「秘話」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 秘話とは

2021-01-06

全米が泣いた、神々の流す涙に救われる人々の感動秘話、来月公開決定!

神んグスーン

2020-11-24

リーゼント」は後頭部のみを指すのか?

一般に「リーゼント」とは、ポマードなどを使って前髪を盛り上げ、側面の髪を後ろに流して固めた髪型のことを指す。

英語圏では、前髪を盛り上げる髪型をポンパドール、側面の髪を後ろに流す髪型をダックテイルと言う。

そのため三つの解釈流通している。

  1. リーゼント」とは「ポンパドール」のことである
  2. リーゼント」とは「ポンパドールとダックテイル」の組み合わせのことである
  3. リーゼント」とは「ダックテイル」のことである

特に近年では「3」が正当で「1」や「2」は誤用だとされることが多い。

事実は奈辺にあるのだろうか。

疑問を持った我々はインターネット大海に漕ぎ出した。

まず「リーゼント」は戦前から存在したようである

以下のブログ引用されている1964年新聞記事には、理容師増田英吉によるリーゼント誕生秘話が書かれている。

http://mudamuda.hatenablog.com/entry/regent

むかし、リーゼントスタイルというのがあった。戦後一世を風びした、流線型のあれ。これを二十代で考案したのが増田さん。

(中略)

ヨーロッパ人にくらべ、日本人は髪がかたいこと。もう一つは「ひたいから頭のうしろまでの距離が短いこと。まあ顔面角のせいなんでしょうかねえ」。あとの方のハンデを克服しようと考案したのが、リーゼントスタイル。前面をいったんふくらまして、うしろになでれば、髪が落ち着く距離が長くなる――これがそのヒントだった。

リーゼントについて詳しく調査された以下の英語記事でもほぼ同じ説が採用されている。

https://neojaponisme.com/2014/10/09/history-of-the-regent/

1920年代後半、東京モダンな街・銀座には、スタイリッシュ若者たちが集まっていた。モボ(モダンボーイ)はワイドパンツにかっちりとしたスーツを着こなし、モガ(モダンガール)は洋装和装ミックスしたスタイルだった。彼らの髪型として、モボはポマードで髪を後ろに流しており、その見た目からオールバック」と呼ばれていた。

1933年東京モダン理髪店は、現代紳士のための次のスタイルを求めていた。銀座とある気鋭の美容師が、サイドを後頭部に流し、高島田花嫁のように前髪を押し上げるスタイルを考案した。エキサイティング外国語名前を探していた理髪師は、それを「リーゼント」と名付けた。

これらの説明によれば、この時点ですでに「リーゼント」は単なる「ダックテイル」ではなく、「膨らませた前髪」と一体になった髪型を指している。

ただし、ここでの「膨らませた前髪」はポンパドールと言えるほど大きなものではなかっただろう。

ちなみに「オールバック」も和製英語で、英語ではスリックバックなどと言う。

一方、Google Booksで検索すると「ポールグラウス」という人物が浮かび上がってくる。

三省堂アメリカンカルチャー』より

1934 (昭和7 )年ごろ、日本リーゼントが紹介された。正しくはその前年1933年6月のこと。当時発行されていた専門誌『美髪』の口絵写真掲載された。これをもってリーゼント流行は'33年に遡る、とするむきもあるが、それは正しくない。リーゼント型、という名前とその写真がのっただけで、はやったわけではない。いや、はやらそうにも誰もその仕上げ方を知らなかったのだ。再びリーゼントが紹介されるのは1936年3月。同じく『美髪』誌上で、イギリスの理髪師ポールグラウスなる人物技術解説を試みた。

グラウス1932年ごろにイギリスの理容雑誌で「リーゼントスタイル」を発表しているらしい。

まり、このグラウスが「リーゼント」の生みの親であるという。

命名者がイギリス人なら「撫で付けた横髪がリーゼントストリートのようにカーブしているから」という日本人離れした命名センスにつじつまが合う気もする。

このグラウスリーゼントは「前髪を横分けにして、横髪は長く伸ばして後頭部へ撫で付ける」というものだったようだ。

「ダックテイル」に近いが、やはり「前髪」の形とワンセットで説明されている。

いずれの人物が考案したにせよ、二十世紀初頭に世界的に流行したオールバックのバリエーションとして、日本では1930年代に「リーゼント」が登場したということになる。

さらに言えば「ダックテイル」が発明されたのは1940年アメリカだというので、むしろ誕生リーゼントのほうが先である

まあ、元となったオールバック自体シンプル髪型から、当時似たようなアレンジは多かったのだろう。

当時の日本で、リーゼントで有名だった人物としては榎本健一灰田勝彦岡晴夫あたりが挙げられるが、いま見れば「前髪を横分けにしたオールバック」といった感じである

ただ、前髪をぺったりと撫で付けたオールバックと比べると、この「リーゼント」の前髪はボリュームがあると言えるのかもしれない。

https://www.amazon.co.jp/dp/B001BBXG4Y

https://www.amazon.co.jp/dp/B01M5DHEU9

さて、リーゼントポマードを大量に使うので戦時中日本では禁止されて退潮したが、戦後すぐにアメリカ兵のファッションを真似るかたちで復活した。

いわゆる「アプレ族」である

https://danshi-senka.com/archives/191

リーゼントヘアで頭を固め、サングラスアロハシャツ姿で第2次大戦後の街中を闊歩するアンチャンたち。無軌道な行動をとるこのような若者たちを、当時のマスコミフランス語アプレゲール(戦後という意味からこのように呼んだ。(中略)彼らのファッションのお手本となったのは、日本に進駐してきたアメリカ兵隊たちのカジュアル服装で、つまり戦後まもなくのアメリカンスタイルの真似をしたに過ぎない。

リーゼントアロハシャツ岡晴夫の影響だともいうが、要するにアメリカかぶれの不良少年といったところである

どちらかと言えば紳士向けの髪型だった「リーゼント」が、この時期から不良文化と結びつけられるようになったのだと思われる。

ちなみに欧米でも「戦争ポマードが統制され短髪が奨励される」→「髪を伸ばしてポマードを大量に使う俺ってワルだろ?」という流れで、ポンパドールやダックテイルが不良の象徴となったという面はあるらしい。

さら1950年代に入って大きな変化が起きる。

イギリスではテディ・ボーイ、アメリカではエルヴィス・プレスリージェームズ・ディーンと言ったように、欧米流行していた「ポンパドール+ダックテイル」というスタイル日本に輸入されてきたのである

特にエルヴィスの影響力は凄まじく、日本でも1958年デビューした「ロカビリー三人男」などがエルヴィスを真似たスタイルで人気を得た。

このときに「ポマードで固めた前髪と後ろに撫で付けた横髪」という共通点で括られて、エルヴィス的な「ポンパドール+ダックテイル」のことを、日本では「リーゼント」と呼ぶようになったのだろう。

