はてなキーワード: 醜男とは
本能がどうのといっているが、それは社会でそう言われているだけに過ぎん。聖書以外を信じず地動説・進化論を子供に教えないキリスト原理主義の人たちに、本能、種の保存の意志がどれほど大事か増田は教えられるんだろうか?
取り合う。限定された資源である。そして美人・イケメンという「有価」である。決して醜女・醜男という「マイナス」ではない。取り合うのは至極当然。
次に、我々は「正しい」ということを正確に測ることができない。「正しい」ことは「いい」ことなのだ。それ以上の思索を要しない。それだけにそこから先には進めない。
金をもっていればいい。なぜ? いろいろなものを買えるから。それはなぜいい? 欲望を満たせる。欲を満たせることはいい? ――さあ?
人格者であればいい。なぜ? ――さあ?
妻子を守り子を産み育てるのに適している頑丈な体はいい。なぜ? 守り、次に世代を残せる。それは人間が自分の種族にのみ適用できる主観的な願望ではないか? ――さあ?
ある程度つきつめると、価値観とは「自分」を中心に据えたまさに「自己中心的」な見方にすぎない。
この増田の言っていることは正しい。正しい。正しいのです。だから無価値なのです。
正しいとはなにか。ベクトルとして「正の方向」を示すにすぎない。
増田は「よくわからん」と言う。「わからない」ことを不思議に思う。だが「わかる」ということを不思議には思わないのはなぜか。自分にとって「正しい」からね。正しいこと、わかっていることをわざわざむやみやたらに掘り返すやつはそういない。
価値観が自己中心的であると見なせば、「なぜ美人やイケメンが好きか?」という問いにはすぐさま答えが返せる。「好きだから」。
共同の物干し場に干してあるブラを失敬して(ちゃんと返すよ)、匂い嗅いだり、おっぱいだと思ってモミモミしたり、チンチン包んでシコシコしたりしてる。
申し訳ない。
我慢できないんだ。
けれど性欲はあるし、人肌恋しくなるときもあるわけで、下着に手を出しちゃう。
一度だけ利用したことあるけど、コミュニケーション能力が著しく欠如してて嬢と話せない。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
シェアハウスの住人、ほとんどがベトナム人(女性は全員ベトナム人)。
彼らの中には不法就労している人もいて、だから万が一私の破廉恥な行為が露見しても、警察には通報しにくいわけ。
私はそういう彼らの弱みにつけこんで日々嫌らしいことを繰り返している。生きててごめんなさい。
最初に書いときますが、面倒くさいです。私自身のスペックは各人の想像邪推に任せます。
峰なゆかの「女くどき飯」特別編:アンガールズ・田中卓志さん(40)と西麻布の老舗うなぎ店で - みんなのごはんアンガールズ田中ほどのハイスペ好人物でも、ただ容姿が良くないというそれだけで、峰なゆかなんていうくだらない女の「醜男でも偏見なく評価できる私」アピールのダシに使われるんだから、本当にこの世は地獄だよ。2016/06/14 19:32
否定はしない。でも異常なまでに風当たりが強いし若干的外れな様に思えたので今こうやって書いてみている。
峰氏が美人かどうかは個々人の美的感覚に任せるが、一応彼女のオフィシャルな立ち位置は「美人」に設定されていると思う(でないとああいう芸風は成立しない)。一応それを踏まえた上で読んで頂ければと思う。
学生時代の残酷な現実だが、女子社会には厳しいカーストが存在し、イケメンと付き合える女の子は上位と相場が決まっている。女子達は恋バナで仲良しこよししつつ、好きな男の子にアプローチをしても周りから叩かれないよう念入りに根回しをするのが世の常である。
しかし、そんなことは上位のイケメン(雰囲気イケメン含)達には関係が無い。自分が本当に可愛いと思う女の子に、男子は告白をする。
美人の友人達に話を聞くと皆決まってこう言う。「イケメンはちょっと…。冴えない人が好きなの」。
何もしなくてもイケメンが寄ってくる分、ごく普通の可愛げしか持ち合わせていない美人(もしくはそのポジションにいても違和感を持たれない雰囲気美人)はカースト上位女子の嫉妬の的になり易い。女のいじめは悲惨だ。絶対に避けたい。
美人には、女子社会の中で生きる為に敢えて「冴えない人が好き」と宣言して戦線離脱する人がとても多い。「あの子綺麗だけど変なんだよねぇ…(安心)」と同じ理屈だ。
イケメンを求めても周りが何も言えない程マウンティング世界から逸脱している子(モデルの様に美しく何でもできる子や、ホンモノの他称お嬢様)、
ドン引きされても一向に気にしないゲテモノ性癖を元々持っている子(ここまでくると戦線離脱以前に恋バナの輪にすら入れて貰えなくなる)、
自他共に認めるレズビアンの子がそれに当てはまる。しかしそういったケースは極めて少ない。
このカースト制度で培われた処世術は呪いの様に心に残り続け、自ら戦線離脱をした美人はイケメンを追いかけることそのものを忘れてしまう。
「私は見た目ではなく心で人を評価してる」「人とはちょっと違う価値観を持った私」と言い聞かせながら、大人になってからも「冴えない人が好きなの」と自他に宣言し続けるのだ。そして本当にそっちの方がタイプになってしまう人も少なくない。(気持ちの移り変わりの一つの結果として、それもアリだ)
サンプル数が少なすぎて全然参考にならないが、そういう発言をする美人が私の周りに数人いる。好きな芸能人を聞いてみるとこれがまた普通にお洒落でかっこいい人が好きだったりするのだ。二次元のイケメンやジャニーズにはまっている子もいる。
(余談ですが、二次元のイケメンやジャニーズには女同士の心の争いから当事者たちを救う機能があると思う。皆で仲良く※できるって最高じゃないですか?)
