はてなキーワード: 見習いとは
追記はしないつもりでいた。
でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。
https://anond.hatelabo.jp/20201001022747
衝撃を受けた。
ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。
でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。
5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。
日記は2つともすべて読ませてもらった。
文系の学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。
企画部門への配属だった。生産管理を希望していたけど通らなかった。
増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。
任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。
気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。
大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学のフリースペース(名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。
どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。
「将来、どういう人生を送りたいのか?」
そして、考えがまとまった。
趣味が大事な人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。
それで、四季報やインターネットを見て、そういう雰囲気の会社を見つけては説明会に申し込んだ。
なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。
後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。
京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活を謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事に内定して、同志社大学のサッカー部のキャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子を口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。
そんなレベルの超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。
俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。
採用試験の内容は述べない。俺の体験談は面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。
書類選考で勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。
本題に入る。
俺はプロの世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。
プランナーというのは、ファミコン時代のマリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。
大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。
超すごい人達がゲームのデザインをして、レベルの高い人たちが上記のプランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。
ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。
たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。
任天堂の社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。
実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。
でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分の意見をはっきり言えて、他人の意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。
2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事。レベルの高い同期は本格的な企画の仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトルの制作会議に20代の若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。
当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。
なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分のアイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日に趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。
毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。
先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。
実力が足りていなかった。あるゲームの操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。
ゼロの状態から仕様書と設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。
上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないから上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。
それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって。自分では何ひとつ創造していないんだって。再確認させられた。
今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルそのものなのに。
結局、納期をオーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなたの記憶の中に、あのゲームの操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的に謝罪する。
今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビに登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。
ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械系メーカーや化学系メーカーの事務職のオファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。
今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要な経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険の手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。
もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。
それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究と対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。
退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。
「せっかくモノになりかけてるのに」
「ストレスに耐える力は一人前だから、もっと時間をかけてみれば」
「あと1年だけでも働こうよ」
一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。
社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。
あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事を馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。
あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。
最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観をベースにちょっと書いてみる。
問.どんな人が内定を取れるのか?
答.ホームページの採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。
①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代に部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。
面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。
自分の場合は、大学生や専門学生だけでプロの歌手やバンドを呼んでライブを実行する学際サークルで活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。
卒業生のためのプロムパーティーを実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすがイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。
俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きのポジションで部分リーダーをしていた。
創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程で他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分の言葉で話せるはずだ。
ただし、アピールは忘れないように。自分の経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。
②のゲームへの情熱は言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。
想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。
そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分のアイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。
ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンとアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達も必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日も関係ない。
夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。
あなたが志望する会社に採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。
例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。
③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に、英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外の販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。
企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲームが社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームをプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。
だから、学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識や技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。
書き過ぎた。反省している。
今でも思うことがある。俺はあの会社に感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。
時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。
ここまで読んでくれた人に感謝する。
アカデミー賞、作品賞の新基準を発表 「主要な役にアジアや黒人などの俳優」「女性やLGBTQ、障がいを持つスタッフ起用」など
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f583b55c5b62874bc158b89
「アカデミー賞」を主催している映画芸術科学アカデミーは9月9日(日本時間)、2024年から、作品賞の選考に新たな基準を設けると発表した。作品賞を受賞するためにはいくつかの条件を満たさなければいけないとし、その中には、「主要な役にアジア人や黒人、ヒスパニック系などの人種または民族的少数派の俳優を起用すること」や、「制作スタッフの重要なポジションに女性やLGBTQ、障がい者が就くこと」などが挙げられた。
もしこの基準を2020年公開の作品にも適用するなら、主人公をアジア人女性が演じ、主要なスタッフにも数多くの非白人が携わっている「ムーラン」あたりが有力候補になりそう。
その発想見習いたい
誠心誠意教える老夫婦
そんな日が始まってから1週間
老夫婦がいつも通り準備をしているとカメラを担いだ外国人が押しかけてきた
ナポリタンを教わりに来たイタリア人は実は有名なイタリアンシェフ
こんなものは食べるに値しない
俺が本物のパスタを教えてやる
どうだ?これが本物のパスタだ
これからはナポリタンなんて辞めて俺が教えた本物のパスタを店で出すように
老夫婦の姿はテレビで放映されイタリア人から嘲笑されるのであった
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日本では間違った日本食を矯正するためにわざわざ海外の日本料理店に板前を連れて行くテレビを盛んにやってて好評みたいだけど、逆の立場でやられたら絶対炎上するよね。
「Infra Study Meetup #4 "インフラの面白い技術とこれから"」というオンラインイベントで以下のような質問した者です。(以下のツイートは別の方が書いてくれたものです)
Q:これからますますクラウドが拡がっていく時代に、つよつよでないインフラエンジニアがどんな貢献ができると思いますでしょうか?
