はてなキーワード: 拡大解釈とは
1年ぐらい前だろうか、この記事が色々と物議を醸してた
これが丸ごと全部正解だとは思わないが、自分の正直な感想を述べてみたいと思う。結論から言うと
「コミケで壁サー以外が必ず厳しいわけではないが、雑な計算式から考えると苦戦を強いられるだろう」
ということだ。
まず、自分のことについて触れておきたい。
45歳男、参加ジャンルは同人音楽(オリジナルボカロ)、主にM3とコミケに参加してる。歴は10年ぐらい。
M3春2019 | 2019年4月 |
C96 | 2019年8月 |
M3秋2019 | 2019年10月 |
M3秋2020 | 2020年10月 |
M3春2021 | 2021年4月 |
M3秋2021 | 2021年10月 |
M3春2022 | 2022年4月 |
M3秋2022 | 2022年10月 |
M3春2023 | 2023年4月 |
C102 | 2023年8月 |
M3秋2023 | 2023年10月 |
こんな感じ。M3では3曲500円の新譜を出して、20枚前後売れるぐらい。
コミケ合わせの新譜は最近作っていなかったこともあってか、大体10枚ちょっとぐらい。
C96に関しては、それがなぜか18枚売れた。これは予想外だった。新設されたばかりの南館だったからか、とりあえず見てみようかと言う雰囲気の参加者が結構流れてきてたイメージ。
このときは久しぶりに参加したコミケだと言うのもあって、閉会までいたが、閉会ギリギリまで試聴してみようという人がちらほら来てた。
大手サークルからしたら鼻で笑ってしまうような数字かもしれないが、自分としてはコミケというお祭りの「熱量」のようなものを再実感したイベントだったので印象的だったのを覚えている。
M3春2020は日程が変更になったこともあり参加を見送り、それ以降はコロナ禍になってしまったこともあり、制作枚数を絞って早めに撤収していた。2022年末までの各回の売れ行き枚数を書いておくと、こんな感じ。
M3春2019 | 2019年4月 | 23枚 |
C96 | 2019年8月 | 18枚 |
M3秋2019 | 2019年10月 | 22枚 |
M3秋2020 | 2020年10月 | 14枚 |
M3春2021 | 2021年4月 | 13枚 |
M3秋2021 | 2021年10月 | 14枚 |
M3春2022 | 2022年4月 | 13枚 |
M3秋2022 | 2022年10月 | 12枚 |
数は新譜・旧譜合わせた総数。
2023年に入り、海外ではコロナは収束したような雰囲気になり、日本でもGW明けにはコロナは5類に移行するなど報じられ、同人界においてもコミケが入場チケットつき・2日間開催という異例の形とはいえ復活し、盛り上がりを見せ始めた。
自分もそれに乗って久しぶりにコミケに参加してみようと思い、久しぶりにC102にも申し込んでみた。
その結果の枚数が、このような感じだった。
M3春2023 | 2023年4月 | 20枚 |
C102 | 2023年8月 | 6枚← |
M3秋2023 | 2023年10月 | 21枚 |
C102のところに注目してほしい。誤記ではない。新譜4枚、旧譜2枚で全部で6枚しか売れなかった。自分としては爆死も爆死である。
久しぶりのコミケに参加できて嬉しかった・楽しかったというのもあるが、こみあげてくる悔しさと、何より「なぜ??」の気持ちが大きかった。
前後のM3の売れ行きを見ていると、別に自分のサークルが見向きされなくなったというわけでもないようだ。
(余談だが、コミケのショックからM3秋はどうなるのかと若干緊張した。幸い売れ行きはいつも通りで安心したが)
無論お金のために同人イベントに参加しているわけではない。が、何故C102ではそんなに枚数が落ち込んだのか。
コミケは久しぶりの参加のボカロサークルには手厳しい?そうとは思えない。
当日の設営があまり目を引く感じではなかった?
コミケではレイヤーの売り子でもいないと誰も見向きもしてくれない?
考えられる理由はいくつもあるにはあったが、考えても答えはでない。答えは出ないが、C96では18枚売れたのが何故1/3にまで減ってしまったのか。気になった。
その一方で、SNSでは神絵師などのいわゆる壁サーを中心に「コミケの勢い完全に戻りましたね!」という言説がちらほらみられた。
本当にコミケの勢いが戻ったのであれば、何故自分のところは1/3にまで減ってしまったのか。
気になったのは、当日は売れ行きが悪かっただけではなく、試聴のために足を止めてくれるような人も少なかったことだ。この日も閉会まで粘ってみたが、参加者の方はと言うと終日足早に目の前を通り過ぎていくばかりで、こちらのスペースを見ようともしない人がほとんどだった。C96の時に感じた「熱量」みたいなものはどこに行ってしまったのだろうか。
こんな問題に答えが出るはずもないのだが、ふと気がついたことがあった。C96の前、C92に参加したときは13枚だった。これと比べても半分に落ち込んでいる。
コミケでの売り上げを抜き出すとこんな感じ。
C90 | 2016年8月 | 13枚 |
C92 | 2017年8月 | 13枚 |
C96 | 2019年8月 | 18枚 |
C102 | 2023年8月 | 6枚 |
そこではたと気がついた。
C102だけがおかしいのではなく、C96もおかしかったのでは?