一度でもモテた経験のある「美人」は女性とも上手く共存できるよう、ついああやって戦線離脱しようとしてしまうのだ。
峰なゆか氏が女くどき飯の中で登場する男の弱点をいちいち突き、「冴えない男」認定していくのもそこからきているのではないか。私は冴えない男が好きだし、そういう人にモテるだけなんです。イケメンは私には関係ないのですと。
まぁここまで拗らせている方なので単純に「美人」設定に対する照れがあるのかもしれないし、もしかしたら本当に本当に冴えない人がタイプなのかもしれない。笑
つーわけで、あれは自身を女社会の中で守るためにとっている態度であって、田中氏をブサメン扱い「してるくせに」キュンキュンした峰氏に対して怒っている人たちは、ちょっと的外れだなーと思うし、残念ながらそもそも峰氏はそんな人達を一切視界に入れていない。(そりゃそうではある)
怒ってしまうのは人の性なのでまぁそう思われても仕方ないなとは感じるが、怒ったところでどうしようも無いと個人的には思うし、冴えないと言われること自体に腹が立つのならそれを克服していくしか無いのかもしれない。
余談。
この観点から、ブサイクな男の人は雰囲気イケメンを目指してもあまり超弩級の美人には好かれないと、私は思う。(カースト上位経験者の中途半端な見た目の女性にはモテると思う)そんなに無理して目指す様なものでもないと思う。
ブサイクはブサイク然として運動と瞑想でもやって中身を磨いた方が、綺麗な人が寄ってくる率は上がるんじゃないでしょうか。多分ね。
追記
書いてみて思ったが、年月が経つにつれてそういうカースト的な価値観も忘れてくるのかもしれない。
私も実際そうなので文句をいう資格は無いのだが、峰氏は未だにものすごくカースト的価値観に囚われているような気がしてならず、そういう意味ではシンパシーを感じている。
千年を超えても衰えを見せないその美貌
求められれば子を孕み
子たちはみなすくすくと育ち
この地に大輪を咲かせた
我が愛すべき父よ
それは我が母を真に愛した男のみに贈られるべき言葉
1872年を境にして我が母は軽んじられた
我が母の体は見る影もなく老いさらばえた
我が母よ!いつまで黙っているのですか
大地のように抱擁してくれたあなたを
地の深みへと引きずりおろし
ただ犯すことしか考えぬ男に
すべて死すべき運命に定められている
あなたがもはや立ち上がれないほどに弱り果てているのなら
再び天の高きところに席を設け
あなたを引き上げる
その光によって異邦の子らは死に絶えましょう
もう少しの辛抱です
わたしたちの到着を待っていてください
なんだんだろうな。「仕事あるからやってくれない?」と声をかけてきたあいつ。
こっちとしてはほんとに苦しい状況だから、真剣に考えて苦渋の選択で、耐えがたきを耐えて受け入れて、「やります」と返事したら、
1ヶ月以上放置。連絡すらしてこない。
頭下げさせるだけ下げさせて、それを肴に飲んでるんだろうな。
ほんと、腹立つ。
そして、若い頃と違って「今にみてろよ」が実現しないことがもう自分で分かってる。
たくさんの時間を費やして、できあがった現実はこれなんだよね。
親に迷惑かけて、苦労して、時間をかけて熟成してできあがったのが、
そして浮かび上がる見込みも低い。
先は見えてる。
DNAをつなぐことはもうない。
親を介護して、運がよければ親を看取れる。
つらい。
痴漢がどうこうとか興味がない。
いつも痴漢に逢う女子高生が痴漢除けバッジを考案したらしいが正直どうでもいい。
電車に乗らないし、痴漢にあえるような性的魅力が自分にはないからどうでもいい。
まぁ、問題は親が誤認逮捕される可能性があることが最大の問題だろう。
痴漢被害は被害者の擁護や、そのために男性 とくに自分や自分の父親のような性的魅力がない、被害者が触られたいと思わない人間の権利縮小以外のことを言うと批判を浴びる傾向にある。
あえて言うとしたら、若い女性の倒懸が注目されやすくて、それ以外はイマイチ疎かになるということだろう。
とくに、多くの人間が持てぬ男への罵倒はやっても良いと思っているし、下手したら同じ人間だと思わない輩もいる。そして、持たせようとしたり与えたりしない。
逆に若い女性が弱者というのは皆が非常に都合がいい。人間誰しも綺麗なものを受け入れ、助ける。
報道写真の展示を見ても、綺麗な女性や子供の写真というのは一大コンテンツだ。
しかし、本当の弱者というのはもっとおぞましいものだと感じている。あなた方が見たくない醜いものだ。
煽られるのはよろしくないが、「妊婦持ちがタワーマンションを知的障害の男がいるのが嫌で解約した」とかいう本当かどうかよく分からない投稿のブコメを見るとわかる。
男で、知能に問題があったら妊婦よりは大事ではないのだから仕方ないのか。
今現在、第三次産業が日本のGDPの大半を占めていることは有名なお話である。
つまり肉体労働ではないデスクワークが増えた現代では、健常者とカテゴライズされている容姿の悪い人間よりは、足のない容姿の良い女性の方が世の中には受け入れられる可能性が十分ある。
本来平等を目指すはずが、法律によって足がない容姿のいい女の方が、健常ドブスや醜男よりも大企業に就職しやすくなる傾向も生まれるだろう。
足がなくても容姿がいい女なら、性的魅力があるから、健常者ですら現代社会において難しい結婚や妊娠もしやすいかもしれない。
容姿が良い女をひたすら擁護したい連中は、法律は障害があるかないかというものが取り除くのであって、容姿差別はOKと言って、若い足のない容姿がいい女に勃起したりするのだろうがそれは違うだろう。容姿が悪いのも障害と思えば障害である。
こんなことをいうと、当たり前だからいう必要がないという輩がいる。そうして、ただただ容姿の良い人間だけが肯定される状況を作り出すのだ。
自分の父親が稼いだ小金が溶けた2025年。人々は重税と物価高と貧困で喘ぎ苦しんでいる。
持病持ち2.5流大学3流学部の醜男は今よりもありとあらゆるものをこじらせているのだろう。きったねえ肌つけたきったねえ顔の腎臓病のキモいおじさんになっている。 死んだほうがいい。
僕は千代田区には住めなくなっているだろう。
金をもった年寄りが千代田区で裸の顔のいい女にリードを付けてかわいがっているのだろう。オマール海老のビスクや老人の肉棒をなめている。
リードに付けられた裸の顔のいい女は枯れた釘宮理恵のような声で「わんわんっ」とか「ニャアニャア」言っているはずだ。
慶應大学という学歴と愛玩動物としての利益を享受しているのだろう。
僕は金持ちの老人を妬まないだろう。きれいな顔で肉棒なめてる愛玩動物のハルちゃんを妬むはずだ。
ハルちゃんは老いによってポイされるはずだ。運が良ければ最後まで飼われるが。
女犬である彼女がポイされて死んでも、僕は老人ではなくハルちゃんを妬む。今までの人生と、死んだことが羨ましいからだ。