A:つよつよな人とそうでない人の壁を作らない方がいい。1つでいいので強みを身につければ壁がなくなるのでチャレンジするのが良い
まず、回答して頂いたのに失礼で申し訳ないのですが、今となっては、これをつよつよの人に質問してもしょうがない気もしてます。
ひとまずは、正直にオブラートに包まず「よわいやつに貢献できることなどないです。不要です。」と言われなくてよかったです。
では何故質問したのかと言うと、つよつよな人が登壇するイベントで、よわよわな人のクラウドに対する気持ちを質問として少し書いてみたかったのです。
なんというか、隣にイオンができた八百屋の気持ちを(実際の八百屋さんの気持ちは分からないけど)。
それはともかく、本題。ツイッター上で反応してくれた方々への回答(?)です。
そもそもつよつよという言い方が大嫌いだ。つよいとかよわいとかじゃないでしょう。なんで力自慢してるの?
力自慢というより、市場が力あるものしか必要としないんじゃないか、と感じてるんです。
これが仕事じゃなくて趣味なだけであれば、力自慢というか力比べというか、そういうのいらないんですけどね。
謙遜して、とかそんな感じじゃなく、メッシのプレーを見た後、みたいな感じなんです。
絶対に届かない、けど、食べるためにはサッカーを続けるしかない、他にできることが思いつかない、という後ろ向きな感じなんです。
「壁を作らない」 これ以上は自分が手を出してはいけない、とか勝手に壁を作らない、っていうのはいい話だな。 エンジニアである以上、教育されてないからわかりません、という人はいらないと思う。
「教育されてないからわかりません」とはちょっと違いますけど、全く勉強してないわけでもないんです。業務でクラウド使ってないのに AWS の資格取ったり。
ただ、プールを満たすくらいの水が必要なのに、コップで水汲みしてるような気分。
それやってどれほど意味があるの、という感じなんです。
正直上ばっか見てもキリがないし、なんでもできる人ってあんまりいないので、何か一つある程度の期間触ってみれば、少なくともその触ったものについては上の何割かに来るので、一つ一つそういうものを増やすかさらに掘り下げるかでは。インフラの人増えないから割とすぐですよw
「上の何割か」に行けるんですかね・・・。
そこそこレベルだと、クラウドのマネージドサービス使った方が良いでしょう、になってしまいそうで。
AI に仕事を奪われる、は実感湧かないですけど、クラウドには仕事奪われてる感じがしてます。
あと、最後の「インフラの人増えない」は、本当にありそうですよね。
高いレベルのインフラエンジニアしか要らない、となってしまったら、裾野が増えない気がします。
要は、つよつよじゃないって言葉は逃げにも使えちゃうと思うのです。この質問された方がそうだとは思わないですが(悩まれてる時点で頑張りたいって思われてると思いますし
「この質問された方がそうだとは思わないですが」って、注意書きを入れてくれているのが優しいなぁ、と思いました。
弱気な発言している人に対して「なに甘いこと言ってんの?」っていうのは簡単だと思うのです。
ただ、本当に弱っている人に更に攻撃加えてしまう可能性にまで頭が回る、心を配れるのは素晴らしいですね。見習いたいです。
あと、「つよつよエンジニアとは違うから」などと言って何もしない人もいるんでしょうね。
あるいは、多少は勉強しているんだろうけど、自分から見たら努力が足りない、そういう人が、つよつよエンジニアからは見えるんでしょうね。
もし自分がつよつよエンジニアだったとしたら、そういう人に強く当たらずにいられるのだろうか。
「つよつよな人との間に壁を作らない」というのは、言う側の動機はわかるんだけど、言われる側の「自分がよわよわだと思っている人」からは強者の理論にしか聞こえない気がしている。多分、求められてるのは修行メニューというか、もっと具体的な方法論なんじゃないかな。
この人は、いわゆる つよつよエンジニアという印象なんですけど、よわよわの人の気持ちを考えての発言ができるの、すごいですね。
ツイッター見てたら「私もよわよわなので気持ちわかります」という人より「甘ったれたこと言ってるな」的な発言する人ばかりだったので、気持ちが救われました。