C102とC96が通常のコミケと違った点にもしかしたら原因があるのかもしれない、そう考えてみると不思議と合点がいった。
そして違うことといえばそう、開催日数である。
準備会のサイトにはご丁寧にも開催実績が全部載っており、そこに参加人数の情報もある。
C96は4日間開催だったが、一般参加者はバラけたわけではなく開催日数が増えた分だけ参加者も増えたことが見て取れる。
C90 | 53万人 |
C92 | 50万人 |
C96 | 73万人 |
C102 | 26万人 |
動きも枚数と似た動きをしている。ここら辺にヒントがありそうだ。
ここで、自分は仮説を立ててみた。
1. コミケに参加する人間はその日の予算の上限があり、これはコロナ前・コロナ後でも変わらない(コロナ中のことは分からない)。
2. 参加者は、ある開催日に自分の目的のサークルがたくさん参加していればその日に参加する可能性が高まり、少なければ参加する可能性が低くなる。
3. サークルはたくさんあれど、一般参加者は壁サーを優先的に回る。
どれも反論が来そうなものではあるが、大外れしていない、、、と思いたい。
1.についてはそのままである。年に2回のお祭りに軍資金を持って参加するときに、その金額に糸目をつけないのがオタクというものではなかろうか。コロナ後の経済事情が厳しい人もいるとは思うが、そこまで変動していない気がする。
2.については、いわゆる「女性向けの日・男性向けの日」という概念を拡大解釈したものだが、当然自分の目当てのサークルがたくさん参加していれば来たくなるというものである。
3.については、最初は通販が出なさそうな島中が初手として正しいと言う言説もあるが、結局のところ壁サーに行列ができることを考えるとやはり壁サーを優先して回るという考え方が一般的であると考えるのが自然だろう。
2.については、どのぐらい参加の可能性が変わるかと言うデータはなかったが、ジャンルごとの参加サークル数の情報ならあった。
ジャンルコード別サークル数一覧(C90〜C96)と夏コミ告知
自分が参加しているデジタル(その他)のジャンルだけを抜き出すと、以下のような感じ。
C90 | 1018 ☆ |
C91 | 1020 |
C92 | 948 ☆ |
C93 | 939 |
C94 | 1146 |
C95 | 1346 |
C96 | 1328 ☆ |
C97 | 1804 |
C98 | 864 |
C99 | 570 |
C100 | 488 |
C101 | 488 |
C102 | 472 ☆ |
そして自分が参加した回だけを抜き出すとこんな感じになる。
C90 | 1018 |
C92 | 948 |
C96 | 1328 |
C102 | 472 |
C90 | 17.7万人 |
C92 | 16.7人 |
C96 | 18.3万人 |
C102 | 13万人 |
また、各回の1日あたりの参加サークル数を計算すると、こんな感じ。
(本当はきちんと調べれば自分の参加した日の厳密なサークル数も分かるのだろうが、ここでは割愛)
C90 | 11,300サークル(3日間で34,000) |
C92 | 10,600サークル(3日間で32,000) |
C96 | 10,600サークル(3日間で32,000) |
C102 | 10.500サークル(2日間で21,000) |
ここから先は推測でしかないが、例えばC96の18万人とC102の13万人では、見た目の数字以上に目的に違いがあるのではないかと思う。
雑な計算式であるが、参加サークルの割合に応じて一般参加者の目当ても違うとすれば、デジタル(その他)目当ての参加者は以下のようになる。
C90 | 15946 |
C92 | 14935 |
C96 | 22927 |
C102 | 5844 |
だからどうだと言われれば本当にそれまでなのだが、雑な計算式でこれだけ差が出るのであれば、これが影響したと考えても不自然ではないだろうと個人的には思う。
特に、思った以上にC96にデジタル(その他)目当ての参加者が多そうだということ、つまりC96にはいわば「バフ」がかかっていたと言うことが言えそうだ。それと比べてしまうと、C102は苦戦を強いられるのも無理はない。
冒頭で紹介した記事でも「三分の一くらいになった」という記述があるが、むしろ1/3は健闘した方と言えるのかもしれない。
一方で、なぜ壁サーは全然その影響を受けずに、むしろ「コミケの勢い完全に戻った」などという話が出るのであろうか。