2025年、夜の学食でほうれん草の巣ごもり卵しか喰っていないのにガタイがいい汚らしいドブスな同じ学部の女はどうなるのだろうか知ったこっちゃない。2015年現在。僕を含めて、同じ学部の男のほとんどはあのほうれん草の巣ごもり卵のドブスを女としてみていないのは確かだ。
2025年を考えて死にたくなるけど、明日もあさっても限界だ。
Avidメディアコンポーザーとかカメラとかマイクなんてなくなれ。
おっぱい揺らした、性的魅力で人生を謳歌するであろうプルーンプルーンのおっぱいをつけた顔のいい女なんかもう見たくない。○○○大学なんてゴミ大学行きたくない。考えただけで死にたくなる。死んだほうがいいのだけど、人生というのはファミマTポイントカードレベルにやめルのが難しい。ロープを買っても、ファミマTポイントカードなので、うんざりして辞めたいのにやめる手順にうんざりしてやめるにやめられない。
はてな匿名ダイアリーに似たことを何度も投稿するのをやめなければならない気もする。
どうにかしないと思いながら2025年まで生きるのだろうか。
http://megalodon.jp/2015-0614-1835-00/anond.hatelabo.jp/20150614182953
三十路を過ぎてから焦ってお見合いパーティや出会い系SNSで恋活・婚活をしている。
お見合いパーティは一度に10~20人前後、SNSは登録者数百人~数千人以上と、確かに知り合いになり得る機会は転がっている。
しかし、かわいい上に教養レベルと趣味が合う子となると、なかなか見つからない。
年齢が行き過ぎていたり、見た目が恋愛対象にならない子を外していく。
若くてかわいくても、高卒無職なんて子もいて戸惑ったり、趣味に「ヨガ・カフェ巡り」とある子はいったい何を話していいのか分からない。
そんな自己選考をくぐり抜けた子が見つかったとしても、大抵ライバルの男が多く、激戦のためマッチングしない。
自分の今あるステータスを棚卸しして人気の子に必死にアピールするもなかなか振り向いてもらえず、空しさばかりが増長していく。
「お見合いパーティや出会い系SNSは出会いの効率がいい」なんてことを聞いたが、やっていくうちに本当に効率がいいのか疑問に思えてきたとき、
http://anond.hatelabo.jp/20140720013419
という記事を思い出した。
同じ大学という時点で教養レベルフィルターをくぐり抜け、さらに同じサークルとなると、同じ趣味条件で検索に引っかかってきたのに等しい。
同じサークルの人はどうも馬が合うと思っていたが、世の中いろんな人がいると思い知らされた今、よく考えてみれば当たり前のことで、恵まれた環境だった。
婚活市場でこういった子を見つけるのすら大変なのに、自動的に希望条件をくぐり抜けたたくさんの若い子が毎年入学してくる訳だ。
いったい当時の俺は何をやっていたのか。タイムマシンがあったらしかりつけたい。
一方、サークル内恋愛を行うにおいては、「活動との折り合い」や「サークル内の目」と戦う必要があり、独特な別の難しさがあるだろう。
当時の私もその葛藤に悩んでいたが、サークル内で次々とカップルが誕生し、いいなと思った子も他の男に取られていく中、
嫉妬もしていたのか、最終的に「俺はここにサークル活動をしに来ている訳であって、恋愛をしに来ている訳ではない(キリッ!)」と硬派を貫き通すことにし、
どんな醜男でも彼女ができているという異常な状態だったそのサークルから、最後まで彼女を作らずに卒業した。何人か、自分のことを好きだったっぽい後輩もスルーしてしまった。
数年後、そのうちのいくつかのカップルは既に結婚し、子どもも生まれ、幸せな家庭を築いている。
一方の俺は、状況に絶望を覚えながら帰宅後や休日にパーティスケジュールや女性プロフィールの検索に余念がない。
「活動」や「サークル内の目」は4年で終わる。気を遣うのが間違いだった。サークル内で生まれた愛のいくつかは、これからも一生続くのだろう。
お見合いパーティや出会い系SNSを利用して、さらに気づいたことがある。
たまたまいい人が見つかってマッチングしたとしても、そこからこまめに連絡を取って仲良くなっていくというのも大変な労力で、至難の業だということだ。
所詮は赤の他人同士に過ぎず弱い結びつきのため、気を抜くとあっという間に疎遠となってしまう。
反面、「同級生」「同じ学校」「同じサークル」という動かせない事実の、なんという結びつきの強さか。
何年も会わなくても、会ったときにはブランクを感じさせないほどすぐ意気投合し、盛り上がる。
婚活サービス利用疲れをしていたある日、街中のとある場所で働いているサークルの後輩と偶然再会した。
相手も自分のことを覚えてくれていた。仕事中だったため、卒業後何をしていたのだろうとあれやこれや話したいことをいったん飲み込み、すぐ別れた。
彼は専門学校卒で、ややイケメン。これはこれでバランスが取れている。
まともな学歴と知性があって、ややイケメンであるなら、増田レベルの喪女を選ぶはずがないからだ。
そういう男なら、若くてかわいくて知性もある女性を選ぶに決まっている。
増田が選ぶなら、自分にふさわしいレベルの相手を選ぶしかない。
で、この二者択一で、増田は外見に引かれて、前者を取ったわけだ。そのあと、文句を言っている。
はっきり言って、この増田は結婚の適性がない。一生一人でスシローで独酌しているしかない。
さっさと別れろ。そして一生、一人で暮らせ。それ以外に、選択肢はない。
一般に、はてな民というのは、他人との協調性がないくせに、やたらと外見ばかりに引かれる。
そのあとで内容空虚な点に気づいて、後悔する。
一方、普通の人は、外見よりも中身を重視して、結婚する。これなら幸福になれる。
だけど、はてな民には無理だね。一生一人でいろ。
増田のような人々が結婚できる相手は、2次元の世界にしかいない。
一般人と交際しようと思うな。勝手に引きこもっていろ。世間に出ると、世間にとって迷惑だ。
どうしても世間のまともな人々と交際したいのであれば、外見ばかりに引かれるという腐った腐女精神をたたき直せ。
バレンタインのチョコで告白というのは、ほぼ 100%、玉砕することになっている。可能性がある人は、それ以前にそれとなく好意を伝えて成功している。いまだに何もできていない人は、玉砕確実。
変に期待するから、ドキドキするんだよ。「絶対失敗確実」と思えば、渡して、はいおしまい、で終了。
あなたが憧れるようなモテモテのイケメンを狙わず、誰からもモテそうにない非モテの醜男(ただし性格はとてもいい)を狙え。簡単に落とせそうな男を狙え。
実は、非モテの醜男というのは、ランクが下に見えるけど、実際には、女と釣り合っている。男と女のカップルがなかなかできにくいのは、女が自惚れているせいだ、というのが大半。
この手紙をどうはじめたらいいだろうと蝉の鳴き声もかまびすしい夏からずっと考えていましたが(伝えるって本当に難しいです)、結局気の利いたすばらしい挨拶が見つかりません。ですから、はじめまして、小鳥さん、とだけわたしはいいたいと思います。あなたに伝えたいことがあって今回このお手紙を書くことにしました。突然のことで申しわけありません。