まとめてみよう。

以上からすると、「リーゼントとはダックテイルのことである」とは言えないように思う。

少なくとも「ダックテイル」のみをリーゼントと呼んでいた時期は存在しなかったのではないだろうか。

2020-11-17

スクワットマンリングフィット日記

https://anond.hatelabo.jp/20201116185603#tb

↑これの続きです。


簡単なあらすじ】

スクワットガチ勢(日課で2,300回やってる)が負荷27でリングフィットに挑んだ結果、スクワットは楽勝だったが上半身はろくに鍛えてないため無事死んだ


筋肉破壊再生によって培われるものである。よって私の上半身(主に腕と上背あたり)が普通に動かせるほどには痛んでいないのは、まだトレーニング量が不十分である証拠になってしまう。

リングフィット二日目は、翌日の筋肉痛を目指して上半身を主に痛めつけることにした。

しかしながら2面の半ばまででは使える技の種類が少なく、腕関連に至ってはバンザイプッシュのみであるリングフィット基本的連続で同じ技を使うことができないため、他なる上半身用の拷問習得すべくレベリングを始めた。

ちなみに私の上半身がどれほどザコかというと、下半身スクワット200、シシースクワット200、ヒールレイズ300ほどをこなせるが、プランクは1分も持たず、腕立てに至っては20回が限界である

唯一首だけは強靭で、レスラーブリッジは頭に血が上るまで維持できるが、リングフィットに首系の技はないため、無用の長物だ。

移動はサイレントモード(走る代わりにスクワット)に変更し、負荷はあえてMAXの30に変えてゲーム開始。左右の宝箱やコインに気を配りつ、マップを進めていく。


走っていて思うのは、やはりトレーニング音楽は欠かせないということだ。運動のペースにあったBPMの曲を聞くと、気力が底から湧いてくる。私はよくテイラー・スウィフトshake it offを聞いている。楽しい

https://www.youtube.com/watch?v=nfWlot6h_JM

リングフィットフィールド移動時の音楽ちょっと寂しいので、スマホ音楽を流しながらスクワットしていく。SEは爽快感があっていいのだけれど、BGMは変えられないのかしら。

いくつかの橋を超え、移動床を乗り越えてのザコ戦である。赤いのと緑の丸っこい敵が3体現れた。上半身である習得したばかりのサゲテプッシュを選択範囲攻撃技だと途中で気づく)。

リングを下げて、押して、キープして、放つ。……うん、キツい!

筋トレを少しでもやったことがあるならわかると思うが、筋トレで一番きついのは、負荷がかかった状態キープすることだ。

スクワットベンチプレスもアームカールも、戻す際の動作で膝や肘を伸ばし切ってしまうと、負荷が大きく減ってしまう。これらで回数をこなせるよと言う人は、伸ばし切る前にまた曲げ始めるようにしただけで、キツさが当社比3000倍になるので、ぜひ試してほしい。

なので後半のペースアップタイムは負荷が減るため文字通りボーナスタイムなのだが、そこにたどり着くまでの道のりが果てしなく遠く、途中から無様にも背中丸めしまった。

必死攻撃にて3体のHPを7割ほど削れたが、現時点で覚えている範囲技はサゲテプッシュのみ。胸骨柄が透けているほど薄い胸筋が、もう無理ぽと言っているため、一度リングを床に置き、ニートチェスト選択

ニートチェストも、足を延ばす際に浮いているのをキープするように頑張ると、キツさが3000倍になる。途中何回かボトボトンと落としながら、赤いのを一体撃破

腹筋ガードでダメージを抑え、次は緑に狙いを定める。サゲテプッシュはクールタイム中のため、バンザイプッシュを選択する。

前回は27でひーこら言っていたため、30ではどうなるか。結果は死である

決死のサゲテプッシュで半分以上削れてなくば、間違いなく死んでいた。ザコ敵にゲームと言うレベルを超えた殺意を抱きながらのトレーニング体験ができるというだけで、リングフィットを買う価値はあるだろう。

から力が抜けそうになるが、少しでもサボれば判定はGoodになり、ダメージが減り、結果長く苦しむことになる。自分に嘘をついたらついただけかえってくる、それがこのゲームだ。

バーが折り返したところで、緑が吹っ飛ぶ。ちなみにデフォルトでは敵が死んだ時点でトレーニングは一区切りなのだが、設定で倒した後も続けるようにできる。経験値はやった分だけ入るので、マゾ、もとい筋肉求道者は設定をいじるといいだろう。

残る一体は癒し椅子ポーズ撃破椅子ポーズは神、たぶん5分ぐらいなら連続でできる。

スクワットを再開し、マトを当てつつ進む。ゴールにたどり着いた。ビクトリー!!!!!!



ゴール後恒例の心拍測定では、なんと軽い運動と出てしまった。うせやろ、私の左右の乳の付け根は悲痛な声を上げてるぞ。

まあ、戦闘後数分は下半身ばかり動かしていたからやむなしだが。ストレッチパワーを経験値に変え、無事レベルアップ。

その足で次ステージに向かうと、またもや村人がモンスターに襲われているらしいのでスクワットで走る。

途中、いかにも固そうな緑のカニが出てきた。サゲテプッシュで挑んでみるが、なんか君、堅くない?

全弾打ち込んでもHPは2割も削れていない。絶望をひしひしと感じつつ、次の技を選ぶ。乳は変わらず悲鳴を上げていたので、椅子ポーズ選択。確実に削るため、髪が燃え盛る前に下ろしてしまわぬようゆっくりと行う。

椅子ポーズは回数と難易度の割にダメージが出るので、乱用はややずるいかもしれないなと思いながら、3割ほど削る。全部BESTだとダメージボーナスがあるのか、サゲテプッシュよりも削れている。

カニ攻撃は1ターン置きなのだろうか、サボり攻撃を交互に行ってくる。腹筋ガードを説明が出る前にとっさに構えられるようになると、なんだか成長した気持ちになれてうれしい。

無事に防いでこちらのターン。スクワットで挟み殺すべく上下する。オラッ往生ッ。

しかカニはなかなか堅い。1割ほど削りきれず、ハサミを持ち上げられてしまう。とどめの技に迷ったが、乳の悲鳴大人しくなっていたのでバンザイプッシュを選択。持ってくれよ……俺の体……!