(今回の質問に同意(?)した人が20人近くいたので、そういう人たちを救うためにも、強い言葉でツイートしている人だけじゃないことを世間に伝えたかったのが、この記事を書いた動機です。届くかどうかわからないけど)
で、そうなんですよ、具体的な方法論が知りたいんです。欲を言えば、現実的に可能なやつで。
このツイートに連なって書かれている「システムプログラミング」は現実的には私にはちょっとハードル高過ぎそうですけど、まずは「Go ならわかるシステムプログラミング」を読んでみます。Go わからないですけど。
これ書いてて思ったのですが、この質問した人(つまり自分)が「新人レベルの若人」と思っている人がほとんどだったと思います。実際はアラフォーのおっさんです。
その情報があったら、また違ったツイートになってたのかもしれませんね。
あと、弱気な発言が多いですけど、実際には、感覚的には、まだまだ十分必要とされてそうなので、そこまで深刻な気持ちじゃないです。ただ、10年後とかは怖い。
魔法使いと副店長を読んだ。泣くわ、こんな話。物語における光と影の対比が終始絶妙で鮮やかな物語だった。
作者の越谷オサムは、似たような話として陽だまりの彼女を書いているけど、それより今作の方が面白かった。
冒頭、単身赴任中の中年男性のアパートに、見習い魔法使いのアリスが飛び込んでくる。続く、出会いのあれこれを描写した一連の流れは少々ありきたりで、事実を受け入れられない主人公の葛藤がわずらわしく感じられた。けれど、そこを乗り越えてからはするすると話にのめり込めたし、何度か目頭が熱くなった。
魔法界では落ちこぼれで、言動がいちいち幼稚すぎるアリス。武者修行のために、人間界にホームステイしに来た彼女が何者であるのかは早々に想像ができたし、物語の中盤では呆気なく明かされてしまう。けれども、それゆえに終盤での精神的な成長や、彼女が触れ合った人々との関係性が生きてくる。現代の社会が抱えている影を絶えず漂わせているキャラクターがいるからこそ、彼女が起こす魔法の数々がまばゆく映るお話だった。
エピローグには物悲しい雰囲気が静かに広がっていたように感じられたけれど、同時にこれからの人々の幸せを願う希望に満ちた終わり方でもあったと思う。
知らない人のために解説するとヒーリングっどプリキュアは2020年度のプリキュアだ。
地球を癒やし“お手当て”してきた
【ビョーゲンズ】の襲撃にあって
このピンチを救うため、
パートナーを探しにやって来た!
と書かれている。
ふざけた話だと思わないか?
じゃあ聞かせてもらうが、その「病気」って状態はどう定義されているんだ?
じゃあ人間の子供の身長が伸びたりしたらそれも「病気」なのか?
えっ、違う?それはおかしいなあ。
結局の所、「人類にとって都合がいい状態≒地球が健康」という身勝手な定義が根底にあるだけなんだろ。
自分たちに都合がいい環境を維持しようとする行為を「お手当」と呼ぶらしい。
酷いものだ。
家畜に調教を施すような気持ちで、地球さんをお手当してくださっておられますか伝説の戦士プリキュア様は。
はぁ~~~~~マジでな、自分の都合のためにやってるだけのことをさも相手のためみたいに言ってんじゃねえよ。
カルト宗教の信者が信仰を押し売りするような気持ちで、地球で一番強いヒーローやるのはマジで勘弁してくれ。
もっと普遍的で一般的な道徳観に基づいて淡々と目の前の悪魔的災厄を暴力で解決していくスタイルでいいじゃん。
アンパンマンみたいなもんだよ。
なんでわざわざ「自分たち人類にとって住みよい状態こそが、地球にとっても健康な状態なんだ」っていう無根拠な自然環境保護論とセットにしちゃうかなあ。
人類にとっての良し悪しなんて、地球にとっては完全に無関係だからね。
たとえば、虫歯菌にとって理想の口内環境は歯磨きしてなくて砂糖まみれの状態が放置されている環境だけど、その状態が人間にとっても理想的かと言えば、別にそうじゃないから(まあ個人差はあるのかも知れんが)。
その環境の表面に寄生しているだけに過ぎないって自覚した上で、その都合を押し付けていくだけならまだ目を瞑るけど、それが相手のためにもなるとまで言い出すのはマジで簡便な。
その頃まだSNSは今ほど隆盛ではなくて、ネット上で匿名をたてに誰かを悪く言うといえば、定番のひとつとして掲示板サイトがあった。