*
あなたはまず思ったことでしょう。お気に入りの自転車のかごに放り投げられた、飲み口にまだ内容物のこびりついている中途半端につぶされた空き缶みたいな不躾で無礼なこの恋文を送りつけてくるわたしが誰なのか。
わたしは現在36歳、独身、職歴なし(アルバイト歴はあります)、童貞、アニオタ、精神のほうをわずらっており、精神障害2級、まったくありがたいことに障害基礎年金も受給させていただいており(2級。786,500円/年)、日々社会復帰に向けて努力している(作業所で時給200円で働いております。内職系の作業です)日本に確実に数%は存在するありがちな中年男性です。若いころのあだ名は塩昆布です。キモオタAAを想像していただければおわかりになると思いますが、この世の悪意を集中的に浴びてきたせいか皮膚が月面のクレーターのようになってしまっており、細身という点ではまだ社会的に許容されうる生物なのかと思ってはおりますが、実際かなりの醜男です。野良猫に般若の面をかぶせて火をつけてみれば、野良猫はおそらく面を残してなに食わぬ顔で逃げていきますが、ちりちり灼かれていくその面に残った放火魔の殺意と怨念と哄笑こそがわたしの顔からにじみ出ているといってもよく、わたしはそのような人間とは正反対の人見知りでおとなしい男であるにもかかわらず、買い物先のイトーヨーカドーで出会った幼児には顔を見るたびになにか恐ろしいものでも見たかのようにびくっと反応され、かならず泣かれてしまうのです。
小学生のころから容姿をからかわれいじめられてきたわたしは他人に自分の姿を見られるのが恐ろしく、友人も恋人も作らず、いや、作れずといったほうが正確でしょうか、人生に絶望し、引きこもり、勇気を出して面接に行っては人事担当にお祈りされ、ついに自殺未遂をしたあとでは、家族にもうなにもするなといわれ、こうやって小鳥さんのことを考えて毎日すごしています。小鳥さんの腋を見ると、わたしのあのひからびてしまった棒状の物体(その先は言う必要ないですよね)も突如として復活し、さらさらとしたそれでいて粘性のある透明な液体が山奥の新鮮なわき水のようにちょろちょろとあふれてきて止まりません。そんなしょうもない中年のわたしですが、小鳥さんは「わたしでしていいよ(・ω<)」といって顔をほんのり赤らめほほえんでくれます。ああ、なんて天使なんだ!
「小鳥のやつはさ」と鉄男さんは眠たげに足を組むと、たばこに火をつけていいます。「遊馬のことが好きなんだ。だけど遊馬のやつはED(勃起障害)でさ。超越論的跳躍(かっとビング)しすぎた副作用らしいけど。小鳥も酬われないよな」
「わたしは遊馬のことが許せませんよ。小鳥さんを情熱的に愛撫すべき立場にいながら、なめらかな肌といやらしい声と絶妙なチラリズムの天使を無視して、蜜蜂のように扱ってはしっしっと追い払ってしまう」
「そこなんだよ。たしかに処女膜から声は出ていないが、間違いなくあいつは処女だぜ。でも遊馬はEDなんだよ。詰みだよ、詰み。チェックメイト。E、N、D」
「EDになってから幽霊(アストラル)が見えるようになったとか」
「霊感商法ってやつだよ」
「まったくひどい!」
「その通り」鉄男さんはそういうと、たばこを排水溝にはじき飛ばして立ち上がり、ふうとため息をつきました。その背中がとても男らしかったです。
鉄男さんは遊馬と親友という噂でしたが、実はそれほどでもなく、微妙な距離感を保っているらしいですね。ちなみに鉄男さんには璃緒さんという統合失調症の未来の恋人がいるらしいので、小鳥さんには興味がないということでした。よかった!
*
わたしは小鳥さんの魅力を語りたいのです。
*
まずは腋です。小鳥さんはことあるごとに片手を突き上げてその美しい腋を全世界に全宇宙に見せつけています。小鳥さんの腋のくぼみ方はミケランジェロも参考にしたといわれるほどの芸術的な曲線美で、腋汗が溜まりやすく、舐めると南国の風の爽やかさとやや辛めの塩味が感じられてとても美味です。安い発泡酒を飲みながらちびちび舐めるのがとくに好きで(まずい酒のほうが腋汗のうまさが引き立つ)、まるで食べて応援することによって日本社会が皮肉っぽくも明るくなるように、わたしの鬱々とした気持ちも小鳥さんの腋汗によって応援されるようなのです。鬱病患者に「頑張って」は禁句だと世間はいいますが、それは世間のしょうもないオッサン、オバハンからの善意という名の嫌がらせについていうものであり、火星の砂粒やミトコンドリアすら愛するような天使からの励ましはわたしを勇気づけてくれます。「増田くん、頑張って!」「いいですとも(`・ω・´)」
鉄男さんは小鳥さんの腋について以前こうおっしゃっていました。
「小鳥の腋はすげえよ。おれが小鳥に決闘(デュエル)で勝てないのはあれのせいなんだ……」
「というと?」
「見たらわかるだろう? あの肉感的な陰翳、くぼみに渦巻く官能的な黒い風。あの腋が生み出す磁場はファルスを屹立させる特殊効果を持っているんだ。おれは決闘に集中できなくて、それでどこに意識を集中してるかっていったら……」鉄男さんはちっと舌打ちすると、それにつづくことばをためらっているようでした。
「なるほど。でも鉄男さんは璃緒さん押しなんですよね」
「もちろんそうさ。璃緒さまは小鳥とは違うよ。璃緒さまは性的なものを超越していらっしゃるからな。でも小鳥はやばい」
「ですね」
「小学生のころ、夢のなかに小鳥が出てきてさ、『鉄男くーん』とかいって頭の上で手を振ってるんだよ。まだ毛も生えてこない腋がちらちら見えてな。そしてあの磁場がおれのファルスにとりついて、シェイクスピアの生み出したあの世紀のアホ、リア王とでも比べればいいのか、情けないことにおれは下着を濡らしてしまった! とんだ娼婦だよ、あの女は!」
「でも、その……、よかったんでしょう?」
「まあな」鉄男さんはそういって照れくさそうにくすくす笑うと去っていきました。こちらを振り返らずにあばよと手を振ってよこしたのが夕陽の逆光のなかで見えました。
おそらく小鳥さんの腋からはなんらかのフィールド魔法が自己言及的に発動していると思われます。腋が下半身に絡み付いてくる、ちょうど異星人の触手が美少女戦士をしめあげて離さないように。そこでわたしは腋地獄という概念を提唱しました。小鳥さんの腋はバウムクーヘンのように七層構造になっていて、そのそれぞれが自律的に動いています。そして腋全体も螺旋状に回転していて、ちょうどウロボロスの蛇のように、リビドーが第七層の腋まで達すると今度は第一層の腋に連結され、循環され反復されることによって小鳥さんの腋地獄はさらに磁力を増すのです。もがけばもがくほど深みにはまる底なし沼、負ければ負けるほどやめられないギャンブル、呑めば呑むほど呑みこまれるアルコール。そうです、小鳥さんの腋とはあらゆる依存症のメタファーなのです。小鳥さんの腋はやめられない。前立腺の指圧師! 快楽の大銀河!