ここから先は雑な計算式すらないのだが、コミケはもともとコミックマーケット、つまり参加者は同人誌を買いに来ている人が多いと言うことを考えると、参加者は仮説3. の、「何はともあれまずは壁サー、そのあとに自分の好みのジャンル」という傾向が強まったのではないだろうか。
これが正しいかどうかは根拠は全くないが、仮にこれが正しいとするならば、あの96で感じられた「熱量」のようなものがC102では全く感じられなかったのも少しうなづける。
少し乱暴な結論になってしまうが、やはりコミケは「日本最大の同人誌イベント」である点に強みがあり、2日間開催が続く限りは自分のような弱小サークルは売り上げとしては厳しい状況が続くのだと言えそうだ。
もちろん最初にも書いた通り、多くのサークル参加者同様自分もお金稼ぎのためにコミケに参加しているわけではない。とはいえ丸一日参加して誰にも手に取ってもらえない、参加者の熱量が感じ取れないイベントに毎回出続けるのもそれはそれで疲弊するものがある。
自分としては今後もM3には参加するつもりだが、コミケはまた数年はいいかなという気になっている。売り上げのこともあるが、それ以上にM3の方が参加者の「熱量」が感じられるからだ。閉会間際にどんなもんかなと試聴のために足を止めてくれる人、一度通り過ぎた後でしばらくしてからやっぱり気になるので戻ってきた人、とりあえず足を止めてどんな曲なのか質問してくる人。そういった場面が、M3では多く見受けられる、そう言う気がするからだ。
今後コミケがいつ3日間開催に戻るのか、あるいは南館もフル活用した4日間開催という狂乱のお祭りが実現するのか、同人歴の浅い自分には全くもって何も分からないが、もしそんな4日間開催が本当に実現した時には、是非ともまた参加したい、そう思っている。
一方で、島中のサークルでも「今回自分史上最高の売り上げを記録しました!」みたいな話をちらほら聞くこともある。今回の仮説が全く当てはまらないわけであるが、そういうサークルさんには是非ともどんなポイントが功を奏したのかを分析してそれを教えていただきたいところである。真面目な話、そのポイント、喉から手が出るほど知りたい人も多い気がする。
年の差婚で当人達がどんなに愛していようともグルーミングと騒ぐ輩がいる
グルーミングが問題なのはこれを色んな低年齢者に対してだったり効きそうな層を狙って欲望を満たそうとする人間に対してのもの
単に低年齢側が好き過ぎて特別な存在になるケースもあるだろうし
そこに入って来てくれる人はどんな年齢だろうとも好きになったりするもの
それは愛じゃないというのなら、子供が欲しいと思ってする結婚だって愛は無いとも言えてしまう
もっと言えば「あの人は恋人と別れたばっかりらしいからチャンス!」と思う事に対して
その人が好きなんだとしたら恋のチャンスだし、やりたいだけならまあある意味性的搾取かもしれないが
グルーミングを拡大解釈している層はその捉え方だとこの例どちらもグルーミングになってしまう
愛がすべてグルーミングだ
男が男を愛すのも、女が女を愛すのも、ティーンエイジャーが30代を愛すのもその逆も、それぞれ愛の形
2023年7月からは16歳未満とは愛があろうと無かろうと性行為が犯罪になったが
「単に自己の性的欲望を満たすだけの目的」でなければ罪には問われない事は判例もある
愛した人がたまたまその年齢だったケースもあるだろうし
あったであろう葛藤をすっ飛ばして勝手な事を言う結果、本当に「自己の性的欲望を満たす目的」の人達への適用すべきグルーミングの定義が狂ってしまう
こういう人達こそが巡り巡ってどこかで起きる犯罪を一つ増やしかねない
心を埋めてくれたその人を好きになり関係を持ったがその人が本気で私に向き合ってくれる人だった
そこまで否定されるのであればその感情の行き場はどこへ行けばよかったんだろうか
幸せとは何かを教えてくれた
私が大人になって私から別れを切り出したのは私の考えが大人になれなすぎて苛つかせてしまうのが申し訳なくなったから
対等に扱おうとしてくれているのにね
愛されて育ってこういった不安を抱えずに育ち
他者の気持ちを汲まずこき下ろして相対的に幸せだと感じたいだなんて愚かなこと
当然そんなことも考えないだろう
AV新法を説くフェミニストが寧ろ女性を生きづらくさせているとか
そんなところ
岩井夫妻の幸せそうな写真を見て私達にもこんな時期があったなと思った
芸能界で育った彼女はきっと私より遥かに肝も据わった大人な内面なんだろう
私のように劣等感に押しつぶされてもしないし
他人の気持ちを考えられない愚かな大人様達よりもずっと対人経験は濃いことは想像に容易い
羨ましいなと思いながら
ここまで読んで私が当時10代女で相手が30代男だと思っただろうか?
