃カメラを飲んでいたのは十五分ほどだった。思ったよりも長かった。たぶん途中から無になっていたので、時間の経過がわからなくなっていたのだろう。
何の問題もなし。口から十二指腸の入り口まで見てくれたのだが、きれいなものだった。(余談だが要検査だったもう一つの検査でも医師から「若くてきれいな内臓」と褒められたので結構嬉しかった)。
面白かったのは噴門と幽門がはっきりと観察できたこと。噴門はトンネルから洞窟の広いところに出たような光景で、幽門は胃の内容物がゆっくりと十二指腸に送られるよう、きちんと閉じるような門のような仕組みになっていた。さっき感じた胃の内側をぐりぐりされる感覚は、たぶん幽門の奥までカメラが進んでいたからなのだろう。
また、胃の内壁は牛のそれ(ハチノス)と同じような皴があった。なるほど哺乳類なのでだいたい同じなのだと感心した。
結局保険適用はされなかったが、面白い経験ができたし、健康だとわかって安心した。来年にバリウムを飲むことがあったら、また比較して感想を書くかもしれない。
初めて妊娠した友達に出産の時1番必要だったものを聞かれた→結論「テニスボールと夫」
https://togetter.com/li/1945946
コメントに「無痛分娩と帝王切開がより一般的になればいい」みたいなことが書いてあるが、帝王切開が手術だと知らない人未だに多くないですか。帝王切開なんて名前のせいも大きいのではないか。
帝王切開の名前の由来は知っているが(Wikipediaにも載ってるし)、未だに「帝王切開」という一般名称がそのままなのが良くないのか。「切腹胎児摘出手術」とかいう名前にすりゃいいのだよ。無理か。
帝王切開は手術である。腹を切って子宮という内臓を切る。これは日本では医学的な理由がないとしない。「手術しないと母親か胎児あるいは両方死ぬか重篤な障害が残る」場合である。
(コロナ流行ってからはコロナに感染してしまった妊婦さんは感染を防ぐために帝王切開になったらしいが。)
「陣痛痛いから手術ね」はありえんし、そもそも腹切った方が痛いし一生傷痛むで。場合によっては傷口と腸とかが癒着してえらいことになるんじゃ。
自分の場合は予定帝王切開であった。手術の数日前に決まった。慌てて手元にあった「初めての出産」本の帝王切開の項を見たが、1ページくらいしかなかった。大した参考にならんではないか。ネットで検索し、当時一番役に立ったのが2chの帝王切開スレだった。経験談や入院の際の役に立つアイテムなど大変お世話になった。
いよいよ入院。前日昼から食事抜き(だった気がする)。夜から飲み物もなし。手術前のインフォームドコンセント。妊婦かつ骨盤内手術のためダブルの血栓リスク。血栓出来て詰まる場所によっては最悪死ぬ模様。
自分は部分麻酔で済んだので、手術前にまず腰椎に麻酔。これが激痛らしいのだが、自分は陣痛が始まってしまっていたため陣痛が痛すぎて注射の痛みを全く感じなかった。不幸中の幸いであった。
いよいよ腹切り。幸い麻酔が効いて痛くない。ちなみにネットで読んだ話だと、緊急帝王切開で一刻を争うために麻酔効く前に腹を切り始め絶叫手術になった人がいるそうな。予定で良かった。
しかし手術で麻酔かけたからって「痛くなくて楽したねー」なんて言う人いるかね?しかし帝王切開だけは言われるのだ。「帝王切開で楽してさ〜」と。なんでだよ。いてーよ。
大体手術始まって10分弱で赤ちゃん出てくる。早い。呼吸確保した赤ちゃんとご対面した後、赤ちゃんは保育室へ。一晩保育器で監視。赤ちゃん死にやすいから24時間は保温して要監視。
麻酔は術後すぐ切れて激痛が来る。子宮収縮剤を点滴される。文字通り、子宮を収縮させるためである。経膣分娩だと分娩中に子宮が収縮するわけだが、帝王切開だと収縮しないので薬で収縮を促すのだ。なので後陣痛と腹の傷のダブル激痛。痛み止めの注射を一回だけしてもらえるのだが、これは手術の傷にしか効かない。後陣痛には無力である。筋肉注射で痛いですよ〜と言われたけど腹の傷が痛すぎて注射の痛みはわからなかった。不幸中の幸い(2回目)。ちなみに痛み止めは大して効かなかった。痛いわ。
血栓とむくみ防止のために足にはバルーンマッサージ器を装着。空気で膨らませたり抜いたりして一晩中足をマッサージ。シュコー、シュー、と音がうるさくて傷でヨレヨレの体にしみる。
忘れてたが手術前に尿道カテーテル入れた。これも痛いらしいけど入れたの麻酔前か麻酔後か忘れた。痛かった記憶がないので。不幸中の幸い(3回目)。
発熱もして一晩ほぼ激痛で眠れず翌朝病室へ戻る。カテーテル抜くのも痛いらしいが、傷の痛みで(4回目)。病室へ戻れば夕方からは歩行訓練開始である。子宮の傷口が腸等と癒着するのを防ぐためだ。絶食からのー、歩行〜。背筋伸ばして歩いたほうが痛くないよ!と助産師さんに励まされる。痛い。
手術で胎盤は大半取ってしまうものの、後産はあるので出血が続く。子宮内ののこりもんを排出するために助産師さんが腹をぎゅうぎゅう押してくれる。手術の傷の上から。フゴォ…と唸るしかない。
入院したのが大部屋だったのでトイレが遠い。トイレ行くの大変でしょう、と看護師さんが部屋に便器持ってきてくださったが、さすがに大部屋で他の人もいるのにするのは…とトイレまで唸りながら歩いた。
このあと数日は後産のために傷口ぎゅうぎゅう押しが続く。痛いよ。
11日目に退院した頃には痛みはかなりましにはなっていたが、しばらくは傷の痛みがフレッシュであった。
その後もうひとり出産し帝王切開歴は2回になった。ちなみに一度帝王切開をするとその後の出産は普通は帝王切開になる。何故かというと、一度子宮を切ると切った部分が薄くなり、次の出産時に陣痛が来ると子宮が破裂する確率が高くなるからである。子宮が破裂すると大体30分以内に腹を切り胎児を取り出し出血を止めないと母子ともに死にます。帝王切開後の経膣出産をVBACと言い、やる人もいるけれど日本でも子宮破裂で病院が訴えられたことがあり、手掛ける病院は減っている模様。産科も減ったしな。
VBACの歴史については各自検索で。元はアメリカで入院期間減らして医療費を安く上げるために30年くらい前に流行ったらしい。
日本だと「自然な出産」へのこだわりやら「帝王切開は楽してる、甘え」みたいな考えのせいも少なくはない気もしなくもないけど。
話がそれたが、最後に腹を切ってから10年以上経ったが、未だに痛む。寒いと腹の傷は痛む。元から月経痛が酷かったが、月経のたびに刺すような痛みも加わった。痛みのアンサンブル。