胸筋が限界を迎える寸前に、カニ金貨を残して吹き飛んでいく。エクササイズパワーでミリ残ったゲージが0になって吹き飛んでいく瞬間は、何度見てもめちゃくちゃアドレナリンが出る。すごい。


ダンナを助け、ビクトリー!!!!!! 心拍を測るとまたも軽い運動と出てしまった、マジか、私の胸筋はもっと熱くなれるのか。

とはいえかなり疲れたので、リングに勧められるままに、今日はここまででひとまず休憩する。夕食の卵かけごはん牛乳たんぱく質摂取

プロテインのほうが効率がいいんだろうけど、いいプロテインはいいお値段でもあるため、なかなか手が出ない。

2日目は30分ほどプレイして、50キロカロリー消費。バンザイとサゲテ、どちらも100回やったため称号を手に入れた。

上半身トレーニングはどうしてもつらさのほうが勝ってなかなか続けられなかったので、こんなに出来たことに驚きだ。



https://jp.ign.com/nintendo-switch-new-experience/46598/feature/

リングフィット アドベンチャーはいかにして水と油「ゲーム」と「フィットネス」を混ぜたのか? 答えは「無理」だった - IGN Japan

あと、こちらの開発秘話がとても面白かったので、読んでない人がいたら是非。

2020-11-14

昔の絵画とかの裸婦絵って絶対なんらかのセクハラとかパワハラ的なものがあったと思うんだ

そういう製作秘話って出てこないのが普通だけど

もし出てきたら作品評価が180度変わるだろうしあってもどこかの誰かが握り潰して闇に葬ってるんだろうなと思う

2020-10-27

追記 オタクパロディ好きって

小さい子が自分の知ってるものが出てくると喜ぶのと同じだよな

「あーーーーー知ってる知ってる知ってる!!!これキメツにでてきたやつぅぅううう!僕知ってるよねえ!僕知ってる!」みたいなこと言うじゃん。子供って。

ポプテとか全く面白くない四コマでもミームふんだんに使うことで、キモオタの支持得てたじゃん

「わかる奴にはわかる」のつもりなのかもしれないが、正直寒かったわ

追記

ほどほどに

いやこれなんだよ↓

何事もやりすぎはキモいしほどほどは格好良い。

やりすぎててキモいんだわ。

パロディオマージュも嫌いじゃないよ。でも作者側も「これのパロディいれたら褒められるだろうな」みたいな意図ムクムクさせてる作品多すぎだろ。単刀直入に言うとキモイねん。隠し味をドバドバ入れたらメシマズだろうがよ。作品勝負しろよ。他作のパロで「わかってる作者」感を出して評価されようとか洒落臭いんだよ。

オタクだって作品自体を見ろよと。作品を噛み締めたうえで隠し味のパロディを楽しむのはいい。まずパロディパロディから面白いって、消費の仕方としてくだらなすぎるんだよ。

あれもこれもパロディです、これにはギリシャ神話オマージュのこんな裏設定が〜とかも嫌いだ。少しは作品独自性を見せてくれよ。一から作ってくれよと思うんだ。なんでも隠喩しまくればいいってもんじゃない。12星座に準えて〜とか逆に薄っぺくてがっかりだ。

隠し味の主張が強すぎるのも、隠し味が入ってて凄い!って褒め方するのも下品だよね。

知ってること≠すごい

あと、

インターネットが無かった頃「これは○○のパロディ」って分かるのが今よりずっと凄いことだったのよ。

これもな。これもでかい。「知ってること」に大した価値がなくなったんだよな。ネットミームなんか知ってること何の価値もねえから。そんなのでオタク特有選民意識とか発動されても痛いわ。アニメ映画制作秘話も今の時代誰にでもアクセスできるんだよね。昔のオタクだったら「マイナー雑誌のために月1で隣町の本屋まで行った」とかで仲間内尊敬されるのかもしれないけどさ。Twitterでバズってるネタを知ってる価値って限りなく低いから。

教養を振りかざすなよ

インテリ教養のある俺仕草も正直嫌いだよ。知ってるアピするためにお勉強ちたの?って聞きたくなるわ。そしてその教養高校教科書レベルだった時は聞いてるこっちが恥ずかしくなる。知識を振りかざすのは恥。ホンモノはアピらなくても溢れ出すもんだろ。

何が嫌いか自分語る

平安貴族教養アピ、嫌い。和歌文化も基本嫌い。「こいつらクッソキショいな」以外の感想ないだろ。それ以外に何か感じられる奴いるの?

まれで決定した身分でご教養を身につけて道楽に耽ってるだけのカスだぞ。超搾取上級国民が内輪のノリで教養ごっこしてるのの何がそんなに面白いんただ?日本文化史のなかで1番嫌いな時代だわ。

恋には情熱的で、些細なことで感情を揺り動かされ、悲しい時は悲嘆に暮れ、……みたいな感情を露わにした生き様は良いと思う。が、ああいうのって「めちゃくちゃ余裕のある暮らし」だから成り立ってただけだよな。没落いうても税で食ってますやんっていう。搾取の上の優雅暮らし

2020-10-17

TOKIOのこと

ここ一か月弱の感情の変遷を残しておきたい。いや、この二年半の、かもしれない。

初めてその報道を目にしたのは、仕事帰りの駅での事だった。呆然としたまま電車に乗ったのを今も覚えている。全く信じられなかった。たちの悪いフェイクニュースでは?とも疑った。スキャンダルとは無縁のグループで、頼れる兄貴分の彼が、まさか

その後しばらくのことは、あんまり思い出したくない。四人の謝罪会見生放送毎日泣いている太一くん。そして退所が決まり、四人のTOKIO写真タヒチにアップされた。どうしようもなく悲しかったけど、受け入れるしかなかった。メンバーの方がはるかに悲しかったと思うから。やっぱりTOKIOが好きだったから。

DASHトキカケも、四人で続けられた。続いているだけでもありがたいのかもしれない。でも、終われなかった、という一面もあるのではないか。様々なジャンル仕事を抱えるTOKIOは、存在が大きくなり過ぎたのかもしれない。吹けば飛ぶようなグループであれば、一人の不祥事くらい抱え込んで、うやむやに続けられたんじゃないか。そんなくだらない事を考えたりした。

茂子のリサイタルで、「このままじゃ終わらない」と言う言葉を聞けて、嬉しくて悲しくて泣いた。でもその後、メンバーからTOKIOのこれからに関する言葉は、きちんとは聞けなかったように思う。

もやもやした状態のままでありつつも、残ったメンバーお仕事はとても順調なように見えた。それは今まで培った信頼の証であると思うので、誇らしいことでもある。ただ、汚れを切り捨てたからこそ、という面もあるように思えて、悲しかった(自ら退所したのだというのはもちろん承知の上で)

25周年には何かあるのでは?とソワソワしているところに山口くんの週刊誌インタビューがあって、四人で音楽を再開するのでは、と話題が上がったりした。それを歓迎できない自分がいた。