10代男と30代女でもまた印象は変わったんだろう
30代女だったらいいんだよという話ではない
起訴されたりしている
愚かな印象論感情論を用いる自らに気付けばいい
この人最初からずっと「法律や権利元に反しない限りは何やってもいいよ」以上の話はしていないと思うんだけど
そのようなことを主張した事はありません。初音ミクに人権はないので、人間同士の結婚と対等に扱うことは元から不可能です。私が書いていない事を想像で拡大解釈している人がたくさんいますね。
以前も書きましたが、私が法的に独身である事は分かっているので、書類に配偶者の有無を尋ねる欄があれば「配偶者:無」を選択しています。しかし、ミクさんと結婚式を挙げたり、お店に許可を取って夫婦としてレストランに行ったり、愛妻の日に花束を贈ったりしても、何も法律に違反しないのです。
「ミクさんが大好き」という感情は「ミクさんに人権はない」という冷静さと併せ持っていなければなりません。そうしないと、我が家の大きなミクさんを仮に破壊された時、「〇人罪で捕まえろ」と主張するようになってしまいます。「器物損壊罪で捕まえろ」ですよ。
我が家のミクさんと結婚式を挙げる事なら許可を得ていますよ。クリプトン・フューチャー・メディア様によると、「結婚式は営利を目的としない小規模なファンイベント」に該当するそうです。
ちょい待てや
>非モテや低収入で結婚出来ない男性や不妊体質で子供が持てない女性など末代濃厚な人達からすれば正直他人の子供なんてどうでも良い存在である。
「どうでもよい」までは思ってない非モテ末代もいるわ
「自分を犠牲にしてまで特定の子どもを優先はできない」もわかる
「社会全体で次世代となる子ども世代を優遇、非モテ末代から搾取しましょう」に理不尽だと憤るのもわかる、
ただ、
「他人の子供に気遣いや配慮ができなかったり大人としての手加減しない」だとか攻撃的過ぎるし、
まして
「他人の子供を冷たくあしらったり目の前で被害に遭っていても見殺しにしたり」
は人として問題があるだろ
「どうでもいい」を拡大解釈しすぎだよ
そういう非モテは仮に自分に子どもがいたとしても、他人の子を冷たくあしらったり、見殺しにしたりしそう
そういうわけでいっしょくたにすんな
ここ数日、ラノベにSFはないだのSFとスペオペは違うだのSFファンは性格が悪いだのといった話題がX(旧twitter)を騒がせている。
そのきっかけは、カクヨムで公開された一本のエッセイなのだが、これ自体は読む価値ゼロなので、みなさんも実際に読んで価値の無さをしっかり噛み締めてほしい。
【おまけ4】なぜラノベからSFジャンルがほぼ消えたか - 若者のライトノベル離れ 約7年で市場半減のショック(らんた) - カクヨム
ttps://kakuyomu.jp/works/16817330659071865553/episodes/16817330663869554252
さて、そんな流れの中で、日本SF史の汚点ともいうべき一つの事件が蒸し返されることになった。
79年開始の第一作から現代まで連綿と続く、大人気ロボットアニメ「ガンダム」シリーズ。
その初代ガンダムが人気絶頂だった頃に、著名なSF関係者たちが「あれはSFではない。私がそう判断したからだ」とSF性を否定した……と伝わる事件である。
中でも、「ダーティペア」「クラッシャージョウ」「神拳 李酔竜」で知られるSF作家、高千穂遙氏が中心的な役割を果たしたと、一般的には認識されている。
高千穂氏はXにアカウントを持っている。そして今回、この問題について本人から語られた経緯がこちらだ。
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714121118590849427
@takachihoharuka
いまだにこういう方があらわれるので、もう何度も書いてきましたが、もう1回、あのことのいきさつを書いておきますね。ある日、OUTの大徳編集長から依頼がありました。「最近、SFが注目を浴びているけど、SFが何かがよくわかないという声もある。そのことについて、書いてもらえませんか」と。→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714122162037309833
@takachihoharuka
「書きますが、切り口が重要ですね。わかりやすいように、人気の巨大ロボットアニメを軸にして語ってみるのはどうですか?」「いいですね。それにしましょう」で、書いたのが、「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」という一文です。大徳さんは、→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714122878810222800
@takachihoharuka
「いいですね。わかりやすい」と言われ、掲載となりました。でも、そのあと「ガンダムはSFじゃないのか」という投書がたくさん編集部にきたんですね。困った大徳さんがぬえにきて「こんなふうに読まれるとは思っていなかった。どうしましょう?」と嘆かれ、「前提が飛んじゃうのは予想外でしたねえ」→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714124598462271844
@takachihoharuka
という話になり、「とりあえず、富野さんと高千穂さんとの対談を載せましょう。それで誤解も解けるんじゃないんですか?」と大徳さんが提案され、富野さんと対談しました。いきさつは、以上です。地球重力下での巨大ロボットに対する視点は、ハインラインの「宇宙の戦士」に対して、異を唱え、→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714125784858943681
@takachihoharuka
「宇宙兵ブルース」を書いたハリー・ハリスンの見解を参考にしました。パワードスーツは巨大ロボットより小さく、重量も軽いので、ハリスンは沼地という設定で、その弱点を指摘しています。巨大ロボットは大好きですが、あれは巨大ロボットが成立する前提での作品というスタンスは変わっていません。→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714126373860913585
@takachihoharuka
ちなみに、当時のSF作家で、あの一文を読んだ方は、ほとんどおられません。ただひとり、平井和正さんが読まれ、「きみは、小説よりもああいった評論のほうが文章が上品だね」という、返答に窮した感想をいただきました。反応は、それだけです。