あと便や尿が溜まると子宮あたりに激痛が走るの、癒着してるんですかね?しらんけど。
こんな感じで、帝王切開は楽じゃない。手術だよ。自分の場合は比較的術後の回復が良かったので、もっと大変な人も沢山いると思う。帝王切開した人に「楽できてよかったじゃーん」と言う人にはなんかちょっとした呪いをかけたい。うどん食べると鼻から出るとかな。結構痛いよねあれ
最初はふーんくらいで済んでたけど、何回か催促されて病むようになって、子供が出来ない自分を責めるようになって生きてくのが辛くなる
それを旦那に伝えると泣き始めたのは覚えてる
お互い行為が苦痛なのは分かり始めてたので、Amazonで買ったシリンジでルナルナの排卵日予測に出てきた排卵日に注入するのを何回かやってみる
まー妊娠しない
最初コロナの流行り始めで病院に行くという考えはなかったけど、コロナ第1波が落ち着き始めた頃に不妊治療を本格的に考え始めた
行こうと思ってた不妊治療の病院には、女性だけの問題ではありません!男性も一緒に!と書かれてて、旦那に一緒に行かない?と聞くと、俺は行かないと答えられて、この人その気ないんだなってガッカリした記憶はある
何ヶ月か過ぎて義母のおじいちゃんおばあちゃんのお墓参りをしたいと旦那に言われたので、一緒にお墓参りと旅行をした
この旅行で旦那さんの考えが変わったようで、不妊治療を始めることになった
初診は血液検査で何本も血を抜かれて、若い男性医師に、何年も子供できないので不妊症ですね、と言われ号泣する
週一回排卵チェックと生理が来たら採血、通水と卵管造影の為通院が始まる
まず排卵チェックで躓く
40日過ぎても排卵しないからピル飲んで生理起こさせるのも2回やった
ここまで排卵しないと、多嚢胞性卵巣症候群の疑いありになって、糖尿病の検査もやった
結果は陰性だったけど、卵子が育たないのでレトロゾールを飲み始める
痛みで死ぬかと思ったけど、キレイな子宮のカタチが見れて何かテンション上がった
重要な旦那の精子検査の結果はどの項目か忘れたけど、先生からすごくギリギリですけど他が頑張ってるので大丈夫ですよ!と言われる
レトロゾールのおかけで排卵し始めたので、人工授精をやることになった
先生からは4回やってダメなら体外受精も考えて下さい、でも〇〇さんは若いので出来ると思うし自然に近い形がいいですよね!と言われる
4回やれば出来るでしょ、だって先生が若いって言ってたし!と安易に考えていたが、4回全て全滅で生理がきて、毎回泣いて離婚してほしいと旦那に泣き叫ぶ地獄の日々が続く
メンタルが安定してたのは生理終わりかけから排卵するまでの2週間くらい
5回目の人工授精で旦那の精子の運動率が異常に悪くて(30%もなかった)、これは妊娠無理ですねと言われる
旦那の長風呂が原因だったが、これで体外受精に移る気持ちになる
体外受精に移ることを先生に伝え、レトロゾールを飲んで卵子2個を育てる
1個新鮮胚移植を受けることになり、1個は凍結保存をした
移植の担当医が下手くそすぎて涙目になりながら移植終われを祈る時間になった
これでこの通院からもおサラバ!と思ってたいたが、採血の結果は陰性ですぐに生理がきた
子供を授かることはそんな甘いものではないのを見せつけられた気がした
精神的に荒れに荒れまくってたと思う
まあ荒れてばかりもいられないので、次は卵子を数打ちゃ当たるようにたくさん作ろうと思い、レトロゾールと自己注射をする
自己注射をする私を見て旦那は引いていたが、そんな事辛くも何ともなくなっていた
そして採卵すると卵子が4個取れたが、採卵の時の麻酔で気持ち悪くなって病院のベッドで暴れる私を見て看護師さんに引かれる
後日4個のうち2個は受精卵にならなかったと培養士から連絡がくる
残った2個は先生曰く最高ランクと普通ランクの受精卵ができていると言われた
最高ランクの受精卵を移植することになって、着床するために切れ込みも入れてもらった
2回目の移植担当医は上手すぎて受精卵いれました??と聞きたくなるくらいすぐに終わった
パンツを脱ぐとヨーグルト臭いのとホルモン剤が溶けてベタベタになるので、生理じゃないのにナプキンを付けて生活する
何も考えないで生きることしか思わなかった
採血されてから結果を言われるまでの時間が辛くて手が冷たくなってたせいで、院長と握手した際に引かれる
そこから7週間は不妊治療の病院に通い、流産予防の柴苓湯とホルモン剤というくそ高い薬代を払い続け、心拍確認ができたら病院成功報酬を払って、不妊治療を終える
ブクマやコメントくださった皆さんありがとう。ひとつひとつ大切に読ませてもらっています。
この日記は、コロナ前の2018-2019年。妊娠&出産したとき書き殴っていたメモがスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。
あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)
・妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。
・仕事や趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。
・妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センターは大勢の妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。
・エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。
・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。
・つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパー、トイレの芳香剤の香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。
・食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理が趣味だからと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。
・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だって、あんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。
・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性と覚悟が座ってきた。
・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。
・妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。
・お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性に生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性、会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気でビリビリ覆われている感じ。
・妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。
・母親学級にて、先生が朗読したポエム「わたしがあなたを選びました」で、おんおん号泣。
・TV番組「ワイルドライフ 野生動物のリアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメをバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣。
・エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣「可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。
・出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からあまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月は胎動が落ち着いてくるとか聞いてたから特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。
・翌朝破水、陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。
・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…
・感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。
・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw
・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたものは文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。
・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。
・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…
・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。
・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。
・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。
・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子はラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。
・産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。
・産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンションが二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。
・産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開はラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。
・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。
・ 実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。
・24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児に必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳の状態もみてもらえるし、疲れたら助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事、おやつ、マッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。
・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃんの名前はこの時に2人で決めた。
・施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代の自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後はもっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママへ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分に自己嫌悪したり。
・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビングが精神と時の部屋化する。
・おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決!