*
つぎに太ももについてです。これについても新概念を導入しましょう。それは不可視のパンティです。あるとき鉄男さんはつぶやくようにいいました。
「なあ、増田ちゃん」
「なんです、鉄男さん」
「お前、見えてるパンツをどう思う?」
「どうってどういうことです?」
「いやな、おれくらいになると見えてるパンチラに興奮しないんだよ。わかるかな。見えてるパンツはただの布だよ、増田ちゃん」
「メモっておきます」わたしはあわててオタク風の黒いリュックサックから黒い手帳と黒ボールペンを取り出しました。「でも、パンチラとは見えるからチラなのでは?」
「そこなんだよ、増田ちゃん」鉄男さんは少々呆れたように笑います。「パンチラとはいうが、チラってしまえばパンチラではないんだ。パンチラとは一種のパラドクスのことなんだよ。パンチラとは非パンチラのことだ。おれたちはその見える“かもしれない”という可能性に人生をかけているのであって、布に人生をかけているわけではないのだ。見えそうで見えない、でもよく見ると見えているかも、いや、見えていない。それがパンチラというものだ。わかるかい、増田ちゃん」
「うーむ。なるほど。あ、すみません、鉄男さん。このボールペン、インクが出ないのでメモれません」
「書けないボールペンとな!」そういって鉄男さんはぼくの手からボールペンを引ったくると大事そうにズボンのポケットにしまいました。「見えないパンティこそ美しい。書けないボールペンを使えば時空の果てでも恋文が書ける。そして璃緒さんはうるわしい!」
わたしは小鳥さんのパンティを見たことがありません。あ、どうか勘違いしないでください。わたしは見たいと言っているのではありません(それでは変態さんですね)。見えそうな状況でも見えないということが小鳥さんの魅力だといいたいのです(しかし絶対に見えていないともいいきれません)。小鳥さんはパンティを見せないことによって、自分の存在が布へと矮小化されてしまうことを一種のヒロイン的生存本能によって防いでいるのです。布ならば手に取りじっくり見て分析し解釈し考察することもできますが、小鳥さんはそのような研究対象から逸脱した、科学的な尺度によっては測ることのできない超越者だということなのです。小鳥さんの太ももには慈悲があり永遠の平和がある。そこにわたしは神を見たのです。
*
小鳥さんはとても明るく元気でまるで熱帯雨林のように表情豊かな方です。明るい陽射しのなか丘の上に立ってこっちに手を振って鈴蘭のように笑っている顔も、土砂降りのなか服をびしょびしょに濡らして蒼白になって泣いている顔も、誰かさんのテストの点数のように真っ赤になって恥ずかしがっている顔も、遊馬を心配している顔も、感じている顔もすべて素敵です。そしてその表情のすべてが一回きりのもので、ふたたび同じ表情が現れることはありません。小鳥さんの表情は数によって大小を示せるようなものではなく無限そのものなのです。これは誇張でもメタファーでもありません。小鳥さんの顔は見ていて飽きません。
「増田、おい増田」誰かと思って振り向くと雑居ビルの影から鉄男さんが呼んでいました。
「鉄男さん、どうしたんですか。てか、そんなところでなにやってるんですか」鉄男さんの首にはひもがかかり、その先端にカメラがぶらさがっています。
「いいからこっちこいって」あの穏やかで紳士な鉄男さんがいつになく興奮しています。
雑居ビルの影に隠れると、わたしは十数枚の写真を渡されました。そこには璃緒さんが写っていました。
「美しいだろう?」
「きれいなひとですね。で、なにやってるんですか」
「これから璃緒さまが病院に行くんだ。ここはその通り道になってるってことだ」渡された写真をよく見てみると、どの写真も雑居ビルの薄汚れた壁と特徴的なお掃除ロボットが写っていて、まさにこの場所だとわたしにもわかりました。璃緒さんは写真ごとに異なった服装です。
「璃緒さま、今日はどんなお洋服なんだろうな」
「鉄男さん、これってストーカーってやつでは?」
「おれには愛がある!」
璃緒さんの無尽蔵の洋服が鉄男さんのコレクター魂を刺激し惑わせ堕落させたように、わたしも小鳥さんの表情に吸い寄せられ離れられなくなってしまいました。でもこれは愛なのです。
*
小鳥さんの声はわたしの敏感な部分に海底トンネルのようによく響きます。よくあるきんきんした味気ないテンプレート的萌え声ではなく、ロリであるにもかかわらずエロいという特徴があって、少女として見ると大人っぽく、大人として見ると幼女っぽいという絶妙なバランスとなっております。尿検査では中間尿を採取しますが、それと同じようにわたしたちが最も注目すべきなのは、少女でもなく大人でもない、その境界線を肉付きのいい脚でまたぎ、ふくらみかけの乳房を突き出しながら居心地悪そうに立っている半熟の女の子なのです。小鳥さんの声はまさにその時期を繊細に表現しているいってもよく、この世でもっとも貴重な声のひとつであるとわたしは断言いたします。
*
最近の女子は料理が作れなくなってきたといわれています。そんな現代社会ですが、小鳥さんは決闘飯(デュエルめし)を作ることができるとても家庭的な素敵女子なのです。小鳥さんの体液、通称小鳥汁がしみ込んだ決闘飯とはいったいどんな味がするのでしょう。鉄男さんによれば、小鳥さんの決闘飯は「バイアグラの味」だそうです。