当時、というかそれよりずっと以前からあったのを私が知らなかっただけなのだが、活動していたジャンルで、同じジャンル内で活動している人の中から誰かをピックアップして面白おかしく嘲笑うというスレッドがあった。
それを見つけた誰かがSNSにリンクつきで報告し、そこから、私のような地味担当にまで聞こえてくるほどの話題になった。
まだ(確か)若く、オタク活動の幸福で楽しい一面しか知らない私には衝撃的なほど、聞いたことくらいはあるあの方この方を名指しで、どこが悪い、ここが拙いと作品批判から始まり、本人の人間性について憶測で中傷し、笑い、あるいは敵意を隠さず罵るといった、その様相に愕然とし、それなりに長い間、その掲示板内スレッドに貼り付いて一言一言を脳に刻んでいた。
その内、社交的でそれなりに人気もあって、少々は目立つ部類であろう、私の友人がそのやり玉に挙げられ始めた。彼女の周囲の人物として、批判はないながらも自分の名が挙げられたのを見た時には、自分が何を感じたか認識するよりも早く、嘔吐した。
匿名で、明らかに誰か判らないから言うのだろうと思うような下衆な発言が繰り返される中、驚いたことに、友人は、明言しないながらも考えれば気づきそう、或いは違うとしても本人だと勘ぐられかねないほど、正面切ってその場で反論し始めたのだ。
その手の誹謗中傷なんていうものは、知っている人間から見れば明らかに根も葉もない内容で、しかし驚くほど、ちゃちなやり方ながら、雑な根拠といい加減なソースなんかを提示して、それらしく見せてくる。
現在のSNSほどでないとしても、企業の偽装、マスメディアのやらせ、作為的なフェイクニュースが話題になってまだ記憶に新しい頃で、見え見えながら悪い意味でよく見習い踏襲された話題の運びに感心するほどだった。
話題の刺激があれば充分で内容の虚実を必要としない目線からみれば、心を痛めるにも潤すにも、充分な燃料だろうと見えた。
それで私は、彼女のやろうとしてる反論は不利だと考え、彼女自身にもそう伝えた。黙っておけばどうせ話題の旬は過ぎて、深く考えていないように見える彼らは忘れてしまうだろうにと。
その時彼女が、恐らくは憤り混じりに言ったことを、きっと一生忘れないだろうと思う。
「匿名掲示板は、誰もが言いたいことを言っていい場所として提供されている。それなのに何故、間違ったことを言っているやつらが好き放題を許されて、間違っていない私が黙らなければならないのか」と。
私は一瞬言葉を失い、それから、ごもっとも…と彼女の言い分に白旗をあげ。けれど、陰口好きの類に彼女ほど詳しくも、弁舌巧みでもなく、参戦は恐らく足手まといであろうと考え、何かあれば、どんなことでもいつでも連絡して欲しいと告げるのみに留めた。
その騒ぎ自体は、長い間うんざりするような泥仕合を続け、繰り返して、予想に違わず話題は次々に変わり、もう追ってもいないので判らないながら、ご存知の通り、同じことが今も世界中で続けられている。
私は、彼女の言い分はもっともだと考える一方で、匿名を笠に着てよく知りもしない相手をあれほど悪し様に罵れる彼らは一体、何をどうしたのだろうということも非常に気に掛かった。
他者を攻撃しなければいけない状態にあることそのものが、地獄だ。と、言って意味が通じるかといえば、渦中にとっぷり身を浸し、その刺激に酔って何某かを得られる状態では、恐らくそう感じることもないだろうとも。
自分よりも弱い者をいじめることは快楽だとはよくいうし、その意味も分かる。そういう状態、そういう心理があることは、知るべき、認めるべきで、そこからでないと出発点に立てはしないが。
人を殴らなくても生きていける心安さは、人を殴って得られる快感よりもはるかに大きいと感じているし、知って欲しいと思う。
私達は誰も怪物ではなく、けれど生きていく中で味わう苦しさや弱さがいつでも私達をそのような姿に変え、けれど私達は誰も怪物ではないのだ。
誰かが指さして私を怪物だと決め、周りがそれを容易く認め、私に気づく者がいなくなれば、私はきっと死ぬまで怪物の姿から元には戻れない。
詮無いことではあるし、怪物の姿になってしまった者に近付くこと自体が、危険なことだというのも経験上から知っている。
それでも今も、危機回避について考えるたび、記憶の中の彼女が憤りを持って訴えてくる。
「何故、間違ったことを野放しにして、正しいことを言わないのか」と。