・産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事もバリバリやってスタイリッシュなオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランでワインを飲んで…というコテコテの月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの。
・我が子はものすごく可愛いし毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。
・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。
・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。
・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活上必要最低限の会話だけ。
・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワーをジャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。
・母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉が流行る。うんこしたい時の合言葉になった。
(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)
・オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとワクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉〜中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占いを
・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。
・イベント化する選挙。夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。
・産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛。おむつ替えのとき、赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。
・整形外科通院。手首の腱鞘炎に注射。むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚な感触。。ポクン!て鳴った。
・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。
・やたらとオナラがでるんだが。。。
・首、肩、手首、乳首がボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)
・妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…
・産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグを差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。
・母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。
・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。
・新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。
・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。
・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。
・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。
・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古の相手をしている。
・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。
・夜中寝ているとき、ちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。
実母との関係を心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしまう性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。
超個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的なものですので安心してくださいね。
生理のあと、不正出血して、胃方面の具合が悪くなって、婦人科系疾患に悩まされた家系だから心配だし、婦人科の予約を入れた。
なんなら婦人科で問題なかったら胃カメラしてもらおうと思って、麻酔で眠ったまま胃カメラできる病院を探してた。
一応心当たりがないわけじゃないし、病院行く前に確認しておこう〜って思ってドラッグストアで一番安い妊娠検査薬買って、ちょうど尿意を感じたのでトイレ借りて検査したら陽性。
婦人科と産科で分かれてる病院で、不正出血、体調不良で婦人科の問診してあったから、急遽受付で「なんか妊娠してるみたいです…」と他人事みたいに報告。受付のお姉さんも困惑。確認してもらって婦人科から産科に回される。
あんまりにも困惑してるから、先生に「まだ望んでなかったのかな?」と心配される始末。
生理が来てもタイミングが合えば妊娠するよ、不正出血は多分着床出血だよ、という結論にいたった。
今年中に妊娠できたらって、考えてた矢先だったから結果オーライだけど、流石にビビる。いつ出来た子かわからない。前はどんだけタイミングとってもできなかったのに。
まだ望んでないなら、避妊はしっかりやろうな。
未だに興奮して眠れない記録魔の自分がすることはやはり記録することだった。
時間による記憶の喪失が愛しい者を失うことの感慨さえも洗い流してしまうなら
それは人にとって救いであり、希望なのかもしれないが私はそう思わない。
私の猫が死んだという事実は私が生きている限りにおいて永遠に記憶されるものであって欲しい。
死んだ瞬間は悲しくなかった。
実を言うと今も悲しくはない。
死んだ瞬間はその事実に気づき、やはり死んでいる、生き物ではなくなり
外界を認知し変化させることのなくなった物体に変化した、そう認識した。
だから後悔はなかったのかもしれない。
医学は専門ではないがわからないなりに病院に行き、母と二人で注射器での薬の経口投与を繰り返した。
本人がどれほど嫌がろうとも。
猫の体調が悪いと気づいたのは一ヶ月ほど前からだった。
食事後に餌を吐くようになり、吐いた餌を食べたり食べなかったりした。
3日ほどで病院に行くことになった。
猫の体調が悪化するのと逆に自身の長年の体調不良は回復していった。
糖分を取らなければもろもろの不定愁訴が解消していったのだ。
2年以上に渡る体調不良は米を取らない。その一つの行動から回復していった。精神科にも通った。薬の効果も実感している。
しかしながら生まれてきた中で思い出せる限りの長い期間常に自身は体調不良だったのではないかと気づいた。
薬理的な効果以上に炭水化物を取らないことが自身の体調に寄与していることは明らかであった。
猫に話を戻そう。
とにかく彼女は餌を食べられなくなった。
異物を飲み込んだのではないかと判断した医者は様子見の生徒剤の投与後、内視鏡による異物摘出を試みた。
その時点に至るまで二週間ほどがすでに経過していたと記憶している。
また、気管挿管の際にミスをしたのか、呼吸音が異常になっていた。
次にしたことは猫を飼い始めた時にノミ・ダニの薬とワクチンを打ってくれた看護師に連絡することだった。
彼女らはすぐに来てくれ、この食事が良い。だの、この時期に猫が吐いてしまうのはよくあること。だの、医者は変えた方がいい。だの、と違う立場で自由な意見を述べた。
親切にしてくれたし、変化が必要かもしれないと、私は彼女らの言葉を聞き、近くの病院に医者を変えた。
今思うに、この判断は貴重な時間を空費するだけに過ぎなかったと考えざるを得ない。
やはり、医者を変えたあとも猫は吐き続けた。
次の病院で行われた治療は元の病院とは種類の違う吐き気止めとステロイドを繰り返し投与だった。長い二週間だった。
彼女は嫌がった。苦しいので当たり前だ。餌も飲み込めず、後に水すらも飲み込めず苦しがるほどの猫に経口投与を繰り返した。
しかしながら呼吸音はステロイドにより落ち着いた。そのように思えた。
ただ、嘔吐は二週間の間に違う餌に切り替えた努力も虚しく、変化がなく無駄だった。
私は調べうる限りの症例を聞いたが、最後にガス性のイレウスではないかと聞いた際にはっきりとそうでない理由を伺うことはできなかった。
このままでは食事ができずに死にますよ。そう伝えると彼の助手である女性の看護師は二次診療専門の病院を提案した。
この病院でのカルテは渡すので、治療データがこちらより豊富な元の病院から二次診療専門病院に連絡をつけるようにと言われた。
元の病院に連絡すると少し驚いた様子であった。
事実上、さじを投げたと言ってもいいだろう。
二番目の病院からでも出せる診察依頼を出すことなく、元の病院に戻したので少し呆れていたのかもしれない。
しかし私はそんなことはどうでも良かった。
20万円ほどの少ない蓄えも底をつき始めていたが、友人に借金してでも治療を完遂させようと考え、友人にもその旨を伝え、了承を得ていた。
そこからは彼女なりの治療プロトコルに従わないので苛ついているような反応を返すノミ・ダニの薬を売ってくれた看護師に話を聞いたり
死んだ場合どうすれば良いのかを考え始めたり、たまに来る母親に猫を見てもらったりした。
モノになったのだ。席を立ち、ジョナゴールドの発泡スチロール箱を見てやはり実感する。
眠っているのではないことは知っている。もう彼女は外界に何ら影響を与えることを許されないのだ。
ただただ衝撃だけがある。
元の病院の男性の医者ではなく、別の女性の医者が対応してくれた。
彼女は胸にあるしこりと、胸水が気道と食道を圧迫していることに気づいた。
猫はここでも抵抗した。麻酔なしでは胸のしこりを生検することはできなかった。
また彼女は、胸水の原因を特定しようと試みたが確実にリンパ腫が原因であるとは判定できなかった。
もしくは、今の胸水を専門医に判定させる。
私はCTを受けさせることにした。