*
ああ、どうしましょう、くだらないことを書いてしまいました。申し訳ありません。わたしはどうしたらいいのでしょう。生きているとつらいことばかりです。すべてがむなしいです。幼女を見てもかわいそうだと思うようになってしまいました。こんな不完全な世界の重圧をその春風のような無垢なほほえみで受け止めなければならないなんて。世界はグロテスクで悪臭を放っていますが、迷信のごとき科学技術や洗練された(!)法治主義社会がたくみに見せかけの清潔さで覆い隠してしまいます。それは合成着色料のようで、すべてはフォトショップ的ともいえる一種の嘘で塗り固められていて、どこにも真実はなく、しかし虚偽すらなく、ただひたすら軽薄で浅薄で希薄で、原初の一点から湧き出たあの宇宙的エネルギーはどこにいってしまったんだと、この時代の無意味さ、無価値についてわたしは考えるわけですが、わたしのそんな行為ともいえない似非行為すらまったく意味のないことで、わたしが死ねばすべてはどうでもよくなるのだと思ったりもするのです。
しかし自殺しようかなと思ったときに毎日小鳥さんがわたしにほほえみかけてくれます。「増田くん、超越論的跳躍(かっとビング)よ!」なるほど、たしかにわたしの眠っていた愚息は雪融けのように感動的な反応を見せ、天上の世界(アストラル界)を目指してぐんぐん伸びていきます、蛇玉さながらに。そしてわたしは今日も生きようと思うのです。EDになるまでは。小鳥さん、あなたが存在していてくれてありがとうございます!
1.
ここ2年くらい前から、自分の中から「良心」というものが消えてしまった気がする。こんなに赤の他人に憎悪を向けたり、犯罪スレスレの事をできる人間だったとは、ほんの数年前の自分の姿からは想像できない。
2.
今思えば、幼少期から問題行動が多かった。
幼稚園の頃は同級の子供にいじめられたりすることが多かった。その一方で、クラスのある女の子に関心を寄せていて、よく抱き着いたり、性的ないたずらをしていた。
幼稚園にはかわいらしいうさぎがおり、先生からは「○○君(自分の名前)はうさぎさんの面倒をよく見てくれるねえ」なんて、褒められたりしていたが、先生に見られないように、ケージの隙間から毛を引っ張ったり、つねったりしていた。先生は気づいていなかったのかな?
3.
小学校は・・・あまり記憶がないが、からかわれることが多かったように思う。
一番つらかったのは、担任の教師からいじめられていたことだった。彼は何かにつけて自分をからかい、クラス全員の前で晒し者にするのだった。「死ね」「アホ」「ボケ」なんて罵声を浴びせられるのは日常茶飯事。物を投げられたり、殴られたりしたことも何度かあった。一方で自分も、教師に対しては頻繁に嘘をついていた(バレたのは一度だけだった)からお互い様かもしれない。
けれど、後輩のことはたまにいじめたりしてたな。
また、このころから、犬を飼い始めた。両親が誕生日のお祝いに、もらってきてくれたのだ。最初のころは、可愛かったが、しつけが悪かったのかあまりいうことを聞く犬ではなかった。散歩も面倒で、親から散歩するように言われても、家の周りを回ってきただけなんてことがよくあった。
そのうち、その犬を虐待するようになった。近所に人気の少ない空き地のような場所があり、そこに犬を連れて行って、木の棒でたたいたり、足でけったり、鎖で叩いたりしていた。毎日のようにそれを繰り返していたものだから、犬は自分と散歩をするのを嫌がるようになり、空き地が近づくと、必死で踏ん張って抵抗するのだった。
犬は、去年行方不明になってしまった。15歳くらいだったから、死んだに違いない。
4.
中学生になってからは、猫も飼い始めたが、その猫も虐待した。当時の自分は、エアーガンにはまっていて、何丁も収集していた(もっとも、その資金は祖母の財布から抜き取った金)。
一度その電動ガンで、至近距離から猫を撃ちまくったことがある。猫は襖とタンスの間に逃げていき、なお撃ち続けたところ猫は失禁してしまった。大爆笑したことを今でもよく覚えている。
もっとも、失禁に関しては、自分も猫の事を言えたものではない。中学3年ころまで、おねしょをしていたのだから。
その後・・・中学の途中から不登校になり、一切学校に行かなくなり、家に閉じこもりがちになった。原因は、特にコレといったものはなかったのだが、今から思えば、人と関わるのが怖かったように思う。他人の評価を気にしたり、人から嫌われることを極度に恐れていた。蔭では、ペットをいじめたり、親に嘘をついたりしているのに、不思議なものである。
学校に行かず、何をしていたかというと、パソコンを使ってプログラミングをしていた。と言っても、人様の役に立つソフトを作る気はさらさらなく、パソコンを乗っ取るウイルス(トロイの木馬とか、RATなんてよばれる)を作っていた。
当時はヤフーチャットが大盛況で、女子中学生のフリをして、変態ロリコンおやじ共にエロ画像と称してウイルスを送信しパソコンを乗っ取って遊んでいた。当時はそれほど普及していなかったWebカメラを覗いてやると、良き父親といった感じの人から醜男まで様々な連中が現れるのだった。
5.