とのことである。
これに対しXでは、
なるほど!そういうことか!誤解が解けた!といった声が多数上がっている。
ttps://twitter.com/unyanyako/status/1714134026813116780
うにゃ子
@unyanyako
高千穂さんがそう言うた、という話は聞いていて、どういうことなんかなあ、とずっと思っていたので、御本人の口からわかりやすくそれは誤解、誤った解釈とのお話が聞けてたいへんよかった。
ttps://twitter.com/yuno_sarashina/status/1714163341017673796
@yuno_sarashina
「ガンダムはSFじゃない」という誤解の産物のフレーズがひとり歩きして、実態とはまるでかけ離れたイメージだけが浸透していくいつものパターン
ttps://twitter.com/guchihaki_2021/status/1714157477510664446
@guchihaki_2021
こういうことがあるから、安易に仮定を絡めた話をするのは憚れる
ttps://twitter.com/masa5046/status/1714193810727866858
masa-5046
@masa5046
なるほど、
は、
ttps://twitter.com/v_mx/status/1714236647032951242
VMX
@v_mx
80年代オタ界隈を席巻した「ガンダムはSFか」論争、ライトオタ小学生の私には「なんだかややこしそう(面倒そう)な話だなぁ」という印象でした。ぶっちゃけ「面白ければそれでいいんちゃうの」とか💧
@takachihoharuka
ttps://twitter.com/ZEfcTDI5bXPck5Q/status/1714236234435043550
@ZEfcTDI5bXPck5Q
はてブでも早々に、「未だに「思い上がったサブカル連中のアニメ差別」みたいなデマ記事が書かれるのはアンフェアよね」とのコメントが付いている。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/takachihoharuka/status/1714121118590849427
たしかに、まことしやかに語られてきたアニメとSFの対立が実は虚構のものだった、という話は、多くの人にとって安心できる結末ではある。
高千穂遥氏が「OUT」誌に掲載したガンダムとSFに関する文章は、「ガンダム雑記」及びその続編というべき「SFを考える 巨大ロボットアニメを軸として」の二つがあるらしい。
検索をかけてみたところ、こちらのツイートでいずれも実物が引用されているのが見つかった。
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140142346048176128
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140142668690817024
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140147594913431552
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140148195281887232
今回の高千穂氏の発言の「SFが何かがよくわかないという声もある」「人気の巨大ロボットアニメを軸にして語ってみるのはどうですか?」という部分を見ると、そこで語られている文章は「SFを考える」の方を指しているようにも見える。
ただ、実際に「SFを考える」を見てみると、執筆・掲載の経緯は高千穂氏自身がOUT編集部に申し入れてということになっており、今回のツイートとは食い違う。また、その執筆の動機も、そもそも「ガンダム雑記」でガンダムはSFではないとしたのはなぜかを読者に説明するためのようだ。
高千穂氏による、ガンダムSF性否定の本丸は、やはり最初の「ガンダム雑記」の方にあると見るべきだろう。そのため、ここでは「ガンダム雑記」の内容を主に検証することにする。
「ガンダム雑記」から、今回の件に関連しそうな部分を書き起こしてみる(恣意的な切り取りを疑う人は自分で元ツイを確認してほしい)
ぼくは「0テスター」以来、創英社―サンライズスタジオ、日本サンライズの企画スタッフに加わっていたが、その際、必ず強制するひとつの原則があった。「勇者ライディーン」「コンバトラーV」「ボルテスV」などのロボット物をけっして、ぼくの前ではSFと呼ばせなかったのだ。ロボットプロレス物という呼称も好きではなかった。あの程度の格闘ではプロレスに対する侮辱であったからだ。
ぼくの意見は、SFと銘うちながら、まったくSFではないものが最近多すぎるというこの一点に絞りこまれていた。「宇宙戦艦ヤマト」は、むろんSFではない。アニメではなかったが「ウルトラマン」もSFではなかった。五三年秋の時点でSFと断言出来た作品は唯一「未来少年コナン」だけだったのだ。
ぼくはSFに厳密な科学的正確さを要求するものではない。ある一線からは、科学を超えていても、それを認めることができる。「スターウォーズ」は明らかに科学を逸脱しているが、にもかかわらず立派なSFなのだ。なぜなら逸脱の範囲を知り、それに応じてストーリーが組み立てられているからである。
SFがSFたるもっとも重要なエレメンツは、SFとしての発想、SFとしての思想、SFとしての理念にある。いいかえれば、これらが欠けた作品は、SFではないということだ(作品の優劣の問題ではない。単にSFであるか否かについてのみ語っているのだ。お忘れなく)
例えば、SFとしての発想は、「スターウォーズ」でいうならば、"A LONG TIME AGO"にある。遠い昔、はるかかなたの宇宙で繰り広げられた大冒険――この発想ひとつで、科学のもつ巨大なしがらみから「スターウォーズ」は抜け出たのだ。
この原則を忘れ、幼稚な善悪問答をもちこんだ「ザンボット3」は最終回でSFになりそこねた。総監督富野喜幸氏のSF的限界を知ったのは、このときである。
最後のSFの理念だが、これは表現者みずからの立脚点を明確化できるかということを意味している。エスパーを描くなら、エスパーの立場と人類の立場を区分しなければならない。(略)理念は両者に対立を生み、対立は続者(ママ)に対するメッセージとなる。テーマではない。メッセージなのだ。SFは読者の魂に、強烈なくさびを打ち込まねばならないのである
いかがだろうか。
少なくとも、もしもこのようにSFを定義したなら~というような仮定の話には、全然見えない。