そして初診を予約できたのがそれから三日後だった。
初診の前に血液検査を行うことになった。
血液検査の結果、異常は特に無いように思えたが猫白血病ウイルスが陽性であった。
こうなると寛解はしない。高額な医療費を請求されて生きられるのは半年から一年程度。
そういった認識があった。
友人とは相談した。
つねづね私は話していた。
単純な功利主義だけでは世の中回っていかないが、重度のケアが必要な猫を一匹救うより、未だに健康を保てている猫を二匹救うべきだと。
友人と私は話し合ったが明確な答えは出ず、それでもざっくりとした方針をなんとか決定した。
飼い猫はまだ4歳前後であることから、一度治療に成功すれば5年以上の生存の見込みがある。
そのためにならば50万から最大100万円程度の治療費を貸し付けることは容認できる。
しかしながら、一年の延命治療のために高額な費用がかかるのは私自身の考えからは外れてしまうこと。
つまり、リンパ腫など予後が悪い病状の場合は安楽死、ないし積極的な治療を放棄することを決定した。
初めてあった時から肩に登ってこようとし、私の無茶な要求にも反抗しようとすることはほとんどなかった。
左耳の部分が腐ったのか落ちており、付け根は膿んで肉が露出していた。
さくらねこというのだが、猫は避妊処理の後のリリースされると耳の先をカットされる。
メス猫は普通左耳の先をカットするが、彼女には左耳がなかったので右耳をカットされていた。
彼女は飼い猫以上に友人であった。
自分の鼻をすぐに舐めたがる犬のような猫であった。
その癖意地を張ってウェットフードを食べない頑固な猫だった。
時に一緒に眠り、また、顎をブラシで撫でてやるとゴロゴロと音を鳴らした。
肉付きはよく、4.4キロほどあったと思う。
話を戻すが治療方針を決めて二次診療専門の病院の初診に向かった。
母親に車を出してもらい向かった先でしたのは、元の病院の女医の話す内容とほとんど変わらない内容の説明を受けることだった。
また、治療方針として、胃ろうをして欲しいと言うと彼は自身が胃ろうは好きではないと話した。
ここでは結局治療をすることはなかったし、進展はなかったので詳しい話は省略する。
初診料として8500円ほどを支払い、帰路についた。
それからまた3日ほど経った日、水を飲んでも吐くようになった。
このままでは保たないと判断したので、点滴で水分だけでも入れてもらおうと元の病院に連れて行った。
体調が悪いこと、胸水を抜くのは抵抗されたので難しかったこと、9月1日にCTを取りに行く前にもう一度点滴を受けて万全の状態にすべきであることを女医は告げてきた。
次の日、つまり昨日(8月30日)その瞬間は訪れた。
呼吸音が異常ではあったが、それほど異常の度合いが高いわけでもなかった。
しかし母親が突然来訪し、ちゅーるを持ってきた。友人と話していた自分は母親と話すことになり、もう一匹の猫にブラシをかけるなどの世話を始めた。
帰ってものの十分程度で発作的な呼吸が始まった。
初めて失禁し、のたうち回った。
夜間病院に連れて行くかどうか、20分ほど思案した後、母親を呼び戻した。
母親が到着したのは35分程度後だった。
それまでに、死んでしまい、死後硬直が始まった時のためにダンボールとタオルは用意していた。
車で来てくれた母親に事前に電話した動物病院に行くようにお願いをし、移動を初めて20分ほどで呼吸音がなくなったことに気づいた。
助手席から降り、確認したがすでに瞳孔は開きっぱなしで力の全く入らない死体になった猫がそこにいた。
動物病院に行くのはやめ、大きいディスカウントスーパーに向かうことにした。
保冷を始めるためだ。
私はもう次の準備を考え始めていた。
アドレナリンが出て興奮していたのもあるが死体を腐らせる訳にはいかないと思っていたし、覚悟はしていたからだ。
スーパーに向かい、発泡スチロール箱の有無を聞き、もうなさそうだとわかると氷だけを買ってそこを出た。
23時になっていたのでコーナンなども空いていない。
家の近くにあり24時間開いているスーパー玉出に向かうことにした。
普段から無愛想なおじちゃんに声をかけるとそこになかったらないと言われたが無事キレイな発泡スチロール箱があった。
おじちゃんに礼を言って車で自宅まで移動し、母親と別れ、友人と話をした。
そんなにしんみりはしなかったが、衝撃はあったと話をし、故人の話をしてくれたりしたが、騒音が気になりほどほどで話は終わった。
風呂に入ったが猫を何度も風呂に入れたことを思い出し、喪失感を感じてすぐに出た。
もう一匹の猫を膝の上に乗せていると少し眠たくなったので寝たがやはり一時間ほど寝れずにこれを書いている次第だ。
これから葬式をどうするか考えないといけないし、行動している内、考えている内は悲しくなることはないだろう。
この文章も一時間半ほど書いて疲れたのでこのあたりで筆を置くことにする。
死ぬ前に考えた。
自身は無神論よりの不可知論者ではあるが、猫が死んだらどうなるのかと。
自分は肉体と精神に関しては唯物論的な思考でいるので肉になるのだと考えた。それでも悲しくはなかった。しかし救いはなかった。
私は幸いにも救いを必要としていないのだろうけれど、なぜ宗教が必要とされるのかは少しわかった気がした。
思うに愛別離苦、別れは経験であり、自身の糧にするべきで背負っていくべきものだ。
死は絶対で覆すことはできない。それはあらゆる命にとっての救いでもあるのかもしれない。
ミレーナについて書こうと思ったら書いてくれた増田がいたので自分(40代前半既婚子持ち)も書くぜ!