私は特に担当というのはおらず、箱推しというか、五人の絆萌え、みたいなタイプオタクだ。TOKIOは五人でないとダメで、特に音楽活動は五人以外考えられなくて、でもそれは無理な相談で、自分でもTOKIOにどうしてほしいのか分からなかった。こんなに五人推しだったことに、四人になって気付かされた。それくらい、いくつになってもTOKIOは五人だと思っていたのだ。

彼が事件を起こして、失われてしまったものは数えきれないほどある。大好きな平家派Jフレも、存在が一人欠けてしまった。きっと盛大に祝われるはずだった25周年、それを記念したライブも。聴けるはずだった新曲も。音楽番組でのガヤも。

それらを奪った彼のことを、それでも嫌いにはなれなかった。本当は悪い子じゃないんです、とモンペみたいな気持ちにもなった。長いことファンをやっていて、もう勝手に身内みたいな感覚になっているのだ。

から、甘いところ、不注意で軽率な一面はあったと思う。ただそれを、持ち前の器用さソツの無さでカバーできてしまっていた。無免許離婚もなんとなく受け入れられて、その後の仕事に影響しなかった。それも不幸の元だったのかもしれない。

起こした事は擁護しようのないものだ。それでも嫌いになれないのは、彼の今までを見てきたからだ。

24時間で、ゴールするリーダーを見つめる潤んだ視線。明雄さんのお見舞いで、その手を握る姿。東京避難してきた北登を撫でて、涙ぐむ様子。まな板事件。思い出すのが泣いているところばかりなのは、彼は悪い人じゃない、と信じたいからなんだろうか。

何が彼をここまで追い詰めたのだろう。

村がまだあったらなら、明雄さんがご存命だったらまた違ったのだろうか、等らちもないことを色々考えたけど、もちろん答は出ない。

おそらくアルコール依存症だと思われる状態になるまで、誰も彼を救えなかったんだろうか。一連のことで私がもっとも落ち込んだのは、この事かもしれない。メンバー存在は、山口くんの救いにはならなかったという事実

家族でもなく友人でもなく同僚でもない、メンバーという特別存在に、夢を見過ぎでいたんだろうか。

一時期話題になった、連帯責任という言葉がもし適用されるなら、彼が病んでいくのを止められなかった、という点ではないか。もちろん実際のところは全くわからないけれど、思ったよりメンバー間の繋がりというのは薄かったのかな、と。アラフォーにもなれば、それが自然なのかもしれないけど、やっぱり悲しかった。

もう彼は見たくない、早く四人で音楽活動を、という声もネットでよく目にした。理屈では理解できるけど、感情的にはまったく受け入れられない意見だった。私には音楽の専門的なことは分からないけれど、例えサポートベースを入れたとして、それは果たしてTOKIO音楽と言えるのか。あの甘い歌声ツインボーカルハモりの美しさも、TOKIO音楽の大きな魅力なんじゃないのか。深い信頼をおいた存在が奏でるリズムからこそ、生まれものがあるんじゃないのか。表立ってはとても言えなかったが、そんなことをつらつらと考えていた。

ファン感情をよそに、結局TOKIO音楽を再開することはなかった。かわりにささやかれ始めたのが、長瀬くんの脱退説だ。まさか、いやでも。また感情が振り回され、DASHトキカケのちょっとした発言一喜一憂したりする日々が続いた。

そして7月正式長瀬くんの退所が発表された。ショックと同時にああやっぱり、という気持ちもあった。でも、そのショックを打ち消すような、タヒチでの太一くんの言葉で、全てが報われたような気がした。ツイッターで、「浄化」という言葉を使っていた方々いたが、まさにそんな感じで。それくらい、「TOKIOは五人」という言葉はありがたいものだった。

何がつらかったって、まるで始めからいなかったみたいに扱われることで、何かのバラエティの結成秘話VTRで、山口くんの存在が抹消されていたときはもうファンやめそうになったくらいだ(やめてないけど)

から、ひっそりと彼の痕跡を流してくれるDASHには本当に感謝してたいた。

そんなところに、メンバー本人からの、五人発言だ。大げさでなく涙が止まらなかった。今までの自分感情肯定してもらえた気がした。五人のTOKIOが好きだと、堂々と言っていいんだ。それが何より嬉しかった。

その後の会社設立インタビュー、そして921のサプライズプレゼント

会報の中でも、彼の話題が出ていた。松岡くんの「兄ぃ」を久々に目にしてまた泣いた。校正いくらでも修正できるところに、あえてそのままにしてある辺りに、覚悟というか決意というか愛情というか、いろんなものを感じた。そもそも退所した人の話題が載ってるのがすごいかもしれない。更に写真が最高だった。やればできるんじゃんアイドル!なんで出し惜しみするの!でもありがとう

デビュー記念日歓喜に溢れた幸福な日だった。

ところからの、翌日の報道だ。

正直にいうと、1回めよりはショックは少なかった。もちろん、このタイミングでなにしてくれてんの!とは思った。

しかし、ここ最近TOKIOの動向やら、五人発言やらが影響したのでは、ということの方が気になったのだ。まだまだ回復には遠い状態なのだ、というのが悲しかった。これもネットで見た意見だけど、人様に怪我をさせたりすることがなかったのは、せめてもの幸いだったのかもしれない。生放送でのリーダー言葉には、少し救われた。メンバー自らの発言はやっぱり大きい。

TOKIOは五人です、と言い切るならば、こういう事も起こり得るという、リスクも伴ってくる。だからそれなりの覚悟を持っての発言だったんだと思う。(まさかこんなにすぐ事件になるとは思ってなかっただろうけど)

これをきっかけに、TOKIOの今後が何かが変わるのか変わらないのか、それもよくわからない。

ただのファンには何もできない。ただ、適切な治療を受けられて、人や自分を傷付けることのない状態にいることを、祈るだけだ。

他のメンバーもだけど、どこでどんな仕事をするにしても、とにかく健康でいてほしい。幸せであってほしい。それが今の気持ちだ。

人生ものすごく辛かった時期、TOKIO存在に救われた。

今もずっと感謝しているし、TOKIO名前を残して、続けてくれることが本当に嬉しい。

何なら今も、コロナやら何やらで結構人生ピンチなんだけど、今はTOKIOに救いを求められない。私はV6との掛け持ちオタクなんだけど、25周年のお祝いムードもついていけていない。むしろ温度差の激しさで病みそうな状態だ。あったはずのTOKIOの25周年に思いを馳せたりしてしまう。不毛だ。

アイドルファンでいるって、ただの趣味で、本当はもっと幸せなことであるはずだ。こんなに落ち込んだり考え込んだりするならやめた方が楽だろう。

それでもやっぱり私はTOKIOファンだ。

今まで行ったライブで味わった幸福も、CDDVDも、大切な宝物でありお守りだ。

一時期聴くのが辛かったけど、今はふつうTOKIOの曲をシャッフルして、久しぶりに再生したカップリングなんかを聴いて、めちゃくちゃ名曲だな⁈と改めて衝撃を受けたりしている。

未来のことは分からないけど、元気で生きていてさえくれたら、いろんな可能性があると思うので。当分はこんな感じで、低空飛行なオタ活を続けていくんだと思う、たぶん。

書き殴って少しだけ、気持ちが整理できたかもしれない。

もしこんな支離滅裂な長文を最後まで読んでくれた人がいたら!ついでにTOKIOの曲聴いてみてください!