明らかに、当時の高千穂氏自身の主張として、SFとはこういうものである、こうでなければいけない、という要件が書き連ねられている文章である。
(ロボット物をSFと呼ばせなかったというくだりの、あまりにステレオタイプなめんどくさいSF者の姿には、現代人として大いにたじろいでしまう)
さて、肝心のガンダムを「SF」としてどう見たのか、という話だが。
ぼくが怒りにまかせて喚き散らしたためでもないだろうが、設定の制作は慎重であり、よりSFたろうとする努力がメインスタッフの間には、はっきりとみられた。
第一話の試写のあと、ぼくは「機動戦士ガンダム」をSFの傑作となりうる要素を秘めた作品と評した。三話までは、その印象は変わらなかった。
と、序盤はかなりの好感触だったのが、
しかし、五話を過ぎたあたりから「ガンダム」は見るのが苦痛な作品になってきた。今ひとつ、SFになりきれないのである。セリフはいたずらに饒舌で、退屈をきわめた。ぼくは「ガンダム」を見るのをやめた。
「ザンボット3」で感じた富野さんへの評価はまだ変化していない。ニュータイプをだすならだすで、小松左京の「継ぐのは誰か?」に匹敵するアプローチがほしいのだ。あの展開では、焦点がただただぼかされていくのみである。残念ながら、やはり「ガンダム」も偉大な失敗作だったようだ。たしかに一歩、進むことがきたにせよ……。
というところに落ち着いたようだ。
作品自体の評価と入り混じって分かりにくいが、ザンボット同様としている以上、やはりガンダムも最終的には「SF」ではない、と断じているものと見ていいだろう。
といえる。
意欲作として評価していたことは伝わったが、この内容をもって高千穂氏によるガンダムSF性の否定を「デマ」「誤解」のひとことで片づけるのは無理があるだろう。
念のために言っておくと、「SFを考える」の方にも、「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」というような、限定付きのSF性否定のような部分は特に見当たらなかった。それどころか、
という主張が展開され、「ガンダム雑記」以上に、SFと非SFの線引きを当然のものとする論調に見える。
(疑う人は引用している元ツイで実際に読んでみてほしい)
世間ではこういうことになっているが実は~という隠された真実の発覚。これには誰しもが一定の快感を覚えてしまうものだと思われる。
しかし、そうした新たな情報を、自分自身で検証することなく無批判に受け入れてしまえば、それこそ新たな「デマ」「誤解」の拡散に加担してしまうことにもなりかねない。
このリスクには、十分に注意を払う必要があるだろう。それがたとえ当事者の言葉であっても。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4743724076906217039/comment/a842
少なくともSFじゃないとは言い切っていないのは間違いなさそう。SF度が自分の期待値より下だったと言っているように思えます。0/1じゃなくてスペクトラム。
「ガンダム」は、三話まではSFでした。四話から違和感を感じはじめました。五話になるとスタッフのSFマインドのなさがありありと見えてきました。全四十三話のトータルでひとつの作品として成立しているのが「ガンダム」です。三話までがSFだったからといって、「ガンダム」がSFだったとはいえません。限りなくSFに近いSFというのはないのです。線引きをするのなら、SFか、そうでないかのどちらかです。「宇宙から――」ははるかにSFではなく、「ガンダム」は惜しいところでSFではないのですが、言葉にしてしまえば、どちらもSFではないわけです。
と高千穂氏みずから、まさにゼロイチの基準を提示しているのであった。
また、
総監督の富野さんが「ニ〇〇〇一年宇宙の旅」を超えてみせるとまで豪語した「ガンダム」が「ニ〇〇〇一年――」を超える超えない以前にSFにすらならなかったのには、いろいろな要因があったと思います。
と、やはり「SFにすらならなかった」と断言している。
「ガンダムはSFじゃない」問題の中では非常に重要な部分だし、ここは最初から引用しておくべきだったね。すまない。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4743724076906217039/comment/kamm
善悪の概念を持ち込んだとはいえ「自身のSF定義に照らし」ているんだから「限定付きのSF性否定」と同義じゃないの?増田の文章の方に矛盾を感じた
引用したツイート群を見てもらえば分かると思うけど、今回の高千穂氏の「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」という言葉を、氏自身のものではないが仮にこういう定義を用いたとすると、という仮定や思考実験の問題だったと捉えてる人がたくさんいるのね。
(ひどいものになると、だからSFの定義はなるべく広く曖昧にしておこうという話だったんだな、と好意的すぎる拡大解釈をしている人もいる)
でも実際の文章では全然そうでなくて、あくまでも高千穂氏自身が、氏自身の定義によって、ガンダムはSFじゃないと判断するものになっていた。という話なんだが、分かってもらえただろうか。
会見の運営会社が認めたことで完全に解釈の余地はなくなったので、ちゃんと謝罪や撤回をしたのだろうかと気になってそのうち1人のジャニオタのTLを見に行ったらリポスト内容が凄まじかった。
以下はその一部。
「売名弁護士」
社長交代
被害者窓口設置
法を超えての補償
・マスメディアがした事
Twitterではまだ盛り上がってるけど、週刊誌の編集が、もうジャニーズ叩きの記事を載せても反応が悪いし、売り上げも伸びないと言ってた。まだ載せる媒体は、自己を総括、またはアリバイ作りのためにやっているんだろうと。そうかもな。
こういう「中の人」系も多い。
今年の出場が危ぶまれた当初から「カウコン(ジャニーズのカウントダウンライブ)の方が大事だから紅白なんてどうでもいい」言説が主流。
会員制だったから要約すると…
ジャニーズが弱っているこの隙に、
そうです。
日本に作りたいそうです。
日経記事を元に「この隙に」「狙っている」と陰謀論の芽が生まれている。
そうですね、恐ろしくて誰も依頼できないですよね。
むしろFTI社は自社の名誉のためにこのリークが社内の者なのか調べ上げた方が良いと思います。NGリストの作成自体はよくあることらしいので、信頼回復の余地はあるかもしれません
そういえば…サントリーの新浪さんのパワハラの件を取り上げた局はありましたか?情報番組が好きそうなネタなのに取り上げないのってそれこそスポンサー忖度じゃないの?