高校は問題児ばかりを受け入れている学校に進学した。一口で「問題児」と言っても、様々な奴がいた。不良、引きこもり、どう見ても不登校には見えない、「普通」のヤツ・・・
入学して驚いたのは「普通」のヤツが一番多かったことだった。引きこもりしかいない陰鬱な空間か、あるいは、不良ばかりの動物園を想像していたのだが、思いのほか平和そのものだった。
自分は「ふつう」と引きこもりの中間だったが、入学直後から何故か一躍人気者となったのだった。コミュニケーション能力もどんどん発達し、後輩からの信頼も厚く、相談を受けることも多々あった(家では、弟を虐待し、肋骨骨折、右腕骨折の重傷を負わせて病院送りにしていたのに。)
しかしその一方で、一向に自分を信頼しようとせず、冷たい目線を送って来る連中が何人か、教師、生徒の中に居た。今思えば、彼らは自分の本質を直感で見抜いていたのだろう。裏で何をやっているか、外面だけ良く、中身は反社会的で冷酷なヤツであることを見抜いていたに違いない。
幸い、自分が好きになった女の子(仮にA子とする)は、そういう「直感」を備えていなかった。A子は色白で、ロリフェイスというルックスで、学校中の人気者だった。自分はA子とお近づきになるべく、A子が所属している部活に入部することにした。
3か月後、A子とは晴れて恋人同士の関係となった。生徒数が少ない学校だったので、噂はたちまち広がり、非常に気分がよかったことを覚えている。
6.
その後、何とか大学にも現役で合格し、A子との交際も続いていた。
大学生活は、比較的成績もよく、サークルでもリーダを務める等、表面上は順調だった。
ただ、私生活では、サークルで教え込まれた酒の魅力にどっぷりとつかってしまい、半分アル中のような日々を送っていた。学校から帰ると、真っ先に冷蔵庫の「ストロングゼロ」を開けて、ベロベロに酔っぱらいながら、オンラインゲームに勤しんでいた。
一人暮らしだったこともあり、親にもばれず、友人にもばれず・・・であった。
A子もよく、自分のマンションに遊びに来た。ただ、1年生の終わりごろからだっただろうか、自分はA子を虐待するようになった。精神的虐待、身体的虐待、半ば無理やりセックスをしたこともあった。大学3年生のころ、さすがに我慢の限界に達したのか、A子から別れを告げられてしまった。
A子と別れてから、自分は資格試験(最難関と呼ばれる国家試験)の勉強を始めた。
1年と少し、家にこもりきりで、友人と会ったのは片手で数えられる程・・・きわめて孤独な時間を過ごした(おかげで無事、合格できた)。
自分の冷酷さ、良心のなさ、反社会性に気が付いたのはそのころだったように思う。
これまで自分が敵意ないし悪意、を向けていたのは、ペット、弟、恋人、ネット上の他人だった。しかし、このころからは、「目の前のあかの他人」にも悪意、敵意をむき出しにするようになった。
街の中でわざとぶつかり、怒鳴り散らす、横断歩道の信号を無視し、自分を引きかけたドライバーに怒鳴り散らす、マンションの隣人への嫌がらせ等々。
「あかの他人」にこんなことが出来てしまう自分がショックだった。
7.
思うに、高校時代に人並みのコミュニケーション能力を体得し、人とかかわることの不安、が無くなったことで、自分の反社会性がむき出しになってしまい、「良心」は埋没してしまったのかもしれない。
もしかすると、元々「良心」なんてものはなく、「良心」と思っていたのは、実は「他人と関わることの不安」だったのか・・・
「良心」が無いことは、今となっては開き直りの境地という心境にあり、あかの他人や、飼っていたペット、A子、弟に対する仕打ちについては、何ら罪悪感を感じない。
両親が自分のことを「良心」のある心優しい人間だと思い込んでいる事についてだけは、罪悪感はある。
幼少期の経験でこんな人間になってしまったのか、先天的なものなのかはわからないが、何か対策を打たないとマズイ、とは思う。
8.
今までの罪を告白したら、すっきりするかと思いきや、自分の異常性にあらためて気づかされただけだったw
最初にお断りしておくが、これは冗長な自分語りである。あまり面白くないと思う。
共通の知人の結婚式で、前に付き合っていた女性に会った。もう数年前のことだ。
私たちは大学の同期生で、お互いが初めて付き合う相手だった。二十歳から付き合い始め、20代の大部分を二人で過ごした。同棲していた期間も長かった。20代の終わり、彼女が突然別れを切り出し、部屋を出て行った。会うのはそれ以来だった。
彼女は美人ではない。ファッションに力を注ぐタイプでもない。しかし彼女は、なんというか、非常に素敵になっていたのだ。その時だって別に美人ではなかったが、彼女を綺麗だという人がいても私は全く驚かない。付き合っているときはあんなにもっさりしていたのに。
私にはその時点で、特定の恋人がいなかった。それで思ったのだ。彼女とは趣味が合うことも分かっているし、一度は別れたが共に積み重ねた10年からの歴史があるわけで、もう一回付き合ってみてもいいんじゃないか、と。もしも彼女に彼氏がいたとしても、そいつには私の何分の一かの歴史しかない。しかも私は転職に大成功を収め、今や彼女と付き合っていた頃の3倍の収入を得ている。勝ち目はある筈だ。
友人に頼んだ根回しも功を奏して、パーティーが終わった後に彼女と二人で話す機会を得た。近くのカフェで、向かい合って座る。私は柄にもなく緊張していた。
とりあえず、付き合っている男はいるのか聞いてみる。答えはイエス。まあ、いい。何とかしてみようではないか。
ここはひとつ端的に切り込んでみようと考え、私はストレートに言った。今日、久しぶりに見たら綺麗になっていて驚いたよ。付き合ってた頃と別人みたいじゃん。こんな○○ちゃんだったら、俺もう1回付き合ってもいいなと思っちゃって。
彼女は薄く笑みを浮かべたまま、きっぱりと答えた。
「やめたほうがいいよ」
考えるだにどうかしているとしか思えないが、この時の私はやけにイケイケな気分で、彼女の言葉に「そんな遠慮することないよ、自信持ちなよ」などと思って浮かれていた。そこに彼女から放り込まれたのが、こんな言葉だった。
浮かれた心が一瞬で冷え切った。ええ、今何て言った?耳を疑う。
「どういうこと」
私は顔が引きつるのをこらえながら彼女に尋ねた。
「あなたは私に何をしたのか、覚えていないの」
彼女の声が冷たくなる。パーティーで友人たちと笑っていた時とは別人のように。
「俺、何した?」
最悪な返答だが仕方がない。これしか言葉が思い浮かばなかった。彼女は言う。聞きたいの?忘れているならそのほうがいいんじゃないの?