オススメは「リリック」「路傍の花」「ストロボ」等々、ラブユーやアンビや宙船以外にも名曲いっぱいあるよ!

2020-10-10

まーーーーーーたUWF関連の本を出すのかい

証言UWF 最後真実

証言UWF 最終章 3派分裂後の真実

証言UWF 完全崩壊真実

完全崩壊真実でついに高田延彦が登場して最後になるかと思われていたが…なんと10月10日、つまり今日

証言 UWF×プライド 総合格闘技に挑んだプロレスラーたちの死闘秘話

が出るらしい。

若い頃にUを見て熱狂したおじさん達が買うんだろうなぁ。

ここまで出るって事は結構売れてるんだろうし。

プロレス歴史を見てると必ずUWFPRIDEの話は登場するし「キレてないっすよ(本当は「キレちゃいないよ」と発言している」という長州力発言新日本プロレスUインターの対抗戦で生まれものだし、今の若いプロレスファンUWFからPRIDEまでに関わったレスラー証言面白いだろう。

個人的にはアントニオ猪木の 「髙田vsヒクソン戦は、観る前から勝負はわかっていた」という証言が気になる。

仮に本当だとしたら新日本プロレスレスラー総合格闘技に参戦させて瞬殺させたのは、総合格闘技によってプロレスを潰してファンを奪うつもりだったのかなと思う。

2020-08-22

感想強制されると書きたくない

面白かったら書くしさほど期待してなさそうならなおさら書くかも

書いて!!!!とかうるさく叫んでたり感想いから続き描く気ないとか書かれたら絶対書かない

絶対めんどくさい奴だから関わりたくない

あとTwitter制作秘話とか流してる奴

気に食わない感想だと毒マロ扱いされる可能性大

2020-07-31

anond:20200731221908

🥚うっかり

あったまりすぎて

🐣孵っちゃったYo!!


🐤これがひよこちゃん誕生秘話ヒストリア~🎵

2020-06-30

タモリデビュー秘話創作臭さ

あれ今で言うところの電通案件と同じだろ。

2020-05-23

野球部のお涙頂戴がウザい

高校スポーツ大会が中止になったニュース話題になった。

マスゴミはこぞって野球部監督部員に発表する様子や感動秘話報道した。

野球ってそんなに特別なのか?世の中には大勢スポーツ部員がいるけど?

他のスポーツ部員だって同じように努力しているし、大会中止の憂き目に遭っている。

野球部普段生活態度は最低の奴らの集まり

部内では前時代的な主従関係が徹底されていたり、他のスポーツ馬鹿にしたりと、まあ最低の奴らの集まりというイメージしか無いので、人として何か同情できる事はない。

この前ホームレス殺害したのも野球部の奴だったかな。

あいつらで「泣ける」人間って一体なんなんだ。

2020-04-20

医療従事者と自ジャンルくん。

※私個人意見です。医療従事者の総意ではありません。

社会人になったばかりの私の生きる糧になっていた自ジャンルくん。

アニメ製作知識の無い私は、

積極的製作秘話を垂れ流す自ジャンルくんに沈みました。

頻繁に繰り広げられるコラボカフェ

多い時は毎週の様に、時間お金をかけて楽しみました。

調子が悪くなったのは2019年10月から

不運にも円盤購入のイベント台風と重なり

やるやら無いで軽く炎上してしまった自ジャンルくん。

台風は君のせいではなくても、もっとやり方あったと思う。でもそんなの今となれば思い出話。

同じタイミングで発売された2.5次元円盤

またもや炎上してしまった自ジャンルくん。

音楽知識がなくてもおかし編集

問い合わせに、まともに対応しない製作委員会。

正直許せてない。

だけどまだ2.5やるんでしょ?

12月だよね。舞台は楽しかったし、もちろん行くよ。

そして、今月から開催される東京でのコラボカフェの告知。

えっおかしくない?

私は医療従事者です。

毎日出勤する度に職場コロナ感染者を受け入れるため、目まぐるしく変わっていきます

きっと感染者が多い地域医療従事者は

もっと大変かと思います

別に医療の専門知識がなくてもいいんです。

今は外出するときではないとか

大変かも知れないけどちょっとでも実践して欲しいんです。

そんな心境の中、自ジャンルくんがTwitterコラボカフェの告知がでたら、台風円盤と磨耗した心はさらに細くなる。

心の支えだった自ジャンルくんが、今や心のナイフかな。へへ。

企画をした方、今じゃないよねって言う勇気を持って欲しい。

告知を見て、

大阪でもやってほしい」

「またコラボカフェとか(褒めてる)」

「嬉しい」

お金無い」

初日行けない」

と反応する人たちも見られることも悲しい。

お願いです。

今を乗りきろうと頑張る人がたくさんいるんです。

おかしいと思って欲しい。

いつぞやのエイプリルフール医療ネタを絡めた自ジャンルくん。

心の狭い私は、正直面白いと思えなかった。

でも、これは私の問題だと思ってた。

だけど、こんな中でも外出か必要企画を動かす自ジャンルくんは、医療を舐めてるとしか思えない。

このコラボだけは受け止められない。

おしまい

2019-12-29

SideM今までありがとう

プロデューサーを辞めることにした。担当のことは今でも大好きだし、これまでに買った曲はちょこちょこ聴くと思う。ただ今後の展開を見守ったりイベントに行ったりはしなくなるかと。

(ただの日記であり同意を求めるものではありません。一人でも読んでいただける方がいると心が軽くなるなあという気持ちで公開することにしました。)

SideMにハマったきっかけは3rdライブ。友人の勧めでライビュに行くことになり、予習のために曲を聴き込んでいたらドハマり。ユニットそれぞれの世界観が濃くて何度も聴きたくなった。ライブユニットキャラクター個性を活かしたものが多く、観客を楽しませることに全力を注いでいるのが痛いほど伝わる素晴らしいものだった。