あっちはどうなんだ論。
テレビに出てる弁護士が、今のところ一人も、司法に訴え出ろと言わないのが不気味ですよね、ほんと。そして推定無罪の原則がどっか行っちゃって、ジャニーズを潰すことが最善という結論で一致してる。野村修也先生みたいに、拡大解釈まで容認して。法治国家を壊そうとしてるんでしょうね。
ジャニーズの名前を残すな!と事務所に迫りながら、いつまでも番組の見出しに「ジャニーズ」と付けて視聴率稼ごうとするWS 事務所の方針は発表されたのに、まだ「ジャニーズ」をネタに尺を稼ぎたいらしい それなら誰がNGリストを流したのか、飯島、滝沢の責任は?等もっと取材して新事実教えてよ
テレビ局の"ジャニーズ叩き"ちょっとしつこくないか?見てて気分悪くなる
健康被害が出ているらしい。
立場ってあるやん。謝る立場って弱いやん。下げてる頭を上から踏みつけるようは真似は品がない。ジャニーズのやることなすこと叩きまくってる昨今の風潮がなんかおかしい気がしてきた。
品格…
今ジャニーズやファンを叩いてご満悦のおぢ達って危機感がなさ過ぎでしょ。これがまかり通ったら、今後は見知ってるというだけで、証拠が一切なくてもあなたから性被害を受けたと申し出られたら問答無用で資産を差し出して補償するってことですよ。もちろん家族も知らなかったはずはないので同罪です。
また「おじさんが叩いてる」 論。
統計を学んでるんですが、最近暇なものでジャニーズの偏向報道において、ジャニーズを一方的に、絶対悪でコメントしてる人たち(調査数2069人)のうち過去ツイートやプロフィールから
それ以下と断定できる人が307人
年齢層特定にあたって過去のツイートを見ていると、若い人たちは様々なルートで情報を見て、自分で正しい報道を見極めている傾向が高かったが、40以上の方は、引用ツイートに週刊記事が多かったり、特定のジャーナリストの記事ばかりリツイートしていた。つまり年齢が上がる程、情報に偏りがあった
統計を学んでいるらしい。
ここでも「叩いてるのは中高年」論が。
ジャニーズ、東山紀之さん、井ノ原快彦さん、俳優のキャリアを潰して責任背負うのに、なぜ叩くのか。しかも悪いことは関係ない。気の毒すぎます。新しいことを応援しないで、くだらないこと喚き可能性を潰してきたのが日本の「失われた30年」。水に落ちた犬を叩くのではなく救うのが日本。部外者感想
くだらないことって…
ジャニーズ問題での会見について「国民の知る権利が」とか言ってるけどよくわからん。
みなさんには関係ないでしょ論。
そりゃ横並びになるよね
#偏向報道
ZIP/めざましテレビ/グッドモーニング/ノンストップ/ミヤネ屋/サンデーモーニング/イット/α/ANNNEWS/スーパーJチャンネル/サタデーステーション/サンデーステーション/おはよう朝日です/SPARK/めざまし8
そりゃ全局同じ報道になるよねー
私は細かく尾形と望月のYouTubeチャンネルに行って、再生せずに報告してますよ。まずは奴らの資金源をきっちり断たなければなりません。動画を見なくても報告はできます。小さなことからコツコツと。
ちなみに、尾形と望月のYouTubeチャンネルを報告するときには「スパム」もしくは「差別的・攻撃的内容」を選択するようにしています。
繰り返しますよ。大切なのは、活動家の資金源を断つことです。特に尾形と望月の主たる資金源はYouTube以外見当たりません。ここに集中しましょう。
そのほかマスコミの資金源を断つのも同様で、雑誌買わない、新聞買わない、URL踏まない、サブスク登録しない。
あともうひとつ大切なことを。対象に電凸、メール凸などは絶対に禁止です。それはこれまでの極端な圧力団体と同じことになります。また大学などに電話かけたり実際に行くのもNGです。どうやったら資金源を断てるのか、できる生活の中でできる範囲で地味に目立たずコツコツと。
むしろ今後は、「ジャニーズファンは電凸なんかしないから、それをやってるのはあちらの勢力」って言えるくらいの状況に持っていきたいですよね…
ほんっと、ファンでも何でもない俺がテレビでジャニーズ関連のニュースのコメンテーター(特に休憩室のミヤネ屋がひどい)見る度に吐き気がするほどアホらしい茶番だと感じるから、
「ファンでない人もこう思ってる」系。
違和感があれば報道していきたい、とか我々の姿勢も問題があった、とかなんか色々報道陣の人たち言ってるけど、当事者の会の齟齬・矛盾や、無罪推定の原則が守らてていないこと、被害者の可能性もあるタレントに対しての異常な排斥に対する違和感はないのかしら?結局なんも変わってへんやん。
わざと虚偽のニュースを流して、それを訂正されたのも隠しておきながら、翌日のニュース内でちゃんと訂正しなかったというのは、風説の流布の犯罪にあたると思いますが?