いや、聞きたい。私は食い下がる。長くなるよ、と彼女が言う。別にいいよ、と私は答える。それなら、と彼女が話し出した。
あなたが私にしたのは、「あんたには性的な価値がない」と徹底的に叩き込むこと。自分みたいな度量のある寛容な男がいたから恋愛をできているけど、本当は市場価値なんかない、むしろマイナスだということ。
付き合っている間中、あなたにブスといわれデブといわれ、友達の彼女と比べられて、「俺にも男のプライドがあるから」っていう理由で友達がカップルで集まる場に連れて行くのを拒否されて、あなたの友達が私のいる前で「(こんなブスと付き合えるなんて)お前凄いわ」ってあなたに言っても、あなたはひとつも怒らず「まあいいとこもあるんだよ、家事出来るし」って言ってへらへらして、友達が帰ったらその日はずっと私に冷たく当たったよね。
二人で働いてたのに家事は全部私がやってたし、ご飯も、あなたは放っておくと牛丼とコンビニばかりで、そのくせそれだとすぐに具合を悪くするから、食費はほとんど私が出していた。あなたは服や本やレコードを大量に買ってくるけど収納は絶対に買わなかった。収納も私が買った。
とにかくくたくただった。仕事がないときは家事、家事が終わって茶の間に戻ると、あなたが自分の好きな音楽や映画をかけていて、全然楽しくなかった。くたくたに疲れてるときに、プログレだのレディオヘッドだのフランス映画だの。私がたまに好きな音楽をかけると黙ってボリュームを下げたでしょう。私はボリュームなんていじってなかった。あなたと同じ音量のままだった。
お金も時間もなくて、元気もなくて、いつもけなされて、綺麗になんかなれる筈がないと思う。
俺は交際相手でありながら、彼女を女性として価値の低い人間だと思っていた。それでも彼女の賢さや仕事の能力は掛け値なしに評価していたし、ブスだのというのも照れ隠しのつもりだったし、彼女のことを愛しているつもりでいた。
しかし、何だかそれもよく分からなくなっていた。自分がこんなに酷い男だったとは、それを彼女がこんなに恨んでいたとは。
「うん、付き合ってたときは、俺が悪かったと思う。でも俺も変わったし…」
「あなたと付き合うことは、二度とないよ」
とぴしゃりと言った。私は思わず舌打ちしそうになり、何とか抑える。そして、また黙る。長い沈黙。彼女に目をやると、顔色ひとつ変えず淡々とコーヒーを飲んでいる。無性に怒りが湧きあがる。
「あのさ」
私は言う。言うが、言葉が続かない。むかむかして黙っていられなかっただけで、言いたいことなど特にはなかった。
彼女は言う。
私、もうあなたの不機嫌は怖くないよ。あなたのこと好きじゃないから。
付き合ってた頃は不機嫌になられるのが嫌で、何でも言うことを聞いていたけど、もう違うから。
彼女は、付き合っていた頃は見たことがないような毅然とした表情だった。綺麗だった。
「今の彼氏は、いい男なの」
私は力なく、聞きたくもない質問をする。
彼女は短く「うん」とだけ答える。
どんな奴なの、幸せなの。いろいろな言葉が口を突いて出そうになったが、聞いても仕方がない。そいつがいい奴で、彼女を幸せにしているのは一目瞭然だったから。
ごめんなさい、最初にあなたが「もう1回付き合わないか」って言った時、「私、結婚するから」って言えば済む話だったのに。何だか自分でもコントロールが利かなくて、長々と酷いことを言って。
彼女は悲しそうな顔をしていたが、その顔はとても優しく穏やかだった。そんな表情を初めて見た。
本当に、本当にごめんなさい。酷い後出しで、今更こんなことを言って。
私、あなたが好きだったの。でも、一緒にいるときは卑屈になるばかりで、勝手に疲れて自爆しちゃった。
次に付き合う人には、うんと優しくしてあげてね
彼女はそう言ってにっこりと笑った。私は泣きそうになっていた。私はこの人を何年もかけてぼろぼろにし、それを見知らぬ男がものの数年で完璧に近く治癒して、彼女は美しくなり、変わらず聡明であり、私はそんな彼女と、恐らくもう会うことすらないのだ。
便所に行き席に戻ると、彼女はもういなかった。テーブルからは伝票がなくなっていた。
先日、新宿で久しぶりに彼女を見かけた。結婚相手らしき男と一緒だった。
彼女から話を聞いて、最低の男である私は「そういう優しい男は大抵が醜男だし、心根が良くても話がつまらなかったり、お人よしで金に縁がなかったりするに決まっている」と勝手に思い込んでいた。ところが、彼女の伴侶は私など比べ物にならないほどの長身のイケメンで、二人で笑いながら話している様子を見るにつまらぬ男にも貧乏な男にも見えなかった。彼女はあの時よりももっと綺麗になっていた。男は顔をくしゃくしゃにして彼女に笑いかけていた。二人は新婚のように睦まじく、目を引くくらい幸せそうだった。
私はといえば、コーヒーを飲みながら妻の買い物が終わるのを待っていた。妻は彼女よりも美人で、彼女ほど賢くはなく、たまに長話に退屈はするが、結婚生活は概ね幸せである。
私は家事をし、妻の美しさや料理の美味さを毎日褒め、妻の好きなミスチルを好きになろうと聞き込んだりするようになった(それで実際好きになった)。私は妻が笑うと嬉しい。私は妻を愛している。
結婚式の後で彼女と話したカフェを出た後から2ヶ月くらい、私は自分の最低さに打ちのめされ、体重が減るほど落ち込んだ。彼女を逆恨みして死ねばいいのにあのクソ女と思ったり、そんな自分が醜すぎて吐いたりしていた。あんな話を聞いたこと、彼女と話す気になったことをくよくよと悔やみ、あの日の前日にタイムリープしたいと真剣に願った。
けれど、あの時、あの話を聞いてどん底に堕ちなければ、私は彼女をずたずたに傷つけた最低の心を直視して、反省して、直そうなどとは一生思わなかったろう。女性に対して「あなたは価値が低い」と言い、気に食わないことがあれば不機嫌な顔をして、それで支配できなければ「一緒にいても退屈なんだよね」等と言って別れていただろう。実際、彼女の次に付き合った女性とはそうして駄目になった。
今、彼女に対しては深い深い感謝しかない。彼女には、旦那に愛されて私のことなどすっかり忘れていることを願う。
下らない話ももう終わりにする。読んでいて私に腹の立った人もいるだろう。不愉快な思いをさせて申し訳ない。読んでくださったことに感謝します。