仲の良い家族。ドラマやアニメなんかではよく見るし、私の友人にもいる。
お互いを尊重して、助け合う家族とか。何かがあった時、真っ先に頼ってしまう両親、兄、姉、とか。趣味を共有し合えるとか。
「親に心配かけたくない」、「お母さん/お父さんのために」、とかの言葉とか。
全部羨ましい。
尊重なんてしたことないし、家族の誰かを助けようと思ったこともない。家族は一番頼りたくない存在だし、親孝行も一生しない。私の趣味はきっと一生好きになってもらえない。
ひどい子どもだな、と思う。
でも仕方ないじゃん。姉と兄はともかく、両親のことはどうしたって好きになれない。特に、母。
父も好きではない。傲慢すぎるし、人を見下してるし。でも、母はよりはマシ。
母。
私や兄に対して、絶対に嫌な思いをする言葉を言ってくる。言ってくるというか、他の人と話してる中で混ぜてくる。本人が聞いている前で悪口みたいな感じ。
兄には、第一志望に受かったことがないこと、浪人したこととか。
私には、私の趣味を気持ち悪いと言ったり、私の友人を侮辱したり、姉や兄と比較した言葉を言ったりする。
私はアニメや漫画が好きだし、それなりにグッズを買ったりもする。ミュージカルなどの舞台作品もよく見に行く。いわゆるオタクだ。
でも、母はオタクという存在が嫌いで、私がオタクであることを変とか、あり得ないとか言う。
アニメや漫画も変、グッズも変、変な劇、変な俳優、変、変……。「変なものにばっかりお金使って」、よく言われる。
勝手に捨てたり買うなと制限したりはしないものの、かなり否定的だ。
母曰く、「私はあんたの趣味を否定してはないでしょ。否定したみたいに言うのやめてくれる?」
自分の好きなものを変とか気持ち悪いって言われるの、けっこう辛い。
私の友人には、偏差値が高くない学校に通う人、高卒の人、鬱病で通信制の学校に通う人、学校をやめてしまった人など、母にとって『素敵じゃない』人がたくさんいる。
母は学歴主義で、中卒や高卒は論外、偏差値が低い学校に通う人は見下し、鬱などの精神的な病にかかった人のことは理解できない。
だから、私の友人の一人の、「偏差値の違う複数の大学に受かっていたが、学びたいことを学ぶのに最適な環境を考えて、結果的に偏差値が低い学校を選んだ」人のことを、あり得ないと言う。高学歴じゃなきゃ社会で戦えない、らしい。
「鬱病になり、学校に通えなくなってしまった」人のことを、本人も家族も甘いのよ、と言う。
目つむってても受かると思っていた大学に受からなかったというコンプレックスがそう思わせているのかもしれない。本人が精神的に病んだことがないからそう言うのかもしれない。
でも、私の友人なんですけど。
私は広い交友関係は作れない。でも、少ない友人たちと長く付き合っていて、保育園の頃からの人だっている。
尊敬できるところが必ず一つはある、大好きな人しかいない。見た目や、学歴、病気で変わってしまうような好意は抱いていない。
もし大学名を言ったら、大好きな友人は、母によってけなされるかもしれないから。
持病を抱えた人のことも言いたくない。
私の友人の話をしたくない。
母と会話したくないから、お腹いっぱいじゃなくても夕飯の席から逃げている。
「姉/兄/私(母自身のこと)はこんなことしなかったよ。」
「私が若い頃はこんなこと当たり前のようにやってたよ。」
私は母でも、姉でも、兄でもない。
頭ごなしにあんたには無理、とかもよく言われる。
母は自身のことを偏見はないし差別もしない、って言うけど、偏見だらけ。
だから、何か言われても戦えなくなった。
戦おうとしたら、たぶん泣いてしまうし。否定的な言葉を吐くのはすごく苦手で、心がぐっと重くなるから、あんまりしたくないし。
友人たちに申し訳ないな。
母の嫌いなところは、いくらでも出てくる。
好きなところは……思いつかない。
最近母が、父のことで私を逃げ場にしている。
それが、本当に嫌で仕方がない。
父との喧嘩は増えたし、リビングから泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
私に優しい言葉をかけてほしいのか、ただ父から離れたいのか、わからないけど。
私は母にどうしたって優しい言葉はかけられない。
私の趣味も、友人も否定して、私を否定するような言葉を幼い頃から何度も言ってきた人のこと、どうやったら慰めようと思えますか?