それから通勤中や家での作業BGMSideM一色に。応援歌的な曲が多く、日々の活力になった。

コラボカフェなどのリアルイベント同担オフ会中の人イベントにも参加した。拙いながらファンアートも何枚か描いた。ポチポチゲーは苦手だったが、担当雑誌を読むためにアイテムを集めた。担当上位のために初めてゲーム課金をした。

本当についこの間までSideM生活に欠かせないものだった。

私がこのジャンルとすれ違いを感じ始めたのは4thライブのこと。ユニットを超えたグループでの楽曲シリーズがいくつかリリースされた時のライブだ。

正直私は担当のいる曲があまり好きではなかった。というか、もっと担当の魅力を活かせる曲や衣装があっただろ、と思ってしまった。もちろんこれは好みの問題だ、Twitterで仲のいい同担の人たちのほとんどは、担当の出演を喜んでいたし曲も気に入っていた。ただ私の担当像と合わなかったのだ。

迎えた4thライブ幸運なことに現地で参加することができた。

演者さんたちのパフォーマンスは素晴らしく大変充実していたが、正直3rdほどの感動は感じられなかった。既存の曲が多く、演出も前に見たものサプライズ感も薄かった。まあ3rdライブが初めてだったので、期待しすぎていたのかもしれない。

ライブが終わって気持ちが落ち着いてきた頃に、(このジャンルに長くいてもこれ以上の展開はないのかな)とふと思ってしまった。きっと3rdピークだったんだとなんとなくだが感じた。

元々システムが苦手だったのもあり、ゲームほとんど触らなくなった。シナリオライトすぎて、骨太シナリオが好みの私には合わなかった。

コラボカフェには行ったしグッズも買って部屋に飾った。P仲間と会って話すのは楽しかった。

ニコ生は見なくなった。内容に期待できなくなったからだ。新情報ゲームイベントや曲の追加の告知がほとんどでそれ以外はSideM関係ないバラエティコーナーばかりだから。元々曲が好きで入ったジャンルなので個人的には、ゲームの話ではなく曲の制作秘話や収録の裏側、新曲情報が聞きたかった。キャラクターの話もじっくり聞きたい。やはり私の求めているもの公式の出すものが合っていないのだ。

決定的だったのが、アニバ曲の発売。

1曲だけだが久しぶりにユニット曲が出る。そう決まった時は喜びと安心を感じた。

同時に、この一曲が刺さらなかったらどうしようと不安になった。数年ぶりのユニット曲が1曲って博打すぎないか?とも思う…

元々音楽好き嫌いは人より激しいので既存の曲でも普段から聴くものは限られている。

そして昨日、担当の視聴動画がアップされた。

自分でも驚くほど頭に入ってこなかった。

ユニットの新しい顔を見れるかも?と少し期待していたが、まあ今までの曲と雰囲気が一緒。ユニットらしいといえばらしいかもしれないが、曲数が増えた意味があるのだろうかと思ってしまった。せっかく新曲が来たのにこんなにも感情が動かないなんて。もはやただの文句だが、ユニット単体のアルバムにしてくれればもっと冒険できたんじゃないか一曲しかさないから作り手も無難しか書けなかったんじゃないか!とも思った(制作者が悪いのではない。一曲しか書かせなかった上層部への不満だ)。

で、一番の好きポイントだった曲で喜べないのなら潮時だな、と。

ずっと残していたゲームを2つともアンインストールした。特に躊躇いもなく消せた。スッキリした。

SideMというコンテンツは大好きだ。元気がない時に曲を聴いて活力を貰ってきた。

これから毎月新曲リリースされるので、気が向いたら聞きに行こうかなーと思う。

今までありがとうSideM

そして担当へ。私に新しい世界を見せてくれてありがとう。君の笑顔に元気を貰っています。これからアイドル頑張ってね。1ファンとして遠くから見守ることにします。

2019-11-28

会社成功ストーリーを皆信じすぎ

今回こういうふうにしてこれを作りました

すごく良い仕組みができました

みたいな

プロジェクトX的な話

安易に信じすぎでは?

国の発表とかは信じないのに、成功秘話とかは安易に信じるよな

別に彼らが騙そうとしてるってわけじゃないが、間違ったことかなり言ってると思うよ

2019-11-27

anond:20191127085503

開発秘話とか見てるとデザイナーもっと突き詰めてやりたいんだけどコスト販売計画なんかで時間お金も使えないからやむなく諦めるパティーンが多いみたいやね

Noを出す経営側が悪いんじゃ

2019-11-17

吉良上野介の話

最初

吉良姓を受け継いだ吉良上野介の子はいない。(後に別家が吉良の名を継いだ形で、子孫の方は上杉家や畠山家等におられる)

三河地方に吉良の領地があったのは元禄16年(1703年)までで、それ以降は吉良と三河地方との関係は無い。

 

 

吉良上野介は名君?

忠臣蔵で悪役として扱われている吉良上野介

近年「実は吉良上野介地元では名君」っていう話をよく聞くようになった。

歴史秘話みたいな感じでテレビでも取り上げられるので、

吉良上野介は名君」って言う説を知っている人も多いだろう。

 

 

で、その「吉良の地元ってどこだ?」って話になると

案外、知ってる人が少なかったり誤解している人が多かったりすると思う。

 

 

恥ずかしながら私もそうで、

三河地方っていうのは知っていたのだけれど

漠然と、今の西尾市だろうと思っていると、

年配の西尾市出身の人から変な顔をされた。

 

地元歴史的経緯 

この辺には歴史的な経緯があるそうで、

そもそも三河に持っていた吉良上野介領地というのは

幡豆郡吉良庄の中のうち、八か村が飛び地の形であった。

いっても吉良は旗本なんで、そんなに領地は大きくない。

吉良は赤穂事件の後、三河領地没収されて

その後、これら土地は、あちこちの藩やら寺社旗本領地なんかに吸収されて

明治からは村の統廃合が続く。

(こういう状態で「吉良の地元」という意識が受け継がれてきたというのには少し無理があるような) 

 

 

その後、昭和三十年に 横須賀村と吉田町合併して吉良町生まれる。

(余談だが吉良には雲母の意があったという)

吉良町の中に、かつての吉良上野介領地も含まれてた感じ。

  

そして平成23年にこの吉良町西尾市編入合併される。

  

もともと西尾市には西尾藩というのがあったわけで、

歴史を知っている人でも、吉良上野介は大昔の隣の殿様という扱いで

古くから西尾市の人に「吉良上野介地元」と言われると変な顔をされたわけだ。

 

 