なお自分は8年低用量ピル(マーベロン)服用歴もあるので両方のユーザーです。ミレーナは現在装用4年といったところ。もうじき交換かな。
服用開始1ヶ月くらいは吐き気があった。その他については特に「明らかにピルのせい」というような体調の変化は起きなかったと思う。
自分が通っていた病院はかなりゆるいところで、血液検査やがん検診なども特にやらず、1シート(ひと月)2000円のシートを半年に1回まとめて6シート渡されて終わりという感じ。ただ自分は生活習慣がいい加減なので血圧が高く、服用後期になってくると血圧を注意されるようになってきた。
年齢的にも血圧的にもお医者さんからいい顔をされなくなってきた(ピルをやめていた結婚前の時期に、旅行の際の生理日程調整用にピルを処方してもらったことがあるが、お医者さんにかなり渋られた)頃にちょうど結婚/妊活/妊娠/出産となり、子供が保育園に慣れた頃を見計らってミレーナに切り替えた。
昔は低用量ピルといえば「飲むと不妊になる」なんてデマが流れたりもしていたけど、安心してください、無事に生まれており元気です。
近い身内が2人ほど中絶をしており、1人は既婚子持ち。予想外の妊娠で育てていく経済的余裕がなかったから。もう1人は長く付き合っていて家族にも紹介済みだった彼氏に妊娠を告げた途端にそいつが逃げたから。
予定していない妊娠がどれほど残酷なことかを幸か不幸か我が身に降りかかる前に学習することができた(特に後者)ので、避妊はやってやり過ぎということはないと思っている。
本当なら付き合っている男にも黙って服用しようと考えていたが、彼氏(現夫)が膣内射精障害だったので仕方なく打ち明けてピルのみの避妊をしていた。そうでなかったら隠していたと思う。
もともと子供が欲しくなかったのでピルを飲んでいたが、彼氏(現夫)がどうしても子供が欲しいというので一人っ子にする約束で結婚し一人目を産み終わったから(なお子供はかわいい。ただ育児は本当に本当に大変だった)。
自分としては仕事との兼ね合い、育児のキャパ、妊娠時のトラブル(妊娠高血圧による切迫早産からの入院、頸管無力症など)など諸々考えて次の子供はもう作りたくなかったが、夫は経済面にも余裕があることもありできれば二人目もと考えていたようで、あまり避妊に積極的ではなかった。自衛の観点から夫に相談しミレーナを入れることにした。費用は自分で出すつもりだったが夫が出してくれた。
なおミレーナを入れると膣内にミレーナの取り出しに使うための紐が手に触れられる場所に残置するので、パートナーに完全に内緒で装用することは難しいかもしれない。通常の行為では気づかないかもしれないが、指を入れると確実にわかる。気になるだろうが絶対に引っ張ったりしてはいけない。装用後1週間程度は性行為が禁じられていることもあり、基本的には装用の際にパートナーにその旨を伝えておいた方がいいと思う。
自分の時は避妊目的の使用だったので保険が効かず、65000円くらいだったと思う。今ネットでググったら、料金を明示している他の病院ではもう少し安いところが多いようだ。
月経困難症の人は保険が効くのでもっとずっと安く入れてもらえる。安い病院だと1万円ちょっとだとか。
これに加えて定期検診の診察料がかかるけど、そこの金額や頻度はピルと同じで病院の方針によると思う。
自分は前述の通り子宮頸管がゆるく、子供の妊娠中にも切迫早産で入院したりしていたので、その影響か装着の際に痛むことはなかった。
増田のいう通り経産婦でないとかなり痛むことがあるらしく、そういう場合は麻酔などをすることもあるらしい。子宮の形状、子宮筋腫などによって脱落やズレの恐れがあるらしいが、幸い自分はそういったことは一度も起きていない。
なんと生理1日目くらいのダラダラした出血が1年以上も続いた。
ネットで調べた限りはこんなに不正出血が続くことは他に見られず、大体みなさん数日〜数週間でおさまるらしいので、前述の自分の体質が原因なのだと思う。ただ普通の生理のようにドバドバ出るわけではなく、おりものシートを当てていれば十分に間に合う量だったので装用をやめる選択肢はなかった。幸い1年半経つ前くらいに出血も治まったように思う。
ごくたまに生理1日〜2日目くらいの出血が何日か続いて終わり。めちゃくちゃに快適。
女性主体の避妊を考えているが、年齢や生活習慣的、副反応的にピルの服用が難しい場合、特に子持ちの人には超おすすめなので、情報収集の参考になれば幸いです。
なるほど、やっとわかってきました。
“ その中でセクハラとして訴えられる可能性、訴訟リスク自体はほぼ同程度ではないでしょうか。(殆ど皆無、また仮に訴訟を起こされたところで原告が勝てる見込みもないということです”