客観的に見れば私が悪いところはたくさんある。それは理解してる。
ネットでは現実での人種性別は何も関係なくただ一人のネットユーザーになれるのも良い所の一つだろうに
僕は周囲に女性っぽく見られたいな…と思っていても多分男だとバレバレなんだと思う
これは「そうよ!実は私は女なのよ!」と吹っ切って演技が出来ないのも問題だと思うけど
ネットで「俺男だけど~」って普通に性別を騙れるネナベ女性は本当に凄いなあって思う、女性は嘘が上手いからだろうけど
お前実は女だろう?って突っ込まれても逆ギレして「いや俺は男なんだが?」って言い切れるあの胆力は本当見習いたいなあ…と思う
腐男子自称する女性や「生物学上は女=精神は男ですが?心にちんこ生えてるしな」とか度胸あるなあ…って本当ただただ憧れるばかりです
心に残った順でメモ。
以下、途中まで見てたもの
便乗だにゃ
もう多分数年前ぐらいになる。自分はその時あるVtuberオーディションを覗いていた。
それはオーディションといっても公開形式で、具体的なライブの来場者数やギフトの数でかなり可視的に順位を競うものだった。
オーディションを見て回っていた自分は、ある配信者のもとで足を止める。それが後の推しだった。
まず声の発生の仕方が他と違っていた。プロの声優か?というぐらい他の素人臭いボイスとレベルが異なっていて、歌も際立ってうまかった。
使用している機材の良さも音質から伝わってくるし、配信の構成もあまりグダグダとせず纏まっていた。
強いて言えば内容というか企画感はちょっと薄くて、「彼女の可愛い声をみんなで聞く」みたいな色合いが強かった。
それでも、自分はすっかり夢中になってしまった。いつしか彼女は自分の名前を憶えてくれるようになって、ますます夢中になった。
そんな自分が「ファン辞めます」になってしまったのは、彼女が起こしたとある出来事により幻滅してしまった事が原因だった。
有名人だったら炎上していたと思うが、幸い「見習い状態のVtuberのちょっとしたおいた」程度でそれほど延焼しなかった。
しかし魔法が解けるのって結構簡単で、そんな事で自分は幻滅してしまい、あれだけ夢中になったのにぴったり追うのを辞めた。フォローを切った。
でも彼女は本当にハイクオリティだった。だから自分一人が応援を辞めても、きっと大きく成長するだろうと思った。
あれだけハイクオリティだった彼女の事だ、今頃大人気Vtuberにでもなっているんじゃないかと……。
うん、でも全然伸びてなかった。同じオーディションでドンパチやってた子の方が数倍伸びてた。
こういう時、どんな顔をしたらいいのか分からない。
「ファン辞めたVtuber、結局伸びてなかったわw」みたいな正統化もしたくなるし、純粋にもっと伸びてると思ったから胸にぽっかり穴が開いたような気持にもなっている。
人権的な取り組みが進んでいるカナダでは、人権問題が起きると国のトップがすぐ立ち上がって懸念を表明する。
もし日本で同じような出来事が起きたら、首長が立ち上がるだろうか。
トルドー氏は定例会見で、「アジア系カナダ人への人種差別的な行為が急増している」として非難。「ここ数週間、数か月にわたり、企業や建物、銅像が破壊され、人々は言葉による虐待や身体的な攻撃を受けてきた。こうしたことは容認できない。カナダではヘイトや暴力、差別があってはならない」と主張した。
企業や建物、銅像の破壊を虐待や身体的な攻撃と並べて、まるでマイナスしかないかのように言っている。
例えば銅像の破壊などは社会の歪みを視覚化するプラスの面もあると思う。