もう少し西尾市の人に話を聞いてみると、

んで、もう少し突っ込んで話を聞いてみると、

吉良上野介時代に、西尾藩には土井利意という名君がいて

西尾藩領民が、吉良が作った堤防により水害が発生して苦しんでいたので

大二重堤防を作って、これを防いだという逸話があるという。

 

 

こういう歴史上の逸話は、どこまで本当かどうかはワカランが

こういう逸話があるぐらいなんで旧西尾藩地域の人にとっては、

吉良上野介地元では名君とされている」と言われるのに抵抗があるみたい。

 

 

名君の作り方

ただ近年、西尾市教育委員会とかが、

積極的に「黄金堤」などを吉良上野介の治績として

吉良上野介地域の名君として賞賛する教育西尾市の全域で行っているとのこと。

 

それで地元とは言えない所の子供達にまで「地元の名君」と教えられているそうな。 

(吉良の堤防による洪水で、エライ目に遭ってた所だったりしたら洒落にならんな)

 

調べてみると、

吉良上野介黄金堤を作って地域の開発に役立ったのかからして怪しいという。

そもそも吉良上野介の治績を裏付ける文献や史料は無く、

どうも大正時代に作られた怪しい逸話が元になっているらしい。

 

 

残された絵図面なんかをみると、この地域にあった鎧が淵の新田開発で

しろ周辺とトラブルを起こしていたりしてる。

 

 

どうも旧吉良町との同化政策の一環として、

近年になって「吉良つながり」で、吉良上野介が担ぎ出されてきたっぽい。

 

 

実際に吉良上野介が名君であったかどうかはともかく、

消えてしまった「吉良町」という名前を、

なんとか別の形で残そうという人の思いかも知れないね

 

でも、そういう都合で「新しい歴史」をつくっちゃて

教育を利用して子供達に広げるのはどうなのかなぁと。

 

 

また吉良上野介と同時代に、その地域

地震被害の救済に尽力したり色々と善政をおこなった土井利意や

堤防などの治水等で名代官と言われる鳥山牛之助(さきほどでた新田開発のトラブル調停もしている)

なんかの話が、わりとしっかり記録や文献をたどれるのに殆ど注目されなくて、

「らしい」という話しかない吉良上野介けが地元の名君」って言われて教育現場で広められている状況は、

なんだかなぁって思ったりする。

 

 

吉良の赤馬

吉良上野介が名君であったという話に「吉良の赤馬」という郷土玩具をセットにする人が多い。

愛知県ホームページにも、

吉良上野介義央は治水事業に心を寄せ、領内の水害を防ぐため、黄金堤を築き、自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたりました。その姿は威風堂々とし、愛馬も大変立派であったので、領民はこれを称えいつしか赤馬と呼ぶようになりました。領内の村に住んでいた村人が江戸天保年間に子ども玩具として作ったのが始まりです」

とある

しかしこの記述は、よく読むとあやしい

天保年間というのは、1831年から1845年までの間だ。

いわゆる赤穂浪士の討ち入りが元禄15年末(1703年の1月)。

三河領地を取り上げられる裁定が下ったのが元禄16年(1703年)になる。

 

 

まり天保年間というのは、130年ぐらい後の話になるわけで

「領内の村に住んでいた村人」と言っても、

その時には吉良領は跡形もなくなっている。

昔、吉良の領民だった人も既に死に絶えた後のはず。

 

 

実際の記録では吉良上野介三河領地を訪れたのは生涯一回だけだったらしい。

直に吉良上野介を見た村人が、後に玩具を作り出したとかいう話なら、

まだなんとなくわかる気がするのだけれど、

百年以上前に一回だけ訪れた殿様の馬を、

わざわざ玩具にしようというのいうのは変だよなぁ。

天保年間には別の殿様が治めている状況なのに。

  

  

調べると、さらに興味深い話が出てきて、

吉良の赤馬は近年になって愛好家から要望で、

商品に「白馬」と「殿様」というのが加わったという。

この時点では「白馬」なのね。

もし本当に赤馬と吉良上野介の話が元になっていたのなら、

突然、殿様に白馬ってのは出てこないよなぁ

  

まりそもそも赤馬と吉良上野介関係なく、

「自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたった」という話自体が後から出た感じがする。

 

 

もちろん、こういうのは商品を開発したり売る人が、

色々面白おかしく「いわれ」を主張するのは別に良いと思うのだが、

愛知県をはじめとした自治体がそういうのに乗っかって、

曖昧根拠のまま紹介するのはどうなんだろうね。

実際、どうなんだろう?

このエントリーは「吉良上野介地元では名君」という説が「ちょっと変」っていう話で、

からといって、これだけでは「名君ではない」とまで言えない。

(西尾藩領民洪水被害を出した伝承とかは、ちょっとふれたが)

 

  

んで、赤穂浪士研究している団体の中には、

「名君だと言うならもその根拠資料を出せ」と言っている所もあるそうな。

 

吉良上野介が名君だった」という人は、きちんとした資料を出してやれば良いと思うよ。

 

 

それを元にして、地域教育とかを書き直していく必要があるんじゃないのかな。

少なくとも教育委員会とか自治体が、根拠に疑問が持たれる話を持ち出して

へんな形で「地元の名君」を作り出そうとするような状態は良くないなぁと。 

 

 

たぶんメディアとかでは広がらない話。

もっとも「実は、吉良が名君という話は怪しい」というのは、

中々メディアとかでは取り上げにくい話だと思う。

 

 

実は「正義の味方だった」と言うのは受けるだろうが

例えば「イメージ通りの悪い人でした」と言っても、

そこには話題性も何も無いわけだ。

 

 

この点は、なかなか興味深くて、  

「誤った情報」と「正しい情報」っていうのを比べてみても

必ずしも同じように拡散するわけでは無くて、

広がりやすさには非対称性が生まれてる。

 

たぶん「地元では吉良上野介は名君」って話は

このまま誰も異議を唱えないまま残ってしまうんじゃ無かろうか。

 

とか思ってたら、wikiかにもわりと詳しく書いてあったわ。

 

2019-11-05

anond:20191102151637

私は映画アニメと同じで映像作品としてゲームを楽しんでいます制作会社スタッフによって色が有って面白いです。スタッフ制作秘話などを知るのも面白いですよ。良い作品に出合えた時は、幸せ気持ちになります映画アニメと同じですね。後は、お金時間を掛けたいと思うかどうかだと思います

私の人生の楽しみは、映像作品ゲームネットフィギュア集めだけなので、ゲームが無いと大分暇です。一本6000円で二週間は楽しめますので、私は必要経費以外だと、趣味や必需品に一か月に15000円しか使いません。