先に私が書いた「蓋然性」について、伝わってないかなという印象も受けましたが、
(セクハラは被害者の身体に残るような証拠がなくても訴えられますが、非性的暴行に関してはなんらかの外傷などが被害者になければ訴えるのも難しいでしょう)
いずれにせよここは実際の数値的なデータがあるわけではなく、感覚的な議論にはなってしまいますね。
私は「原告が勝つ見込みはともにほぼ皆無」だとしても、男性→女性のセクハラのほうは訴えられた時点でダメージを喰らうと感じますが、これも個人的な感覚に過ぎません。
これは私の推論に過ぎませんが、AED処置でセクハラの嫌疑をかけられることを異常に恐れる人がいるとしたら、
麻酔医がセクハラで訴えられた事件がかなり大きく念頭にあるのではないでしょうか。
私はあの事件でどちらが正しいのかは分かりませんが、医師が無実だったとしたら、裁判は長引き、医師は社会的にダメージを受けています。
去年の10月ごろから、今は8か月目くらい。
生活が良い方向に変わった。
珍毛ボーボーのお前らに、脱毛を勧めたくなった。
なので書く。
俺の以前の毛スペックはこんな感じ。
・全体的に剛毛。
・ヒゲは昼頃には真っ青。
・スネ毛はボーボー
・珍下もボーボー
・アナル周りもボーボー
・ギャランドーもボーボー
・ワキ毛もボーボー
・びーちくも少量だが2cmくらいに育つ
・頭髪は天パで量も多くて剛毛
まあ、いうなれば全身毛むくじゃらな感じ。
ただ、腕周りだけは、なぜか毛が少ない(運が良いことに)
なので、夏であっても長ズボンさえ履けば、さほど毛を気にする事もなかった。
そうしたこともあり、40歳の今まで脱毛にはほぼ無関心だった。
大きな理由がセックスレスであり、「毛が生理的に受け付けない」とのことだった。
そんなこともあり毛を何とかしたくなった。
久しぶりに恋愛もしてみたい。
ということで、脱毛を始めることにした。
これが去年10月の話。
で、本題。
脱毛には大きく2つある。
店か、セルフか。
最初は店を考えた。
ただ、調べているうちに気が変わった。
なぜなら、むっちゃ痛いらしい(麻酔をしても)
髭の濃いアナウンサーが、脱毛に5年通ってようやく卒業するという話だった。
そのアナウンサーは、髭がほぼ消えていた。
けど俺には無理だと思った(痛みに敏感なため。。。)
(ちな俺はケノンという一番有名商品を買った)
これを「効果がない」と思う人は多い(俺もそうだった)
まず毛の薄い部分は、1か月~くらいで効果が出る。
例えば、俺の指毛は、結構薄めなのだが、1回でほぼ生えなくなった。
胸毛は、少量かつヒョロ毛だったのだが、1か月くらいで、生えなくなった。
ビーチクも1か月くらい。
ギャランドーは2ヵ月くらい。
脇毛も2か月くらい。
すね毛は半年くらい。
モモ毛は、だいぶ薄くなった。
唯一、髭だけはまだまだといった感じ。
それでも生える速度はかなり遅くなっている。
例えば俺の場合は、もみあげ(余分な部分)は、ほぼ生えなくなった(ルパンを卒業)
珍下は残しておきたい(温泉には行きたい)。
アナル周辺は脱毛したい(💩が付くし、将来介護されるときに備えて)
しかもめちょくちょ痛い😂
髭以外は、ほぼ毛が無くなった。
髭に関しても時間をかければ、無くなりそうな気がする。
毛がなくなった生活の変化として。
例えば、半ズボンが履けるように!(スネ毛が公害レベルだったため)
あとタンクトップ系も着れるように!
あと、脇汗でシャツの脇ジミもできにくくなった。
汗はかくんだけど、毛がなくなったことにより、下に流れるようになったから(たぶん)
他には女性ウケはやっぱり良い気がする(たぶん)
あと気分的にも、ムダ毛というコンプレックスを解消できたのも大きい。
脱毛やってよかったよ。
まず面倒。
内訳は両足3時間、その他30分という感じ。
とにかく足の面積が広くて時間がかかる。
これを10日ごとにやる。
月に3回くらい。
俺の例でいえば、髭以外は月1になった(足がなくなっただけでむっちゃ楽)
他には、白髪には効かない。
俺はムダ毛も白髪がチラホラとあり、そうした白髪だけが長々と育ってしまう。
他にもデメリットとして、慣れないと火傷する。
俺は最初甘く見てて火傷した。
セルフ脱毛器は、光の熱で毛根をつぶすんだけど、しっかりと冷やす処理が必要。
参考にしてたyoutuberが冷やす処理なしでバンバン光を打ってたので、俺も真似したら、足が真っ赤に腫れあがった。
(皮膚が強い人は、大丈夫だろうけど)
他にも、脱毛したその日に風呂に浸かって、水ぶくれになったり(むっちゃかゆい)
ヒゲ周りが毛嚢炎(もうのうえん、ニキビの亜種)でいっぱいになったり。
コツとしては、しっかり冷やしながらやる事(当たり前か)
俺はこれでほぼトラブル無しになった。