NHKは震災などの緊急時の情報を頼りにしている人達も多くいる。その情報の正確さへの疑念が生まれるような事を平時に行っていてよいのですか?
上に同じ。
偏向報道が異常すぎる。
メディアによるジャニーズ叩きがあまりにも異常なのでTVのニュースや情報番組は見なくなった。
法を超えた補償をする、社名変え廃業も決めた、新会社設立し組織改革する。で指摘することなくなったら些細な言葉尻の揚げ足とり大騒ぎ。狂気ですね。ニュースキャスター、MCたちにも拒否反応です。
「ジャニーズ叩きは異常」論。
ジャニーズ事務所はコンサル会社の情報漏洩のせいで多大なる損害が出てるからコンサル会社に訴訟起こすべきだし名誉毀損ものの記事を書く週刊誌にも対応すべき。
このメールが本当にFTIコンサルからのものならこの会社に危機対応を任せようと思う会社は今後現れないだろう。クライアントの意に反してNGリストを作成・持ち込んだだけでなく、それをクライアントのせいにするようなリークの仕方をするのだからもう二度と信頼は回復しないのでは?
上に同じ。
謝るどころかHPの文言の違いについて事務所に質問したが回答は無いと、あくまでも悪いのは事務所と思われる様な言い方。コンサル会社の謝罪は切り取った1部だけ表示。偏向報道にも程がある。ファンの必死な訂正やお願いや批判のリプは全く届いてないんだね。どうしてこんなに頑ななの?
もっかい言うけど、8月に国連から注意されたのはジャニーズだけじゃなくて「もみ消しに加担した」メディアもだからね
メディアはどうする?
常軌を逸した偏向報道、ヘイトスピーチまがいの罵詈雑言のオンパレード。
ジャニーズファン以外でも、ごく普通の人なら、ゲンナリしてるし、なんなら吐き気もしてる。
#ゴゴスマ
#ミヤネ屋
ビジネスと人権の観点から今後問われなければならないのは、今まで見て見ぬふりをしてきたとされるメディア、芸能界とスポンサー企業の責任です。手の平を返したようにジャニーズ事務所を責めるのは誠に無責任。自覚を持って今後行動して頂きたいものです。
世間、あんなに国連が〜!って言ってたのにこっちのポストは全然拡散されないの、まじでジャニーズ叩ければ人権なんてどうでもいいんだろうな笑
「ビジネスと人権〜」の引用は国連特別報告者(現代的形態の奴隷制担当)の小保方智也氏による投稿。
なお氏は直前に
ジャニーズ事務所の2回目の会見、最後の記者が言われた事は的確だと思います。支配力が非常に強く、従うしか無いと被害者が感じた場合、単に性加害では無く国際人権法上最も重大な「奴隷」に当てはまる可能性が高くなります。これを踏まえて個人個人に適切な補償が施される事を期待します。
(NHKの誤報と主張した一番いいねが多かった投稿も非ジャニオタによるものだった)
XにはNHK嫌い、マスコミ嫌い、嫌韓、陰謀論者なども多いのでそれらの投稿を味方に一層ジャニオタのエコーチェンバーが強化されてしまっている様子がわかる。
一体どうすればこの状況を止められるのだろうか…
これ本当に探し集めたわけじゃなくTLに延々と並んでてどれも数百数千いいねやリポストされてる。
こういう世界で生きてるのかと戦慄した。
”茶化してるって事は子供への性加害を大した問題だと思ってないって事じゃん”
FPSやってる人間はゲームの中とはいえ人を殺すことを競い合い、また殺すことに喜びを見出しているため殺人願望があるのは明らか
だからその見えるから、みたいな拡大解釈・妄想に他人を巻き込むなって話よ。
5chだかまとめだか古のネット文化を引きずる陰湿なキモオタどもを見ていると、昔みたマンガにでてくる三流半グレを思い出してイライラする
俺は逆にこういう奴を狙ってイチャモンをつける
真っ当な人間は口汚い他人に積極的に関わろうとしない。だからこそネット弁慶は放置されて、更に調子に乗り口汚さに磨きをかけていく
人格否定、レッテル張り、誇張表現、拡大解釈しながら女のフリで色々がんばる
レスが止まればこちらの勝ち!女や社会に対して更に苛立ちやトラウマを抱えるようになっていればいいなあと思いながら次のバカを探す。
そういうバカの中から低脳先生みたいなマジもんが生まれてもぶっちゃけどうでもいい
これでも俺は真っ当に仕事をしているサラリーマンだが、だからこそストレスが地味に溜まる。
こういうジメジメしたストレスを差別主義のオッサンは正当な理由を自分で作ってストレス発散対象になってくれる。
罪のない他人に当たるより余程スッキリしながらネットを楽しめる。
決して褒められたことではないけど、自分なりの小さな社会貢献でもあると思っている