2019-10-22

魔人カストール

私の地元には魔人カストールと呼ばれる者がいて忌み嫌われている。

彼はバイク屋に勤めていて真面目な人間だと思われていた。

バイク屋に勤めるだけあってバイクが大好きなのだ

彼がバイク仲間にそのマシンを貸して欲しいと要求して、仲間もまた快く応じた。

しかし彼は借りパクしたのだ。

いや、返さないというだけならまだよいが、売却してしまったのだ。

マシンを貸すと売るということから彼は魔人カストールと呼ばれるようになった。

これが魔人誕生秘話である

2019-09-06

関ジャニ∞コンサートに行きたかった

内容を先に言うとコンサートチケットに対する愚痴です。

アラサーになってからジャニーズにはまりました。

アイドルどころか芸能人を好きになるのが生まれて初めてだったので、まさか自分ジャニオタになるだなんて思ってもみなかったんだけど、ツイッタートレンドで知ってるジャニタレさんの名前を見て、そこからなんとなくいろいろなグループの結成秘話やら楽曲やらメンバー性格やらを調べていたら最終的に関ジャニ∞に転げ落ちていました。

ひとまず昨年の限定ライブDVDを買って、CDを少しずつ集めて、今夏コンサートがあるというのでこれまた生まれて初めてFCに入り、生まれて初めてツアー申し込みをしたところ、再抽選分も含め全て落選

落選に関してはまあ仕方がない。

行ける日も限られていたし、ファンだってたくさんいるし、座席には数に限りがあるし。

でもツイッターにはチケット譲ります譲ってくださいのツイートがたくさん流れてくるわけです。

なんでファンの人たちは誰と行くとも決まっていないチケットを2枚も3枚も4枚も全日程で申し込むんだろう。

少しでも当選確率を上げたくて、できれば連日参加したいのもわかるけど、でも友達と同じ日程で同じ枚数申し込んでいたら、重複当選分はどうしたって入れないのに。

あと取れたはいいけどやっぱり遠いから行かないとか。なんで申し込んだの、と思ってしまう。いや、他が落選だったら多少無理してでも行くんだろうな、たまたま運良く近い会場が取れただけで。

長らくチケットがどうたらという世界に縁がなかったので、規約違反なのにどうして?と思ってしまうんだけど、ジャニーズに限らずごく普通にチケットのやりとりをしているファンの方からすれば、私の方こそ優等生ぶってるように見えるのかもしれない。わからないけど。定価での譲渡別に違法ではないしなぁとか考え出すと私の頭が異様に固い気がしてくる。

ツイッターは身内用鍵垢しか持ってないし、チケット譲渡ドタキャンツイートとかも流れてきて不安だし、制作開放席に最後の望みを託していたらそのままツアーが終わってしまい、次回こそはもう少し範囲を広げて申し込もうと前向きに思っていたらば昨日のあれでして。

FCから大切なお知らせとかいう恐ろしいタイトルメールが届いて、16時にお知らせを読み、17時にメッセージ動画を見て、もう6人の関ジャニさんは見られないんだなあと思ったら、ただただタイトルのような感情になってしまいました。

一日でいいから入りたかったなぁ。

全員が規約を守っていればチケットが回ってきたのかと言われたらそれはわからないし、やっぱり入れなかったかもしれない。

公式チケット譲渡の窓口を設けてくれたらいろいろスムーズになるんだろうけど、ないのが悪いしょうがないみんなやってるしって開き直られるとなんだかなーって思ってしまう。

郷に入っては郷に従えという感じなのかな。

今更何言っても遅いんだけど。

損な性格のせいで6人の関ジャニ∞に会える最後のチャンスを逃してしまった、新規ジャニオタ愚痴でした。

2019-06-21

anond:20190620231440

元増田さんが挙げた「たそがれたかこ」「違国日記」「凪のお暇」いずれも、親(特に母親)との微妙軋轢重要ポイントになっていますよね。

男性の生きづらさにも親子関係の影響は少なからずあると思うのですが、そういう葛藤を的確に描写したマンガほとんどないように思います

毒親について描いた実話ベースコミックエッセイも、女性作者のものはたくさんありますが、男性作者のものは見かけません。(あったら知りたい)

偉大でもなければひどい虐待をするわけでもない、そういう意味で何者でもない親から特に悪気があるわけでもないのにじわじわと蝕まれていく描写は、男性主人公作品ではあまり出てきません。

(思いつくのは「きのう何食べた?」の主人公母親くらい。ただし彼はゲイなのでヘテロの生きづらさとは異なるし、作者は女性

マンガに限った話ではないですが、生きづらい男性が親子関係をどうとらえているのかを掘り下げて描写した作品が見てみたい気がします。

(生きづらいおっさん主人公でその親も出てくる作品といえば「薫の秘話」がありましたが、生き方模索するというのとはちょっと違いますね。そしてこれも主人公ゲイで作者は女性

追記男性母親について語ろうとすると、すぐに「マザコン」というレッテルを貼られがちな問題関係あるような気がします。

2019-05-12

anond:20190511221004

そんなのいちいちまともに受け取る必要無いんだから「へーそうなんですかー」で終わらせて美味しくメシでも食っとけ

どうしてもマウント取り返したいなら「のりたま誕生秘話」でも仕込んでプロジェクトX風に紹介でもして黙らせろ。

2019-04-29

anond:20190429063309

おもしろオーディオコメンタリーって良いよね。

さて、元増田の興味からは完全に外れると思うが、俺はジェームズ・マンゴールド監督作をチョイスしたい。

オーディオコメンタリー製作秘話を話すのが定番なんだけど、

彼の場合は、ハリウッドにおける一般的映画作りからプロデューサーである奥さんとの付き合い方まで、手広く話してくれる。

いまは監督だけでなくプロデューサーとしても活躍してるんだけど、その才能の片鱗は初期作品コメンタリーからも十分うかがえるってわけだ。

なんたって、映画製作全体のフローを熟知しているんだからな。

で、記憶がかなりあいまいなんだが・・・特に印象に残ってるのは上映前テストの話かな。

ハリウッドだと、映画が完成してから上映する前に、観客の感情がどれくらい動くのかを色んな方法テストするらしい

テストの例としては、被験者映像を見てもらって視線の動きを分析するとか。ディストピア映画でよく見るアレ。

その話を聞いて、やっぱハリウッドってすっげー工場生産的に作られてるんだなって感心した。

マンゴールドさんはやや否定的ニュアンスで話していて、いろいろ嫌な思いもしたのでしょう。

しかすると、「数値が悪いか編集をこう変えろ」とか指示が飛ぶのかもね。作家主義には大変な制度だわ。

ちなみにこの話が収録されてたのは、「17歳のカルテ」か「ニューヨークの恋人」だった記憶

というわけで今から20年近く前の話になる。アベンジャーズがやってる上映前テストとかすげえことになってんだろうな・・・

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん